Hatena::ブログ(Diary)

hatehei666の日記

2017-02-20

大震災から6年これからがスタート

23:06

 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです」(ピリピ3:14)

 2017年1月29日の福島民報によると、今村復興相は福島復興の進捗状況について、「三月で七年目に入る。マラソン(四二・一九五キロ)で言うと三十キロ地点に来ている」と発言しました。そんなものかなと受け流していたところ、2月5日の福島民報あぶくま抄では、その「おおよそ三十キロでコースアウトする場合が多い」と反駁していました。コースアウトというカタカナ語の意味は「各種のレースで誤ってコースを外れること」とあります。

 ですから内堀県知事はこの時の会議のあと、「風評被害や避難区域の存在を念頭に『まだスタートラインに立っていない地域もある』」と、苦言を呈しました。なるほどと思いました。国と県民との認識の大きなズレです。

 実は私もやっとこのスタートラインに立ったばかりです。しばらくブログを更新出来ませんでしたが、朝から晩まで我が家の損傷した床を修理していて、それどころではありませんでした。

 庭のほうは30キロを越えたと思っていますが、持ち主が3・11直後施設で亡くなった事もあって、家の中は全く手つかずでした。手伝ってもらって一緒にやろうと思っていた6畳と4畳半の畳の損壊修理は、その人の遠い場所への転勤(週末にしか戻って来れません)で不可能となり、一念発起単独で行なう事になりました。

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 左図が1015年10月20日視察した時の4畳半の畳の損傷です。半分は完全に駄目になっており、引っ越しをした時応急処置で下の土間に落ちないよう板を重ねて渡したままでした。左端に見えるベッドもがっしりした造りだったので、余計土台に負荷がかかったようです。毎日ひやひやしながら過ごしていました。

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 そこでまず畳を上げて中を見ると、こんな状態でした。右図の根太とその上の下地板が折れたり、ぼろぼろに腐っていました。その下地板の上に畳が載っています。

f:id:hatehei666:20170220215157j:image:medium:left左図が床下の構造を示しています。束石の上に縦にあるのが床束と呼ばれるもので、我が家ではそれはまあまあでしたが、その上に来る大引きは少し?で、さらにその上の根太と下地板の破損はひどく、調べてみたら何とシロアリによるものでした。根太の中身はスカスカ。下地板も同様、今回は4畳半の半分を友人からもらった廃材でまかないました。

 畳は裏がぼろぼろで、そのまま使う事が出来ず、フローリングにする事にしました。それをホームセンターで売っているコンパネで作ろうというわけです。しかしそれは畳より薄いので、隣の部屋の畳(これは残すつもり)との間に段差が出来てしまう為、再度下地板の上に根太を置きます。そうすればほぼぴったり段差が無くなります。

 それでホームセンターに行き、最低必要な根太の為の角材を7本、コンパネを5つ買いました。それを昔の畳の寸法(174×88)に合わせる為に、鋸で切って配置しました。

f:id:hatehei666:20170211095226j:image:medium:right右図で根太を3本新しくしています。その上に見えるのがもらった下地板。

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 さらに下地板の上に根太を置いて、その上にコンパネを貼ります。このコンパネを切るのが大変な作業でした。ホームセンターでは切ってくれるのですが、それをやめて手鋸でしこしこやりました。そして遂に完成!実際には建築専攻の親友から助言を受けました。シロアリの被害のあった土台(次第に浸透します。時間との戦い。シロアリ怖いですよ)の上のコンパネにベッドや机を配置するわけですから、出来るだけ負荷がかからないようにする為、コンパネを嵌める位置を変えました。

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 一人では出来ないと思っていましたが、建築学の初歩を猛勉強し、畳とコンパネのサイズの違いを頭に叩き込んでやり遂げました。

 次は右端に見えている隣の6畳間に挑戦します。斜めに落ち込んでいる畳の下の根太と下地板を替えるつもりです。また忙しくなるので、しばらくブログはお休み(泣)

 

 

yonnbabayonnbaba 2017/02/21 07:50 更新は気長にお待ちいたしますので、
どうかくれぐれも無理してお身体を壊すことの無いようになさってください。

