Hatena::ブログ(Diary)

hatehei666の日記

2016-09-18

『3・11と心の災害』(蟻塚亮二・須藤康宏共著)から学んだ事

20:33

 「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ12:15)。

 この本は2016年6月20日発行という最新のものです。だからこそ5年半経過して分かって来た事が詳しく載っており、従来のものとは違って大変貴重だと思います。

 蟻塚精神医はAO153さんの住む相馬市メンタルクリニックなごみ院長、須藤氏は臨床心理士などの資格を持ち、同じクリニックの副委員長をしています。

 福島県相馬市は高さ9メートルという巨大津波と、複数回の地震があり、死者460名ほどを出しています。3・11から現在に至るまでの記録は詳述されていて、しっかり残っていますから、それだけでも貴重なものです。

f:id:hatehei666:20160918172658j:image:medium:left

 蟻塚医師は、原発事故当時南相馬市小高区の病院で勤務しており、そこはおよそ原発20キロ圏で、当然避難指示となるので、まず隣接の区、そして福島市に移動、次いで南会津市へと移りました。また東京都内でも患者さんを受け入れてくれたので、ひとまず避難完了となりました。しかしそうした慌しい時、相馬市から大変な事になっている、是非来て欲しいという依頼がありました。その為震災医療体制が崩壊していたので、新たにメンタルクリニックなごみと相馬広域こころのケアセンターなごみを、3・11からちょうど1年経て開設しました。この本はそうした5年間の苦闘の記録で、精神科に訪れた患者さんの、これまでとは違った反応に対する省察で、数少ないけれども重要な点が多く指摘されています。

 まず(福島の)震災は、地震津波原発による被害に留まらず、「個と集団と、近所づきあいと職場と地域における対人関係を破壊する」と言っています。狭い仮設での生活は対人関係の距離を縮め、子ども、夫、姑、同居の親戚たちとの対立を引き起こし、自殺や関連死をもたらしました。原発事故では避難先を何回か転々とする中で、新しい集団や人に溶け込む努力を強いられ、トラウマ(=大きな精神的ショックや恐怖が原因で起きる心の傷)が発生しやすくなりました。

 ここで蟻塚医師早大の心身医学者辻内琢也氏の言葉を引用しています。辻内氏は神戸震災と比較しながら、心的外傷後ストレス障害(=PTSD)が、原発避難者の4割にも上り、神戸の1割より著しく高く、原発避難者の精神的苦痛は、過去の日本のどの災害よりも高い」という結果を出しました。それを受けて蟻塚医師は「原発避難者は…帰る土地と生業を失った難民状態にあるせいではないだろうか」と推察しています。ですから彼らについては、従来とは異なる支援が必要だと訴えています。

 さらに蟻塚医師フロイトの「悲哀の仕事」を引用していますが、私なりに纏めると、「挫折や失敗や喪失や障害を宣告された人は、最初降ってわいたような事態にショックを受ける。次いで、まさかそんな筈はないと何度も否認し、しかし認めざるを得ない事態だと悟って、事の重大さを見ては悲しみに暮れる。そんな過程を何度も行き来して、ついに苦しい事だが、それらを受容し、再び生きようという決意に至る」。

 ところがです。東電と国に目を向けると、「事故を事故として受け入れ、原発事故によって引き起こされたことのすべてを東電と国が謝罪して清算かつ賠償しようとするなら、福島の人たちは原発事故によってもたらされた不幸を悲しむことができ、そして受け入れて再スタートを切ることができる。今は、誰よりも責任を感じてウツになるべき東電がウツにならないで、末端・現場の住民が苦悩してウツになっている。これが福島原発事故の基本構造である。東電自体が事故と向き合うことを避け続けているので、福島震災直後の『衝撃と混乱期』にとどまり続けており、同時に、いつになったら故郷に帰れるかのめどのつかない『幻滅期』に移行している」。これが蟻塚氏の言わんとする事の真骨頂ではないでしょうか?

 悲しい時に悲しめないと、震災の痛手に加えて新たに不眠やPTSDやうつ病などを抱え込むことになりますし、人が悲しむ為には、悲しみを受け止めてくれる人がいないと、喪失体験を抱えた人はただ消耗していくだけになってしまいます。蟻塚医師はこの構図に憤激してこう述べました。原発事故を起こした政府東電は、事故を事故として認めず、被災者とともに悲しもうとしない。事故の被災者はただあいまいな悲しみのなかに留め置かれて、謝罪によって心を晴らすこともない。そして加害者は、福島の事故と放射能は『アンダーコントロール』だから問題ないと世界中に嘘を言ってオリンピックをやるという。原発事故の加害者と被害者のこの乖離はなんだ?しかしこれが日本だ」。

 震災の時保育園児だった子どもたちの心の傷も多様で、「トイレやふろに戸を開いたままでないとはいれない」などの問題はまだ持続しており、蟻塚医師は衝撃を受けています。「何も言わない幼い子どもたちの心のなかで、震災体験は確実にトラウマ記憶として刻印され、静かに、その存在を発信し続けていたのだ」。

 避難民でありモノ申す大人たちの悩みもひどく深刻で、被災していない同じ県人、他県の心無い人々、さらには国や県が彼らを抹殺しようとする「淘汰圧」が働いているように、私には見えます。

 「彼らは故郷を離れて、それだけでも心に穴が開き『宙ぶらりんな心』を意識しているのに、『フクシマだから』とか、『原発の補償金をもらっているんだろう』とか、思ってもみない言葉が飛んできて傷つく。心に穴が開いて避難してきた人たちが、言葉も空気も寒暖も歩く人々もちがう土地で、また傷つく…そのような地元民からのやっかみやひんしゅくは、避難者への悪評となってたちまち広がる。そして避難者の一人一人に烙印として作用する…原発事故により故郷を離れ、『これから先がみえない』『自分のよりどころはどこか分からない』人たち。そんな人たちに向けられる、スティグマ(*烙印)という悪意をこめたレッテル貼りにより、人々は傷つき、相手の言葉に押し黙り、何を言われてもあきらめと無力感に襲われる。他人のなかで自分の意見を言うことが怖くなる。やっとこの町にたどり着いたのに、この町の人々と仲良くなれない自分を感じるようになる…ときに県外に避難して生活する人にとって、『福島』という言葉は自分が否定されるときの口実となった。すると『フクシマ』という言葉はスティグマとなって人々を刺す。『フクシマだから』というスティグマに直撃された当人たちは、まるで自分が悪いことでもしたかのように沈黙するか、避難者であることを隠して生きる」。

