Hatena::ブログ(Diary)

hatehei666の日記

2016-08-27

教養の再生と言うけれど

20:10

 「イエスは彼らに答えられた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です…もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです』」(ヨハネ8:34,36)

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 現在なだれを打つようにして、教師も生徒も実用主義的な教育に向かい、「そんなこと社会に出て何の役に立つのか」と揶揄される教養教育が、ますます軽視されるようになっています。

 2014年9月2日の東京新聞に「国立大から文系消える?文科省改革案を通達」という見出しの記事があり、「文部科学省は先月、同省の審議会国立大学法人評価委員会』の論議を受け、国立大の組織改革案として『教員養成系、人文社会科学系の廃止や転換』を各大学に通達した」とありました。

 この通達が見たくてネットで探したのですが、見つかりませんでした。おそらくこの記事を契機とした反響の大きさを憂慮した文科省は、公表をやめたのではないかと推測していました。ところが再度検索したところ、2015年6月8日に下村文部科学大臣から通知がPDFファイルで出されていました。これと上掲通達とは比較出来なかったのですが、さらに2015年9月18日「新時代を見据えた国立大学改革」というPDFファイルも公開されていました(http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/10/01/1362382_2.pdf)。これを見ますと、明らかに文科省は、上記2014年9月2日と2015年6月8日の通達について、言い訳をしていました。東京新聞などの推測は「ノー」と切り出し、「文部科学省は、人文社会科学系などの特定の学問分野を軽視したり、すぐに役立つ実学のみを重視していたりはしない…社会の変化が激しく正解のない問題に主体的に取り組みながら解を見いだす力が必要な時代において、教養教育やリベラルアーツにより培われる汎用的な能力の重要性はむしろ高まっている」と釈明しています。

 しかし2015年3月13日、既に文科省は「理工系人材育成戦略」というものを公表していました(http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/03/13/1351892_02.pdf)。これを見れば、教養教育と言っても、文科省の狙いが理工系人材育成に著しく偏っているのは、間違いないと思われます。

 東京新聞の記事はまだ東京圏に居た私も読み、安倍戦略はとうとうここまで来たのかと、大きな衝撃を受けた事を覚えています。そして今でも考え続けています。

 たまたま図書館で『教養の再生のために』(加藤周一・ノーマ・フィールド・徐京植共著)という本を借りて読んでいました。

 徐氏はこの「教養」(=リベラル・アーツ)という言葉について、繰り返し「かつては特権的な階級の、それも男にだけ許されていた」という事を示しています。それは戦前の一高から東大を出た共著者の一人加藤氏にも当て嵌まります。しかし加藤氏はノーマ・フィールドさんが引き合いに出した、同じ経歴の和辻哲郎とは全く立場が異なります。和辻は戦前の典型的な教養人でしたが、大東亜戦争で時代の批判者とならず、戦争に協力するようになりました。

 そうした事を思索ながら、自分ながらに「教養」というものを考えると、どうしても徐氏が指摘されたイメージを払拭する事が出来ません。私たちの今生きているこの時代は、格差があまりに大きく、貧困な家庭、特に母子家庭の子は、ろくに教育も受けられず、親の貧困を受け継いでいるという実態を考えると(私も今その世代だったら、確実にそうなったと思っています)、教養もそうした子には全く無関係なものと、無視されたり敬遠されたりすると思うからです。いやそうではない、と言う徐氏のこの本に近づくゆとりもないし、文科省の「理工系人材育成戦略」のどこが偏っているのか批判する事も出来ないでしょう。

 加藤氏は教養と対立する実学的な技術者集団について、「全会一致の集団は、方向転換を必要としない場合にはうまく機能しているように見えるけれども、方向転換を必要とした場合には、無残な無能力性を暴露する…これを救う道はない。坂を下りだしたら滅亡するまで」と言っていますが、原子力ムラにもぴったり合うこの集団の本質を見抜き、どう対処すべきかという知識や知恵を何とかして身に着けなければ、それに抗う生活が出来なくなるのではないかと危惧しています。

 徐氏はこの本の核心部分で「自分自身がもっと知りたい、もっと深く考えたいというその欲求に忠実に学び、その学ぶという行為を通じて自分自身を自由にしていく、機械的・奴隷的労働から自分自身を解放していく、それがリベラル・アーツです。そして、そのリベラル・アーツは、かつては特権的な階級の、それも男にだけ許されていたのですが、現代ではそうではないはずだし、そうあってはならないはずですね。したがってここでの試みは、二十一世紀の日本社会で、いわゆる一般庶民、いわゆる平均的な人間が、性別を問わず、いかにみずからを自由人として育成できるかということです。しかしみずからを自由人として育成するためには、みずからが『捕われている』という認識がなければできません。みずからが何に捕われているのか、どんな構造の下に捕われているのかを知らなければ、みずからを自由にすることはできないんですね」と言っています。

 私は基本的には賛成ですが、現代格差社会貧困家庭では、いや今のほとんどの日本人には、聖書的な観点からしても、それは事実上不可能だと思います。

 聖書では何に捕われているか明確です。生まれながらに持っている自己中心の「罪」です。この罪の奴隷になっているから、私たちは他者への愛や憐れみもなく、貨幣へのあくなき「物神崇拝」ばかり追及するのです。

 罪の奴隷からの解放は、それに打ち勝ったキリストに拠ります。「もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです」(ヨハネ8:36)。

