Hatena::ブログ(Diary)

ハテヘイの日記

2018-05-01

初めて帰還困難区域に入った

20:11

 「見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される」(マタイ23:38)。

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 2018年4月26日、通う教会の牧師に勧められ、原発から5キロ、大熊町の帰還困難区域に荒れたまま残っている教会堂と納骨堂、そして周辺地域を15名で視察して来ました。大熊町に縁の無い私のような部外者は、こうしたつてに頼らない限り、絶対進入する事は出来ません。あらかじめ許可証をもらい、ゲートで身分証明書を見せ、教会で備えたマスク、手袋、靴の上から被せるビニールの使い捨ての袋も、身に着ける必要があります。出る時も同じようなチェックを受けます。そして積算線量を測る為、第二原発の施設に行く必要があります。これでやっと解放されます。

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 遂に帰還困難区域に入りました。すれ違う車は無く、道路に人はおらず、色とりどりの木々が伸び放題でした。大震災以来荒れ果てたまま残っていました。道路からはみ出た大きなカナメの鮮やかな赤色が、元々自然豊かだった大熊町象徴するかのようでした。

 すぐに目指す教会、納骨堂に到着です。

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 この為に買っておいたエステーの空間線量計は、だいたい1時間当たり3マイクロシーベルト位でした。教会堂内部は0.46くらい、一応基準値の2倍です。堅固に作られた為、あまり放射能は内部に侵入していません。

 教会堂は3・11の時点では改築したばかりで、牧師と信徒のアイデアが詰まったすばらしい建築物でした。

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 これまで時間制限付(今もそう)で関係者が入っているので、さっぱりしていました。ここでの礼拝は皆立ったまま、やたら器具に触れないよう気を使いました。2階の牧師室などは本が散乱し、地震のすさまじさを垣間見ました。

 会堂入り口の掲示板は当時のまま、3月13日予定の説教題などが貼ってありました。3・11当日も多彩なプログラムが進行中でした。

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 再び車に乗ったまま、メインのストリートなど案内してくれました。進行方向右に入ったところに、常磐線大野駅があります。2020年3月までにオープンさせる予定で、駅舎の工事が進められていました。

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 写真右は図書館ですが、3・11までは原発で潤っていた町なので、こうした立派な建物が多いとの事でした。文化センターもそう、全く機能しなかった原子力センターもそうでした。

 第二原発は再稼動を巡りピリピリしており、撮影は禁止でした。私たち一行はそこから国道6号広野インターに向いました。楢葉町に入り途中にあるのが、震災富岡から引っ越して来た有名な豚壱です。震災前は鰻の蒲焼をやっていて、豚の三枚肉を炙って、油を落とし、鰻のタレで丼にした並み盛りの豚丼(600円)が有名で、昼はそこで頂きました。大変美味しかったです(笑)。

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 このツアー、大変貴重なものでした。福島では例外的に発展した教会、これを放棄していわきに移るというのは、すごく過酷な試練だったでしょう。さぞ無念だった事でしょう。しかし生かされて来ました。牧師は「私たちの現在の経験は未来の誰かのためです」「大丈夫です、いつ何が起こっても絶対に大丈夫です」と断言してはばかりません。

 セシウム137の半減期30年、あと23年ありますが、解除がいつになるか分かりません。しかし目撃してみて初めて、いつか再びこの会堂でもという、永い永い熱い祈りが必要だと痛感させられました。

 

A0153A0153 2018/05/06 22:32 今でも3マイクロ㏜あるのですか。原町や相馬の原発事故直後の数値ですね。貴重な報告ありがとうございます。

hatehei666hatehei666 2018/05/08 08:28 A0153さんへ
別の人の線量計とあまり誤差がなかったので、だいたいそれくらいだと思います。それゆえ帰還困難の状況は今後相当続くと思います。大河原地区などは除染を終えて、一時帰宅が6月から始まるみたいです。
ちなみにhttps://www.youtube.com/watch?v=1Z2NIKp7_Hs&feature=shareでは2013年のこの場所の線量が現牧師によって計測されています。12分20秒から始まっています。

