Hatena::ブログ(Diary)

hatehei666の日記

2017-07-22

日野原重明医師の召天

22:01

 「そこで、【主】は、『わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう』と仰せられた』(創世6:3)。

 これはノアが説教していた時代の事で、洪水後人の齢は急激に低下しました。現在120歳まで生きる人はまずいないでしょう。

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 2017年7月18日聖路加国際病院名誉院長で、現役の医師でもあった日野原重明先生が、呼吸不全で105歳の生涯を閉じ、天に召されました。左の本は星野富弘さんとの対話

 日野原先生の父母はクリスチャンで、その影響を受け、早くも7歳で受洗、以後今日に至るまで聖書のみことばを大切にし、年老いても心身ともに鍛えて来ました。

 私が覚えているのは、階段のある駅でも職場でもマンションでも、その階段を一段飛びで上がる事です。先生は100歳近くまでその運動を実践して来たそうです。

 上記対談に載っていた日野原先生の言葉から少し引用します。

 「前向きに何かを期待する気持ちがあるのなら、心が健康だということです」。私はプラス思考とも言い換えています。日野原先生は救われた後、特に印象に残っている聖書のみことばとして、「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」(コリント第一13:13)を挙げていました。信仰や希望は個人的な事柄と言えるでしょうが、愛はいわゆるギリシャ語アガペーの愛、犠牲的な愛、人を赦す普遍的な愛で、クリスチャン生活を送って来て初めて身につく、信仰の最高の実です。非常に難しいです。例えば日野原先生は核兵器反対!とメガホンで叫ぶより、平和をもたらしましょうと呼びかける事のほうが大切だと説きます。それが愛の行動ですが、それにはその愛に基づく「ゆるし」が必要です。ほんとうの平和はそれがないと到来しません。日野原先生は現役の医師として、その愛を実践して来ました。

 「私たちは、心に希望を持ちながら、希望が少ない人に少しでも希望の灯をともすことができればと思います」。愛があれば個人的に抱いている希望を、他の人と分かち合う事が出来ます。政治的状況は人間の目からすれば絶望的です。私はブログにも書きましたが、それと正面から取り組んでいのちを縮めるような事は止め、神が最終的に平和をもたらされる(千年王国で実現)、という事に希望を置いて生きてゆきたいと思います。

 「私たち人間はいずれは『死ぬ生きもの』なのです。…死を受け入れながらも、その日が来るまで、きょうをどのように生きようかと考えるのが、深い生き方ではないでしょうか」。これが大切です。日野原先生は最期を自宅で迎え、胃ろうなどの延命措置はとらなかったそうです。それは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある』(伝道者の書3:1−2)とあるように、その時を察知したからではないでしょうか。私としては、あと15年元気で生きて、120歳を迎えて欲しかったと、ちょっぴり残念な思いをしました。それと共にやはり人間は神の定められた時に死ぬのだ、という厳然たる事実を思い知らされました。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)という普遍的な事実です。それを知って日々を生かされて生きるのと、死なないものだと思い、享楽に更ける生活を送るのでは、大きな差が出て来ます。神に背を背け、死を考えない生き方では、ある日不治の病を宣告されると、慌てふためき、その原因になったと思われる人を呪い、これまで築き上げて来た財産や地位名誉等々の事で、思い煩う日々が続きます。これが結果的にその人のいのちを縮め、誰にも惜しまれず、一人淋しく死んでゆく事になるでしょう。

 日野原先生なら、死んでもその珠玉の言葉の数々は語り継がれてゆきますし、何よりも信仰者なら天国で再会出来るという望みが持てます。

 ♪また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」(黙示14:13)♪ 私の好きなブラームスドイツ・レクイエム」の終楽章で引用された聖句です。