A0153A0153 2017/02/21 09:46 いやー。大変そうですが、また楽しそうですね。・・・私もよくわかりますよ。自分のことを言います。
私も退職直後、幅1間半、奥行き1間、高さ2.1メーター(高いところ、低いところは、1.8M)の農作業用の小屋を作ったことがあります。ブロックとコンクリートの基礎から作りました。半年かかりました。大変でしたが、人生で一番楽しかったかもしれません。ほとんど自分一人で自分で考え自分で切ったり掘ったり組み合わせたりで面白かった。体重が8キロ減りました。(母の介護もあったのですけど)
お写真を見ますと、本格的な丁寧な仕上がりですねえ。ピッタリあってます。私の場合、細部はひどくいい加減です。性格の違いでしょうか。今度の6畳間は、経験がありますので、割と早くできるのではないですか。楽しみですね。
体に気を付けて、楽しんでください。

iireiiirei 2017/02/21 16:38 「Do it yourself 」ですね。きばって下さい。私も以前、囲炉裏と2段ベッドのある5m四方の「紙漉き作業小屋」をほぼ独力で建てたことがあります。

hatehei666hatehei666 2017/02/21 16:57 yonnbabaさんへ
いつも温かいご配慮ありがとうございます。福島について書きたい事はゴマンとあるのに、更新できず忸怩たる思いです。しかし日常生活で不便なのは我慢出来るものの、6畳と台所の境目は、そこを安全に渡る為のとっかかりが得られず、下手をするとそこも又畳が折れ、私も夜中のトイレで落ちそうなので、早くけりをつけたいと思っています。台所、洗面、トイレ、風呂場はそこを通る他ないので。

hatehei666hatehei666 2017/02/21 17:16 A0153さんへ
詳しい体験談ありがとうございます。体重がそれだけ減るほど苦労して作られたのですから、喜びひとしおといった所でしょうか。
一生で一番というのは非常に良く分かります。
今にして思えば、幼い時建築の模型で遊んだりしていて興味もあったので、それを持続させ大学を建築科にしたらどうだっただろう、なんて想像してみました(笑)
確かに大学を出て母の介護の為、近くの工場で板金の見習いをしていて、1ミリ以下の誤差でといった事にこだわりを持っていたので、震災によるゆがみはあったにせよ、最大で2ミリくらい、あとは1ミリ以下の誤差で抑えられたのが嬉しかったですね。
ところが現在このコメント返しをする直前、6畳の損傷のひどい所の畳を上げてみて、天を仰ぎました。根太の下の大引きまで最大長さ1・8メートルくらいシロアリにやられ、一部が折れていました。これではもう諦めるしかないかと思って考え込んでいたのです。ところが4畳半からヒントを得て、その大引きに並行して同じ高さくらいに10センチくらいの角材とブロックを置けば、その上に根太を置けるので、根太の上はコンパネを下地板とし利用し、何とか畳を保存できそうとわかったので、やった〜と叫び、これも騙し騙しやってみます(笑)。
こうした困難さの中で、神様からの知恵を頂いたようです(笑)

hatehei666hatehei666 2017/02/21 17:24 iireiさんへ
AO153さんと同様、独力でそうした部屋を作られたのですね。それも紙漉きをやる為の!
私も今いわき市遠野地区で始めたという、その伝統のわざを是非見に行きたいと思っています。
和紙作りというのは、日本独自の古来からの技術でしょうか。聖書の世界では写本はパピルスでしたね。

iireiiirei 2017/02/21 19:21 和紙は、文字通り日本独自の発達を遂げた紙漉き手法で、「流し漉き」という技法を使います。もとより紙漉きは中国起源ですが、こちらは「流し漉き」より原始的な「溜め漉き」という手法を使います。なお、パピルスは、「紙ではありません」。むしろ植物の繊維を編んで・発酵させてシート状にします。紙は原料を大きな容器(漉き船)の水のなかに均一に分散させて漉きあげると言う技術です。これは、中国人が成した世界史的な発明です。

hatehei666hatehei666 2017/02/21 19:36 iireiさんへ
詳しい和紙のご紹介ありがとうございました。
>中国人が成した世界史的な発明
そんなに凄かったのですか。聖書の普及に一大革命をもたらしたグーテンベルクの印刷術のような感じですね。

2017-02-09

幻の東北電力浪江・小高原発建設

09:53

 「人の心には多くの計画がある。しかし【主】のはかりごとだけが成る」(箴言19:21)。

 

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 2017年2月1日の福島民報によると、およそ40年前、東北電力双葉郡浪江町と、南相馬市小高区にほんの少しかかる、135ヘクタールという広大な土地で計画していた、「浪江・小高原発」を取りやめ、まず浪江町無償譲渡する事をを正式に決定しました。南相馬市小高区の8ヘクタールも、要請があればそうするそうです。

 東北電力原発としては、青森県東通(ひがしどおり)原発と、宮城県女川町石巻市に跨る女川原発があり。いずれも原発事故以後稼動を停止しています。

 私はこの幻に終わった浪江・小高原発の事を全く知りませんでした。福島第一原発事故が起きてその計画が挫折しました。

 幸か不幸かという言い回しがありますが、第一原発事故は全く不幸な出来事でした。けれどもその為に建設予定だった原発が1つ減ったのは幸いというべきでしょう。

 2月1日の報道では、東北電力は平成29年3月期の第3・4半期(28年4月〜12月)の連結決算を発表し、5年ぶりの減収減益になった事を示しました。その要因に停止中の原発の事は言及されていませんでしたが、今後東北新潟以外での電気・ガス等の事業を推進する事も含めた成長を追及してゆくつもりです。