2018-04-25

浪江で頑張る鈴木新聞舗

07:23

 「そこで、彼らは、捕囚から帰って来た者はみなエルサレムに集合するようにと、ユダとエルサレムにおふれを出した」(エズラ10:7)。

 2018年2月から3月にかけて、朝日新聞の連載記事「てんでんこ」(=めいめいという意味)では、福島県浪江町の鈴木新聞舗が取り上げられていました。

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 写真は17年4月に訪問した時、浪江駅から北方向を撮影したもので、鈴木新聞舗は中央から右手の奥で、駅から歩いて5分くらいの所にあります。町は東西30キロ、南北80キロという広大な面積を占めています。撮影当時はこの駅周辺はゴーストタウンのままでした。

 鈴木新聞舗は「1936年、朝日新聞社と契約を結び、配達業務を始めた」とありました。大震災まで75年、随分古くからある新聞店です。創業者は故鈴木宏氏、少年時代自転車で転んで怪我をし、右腕を付け根から切断していました。しかし負けず嫌いだった宏氏は、片手で自転車を繰り、この広大な地域に新聞を配り続けました。朝日だけでなく、地元の福島民友をも含め、大震災までに購読者が町の8割を占める「新聞の町」としました。宏氏は2200部を配達していました。

 それだけでなく、「浜通り選抜高校野球大会」なるものも立ち上げ、空から小型飛行機で始球式用のボールを落としたそうです。町からいわきに移住した教会員の人も、それをよく覚えていて、私に伝えてくれました。

 その購読がピークに達した時点で、宏氏は長男の宏二氏に経営を任せました。宏二氏も頑張って部数3200にまで伸ばしました。そして2010年次男裕次郎氏にバトンタッチしました。彼はまだ20代の若さでした。

 親子3代で順風満帆だった矢先の2011年3月11日、あの東日本大震災が生じました。「震度6強の揺れを観測し、65戸が全壊。15メートルを超える津波によって沿岸部の586戸が流失し、死者・行方不明者は182人にのばった」とあります。私も行ってみた海岸に近い請戸地区は、無残な津波被害で荒れ果てていました。

 そしてその後です。福島第一原発から8キロの浪江町中心では、原発爆発事故から7時間後、「屋内退避指示」が出されました。情報も途絶えました。

 しかしそこで宏二氏と裕次郎氏は避難せず踏みとどまりました。取りに行けなかった朝日を除き、福島民友読売は確保したので、車にて出来るだけ配布する事が出来ました。避難した人々は皆食い入るように記事を眺めたそうです。情報が無い時のこの記事はどんなに貴重だった事でしょう。

 3月12日原発2号機事故による放射能大量放出で、無情にも風向きが午後北西となった為、放射能雲(プルーム)は、浪江から飯館方面へ流れて行きました。以後その町村は帰還困難になりました。二人は福島市二本松市避難しました。

 2016年秋、浪江町民の一時帰宅が許可され、17年3月避難指示が解除される事になりました。しかし当初の帰還者数1000人に満たないとの予測で、経営を再開するかどうか、二人の間で激論となりました。

 でも裕次郎氏の強い意思で再開決定、2017年1月25日、5年10ヶ月ぶりに配達が始まりました。

 しかし3月末実際指定解除になっても、戻った人の数は4月で193人、契約を結べたのは40部のみでした。大きな試練となりました。また7月に長女が誕生しました。夫婦は今南相馬市に住んでいます。裕次郎氏はそこから新聞舗に通っています。休みは月1回だけ。妻は勿論放射能の事は心配ですし、夫の健康もそうです。夫を助け子ども保育所に預けようと思いましたが、浪江町では18年4月に初めて保育園がオープンしたものの、0歳児は保育士がいないので受け入れられませんでした。今のところ品数が豊富なスーパーはなく、病院もありません。