matsukentomatsukento 2017/07/23 09:48 hatehei666様、おはようございます。
日野原先生は105歳まで現役医師で、聖路加病院の名誉院長であったわけですから、本当に大したものです(o^_^o)v!!!
階段を1段飛ばして登ることですが、私が卒業した小学校には「階段抜かしをしない」という、訳の分からない決まりごとがあったのでちゅ。
当時テレビを見ていたら、「階段を1段抜かして登るのは、健康にいい」といっていたので、私は自分のやっていることに確信を持ちましたよ〜。
クラスの終わりの会の時に、女子児童が「マツケン君(実際は本名)は、階段抜かしをしていたので、注意したら、『階段抜かしは健康にいいんだで!』と言い返されました」と、告げ口されたのですが、担任の先生も含めて、それを聞いたみんなは、もう大爆笑してました♪
「平和を守ることは、命を守ること」と、唱えていた日野原先生ですが、まさに「医は仁術」を体現された方だっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

hatehei666hatehei666 2017/07/23 21:42 matsukentoさんへ
やはりそうでしたか。私も東京など出て行く時は、急ぎでもない限りエスカレーターも使わず、ひたすら階段を上ります。確か新御茶ノ水駅とか、国会議事堂駅など相当長い階段だったと思います。
日野原先生が健康に良いと言っておられるなら、間違いなく良いです。
雨の日は外に出られないので、踏み台を利用していますが、これも最初はたかが踏み台と思っていました。それが早足で乗り降りすると、5分で心臓がドキドキ、10分で汗が出て来ます。降下があるんですね。それを100歳近くまで実践しておられたなんて、信じられないほどです。
中村哲医師もそうでしたが、クリスチャンの医師は、特に愛から出た行動で突出しています。ゆるす愛の人なら、決して敵からターゲットにされないと信じます。また弱者に対する温かいまなざしがありますね。

2017-07-16

東電事故初の刑事裁判真実は究明されるか

20:38

 「だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません」(マタイ10:26)。

 2017年6月30日東電原発事故から6年数ヶ月経過したところで、刑事裁判としては初めて、業務上過失致死傷罪で強制起訴された、勝俣元会長、武黒元副社長武藤栄副社長の初公判が開かれました。3人共「大津波を予見するのは不可能だった」と述べて無罪を主張しました。画像右は勝俣元会長。

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 一方民事裁判では、2017年3月に出された地裁判決で「東電は巨大津波を予測出来た」と、国と東電の責任を認めました。

 一審で示された民事訴訟と今回の刑事訴訟ですが、福島民報によると、「一般に刑事裁判では民事裁判より厳格で具体的な証拠の裏付けが求められる」とあって、裁判は長期化し、3人があまりに明確に津波は予見出来ず、従って刑事責任はないと答えた為、本当に無罪になる可能性は高そうです。東電挙げての証拠隠し、証言封じ、情報無提供など、今でも続いている「安全文化」「安全文化とは、『原子力施設の安全性の問題が、すべてに優先するものとして、その重要性にふさわしい注意が払われること』が実現されている組織・個人における姿勢・特性(ありよう)を集約したものーネットでのある定義から」を考えると、本来の安全文化は全く形骸化し、その対極にある東電独自の言葉の定義があるのでしょう。

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 そこでかくも組織・個人をそうした信仰に導いているのか、2014年11月発行の岩波新書原発大津波 警告を葬った人々』(添田孝史著)から勉強してみました。

 この本まるで推理小説のように面白かったです。至る所付箋だらけとなり、要約するにも余白がありません。

 添田氏が重視し、再三触れているのは、津波防災に関わる七省庁(国土庁農林水産省構造改善局、農林水産省水産庁運輸省気象庁建設省消防庁)が纏めた「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」「地域防災計画における津波防災対策の手引き」=略して七省庁手引きです。1998年3月の事でした。

 それはこれまで一歩先んじていた「地震の科学」から、想定し得る最大規模の地震津波を計算し、「津波の科学」へと進化したのが大きく、この時点でまさに画期的なものだったようです。

 そのような津波地震福島第一原発近くで生じた場合、試算すると最大13.6メートル、実際に生じた津波高さは正確なところは不明にしても、一般に13メートルと言われています。かなり接近しています。

 一方東電が独自で計算していた経緯を見ると、2002年で最大5.7メートル、2008年で最大15.7メートルだったそうです。

 さらに七省庁手引きに関与した複数の教授らは、津波数値解析には2倍の誤差があり得ると発言しました。

 それらを日本全国の原発適用すると、福島第一原発は勿論、多くの原発津波高さは、敷地高さ、また屋外ポンプ高さを超えるのだそうです。

 こうした七省庁手引きは、添田氏の言葉を借りると、電力会社にとっては「とても都合の悪いものだった」のです。特に東電福島第一原発は、全国で最も津波に対する余裕のないものでした。2002年の東電予測5.7メートルでさえ、非常用海水ポンプ電動機の余裕は僅か3センチだったそうです。