 脱原発という世界的潮流の中で、既に東芝はその事業を縮小する方針でいますし、日立原発に関わる新技術の開発を断念しました。双方共巨額の赤字を出しています。

 ですから私は今後東北電力が女川と東通原発をどうするのか、注目してゆきたいと思います。国会前のデモのシュプレヒコールでは、この2つの原発の事はあまりに良く知られており、他のものも含め、廃炉!の大合唱になっている筈です。2月7日東北電力はこの2基の原発再稼動を、またまた最低1年は延期する事を決めました。原発再稼動は事業運営の最優先課題とされていますが、その軌道修正を迫れているはずです。さらに8日の報道では、女川原発について浸水対策が不十分だと規制委から指摘されており、こうした記事を眺めていると、東北電力はもう半分は、原発再稼動についてやる気を殺がれている気がします。

 一方広い面積を占める浪江町では、3・11の時の津波災害は大きかったものの、今後どうするべきか、そのビジョンが問われています。春の避難解除でも、人が戻って来なければ、描きようがないでしょう。

 「ぬか喜び」は出来ません。それにです、場所が海岸近くで南北に長く延びている為、国や県はこのうちの6ヘクタール分を、無人で遠隔操作や自動制御によって飛行できる、航空機ドローンの滑走路として借りるつもりでいます。イノベーション・コーストという構想のうちの一つですが、ブログ仲間の方が指摘されるように、究極的にはそれも挫折する事になるでしょう。それが浪江町を潤すことには到底ならず、私はこれを不幸になると見ています。浪江町としても、大々的に反対するだけの「体力」はありません。

 

A0153A0153 2017/02/09 18:28 浪江町の棚倉地区で、反原発運動をした舛倉さんという人の活躍の話を聞いたことがあります。前にも言ったかもしれませんが、わが相馬市でも、ひそかに原発誘致の運動があったということが、事故後出てきました。

hatehei666hatehei666 2017/02/09 19:02 A0153さんへ
貴重な情報ありがとうございました。早速調べてみました。
浪江町・棚塩の舛倉隆さんですね。3・11では津波の甚大な被害がありました。まさに幻の原発南端に住んでおられ、数十年も原発反対運動をしていたとは!故高木仁三郎さんとも親交があったようです。
春に避難解除になったら、一度見に行ってみたいと思います。本日のニュースでは、すぐ南の請戸川の桜並木を守って来られた方の紹介もあって、是非と思っています。

iireiiirei 2017/02/09 21:36 東北電力が計画しているプルサーマル方式の「大間原発」はどうなっているのでしょうね。

hatehei666hatehei666 2017/02/10 06:42 iireiさんへ
JPOWER電源開発という所で建設が進められているようですが、稼動には7年は先になるので、今のところ詳しい情報は、新聞を見る限り出て来ません。大間原発の今後の動きも注視してゆきたいと思います。

A0153A0153 2017/02/11 10:57 そうでした、棚塩でした。ありがとうございます。

2017-02-03

タルマーリーの出いすみ記

15:07

 「わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです」(ガラテヤ5:9)。

 ブログ仲間のよんばばさんが紹介してくれた(http://yonnbaba.hatenablog.com/entry/2016/12/08/160241)「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」(渡邊格著)は、本当に面白く、いろいろ考えさせられました。この本の骨子はよんばばさんが漏れなく記述しておられます。

 よんばばさんが「涙が止まらない!」と言われた箇所がどこだか分かりませんが、私が涙しそうになった箇所はあります。パン屋(タルマーリー)を経営する渡邉格・麻里子夫妻が、かつて住んでいた千葉県いすみ市で耳にした3・11原発災害のシーンです。二人がここでパン屋を始め、ちょうど4年経った時の事でした。

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 渡邊夫妻には二人のかわいい子がいます。モコとヒカルです(漢字はわかりません)。

 それでいすみ市千葉県のどこにあるか調べてみますと(画像はネットで借りて加工)、黒で塗りつぶした所になります。3・11当時のセシウムがどれ位だったか、ネットの情報では見つかりませんでした。1年前のいすみ市海岸の観測地点での食品検査結果によると、セシウム134、137合算で平均63キログラム/ベクレルとなりました。これをどう見るか分かりません。画像の北西にあたる柏市や私の住んでいた松戸市は、いわゆるホットスポットになりました。すごい放射能汚染でした。

 それで渡邊夫妻は一向に収束しない(するはずがない)原発シーンを見て不安になります。

 「親として、ふたりの子どもの健康と将来が、とにかく心配だった。たまりかねた僕は、マリに子どもふたりをつれて、西日本避難することを提案」しました。しかし東京世田谷で育ったマリさんは猛反対、渡邊氏は「泣き叫ぶマリを見て、心が張り裂けそうになった」と書いています。私が泣きそうになったのはこの箇所でした。