 「配達員も集まらず、妻も働けない。配達部数は85部で頭打ち。経営的にも、体力的にも追い込まれていった」。18年3月末の居住人口703人とあります。まだそれだけ。新聞を読まない人もいるので、85部では絶対的に経営が成り立たないと、浪江出身の元銀行マンで、私の家から近く、親しくしている教会員も言っています。

 裕次郎氏は「町のインフラ整備や商店の進出を待ってから避難指示を解除すべきだったのではないか」と考えていますが、当然でしょう。でも解除になってしまった以上、浪江町復興の為に頑張るしかありません。「この新聞を待っている人がいる限り続けたい」。私はこの鈴木新聞舗を心の中で応援します。

yonnbabayonnbaba 2018/04/25 07:54 遠い豊橋の地から祈るくらいしかできませんが、私も鈴木新聞舗さんを応援します。
今日も素晴らしいお話に、胸を打たれました。

hatehei666hatehei666 2018/04/25 23:12 yonnbabaさんへ
いつも閲覧して下さり感謝します。
実は本日浪江町復興支援にてブログに登場した人の誘いで、『土の歌』の初練習をいわき平の短大まで行ってやりました。
非常に難しい楽譜でしたが、9月に浪江で復興支援の音楽をやり、元気を出してもらいたいという願いからだそうです。
問題は合唱団の人数は東京からも来て確保出来そうですが、肝心の浪江町のホールにどれ位の人が来るかという事でした。
それで実際に行えるかどうかは難しいです。とにかく帰還した人々の数が少な過ぎるからです。
そこで既に朝日の記事をコピーして渡した経緯があるので、その人に鈴木新聞舗の裕次郎さんにも頼んでみたらと言って承諾を得ました。
たぶん裕次郎さんは乗ってくださるものと信じています。
心の応援本当にありがとうございました。

matsukentomatsukento 2018/04/26 18:36 hatehei666様、こんばんは。
朝日新聞の津波てんでんこで、私も鈴木新聞舗の記事は読みました(o^_^o)v!!!
私もかつてはASA(朝日新聞販売店)の専業員(正社員)をしていて、さらに八尾民商に転職しても、朝刊配達のバイトは、他の新聞舗で9年間続けて、本業と副業を合わせて、いい月収になりましたよ〜。
でも2006年に事務局長になる直前、私の朝刊配達のバイトがバレバレだったみたいで、辞めた次第でちゅ。
今では新聞離れが進んでいて、若い家族は新聞を購読せずに、ネットをニュースソースにしてますが、それだけでは物足りないだけに、やはり活字って大切です♪
被災地でも頑張って、最新ニュースを配信される基地となる新聞舗、鈴木さんの奮闘には頭が下がる思いだっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

hatehei666hatehei666 2018/04/26 22:17 matsukentoさんへ
マツケンさんもASAで新聞配達しておられたのですか!!
私も伝道で初めて大阪茨木に引っ越す前、纏まったお金が必要で朝刊のアルバイトをしていました。
そうした貴重な体験がないと、鈴木新聞舗の苦労に対する想像力が半減してしまうかも知れませんね。
本日は帰還困難区域の大熊町の教会に、牧師と共に15人ほどで行って来ました。その大半の方々はこれまで時間制限つきで何回か往復しています。
私は部外者として本当に初めて許可をもらい、そこに入りました。そして壊滅状態の家々を見ました。
帰りの車の中で知ったのですが、同乗していた女の人が、この大熊町が退避になるまで、朝刊を配っていました。これも驚きでした。浪江よりもっと原発に近いですが、水素爆発が起こるまで情報もなく、良く頑張っていたなあと思いました。
現在テレビは無いですが、新聞はやはり欠かせません。ネットで情報を集め保存しても、それを眺めているだけでは頭に入りません。活字のものが身近にあってこそ、繰り返し読んで覚えることが出来ます。モノは極力捨てていますが、新聞のスクラップは増え続ける一方で(泣)
雨の日も風の日もひたすら配達し続ける店員の方には、本当に敬意を表します。

