Hatena::ブログ(Diary)

ハテヘイの日記

2017-11-21

富岡町はどうなるのか

17:43

「わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる』と言う」(イザヤ44:26)。

 福島県双葉郡富岡町が2017年4月1日避難指示解除になりましたが、依然として桜の名所夜ノ森地区は線量が高く解除になっていません。毎時1・65マイクロシーベルトあり、東隣の小良ヶ浜(1・71)と共に突出しています。

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 一方で3・11当時地震津波で全壊したJR富岡駅が、少し北に移動しやっと完成しました。そして常磐線上野方面からはここまで運転されています。写真左

 17年10月30日時点では、まだ駅周辺は整備の途上でしたが、すぐ近くにホテルも出来ました。

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 4階建て、シングル66室、ツイン3室あります。社長が有志8人と共にこのホテルを設立しました。福島の現在の復興状況を詳しく目で見て確かめてみたいという人々の為には、気軽に利用出来そうです。

 11月17日に稼動を始めた、原発事故に伴う指定産業廃棄物第一最終処分場は、国所有の土地でアクセス出来ませんが、県内で発生した核のゴミの一部(キログラムあたり8千ベクレルを越えるもの)を、国がこの町に埋め立てるという構図を是非知っておいて頂きたいと思います。除染で出たゴミは富岡町でなく、やはり同時期稼動を始めた中間貯蔵施設(大熊町双葉町)に搬送されます。

 この廃棄物処分場は楢葉町との境に近く、搬入路になっている楢葉町では、危険だとの認識で反対運動は続いています。ネットの情報では、国は100年以上もつと言っているそうですが、机上計算に過ぎず、全てが実験段階です。

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 そういうわけで、最近夜ノ森地区から避難した方から富岡町の広報を見せてもらう機会があって、注視したのが平成14〜24年生まれの子を持つ保護者(3・11当時富岡町に在住)へのアンケート調査結果でした。他の市町村ではまだまだ帰還をためらっている層が圧倒的多数を占めていますが、ここでは「戻らない」が87パーセントも占めていました。右図上

 富岡町から帰還困難な為に他の地域に避難した人々は、固定資産全や国民健康保険税が全額免除になっていますが、将来指定解除になっても、そうした税の負担がふさわしいと思う避難者は、やはりほとんどいないと思います。

 帰るのはどうしても古里に思い入れのある農家の方々など、高齢者ばかりだと思います。町としてはそうした対象者の為に、医院や診療所を設置し、平成30年には県立ふたば医療センターを発足させる予定です。さくらモール富岡という複合商業施設も既に稼動しています(視察にあたりこの場所を逃しました)。

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 曲田災害公営住宅の一部も3ヶ月前完成しました。6年半以上経てやっとです。若い世帯の人は入るのかしら。

 一見町としては積極的に動いているようですが、どうも私の目には「笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった」(マタイ11:17)というふうに見えます。

 

2017-11-10

福島県双葉郡楢葉町のJビレッジ近くに常磐線新駅必要なのか

20:07

 ソロモンの所有のすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々、ソロモンエルサレムや、レバノンや、すべての領地に建てたいと切に願っていたものを建設した」(列王第一9:19)。

 Jヴィレッジは1997年に東電主体に建設され、サッカートレーニング施設として有名でした。

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 2011年3月11日東電福島第一原発事故発生後は、「事故対応の前線基地」(福島民報の記事から)としてマスコミでも頻繁に取り上げられて来ました。

 東京五輪開催が決まると、この施設はトレーニング施設として再利用される事になり、東電主体となる復旧作業が行なわれていました。

 17年11月9日の福島民報では、18年に一部がオープンし、19年に全面再開するこの施設のうち、国内初となる巨大な全天候型屋内練習場の工事写真が公開されていました。左上の写真は私が撮影したものです。