 「気持ちは分かるけど、モコとヒカルに何か起きたとして、それは覚悟の上でのセリフだよ」、「…………」「重い沈黙が続いたあと、マリが口を開いた。『…この子たちは、私たちが守るしかない』」、「頼む、そうしてくれ」。

 これこそ福島子どもを抱える親たちが、普遍的に直面した事です。子どもを守る為両親が苦渋の決断をし、出福島を遂行しました。一方で親の意見が分かれ、離婚にまで発展してしまった悲劇的例も耳にしています。幸いこの夫妻は「二人三脚、一心同体」というほど、聖書の視点からみても模範的な夫妻で、決断したらすぐ実行です。出いすみとなりました。

 そして一家が辿りついたのは、岡山県真庭市勝山でした。最新のネット情報では、さらにビール醸造も含めた事業展開で、鳥取県八頭郡智頭町に引っ越しています(https://www.talmary.com/)。

 私は渡邊氏の主張「肥料はなくても、土壌の環境さえ整えれば作物は育つ」に触発され、放射能汚染は覚悟の上で、毎日せっせと落ち葉を集め、生ごみも大切にして土に埋め、破損した畳の麦わら?を細かく切って同様に埋め、自己責任で種から野菜を育てようと動き回っています。

miyotyamiyotya 2017/02/03 21:09 こんばんは。
「タルマーリー」の渡辺夫妻は私が参加している「桑田・里山の会」の会員でもありました。
ご夫妻でいすみ市でパン屋を開店し、私たちも時々買いに行ったことがあります。
東日本大震災後、引っ越されたことは聞いておりましたが、まさか、貴ブログに掲載されるとは
奇遇でした。
東日本大震災後に、放射能汚染の危機を感じて沖縄などに移住していった田舎暮らしの仲間も
おります。

miyotyamiyotya 2017/02/03 21:09 こんばんは。
「タルマーリー」の渡辺夫妻は私が参加している「桑田・里山の会」の会員でもありました。
ご夫妻でいすみ市でパン屋を開店し、私たちも時々買いに行ったことがあります。
東日本大震災後、引っ越されたことは聞いておりましたが、まさか、貴ブログに掲載されるとは
奇遇でした。
東日本大震災後に、放射能汚染の危機を感じて沖縄などに移住していった田舎暮らしの仲間も
おります。

iireiiirei 2017/02/03 21:36 今はつきあいはありませんが、いすみ郡御宿でオーガニックな生活の構築を模索していたT.M.さん、3.11の直後に、女は子供を産む分、男より大事であると、妻子を彼の出身である関西に
避難させたとのこと。現在は御宿で一家揃って暮らしているそうです。

hatehei666hatehei666 2017/02/03 21:36 miyotyaさんへ
うわっそうだったんですか。少々値段は高いですが、パンの味は他とは比較にならなかったのでしょうね。私も一昨日ドイツ人の宣教師から本場のドイツのパンをプレゼントして頂きました。これも美味しかったです。
震災でmiyotyaさんの所からも、沖縄などに移住された方居るんですね。さぞ無念なことだったと推測します。柏や松戸でも震災当時パニック状態でした。市川で発掘やっていたのですが、主任の友人は孫もいるので、これは静岡以西に逃げたほうがいいかもしれないと、ポツリ漏らしていました。親としては留まるのも苦渋の決断だったでしょうね。逆に生涯独身で還暦も迎えていた私としては、福島に行こうという事になりました。

hatehei666hatehei666 2017/02/03 22:04 iireiさんへ
こうやってブログで取り上げると、当時原発から遠い関東からも、一時であっても逃れた人が多いのを知りました。状況が変わって戻った人々もいるでししょう。福島は6年目に入り、戻る時間があまりに長すぎ、移住先に定住する人の割合が相当高いです。

yonnbabayonnbaba 2017/02/04 07:57 言及ありがとうございます。私はもう、なぜか、あの本を読む間ほとんど泣けてしまったのです。こんな時代にあっても、ご夫妻の自然と共に生きる姿勢や無欲な姿にうたれたのかもしれません。
一昨年だったか、「おしどりマコケン」の講演を聞いたとき、3.11後、吉本でも、大物はキャンセルできる仕事はキャンセルさせて沖縄に避難させ、空いた穴を下っ端が埋めさせられたというようなことを言っていました。事態は東京でもそんなに深刻だったんだ、と東海地方で実感のなかった私は驚きました。