2018-04-21

善を行う者はいない。ひとりもいない

17:24

 「神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない」(詩53:2−3)。

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 昨今の政治社会情勢を考えると、上記聖書のみことばがますます真実である事を覚えます。

 セクハラ問題を取り上げてみても、政治家官僚、記者等々、自分を正義として、互いに相手の事をあげつらっています。

 しかし聖書は「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです」(ローマ2:1)とはっきり言っています。私は全くその通りだと考えます。

 では私自身はどうか?同じです。確かに男として実際「胸触っていい?」なんて、低次元の行動に出るような事はしていません。しかし聖書の神の正義のレベルは全く比べようもなく高いのです。

 「『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです」(マタイ5:28)。

 こういう男が世の中に例外なくと言ってよいほど存在しているのです。自分は絶対そんな事をした覚えがないと言われるかもしれません。

 ではモーセ十戒はどうでしょうか?その後半の一部にこうあります。姦淫してはならない。盗んではならない。あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない」(出エジプト20:15−17)。小さい時からこんな事した覚えはない、なんて言える人は誰もいません。ゆえに「律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです」(ヤコブ2:10)。

 だから「善を行う者はいない。ひとりもいない」のです。それならどうするか?「偽善者よ。まず自分の目からを取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます」(マタイ7:5)。聖書でなくても「自ら襟を正す」とよく言うではありませんか?

 その上で「他人のちり」を取り除く行動が出来ます。そうは言ってもこれが難しいです。特に政治家官僚といった人々は、すこぶる隠蔽体質だからです。よほど多くの証言が一致しない限り、さばきは神に委ね、神が正しく裁かれるよう祈ったほうが良いと考えます。

 この日本という国には絶対的な規範がありません。だから人間に過ぎない者が同じ罪を犯しているのに、「道徳」などといったものを考え出しています。

 いわゆる先進国において例外的に低いクリスチャン人口、権力者が何をやっても容認、黙認、忍従ばかり、モラルの面では、世界でも最低だと思っています。近頃民意に近い人が長となるように、祈りに力を入れています。




 

2018-04-19

3・11から7年 放射能のいま…小出裕章氏の講演

19:14

 「あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ」(箴言4:26−27)

 出席した今中氏の講演の録画を見つけた後、同じ京大原子炉実験所仲間だった小出裕章氏が、東京北区の「北とぴあ」で講演を行っていたのを発見しました(https://www.youtube.com/watch?v=-vM0OXmYiF4)。

f:id:hatehei666:20180415211429p:image:medium:left2015年の時の小出氏の写真です。

 小出氏は2015年京都大学原子炉実験所を定年で退職、長野県に移住しました。私は福島県に移住し、震災で半壊状態だった家の補修に時間を費やし、情報が途絶えました。

 てっきり原発推進派のありとあらゆる妨害に遭って、沈黙のまま自適生活を送っていると推測していました。

 ところが偶然このユーチューブの録画を見つけた次第です。2時間以上にわたる長いものでしたが、一貫して小出節は健在でした。

 講演で見逃せないのは、福島原発事故大気中に放出された放射能広島原発168発分に相当するという計算です。

 私たちはまずそこに想像力を働かせなければなりません。原爆広島長崎各1発でこの2県が壊滅状態になったわけですから、単純に現在の47都道府県を考えると、4回分放射能が日本全体をなめつくした事になります。勿論汚染の度合いは、福島第一原発を中心に遠いほど薄らぎますが、近い所の相当な地域(岩手県から岐阜県まで)は、放射線管理区域に指定しなければならないほど汚染されたわけです。講演の汚染地図は良く見えないので、参考までに次のサイト(http://www.kananet.com/fukushima-osenmap/fukushima-osenmap2.htm)が分かりやすいです。

 不幸中の幸いと言うべきか、この放射能の雲は大半偏西風に乗って太平洋に流れたという事です。小出氏は講演の中では特にセシウム137を取り上げています。それが現在最も重大な核種なので、それで政府発表のものを示しています。