 このトラウマによる心身の症状のうち、新しく学んだのが「過覚醒不眠」と「遅発性PTSD」です。前者は「眠りが深く進んでいくはずなのに、『起きろ、眠るな』と睡眠を妨害するトラウマ刺激によって、睡眠が中断するタイプの睡眠障害である」。後者は「震災から2年、3年と経過したころから、復興に向かって前進する人と、取り残される人との間に徐々に格差が生じてきた…仮設住宅から災害復興住宅や新築物件へ移る被災者が増えているが、総じて喜ばしいことではあるのだが、それまでつながっていた支援が途切れてしまうことも少なくない…復興へ向かう過程で、新しい環境に身を移すタイミングで(遅発性PTSDが)発症するケースが見られている」。全てはこれからです。

 原発被災者トラウマ記憶は収束するどころか、まさに現在進行形です。避難中の彼らに対する暖かい見守りを、この本を通して続けて頂けたらと思います。ちなみに私が通っている教会の大半は、原発付近から避難して来た信徒たちです。想像も出来ないような辛い経験を幾度も伺っていますが、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」(詩46:1)により、心の平安を得ている人がほとんどです。

 

iireiiirei 2016/09/19 05:05 9月16日付けの東京新聞に看過できない記事が載っていました。内閣府原子力委員会で議論されているそうですが、「今後、原発の重大事故が起きた場合、電力会社は有限責任しか負わない」と言った内容だそうです。つけは国民が背負う・・・「アンダーコントロール」は、こういった意味なのですね。それにし手も、政府=自民党・公明党は腐りきっていますね。

yonnbabayonnbaba 2016/09/19 08:34 辛くて、苦しくて、どんな言葉を綴れば良いのか分かりません。
戦争も、それに伴う飢餓も知らず、高度経済成長の真ん中に若い日を過ごし、幸せな時代を生きた私たち世代で、なお幸せなことに、神戸の震災でも3.11でも大した被害を受けませんでした。
でも、いま、沖縄のこと、福島のことなど考えると苦しくてたまりません。
でも、これが私の引き受けるべき試練、と考えるには、あまりに軽すぎるとも思います。
福島に転居してまで、被災者の方々に寄り添っていらっしゃるhateheiさん、頭が下がります。

A0153A0153 2016/09/19 13:42 同じ相馬市に住んでいながら、蟻塚医師や著書のこと、まったく知りませんでした。
東電と国が、>事故を事故としてみとめ、起こったことの全てを謝罪して清算かつ賠償するなら、・・・
再スタートが出来る<、まったくおっしゃる通りと思います。裁判を傍聴したり、その報告を聞きますと、
国・東電は、責任は認めない、謝罪はしない、賠償はできるだけ小さくという態度が見え見えです。それが
また、原発被災者を傷つけています。

yukiwarisou_0222yukiwarisou_0222 2016/09/19 15:26 こんにちは〜。
以前、こちらの新聞で毎週何曜日だったか忘れましたが、「避難者の声」という欄がありました。そこには、ある女性の方が職業安定所に行くと職員の方から、原発の保証金を貰っているのだから働かなくても…」といわれたと。書かれてありました。
なぜ、どうして、こんな言葉がでるのか!?読んでいてとても辛かったです。
おっしやるように避難者の方々には暖かい見守りを継続していかなければいけないのに。

yukiwarisou_0222yukiwarisou_0222 2016/09/19 15:32 訂正… 「保証金」を「補償金」です。

hatehei666hatehei666 2016/09/19 17:53 iireiさんへ
ホントですか?相馬の外来には「イライラして、ともかく腹がたってたまらない」という方が来られましたが、その原因は「事故を起こして、しかし加害者として謝罪しないどころかけんもほろろの対応をする東電への怒り」だったそうです。これは全うなストレス反応だと思います。
それが5年半経て、新たに電力会社が有限責任しか負わないという事になれば、ますます怒り狂うでしょう。
とにかくひどい国・県・東電三位一体の無責任さは、心的外傷後ストレス障害を増やすばかりで、何の解決にもならず、一生涯そうした感情を持って過ごされる方々が、もっともっと増えると思います。心身の健康のためには最悪ですね。

hatehei666hatehei666 2016/09/19 18:32 yonnbabaさんへ
いつも暖かい励ましありがとうございます。
沖縄と福島、突き詰めて考えると、私も苦痛ばかりです。こんな不条理な時代を生きてゆくなんて、少し前は全く考えませんでした。
とどのつまり「金目」の問題が幅を利かせ、地域住民同士を対立させているので、蟻塚医師も「地域ぐるみで悲哀をわかちあって再起に向かう」「悲哀の仕事ができない」と断言しています。その悲しみをどう傾聴するのか。東電による特異な人災の為、これまで培われて来たグリーフケアのマニュアルが通用しないと考えています。
浪江から私の家の近くに引っ越して来て、立派な家を建てた、教会内でも特に私が尊敬している役員の方が、それでも半壊の郷里のほうが良いと、ぽつり漏らしました。どう答えてあげたらよいのか分からず、言葉を失いました。教会員でさえ、ほぼ皆さんが涙もろくなっています。こんな悲劇もうたくさんです。

hatehei666hatehei666 2016/09/19 19:21 yukiwarisou_0222さんへ
職安の職員から補償金をもらっているのだから働かなくてもいいのでは?なんて言われたら、心の中はひどく傷つきますよね。
補償金に対する世間の誤解もはなはだしいです。私が通う教会は3・11当日ただ逃げなさいと言われて避難所に行きましたが、2〜3日で戻れると思っていました。それがそのままの流浪の旅となり、着の身着のまま逃げたのです。牧師は司式をする服もありませんでした。
私たち当事者でない者は、本当に言動には気をつけないと、相手を傷つけるだけでは済まなくなることもあるでしょう。
とにかく5年半経てこれからスタートなのです。皆さん本当に涙もろくなっています。こちらも泣いてしまいます。言葉がなくてもハグだけで今は十分ではないでしょうか。

hatehei666hatehei666 2016/09/19 19:41 A0153さんへ
全くおっしゃる通りだと思います。国や東電がそんな態度だから、被災者のトラウマは一生涯続く事になると思います。これが阪神などと相当異なる点でしょう。そしてそのトラウマには彼ら責任をとらない連中に対する怨嗟があり、いかに普段温厚な人でも激怒して当然だと思います。
以前A0153さんも触れておられたように、クリニックに来られる方の中には、「亡くなった人が見える」「声が聴こえる」という訴えをする人もいるそうです。一過性の幻覚かもしれませんが、蟻塚氏は「亡くなった方への思いが強く、その人の姿が見えるといった状況は起こり得るし、現に起きているのである」と言っていました。かつて日本に無かった最大の人災です。これからもっと多様な訴えが出て来ると思いますが、蟻塚氏は「ていねいな聴き取りをすることが求められる」と注意を喚起しています。
職業柄心の病の本には何度か接して来ましたが、この本は何度読んでも示唆を受けることが多かったです。

