ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

断食安楽死は難しい

 木谷恭介氏と言ってもピンと来ない人は多いと思います。私も全く知りませんでした。朝日かなんかの書評欄に登場して、初めて知った次第です。その本の題は『死にたい老人』です。

 1927年生まれとありますから、現在85歳になられたと思います。旧制の名門兵庫の甲陽学院中学から松本高校を狙っていた時、中学の先生の勧めで陸軍幹部候補生になり、戦後官能小説家からミステリー小説家に転向、宮之原警部シリーズという本でヒットしたとの事ですから、その類のものが好きな人ならよくご存じなのでしょう。
 ところがこの木谷氏83歳になった時、「もう、充分に生きた…やるべきことはやったと思っています。思いのこすことはありません」という考えに至り、「断食安楽死」をしようと決心し、それを実行しようとしました。これは計3回の挑戦になりましたが、結局は失敗に終わりました。
 この本では特に83歳の2月25日から3月24日まで、38日間の断食記録(2回目)が主体になっています。
 ところが木谷氏のこの本のおかしさは、そうした断食による衰えで自然に朽ち果てる事を願いながらも、鬱血性心不全を持病として持っているので、医者にその薬を含む8錠もの薬を処方してもらいながらの断食だった事です。当然ですが、早くも3日目から胃が痛み出します。何も食べないで薬を飲むのは危険な事です。5日目頃から食べたいという食欲の本能が頭をもたげ、痛烈な誘惑にかられています。それで7日目にはのど飴を舐め始めました。さらに9日目からは葛湯も併用しています。12日目にはメープルシロップ入りの生姜湯も飲み始めました。13日目にはバームクーヘンも食していますから、これはもう「断食」の段階を越えています。17日目以降は何だか普通の生活に戻ったかのようです。
 それで20日頃には、水だけ飲んでの断食は、せいぜい40日までが限度ではないかと思うようになりました。
 23日目には胃痛が堪えきれなくて、かかりつけの医者に行っています。勿論医者は胃潰瘍や胃穿孔の事を心配し、警察沙汰にもなり得るので、軽費老人ホームを勧めています。木谷氏はその気になったものの、息子かから罵倒されてやめました。
 断食25日目に東日本大震災が起こり、関心は専らそちらへ。38日目にして遂に断食中止に至りました。
 ここまでで参考になったのは、聖書のマタイ4に出て来るイエス・キリストの40日間の断食と、その後痛烈な空腹感に襲われた時の様々な敵対者の誘惑の事です。
 「さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。『あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。』イエスは答えられた。『「人はパンだけで生きるのではない」と書いてある』」(ルカ4:1−4」。 人間のかたちをとって世に来られたキリストでも、何も食べない40日間はさぞ辛かったと思います。しかもその直後からの空腹、敵対者の様々な誘惑、良く耐えられたと思いました。
 この本では最後のほうで、木谷氏がさらに3度目の挑戦をしようとしていますが、再度心不全の兆候が出た為、その時初めて「死ぬのは怖い」「死ぬのは嫌だ」「死が恐ろしい」といった言葉をつぶやき、遂に断食安楽死を諦めました。
 これらから考えて見ますと、人間が自ら食を断って死ぬ事が極めて苦痛に満ち大変であるか、またその衰弱過程で起こる妄想の中で、死は恐ろしいやはり生きたいという本能が、突如首をもたげて来るかという事が分かります。私たちは確かに元気なうちにコロっと死にたいと願い、又は老衰し自然に死んでゆきたいと思う事があるでしょう。でもそれはなかなか思い通りにならず、聖書の観点からしても間違いです。
 「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある」(伝道3:2)。
 死のかぎを握っておられるのは主である神です。