 大気中に放出されたセシウム137の放射能量(日本政府がIAEA[*国際原子力機関]に報告した値)は1.5×10の16乗ベクレル 重量では4.7kg、そのうち日本の陸地に降下したセシウム137の放射線量(故沢野伸浩氏の評価)は2.4×10の15乗ベクレル 重量では750gです。全体の16パーセントです。「本当微々たるものが放出されたら、大変な事になってしまう、それが放射能というものです」と小出氏は強調します。

 私のような者には、想像を絶するとしか言いようがありません。

 このセシウム137の半減期は約30年、100年たっても、汚染は10分の1にしかならない故に、日本は今後100年以上、原子力緊急事態宣言下にあり続けるということになります。この事実を日本人はもう忘れています。忘れてはならない事ですが。だから誰かが言い続けなければなりません。

 今の若い人たちでも、放射能は一生の付き合いになります。放射能は幾ら線量が低くても、それなりの危険性があります。福島復興・帰還の名目で若い人たちを戻すのは、私としても絶対反対です。でも相対的に線量が低くなったいわき市の場合は、例外的と言ってよいほど若い人が多いです。被災地から大挙移住して来ています。泉小学校なんて生徒数1,000人です。

 それはそれで親も子も腹を括るしかありません。しかしこの4月から飯館村では、7年ぶりに村立の認定こども園、小中学校が開園・開校しました。新たなスタートなんでしょうが、事実が分からない子どもより、親としての責任は重大です。小出氏は帰還困難区域に隣接した地区での、累積外部被ばく量を計算していますが、長く住めば住むほどセシウム137は直線的に増加します。ですから避難したままの親子の場合、全く賢明な選択肢となります。

 帰還すべきか悩んでいる若い親がいるなら、是非小出氏の講演をユーチューブで見て欲しいと思います。私のような老年層は、この途方も無い被ばくや汚染に対して受けて立つ責任がありますが。

 

2018-04-15

一物理学徒から見た近代日本一五〇年

17:47

 「彼らはわたしを捨て、ほかの神々に香をたき、彼らのすべての手のわざで、わたしの怒りを引き起こすようにした。わたしの憤りはこの場所に燃え上がり、消えることがない。』」(列王第二22:17)

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 1868年から2018年までの近代日本150年を、政治史家は政治の視点から、経済史家は経済史からというように、それぞれ自分の専門を生かして書いて来ました。今度出た山本義隆著『近代日本一五〇年』は、副題に「科学技術総力戦体制の破綻」とあります。山本氏は専門が物理学、科学全般に至るまで通暁し、『磁力と重力の発見』で見せた古い文献の発掘とその意義を、日本近代史でも縦横に駆使して書いています。

 序文に「開国した日本は、近代化をエネルギー革命として開始することになった」とあります。それが3・11原発事故で、「エネルギー革命がそのサイクルを終えてオーバーランした」のです。オーバーランは「行き過ぎる」という意味です。

 山本氏福沢諭吉が「物理学」という言葉を使い、率先してその啓蒙に努めた事に注目し、得意の物理学を用いて、近代日本の開花、発展、終焉に至るまでを、この本で述べています。これは一物理学徒による全く新しい近代史現代史に他ならず、画期的なものと言えます。しかし300頁近いこの新書、理系にあまり興味のない人には、少々しんどいかもしれません。

 山本氏は元東大全共闘代表と略歴に書かかれる事を躊躇していません。立場は不変です。その観点から近代史を、いやそこに登場する人物を、バッサバッサと切っています。自己否定の論理を踏まえての事です。

 殖産興業富国強兵を掲げた明治政府は、1870年工部省を立ち上げ、工部大学校設立しました。1885年以後帝国大学工科大学(現在の東大工学部)となり、工部大学校で培われた近代技術者養成を引き継ぎ、士族出身者でその人員を占める事になりました。学生は超エリートとなり、「官尊民卑」の風潮が科学技術の世界で確立されてゆきます。このあたり山本氏の面目躍如たるものがあります。