 以後東電をはじめとする電力会社はこの不都合な七省庁手引きの抹殺に向けて、ありとあらゆる方法をもって動き出しました。そして3・11で破局を迎えた事になります。私がネットで調べてみても、その手引きを直接読む事が出来ません。関連するリンクは全て「機能しなくなりました」と出て来ます。試して見て下さい。

 この本には上記武藤、武黒氏の対応、勝俣氏の認識について、詳しくは無くても触れています。彼らの責任は大きいと思います。しかし彼らの公然たる無罪の主張の裏には、既に東電挙げての証拠隠し、抹消等々を完璧に行い、人の目から隠されているという確信があるのでしょう。

 こればかりは冒頭に挙げた聖書個所を語られた神イエス・キリストだけが真実を知っておられます。終わりの日に全てが明らかになり、彼らは神の基準で裁かれるでしょう。ですから裁判の進捗状況に一喜一憂などしません。前向きに神を信じ生きてゆきたいと思います。

 

iireiiirei 2017/07/16 21:47 思いますが、強制起訴というのは、アメリカの意向で行われるように思います。小沢一郎が目障りだったから、後援会:陸山会の資金疑惑、検察が立件を見送った案件をふたたび強制起訴する・・・勝訴だったと言えども、小沢はほとんど政治家として終りました。この始末は「私は中国人民解放軍の野戦指揮官だ」と中国に行って吐いたこの言葉、アメリカを怒らせるに十分でした。

もっとも、今度の東電上層部の強制起訴、関係ないかも。

hatehei666hatehei666 2017/07/17 06:28 iireiさんへ
そういえば、小沢氏の事で強制起訴がありましたね。背景は知りませんでした。
添田氏は、2013年の東京地検の不起訴処分を問題にしています。「間違った認識に基づいて不起訴の判断をしている」。これは素人の私でも分かりました。
一方東京第五検察審査会(*小沢氏はここで強制起訴となりました
http://www.kokusyo.jp/kensatsu/5892/)については、強制起訴の為の七つの理由を挙げており、添田氏は明快であるとしています。
東電は津波対策変更で膨大な金がかかり、経済的破綻を恐れて無視したと思いますが、この七つの理由の中に、2008年の最大高さ15.7メートルを試算した段階から、電源喪失を防ぐための建屋の水密化を始めていれば、防潮堤建設よりも安く、津波発生までに間に合い、事故は回避出来たといった内容を示しています。
そうした問題は貴兄の言われた小沢氏の事例とどう関わるかよく分かりません。あとは予見性について、原告弁護団の踏ん張りに期待したいところです。

yonnbabayonnbaba 2017/07/17 07:26 いったん事故が起きてしまえば、こんなにも(公に見積もられているより実際は遥かにかかるそうですね)お金がかかるのだから、あの時真面目に津波対策をしておくのだった・・・と、東電幹部も心の中では悔やんでいることでしょう。すみませんでしたっ!と頭を下げてしまえば、どんなに気持ちが楽になることでしょう。
>裁判の進捗状況に一喜一憂などしません。前向きに神を信じ生きてゆきたいと思います。
人間のできていない私は、東電幹部にしても、政府の偉い人たちにしても、都合の悪い事実を隠し口を拭っている人たちに非常に腹立たしさを覚えます。私もhateheiさんのようでありたいと思います。