 その事実は「聖書」を手にしてでないと分かりません。でも聖書は世界のベストセラーであり、貧困な子でも入手出来ますし、ギデオン協会などを通してただで手に入ります。そして時間を作り出すことが出来れば、自由に読む事が出来ます。漢字にはルビもふってあります。加藤氏が出会ったプロテスタント矢内原忠雄教授の語った、「何が正しいかということは全部聖書に書いてある」という発言の通りです。従って信仰を持ち、聖書のことばを身に着けた人は、どんな状況にあっても豊かに生きられ、知識も知恵も与えられます。本当に自由人であり、その人こそ「教養人」であると確信します。

 それは別にしても、実学に対抗するのが教養であるとすれば、それもまた富裕な一部の人のみ身に着けられると考えると、「教養」という言葉を何とか変えないといけないのではないかと思います。貧富の格差にもかかわらず、人は神から賜物を頂いて生まれてきます。すると「教養」ではなく「素養」としてみるのはどうでしょうか?忌憚の無いご意見をお待ちしています。

 

iireiiirei 2016/08/27 22:30 教養課程の教育を受けた身からすると、これは受けてよかったと思います。理科系として実学に進んだ私にとって「視野を広くさせてくれた」という意味で、大事なものでした。ですが、「現象学を武器として」と書いていたブロガーがいましたが、これって何の武器になるのかと訝りました。フッサールの難解な議論はフッサール固有の「偏見」であり、一般のひとが使うとすると、それは無意味な論考になると思うのです。教養課程にはこのような陥穽があると思います。でも、無いよりいいですね。

教養は、外から授けられる物、素養は自ら身に付けるものという違いがあると思います。

hatehei666hatehei666 2016/08/28 20:32 iireiさんへ
貴兄の東大時代は、まだ時代に抗う良心的な先生が多くいたと思います。それで自由な討論などを通し、広く教養が身につけられたと思います。今は全く違います。とにかく理系の最先端研究でないと予算がつかないので、皆そちらになびく、しかもその背後に軍と産がいても、全く意に介しない、そんな実学的で無味乾燥の大学像しか浮かんで来ません。東浩紀、赤坂憲雄、宮台真司等々ちょっと変わった人材は、もう文系から出て来ないのではないかと思っています。貴兄が評価される京大でも、かつてそうそうたる共同研究者たちを生んだ桑原武夫のような人は、もう輩出しないと思っています。
とにかく人格を陶冶する機会は失われ、かつて業績を上げられなかった研究者たちが続々自殺したといわれる、筑波大学の二の舞になるのではないかと予測しています。
教養、素養の違いは貴兄のご指摘の通りだと思います。外から与えられようもない貧困母子家庭など、どう考え支えてゆくべきか悩んでいます。近頃そうした貧困家庭がバッシングを受けているようですが、加担している片山さつきなど何をかいわんやですね。

SPYBOYSPYBOY 2016/08/29 20:52 人間がコンピュータに代替されない重要な機能として『判断』というものがあると思うのですが、判断には技術的なこと、物理的なことに加えて、リベラル・アーツが必要です。技術的なこと、物理的なことは差別化しにくいけれど(基本的には真似できる)、リベラルアーツに基づく判断はそう簡単にまねできない。ということで、ビジネスにこそ、リベラル・アーツって重要だと思うんですが(多くの経営学者がそう言ってます)、役人や御用学者にはそういうことは判らないってことなんでしょうか。
ただ、そういう素養・教養が誰にでも当てはまるのかというと判りません。そういうものが嫌いな人もいるし、だからと言って悪い、というわけでもない。世の中は難しいものです。

hatehei666hatehei666 2016/08/30 01:23 SPYBOYさんへ
おっしゃる事よく分かります。素養・教養が悪いという事は全くないと思います。
問題提起となった阿部彩さんの『子どもの貧困』から、志賀信夫・畑中享共著『地方都市から子どもの貧困をなくす』を読んできて、経済的困窮、心の困窮に対し、学習支援に真剣に取り組んで来た方々で、単なる技術的教えだけでなく、教養的観点からも積極的に教えている人もいる事を知りました。こうした人々との触れ合いで、貧困を脱出する子どもたちもいるんだという事を知って、幾分安堵しました。
こうした問題は独りよがりになりやすいし、間違いもあると思いますが、「コメント」によって切磋琢磨し合えるのも、貴重な機会だと確信しています。

2016-08-15

3・11東日本大震災の爪痕視察

22:59

 「人は長年生きて、ずっと楽しむがよい。だが、やみの日も数多くあることを忘れてはならない。すべて起こることはみな、むなしい」(伝道11:8)。

 2016年7月28日に、8月6日原発ツアーを予定していた教会関係の人々を案内する為、福島第一原発を見ながら、浪江町請戸地区まで行って来ました。

 私の家は勿来なので、国道6号を使いました。まずは初めてのいわき市四ツ倉町から久ノ浜町を車中から見てみました。ここは3・11東日本大震災で大きな津波の被害を受けました。6号から海がちらっと見えただけです。現在防潮壁と防災緑地を建設中だからです。両者のうち四ツ倉だけ、防潮壁の間に海水浴場があります。工事の為美しい海岸への進入はほとんど不可能です。

 ここを過ぎると広野町に入ります。しばらく走ると東電広野火力発電所の2本の大煙突が見えてきます。ここまで来ると、福島第一原発から21キロ、放射能の影響は出ています。町民は一時避難しましたが、6ヶ月後解除になりました。勿論地震津波による被害もありました。それで町に戻った人々の数は、震災前の約半分です。インフラ整備もまだまだで、町長は幸せな帰町・復興に向け全力で取り組んでいくと言っていますが、これが5年数ヶ月経過した広野町の現状です。

