ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

カール・ポラニーの『大転換』

 「彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである」(詩115:4)。
 長期の発掘を続けていて、☆をつけて下さる皆様への十分なコメントが出来ず、申し訳ありません。帰宅するとくたくたで、ひんぱんに低血糖を起こし、強烈な眠気が襲って志向が纏まりません。その通勤途上で読んだのが上記大著ですが、とても精読まで行きませんでした。
 学んだ事を少々かいつまんで記したいと思います。
 まず私は山砂を採掘している山の頂上で発掘を続け、現在そこを終えたばかりです。縄文時代早期が主体で、石鏃、煮炊き用の土器などが出土しましたが、彼らの文化は自然相手の狩猟採集で、食に窮する事はあっても、格差のほとんどない物々交換の時代だったと推測します。この山にはブナ科のドングリ、そして椎の実や山芋、あけび等が豊富で、彼らもそうしたものを食べていたと推測します。
 その発掘のさなか東京新聞の本音のコラムで、法政大学教授竹田茂夫氏を通しカール・ポラニーの事を知りました。 
 ポラニー(1886年〜1964年)は市場経済の働かない、そうした未開社会の仕事や物々交換に詳しい経済人類学者でした。ユダヤ人の家系にありながら、この本の解説には「キリスト教左翼運動の指導者の一人」とありました。

 本の題となっている「大転換」という言葉の定義は、本文に見つからず、結構難しいので、他のサイトを参照しました。それによりますと、大転換は世界史における2つの転換を指しており、第一に19世紀に世界を席巻した「自己調整的市場」(下記)を掲げる市場自由主義の台頭であり、第二にその失敗として生じたファシズム、米国ニューデイール政策、ソ連社会主義体制の台頭という事になるでしょうか。
 ポラニーは第四章の「社会と経済システム」で、西メラネシア共同体を概観し、彼らの経済が「それとは本来無縁な二つの行動原理―互恵及び再配分によって」成り立っており、欧州では封建制が終焉を迎えるまで、基本的にはそうした構造が長く多彩に続いていたと言っています。
 しかるに18世紀末から本格化する自己調整的市場(=すべての生産が市場での販売の為に行なわれ、すべての所得がそのような販売から生まれること)により、本来商品でない労働、土地、貨幣が、市場に組み込まれてしまいました(=擬制商品)
 竹田教授自身は「大衆から生存権を奪って、労働力を売るしかない状況を生み出した構造的な暴力こそ、市場経済への大転換の前提」と解説しています。
 「そしてこれらは市場経済にとって本源的なものだから、もし社会の人間的・自然的実体が企業の組織ともどもこの悪魔のひき臼から保護されることがなかったら、どのような社会も、そのようなむき出しの擬制システムの影響には一時たりとも耐えることはできないであろう」と言っています。
 こうして「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った」(イザヤ43:7)とある如く、神の栄光の為に尊厳をもって造られた人間は、今や市場経済という悪魔のひき臼によって潰され、99パーセントが1パーセントに隷属する異常な事態になってしまいました。
 私はこの擬制商品という言い回しに注目したわけですが、またマルクス資本論とは違った強い印象を持ちました。それを知っただけでも、読んだ価値があると思いました。同時に今日的立場から考えると、「人類史において資本主義社会はむしろたいへん特殊な歴史的構造体であり、その病理と閉塞を乗り越えるためには、より根本的・普遍的社会である非市場社会の原理を摂取する必要がある」(サイトから参照)のです。言い換えると、労働・土地・貨幣を市場に組み込む事を止め、真の人間の復権を目指す戦いが必要という事です。*筆者不勉強の為、経済的知識の豊富な方からの補足や批判をお願いします。