 工事は進行中なので、今年6月訪問した時も、各入り口は警備員が居て、その全貌を見る事が出来ませんでした。

 そうこうしているうち、11月3日の新聞記事は突如、このJヴィレッジ付近に新駅を設置する計画が浮上している事を伝えていました。

 国道6号からアクセスしやすく、何回か車で行ってみました。常磐線広野駅は見た事がありますが、木戸駅はまだです。

 このJヴィレッジから木戸駅まで車で6分ほど、広野駅まで10分くらいです。車があればわけなく行けます。

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 広野駅周辺はわりに新興住宅が建っていて、帰還には人気のあるところみたいですが、ネットで見ても木戸駅過疎化の地域にポツンとあるなという感じです。東側は海に近く3・11当時、津波でもろにやられました。すぐ北の竜田駅は訪問しましたが、およそ活気があるとは言えない様子でした。右写真。

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 駅から北の方向を眺めても同様な印象です。

 JR常磐線はまだ全線開通したわけではないので、そうなのでしょうか。*19年末に全線開通予定。

 大震災から6年8ヶ月、今更戻って来る人々の数は限られています。他の市町村に住み着いているからです。

 どう見ても東京五輪の為に新駅を作るメリットがあるのか疑問です。

 Jヴィレッジ近くに駅が出来て徒歩で行ければ、五輪の為に若い選手や指導者や観光客は大いに利用するかも知れません。

 でもその宴が終わって数年もすれば、きっと経営上の問題も出て来るはずです。

 福島復興が優先されるべき課題なら、私は元々五輪など必要ないという立場ですし、ましてその為の新駅なんて余計不必要だと思いますが…。

 五輪の熱狂の最中に、福島の陰惨な光景など頭に浮かんでくるはずもないと想像しています。皆様は如何ですか?

yonnbabayonnbaba 2017/11/11 10:20 オリンピック招致の時から、福島の悲劇は利用されただけだと思っていました。案の定、計画の進む段階では、すでに関係者の頭の中に福島などまるでないようです。都合の良い時だけ持ち出すのです。オリンピック開催中は日本中が今以上に震災のことも原発のことも忘れて熱狂し、終われば、きっと新駅も負の遺産になるだけでしょう。

hatehei666hatehei666 2017/11/12 08:20 yonnbabaさんへ
全く同感です。私の独りよがりではなかったようです。
新駅が将来負の遺産になるとすれば、地元自治体・サッカー協会など「Jヴィレッジ復活」を推進している関係者に対して、JR東日本は現在どう対応しているのか気にかかります。

o7uo7u 2017/11/19 13:24 五輪に無駄な金を使うぐらいなら、津波で家財を失った人に二輪や四輪を配ったほうがいいと思います。

hatehei666hatehei666 2017/11/19 21:18 o7uさんへ
コメントありがとうございます。これは名案です。一律補償もせず、地域住民を分断させた政府への痛烈な皮肉となります。

2017-11-03

浪江町希望の牧場の現在

04:30

 「みことばのとおりに私をささえ、私を生かしてください。私の望みのことで私をはずかしめないようにしてください」(詩119:116)

 福島県浪江町の一部は2017年3月31日に指定解除となり、私はその直後の駅や町の中心を見て来ました。それはブログで記しましたが、まだほとんどと言ってよいほど、多くの区域が帰還困難のままです。ですから大堀相馬焼(これもブログで書きました)で有名な大堀地区も戻る事は出来ません。

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 指定解除後視察しておくべきだったのは、その西北端近く、南相馬市小高区と境を接する立野地区にある吉沢牧場でした。又の名を「希望の牧場」といいます。写真左。

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 牧場主吉沢正巳さんは3・11当日外で買い物をしていてすぐ戻り、牛たちのいのちを守りつつ、原発事故の様子を眺めていました。しかし放射能拡散の為、翌日原発から14キロほどの吉沢牧場を含む浪江町全域が、避難指示の対象となりました。そこは「警戒区域」として、原則立ち入りが禁止されました。写真右が吉沢さん。1時間のインタビューに応じて下さり感謝でした。

 牛たちは残され餓死するか、国の命令で殺処分となりました。

 しかし吉沢さんは殺処分に抗い、牧場の全ての牛を守り続けて来ました(詳しくはhttp://jafmate.jp/jmp/311/iidate_namie/001.html参照)。