 さらに北上するとサッカーで有名なJヴィレッジがあります。原発事故後収束の為の拠点となりましたが、今はサッカー場として再び使用される予定です。1周して見ましたが、ほとんど人や車に出会いませんでした。ここは楢葉町と重なっているので、もうそこまで来たんだという感じでした。木戸川橋を過ぎると、JR常磐線竜田駅の標識が見えました。現在常磐線の終点はここまでです。JRではとりあえず北隣の富岡町まで、懸命に復旧作業を続けていますが、その先の夜ノ森駅は、だいたい毎時2.3マイクロシーベルト位で、帰還困難区域になっています。しかしこの富岡から浪江駅まで、政府とJRは2020年春までに復旧させ、全線開通させるようです。ごり押しの印象です。

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 夜ノ森駅の次が大野駅で、ここに私が通っているいわき市泉町の教会の元の教会が放置されたまま存在し、今でも墓前礼拝は通行許可証と共に、あの白い完全な防御服でないと入れません。写真左は富岡駅から見た竜田までの復旧工事風景です。

 というわけで、楢葉町はあっと言う間に通過し、次の富岡町に入りました。すぐ右手に福島第二原発があります。休止中ですが、安倍内閣は再稼動を狙っているという噂が絶えません。仏浜地区に入り、右折すると富岡駅があります。全町避難の中、ここは避難指示解除準備区域となっていますが、宿泊は出来ず周辺はゴーストタウンのままです。6号沿いも浪江までゴーストタウンが続きます。

 放射線量の高い夜ノ森北と小良ヶ浜を過ぎて、いよいよ大熊町に入りました。6号から左右の道は通行止めのために、信号は「赤」になる事がありません。6号開通の頃行った時、止まってはいけない、窓を閉めて早く通過しなさいといった看板がありましたが、現在ここは帰還困難区域ですという看板が多々ありました。上で触れた大野駅左折とある信号を過ぎると夫沢地区になり、福島第一原発のゲートまで直ぐです。車道に右折レーンがあります。

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 写真右はツアーの助手席からいわき方面に向かう時撮ったもの。中央に白い厳重なバリケード、その奥に第一原発の建物が少し見えます。さすが線量は高く、毎時12マイクロシーベルト位です。

 そこを過ぎると、同じく帰還困難区域の双葉町です。大熊町と共に、この地区の右手海岸沿いに中間貯蔵施設が出来てしまうのか、などと思いつつ通過しました。

 そして間もなく最終地点の浪江町に入りました。避難指示解除準備区域で、本来通行許可証が必要なのですが、請戸漁港が現在工事中で、南側は盛んに除染しており、ダンプがひっきりなしに通るので、浪江町としては私のような者でも黙認しているようです。知命寺交差点を右折し、254号を進むと、途中海に沿って南下するようになっており、この辺からも福島第一原発が遥か7キロほど先の小高い山の上に少し見えます。

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写真は請戸地区から撮りましたが、ここは全て津波にさらわれ、甚大な被害が出ました。家々の土台、瓦礫、そしてところどころに破損した家がありました。ちなみに請戸港は海中瓦礫の受け入れ指定港となったので、港湾復旧工事が盛んで、立ち入り禁止となりました。

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写真右は請戸漁港からすぐ近くに点在する破損した家々。

 そして最後に、この請戸地区の行ける所まで行きましたが、見つけたのがマスコミでも有名な請戸小学校です。写真下。

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 1階天井まで津波が押し寄せたそうですが、先生の「逃げろ」という指示が適切で、2キロ先の太平山という所まで走って逃げ全員無事でした。海岸から300メートル。私が見渡した限りでは、他に津波を遮るものが無く、もしこの指示が遅れたら、全員死亡したと思います。

 というわけで、視察した限りでは、第一原発を中心にその周辺での復興は、全くと言ってよいほど進んでいません。迫っている東京五輪を前に、幾ら福島隠しをしようとも、白日の下に晒されるでしょう。真に福島復興を願うなら、国も都も五輪は先に延ばし、復興の為に全力を注ぐべきです。悲観的ではありますが、ささやかな抵抗を試みました。

 

 

 


 

iireiiirei 2016/08/16 17:21 以前、マンガ「美味しんぼ」の中で、浪江町だったか双葉町だったかの町長が「もはや福島県には安心して食べられるものがない」と言わしめ、物議を醸しました。政府やその意を受けた勢力の圧力で、このマンガの続編はありませんでした。でも、多いにありそうな主張だと思いました。

