ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

悪いうわさと良いうわさ

 うわさという言葉の起源はかなり古いのでしょうが(「うわさ」と訳された言葉は旧新約聖書でも出て来ます)、最近特に多くなっています。
 そのうち悪いうわさで生じた経済的被害を考えた時、それは「風評被害」となります。
 この言葉どおりになった為良く覚えているのは、1999年9月茨城県東海村の核燃料加工施設JCOで起きた事故による名物さつまいもなどの風評被害です。この時割合近くの鉾田に住んでいたので、実際の被害を農家の関係者から直接聞く機会がありました。そして悪いうわさによる経済的損失の深刻さを実感しました。勿論その「風評被害」という言葉、そして「臨界事故」という言葉も、初めて耳にしました。
 しかし今回関谷直也著『風評被害』を図書館で借りて読み、その風評被害という言葉が実際使用されだしたのは、1997年福井県沖で座礁したロシア船による重油漏出事故の時だった事を知りました。しかし関谷氏によれば、それに近い現象は早くも1954年、米軍のビキニ海域における水爆実験で被災した第五福龍丸事件が嚆矢だそうです。その乗組員久保山愛吉さんが死亡した事は、まだ8歳だった私の記憶にしっかり定着しています。
 この悪いうわさによる経済的被害=風評被害という言葉が頻繁に使われるようになったのは、原子力関係の一連の事故が契機となっているそうです。そしてその延長線上に今回の東電原発事故による「風評被害」の多発があります。これは現在進展中で、とりわけ農業・漁業・観光産業に集中しています。
 目に見えない放射能の粒子が風により、いつどこから飛んで来るか分からないので、そうした産業に就いている人々は皆びくびくしています。さらに今回もっと悪質なのは、被災地の人々がそこを離れる事により、移動した先の人々から危険視されるという「精神的」被害です。子どもの場合転校した先で深刻ないじめを受けるのはこれまでもあったし(私も小学校4〜5年の時受けました)、これからも絶対無くなることはありません。なぜなら人間は聖書によれば罪深いもので、それが現れるのは、だいたい小学校4年位からだからです。それまでは概して子どもは素直で、言われた事はそのまま受け入れます。だから小学生なら誰でも「無垢」だなんてとんでもない!いじめる子が投げかける非情な言葉だけでも、いじめられる子のいのちを奪ってしまいます。
 ところで原発周辺の産業の場合、放射性同位体セシウム137などが広範に飛散し、特に農業・漁業などの産物など、口から入ると内部汚染に繋がるとされているものについては、もはや風評ではなく、関谷氏によると「事実上の被害(公害、環境汚染)」と見做されます。「人体に影響がある」「危険である」という立場がとられるわけです。すると彼らの受ける経済的被害は深刻で、東海村のさつまいもの事例(風評被害)と違い、極めて長期にわたり「忘却現象」は起こらず、一過的な経済的損害だけで済まされません。政府や東電の補償が速やかに行われていない現在、既に絶望して自殺した人々の数は決して少なくないでしょう。「風評被害」と「事実上の被害」で、特に福島県の産業が壊滅してしまわない事を祈らずにいられません。
 これを考えた時、私は良いうわさにも言及しなければならなくなりました。
 「しかし、イエスのうわさは、ますます広まり、多くの人の群れが、話を聞きに、また、病気を直してもらいに集まって来た」(ルカ5:15)。
 このうわさは良いものであり、多くの人々がみもとに集まった為、救い主イエス・キリストはその人々に「良きたより=福音」を説教する事がお出来になりました。イエスは彼らをお直しになったので、うわさはイエスにとっても人々にとっても「実益」となりました。「風評実益」の誕生です!