Tsuda_KatsunoriTsuda_Katsunori 2016/09/22 10:54 時間があれば、自主避難者の方々の補償交渉の現場に出かけていますが、東電も官僚も酷い対応です。昨年、参議院会館であった補償交渉でも無茶苦茶でした。人の心の痛みという感情を無視した、上から目線の若い官僚を目の前にし、お勉強はできるんだろうけど、人として大切な部分が欠落しているのが良く分かります。マニュアル通りに事を遂行しようとする彼らを見て、官僚がどんな組織なのか、これでもかっ!ってほど思い知らされました。

hatehei666hatehei666 2016/09/22 22:33 Tsuda_Katsunoriさんへ
貴重な情報ありがとうございます。自主避難者の方々の補償交渉の現場に足しげく通っていらっしゃるのですね。これだと政府や官僚など当局者の対応が剥き出しになりますね。私が引っ越す前に集っていた黄色いハンカチ(http://yellowhandkerchief.web.fc2.com/)では、松戸に避難してきている方々からの政府に対する要望とかは傾聴出来ますが、Tsuda_Katsunoriさんのように直接参議院会館に出かけられてのご報告はとても貴重でした。帰還困難区域の一部でも除染というまやかしで帰還させ、補償打ち切りなんて、あまりにひどい。これからもっと先鋭な対決の場が広がってゆくと予測しています。

SPYBOYSPYBOY 2016/09/25 20:06 <事故を事故として受け入れ、原発事故によって引き起こされたことのすべてを東電と国が謝罪して清算かつ賠償しようとするなら、福島の人たちは原発事故によってもたらされた不幸を悲しむことができ、そして受け入れて再スタートを切ることができる。今は、誰よりも責任を感じてウツになるべき東電がウツにならないで、末端・現場の住民が苦悩してウツになっている

引用が長くなりましたが、これは省けない。確かに人間ってそうだなあと思いました。上層部が責任を取らない、というのは満州事変、日中戦争、太平洋戦争から続いた日本政府の伝統かもしれません。政府だけじゃなく、東芝もシャープなどもそうです。これはどう考えたらよいのか。日本人という物は上へ行けば行くほど責任をとらない連中が揃っているのか、考えがまとまりません。

hatehei666hatehei666 2016/09/25 22:55 SPYBOYさんへ
原発被災者で鬱になっている人々は、東電に対する深い恨みや怒りを抱いています。当時の社長清水正孝は、被災者の前で土下座しましたが、それは謝ったふりをしただけでした。後で分かったことですが、第一原発の炉心溶融隠しをやり、ほかにも現在に至るまで隠蔽の上塗りばかりしています。こうした誠意の全く見られない態度に対して、被災者に怒るなと説得したら、聖書にある「石」が叫び出すでしょう。ただ教会では恨んでいる相手を一方的に赦し、劇的な和解を遂げた例は数多くあります。しかし東電にはそんな事をしても、図に乗るだけです。
一方着の身着のまま、ただ避難せよと命じられて流浪の旅に出た大熊町の教会は、牧師も信徒も泣いて泣いて泣きまくっていました。その為に神からの癒しと平安を相当与えられ、今私も通っている地に新しく教会堂を建てました。そして人間に過ぎない法曹界に頼らず、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」という権威ある神に委ね、一般の苦難の中にいる被災者と違って、一歩前進しています。けれども私が見る限り、信徒の一人一人が今も涙もろくなっているのは事実です。
東電が心底からの謝罪をしない限り、この問題はかつてなく長引くと思います。むしろその鬱的状況が、放射能とは違って、癌とか他の病気を併発させないよう祈るばかりです。私もこの深い問題、考え方が纏まっていません。

2016-09-09

『原発棄民』(日野行介著)を読んで

03:34

 「私たちの神、【主】は、私たちの先祖とともにおられたように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちを見捨てられませんように」(列王第一8:57)。

f:id:hatehei666:20160908231155p:image:medium:left

 新聞の書評を読んで、図書館で上記の本を借りて読みました。

 2011年3月11日から今日に至るまで、避難区域、みなし仮説住宅、復興公営住宅自主避難者など、様々な用語が飛び交い、5年半の間に再編とか定義の見直し、新たな法の制定が加わり、福島の当事者たちの中でさえ、それらの言葉の違いを、時系列に沿って正確に把握している人がどれ位いるでしょうか?まして福島なんてもう済んだ事などと嘯いている人々は、そうした言葉の難解さ、曖昧さ、正確な情報の隠蔽等々で、適用によっては、これからの生活が一変してしまう被災者の方々の不安や苛立ちに全く関心を示さず、特に福島特有の原発被災者が棄民化されつつある事など、まるで無かったかのように思っている人々が、相当多くなっています。これは東京五輪の開始と狂騒の中で、「完成の域」に達するでしょう。そこで不都合なのが、放射能汚染水の制御不能、廃炉技術の遅々たる進捗状況、除染の無効果と高い放射能の全国への拡散、古里帰還者の僅少さなど、日本に来て見て、政府当局の大嘘が初めて分かってしまう事です。

 だから安倍内閣福島復興の大号令と共に、そのような不都合な事実を隠蔽しようと躍起になっています。

 偉そうな事を言う私でさえ、最近まで「災害公営住宅」(原発以外の避難者の為)と「災害復興住宅」(原発避難者の為)の違いを知らずに使っていました。

 「『風評被害』などと言う人こそ、真の意味の『風評被害』を作り出している人です。事実を表沙汰にする人を攻撃し、現在人々が苦しんでいることを何でもないことのように言い、すべてをおし隠す人たちが作ったのが『風評被害』という言葉です。この『風評被害』という言葉によって、どれほどの人が真実を言う口を塞がれたでしょうか」(雁屋哲)。

 日野氏が冒頭近くで引用している雁屋哲氏の言葉です。日野氏はそれから著書の中で、特に真実を語れなくなってしまった原発被災者を念頭に、複雑な制度を掘り下げながら、最後に県外に多く散らばっている自主避難(=福島県内12市町村避難指示区域内からの強制避難者でない方々)に対し、国や県(特に内堀知事)による借り上げ住宅(またはみなし仮設住宅)の無償提供打ち切り(2017年3月末)宣言を記述し閉じています。とにかくこの間の経緯が明確でない為、著書全体をうまく纏める事が難しく、他のサイトも参照しました(例えばhttps://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/160712/)。