 殖産興業の物質的基盤は蒸気機関の使用であり、鉄道敷設と相俟って進展してゆきます。その1歩が製糸業でした。富岡製糸工場の誕生です。

 次のステップが「電力」です。「『電力』と通称される電気エネルギーの利用こそが…近代化の真のメルクマールであり、エネルギー革命のピークを形成する」。

 1887年東京電力の前身「東京電燈」が設立され、電気事業が始まりました。近代日本のスタートから僅か20年程でした。東京電燈は東京下町火力発電所を設けました。東京ど真ん中と言えます。原発という危険なものを都心から遠ざけたのとは好対照でした。

 しかしその最速近代化の中で富岡製糸工場の過酷な労働や、足尾鉱毒事件等々が発生した事も、山本氏はぬかりなく指摘しています。

 次に山本氏は私たちの目を「富国強兵」に向けさせます。上記電力が一般に普及し出したのは、20世紀に入ってからだそうで、それまでは大口電力消費者はであり、軍需産業でした。そして発電も火力から水力へと移行しつつあり、東京電燈は都心を離れ山梨から電気を受け、1915年には猪苗代水力電気が東京まで送電するようになりました。「大送電網の時代が幕を開ける」事になったのです。東京電燈はそこから電力を購入した事で、福島が関東の電力源となりました。現在の東電福島原発を設置したのも、そこに基礎があります。

 先立つ1914年、第一次世界大戦が勃発し日本も参戦しました。日本帝国主義又は軍国主義の嚆矢とも言えます。

 その一翼を担ったのが東京帝国大学でした。軍学協同で東大に造船学科、造兵学科が設けられました。山本氏が学んだ東大物理学科の創始者田中館愛橘で、のっけから軍に追随していました。田中館は航空学科も作り、地球物理学分野の功績もあって、1944年文化勲章を受けています。ちなみに東大全共闘に加わった私の中学時代の友人は、この航空学科に入り、その経緯に疑義を抱き反旗を翻しました。

 軍事力増強には化学産業の進展も必須で、山本氏はそれにも言及しています。かくて日本は国家総力戦へと突き進んで行きます。1936年頃自動車産業も立ち上がりました。日産トヨタ三菱重工などの誕生です。そうして東大工学部出身の専門技術官僚が誕生します。その後輩内閣府原子力安全委員会委員長斑目春樹氏(=原発事故当時有名になりました)みたいで、技術者官僚入りを果たしたのです。

 1938年「電力国家管理法」が制定され、「電力の一元的国家管理が完成した」。これも強兵に役立ちます。戦時下で国家総動員体制が敷かれると、科学者もまた総動員されました。

 しかし遂に1945年日本は戦争で負けました。けれども山本氏は「日本の科学のこんにちの展開の基礎は戦争によって培われたのである」(*広重徹氏の文献を引用)と断言しています。だから敗戦直後、優遇されて来た科学者の中に悔い改めを表明した人は一人もいなかったのです。それゆえ「科学戦の敗北」などという言葉も出て来ました。その象徴米国による広島長崎への原爆の投下による先駆けの「勝利」でした。

 そのために原子力の平和利用への転換がなされましたが、日本陸軍原爆開発計画の中心にいた東京帝大出身の原子核物理学者仁科芳雄とその下にいた武谷三男ら著名な学者たちは、深刻な自己批判もせず、原発推進の音頭とりをしたのです。山本氏は触れていませんが、戦後初のノーベル物理学賞をとった湯川秀樹も、原爆研究に参与していました。東大総長となった茅誠司強力な原発推進論で、全共闘当時の山本氏は激しく反発したと記憶しています。

 1954年には東京電力が新たに発足して、電力の安定供給体制が敷かれました。1963年東海村で初めて原子力発電所が建設され、東電も1971年に福島第一原発1号機を稼動させました。