hatehei666hatehei666 2017/02/04 22:52 yonnbabaさんへ
なるほど。よく分かりました。本当に理想的な夫婦で、二人の子どもたちも、自然の中ですくすく育っているのではないかと思います。
あの原発事故の日の後、3月15日、21日に放射能が東葛地域(柏、松戸など)を襲った時、その帯が南西の東京葛飾区金町浄水場にも達し、結構大騒ぎになりました。6年経つとその事実も、もう忘れられているかもしれません。私が住んでいた松戸市の直ぐ隣で、私も電車で降りて見に行ったことがあります。

o-uirio-uiri 2017/02/05 07:29 パン屋「タルマーリ―」には一度だけ、寄ったことがあります。暖簾で活性化を図っている町でした。
当時もメディアで度々取り上げられ、評判のお店でパン仲間の間でも、時々話題になってました。
今は智頭町の旧小学校校舎で、活躍されているようですね。

hatehei666hatehei666 2017/02/05 15:18 o-uiriさんへ
そもそもよんばばさんから紹介された本で、非常にさわやかな読後感だったので、是非書いてみようと思っていた時、パッと頭に浮かんだのが、o-uiriさんの事です。タルマーリーは有機も使わず自然栽培でという事をモットーにしていましたが、o-uiriさんならどう考えられるだろうかと考えたのです。コメントいただいて、ああやっぱりそこに行かれたのだと思いました。渡邊夫妻のようには容易に移動出来ないですよね。
3・11をきっかけに岡山まで引っ越されたのは分かりますが、さらに鳥取までどうして?と思いました。それで本が出た後の事について、ネットで探してみて納得。自然栽培のものの飽くなき追求といったところでしょうか。
パン種の事は聖書にも出て来ますし、勉強してみると面白いです。彼らなりの資本論の理解も興味深かったです。主婦にも良く分かる書き方でした。

o-uirio-uiri 2017/02/06 06:49 ハテヘイさん、ありがとうございます!
「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」(渡邊格著)読んでみようと思います。この本ならきっと図書館になると思います。
勝山から智頭に移られた経緯は色々あるように聞いてます。噂で!  ネットに載っていることが全てではないと思いますが、この本は読む価値がありそうですね。ありがとうございます。

hatehei666hatehei666 2017/02/06 10:09 o-uiriさんへ
マルクスの資本論が書かれていると敬遠したくなると思いますが、この本はそのエッセンスをパン屋経営に生かし、分かりやすく説明していますが、その部分は飛ばしても大丈夫です。感動すると思います。
ただ確かに岡山から鳥取に移った経緯は、この本発行の後なので、新たな本を期待します。カフェもやっているので、もし旅に出る余裕がおありなら、是非行ってカウンター越しで夫妻と話してみられたら如何ですか?https://www.talmary.com/

yukiwarisou_0222yukiwarisou_0222 2017/02/06 19:47 こんばんは〜。
私も『腐る経済』(渡辺格著)を読んでみようと思い、本屋さんに予約しました。
紹介して頂きありがとうございます。

hatehei666hatehei666 2017/02/06 20:53 yukiwarisou_0222さんへ
この本を紹介して下さったのは文頭にあるよんばばさんです(笑)。私は図書館で借りて読みました。何回か延長して繰り返し読みました。
その経緯から、やはり良い本は買って手元においておくものだと思いました(笑)それだけ買う価値のある本です。またお金の余裕さえあれば、旅行し、渡邊家とカフェで話し合えたら最高だと思います。子どもたちの笑顔が素敵で、美味しいパンと共によき思い出になると確信します。

2017-01-30

大堀相馬焼の窯元はもう戻って来られない

19:30

 バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた」(詩137:1)。

 2016年8月2日の福島民報記事から、福島県双葉郡浪江町に大堀相馬焼という独特な陶器がある事を知りました。

 相馬焼とあるので、窯元は相馬市にあるのだと思っていました。実は浪江町の大堀地区にありました。でも全く関係ないわけでなく、ウイキなどで調べると、およそ300年前の江戸時代では、浜通り北部は中村藩が統治していて、藩主は13代にわたり相馬氏でした。有名な相馬の野馬追は、相馬氏の祖と言われる平将門が野生馬を放し、敵兵に見たてて軍事訓練をしたことに始まると言われています。

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 その相馬藩の半谷休閑という人が、浪江町の大堀地区で陶土(大堀粘土)を発見して、陶器作りを始めたのがきっかけみたいです。左図は浪江町ホームページから借用。

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 それで大堀相馬焼というわけですが、特徴が3つあります。右図はネットからユーチューブの画面をキャッチしたもの。

 1二種類以上の熱膨張の異なる釉薬をかけることにより出来る「青ひび」

 2内側と外側で2つの器を重ねる「二重焼(ふたえやき)」の構造 

 3狩野派の筆法といわれる「走り駒」の絵

 青ひびは窯出しで、ひび割れを器全体に広げ、地模様とする為だそうです。二重焼は熱いお茶を入れて手に持っても、熱さが手に伝わらないようにする為です。走り駒は大堀相馬焼独特のもので、走る馬の絵を描く事です。相馬野馬追に通じるものです。焼成した器に絵を描くのは、紙に書くよりずっと難しいそうです。

