忘却防止。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-09-10 (月)

こんな本読んだ - 『「兵士」になれなかった三島由紀夫』(杉山隆男)

「兵士」になれなかった三島由紀夫

「兵士」になれなかった三島由紀夫

著者は、『兵士に聞け (新潮文庫)』から自衛隊の現場を15年近く追いつづけているノンフィクション作家・杉山隆男氏。

三島由紀夫が自決する2年前から接点のあった自衛隊

厳しい訓練の時間をともにした元教官、同僚に取材して三島自衛隊での素顔を伝えます。

「私は弱かったんです」

終始興味深かったのは、稀代の作家と呼ばれた三島由紀夫が苦楽をともにしていた自衛官に対してはところどころで本音を漏らしているところでした。

「レンジャー訓練」では、40mの沢を渡るロープ訓練に挑戦するも、真ん中を過ぎたあたりであえなく三島は宙づりに。教官の手で救出を受けたときに悔しさをにじませるように。

「駄目だッ」「情けない」

まわりには福岡*1意外誰もいない。そのことを承知していたのか、三島は、きらめく名声とあふれるばかりの才能に彩られたふだんは決して人目にさらすことはなかったであろう姿を福岡の前で見せていた。

第一章 忍 54頁

レンジャー訓練の同級生に対して。

「体も精神的にもね、私は弱かったんです、と。」(略)「はっきり言っていましたね、そういう劣等感を持っていた、と」

同級生が学徒出陣で戦場に赴いたり、知人が特攻に志願して行く中で自分は「志願できなかった」ことの屈辱感の行きつく先が、戦後、一心不乱に名手自らの体と心を鍛えようとしたことだったのではないか--。

第三章 絆 135頁

三島が自決する1970年民兵組織「楯の会」が自衛隊から独り立ちするのを祝う宴で。

「組織を作るのは簡単だけれども、維持するのはむずかしい」

むろん組織とは「楯の会」のことである。

第三章 絆 155頁

自決直前、最後まで親交のあった兵士とタクシーの車中で交わした最後のことば。

二人を乗せたハイヤーは、「ああ、ここで訓練しましたね」と福岡が口に出して言おうかどうか迷っている間に、ロープ訓練が行われたわさび沢をあっけなく通り過ぎていた。(略)

三島がぽつんと言った。

「あなたはほんとうに現実的ですね。」

これまでの福岡とのやりとりの中でも、いつも結論を急ごうとしてきた三島らしい。何の前置きもない、唐突な言葉だったが、福岡には、そのひと言に三島がどんな思いを込めているかわかるような気がしていた。

「それは何か協力してくれという意味だな、と思いました」

第三章 絆 173頁

1970年三島事件*2が起きたときはまだ生まれていなかった自分にとって、この本は「歴史上の人物」だった三島由紀夫を「作家」の三島由紀夫に揺り戻すきっかけを与えてくれたようです。

こんど、実家に置いてきた文庫本を読み返してみようと思いました。

関連する記事

My Life Between Silicon Valley and Japan - 「「兵士」になれなかった三島由紀夫」(杉山隆男著)
本書で描かれた三島由紀夫自衛隊での知られざるエピソードを、同じ時代の空気を吸った立場から紹介されています。

*1:レンジャー訓練の教官の名前

*2三島事件 - Wikipedia

2007-08-29 (水)

こんな本読んだ - 『知的複眼思考法―誰でも持っている創造力のスイッチ』(苅谷剛彦)

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

「常識にとらわれずに、自分の頭で考えていくこと」のヒントを散りばめたロングセラー。単行本は1996年初版、著者は東京大学大学院教授。

ふと思い立って、本棚の奥に埋もれていたのを引っ張り出してみました。

以前読んで心に残った箇所を書き留めておきます。

学生たちと議論していると、しばしば、抽象的な概念をよくこなれないままに使っている例に出会う。「構造」とか「個性」とか「人間形成」とか「権力」といったビッグワード(概念)が典型的な例である。もともとの概念の定義とはお構いなしに、何となく理解しているレベルで、こうした難しい言葉を使ってしまう場合も少なくない。(中略)