PeachHoneyPeachHoney 2016/08/16 19:08 住民は「逃げろ」という指示に従って、迷わずに行動したので、生き延びることができたんですね。私たちも、津波の警告があったら、生き延びるのに、迷わずに警告に従い、手遅れにならないうちに山などの高台へ逃げる必要があることが教訓になりました。

hatehei666hatehei666 2016/08/16 19:58 iireiさんへ
貴兄のコメントを受けて、美味しんぼと、福島にはもう食べられるものが何もないという語句で検索してみました。作者雁屋哲氏は双葉町の元町長井戸川氏の鼻血問題発言を受けて、それを描写していますが、5年5ヶ月経て、それさえ風化しようとしている事に愕然としました。http://gendainoriron.jp/vol.02/rostrum/ro06.phpのサイトを見ながら、そこにあった荒井田岳・福島大准教授の発言「福島がもう取り返しがつかないまでに汚染された、と私は判断しています」というのは、貴兄のコメントに近いかなと思いました。論文を書いた明治大学兼任講師飛矢粼雅也氏は東京経済大学と明治大学の学生にアンケートを実施し、内容を分析していますが、風評被害を助長するという非難が一番多かったと記しています。
元々食文化の豊かだった福島県では、民報を見ても、復興の為の新たな食開発の記事で満ちています。一方でいわき市のように、放射線量が比較的少なかったとされる地域で、教会の若い家族に尋ねると、子どもの将来の事を考えると、地元産のものを食べさせるのはやはり不安だと答えています。だから定期健診は欠かさず受けさせています。
データがなくても、福島産は危ないと本音では思っているのでしょう。しかしその本音を表に出すと、復興の邪魔だというバッシングを受けると思います。佐藤栄佐久前福島県知事、雁屋氏等々、何か目に見えない圧力がかかって抹殺されたような気がしてなりません。

hatehei666hatehei666 2016/08/16 20:47 PeachHoneyさんへ
その通りですね。大平山は請戸小学校からほぼ真西になりますが、私は知らずしてその近くを帰る途中で通りました。それほど高台ではなく、さらに私が通った国道6号まで逃げたようです。82人の生徒が先生に引率されて走って逃げたようですが、2キロほど先まで走るのは、大人では容易ではありません。ましてお年寄りだったら余計そうです。
海岸に近い低地に住む人々は、常に逃げるべき高台を意識していないと手遅れになりますね。勿来からいわき市北端の久ノ浜まで、防潮壁の工事を今盛んにやっていますが、海が全く見えません。という事は津波が来ても分からないという事です。これは危険で、情報の錯綜で人為的な災害は十分起こり得ると考えています。

SPYBOYSPYBOY 2016/08/18 22:02 今はずいぶんフクイチの近くまで入れるのですね。
あのサッカー場、また使う気でいるのですか。あくまでも事故は無かったことにしたいみたいですね。請戸小学校の話は知りませんでしたが子供たちが2キロも走って避難したなんて、殆ど奇跡的なように思えます。犠牲が出なかったのは何よりでした。

hatehei666hatehei666 2016/08/19 14:14 SPYBOYさんへ
フクイチは南の富岡町から接近する事が出来ません。帰還困難区域だからです。一方大熊の北で接する双葉町も同様です。浪江町の国道6号より東側に位置する請戸地区(0.13μシーべルト/h)が一番フクイチに近いのに、左の線量です。請戸に入る所の幾世端も0.13、その東で請戸に北で接する棚塩に至っては0.09で、いずれも津波被害が甚大だったのに、放射能雲は逸れたようです。
それで浪江町の北側の南相馬市小高区は7月12日避難指示解除になってしまいました。1ヶ月経過し最悪の環境とか。
Jヴィレッジはサッカー場として来年再開になるそうです。
私はTV無いので、請戸小学校の奇跡はマスコミで相当報道されたらしいのですが、行くまで知りませんでした。私が全速で逃げても、500メーターくらいでへたり、津波に飲み込まれたと思います。
最近の情報では、とにかく帰還困難区域まで、除染し終わったところから避難指示解除にしてしまおうというのですから、五輪に間に合うよう「汚染に蓋」でめでたし、めでたしという事ですか。全くひどいものです。

matsukentomatsukento 2016/08/27 11:02 hatehei666様、こんにちは。
私の7月17日のブログへのコメント、まったく気づいていなくって、今返信を書きました(*^^;)。
なぜhatehei様のコメントに気が付かなかったのか、本当に不思議です(>_<)。
被災地と寄り添って、福島県に移住までしたhatehei様、神に仕えているだけに、素晴らしいことです(o^_^o)v!!!
遠い西日本にいたら、福島県の情報はあまり入らないのですが、hatehei様のレポートは、とても貴重で現実味があります♪
遅々として進まない復興、福島県人の方も、怒っているのは確実ですよ〜。
リオオリンピックが終わって、次は東京だと浮かれていますが、被災者の方々の心情は、そのようなものにお金を使うのなら、復興に力を入れてくれというのが、紛れもない本心だと思いまちゅ。
なお鳥取県立図書館には、東日本大震災で被災した、福島・宮城・岩手の地元紙が数日遅れで、置かれているっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

hatehei666hatehei666 2016/08/27 11:54 matsukentoさんへ
貴ブログへのコメント、すっかり忘れていました。介護関係での奮闘ふりよく分かりました。亡くなった母親が生きている時、私が転倒させ骨折で寝たきりというはずだったのですが、或る日看護師さんが歩けますよと言ってくれて、それから猛訓練をして杖で歩けるようになった時は、本当に嬉しかったです。自分で歩く事の大切さを再度認識しました。
今通っている教会は元々原発に一番近く、帰還困難区域です。いわき市の泉町に数十名で流浪の果て、新会堂を建てました。でも昔の大熊浪江富岡といった所に住んでいた頃のなりわいが失われ、最近古希以上の方々で目立つのが、足の故障です。是非元気で人生を全うしていただきたいと願っています。そうした方々が一時帰宅しているので、現状を詳しく訊く事が出来るのは、強みかもしれませんね。
年間20ミリシーベルト以下で除染→帰還→補償打ち切り、自主避難者の住宅補助打ち切りなど、強引な政府の施策で、対象地域の人々はますます悩みを深めています。一方で五輪の狂想曲、とてもついてゆけません。
鳥取県立図書館に東北地方の新聞が届いているのは貴重です。松戸で東北復興支援「黄色いハンカチ」に通っていた時も、数部届き、皆さん食い入るように読んでおられました。