 こうした特色ある大堀相馬焼は、国の伝統的工芸品の指定を受けています。

 しかし東日本大震災で登り窯は倒壊し、作品もほとんど壊れてしまったようです。さらに福島第一原発から10キロ圏内だったので、窯元は全て強制退去となり、二本松市いわき市福島市郡山市などに移りました。窯も陶器も片付ける事が出来ませんでした。

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 私は今回その一つを訪問しました。そして応援の為湯呑を二つ買いました。すぐ入手出来るとは思ってもみなかったので、とても感動しました。二重焼の工夫が手にとってみると良く分かります。左写真で下半分に見える三つの穴から二重構造が分かります。

 浪江町はこの4月から帰還困難区域を除き、避難指示解除になります。しかしその中にあって、大堀地区は帰還困難のまま残ります。政府双葉郡の帰還困難区域に復興拠点を設け、除染で指定解除にする方針でいますが、そこにこの大堀地区も含まれているのかどうか。ウイキの情報では「釉薬の原料となる砥山石が原発事故の放射能汚染により採掘不可能となり」とありました。実際陶器師に伺ってみても分かりましたが、もう浪江から散った地域で同じ釉薬を手に入れる事は出来ません。もはや窯元が浪江に戻る事は二度とないのではないかと思います。復興拠点=特区は年間20ミリシーベルトになりそうな所です。年間1ミリシーベルトが本来の基準でしたが。そんな事実は地元の新聞にも載らなくなりました。

 6年目を迎えようとしているのに、いまだ生業を原発で奪われ、大変な目に遭っている人々がいるという事実を、忘れないようにしたいものです。また帰還困難区域で除染など作業をしていて、相当な被ばくをしている人々の事もです。

iireiiirei 2017/01/30 20:03 なかなか味のある焼き物だったのですね。容器の2重構造で、熱いお茶も空気で緩衝して
熱さを気にせず飲める容器だったのでしょうか。たしかに、原料の粘土が放射能汚染され
たら、この焼き物を続けることは困難だったでしょうね。

hatehei666hatehei666 2017/01/30 23:46 iireiさんへ
全くおっしゃる通りで、手にとってみて感動しました!
郡山とか各地に散っていった窯元の方々は、もはや大堀相馬焼は作れないので、私が訪れたところ(匿名でと頼まれました)でも、全然別の作陶になっていました。すると周辺の陶芸家と競合になるので、少し苦しいかなと思いました。

yonnbabayonnbaba 2017/01/31 08:48 人はふるさとに戻れず、
歴史も文化も自然も滅んでいってしまうのですね。
なんと悲しい・・・。
狭い国土に原発が54基もできていることも知らず、お手軽な電気の恩恵を享受して暮らしていた愚かな自分が腹立たしいです。
今も、できることと言えば、ただ「忘れずにいること」くらいの無力さなのですが・・・。

yukiwarisou_0222yukiwarisou_0222 2017/01/31 14:55 こんにちは〜。
以前「NHKスペシャル」で放映されていました。
命を絶つ人が増えてきたと…NPO法人の方達が定期的に相談に乗っていて、多いときで400件の電話相談があるとか。
ここまで頑張ってこられたのに、残念でなりません!

A0153A0153 2017/01/31 15:38 相馬市にある焼き物は、相馬駒焼といいますが、こちらも作る人がいなくなり、現在作られていません。相馬駒焼は、殿様のための陶磁器なのだそうで、作っているところは一軒しかありませんでした。
もう三十年以上昔になりますが、私の母が数年間、相馬駒焼で、片づけや掃除婦として働いていたことがあります。たまに、不出来な=駒焼の陶主が気に入らなかったものをもらってきて10個くらい家にあったのですが、他人にくれたり、あの震災で壊れたりして、一つもなくなってしまいました。今考えると少し残念な気もします。

hatehei666hatehei666 2017/01/31 15:39 yonnbabaさんへ
いつも素敵な本のご紹介ありがとうございます。イタマーリーの私の読後感近くアップします。
最近震災でもろに家をやられ、仮設からいわき市に新たな住まいを見つけた詩人木村孝夫氏の詩集 『ふくしまという名の舟にのって』を読みましたが(題名で検索すると3〜4つの詩の紹介があります)、この人は古里を失った悲哀で、本当に泣いているのです。仮設で愛する妻を失い、孤独と寂寥感、いわき市でもひっそりと暮らしてゆかなければならない寂しさ等々により、詩の中で何度も泣いています。こうした震災を伝える文学は貴重で、あの悲劇を絶対忘れてはならないという事を、改めて銘記しました。
あの原発で支えられていた電気のこと、首都圏での電気の節約のことなど、もう6年で何もかもなくなってしまいました。福島でさえ、節約どころかライトアップの競争で、復興を盛り立てようとしています。これも悲しい事実です。