 2017年10月30日この牧場を視察して来ました。国道6号を北上し、指定解除になった富岡、まだ立ち入る事の出来ない大熊・双葉町を横目でみながら、浪江町に到着、交差点を右折すると津波で甚大な被害の出た請戸地区、左折すると国道114号が川俣町方面まで続いています。

 この114号は9月20日に、私たち一般の者の車の走行だけが許可されました。なぜかと言いますと、浪江町のこの周辺はまだ帰還困難だからです。ゆえに道路の向かって左側、南方向への側道にはすべてバリケードがあって、警備員が不審者(=泥棒対策が主体)を排除する為、どこにでも立っていました。そして苅野地区室原(ここらは毎時1〜3マイクロシーベルト)を右折し県道34号を北上すると、吉沢牧場があります。

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 入り口の看板は目立たず、右手に広大な牧場が広がっているのに見落とすところでした。ちなみに牧場反対側の森林は除染など出来ず、多いところで毎時10マイクロシーベルトはあるそうです。右下の写真は牧場の除染が終わり、搬出出来ないまま残っている黒のフレコンバッグ。その数1万5千袋、3億円もかけて除染、でも浪江に人は戻らず、家は解体され、更地が広がっているそうです。「それって意味ありますか?」吉沢さんは怒っています。

 写真右隅の道をゆくと、上記写真で示したように、写真や資料などで一杯の吉沢さんの「小屋」があります。全国から単独又はバスツァーなどで来る方々は、ここで吉沢さんから説明を受けていると思います。

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 牧場で飼っているのは黒毛和牛です。この7年近く放射能で汚染され、商用価値の全くない牛たちです。訪問当日吉沢さんは重機を使って餌を集まって来た牛たちに与えていました。大きな白い袋に入っている餌を取り出し、重機に積んでは又別の牛の群れのところまで運んでいます。写真左上下。

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 私が感動したのは、その牛たちの元気さです。この豊富な餌のお陰で、丸々と太っており、前回のブログ絵画の牛のイメージとは全然違いました。

 吉沢さんは300頭はいる牛の世話を、こうして毎日一人でやっています(累積放射能の量は相当だと思います)。自分が生きている限り続ける、汚染牛が生かされている、ここは実験牧場であり、被ばく別荘地帯であり、メモリアルファームなのです(吉沢さんの造語)。

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 これを続ける事が国への無言の抗議となります。しかし吉沢さんはその作業だけにとどまりません。膨大な量の餌を確保する必要があります。それが無ければ牛たちは3・11の時と同じように餓死してしまいます。ですから吉沢さんは反原発のためのアピールも兼ねて全国を飛び回り、餌の為の支援を訴えています。年間1千万円以上の餌代がかかります。私もこの牛たちを生かす為「ご寄付のお願い」に応じなければいけないと思いました。2千、3千、5千、1万円、その他の欄のある、郵貯銀行の払い込み取り扱い票が機関紙BECO新聞についています。この新聞を希望の方はメールで尋ねて下さい(beconews@gmail.com)。希望の牧場〜ふくしま〜の非営利社団法人事務局(03−3496−2177)で詳しい事が訊けます。

 BECO新聞最新号に載っていましたが、「福島の犠牲の上に、東京の何気ない豊かな暮らしは成り立っている」。この構図東電原発事故から7年が近づいている現在、ますます真実となっています。聖書では7は完全数、7日が安息日、7年は安息の年ですが、被災地被災者に安息の時はとてもやって来ないでしょう。

yonnbabayonnbaba 2017/11/04 08:08 貴重なレポートをありがとうございます。
>福島の犠牲の上に、東京の何気ない豊かな暮らしは成り立っている
原発の事故の前も後も、光と影の関係は変わらない。「震災前」「震災後」なんて価値観は生まれなかった。被災者以外はスンナリ元の価値観に戻って、なんということのない生活を送っている。理不尽ではないかと憤りながら、自分自身も無力です。
BECO新聞のご紹介、ありがとうございます。