A0153A0153 2017/07/17 21:35 ほんとにそうですねえ。七省庁手引きは、「このリンクは機能しません」になりますね。添田氏のコメントは見ることができますけれど。これは、東電等の妨害なのでしょうか。この文書は公文書だと思うので、情報公開請求できるのではないのですかね。
津波が堤防を越えることは100%ないと確認される場合以外は、0.00001%の可能性があっても、対策はとるべきだった。非常用ヂーゼル発電機を高いところに移しておけば良かっただけど思うんだけど。それっていくらかかるのか。数千万もかからないのじゃないか。それが、20兆円超・多くの人の命を縮めた、故郷奪った、家族不和、地域社会崩壊、日常生活ができない、・・・・、これでも無罪なのですかねえ。

hatehei666hatehei666 2017/07/17 21:56 yonnbabaさんへ
そうですよね、あの時です。今は償い切れない負債を負ってしまった、だからどうしても第二原発等は再稼動して、少しでもそれを減らさないと…。負の連鎖になりそうです。
東電は今も盛んにそんな金勘定をしていると思います。被災者をそっちのけにして。
これが聖書ですと、神に対して心からスミマセンと頭を下げれば、豊かに赦して下さいます。そこから何か全く新しい事が始まると思います。
まずは東電や国が悔い改めて、自分たちを立てて下さった神に立ち返るよう、祈りから始めます。そして神が正しく裁いてくださるようにと、祈りを続けます。その祈りが聞き届けられるよう、前向きに考えてゆきたいです。

hatehei666hatehei666 2017/07/17 22:12 A0153さんへ
全く貴兄のおっしゃるとおりです。元会長も、元社長清水氏も一流大学の経済学部卒業ですね。やはり金が人命より大切だったとしか言えません。
武藤・武黒氏がトップだったら、試案を受け入れ、高台移転もありえたとも考えます。武黒氏と知り合いの仲の人から聞いたんですが、割に真面目で、原発の仕組みは知り抜いていたそうです。
完璧に良心が麻痺している勝俣氏より、この二人から矛盾を突いて、罪を認めさせることが出来ればと願っています。検察官役の弁護士に期待します。

2017-07-06

日本原子力開発機構「大洗開発研究センター」の事故

21:20

 「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です」(ルカ16:10)。

 2月19日に茨城県鉾田自動車整備工場へ軽自動車を取りに行く時、国道51号で大洗町にある日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターの看板を見ながら通過しました。原子力と言えば、まだ鉾田に居た時の1999年東海村JCOで起きた事故の記憶が鮮明で、2013年の東電福島第一原発事故が起きてからは、もう放射能はこりごりだと感じていました。人間は小さな事でミスを犯し、大事故を生じさせるものだと、当然にもそう考えるようになりました。

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 2017年6月6日そこの高速炉核燃料研究棟で、作業員がウランプルトニウムの入ったビニール袋の収められている金属容器を開けた途端、そのビニール袋が破れ、5人が被災してしまいました。

 特異なのはここで扱っている放射性物質が主としてプルトニウムという事です。東海村の時はウランの粉末をバケツで硝酸に溶かして沈殿槽に入れる時、事故が起こりました。

 ですから今回作業員はそのプルトニウムを外部・内部被ばくした事になります。特に内部被ばくでは国内最悪の事故となりました。

 その原因を辿ってゆくと、まさに聖書の言う「小さい事に不忠実」な研究者たちの奢りが露わになりました。

 第一にこの金属容器の点検が26年間もの間、1度も実施されていなかった事が分かりました。プルトニウムと言えば極めて強い放射線を出す、最悪の毒性科学物質であるとされています。ネットで調べた限りでは、福島で今も放出されているセシウムによる放射能の強さより、吸入による事例でおよそ6000倍もあるとされているので、この危険極まる物質の厳重な定期検査と管理は必須だったはずです。それを怠り作業員に被ばくさせてしまった責任は大きいです。

 第二に点検の際は福島第一でもおなじみの全面マスクの着用が必須だったのに、作業員には顔の下半分だけを覆う半面マスクをつけさせていた為、鼻から大量のプルトニウムを肺に吸入させてしまった事です。これは最大の管理ミスです。プルトニウムアルファ線を放出しますが、透過力が弱くて紙1枚でも遮断出来るそうです。ならばこの全面マスクか半面マスクかという事は、吸い込んだ人の生命を左右する決定的な問題となるのではないですか。この未曾有の出来事に対して入院先では放射性物質の体外排出を促す薬剤の投与を行い、一旦退院させたものの又再入院をさせています。その後は分かりませんが、私は執拗に追いかけてゆきます。原子力機構は「健康に影響が出るほどではないと考えている」と言ったからです。