 私たちは自主避難者に対する賠償額をよく知りませんが、彼らに東京電力から払われる賠償は最高で大人12万円、18歳以下の子どもと妊婦が72万円、一律定額の一時金だけです。従ってみなし仮設住宅こそ、ほぼ唯一の公的支援になっていました。しかしこの避難者不在の中での非情な住宅支援政策打ち切りを、日野氏は「原発棄民」と呼んでいます。来年以降路頭に迷う人々の数が相当増えると、私は予測しています。

 この避難を続けている人々は、当然避難先での住宅無償提供の続行を望んでいますから、内堀知事は「若い世代、働く世代が大きく減少している。福島復興にはマイナスの影響がある」と言いましたが、日野氏はそれを「自主避難する母親たちは復興の同志ではない」と解釈しています。だから自主避難者たちの声は、復興の大合唱の中でもみ消されてゆきます。

 では強制避難者の場合はどうかと言いますと、「月10万円の精神的損害賠償不動産などの財物賠償などが支払われ」ています。それも復興加速化のためには邪魔なのです。

 だから従来の「避難指示解除準備区域」の除染と帰還促進という図式が、最近の動きとして「居住制限区域」も一緒に解除してしまおうという形になっています。その場合の除染基準は年間20ミリシーベルトです。さらに年間50ミリシーベルト以上の「帰還困難区域」でさえ、除染で下がった場所から、順に解除してしまう方針政府から出ました(http://www.minpo.jp/globalnews/detail/2016071701001387)。この解除で月10万の賠償も1年後に打ち切りになります。

 かつての年間1ミリシーベルトという基準が、20ミリシーベルト以下となり、異議を唱える人々は「物言えば唇寒し」で、棄民となり抹殺されてゆきます。民主主義の破壊です。医者の側からの異議申し立ても、最近ほとんど見かけなくなりました。放射能との関連性なしという調査結果が、幅を利かせています。

 「国(いまの自公政権)は、とにかく早く「福島」を終わりにしたいのだ。「避難」している人間はいないという「かたち」を作りたいと考えているのだ」(http://krmtdir90.exblog.jp/24176124)。

 *日野氏の言わんとする事はだいたい押えましたが、私の理解にミスがあるかも知れません。忌憚の無いご意見をどうぞ。

iireiiirei 2016/09/10 17:47 「福島県は2度、凌辱された」・・・私の見解です。その心は・・・只見川(ただみがわ)の水力発電です。ここのダムで発電された電力の多くは首都圏行きです。ダムがあることによるデメリットを、福島県民が甘受しているわけで・・・近い内、拙ブログでエントリーします。(そういえば、明治維新後、会津藩が中央政府から受けた不利益をも入れれば、3度の凌辱になります。)

hatehei666hatehei666 2016/09/10 21:46 iireiさんへ
南会津を流れる只見川がよく氾濫し、只見線が止まるといった記事を耳にしますが、貴兄がご指摘された事は、私には全く初めてであり、いろいろ勉強させられました。いわきから見ると、遠い地方の一つの出来事と捉えがちですが、鳥瞰図的な観方が大切ですね。

SPYBOYSPYBOY 2016/09/11 18:56 これはためになるご紹介ありがとうございました。
難しい問題ではありますけど、『自主避難』なんて中途半端なきれいごとで片づけているのが諸悪の根源なんだと思いました。要は人々が納得できるような基準を示してないから『自主避難』なんて言葉が『造られる』のでしょうね。
<「『風評被害』などと言う人こそ、真の意味の『風評被害』を作り出している人です
まったく、その通りだと思います。しつこいけど、まったくその通り。政府だけでなく人々一人一人の間から、ファシズムの芽がそこかしこに顔を出していますね。

hatehei666hatehei666 2016/09/11 21:10 SPYBOYさんへ
日野さんは自著で特に自主避難者の事を執拗に追及して来られました。労作だと思います。ただ政府や県がひた隠しにして来た、強制・自主避難者の公的支援打ち切り問題を深く掘り下げてゆく過程で、スペースが無くなり、最後部での簡単なまとめが出来なくなってしまったと推測しています。昨年以後事態は急速に変化しているので、この原発棄民の続編が待たれます。
私の通う教会の自主避難者は8回も住所を変えたと言っていましたが、政府や県はそうした人々の正確な人数を把握していませんし、ました支援打ち切りにしてしまえば、余計それでもOKという事になります。自主避難先で運よく家が買えたとか、公営住宅で何とか家賃を払い経済が立ち行くなら幸いですが、彼らはもはや避難者でなくなります。一方帰還困難区域に籍がある人は、除染が終わり毎時19・9ミリシーベルトに下がったので、早く戻って来なさい。だけど月10万の賠償は打ち切りますから、適当に自活して下さい。そこは避難解除になったので、もはや避難者ではありません…。県外定住でも県内帰還でも生活が苦しくなります。大いに誤解されていますが、避難先で豪華な家を建て、高級車に乗り、パチンコ三昧している人は、ごく少数だと思います。
この深刻な問題に目をつぶり、復興に喜々として従う人々は、福島県の同志であり、いちゃもんをつける人は棄民だ、国の意向を受けて代弁した内堀知事は、民報などで見る限り当たりが柔らかい印象ですが、実はそれほど非情な人なんですね。
ファッシズムの芽は、これから2年ほど先に進むと、かなり熟して実が出てきそうです。

A0153A0153 2016/09/12 19:07 私たち「生業を返せ訴訟原告団」は、今年1月に福島民報・福島民友に、今年6月11日朝日新聞全国版に「20ミリ
シーベルト受忍論批判」の意見広告を出しました。新聞半ページ分の大きさです。人類史的原発事故「福島」を
終わらせないと言う題です。原告団のカンパで行ったものです。20ミリ以下は被害はない、我慢せよとはふざけた
言い草である。しきい値なんてのは、「私は無い」と思ってますけど、あったとしても1ミリだったはずです。
まったくふざけている。「福島原発事故を無きものにしたい、終わったことにしたい」という政府・原発村の
意思をひしひしと感じます。

hatehei666hatehei666 2016/09/12 20:10 A0153さんへ
全く同感です。政府の方針を時系列できちんと捉えていないと、除染やって年間1ミリシーベルト以下になったのでは?と思っている人々は、相当数に上ると考えています。
放射線管理区域で遵守すべきは、0.59μSv/hですね。年間20ミリシーベルトというのは、3.8μSv/h、もはや放射線管理区域という言葉は、死語になりつつあると思います。
この事実を知って心配し、異議を申し立てている若いお母さんたちは、福島復興の邪魔になる存在です。だから援助は打ち切り、どこでも勝手に行きなさい、あなたたちはもはや避難民ではないというのが、政府や県の棄民政策です。復興の同志ではないので、黙っていなさいというのはあまりに酷な話です。甲状腺癌の子を持つ親も、放射線との関連はほとんど考えられないなんて言い続けられると、会としてもどう抵抗出来るのでしょうか?
不条理がまかり通っている日本、A0153さんなどが起こしている訴訟、結審までに放射線被害が広がらない事を願うのみです。