A0153A0153 2017/11/04 13:40 今年の憲法記念日の前後でしたか、小高で原町9条の会主催の「日本の青空」上映会がありました。その時、吉沢さんも見かけました。吉沢さん自身も牛たちも累積の被ばく量は、随分と大棋院じゃにでしょうか。吉沢さんも見たことのない牛の皮膚病は、被爆のせいじゃないでしょうか。原発事故や事故後の後の被ばく地の実態は、もうかなり忘れられ、関心が薄れています。私たちは、イタリアのツアーに参加してきましたが、原発事故後のことを話すとまだそんな状態なんですか、
とびっくりされました。

hatehei666hatehei666 2017/11/04 17:16 yonnbabaさんへ
私はBECO新聞を磐梯町の個展の時頂いて、衝撃を受けました。写真の角度にも因ったのでしょうが、最初フレコンバッグは、牛たちの食む余地もないほど希望の牧場全体に広がっているように見えました。実際行ってみたら、牧場全体が遥かに広がっていて、牛たちは自由に動きまわっていました。その写真のアングルでは、フレコンの山のやや右に怒っている吉沢さん、そのずれた分、左隅に東電の送電鉄塔が写っていました。この構図で福島の犠牲がよく表現されています。分からなかったのは、東電は原発事故以後も、第二原発など使って、今でも東京方面に電力を供給しているのかという点でした。
コメントしてくれたyonnbabaさんも、AO153さんも、それぞれの地でスタンディングを持続して行なっておられます。吉沢さんが強調されたのもまさにその小さな運動の持続性でした。
私の親友で共産党員のNさんも、福島に呼応して東京からも反原発アピールを発信し続けると言ってくれました。皆様の働きが励みとなります。

hatehei666hatehei666 2017/11/04 17:40 A0153さんへ
小高ででしたか。私は明日教会の礼拝で小高にも行く予定ですが、毎回の駅前の光景の写真は、ゴーストタウンが僅かでも変化している事を感じさせてくれます。浪江町請戸地区だと、津波で残骸と化した家々が取り壊されているのか、徐々に少なくなっており、周辺は重機でその痕跡を失くしてしまおうというくらいの、マイナスの意気込みが感じ取られます。
私の書き方がまずくて申し訳ありません。牛たちは現在まるまると肥えて、おそらく原発放射能の影響に違いない毛の脱落が、私の見た限りでは見つかりませんでした。でも吉沢さんの「小屋」には、その写真がありました。6年8ヶ月前被ばくの影響に間違いないと認識しておられたと思います。
子どもの甲状腺癌のことも触れておられました。今はそうした放射能と被ばくの関係を示す資料は、徹底して隠蔽されているようです。本来なら良心的な医者兼研究者たちにとって、又と無い研究材料のはずですが。
イタリアのツアーでも驚かれたのですか。牧場のもう一つの看板には「除染 解除しても サヨナラ 浪江町」とありました。吉沢さん自身、避難解除が希望へのスタートとなるのか、空しい結末の始まりなのか、その心は揺らいでいます。何度も消滅の危機にある事を強調しておられました。こん深刻な状況、日本から発信される機会が、本当に減ってきているようです。

2017-10-27

初めての磐梯町訪問−3・11で被災した牛たちを描いた個展

21:54

 「神は仰せられた。『地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。』そのようになった」(創世1:24)

 2017年10月13日、私が所属する教会の牧師提案で、福島県磐梯町にある「ギャラリーれい」へ、戸田みどり個展を見に行きました。会津地方は2年前除染作業郡山にいた時、磐越西線を利用して会津若松市に行っただけです。今回牧師を含め9名が2台の車に分乗し、常磐自動車道磐越自動車道を利用して、片道1時間半以内で行けました。

 磐梯町と言えば、会津磐梯山の名前がすぐ浮かんで来ますが、それは東隣の猪苗代町にあります。当日あいにくの雨で、磐梯山の頂上は濃い雲がかかっており、その全容を見る事が出来ませんでした。

f:id:hatehei666:20171013125713j:image:medium:left左写真はギャラリーれいで、室内の4重の梁が自慢です。何しろ一晩で1メートルは積もるという豪雪地帯なので。

