安藤 美姫フィギュアスケートGPファイナル2位、2度目の五輪切符の喜びを静かにかみしめる。優勝はキム・ヨナ(韓国)
フィギュアスケート・GPファイナル最終日(5日、東京・国立代々木競技場)つかんだ、金メダルへの挑戦権!! 女子フリーはショートプログラム(SP)首位発進の安藤美姫(21)=トヨタ自動車=が119・74点、計185・94点で2位。表彰台に立った日本人最上位者という条件を満たし、来年2月のバンクーバー五輪代表を決めた。2大会連続の代表となる。競技人生の「集大成」と位置づける夢舞台で、15位に終わった06年トリノ五輪の悔しさを晴らす。「世界女王」金妍児(19)=キム・ヨナ、韓国=が計188・86点で、2大会ぶり3度目の優勝を飾った。鈴木明子(邦和スポーツランド)は3位だった。
お願い、バンクーバー五輪の切符ちょーだい〜
天を仰ぐ最後のポーズを決めたまま、フッと安どの息を吐いた。会場に巻き起こる大きな拍手を受けて、ゆっくりとミキティスマイルが広がった。「素直にうれしい。でも、もっと強い選手になって五輪の舞台に立ちたい」。計185・94点の2位。2度目の五輪切符の喜びを静かにかみしめた。
SP首位で迎えたフリー。ヘビをあしらった新衣装に王冠の頭飾りをつけ、テーマとする絶世の美女クレオパトラを演じ切る。不安定な2連続3回転を回避し、冒頭から3回転−2回転、2回転半−2回転と立て続けに連続ジャンプに成功。課題の演技点でも「世界女王」金妍児に0・40点差と迫り、5度目のファイナルで初めて表彰台に上がった。
雪辱の思いが支えだった。ブームともいえた注目度と、女子による公式戦ではミキティしか成功していない大技4回転ジャンプへの国民的期待のなかで迎えたトリノ五輪は、重圧に押しつぶされた。4回転は転倒し、15位と惨敗。帰国後はさらに傷ついた。五輪前とは対照的に、周囲の人は潮が引くように去り、「もうやめろ」「太りすぎ」などという心ない手紙も届いた。
屈辱をバネに−。人に流されず、アスリートとしての自覚が芽生えた。トレーニング法や筋肉の仕組みを自ら学んだ。カロリー計算で栄養管理も徹底し、いまではフィギュア選手にとって最適の10%台前半の体脂肪をキープ。プロ野球選手も担当する個人トレーナーの川梅義和氏(35)は「プロのアスリートでも漠然とケアを任せる人が多いのに、(美姫は)自分で体調を把握して、『ここをこうして』と的確に指示をしてくれる」と、意識の高さを証言する。
だが、ここがゴールではない。表現力を示す5項目では8点台を4つ並べながら、金妍児に逆転を許した。今季、重点的に取り組む2連続3回転ジャンプは1度も成功しておらず、演技の完成度では差を感じている。4回転ジャンプも、先は見えていない。五輪まで、残された時間は少ない。
22歳の誕生日を18日に控え、国内でのライバル浅田真央(19)=中京大=を置いて、日本女子のなかで最初に五輪への扉を開いた。「4年前のつらさがあるから今がある」。バンクーバーの夢舞台が、ミキティの笑顔を待っている。サンスポより
降り注ぐ大歓声の中で、安藤は天を仰いだ。フリーでキム・ヨナに逆転されて2位に終わったが、鈴木を抑えてバンクーバー五輪代表に内定。「本当にうれしく思う。この4年間頑張って成長したご褒美で内定をもらえた」。22歳の誕生日を18日に控え、一番欲しかったプレゼントが届いた。
魂を込めて演じた古代エジプトの女王・クレオパトラ。胸に青色とエメラルドグリーンのヘビをあしらった新衣装、頭にはゴールドのティアラをつけ、情熱の舞を披露した。冒頭の3―3回転の2つ目のジャンプが2回転、ダブルアクセル―3回転も2つ目のジャンプが2回転になるなど細かいミスはあったが、3度のスピンですべて最高評価のレベル4を獲得。5項目の演技点でもスケーティング技術の7・80点を筆頭に、すべて7点台を叩き出した。「練習の成果を48%くらい出せたかな。あまり良くなかったので喜びも半分」と自己採点は辛口だったが、夢舞台へ向け「五輪では3―3回転のジャンプが鍵になる。もっと練習して自信をつけたい」と目標を見定めた。
自分を見失って15位に終わった06年トリノ五輪時とは違い、今季は冷静だ。胸に抱いているのは、トリノを制した荒川静香の言葉。98年長野五輪で13位と不本意な結果に終わった荒川は、2度目の夢舞台で世界を魅了した。自らの経験を踏まえ「2回目の五輪では気持ちの持ちようとか、やるべきことが分かるよ」と当時18歳の安藤に声をかけた。「荒川さんが言っていた言葉の意味が今年、実感できる。凄くいい言葉をいただいた」。勝負の五輪シーズンという意識はあっても、過剰な意識はしない。自己満足に終わらず支えてくれるファンの存在を常に感じながら、好結果につなげている。