2016-08-12

詩人金子兜太の生き方

15:20

 「ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。」(申命4ノ9)。

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 2016年8月10日の福島民報は、敗戦の日を前に、詩人金子兜太氏にインタビューした記事を載せていました。画像はネットからお借りし、一部変更。

 金子氏は旧制水戸高校から東大経済学部を出て日銀に入り、1943年学徒動員で応召、海軍主計中尉として、トラック島に渡りましたが、そこは日米の激戦地となりました。

 1044年2月に米軍空襲を受けたトラック島は、ほとんど機能喪失の状態に陥り、さらに周辺諸島の陥落で、制空・制海権を奪われたと言われます。物資の供給が途絶え、島では多くの餓死者が出ました。

 金子氏は「筋骨隆々の男たちが見る見るうちにやせ、眠るように死んでいきました」と証言しています。

 そうした中、金子氏でさえ、あと何人か死ねば、残りを生かすだけの食糧はあるな」という浅ましい考えを抱いた事を、赤裸々に告白していました。

 さらに手榴弾の実験で、一人の工作兵が誤って身近なものにぶつけた為破裂し、「腕は吹っ飛び、背中がえぐれてぽっかりと穴が開きました」と、目の前で目撃した事を伝えています。勿論この兵士は即死です。金子氏は「こんなばかげた死に方は許せない。戦争はざれ言じゃないんですよ。手足が吹っ飛び、体に穴が開くんだ」と、憤りを込めて言います。

 戦後日銀に復帰したものの、労働運動に関わるうち、この組織が敗戦を経ても何も変わらない事に、鬱々といた気分を抱きながら早々と退職します。

 以後の金子氏は、あの戦争が何だったのかをずっと考え続けていますが、同世代の人々が次々と亡くなって行く中、自分の目で見た戦場での死のむなしさ、異常さを、是非とも戦争を知らない世代に伝えてゆきたいと、90歳を過ぎてからも積極的に活動しています。

 そして現安倍政権改憲の動きに対しても危機感を抱き、こう考えました。いとうせいこうさんとの対話http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2014/taidan140815/ )の中にあります。

 「安倍さんをはじめ、今の政治家は、集団的自衛権を実現させようと、憲法の事実上の改悪を考えたりして戦争へ一歩近づいているが、なんであんな平気な顔で、得意顔でできるのかと考える。そうしたら分かりましたよ。死の現場をほとんど踏んでない人たちなんだ」。

 だから金子さんは「あの体験を忘れることは出来ません。若い世代に伝えることが、九十歳を過ぎてからの私の仕事だと思っています」と民報のインタビューで、きっぱり表明しました。

 私は戦争を体験せず、アサヒグラフなどで見た事、父母から聞いた戦争の怖さを伝え続けたいと願っています。ちなみに父は横須賀海軍で勤務中の事故や、相当数の人々を戦艦大和にて見送り、ほとんど帰還・再会することが無かった事を私に伝えましたし、母は東京杉並の家でP52が低空飛行で機銃掃射を浴びせた事を語りました。

iireiiirei 2016/08/12 22:15 (コメントはちょっとだけ・・・)東京新聞のコラム「平和の俳句」、たまに見ますが、金子兜太さん、いとうせいこう さんの選ぶ句は、あまりこなれてないのが多いように思います。真剣なのは解るんですが。むしろ俳句より川柳で選べば良いのではないか、と思います。

A0153A0153 2016/08/12 22:17 戦争体験者がかなりのスピードで、亡くなられたことが、安倍政権の暴走を許した大きな原因でしょうね。
私も戦争体験はありませんが、「きけわだつみの声」「テーマ談話室戦争」等の実体験の話や小説・映画・
一般読者向け研究書で戦争反対の意思を高めました。しかし自分の考えを作ったものは、母の態度・言葉
でしょうね。今になってそう思ッています。

hatehei666hatehei666 2016/08/13 07:42 iireiさんへ
私は俳句を作った事がないので、あまり大きな声で言えませんが、短歌より少ない言葉でうまく表現するのは相当難しいと思います。
その点おっしゃる通り、川柳のほうが読む限りでは面白いですね。

hatehei666hatehei666 2016/08/13 07:52 A0153さんへ
賛同します。戦争体験のない私たちは、学生になってから本や映画などを通し、戦争の悲惨さを理解するのですが、幼い時にとりわけ子育てにいそしむ母親から、耳で聞いた言葉は忘れられません。裏の松林の高射砲からB29を撃ち落し、落下傘で降りて来た操縦士を、皆で殺して畑に埋めたとか、机一つの差でP52の機銃掃射から逃れ助かったとか、今でも鮮明に覚えています。

2016-08-08

勿来海水浴場の海開きー現実は

14:31

 「それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる」(ホセア4:3)

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 2016年7月16日、私の住む勿来から歩いて20数分のところにある海水浴場の海開きがありました。

 福島県浜通りと言われるほど美しい海が、南北に長い砂浜に広がり、いわき市北端の久ノ浜から、四ツ倉、薄磯、豊間、永崎、小浜南端の勿来まで、合計9つの海水浴場があります(*県全体では18箇所)。

 今回福島原発の視察で初めて、四ツ倉、久ノ浜を見ましたが、他はこれまでに見学に行っています。

 この夏は四ツ倉と勿来だけ海開きがありました。なぜでしょうか?