 5人の作業員の年齢が分かりませんが、1人は50歳代、100歳までのアルファ線による被ばくを考えてみます。ベクレル数をシーベルトに換算して1年間で1.2シーベルト、50年間では12シーベルトに達するそうです。それは東海村で被ばくし死亡した大内さんの17シーベルト、篠原さんの10シーベルトとほぼ同レベルです。果たして長生き出来るでしょうか?東海村で事故の時12シーベルトを浴びたという消防隊員の場合は、幸い生存しているそうですが(情報はありません)。

 第三に故高木仁三郎氏が『プルトニウムの恐怖』で語った、「この世で最も毒性の強い超猛毒の物質」を、単なるビニール袋への収納というのはどうなのか?という疑問があります。素人としての率直な思いです。研究者たちは大丈夫と判断したみたいですが、果たしてその油断からビニール袋が破裂したのではありませんか?

 放射能という、人間には最もやっかいな物質を扱う研究者たちにもう一度言いますが、「小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です」。このはなはだしい人命軽視の基には、彼らの高慢さがあります。「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」(箴言18:12)。

 私は罪深い人間なので、いつもこの高慢さが顔をもたげて来ますが、悔い改めて謙り、神のみまえに歩んでゆきたいと願っています。

 

 

iireiiirei 2017/07/07 16:22 ほんとにプルトニウムが長年にわたりビニール袋で制御できると、核科学のプロが考えていたのなら、これは小学校からやり直す義務が本人にあると思います。人力で破れてしまうビニール袋で猛毒プルトニウムが制御できると考えていたのなら、なおのことです。

hatehei666hatehei666 2017/07/07 20:05 iireiさんへ
こういう重大な問題で貴兄からコメントを頂いた事で、私の思いが単なる思い付きではなく、やはりそうだったのかと強められ、勇気付けられました。
意外にも核を扱う科学者からそういう意見が出されていなかったのです。専門に徹すると、単純なうっかりミスが出てしまうようです。でも彼らは東電に見習い、出来るだけ都合の悪い事は隠しておく、努めて表に出さない、という姿勢なんでしょうね。

2017-07-02

イノシシの革製品

18:53

 「そして、ペテロはしばらくの間、ヨッパで、皮なめしのシモンという人の家に泊まっていた(使徒9:43)。

 双葉郡大熊町からいわき避難して来た人々の話を伺うと、帰還困難区域の為、許可を得て自分の家に行ってみても、掃除などすぐ制限時間を越えてしまい、結局中途半端で戻って来ると言っています。地震の被害もそうですが、厳重にカギを閉め、防御体制をとっておいても、最近はイノシシが頻繁に侵入荒し回るので、たとえ指定解除になっても、もう家を修復して帰還する気持ちは全くないとの事でした。ネズミの跋扈も侮れませんが、これは本当に深刻です。ハクビシンが住みつき多少荒れていても、逃げ去って、掃除で何とか住んでいる我が家は幸いでした。

 このイノシシ退治ですが、3・11原発事故後、双葉郡のいっそうの人口減少と高齢化で、猟師が減り、たとえ捕獲出来ても検出される放射能値が高く、肉を加工して出荷するのは、今でも制限されています。

 その影響もあって、イノシシの数が非常に増え、何とか知恵を絞って対策を考えなければなりません。

f:id:hatehei666:20170622094534j:image:medium:left画像はネットからお借りしました。

 そこで伊達市霊山(りょうぜん)町では、捕獲したイノシシの皮を利用し、それをなめして皮から革製品に仕立てる試みを始めました。17年6月21日の福島民報で紹介されていましたが、伊達市の農林業振興公社http://www.ino-date.com/kosha)で作られた幼児用の靴が好評のようです。そのホームページを見ると、他にもコインケースやペンケースなど商品が載っています。

 民報によると「なめす前と後で放射性物質の検査を実施し、安全性を確認している」との事です。

 聖書の時代でも皮なめしは熟練した人がやっていました。製品はテント、サンダル、腰の帯など多様でした。動物の種類は多岐にわたったでしょうが、中にはレビ記11章にある儀式的に汚れた動物、例えば豚の皮を扱う人もいたので、その死体にも触れてはいけない、とするユダヤ教の頑固な人々の間では、汚れた職業とみなされ、皮なめし職人は町の中心街から外れた所に住む事を余儀なくされました。まるで江戸時代の穢多のような扱いを受けていました。