 この旅は神奈川県相模原市から、私の通う教会まではるばる訪問した画家の戸田みどりさんの証と、福島民報の記事(http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2017/09/post_15442.html)から、是非私も、と申し出て行く事が出来ました。私以外は皆3・11を双葉郡で経験しています。

 戸田さんの描いた絵画は、福島県浪江町立野にある「希望の牧場」の見捨てられた牛たちが主要なモチーフです。3・11東電原発事故で当時全町が避難しました。殺処分に遭うはずだった牛たちは、牧場主吉沢正巳氏の「絶対生かし続ける」という決意によリ、その牧場では生かされて来ました。この牧場と吉沢氏については又別のブログで述べるつもりです。

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 戸田さんはこの牧場を2015年と17年に訪れ、被災して痩せ細り、脱毛の目立つ牛たちをスケッチし、作品にしました。

 入館してすぐ正面に据えられた絵画戸田さんはこの牛についての説明から始めましたが、私は圧倒されました。写真右が「見捨てられた牛」で、説明しているのが戸田さん。

 戸田さんは、神によって創造された代表的な家畜である牛が、原発事故により国から勝手に殺処分の命令が出された事への怒りをもって描いています。

 絵画に見える脱毛の斑点のある牛については、その部分を銀箔と焦がした硫黄で表わしています。この斑点の原因は明らかにされていませんが、原発から14キロのこの牧場の牛たちが、放射能によって被ばくした結果であるのは、間違いないと思います。

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 ですから牛たちも怒っています。その感情は作品の目に顕著です。戸田さんは「澄んだ目と立ち上がった前肢がどこか弱々しく、寂しそうな気配を漂わせる。同時に厳しい現実に耐えて決然と生きることの神々しさも表現した」と言われます。左の写真では、牛たちの怒りが全体的に赤の色調で描かれています。

 醜い出来物は本来は黒色に描くのですが、それでは暗いイメージだけです。少しでも神々しさが見えないといけないという事で、銀箔を選んだという説明だったと記憶しています。信徒は絶望の中に希望を見出します。

 長く帰還困難な状態が続いたので、動物たちは野生化し、また生息域も変わって、特にイノシシが人や畑に害をもたらしており、人と獣の共存が困難になっています。

 原発がもたらした牛たちの悲劇、そのままでは終わりません。聖書は冒頭聖句にあるように、神の創造時と同じく、いつかまた全ての動物たちが楽園で人と平和に共存するという事を示しています。「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる」(イザヤ11:6−8)。

 その前に「火の燃える炉」のような原子炉を作った当事者たちが、永遠の「火の燃える炉」に投げ込まれ、泣いて歯ぎしりするのは当然です。「火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです」(マタイ13:50)。



 

A0153A0153 2017/10/28 18:03 左下の小さい写真の牛(子牛に見えます)、体全体で怒りを表しているように感じました。普段は、優しい牛の眼も怒っているように見えました。

hatehei666hatehei666 2017/10/29 07:21 A0153さんへ
全くその通りです。戸田さんの赤い色調でという説明では、その怒りの表現にふさわしいと思いました。
希望の牧場主の吉沢正巳さんは、この牛以上に政府のやり方を怒っていますね。

2017-10-24

いわき市勿来町酒井の復興公営住宅

06:20

 「…彼は二度と、帰って、故郷を見ることがない」(エレミヤ22:10)。

 2回にわたり双葉町の現状を考えて来ました。特にいわき市南台の仮設住宅に住む方々は、これからどうなるのかという懸念を抱いていました。

 いわき市福島県でも福島市郡山市と並んで、県内有数の都市です。そして福島第一原発事故に伴う放射能拡散も絶対安全とは言えませんが(いわき市北端から第一原発まで約25キロという近さ)、相対的には線量が低いので(http://www.city.iwaki.lg.jp/www/contents/1001000004183/index.html)、帰還困難区域を含む双葉郡の住民が多く移住して来ました。私は中部から南は結構歩いているので、若い世代の多い新興住宅が目立つのが分かります。ネットの情報では双葉郡から約2万4千人は移住しています。