 福島県ではいわき市を越えると、広野町楢葉町富岡町…と、いずれも津波被害だけでなく、福島原発放射能による被害が大きく、海開きは不可能となっているからでしょう。他にも諸々の工事がある為と見ていますが、広野町の岩沢海水浴場は、道の途中で進入禁止、海まで下りて行けませんでした。

 いわき市では上記海開きが出来ない箇所は、現在防潮壁の工事が続いているからです。重機が唸りを上げて闊歩しているそばは危ないし、駐車場が確保出来ませんから。地元の人々がその慣れ親しんだ海を見たいと思っても、工事の為入って行けません。たまたま観光名所で入ってゆけた塩屋崎灯台(喜びも悲しみも幾年月という歌謡曲で有名)の断崖下から北に広がる薄磯海岸線も限りなく美しかったですが。

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 写真右の中央が灯台。右手の防潮壁工事で台無し。

 というわけで、勿来海水浴場の海開きには、いわき市長の清水氏も来て、安全を祈願する神事に加わった後、テープカットで立ちました。

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 写真左の中央がいわき市長。左が海開き宣言をしたサンシャインガイドいわきの坂本さん。

 いわき市長はこの海開きを、いわき復興のイベントの一つとして、重視していましたが、ここでは完成した防潮壁の僅かに切れているところを海水浴場にしているわけですから、非常に狭く、江ノ島のような活況はありません。水深メートルのセシウム137の観測結果は、毎日示していますが、検出できないトリチウムを含め、どれほど安全なのか全く不明です。

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 砂浜は右写真のようにずっと続き、遥か先に常磐共同火力勿来発電所が見えます。その右側は、海沿いの町が津波で全滅したと言われる岩間地区。

 そしてこの海岸の防潮壁の内側は、勿来では津波被害があった為(それほど高くはない)、土台ばかりの家の跡や、更地で売りに出している物件、荒廃した田畑が続いています。民宿も開業していないところがあります。

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 結局護岸・防潮壁工事ばかり目立ち、海側も内側も東日本大震災で受けた打撃で、5年5ヶ月経ても復興どころではなく、死んだようにひっそり静まり返っています。地震津波放射能の自然災害と、政府当局の見識のない復興施策で、実質海は死んだ…浜通りは名称を変えて、フクシマ防潮壁通りとでもすべきです。

 復興いわき海の俳句全国大会大賞作「月明や土台ばかりの四百戸」(上記豊間地区の方の作品)が、そのイメージを広げます。

iireiiirei 2016/08/08 16:56 昔は、「新産業都市」として、国策で設置された「イワキ・郡山」。現在はこの地区も3・11後立ち直れないのでしょうか?

また、トリチウムは原発が稼働している限り、事故でなくても「常に排出される」のですから、この点を突けば、原発を止めさせる理由のなると思われるのですが。

hatehei666hatehei666 2016/08/08 20:02 iireiさんへ
私が3・11から福島移住を考え、歩いて回った所だけの印象を語るなら、中通りの福島市、二本松市は放射能による被害や風評被害もあり、復興は難しく、その真東にある南相馬市も補償金を巡る市民の分裂があり、一体となって頑張る状況ではありません。
その点中通りの郡山市は、さすが商都だけあって、駅前は東京圏と余り変わらない状況ですが、駅から西・北・南の外れのほうに行くと、やはり実害の影響は、若い主婦などの心に影を落としているようです。不動産を巡った限りでは、福島県人以外は受け入れないという風土もあり、更なる発展は期待薄と見ました。
それに比べるといわき市は放射能被害が比較的少なく、気候も良いので、西側の高台は移住の一番人気となっており、根っからのいわき市民との対立はあるものの、被災地から大挙移住してきており、今後も西側の山のほうまで開発されそうです。人口も郡山市より1万人多い、34万となっています。中心地は地震被害があって、再開発事業をやっていましたが、やがては郡山を上回るほどの復興となるような気がします。

hatehei666hatehei666 2016/08/08 20:11 iireiさんへ
トリチウムの事忘れていました。常時排出されている事は、知る人ぞ知るという感じです。そういう人は子どもや孫を海で泳がせません。漁協もそれのもたらす被害・風評被害の恐ろしさを知っていて、原発反対ですが、その怖さが広く浸透していないので、原発を止めさせる大きな力にはなっていません。

SPYBOYSPYBOY 2016/08/08 20:27 どれくらいの測定値が出ているか判りませんが、これはいくらなんでも無謀、ですよね。もちろん自己責任でしょうけど、こんなことをやっていいのかと思います。まず いわき市長の孫でも入らせろって思います。
確かにトリチウムは全国各地の原発から排出されていますが、ホントのところ、影響ってわかんないんですよね。その影響かどうかは判りませんけど、原発周辺では異常出産が多いというのも昔から言われています(政府の審議会の委員からボクは直接聞きました)。トリチウムは水で薄めりゃいい、と言ってますが、それなら電力会社の社員食堂の飲料水にでも使って実験をしてから、実際の排出をしてもらいたいものです。