miyotyamiyotya 2016/09/14 10:56 こんにちは。
最後まで拝見しました。
複雑なことがいっぱいで、結局は福島の被災者の生活の安定に繋がっていないということですね。
今のニュースの中心は東京の豊洲市場の件や東京オリンピック・北朝鮮の核実験の件などで、
東日本大震災や福島の原発事故の事は過去形になってきているように感じます。
当市にも被災者がおりますが、その後の事は耳に入ってきません。
「福島が変われば日本が変わる」という言葉を聞いたことがありますが、
その通りだと思っております。

hatehei666hatehei666 2016/09/14 22:03 miyotyaさんへ
元京大助教で、大阪熊取の京大原子炉実験所という放射線管理区域で研究していた小出裕章氏は、自分たちだけが年間20ミリシーベルトの被ばくが許されているとした上で、現在政府は安全面からでなく、現実の汚染にあわせ、年間20ミリシーベルト以下を策定していると予言していました。氏は「日本で一般の大人が法律で許容されている被曝量は年間1ミリシーベルトです。大人よりはるかに放射線に敏感な子どもが、なぜ20倍の被曝を受けさせられなくてはいけないのでしょうか」と言っています。年間20ミリシーベルトは、ほとんど狂気に近い高い被曝量です。
私が車で視察した双葉郡楢葉町は1年前避難解除になりましたが、戻ったのは8パーセントほど、子どもはほとんどいません。原発に近く、若い世代の人々は、除染効果の真実を知っているから帰還しないのだろうと推測しています。福島民報では、ほぼどこも毎時0.23マイクロシーベルト以下になっていますが、原子力規制庁などが発表する値に、補正式がかけられ、実際より相当低い値で公表しているに違いないと確信しているからではないでしょうか?セシウム137の半減期が30年として、まだ5年半です。そんなに低くなるわけないです。除染体験をしましたが、作業長は作業員に絶対結果を知らせません。森林除染で必須の表土5センチ剥ぎ取りなど、重機が入れず不可能でもあります。
被災者で避難している方々の苦悩は、これからますます大きくなるでしょう。勇気を出して訴えようにも、かき消されてしまうのです。非福島賢人の烙印を押されて。
そんな福島の現状が変われば、おっしゃる通り日本全体が変わると思います。実際は福島復興一本やり、批判を許さぬファッショ体制が静かに、いやにぎやかに進展しています。

2016-09-04

平潟漁港、知られざる3・11津波による大被害

23:55

 「あなたは私を海の真ん中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました」(ヨナ2:3)。

f:id:hatehei666:20160904210811p:image:w360:right

 私たちが東日本大震災を考える時、福島宮城岩手を思い浮かべる事が多いのですが、私の住む勿来から直ぐトンネルを通過した先に北茨城市があり、そこでの津波被害も甚大なものがありました。勿来漁港は大きな被害は受けませんでしたが(と言っても勿来海岸は津波被害で民宿がかなり再開出来ず、田畑は冠水したままで雑草が荒れ放題です)、目と鼻の先の平潟漁港は、想像を絶するものがありました。

f:id:hatehei666:20160624134025j:image:medium:left

 地図で確認すると、平潟港、大津港、磯原町二ツ島、磯原海岸から少し先まで、最も激しい津波被害を受けています。3・11の時の防波堤は低く、それを挟んで陸側の過酷はほぼ全壊です。津波の高さは平潟港で6〜7メートルはあったと見られ、背後に断崖が迫っているので、そこに逃げて死者の数は奇跡的に少なかったです。

 変わり果てた海岸に座って海を眺めていた私より5歳年下の男の人は、家が全壊、現在災害公営住宅に住んでいるそうです。その人も状況を詳しく教えてくれましたが、ユーチューブに生生しい映像が残っていました(https://www.youtube.com/watch?v=WqWCvNEgS4Q)。

 地図にある六角堂は高さ7・3メートルの津波で流出してしまいました。国道6号が全線開通した時、学生時代の友人と帰りに寄ったところ、もう復元されていました(ちなみに私の勿来の家は、この六角堂を建てた大工の息子だそうです)。

 さらに南下すると二ツ島の海水浴場があります。ここのホテルも大きな被害を受けました。防潮壁工事の間をぬって狭い海水浴場がありました。勿来もそうですが、台風7号、10号などで砂浜がほとんど無くなり、手前のテトラポットまで波が打ち寄せていました。もはや数年先には美しい砂浜の続く海水浴場など無くなってしまうでしょう。

f:id:hatehei666:20160729162324j:image:w360:left

 最後に磯原海岸です。ここには野口雨情の生家に近い「としまや月浜の湯」という有名な旅館があります。ここも低い堤防の陸側なので、津波は1階の天井まで押し寄せました。クリスチャンのお上さんがすばやく逃げるよう指示した為、ほぼ満員の泊り客は無事でした。けれどもこの夏訪れた時は、周辺が荒廃のまま。防潮壁工事のトラックばかりでした。この旅館も盛況とは見えませんでした。写真中央。

 私の住む勿来の北側もずっとそうですが、南の北茨城市も防潮壁の工事ばかりです。地元の災害からの復興などどこへやらです。国などはこの工事で津波被害は防げると豪語するのでしょうが、台風の時高波は既にテトラポットを超えて、防潮壁の上まで来ていました。とにかく砂が消失、海底は抉られ深くなっています。子どもなんて危なくて泳がせられません。私のように古式泳法から、何でも出来る人間は幾ら深くなっても関係ありませんが(苦笑)。

 

 

iireiiirei 2016/09/05 16:54 志しの人、岡倉天心ゆかりの六角堂が震災で流されたのは知っていましたが、そこは確かに北茨城市の五浦海岸ですね。想像力とは働きにくいものです。

hatehei666hatehei666 2016/09/06 00:30 iireiさんへ
初めて友人と六角堂のある五浦海岸に行った時は、荒ぶる海に恐怖感を抱きました。まして3・11の時の大津波の時、現場近くにいた方々の恐れたるや、いかばかりだったかと想像します。このあたりは化石も産出する切り立った崖がすぐ海に迫り、砂が後退していて、泳ぎの達者な人でないと危ないですね。勿来海水浴場でも今年1人亡くなりましたが、終日ヘリが家の真上を飛んでいて、まだ見つからないのかなと思っていたら、平潟のほうまで流されたようです。

