ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

鳥賀陽(うがや)弘道『原発難民』を読んで2

 これまでこの本の3章までを見て来ました。
 そして最後の第四章。ここで私は驚愕すべき事実を知りました。題は「被爆者も避難者も出さない方法は確実にあった」です。実はこの題の事を既に原発事故より4年前に予言していた人がいました。鳥賀陽氏がインタヴューしたのは、松野元さんという人です。東大工学部電気工学科を卒業、四国電力に入社し、2004年に退職しています。その間伊方原発東海村臨界事故を受けて設立された原子力安全基盤機構にも勤務していました。

 この原子力安全基盤機構に勤務していた時、松野さんは「原発事故が起きた場合の対策システムを設計運用する責任者で、ERSS(*緊急時対策支援システム=原発事故が起きたときに、原子炉の圧力や温度、放射性物質放出量の予測といったデータをオフサイトセンターや東京の関係部署に送る重要なシステム)の改良と実用化を担当しました。ですから松野さんはSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム=緊急事態において気象条件や地形情報などから放射性物質の環境への拡散を地理的、数値的に予測するシステム)にも精通していました。

 当初国は「原子炉が高温高圧になって温度計や圧力計が壊れたため、SPEEDIのデータは不正確だから公表しなかった」と言っていたわけですが、それは違う、たとえそうであったとしても、「私なら事故の規模を五秒で予測して、避難の警告を出せると思います」と松野さんは言い切っています。これが私の驚嘆した発言です。また「原子力災害は100倍くらい正確に予測通りに動くんです」とも。ですから松野さんは五秒で「二十五時間以内に30キロの範囲の住民を逃すこと」と考えつきました。次に『原子力災害対策特別措置法』第15条に定められた通り、「全交流電源喪失・冷却機能喪失で15条通報」=「格納容器の破損の恐れ」=「放射性物質の放出」で、東電からこの通報があった時点から住民避難を始めなければならなかった」と言っています。さらにERSSの計算も30分で出来、もっと驚くべき事に、ERSSが故障し、SPEEDIが不正確になり、初期避難に役立たなかったという政府や官僚や学者たちの弁解に対して、松野さんはその機能をバックアップするPBS(=プラント事故挙動データシステム)というものがちゃんと存在し、さらにオンラインでPBSを呼び出せなくても、各原発のオフサイトセンター(=緊急事態応急対策拠点施設)にPBSのDVD−ROMが常備されており、オフラインでも内容を見る事が出来るというのです。そういうシステムを設計・実用化したのが松野さんというわけです。

 国会事故調ではこのPBSへの言及がなかったとの事ですが、原子力ムラの専門家と原子力保安院などの官僚はとっくに知っていた筈です。しかし無知を決め込んでいたようです。政府も上記の事柄に無知でした。
 鳥賀陽氏が松野さんから聞いて纏めた2点は次の通りです。
 1ERSS/SPEEDIが正常に作動しなくても、手動で避難方向や範囲を予測することができた。
 2PBSで避難方向や範囲を予測することができた。
 マニュアルが活用出来ず、多重失態で、住民の被爆を防げず、適切な場に避難させられなかった事、そこでも原発事故の「人災」が明確になりました。
 上記の二十五時間以内に30キロの範囲の住民避難も、初期段階では有効ですが、時間と共に拡大し、100キロ圏は必要との認識を松野さんは2002年段階で指摘していました。それを或る学者が10キロで譲らず、松野さんの提言を拒否しました。「だれも、私のいうことを聞いてくれませんでした」。そして松野さんは四国電力退社後は、郷里の松山に戻ってしまいました。
 この松野さん、原子力ムラにいながら、防災の点で全く無視され続け、京大の小出助教と同じような孤立した立場になってしまいました。全く残念な事です。鳥賀陽氏は初めて松野さんと松山で出会った時、「柔和な紳士だった」と言っていました。
 山本正樹ホームページ(豊橋の政治家)から、上記松野さんと鳥賀陽氏のやり取りの一部が見られます(http://www.yamamotomasaki.com/archives/1247)。
 「正しい者の頭には祝福があり、悪者の口は暴虐を隠す」(箴言10:6)。