hatehei666hatehei666 2017/01/31 15:50 yukiwarisou_0222さんへ
貴重な情報ありがとうございます。孤独死400件もですか。最近災害公営住宅で初の孤独死が生じ、本日の新聞では福島県知事も、そうあってはならないと、特別にコメントを出していました。今後はそうした方々の中にも、覚悟の上でという死の事例がもっと増えてくると思います。
どこを走っていても、いつも白い高層の住宅、白い一戸建ての住宅、すぐそれと分かるのですが、絶対と言ってよいほど、人を見かけません。皆さんひっそりと暮らして、隣同士のコミュニケーションも無い状態です。
おっしゃるように、折角震災を抜け出してきたのに、誰にもその苦悩を打ち明けられず、ひっそりと亡くなる…悲しいです。

hatehei666hatehei666 2017/01/31 15:57 A0153さんへ
相馬駒焼もそういう状況ですか。震災でまた貴重な遺産が消えてしまうのですね。
たまたま私は一個1500円で手に入れる事が出来た大堀相馬焼ですから、今後も浪江の現地に足を踏み込入れる事が出来ない以上、家では宝物のように大切にしています。貴兄の場合も、全て失ってしまったというのは、私からすると極めて残念です。

2017-01-25

中山七里氏の想像力

06:35

 キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです」(ヘブル9:26)

 よんばばさんが紹介して下さった『アポロンの嘲笑』(http://yonnbaba.hatenablog.com/entry/2017/01/04/205952)を、私も読んでみました。

 小説とはいえ、原発の事にも触れておられるので、絶対読まねばと思いました。

 内容はいつものように、よんばばさんが詳しく解説しておられるので、私は別の視点からの読後感です。

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 中山七里氏とはどういう人かウイキで調べてみると、岐阜県の生まれで、そこを拠点に東京などにも仕事場を持っている人でした。するとこの小説の主要な舞台である福島第一原発とその周辺をどうやって調べ、極めてリアルな形で描き切ったのか不思議です。6年前まだ帰還困難で立ち入り出来ない大熊町などを、主人公加瀬邦彦のように「不法にも」歩いてみて、細かく取材し、入念に構想を纏めたとしか思えませんでした。左画像はネットから借用。

 またウイキを見ますと、「作家としての一番の目標は、寝食を忘れて一気読みしてもらえる小説を書くこと…そして物書きの使命は『記憶させること』と『皆さんが思っていてもなかなか形にしづらいものを文章化すること』だと話している」とありました。そのように私も2日間かけて一気に読み終わり、感動して涙が出てしまいました。

 6年前の生々しい現実が、この本を通してもよく分かります。「事実は小説よりも奇なり」と言いますが、この本はその逆を行った感じです。細かな事実が私たちには今も隠されており、中山氏は想像力をフルに発揮させて、事実の上を行く不思議な臨場感を持たせています。

 例えばタイベックと呼ばれる白い宇宙服のような完全防護服と他の重装備ですが、それを着込んだ時の描写では、この小説家は元原発作業員だったのかと錯覚するほどでした。またタイベックは「粉塵は防げるけど放射線を遮断する性能なんて全然ないんだ」とあるように、とんだ代物だった事も改めて銘記させられました。

 さらにこの小説の舞台となった場所がいわき市北端西隣の平田村、意外と私の住む所から近く、興味津々だった事もあります。北須川から国道49号をまたいで349号、二股の道を県道286号に折れ、磐越東線夏井駅から小野新町駅の間を潜り抜け、県道41号とぶつかる所で北東の矢大臣山を仰ぎ見、そこへと向かう被疑者加瀬邦彦の足取りが、私の手元の地図で正確に追えます。矢大臣山での野犬との格闘は私を戦慄させました。そして途中の大震災で壊れた家々の描写も実にリアルでした。そこから県道145号を東に進むと、いわき市に入ります。東は県道36号と名前を変えて、県道小野富岡線と呼ばれます。さらに東進すれば川内村に入ります。麓山(はやま)トンネルを抜けると、いわき浪江線と呼ばれる県道35号と交わる交差点に出ます。そこから大熊町原発はすぐ近いです。けれども35号は厚い検問体制が敷かれていたので、加瀬はまた山道に入り、タイベック姿の警察官と出くわし、拳銃で撃たれますが幸いかすり傷で、再び35号に入り、右手を見ると、本に出て来る館山溜池がありました。そこから東に向かう町道を進むと常磐線とぶつかります。今も懸命に復旧作業が続く常磐線ですが、その惨状、またそこから見える海の津波による壊滅的光景。すさまじい想像力です。私が通う教会はそこから直ぐ。皆着の身着のまま強制的に避難させられたので、こうした描写は不可能です。悠長に構えていられない、小説だから可能です。しかしその小説を通して、あの3・11の事実を十分推測出来ます。