hatehei666hatehei666 2016/08/09 10:09 SPYBOYさんへ
海開きの時セシウムの測定値がどこに掲げられているのか、見て回ったのですが見つからず、本日朝再度行って来ました。ありました。いわき南警察署臨時警備派出所という小さなボックスがあり、その前に空間線量だけ、8月8日9時現在の空間線量0.05μSv/hと書かれていました。警官ではなく掃除している人に訊いたら、海中1メートルの測定値も、狭い海水浴場の端から端まで定点観測しているとのことですが、台風の影響で測定者がおらず、どの程度か分かりませんでした。ネットの情報では1ベクレル/立立方メートル以下とありました。
次いで伝えられたのは、深さ100メートルあたりに放射能が淀んでおり、そこに生息する魚が基準を超えることがあって、まだ試験操業だけど、深さ10メートルから砂浜にかけての、波うねりは影響なしという事です。真偽は分かりませんが。
というわけで、目立たない看板にセシウムの空間線量が書かれ、毎日更新されているだけみたいです。ましてトリチウムなど全く分かりません。
おっしゃる通り、いわき市長の孫が率先して泳いでみたらと思いますが、意外と波は荒く、水泳の達人でないと危ないです。
トリチウムの実験についてのご提案は拍手喝采です(笑)

A0153A0153 2016/08/10 18:19 私は、放射性物質の危険もさることながら、自分が動けるうちあるいは生きているうち、も一度わが相馬の海で
海水浴をしてみたい。そう切に願っています。ただ、昔のように夜釣りをするのは、どうも出来ませんね。笑われ
ますが、亡くなった人の亡霊が出てくるかもしれませんので。同じ海で砂浜に寝転び、今生きてはしゃでいる
若者や子ども達を見ながら、亡くなった人の事を考えたいとも強く思っています。どんなことを私は感じるの
だろうと興味しんしんなんです。変ですかねえ。

hatehei666hatehei666 2016/08/10 21:27 A0153さんへ
相馬の海でですか。本日の水曜集会で、浪江町から勿来に引っ越してきたばかりの人に訊いてみたら、なんと先日下見や原発ツアーで見て来た浪江の請戸漁港のすぐ隣が海水浴場だったそうです。今港湾の復旧工事と防潮壁の工事で、立ち入り禁止。しかも海中瓦礫の受け入れ港として指定されたそうで、二度とそうならないでしょう。相馬はどうなんでしょうか。やはり工事中なのでしょうか。
私は亡霊の事はとにかく(笑)、昼間相馬で泳いでみるのは賛成です。
私もこの歳だから、セシウムやトリチウムなど意に介しません。意外と勿来海水浴場は狭く、結構波は荒いです。それで糖尿病の運動の為、やはり津波被害のあった北茨城の遊泳禁止区域で泳いでいます。一回波が砕けると、その先は透き通った深い海で、一応泳ぎは何でも出来るものの、主として背泳ぎで空を仰ぎ見ながら泳いでいます。その時と砂浜に上がった時、3・11の事を考えます。そして忘却のないよう祈ります。
貴兄のところは震災で458名の尊い命が失われたそうですが、海中で又砂浜で彼らのことに思いを馳せるのは、全く変ではありません。

2016-08-04

革新的研究開発推進プログラム(略称インパクト)と福島浜通り

22:16

 「同じように、良い行いは、だれの目にも明らかですが、そうでない場合でも、いつまでも隠れたままでいることはありません』(テモテ第一5:25)。

 池内了氏の『科学者と戦争』を読んだ後、気になった事があって、これはその続編です。

 まず題にある革新的研究開発推進プログラムですが、http://www8.cao.go.jp/cstp/sentan/about-kakushin.htmlにアクセスすると、そのページに革新的研究開発推進プログラムの概要について(PDF形式:110KB)というリンクが張られており(http://www8.cao.go.jp/cstp/sentan/kakushintekikenkyu/gaiyo.pdf)、クリックして閲覧すると、その目的として「実現すれば産業や社会のあり方に大きな変革をもたらす革新的な科学技術イノベーションの創出」を目指し、ハイリスク・ハイインパクトな挑戦的研究開発を推進すると述べられています。

 注目すべきは、その次のプログラムの特徴の項です。「ハイリスク研究による非連続的イノベーションの創出において成功を収めた米国DARPA(国防高等研究開発局)の仕組みを参考」とあります。このDARPAの仕組みが、池内氏の言う「民生研究を行なっている科学者資金援助(研究費提供)して、軍事研究に誘い込むやり方」なのです。しかし難解な文章です。非連続的イノベーションとは一体何?

 革新的研究開発推進プログラムは、2014年内閣府に設置された総合科学技術・イノベーション会議(議長は内閣総理大臣)が最初に手掛けたものです。それがDARPA方式を踏襲するわけですから、国を挙げてまず民生技術の開発目的で発足させ、その後軍事技術に転用可能なものを選んで軍事用に推進するつもりです。その例証としてhttp://www.jst.go.jp/impact/intro.htmlでは、動画において総合科学技術・イノベーション会議有識者議員原山優子氏がDARPAに言及しています。露骨に軍事技術転用などとは言いませんが。

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 一方福島については、政府が出した「経済財政運営と改革の基本方針2014」(http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/2014/2014_basicpolicies.pdf)の11ページ注15に、「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」とあって、初めてイノベーション・コーストという言葉が出て来ます。それは政府の重要な施策となっています。