A0153A0153 2016/09/08 13:27 平潟漁港や六角堂に、震災前子どもたちがまだ小さかった頃、訪問しました。六角堂が津波に流されたとニュー
スで聞きましたが、想像するだに恐ろしいですね。普通の時にも、荒波のすぐそばと言う感じでしたから。
そうですか、再建されてますか。震災前は、いわき・茨城は、比較的近い感じを持ってましたが、震災後は、
どうも遠くに感じるようになりました。相馬といわきの間に原発廃墟があるせいかなあ?

hatehei666hatehei666 2016/09/08 20:23 A0153さんへ
浪江町の請戸地区を視察してきて、ここでの津波は本当に恐怖だっただろうなと想像しました。相馬も同様ですね。
初めて国道6号が開通した時、南相馬市の原町区を具に観察し、鹿島区の農家民宿に宿泊しましたが、今回3度目の視察で、どうも小高区も復興出来るのかと考えた時、この小高区から浪江、双葉、大熊、富岡、楢葉、広野まで、感覚的にも何か違うと思います。どこも原発被災地ですよね。しかも最近のニュースでは、大熊・双葉を結ぶ中間貯蔵地帯予定地が、国道6号のすぐ近くを南北に走っています。こんな事になってしまえば、相馬といわきの間が疎遠になってしまうのも当然ではないでしょうか?

2016-08-30

脱原発を決めたドイツと、原発を捨てられなかった日本との相違は?

20:12

 「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」(コリント第二7:10)。

 mm3493さんが紹介して下さった(http://d.hatena.ne.jp/mm3493/20160708#1467988055)『ドイツ人が見たフクシマ 脱原発を決めたドイツ原発を捨てられなかった日本』(熊谷徹著)を私も読んでみました。

f:id:hatehei666:20160830195122p:image:medium:right

 著者はドイツミュンヘン在住のフリージャーナリストです。

脱原発後のエネルギー問題に詳しく、この本でも、相当なページ数を割いて語っています。画像はウイキより。

 私はこの本の副題の方に関心を寄せて、繰り返し読みました。

 既にご承知の通り、ドイツは日本の福島第一原発事故を見てから、脱原発を決めました。しかし日本はこの悲惨なレベル7の事故にも関わらず、再稼動を決めました。その違いを著者熊谷氏と共に考えてみました。

 まずドイツですが、「メルケル原子力擁護派から原子力批判派に転向した理由は、2つある。一つは、物理学者としての倫理的、人道的な判断。もう一つは、政治家としての冷徹な計算である。彼女は、『福島事故以降も保守政党原子力の使用に固執していたら、支持率が下がり、選挙に負ける』と判断したのだ」と言っています。

 私は前者は分かりますが、後者についてはこの本から相当学ばせてもらいました。

 まず第一メルケルの転向について考えてみました。

 メルケルは3・11福島第一原発事故から僅か4日後、3ヶ月間の「原子力モラトリアム」を発令し、7基の原子炉を停止させ、その後原子力のプロからなる「原子炉安全委員会」と、素人から成る「倫理委員会」に提言を求めました。

 メルケルキリスト教民主同盟の議長であり、父親プロテスタントの教職者だったので、その信仰継承し、幼い頃から聖書には親しんでいたと思われます。

 今度の脱原発についても、彼女は「相談しなければどんな計画も挫折する。参議が多ければ実現する」(箴言15:22)という聖句が頭にあって、2つの委員会に助言を求めたと考えます。その際聖書ではソロモンの子レハブアム王が、この先の事について長老たち及び、自分に仕えていた若者たちに相談しています。しかし愚かにも彼は経験の少ない若者たちの意見を尊重し、それを採り入れています。

 レハブアムはそれで失敗しましたが、メルケルはその逆でした。素人集団の「倫理委員会」の意見を採択しました。それには彼女が物理学を専攻し博士号を得ており、原子力にも精通していた事が大きな影響を与えたでしょう。彼女は原子力のプロたちの意見にも耳を傾けましたが、原子炉安全委員会ドイツ原発福島第一原発より安全性が高いと結論付けた為不信を抱き、原子力が神の被造物に危害を及ぼすという宗教家・信徒を含む倫理委員会の意見を重視しました。プロの判断は誤りと結論付けたメルケルは、3ヶ月後の2011年6月9日、連邦議会でこれまでの原発推進政策を180度転換させ(=悔い改めて、<転向>とは赴きが異なる)、脱原発に舵を切ったのでした。

 「福島事故は、全世界にとって強烈な一撃でした。この事故は個人にとっても、強い衝撃を与えました。大災害に襲われた福島第一原発で、人々が事態がさらに悪化するのを防ぐために、海水を注入して原子炉を冷却しようとしていると聞いて、私は『日本ほど技術水準が高い国も、原子力リスクを安全に制御することはできない』ということを理解しました…私があえて強調したいことがあります。私は去年秋に発表した長期エネルギー戦略の中で、原発稼働年数を延長させました。しかし私は今日、この議場ではっきりと申し上げます。福島事故は原子力についての私の態度を変えたのです」。

 メルケルキリスト教民主同盟の長であり、個人としては信徒です。まず個人として福島の衝撃を心に受け止め、これまでの原発推進志向が誤りであったと悔い改めて(180度の転換)、脱原発を決意しました。これはキリストのみこころと合致し、熊谷氏が言う「敗北」ではありません。なるほど氏はドイツ滞在が長いので、「ドイツ人は、なかなか人前で自分の過ちを認めたがらない民族」と分析しています。でも信徒なら神と人との前で、公然と大胆に自己の過ち(または罪)を認めます。それが第一歩です。

 後は自己の信念に基づき、ぶれずに突き進むのみ。キリストが共に居てくれるので、ソロモンのような知恵が与えられ、素人集団の倫理委員会の意見を採択、キリスト教民主同盟という自らの党を挙げて大きく舵を切ったと見ます。一貫した原発全廃の緑の党が、世論の支持を集めて大躍進しているのも、実は神のみこころと、聞く耳を持っていました。これも熊谷氏のいう「政治家としての冷徹な計算」とはニュアンスが異なります。

 私はそうしたキリスト教風土が、それの無い日本との決定的違いと考えます。

 3・11当時首相管直人は、神無き人としてぶれまくり原子力ムラに敗北しました。野田首相も同じ。信念も知恵もなく、いとも簡単に原発推進に踏み切りましたし、その後の自民党政権も同じで、カネ目当ての原子力ムラの愚見のみ耳を傾けた愚かな安倍政権は、さらなる推進へ突き進んでいます。