 そこで再び警戒中の警官と出会い、撃たれて負傷。しかし警官はタイベック姿なので身動きが鈍く、加瀬は拳銃を奪い、警官の足に命中させて、からくも逃げます。遂に私も数回通った国道6号=陸前浜街道に出ます。さらに東はもう原発のある険しい山々の続く夫沢地区です。しかし今は満身創痍、極限状態で万事休すと思う場面にて、加瀬を追っていた刑事の仁科が助けに来て、無事原発4号機、某国の仕掛けた爆弾を撤去しました。でも加瀬は落下してきたコンクリート片で即死状態。途方も無い被ばく量で苦しむよりはその方がましだったと呟く仁科。

 長くなりましたが、これで平田村から原発までのルートを頭に叩き込む事が出来ました。これは大収穫!

 最後にこの本で本当にたじろいだのは、原発作業員で被害者とされた金城、及びそこでの勤務が長かった父とのやりとりの場面です。

 「今まで健康被害東電を訴えた作業員は何人もいるが、その度に潰されててきた。東電の息の掛かった大学教授やら医者やらが、原発健康被害因果関係をことごとく否定する。弁護士頼んだって徹底抗戦を怖れて、すぐ和解に持ち込もうとする。だって国策だものな。リスクが大き過ぎる。だから。逆らおうなんて思っちゃいかん…」

 {労災申請もさせやしない。労災適用されないからと手渡されたのはたった五万円の寸志だけだった…使い物にならなくなった作業員は容赦なく捨てられるんだ。会社は俺たちのことを人間とすら思っちゃいないよ」。

 今更ながら東電の恐ろしさを、小説を通して思い知らされました。怖い、本当に怖かったです。

yonnbabayonnbaba 2017/01/25 08:04 言及ありがとうございます。
そうなんです。原発の事故の不都合な真実はみな隠されて私たちには見えない。
けれどこの小説を読むと本当によく分かる。ぜひ少しでも多くの人に読んでもらいたい作品です。
あと、著者名は中山「七里」さんです。

iireiiirei 2017/01/25 16:56 「小説家、見てきたような嘘をつき」といった句がありますが、まさにその通りなのですね。

iireiiirei 2017/01/25 16:57 あ、眞に迫った嘘ですね。

hatehei666hatehei666 2017/01/25 17:08 yonnbabaさんへ
中山さんの名前の間違いご指摘ありがとうこざいました!早速訂正させて頂きました。
こうしたミスは名前検索の時影響が大きいです。
最近の東電の隠し事は第二原発の再稼動です。県知事や議会がその廃炉を求めているのに、いまだ態度が曖昧で、最初は第一原発の「後方支援」という言葉を使っていましたが、25日に得た情報では「明確に説明できず申し訳ない。どのように判断するか引き続き検討していく」と言い訳して、後方支援から「白紙状態」に言葉を変えています。
第一原発の悲惨さは、この本を通してもリアルに描かれていますが、東電は本当にその事が分かっているのでしょうか?たぶん今第二原発を再稼動させると言ったら、それこそ全日本の非難を浴びる事になるので、もっとほとぼりが冷めた頃にという意図があるみたいです。

hatehei666hatehei666 2017/01/25 17:37 iireiさんへ
あっそれ図星だと思います。舞台の一部平田村や、少しかすめる形のいわき市は、中山さんでなくても出張という形で踏み込み取材は出来たと思いますが、その先の川内村、大熊町など厳重な警戒態勢で、絶対無理だったと考えます。帰還困難が続く大熊町は、その住民でない私だと、今でも検問にひっかかり、進入出来ません。パトカーもそのあたり頻繁に行き来しています。
避難途上の人々から、あとで話を聞き出し、想像力を膨らませたと推測するしかありません。
私は貴兄ご指摘の言い回しを、しばし全く忘れたかのようにはらはらドキドキ読み終え、最後の「本書はフィクションであり、実在の団体、個人とは一切関係がありません」というところで、はっと気づいた次第です。
しかしこの小説、原発事故の悲惨さを伝えるのに威力があり、是非6年経て記憶が曖昧になっている方々をはじめ、多くの人に読んで頂きたいものですね。

hatehei666hatehei666 2017/01/25 17:42 iireiさんへ
私もネットで調べてみましたが、貴兄の前者の言い回しでも大丈夫だと思います。或る方は「小説家を揶揄しているのではありません」と言っていました。勿論眞に迫った嘘というほうがストレートでしょうが。