 使徒ペテロはこの皮なめしのシモンという人の所に泊まり、「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」との啓示を神から直接受け、異邦人伝道拡大の為の拠点となりました。

 農林業振興公社イノシシ革製品の売り上げは好調だという事ですが、民報では「なめし業者や猟師への報酬などコスト面での課題もある」と報じていました。

 通気性に優れ、摩擦に強く、感触が軟らかいなど、良いことずくめですが、事務局長の話では「イノシシ革製品の認知度はまだまだ低い」そうです。だから「販路拡大のために猪突猛進覚悟で臨む」と言っていました。

 イノシシによる甚大な被害を考えると、たくさん捕獲して、こうした革製品をもっと普及させるというのは、良いアイデアだと思いました。伊達市にも放射能を巡って「伊達騒動」はありましたが。

iireiiirei 2017/07/02 21:53 仏教国におけるエタ・ヒニンの場合、仏教の教義における輪廻転生の概念が元になっていると思いますが、ユダヤ教の場合は?・・・動物を殺生し、血まみれになることが嫌われる理由?「ただしく神が決めた手続きによれば」肉屋も宗教的には(ユダヤ教的には)問題はないと思われるのですが。

matsukentomatsukento 2017/07/03 08:38 hatehei666様、おはようございます。
イノシシの革製品、いいアイデアですよね(o^_^o)v!!!
かつて私は、アメリカから輸入したワニ革を加工している作業所を、見学したことがあります♪
イノシシやシカ、クマは里に出て畑を荒らしますし、特にクマは人の命を奪ったりするだけに、有害獣ということで、駆除も許可があればできますので、ジビエ料理と併せて、それらの革を活用すれば、クジラと同じく、無駄なく活用できるということですよ〜。
それにしても原発事故で、人間が去ったおかげで、野生動物の天国になるとは、なんか朝鮮半島の軍事境界線に似たような気がしまちゅ。
私の元職である、民主商工会(民商)の会員で、革製品の製造販売を行っている女性がいますが、多分一般的な牛革かなんかを使っているのでしょうが、イノシシのようなジビエ革を使うことを、勧めてみたいもんだっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

yonnbabayonnbaba 2017/07/03 08:40 今回も心の痛むお話でしたが、「販路拡大のために猪突猛進の覚悟で臨む」という事務局長のユーモアに笑わせていただきました。
苦しい運命にある時も、いえ、そういう時こそ、ユーモアは大切ですね。
新しい事業がうまく軌道に乗るよう応援したいです。

hatehei666hatehei666 2017/07/03 20:37 iireiさんへ
ユダヤ教は勿論一神教で、その神がやがてメシヤとして到来し、選びの民は皆救われるという考え方が基本でしょう。「あなたの王国は、永遠にわたる王国。あなたの統治は、代々限りなく続きます」(詩145:13)。彼らはそのメシヤがイエス・キリストという事を認めていません。
レビ記で神が定められた事「それに、豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。あなたがたは、それらの肉を食べてはならない。またそれらの死体に触れてもいけない。それらは、あなたがたには汚れたものである』(レビ11:7−8)を、ユダヤ教の信徒たちはかたくなに守っています。肉屋の場合、どの肉なのかが問題なのでしょう。新約で神がペテロに命じられた事で、全ての動物はきよいとされ、ユダヤ人クリスチャンたちは、どの肉でも全く問題なく食べています。

hatehei666hatehei666 2017/07/03 20:47 matsukentoさんへ
全くマツケンさんのおっしゃる通りです!
私は朝鮮半島の軍事境界線が、そんな感じになっているとは知りませんでした。
人間の罪深さを思い知らされたのですが、そのイノシシの捕獲網を故意に破る不届き者がいたことを、福島民報で報じていました(スクラップが見つかりません)。

hatehei666hatehei666 2017/07/03 21:02 yonnbabaさんへ
私が通っている教会の主任牧師は、ユーモアのある例話を完全「自家薬籠中」のものとしています。3・11の時集団で避難し、すごい苦労の連続だったでしょうが、いつも物事を前向きに考えていて、説教でもタイミングよく使うので、会衆は皆緊張がほぐれ、どっと笑います。私もそうです。
福島民報の川柳でも思わず微笑んでしまう秀作がありますね。「ありがとが老いの証か多くなり」。