 それが革新的研究開発推進プログラムとどう関係してくるかと言いますと、まずイノベーションという言葉で共通しており(笑)、次に上記動画で原山氏に続き12名のプログラム・マネージャーが登場しますが、彼らの研究テーマの中にロボット(遠隔操作による)や、高レベル放射性廃棄物の大幅な低減・資源化の技術など、福島原発廃炉技術と密接に関わっているものがあるからです。おそらく楢葉遠隔技術開発センターや大熊分析・研究センターにも、そうした研究者たちが出向して来ると推察しています。けれどもそうした人事等々は、今後秘密のベールの中で行われると思いますから、実証は不可能です。全てが民生活用のベールの中で行われるでしょう。

 そのイノベーション・コーストに向けて県では、隣県の諸大学からから高い技術力を持った学生を確保すべく動き出しています。福島を何とかしたいという高い倫理意識を持った地元大学生は不要なのでしょう。

 小学生・中学生・高校生から成るふくしま復興大使の一人は、「放射線量が高く人間が行くことができない場所での作業に遠隔操作ロボットの活用を目指すなどさまざまな取り組みが進められていることが分かった。原発廃炉だけでなく介護など他の分野に応用できる技術になるではないか」(福島民報8月2日)と言っています。それは正しいのですが、彼ら若者そして私たち大人も、それらが内閣府から出ている事で、究極的には軍事技術に結びつけるという意図など、普通想像出来ないでしょう。

 英語のカタカナ記述に溢れた上記諸文書を見ると、「相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す」東大話法の持ち主である研究者たちの顔が浮かびます。

 彼らが福島浜通りを闊歩するようになると、一般福島県人は原発事故に続き、二度目の疎外感を味わう事になるでしょう。「産学連携拠点や農業分野など他の事業については『議論が進んでいない』として見送られた』と福島民報にありました。農業軽視です。

 

iireiiirei 2016/08/05 17:40 「イノベーション」=「技術革新」なのに、わざわざ英語カタカナ表記するのは、卑劣な意識がありますね。ただ私も「why」=「なぜ」、「how」=「どうやって」  と区別を設けて論じたことがありましたが、ある人が「日本語で言えることを何故英語で言うのか?」と喰いついてきたことがあります。・・・だって、英語が先に浮かんだんだもの、とレスを返しましたが。

hatehei666hatehei666 2016/08/05 21:29 iireiさんへ
イノベーションをはじめとにかく英語のカタカナ表記の文章が多いですね。
どの箇所か忘れましたが、レジリエントなという表現もありました。私はこの単語は知っていましたが、意味は忘れ、文章から推測する事が出来ませんでした。
プログラム・マネージャーの一人で、東大工学部の大学院博士課程を1986年に出た伊藤耕三という人は、「しなやかなタフポリマー」という研究で、概要を示していますが(http://www8.cao.go.jp/cstp/sentan/kakushintekikenkyu/siryo/plan01_ito.pdf)、あまりにもカタカナ表記が多い文章で、理解するのにえらい時間がかかりました。
福島へ農業をやる為戻りたいというお年寄りは、こんな分かりにくい文章など読む気にならないと思います。
まして最低賃金が相当低く、あくせくしながら働いている、私の家の近辺の人々など、全く自分とは無関係の異邦人が来て、何かやっているといった感覚だと思います。

SPYBOYSPYBOY 2016/08/07 21:37 今、イノベーション、という言葉に多くの学者、ビジネスマンが悩まされています。非連続的な(今までの延長線上ではない、画期的な、という意味)イノヴェーションが起きない限り資本主義はいつか行き詰るというのがシュンペーターをはじめとした多くの経済学者・経営学者の見解ですが、世界中が低成長に陥った現在、まさにそういう事態になりつつあると思います(かといって資本主義が終わるかどうかは言いきれないんです。AIやバイオがありますから。)。
ところが問題なのはイノヴェーションはどうしたら起きるか、それは誰にも判らない(笑)、と言うことです。一つだけはっきりしているのは、イノヴェーションには自由闊達な発想が必要、すまりネトウヨや親方日の丸の発想ではイノヴェーションは起きない、ということです(笑)。ということですから、『革新的研究開発推進プログラム』なんてムリ、ムリ(笑)。これに限らず、80年代以降 経産省のそういうプログラムは殆ど失敗しています。半導体に、スーパーコンピューター、太陽電池、中心市街地活性化などの町おこし、まさに死屍累々です(笑)。
日本でイノヴェーションが生まれるとしたら役所ではなく、自分の頭で考え、自分で実行する人たちの下だと思います。

hatehei666hatehei666 2016/08/08 05:57 SPYBOYさんへ
まことに貴重なご教示ありがとうございます。実に多くの事を学びました。
「非連続的な」という言い回しは池内氏も説明していたと思いますが(もう図書館に返却してしまい分かりません)、それにイノベーションがついての説明はちんぷんかんぷんでした(苦笑)。それを文系の貴兄が明快に説明してくれました(笑)背景から今後の予測まで目から鱗です(笑)
>イノヴェーションには自由闊達な発想
これは防衛省や経産省への痛烈な示威行動です(笑)
池内氏はイノベーションを推進しようとする研究者たちが、ますますそうした省の隷属下に置かれ、自由な研究が出来なくなると言っていました。
聖書に「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」(ガラテヤ5:1)とあります。全共闘時代の科学研究者たちはそうでした。
しかし今は違います。ゆえに貴兄が過去において「死屍累々」と分析されたように、革新的研究開発推進プログラムも必ず失敗するのでしょう。過酷な競争やら秘密主義やらこの意図がはっきりしてくると、研究者たちはストレスで疲弊し、精神的に死に体になってしまう事は、容易に想像出来ます。