その結果、こうしたキーワードは、容易にマジックワード(魔法のことば)に変わる。つまり、魔法の呪文のように、人びとの考えを止めてしまう魔力を持っているのだ。(中略)

これらのことばを使うことで、「なんとなくわかったつもりになる」場合が少なくない。これらは、使われる文脈を離れて、一人歩きをするビッグワード、マジックワードといえるのだ。(中略)

そこで、このようなことばを使用禁止にして、問題を考えてみる。(中略)

「バブル経済」とか「バブルの頃」といった、少し前の時代のとらえ方もそうしたマジックワードになりつつある。厳密な定義なしに、80年代後半の土地投機に絡む好況期をこう呼ぶことで、その時代に起きたことがらで現在に影響を及ぼしていることを皆「バブルのせいだ」とみなしてしまう傾向がある。こういうときには、「バブル」ということばを禁止語にしてみると、ほんとうにいいたいことと、何となく雰囲気で伝わっていることの違いが見えてくるはずだ。

複眼思考のためのヒント - 禁止語のすすめ 242頁 (太字は引用者)

とらえどころのない、いかようにもとらえることのできる抽象的なことばを筆者は「マジックワード」と定義。

口当たりがよくて一見人口に膾炙していることばほど、使うときと場所を選ぶ、あるいは自分自身がそのことばを理解しているかどうかが問われると、安易に口走ることを戒めます。

2007年の今なら「Web2.0」とか「格差」とかがぴったりマジックワードに当てはまりそうな感じですね。

身軽に動けて、広く深いネットだからこそ

この本を読み返してふと呟きたくなったことを、少しだけ自戒を込めて。

  • すべてを思いどおりに伝えられることはできないとしても、中にあるものを噛み砕いて伝える努力を惜しんではいけない。あちら側が見えないネットだからこそ。
  • わからないなら、背伸びせずにわからないと言っちゃえばいいじゃないか。リアルよりはるかに身軽なネットだからこそ。
  • まだ言葉にしえないもやもやがあるのならば、立ち止まってしばらく考えてもいいじゃないか。いつでもつながれるとは限らない、雑多で孤独なネットだからこそ。

関連する記事

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「知的複眼思考法」はスゴ本
本書で記されていた「批判的な読書をする方法」について詳しく解説されています。

2007-08-23 (木)

こんな本読んだ - 『ネットワーク社会―パソコン通信が築くコミュニティ』(江下雅之)

1年以上前に書いた記事*1を読んでいただいたのがきっかけで、古本屋の書棚に埋もれていたのを手に取ってみました。

初版は1994年。いまから13年前、Windows3.1の時代。

読み終えた後も充実した感覚がぼんやり残っているのは、2007年においても十分に通用する知見が散りばめられていたからのように思いました。

興味深かったところを少しだけ書き留めておきます。

インターネット以前から懸念されていたこと

企業、政府が発信する組織化された情報を「マスコミュニケーション」、個人の発信する第三者のチェックが働かない情報を「パーソナルコミュニケーション」として、個人のネット上でのちょっとした発言が思わぬ影響を及ぼすことについて懸念します。

サイレント・マジョリティーは、瞬時にしてサイレントでなくなるのだ。(中略)

プラスの方向に作用すれば、政治、経済、文化の面で、さまざまな恩恵が得られるだろう。しかし、マイナスに作用すれば、それは巨大な暴力となるのだ。

パーソナル・コミュニケーションが巨大な振幅を伴うようになることは注目が必要だ。良きにつけ悪しきにつけ、個人の行動の影響力がこれまでになく大きくなる可能性があるのだ。