 しかし真に正す事の出来る方は神のみ。ご自身の被造物を台無しにした人々には、鉄槌を下されるに違いありません。

iireiiirei 2016/08/31 03:20 たしかに、宗教による規範意識がない人が政治の中枢に登るのが日本です。・・・国家神道?・・・これは似非宗教ですね。自民党の要職に就く者は、これに囚われていますが、この「宗教」には規範がありませんね。

hatehei666hatehei666 2016/08/31 21:27 iireiさんへ
安倍首相は何らかの宗教団体に属しているように見えます。しかしキリスト教のように罪と悔い改めが前面に出て来る事がありません。必ず堕落するはずです。しかしそれはキリスト教への自戒ともなります。聖書を離れれば、誰でも堕落し、もっと悪くなる事だってありえますから。
メルケルの決断に一役買った倫理委員会にカトリックの司祭がいましたが、原発が自然の修復を不可能にした点で、神への冒涜と言ったそうです。これには信徒としてのメルケルも、相当ダメージを受けて回心へ傾いたと想像しています。

mm3493mm3493 2016/08/31 21:59 引用いただき、ありがとうございます。フクシマは終わっていません。hatehei666さんが身をもってご存知のところですが、なのに再稼働する日本の節操のない政権にはあきれるばかりです。

hatehei666hatehei666 2016/09/01 09:01 mm3493さんへ
こちらこそ非常に考えさせられる良い本でした。
富岡の駅近くと、浪江の請戸が車で入れるので、具に見て来ましたが、除染の作業員の方々の数が多く、フレコンバッグは山積みでした。避難指定解除を来年に控え、急ピッチで進められていると思いますが、仮置き場の広さは半端ではありません。そしてそれをこれから双葉、大熊、富岡まで順序に従って搬送するわけですが、このあたりの国道6号ですれ違うのは、こうした運搬のダンプばかり。
安倍首相は一刻も速く原発を止めて、この放射性廃棄物の処理を何とかしなければならないのに、何も考えていません。頭にあるのは入って来るカネの事ばかり。しかもこの廃棄物を減らす為に、全国の土木事業の為の土再利用で、放射能を拡散させようとしています。
メルケル首相のように勇断をもって原発廃止にもってゆけるリーダーが、なんとしてでも必要です。

yukiwarisou_0222yukiwarisou_0222 2016/09/04 19:40 こんばんは。
私もmm3493さんのブログでご紹介があったので関心があり買いました。
色んなことを学ぶことができました。
経済成長を重視と言えども、原子力のリスクを考えたら、とてもそんな事を言っていられないと思います。
こちらにも福島県から、避難生活を余儀なくされている方が多くいらっしゃいます。
帰りたくても帰れない…悲しいですよね。
最近は福島の事故が忘れられたかのように原発再稼動のことが新聞に載っています。

hatehei666hatehei666 2016/09/05 00:11 yukiwarisou_0222さんへ
私はメルケル首相が素人集団の提案を取り上げた事に拍手喝采です。日本ではそんな事起こるはずもありませんね。
そうですか、そちらでも避難者の方がいらっしゃるのですね。賠償打ち切りを巡り、今後どうするか、悩みに悩んでいる人が多くいますが、今読んでいる本のタイトル『原発棄民』に近いです。
近くまた富岡や浪江まで行くつもりですが、除染であちこちにある山積みの黒いフレコンバッグを見ていると、気が滅入ってしまいそうです。それも年間20ミリシーベルト以下で我慢し、帰省しなさいなんて、子どもが本当にかわいそうです。あちこちの原発の再稼動早く止めて欲しいです。

2016-08-27

教養の再生と言うけれど

20:10

 「イエスは彼らに答えられた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です…もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです』」(ヨハネ8:34,36)

f:id:hatehei666:20160818152002p:image:w360:left

 現在なだれを打つようにして、教師も生徒も実用主義的な教育に向かい、「そんなこと社会に出て何の役に立つのか」と揶揄される教養教育が、ますます軽視されるようになっています。

 2014年9月2日の東京新聞に「国立大から文系消える?文科省改革案を通達」という見出しの記事があり、「文部科学省は先月、同省の審議会国立大学法人評価委員会』の論議を受け、国立大の組織改革案として『教員養成系、人文社会科学系の廃止や転換』を各大学に通達した」とありました。

 この通達が見たくてネットで探したのですが、見つかりませんでした。おそらくこの記事を契機とした反響の大きさを憂慮した文科省は、公表をやめたのではないかと推測していました。ところが再度検索したところ、2015年6月8日に下村文部科学大臣から通知がPDFファイルで出されていました。これと上掲通達とは比較出来なかったのですが、さらに2015年9月18日「新時代を見据えた国立大学改革」というPDFファイルも公開されていました(http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/10/01/1362382_2.pdf)。これを見ますと、明らかに文科省は、上記2014年9月2日と2015年6月8日の通達について、言い訳をしていました。東京新聞などの推測は「ノー」と切り出し、「文部科学省は、人文社会科学系などの特定の学問分野を軽視したり、すぐに役立つ実学のみを重視していたりはしない…社会の変化が激しく正解のない問題に主体的に取り組みながら解を見いだす力が必要な時代において、教養教育やリベラルアーツにより培われる汎用的な能力の重要性はむしろ高まっている」と釈明しています。

 しかし2015年3月13日、既に文科省は「理工系人材育成戦略」というものを公表していました(http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/03/13/1351892_02.pdf)。これを見れば、教養教育と言っても、文科省の狙いが理工系人材育成に著しく偏っているのは、間違いないと思われます。

 東京新聞の記事はまだ東京圏に居た私も読み、安倍戦略はとうとうここまで来たのかと、大きな衝撃を受けた事を覚えています。そして今でも考え続けています。

 たまたま図書館で『教養の再生のために』(加藤周一・ノーマ・フィールド・徐京植共著)という本を借りて読んでいました。

 徐氏はこの「教養」(=リベラル・アーツ)という言葉について、繰り返し「かつては特権的な階級の、それも男にだけ許されていた」という事を示しています。それは戦前の一高から東大を出た共著者の一人加藤氏にも当て嵌まります。しかし加藤氏はノーマ・フィールドさんが引き合いに出した、同じ経歴の和辻哲郎とは全く立場が異なります。和辻は戦前の典型的な教養人でしたが、大東亜戦争で時代の批判者とならず、戦争に協力するようになりました。