成長を遂げて再び五輪のリンクへ――。「日本代表ということをしっかり刻んで頑張りたい。皆さんの気持ちも一緒に演技に取り組めたら結果はついてくると思う」。トリノの悔しさを胸に、今度こそ夢舞台で輝きを放つ。スポニチより
★安藤 美姫(あんどう・みき)
生年月日 1987年12月18日
出身 愛知県名古屋市
身長 1メートル61 スリーサイズ 成長期に付き日々変動の為記載せず
体重 49キロ
所属 トヨタ自動車 中京大
コーチ: ニコライ・モロゾフ
元コーチ: キャロル・ヘイス・ジェンキンス
樋口豊
西田美和
佐藤信夫
佐藤久美子
小塚幸子
門奈裕子
振付師: ニコライ・モロゾフ
元振付師: デヴィッド・ウィルソン
佐藤久美子
マリーナ・ズエワ
門奈裕子
フィギュア歴 8歳からスケートを始める。小4でシングルアクセル、小5でトリプルジャンプをマスターした天才肌。2002年ジュニアGPファイナルで女子選手初となる4回転サルコーを決める。07年世界選手権では日本人4人目となる世界選手権の優勝を果たした。
トリビア フジテレビの人気番組「トリビアの泉」に出演。「フィギュアスケート選手は1000回転しても目を回さない」の題目で、実際に1000回転して目を回さなかった。決めゼリフは「勝った」
食べ物 焼き肉が大好き。海外遠征から戻ると真っ先にリクエスト。ウエートコントロールの心配のない時は、試合の前日に必ず食べる
お気に入り 海外遠征などの機内でも手放さない。お気に入りはスヌーピーで、スーツケースに詰め込んである。今回のモスクワ遠征ではダンボと一緒
◆人物
愛知県名古屋市出身。名古屋市立見付小学校、名古屋市立城山中学校、中京大学附属中京高等学校卒業。これまでの所属クラブは名東FSC、オリオンFSC[3]。高校卒業後はトヨタ自動車に入社し、中京大学体育学部に社会人学生として在籍している。
スケート教室入会の直後に父親を亡くしている[6]。トリノオリンピックシーズンのショートプログラムでは父親に捧げる「戦場のメリークリスマス」を選曲。愛用しているネックレスのリングは父親の結婚指輪で、心の支えにしている。
大のスヌーピー好きとして知られる。歌手の絢香とは生年月日が同じで親交も深く、2007年世界選手権のエキシビションでは共演している。
フリースタイルモーグルのスキー選手の伊藤みきとは、大学の同級生で親友である。出席番号で安藤が1番で伊藤が2番である為、同じグループでもある。
技術・演技
力強さと女性的な美しさを併せ持ち、主要国際競技会で4回転ジャンプ(サルコウ)を成功させた唯一の女子選手でもある。2001年から練習を始め、「練習中に、遊びでやってみたらできちゃった」のだという。3回転ジャンプはアクセルを除く5種類で跳ぶことができる。以前はフリップをアウトサイドエッジで踏み切っていたが、2007-2008シーズンから踏み切りの矯正に成功している。練習では3回転アクセルにも取り組んでいる。
ISUジャッジングシステム施行後、3回転-3回転コンビネーションジャンプはルッツ-ループとフリップ-ループの2種類で成功している。3回転ルッツ-3回転ループは、ISU公認の競技会では他にイリーナ・スルツカヤしか成功していない。
経歴
幼少期
友人に誘われ、8歳でスケートを始める[3]。当時のコーチに勧められて門奈裕子のもとに移り、翌年には2回転アクセルを、その翌年には3回転サルコウと3回転トウループを習得[3]。1998年に全日本ノービス選手権Bクラスで3位となり、1999年の同大会Aクラスで優勝した。2000-2001シーズンから新横浜の佐藤信夫コーチに師事し、3回転ルッツ-3回転ループを跳ぶようになる。全日本ノービス選手権Aクラスを連覇し、2つの国際競技会で優勝した。
4回転サルコウ成功
2001-2002シーズン、全日本ジュニア選手権優勝、ISUジュニアグランプリ (JGP)もJGPファイナルを含む3戦全てで優勝し、華々しいジュニアデビューを飾る。シニアの全日本選手権でも3位に入った。2002-2003シーズンのJGPファイナルでは、フリースケーティングで女子シングル史上初の4回転サルコウに成功。
