ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

レンブラントの絵画

 図書館で熊澤弘著『レンブラント』を借りて読みました。本屋で立ち読みしましたが、文庫とはいえ高いので控えていた本です。というか熊澤氏による書き出し部分であまり興味を示さなかったのかと思います。生まれたのが1606年だとか、いやそうではないとかの問題にページが結構割かれていたからです。
 滑り出しがこのオランダ生まれの天才の作品解説から入っていたら、絶対買ったと思いました。ですから実際そこに踏み込んで詳しい説明がされ出すと、もうぐいぐい引き寄せられました。
 1630年代のレンブラントは主題をほとんど新約聖書から採っている事が分かりました。それを熊澤氏は順を追って解説していますが、どれをとってもすばらしいものです。デビュー作は「聖ステパノの殉教」というものでした。使徒行伝7章のほぼ全体にわたり、ステパノの説教が展開されています。旧約から始まり、救い主イエス・キリストの殉教までを説いていますが、彼はそれをユダヤ人大祭司を始めそこに居た人々が「殺した」と明確に述べた為、人々の怒りを買い、石打の刑で死に、天に引き上げられました。レンブラントはその刑の執行中にひざまずき天を仰ぐステパノに光を当て、見事に描写しています。
 しかしここまで書いて来て、はっとしました。信仰がなく聖書も読んだ事が無いという人は、もし展覧会があったとして、どんな気持ち・期待を抱いてそこへ行くのだろうかと思いました。レンブラントが聖書を熟読し、限りなく想像力を働かせて、全身全霊を込めて描き上げた作品(これは絵画による救い主イエス・キリストの立派な証となっています)が、直接未信仰者の心に届き響くのだろうかと考え込んでしまったのです。
 ドイツの画家エルスハイマーという人の同じ主題による絵画が一緒に載っていますが、そこにはステパノを天に導く天使のような者が描かれています。また聖書を見れば、ステパノは天の御座からイエス・キリストが「立っておられる」(使徒7:56)のを見ました。それを信仰なしで聖書を読み、理解出来るのでしょうか。

 続けて熊澤氏が紹介しているのは、民数22:28「すると、主はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。『私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは』」からヒントを得て描いた「バラムとロバ」です。これもまた超自然的な現象で、未信仰の人なら到底受け入れる事は出来ないでしょう。でも信徒なら良く分かります。本当は「御使いはみな、仕える霊であって…」(ヘブル1:14)とあり、本来目に見えない存在ですが、聖書の記述に従い、レンブラントは分かりやすくする形で描いて見たのです。「ろばは主の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見たので、ろばは道からそれて畑の中に行った。そこでバラムはろばを打って道に戻そうとした」(民数22:23)。
 ここで熊澤氏はイタリアの画家カラヴァッジョに触れています。彼も「洗礼者(バプタイザー=水に浸す者)ヨハネの斬首」、「ゴリアテの首を持つダビデ」など、実に生々しい描写で良く知られています。そしてレンブラントは彼の影響を受けている事を知りました。そして描いたのが「エマオのキリスト」です。
 ここでも十字架にかけられ、死んで三日目に甦られたキリストが登場しますが、「復活」を信じない人なら理解出来ないでしょう。
 でも苛烈な写実描写をしたカラヴァッジョなら、宗教絵画展でも催されたら、見に行きたいという人は多くいるかも知れません。
 しかしレンブラントの後半生の作品を見るなら、聖書から離れたもので見ごたえのある絵画が多くありますから、宗教画との抱き合わせの展覧会が催されれば、皆様も十分楽しめると思います。私もこの二人の大画家の作品を直接見て、さらに聖書のみことばへの想像力を膨らませたいと願っています。他にレンブラントはこう鑑賞するのだと言われる方おられたら教えて下さい。