A0153A0153 2017/07/03 21:26 こちらでも、イノシシ・サルの被害に悲鳴が出ています。なるほどイノシシの皮革製品ですか、いいアイデアですねえ。

hatehei666hatehei666 2017/07/04 05:48 A0153さんへ
そちらサルもですか。勿来はサルの出没情報がけっこうあって、私たち家庭菜園をやっている者は、戦々恐々です。
福島は復興の大号令の中で、アイデアマンが多いので、そうした荒らす憎むべき動物に対する利用が、さらに考えられると期待しています。

2017-06-28

近藤誠理論から小林麻央さんの死を考える

21:22

 「そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。『【主】はこう仰せられます。「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。」』。そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、【主】に祈って、言った。『ああ、【主】よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。』こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。そのとき、イザヤに次のような【主】のことばがあった。『行って、ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、【主】は、こう仰せられます。「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう十五年を加えよう」』(イザヤ38:1−5)。

 これはヒゼキヤという王が人生半ばで病気になり、預言者を通し不治の病を宣告された時の事です。ヒゼキヤは大声で泣いて主に祈ったので、主は彼を憐れんでもう15年を増し加えられました。稀有な出来事です。皆が皆そうではありません。旧約でも新約でも病気で死ぬ人は、祈っても死ぬのです。

 大きな違いは新約で明確になった救い主イエス・キリストの到来です。この方への信仰だけで、神から永遠のいのちを与えられます。「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです』」(ヨハネ11:25)。肉体的に見れば皆死んでその身体は朽ち果てます。しかし霊魂は不滅で信仰により天に引き上げられ、永遠に生きます。まるで見て来たかのような事を言う、そう見た事のないものを真実として受け入れる、それが信仰です。

 教会のクラスでの話から。麻央さんがが最期に「愛している」と言って亡くなったのは珍しい、普通なら「ありがとう」と言って死ぬのでは?また海老蔵さんは幼い頃から青山学院に通っていた、そこの授業では必ず聖書の話も出て来るので、人生のどこかの時点で信徒になったのでは?教会にも行ったという記事もあるし。公にはなっていないけれど、二人はクリスチャンだったのでは?以上推測です。

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 麻央さんは34歳、まさに人生半ばのヒゼキヤと同じでした。その身体のいのちを奪ったのは乳がん転移だそうです。治療についてはいろいろな情報がありますが、あえて日本中の医者を敵に回して動じない近藤誠先生(セカンドオピニオン外来をやっています。http://kondo-makoto.com/)だったらどう考えたかと想像してみました。

 いわゆる放置療法です。乳がんだったら手術しない、抗がん剤は使わない、長生きしたければ痛みが出るまで放っておきなさい。痛みだけは辛いからモルヒネなど積極的に投与して下さい。本物のがんなら、もう発見した段階で他に転移しており、治療による延命効果はなく、逆にいのちを縮めるだけです、という近藤理論の中核の要約です。

 麻央さんはほんもののがんだったかも知れません。だったらもう覚悟を決めて、病院や医者を喜ばせるだけの治療を止め、また仕事よりいのちですからその仕事も止める。そして残された人生を思い切り楽しむ、有意義に過ごす、それが免疫力を増し、結果的に治療を受けた時より長生きする。そう近藤先生は言われるに違いありません。

 でもネットの情報より、最初の医者が「がんの確率は五分五分」、生検必要なし、マンモグラフィーでもがんの疑いなし、と言ったのが事実だったら、それこそ近藤先生の言う「がんもどき」です。何もしないで様子を見るのが正解。麻央さんは仕事に追われ精密検査を受けず、8ヶ月後にがんと診断されたそうですが、最初の時点で医者が誤診したなどと私は責めません。麻央さんは最初の時セカンドオピニオンを受けていたらと後悔していますが、私はそうは思いません。この2回目にがんと診断された段階で、治療すべきか放置すべきか、近藤先生の所へ行ってみるべきだったのです。しかし医者はアンチ医者を掲げる近藤先生のところを勧めるはずはありません。それで手術をしないで抗がん剤治療選択しましたが、それこそ近藤理論で言えば間違い。麻央さんは受けるべきではなかったと思います。近藤氏は『47の心得』でも「抗がん剤はつらい副作用と『縮命』効果しか及ぼしません」と警告しています。