第三章 ≪仮想社会≫の「人格」と「交流」132頁

パーソナルなコミュニケーションが公共性を担うことができるか、「群衆の叡智」が果たしていつも正しいのか、という話は、今年になって目にすることが増えてきたような気がします。*2

陥りやすい罠

仮想社会の住民が陥りやすい罠を、いくつかのパターンに分類します。これは今読んでもかなり痛烈かも。

1. ノメリ込み症候群

いわゆる「ハマった」状態。

  • 単純反射コメント症
    • 内容は二の次でとにかく会議室に書かれたメッセージに対してレスをつけてしまうこと。
  • 身辺雑事報告症
    • 発言の内容が自分の身辺雑事に終始してしまうこと。
  • 発表衝動依存症
    • 相手の反応に構わず自分の書きたいことを長々と会議室に書く。
2. パソコン通信小児病

ベテランや常連が陥りやすいとのこと。

  • 平然罵倒症
    • 匿名性を笠に着て、相手の感情などお構いなしに罵倒すること。
  • 仲良しこよし症
    • 罵倒の裏返し。ちょっとした波風さえ気にしてしまうこと。
  • ケチつけ症
    • ネガな意味での一言居士。持論に執着し他者の反論を許さないこと。

利益ある情報には対価を

情報を単に発信するだけでは活動の動機付けを維持できないとして、価値のある情報を正しく評価するしくみが必要になると指摘します。

ここでは、やはり利益のフィードバックの仕組みが必要なのではないか。それによって、会議室で成果を生む活動が促されるのではないか。(中略)

価値ある情報には対価をはらうという発想をもっと一般化し、シェア・インフォメーションのしくみが必要なのではないか。

第四章 ネットワーク社会となるために 186頁

はてなの投げ銭やはてなスターは、「価値ある情報を"気軽に"評価する」という発想から生まれたものなのかな、とふと思い返しました。

2007-07-30 (月)

こんな本読んだ - 『ウェブがわかる本』

ウェブがわかる本 (岩波ジュニア新書)

ウェブがわかる本 (岩波ジュニア新書)

著者は1977年生の新進気鋭の情報学研究者。*1

ウェブの黎明期からドットコムバブル崩壊、Google誕生、ウェブ2.0に至るまでの流れをわかりやすく解説されています。

ウェブを形づくるしくみ

「ウェブで共有とコミュニケーションをする時代」の象徴として「ブログ、SNS、集合知、検索」をピックアップ。

ウェブに参加する敷居が低くなって起きたことは。

自分にとってのあたりまえが予想以上に価値のあるものだということを、他人を通して知る(中略)

さらには、自分の情報を共有しておくと、ほかの人が「こういう考え方もあるよ」と違う知識を教えてくれたり、さらに深い知識をまわりの人から得られることがあります。(69ページ)

従来のパソコン通信や電子掲示板などとSNSの違いについて。

mixiの足あとを時として「待ったなしで濃い」と感じる理由は。

SNSでは読むだけの人もプロフィールを持っていて、その人が何かをすれば足あととして記録に残ります。(77ページ)

オープンなブログとクローズドなSNSを使い分けるにあたって。

ネットでの「公私」があるとするならば。

誰もが読んでもいいもの、知らない人も見ると役に立つだろうというものはブログに書き、友達だけに伝えたいことはSNSで書く(80ページ)

ウィキペディアに大勢の人が集まるのは

自分が表現した知識が、誰かの役に立つということが実感できるから(84ページ)

「みんなで評価する」ソーシャルブックマークがユニークなのは

自分が好きなようにやっていることが結果的にみんなの役に立っている(ところ)(88ページ)


人間の仕事って?