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 そこでいわき市としては災害復興公営住宅として最大の勿来酒井団地を造成すべく、昨年4月から工事に着手し始めました。大震災から5年後の事です。蛭田川(びんだがわと読みます)の低地、田畑が広がる所です。

 計画では鉄筋コンクリートによる共同住宅、木造のテラスハウス、戸建ての住宅、全180戸が出来る予定です。私の訪問時では長い囲いが続き重機による造成が進行中で、一般の人は入れず、その全体像を掴む事は出来ませんでした。特筆すべきは、これまで見て来たいわき市災害公営住宅では、集会所などの施設以外何も無かったのに、今度は商業施設高齢者サポート施設、診療所が出来る事です。この商業施設双葉町でスーパー「ブイチェーンマルマサ店」を経営していて、いわき市南台の仮設に移っていた松本正道さんも、仮設の方々と一緒に移る予定です。

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 この一目でわかる復興公営住宅ですが、これまで仮設でお金がかからなかった方々でも、家賃が発生します。いわき市では独自の制度があり、全所得階層で3年間は50パーセント減免となっています。

 ちなみに4人家族、父親だけ働いて給与を得ている場合、年収188万円までは、減免制度利用で4,600円です。

 単身の高齢者の場合は訊いてみないと分かりませんが、年金が低いとその程度の家賃でもきついと言う人はいるはずと見ています。私が心配しているのはその事です。南台の仮設では、残っている30パーセントの方々、だいたい高齢で単身者と推定していますが、帰還困難区域からの避難なので、うまく補償金など利用すれば住宅が購入出来ます。対象家族が多いほど有利ですが、最初から一人暮らしだった人はどうでしょうか?

 それにこれまで見て来た同じような団地で、人が各階で外に出て世間話をしているのを、全くと言ってよいほど見ていません。7年目にしてやっと入れた団地としても、孤独のまま過ごす人が多くなるのでしょうか?南台では勧誘やチラシが厳禁でした。また私の家から一番近い団地でも、チラシは駄目でした。

 何だか考えていると希望が見えなくなります。

 一方で「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩119:71)と証する双葉郡出身の信徒は多くいます。伺ってみても、この苦難は震災当時全く尋常ではありませんでした。飢えと寒さ、転々とした住まいの移動等々。あの日都会に住むわがマンションでは、せいぜいエレベーターが止って不便したくらい。比べものになりませんでした。しかし神のおきては「平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与える」もので、私の知っている教会員の方々は、震災の記憶は鮮明に残るものの、平安と希望を持って1歩前進しています。

 苦しみの経験をどう生かしてゆくか、豊かな生活に転化してゆけるのか、震災から7年になろうとしている今、被災者にも支援する者にもそれが問われていると考えます。


 

yonnbabayonnbaba 2017/10/24 07:51 家賃の支払いが困難な方たちのために、募金を募って基金を作るとか、月々一定額を支払うサポーター制度とかできたらいいのにと思います。あと、人と人がつながるために何か新しいグループや会を始めるにもチラシは必要だと思うのですが、なぜチラシが禁止なのでしょう。悪質な勧誘や販売を防ぐためだとしても、ただチラシを禁止するより、一番の防衛策は人のつながりをつくることだと思うのですが。

yonnbabayonnbaba 2017/10/24 07:54 送信した後で読み返して、やはり個々人の善意を当てにする前に、本当に困っている方には、行政が手を差し伸べるべきだなと思いました。そのための活動のほうが先でしょうね。そうして、どうしてもどうにもならなければ、ですね。