 こうして戦時下の総力戦体制が、現在もれっきとして存続し、とりわけ原発建設は「政・管・産・学そしてメディアからなる原子力ムラにより推進され、一度は福島原発事故で頓挫したものの、東電主体にその力を盛り返そうとしています。

 でもこの原発事故、これから廃炉も含め何十年、何百年も続く事であり、山本氏「今まで人類が経験した事故と決定的に次元が異なると主張しています。その意味で日本のエネルギー革命が終焉を迎えたのは確かでしょう。

 山本氏にはこの本の副題である「科学技術総力戦体制の破綻」の「破綻」を、さらに追及してもらいたいと思いました。ちょっと長くて偏った本の紹介でした。

 

nankainankai 2018/04/15 21:09 適切な紹介ありがとうございます.
問題は,西洋帝国主義の包囲の中で近代日本が植民地化されないでゆくために「科学技術総力戦体制」はやむを得なかったのだ,という主張にどのように対するかです.
そして私は,別のもっと違う近代がありえたのだという議論は,机上の議論だと思います.
その上で,いまは資本主義の終焉が不可避な段階です.このとき,次の時代を作ってゆくその内実は何かという問題に結びつかなければならないと考えています.
山本さんの事実に基づく論をふまえ,多様な議論が起こることを念じています.

hatehei666hatehei666 2018/04/15 22:44 nankaiさんへ
私は高校時代日本史がとれなかったので、成人してから独学で山川の日本史を勉強して来ました。文系の視点です。
一方全共闘時代の山本氏は、大河内一男、加藤一郎といった東大総長の帝大時代から続く権威主義的、偽善的な対応を鋭く批判していたので、今回も理系の観点から今日に至るまで、批判的な近代史を書いているだろうと思っていました。まさにその通りで非常に新鮮でした。
だけどその書評を間違いなく書くのは至難の業だと思っていました。
nankaiさんが「適切な紹介」と言ってくださったので、内心ほっとしています。
ただボリュームのあるこの本をバランスよく紹介するには、幾らブログにスペースがあっても難しいと考え、「東電」「原子力」をキーワードに、偏った書評を書きました。
ところが貴兄は同じ理系の観点から、『夜明け前』を基本に、むしろ文系的に近代史を展開しておられ、2冊を対比して読むと余計面白くなりました。まだ途中です。
聖書の黙示録の立場からすると、どうしてもこれから大患難の時代に入ると思っています。それは避けられないにせよ、その後創世のパラダイスの時代、人間が神と共にあって、人間同士本当に自由で平等な時代が復活すると信じています。

yonnbabayonnbaba 2018/04/16 07:50 どうも日本人というのは熱しやすく冷めやすい、そのうえおかしたこと、起きたことのきちんとした検証も反省もしないまま、どんどん新しいものに熱くなっていく傾向が強いようですね。
Aということに問題がある、なぜか、原因はこれだ、だからつぎはそこを改善したBに行こう、という論理的な思考が苦手なのでしょうか。
だから、「はい、今度は郵政民営化ですよ」「次は緑のおばさんがトレンドですよ」「いまこそ日本を取り戻す、でしょう」なんて煽る人に、簡単についていってしまうのでしょうね。

hatehei666hatehei666 2018/04/16 20:20 yonnbabaさんへ
全くおっしゃる通りです。原発事故のあと現在進行中の諸々の事柄は、全てそういう形です。
同時にそれは政府や官庁などの悪賢い戦略かも知れません。とにかく庶民は年月が長くなればなるほど忘れやすくなるから、その頃斬新に見える政策を打ち出してゆけば騙せるといった感じです。
その点聖書は人間の失敗を書物で繰り返し銘記させていますから、言い逃れが出来ないようになっています。西欧でも読む人は少なくなっていますが、それでも世界のベストセラーで、悪に対する相当なブレーキ役を担っていると考えます。
日本は信徒数人口1パーセント以下、今は嘘でも偽りの証言でも、何でもやりたい放題、倫理的には世界でも最低レベルの国になっているでしょう。