2003-2004シーズンはJGPファイナルで2季ぶりに優勝。全日本ジュニア選手権では4回転サルコウを成功させ、荒川静香以来史上2人目となる3連覇を達成した。全日本選手権でも4回転サルコウを成功させ、村主章枝、荒川静香らを抑えて初優勝。世界ジュニア選手権2002年大会から毎年1つずつ順位を上げ、2004年大会でついに優勝を果たした。世界選手権でも4位と健闘した。
ミキティやったね! 度重なる怪我を克服し、逆境をバネにして、良くぞ、どん底から這い上がり、見事バンクーバー五輪代表の切符をゲットしてくれました。今年は失敗を引きずらないココロが成功への鍵となったようです。バンクーバーではもっと強い安藤 美姫を期待しています。GO!GO!Mikity
感じちゃ〜う「イナバウアー」の謎{記録ではなく記憶に残る演技がしたかった。}荒川静香
フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナル最終日は5日、東京・国立代々木競技場で男女のフリーなどが行われた。男子は前日のショートプログラム(SP)で3位だった織田信成(関大)がフリー3位となる155.71点を出し、合計243.36点で総合2位に、女子はSP首位だった安藤美姫(トヨタ自動車)がフリー2位の119.74点で合計185.94点で総合2位に入った。
そして安藤美姫(トヨタ自動車)が見事バンクーバー五輪の切符を獲得したのである。
今季は冷静だ。胸に抱いているのは、トリノを制した荒川静香の言葉。98年長野五輪で13位と不本意な結果に終わった荒川は、2度目の夢舞台で世界を魅了した。自らの経験を踏まえ「2回目の五輪では気持ちの持ちようとか、やるべきことが分かるよ」と当時18歳の安藤に声をかけた。「荒川さんが言っていた言葉の意味が今年、実感できる。凄くいい言葉をいただいた」。勝負の五輪シーズンという意識はあっても、過剰な意識はしない。自己満足に終わらず支えてくれるファンの存在を常に感じながら、好結果につなげている。
「荒川静香の言葉」ということで思い出したことがある。
美しく、春風の中を流れるように滑るイナバウアー。競技点数としてはゼロなのに、又点数を取れる技はあるのに何故そうしなかったのであろうか。彼女がイナバウアーを演じたのは、どうしても見てほしい1シーンだったからである。彼女は女性の持つ体の美しさと柔らかさ、そして汗と涙の結晶の技であるイナバウアーを自己表現の道具であるスケートで表現し、たとえ加点はされなくても、全世界の人々に見て欲しかったのである。フィギィアスケートの楽しさ、美しさ、素晴らしさをみんなに伝えたかったのである。この時が最も自分らしい瞬間であったに違いない。彼女は金メダルを取りにトリノに行ったのではなく、オリンピックという舞台で自分を表現するために行ったのである。彼女はトリノを競技場として考えずに自己表現リンク、スケートショー会場と見ていたのである。
そしてその結果として金メダルとなったのである。
オリンピック直前に、自分で、コーチを変え、曲目を変え、点数にならないイナバウアーを演じたところに自立した一人の日本女性のすがすがしい姿が見えるのである。そういう観点から見るとイナバウアーは、彼女にとって人生のジャンプ台になったのではなかろうか。
私は彼女のイナバウアーを「静香クリスタル」と呼びたい。
荒川静香 イナバウアー youtube
上記の記事は2006年3月24日「coolboyの日記」のなかで管理人が書いた記事です
http://d.hatena.ne.jp/coolboy/20060324
そしてくしくも昨夜(12/5)GPファイナルをテレビを見ていたら 解説の荒川静香がトリノ五輪の自分の演技したイナバウアーについて「記録ではなく記憶に残る演技がしたかった。」と語ったのです。
それを聞いてしびれました。鳥肌が立ちました。私が思っていたことをずばり荒川静香が語ったのです。
表現者としての荒川静香を見事に演じ切り、ゴールドメダルを獲得したのです。
人は何かを表現し、伝えたいと思っているのです。そのことを自分自身の身体とスケートという道具を使って芸術的に感動的に表現したかったのがイナバウアーだったのです。鍛え抜かれていて、しかもしなやかな身体、幾度と無く繰り返し、積み重ねてきたこの進化したワザ「イナバウアー」を見て〜と言っていたのである。そして荒川静香自身が自己実現したというわけなのです。
これが涙せずして語る事ができるでしょうか。これこそが「感じちゃ〜う」なのである。