ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原子力ムラと同じ体質の考古学界

 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」(ピリピ2:3)。
 この10月末で佐原の発掘を切り上げ、11月10日から新たに市川市で1か月ほど行ない、間もなく終了する予定です。通勤途上で東京新聞にて紹介されていた上原善弘著『石の虚塔』を読みました。いわゆる旧石器ねつ造に絡む考古学界のひどい体質を、克明に描いたものです。
 ねつ造したのはアマチュア藤村新一で、ごく少数の考古学者を除き、大半の名だたる学者らが、その石器を一目見れば新石器時代のものと分かるのに見抜けませんでした。というより藤村の犯罪行為に加担し、発覚すると自己保身の為に、沈黙するか、単なる修正で素知らぬ顔つきをし、ひたすらこの事件が忘れ去られるのを待っていて、再登場の機会を狙っているという、まるで原子力ムラと同じ行動を採っています。
 この世界では発掘により何か珍しいものが見つかると、まるで自分の手柄のように自慢し、他人の批判に対して謙虚に耳を傾ける事をしない人が多いです。また経験的な学問なので、多くの発掘を手掛けた人はより知識が深く、そうでない人をあからさまに軽蔑するという、聖書的にも罪深い人がゴマンといるのです。現場でやたら威張りまくる人は、まるで聖書でイエス・キリストが唯一激しく非難された「学者・パリサイ人」に等しいです。
 そうした人は考古学とは何か、歴史学とは何か、古い昔の人々は現代の私たちに何を語りかけているのかといった、大局的な観方を全く持ち合わせていません。考古学の成果を庶民に還元するといった大事な仕事を全くないがしろにしています。そしてだいたいが役所仕事なので、一般に回らない小冊子ほどの本を出すまでは、徹底して秘密主義を貫いています。私の現場でもそうで、ブログで珍しい遺構を紹介する余地もありませんでした。
 旧石器時代の後期については、比較的研究が進んでいるものの、前期旧石器となると北京原人などごく僅かな例があるだけで、何十万年も遡る前期旧石器などいう概念は、ねつ造発覚以前でも確立などしていませんでした。
 それを地層の細かい分析や特殊な年代測定法を抜きに、これは関東ローム層と呼ばれる地層の数メートルから数十メートルの所で発見されたとして、自分が集めた新石器をいかにも古そうな地層の中に埋めてねつ造したのが藤村でした。彼はそれらを旧石器の最も古い時代のものと吹聴しまくっていたのです。
 そしてその藤村の説に乗ったのが、東北大学教授で前期旧石器を執拗に狙い、実績を上げようとしていた故芹沢長介でした。そして同じ東北大学で彼の弟子として勉強し、文化庁に入った岡村道雄らでした(岡村は後に芹沢説に反旗を翻しましたが、ねつ造現場の座散乱木遺跡報告を手掛けたその罪は残ります)。
 一方藤村の立ち上げた「石器文化談話会」のメンバーの一人鎌田俊昭は、明治大学に於いて学長まで上り詰めた故戸沢充則から教えを受けていましたが、やはり前・中石器時代の提唱者で、藤村の石器ねつ造とは無関係だと言っている分、その罪は相当大きいです。ちなみに戸沢門下生で現在明大教授の安蒜政雄らは、藤村説に加担しながら今はひたすら沈黙を守っているようです。悔い改めない分その罪はやはり大きいです。
 要するに、ねつ造発覚までの考古学界は、大半が「確かに見てはいるが、決してわからない」(マタイ13:14)という真に異常でお粗末な世界でした。全く原子力ムラと同じです。
 では発覚の端緒を開いたのは誰だったでしょうか?この『石の虚塔』では、主として二人の人物を挙げています。

 一人は明大を出て筑波大院で研鑚を重ね、旧石器研究の本場パリ第6大学博士課程を終了し、現在共立女子大学非常勤講師をしている竹岡俊樹氏と、国学院大学出身で埋蔵文化財研究業務に携わっていた株式会社アルカの故角張淳一氏です。
左画像は竹岡氏。
 竹岡氏と角張氏はいわば原子力ムラに最初から立ち向かった熊取6人衆、特に小出裕章氏と重なります。
 なぜか?徹底して藤村新一を批判し、学界では冷遇されて来たからです。ちなみに竹岡氏は明大全共闘に加わった者の一人として、私と同様考古学とは何かを徹底して考え、学界の古い体質を批判していたので、冷遇は覚悟の上でした。一方の角張氏は石の虚塔のバッシングを予想し、大変苦しんだ分だけ命を縮めたと言えないでしょうか?当時の前期旧石器推進派は、一介の民間会社社長に過ぎなかった角張氏を寄ってたかって罵倒し、アルカには脅迫の電話が殺到したそうです。
 しかしインタビューを受けた竹岡氏は、「やっぱり、学問いうのはね、人間とは何かを純粋に突きとめるもんやと思う。さらに学問を通じて現代社会の問題をどう解くか、それがないと学問とはいえない」と主張し続けています。全く正当な意見です。
 ねつ造事件から14年経過した今、古い体質の考古学界は、何事もなかったかのように遺跡と取り組み、自分の功績を上げるのに躍起となっています。原子力ムラと同様、この考古学界は解体の対象だと確信します。