 けれども麻央さんはそういう事も知らされず、抗がん剤治療を受け入れました。そして世のがん患者の多数がそうするように、それでがんと戦って勝つというつもりだったのでしょう。

 マスコミやがん経験者その他、皆がそうした麻央さんの姿に打たれ、がんばれ、がんばれと唱えたようです。そんな事を続ければ疲れるに決まっています。ネットの情報では、「越えてもまた壁で疲れます」と漏らしたそうですが、当たり前です!日本人はその言葉以外に「ゆっくり休め」という素敵な言葉の選択肢がないようです。抗がん剤は病気と闘う自己免疫力を著しく損ねます。結果として抗がん剤で、本来ならもっと長生き出来るはずだったいのちを縮めたと推測します。だからいのちを縮めたのは、麻央さん自身の治療方法の選択間違いと、世間の頑張れ大合唱の為だったと言いたいです。

 とにかく死は老若の如何を問わず、必ずやって来ます。アダムが犯した罪の為です。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)。しかし救い主イエス・キリストは、その罪により「一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放」(ヘブル2:15)する為、世に来られました。でも人々は上記イエスの言われた「私を信じる者は、死んでも生きる」というみことばを信じません。日本人口の99パーセントが未信徒で分からないのです。ゆえにイエスはそれを深く嘆き、涙し、憤られました。信仰は行いによらないので、麻央さんもヒゼキヤのように心で祈って救われたと信じたいです。ならば天国で会えるでしょう。かけがえのないこの世の人生、そのようにプラス思考で元気に長生きしたいものです。

 

yonnbabayonnbaba 2017/06/29 07:52 浅学にして近藤誠先生は存じませんでしたが、私はその先生のお考えと同じことを思っています。白血病で13歳で逝った兄、肺がんで69歳で亡くなった父、それから、元気そうにテレビに出ていらしたのに、がんと分かった途端、名医にかかりながらじきに亡くなってしまった逸見政孝アナウンサーなどを見て、野生の勘のようなもので、病気が分かり、病院に入ると放っておいたよりもかえって早く死ぬことになるんじゃないか、と感じたのです。重大な病気だと知らずそのまま暮らしていたら、最後は痛みで苦しむかもしれないけれど、もっと長く、あるいは短いにしても、病人としてではなく、健康体として生きられたのではないか・・・。
それで、私は健康診断を受けない主義になりました。企業の健保に入っている間は許されませんでしたが。医療は、最後の痛みだけをコントロールしてくれればいい、と思っています。

hatehei666hatehei666 2017/06/29 20:56 yonnbabaさんへ
家系にがんで亡くなられた方がおられたのですね。麻央さんもそうで、遺伝子検査がどうのこうのという情報がありましたが、そういう医学の発達は、人を不安に陥れ、益になりません。
近藤先生も幾つかの著書で、必ず逸見さんのがん治療について触れ、間違っていたと言っています。
昔の人のように、知らないで亡くなるというのが最上の選択肢だと、私も思います。ひどい貧血が一向に改善されず、どこかに潜在的な出血があるのでは?と医者に言われましたが、検査はやめました。くらくらしたり、爪が弱くてすぐ縦に割れるなどいう症状はそのせいくらいに受け止めています。
そもそも福島に来たのはがん覚悟だったので、がんなら痛み止め(6回の手術で分かったのですが、これ凄く快感があります。そのまますっと眠って亡くなったら最高と考えています)、糖尿病の合併症で心臓や脳にダメージを受けたら、もう一切の延命措置なしという事で、近藤先生の47の心得の最後のエンディングノートを参考に書いておきました。これ大切です。救急車で運ばれると、そちらは延命措置なので、病院でこのノートを誰かに持って来てもらい、装置を外してもらうという事です。
共感のコメントありがとうございました。