A0153A0153 2017/10/24 18:20 前にも言ったかと思うのですが、私の身の回りでは、帰還困難区域や居住制限区域の人たちの移住に対して、妬みの声を多く聞きます。それは、広い宅地に豪壮な家を建て、外車に乗っているケースが結構あるからです。何年前になりますか、福島民報に、帰還困難区域の賠償金は、4人家族で平均1億円とありました。お金が絡むので嫌な、かつ難しい問題です。
10月10日に「生業を返せ」裁判の判決が福島地裁でありました。被害の賠償金について、実に細かい賠償金が示されました。17に分かれています。私たちの原告団は、裁判結果が出る前に、原告団すべてで認められ賠金を均等に割ろうということを決めております。そう決めていますが、原告団長は、それでも文句が出るんだろうな、とスタンデイングの時、言ってました。

hatehei666hatehei666 2017/10/25 06:55 yonnbabaさんへ
私は直感で過去に悪質な勧誘があり、痛い目にあった人々が多かったからと思いました。
所属教会にはちょっとカフェという、すてきな、自由に出入りの出来る催しを火曜日に行なっています。地域に開かれた教会という事で、信仰の有無に関係なく、友人と無料で出される飲み物とケーキを楽しみながら、おしゃべりが出来るというものです。教会は被災地から移って来たので、同じ被災者同士気軽な話し合いで、おっしゃる通り人と人とのつながりが出来ないかと思っいつつ訪問しました。
ですからちょっとがっかりしながら帰りました。どこの復興公営住宅もひっそりとしています。引きこもりが健康に深刻な影響を与えています。運動しないので糖尿病が増加しているようです。

hatehei666hatehei666 2017/10/25 07:06 yonnbabaさんへ
私は38年にわたる母親の介護で、年金免除制度を利用していたので、たぶん自分だ双葉の住民だったとしたら、生活に窮することがありえたと思いました。
でもその時こそ「生活保護制度」を申請しようと考えました。今でもそれに至るまで、10年間はとてももたないと思っています。
ただ神の経済学は、世の経済学と相当違うので、よりいっそう神に頼り、日々の祝福を得たいと願っています。毎日起きて今日も生かされているという恵みが、一日の中に満ちています。勿論苦しみも入っているので、それは貴重な神の試練だと前向きに受け止めています。

hatehei666hatehei666 2017/10/25 07:45 A0153さんへ
よく覚えています。私も事実は事実と思っています。お金が絡む問題は本当に人を分裂させます。物心崇拝の悲劇です。
ただ信仰者はその多い、少ない、全然ない、に関係なく、「ねたみ」の思いは罪なので、努めてその問題に触れようとはしません。
逆に教会は「もらう」のではなく「神にささげる」立場ですから、正直痛みはあります。でもそれによって豊かな恵みと、日々の支えが神から与えられるという感謝は大きいです。
信仰生活者と世の方々のお金をめぐる考え方の相違は歴然としています。
生業訴訟の一定の勝利は大きかったです。
>原告団すべてで認められ賠金を均等に割ろうということを決めております
これは私も知らなかったことで、画期的な考え方だと思います。
しかし残念ながら国と東電は23日、この判決を不服として控訴しましたね。
こうなると上級審に行くほど、判決は覆されることになるので、すごく心配しています。

stantsiya_iriyastantsiya_iriya 2017/10/29 10:57 こんにちは
チラシの件、重く受け止めました。悪い奴ほど、甘い、耳ざわりのよい言葉で囁くものですものね。そして声高というか、ちいさい誠実な声をかき消してしまう。私の身の回りにも、善意と、善意に便乗したやから、善意の皮をかむったけものが甲乙入り乱れています。善意の人は、そうでない人をいちがいに排除できないからです。(証拠が無かったりとか、具体的な問題もあります)
今日は台風です。お気をつけて。

hatehei666hatehei666 2017/10/29 18:09 stantsiya_iriyaさんへ
コメントありがとうございます。
たとえとなりの大熊町にあり、現在移転した教会の会員であると私が述べても、なかなか面会出来ないでしょう。東京の標準語を使う人間でもあるし。
双葉郡だけでなく、勿来町などで地震・津波による被災者と、公営住宅で接触するのも難しいです。誰も外に出ていないので、ドアを叩いてみても警戒して開けてくれないと思います。
だから頻繁に公営住宅周辺を通り、一室から外に出た人がいたらと、チャンスをうかがってはいますが。引っ越してきた直後に、私の家からすぐの公営住宅で、自転車に乗って帰宅した人と話す機会はありましたが、それ以後外での対話はたった1回だけです。
原発事故が生んだ悲劇、もうこれが最後であって欲しいです。