情報収集をウェブに任せたあとは、余った時間をどう使えばよいのでしょうか。

何を調べるべきか、調べたものをどう組み合わせるかを考えるために時間を使ってください。いまのところ、ウェブには、自分で何かを考える機能はありません。人間の仕事は、考えることにあるのです。(134ページ)

インターネットの普及によって「学習の高速道路と大渋滞」が起きたと羽生善治氏が以前語っていたのを思い出しました。

ウェブとつきあうためのスキル

最後に、情報とどのように出会い、判断し伝えるかを実践するスキルを4つに分類します。

  1. 見つけるスキル
    • 検索エンジンから知を引き出すためには、自分自身の語彙を豊かにして新しいキーワードを増やしていかねばならないという話。
  2. 判断するスキル
    • ウェブでおもしろい意見に出会ったときは、ガチなのか釣りなのか周りから判断して見極めようという話。
  3. 伝えるスキル
    • 誰に向かって文章を書くのか、普段から意識しておこうという話。
  4. コミュニケーションのスキル
    • ウェブに散らばった情報を集めながら、中の人がどんな人かをじっくり観察しようという話。

おまけ

対象を中学生から高校生としているためか、画面のハードコピーや図表をふんだんに取り入れており、これからウェブに触れようとする人でも具体的にサービスをイメージしやすいよう工夫されています。

平易な言葉でかみ砕いた文章もあいまって、今のネットで起きている動きを素早くおさらいしておくのにうってつけ。

ジュニア新書といって決して侮るなかれ。

ところでこの本で掲載されているはてブのエントリーページ*2の図表に自分のブックマークコメントを見つけて一人本屋で小躍りしてしまったのですが、それはまた別の話。

*1:はてなダイアリーでもd:id:i2kのIDで日記を書いておられます。

*2:ブックマーク元の記事は「人力検索はてな - 「これはすごい」と思う集合知のサイトを教えてください。」。図表は100ページに貼り付けられています。

2007-04-04 (水)

こんな本読んだ - 『論文捏造』

論文捏造 (中公新書ラクレ)

論文捏造 (中公新書ラクレ)

世界中の科学者が憧れる名門研究所に籍を置き、驚くスピードで関係者をあっと言わせる論文を量産、将来はノーベル賞確実とささやかれたカリスマ科学者の研究が全て捏造だったとしたら。

2002年に「ベル研究所」で起きた捏造事件を追ったNHK特集番組『史上空前の論文捏造』を書籍化したもの。

不正とはもっとも縁遠いはずの科学の世界で捏造の起きた背景を関係者のインタビューや取材を交えて分析、

  • 科学者は決して嘘をつかないという性善説で業界が成り立っていること
  • サイエンスの先端は専門の細分化が著しく真新しい研究ほど再現が困難であること
  • 「怪しい」研究を告発しようとしても、告発する側に怪しいことを立証する責任が生じること
  • 科学の権威と呼ばれる『ネイチャー』『サイエンス』のような雑誌であっても、科学的な裏付けよりも時として話題性を優先してしまうこと

など、科学の世界の「欠陥」を丁寧に指摘。

そのなかでも僕自身が興味深いと感じたのは、真理を追究すべく日々鍛錬を積んでいるトップレベルの学者であっても「権威」に騙されてしまうことがあるということでした。

ひとたび相手の言うことを信じ込んでしまうと、たとえ矛盾や疑念にぶち当たったとしても、相手が正しいと感じられるように自分の脳内で理屈を作り、「相手のことを正しいと判断した自分」を正当化する。これを心理学の用語で「確証バイアス」と呼ぶそうです。(98頁)*1

新書で300頁以上のボリューム。扱うテーマは「超伝導」というサイエンスの先端分野ですが、一般向けにわかりやすくかみ砕いて書いてあるので一気に読み進めることができます。

たとえば僕のように科学に縁の遠い人にこそ薦めたい本だと思いました。

*1先日読んだ山岳遭難の構図―すべての事故には理由がある』で、一旦道に迷うと、客観的に誤った判断であることが明らかだとしても「正しいと判断した自分」を守ろうとして遭難に至るケースが多いという記述があったのですが、これも「確証バイアス」の例でしょうか。