 そうした事を思索ながら、自分ながらに「教養」というものを考えると、どうしても徐氏が指摘されたイメージを払拭する事が出来ません。私たちの今生きているこの時代は、格差があまりに大きく、貧困な家庭、特に母子家庭の子は、ろくに教育も受けられず、親の貧困を受け継いでいるという実態を考えると(私も今その世代だったら、確実にそうなったと思っています)、教養もそうした子には全く無関係なものと、無視されたり敬遠されたりすると思うからです。いやそうではない、と言う徐氏のこの本に近づくゆとりもないし、文科省の「理工系人材育成戦略」のどこが偏っているのか批判する事も出来ないでしょう。

 加藤氏は教養と対立する実学的な技術者集団について、「全会一致の集団は、方向転換を必要としない場合にはうまく機能しているように見えるけれども、方向転換を必要とした場合には、無残な無能力性を暴露する…これを救う道はない。坂を下りだしたら滅亡するまで」と言っていますが、原子力ムラにもぴったり合うこの集団の本質を見抜き、どう対処すべきかという知識や知恵を何とかして身に着けなければ、それに抗う生活が出来なくなるのではないかと危惧しています。

 徐氏はこの本の核心部分で「自分自身がもっと知りたい、もっと深く考えたいというその欲求に忠実に学び、その学ぶという行為を通じて自分自身を自由にしていく、機械的・奴隷的労働から自分自身を解放していく、それがリベラル・アーツです。そして、そのリベラル・アーツは、かつては特権的な階級の、それも男にだけ許されていたのですが、現代ではそうではないはずだし、そうあってはならないはずですね。したがってここでの試みは、二十一世紀の日本社会で、いわゆる一般庶民、いわゆる平均的な人間が、性別を問わず、いかにみずからを自由人として育成できるかということです。しかしみずからを自由人として育成するためには、みずからが『捕われている』という認識がなければできません。みずからが何に捕われているのか、どんな構造の下に捕われているのかを知らなければ、みずからを自由にすることはできないんですね」と言っています。

 私は基本的には賛成ですが、現代格差社会貧困家庭では、いや今のほとんどの日本人には、聖書的な観点からしても、それは事実上不可能だと思います。

 聖書では何に捕われているか明確です。生まれながらに持っている自己中心の「罪」です。この罪の奴隷になっているから、私たちは他者への愛や憐れみもなく、貨幣へのあくなき「物神崇拝」ばかり追及するのです。

 罪の奴隷からの解放は、それに打ち勝ったキリストに拠ります。「もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです」(ヨハネ8:36)。

 その事実は「聖書」を手にしてでないと分かりません。でも聖書は世界のベストセラーであり、貧困な子でも入手出来ますし、ギデオン協会などを通してただで手に入ります。そして時間を作り出すことが出来れば、自由に読む事が出来ます。漢字にはルビもふってあります。加藤氏が出会ったプロテスタント矢内原忠雄教授の語った、「何が正しいかということは全部聖書に書いてある」という発言の通りです。従って信仰を持ち、聖書のことばを身に着けた人は、どんな状況にあっても豊かに生きられ、知識も知恵も与えられます。本当に自由人であり、その人こそ「教養人」であると確信します。

 それは別にしても、実学に対抗するのが教養であるとすれば、それもまた富裕な一部の人のみ身に着けられると考えると、「教養」という言葉を何とか変えないといけないのではないかと思います。貧富の格差にもかかわらず、人は神から賜物を頂いて生まれてきます。すると「教養」ではなく「素養」としてみるのはどうでしょうか?忌憚の無いご意見をお待ちしています。

 

iireiiirei 2016/08/27 22:30 教養課程の教育を受けた身からすると、これは受けてよかったと思います。理科系として実学に進んだ私にとって「視野を広くさせてくれた」という意味で、大事なものでした。ですが、「現象学を武器として」と書いていたブロガーがいましたが、これって何の武器になるのかと訝りました。フッサールの難解な議論はフッサール固有の「偏見」であり、一般のひとが使うとすると、それは無意味な論考になると思うのです。教養課程にはこのような陥穽があると思います。でも、無いよりいいですね。

教養は、外から授けられる物、素養は自ら身に付けるものという違いがあると思います。

hatehei666hatehei666 2016/08/28 20:32 iireiさんへ
貴兄の東大時代は、まだ時代に抗う良心的な先生が多くいたと思います。それで自由な討論などを通し、広く教養が身につけられたと思います。今は全く違います。とにかく理系の最先端研究でないと予算がつかないので、皆そちらになびく、しかもその背後に軍と産がいても、全く意に介しない、そんな実学的で無味乾燥の大学像しか浮かんで来ません。東浩紀、赤坂憲雄、宮台真司等々ちょっと変わった人材は、もう文系から出て来ないのではないかと思っています。貴兄が評価される京大でも、かつてそうそうたる共同研究者たちを生んだ桑原武夫のような人は、もう輩出しないと思っています。
とにかく人格を陶冶する機会は失われ、かつて業績を上げられなかった研究者たちが続々自殺したといわれる、筑波大学の二の舞になるのではないかと予測しています。
教養、素養の違いは貴兄のご指摘の通りだと思います。外から与えられようもない貧困母子家庭など、どう考え支えてゆくべきか悩んでいます。近頃そうした貧困家庭がバッシングを受けているようですが、加担している片山さつきなど何をかいわんやですね。

SPYBOYSPYBOY 2016/08/29 20:52 人間がコンピュータに代替されない重要な機能として『判断』というものがあると思うのですが、判断には技術的なこと、物理的なことに加えて、リベラル・アーツが必要です。技術的なこと、物理的なことは差別化しにくいけれど(基本的には真似できる)、リベラルアーツに基づく判断はそう簡単にまねできない。ということで、ビジネスにこそ、リベラル・アーツって重要だと思うんですが(多くの経営学者がそう言ってます)、役人や御用学者にはそういうことは判らないってことなんでしょうか。
ただ、そういう素養・教養が誰にでも当てはまるのかというと判りません。そういうものが嫌いな人もいるし、だからと言って悪い、というわけでもない。世の中は難しいものです。

hatehei666hatehei666 2016/08/30 01:23 SPYBOYさんへ
おっしゃる事よく分かります。素養・教養が悪いという事は全くないと思います。
問題提起となった阿部彩さんの『子どもの貧困』から、志賀信夫・畑中享共著『地方都市から子どもの貧困をなくす』を読んできて、経済的困窮、心の困窮に対し、学習支援に真剣に取り組んで来た方々で、単なる技術的教えだけでなく、教養的観点からも積極的に教えている人もいる事を知りました。こうした人々との触れ合いで、貧困を脱出する子どもたちもいるんだという事を知って、幾分安堵しました。
こうした問題は独りよがりになりやすいし、間違いもあると思いますが、「コメント」によって切磋琢磨し合えるのも、貴重な機会だと確信しています。