再び、いただいたコメントについて 【余命3年の図書館員】にどこまで期待できるか

過日のエントリ

・いただいたコメントについて〜「愛想のいい無能な図書館員」と「無愛想の有能な図書館員」
 http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20100818/1282140677

において、poppen38様よりコメントをお寄せいただきました。比較的長めの文章をお寄せいただきましたので(ありがとうございます!)、前文引用はいたしませんので、適宜前記エントリとコメントを参照していただければと思います。

「酷評」とは残念…

まずは改めて再度の来訪及びコメントをいただきましたことを深く感謝いたします。
また、前回のエントリは接遇の方にばかり拘泥してしまい、結果「ご回答」としては、きわめて不十分であるし、なんだかはぐらかされたような不快感を与えてしまったことをお詫び申し上げます。
ただし、

前回のコメントですが、個人個人の感じ方の違いや、同業者としてそして自分自身に対してあえて厳しく当たっている、というのも理解していたのですが、やはりちょっと酷評が過ぎないだろうか? と一図書館利用者として(主観的ながら)思い、ついコメントしてしまいました。

前々のエントリをご覧いただければ、わかると思いますが、私hatekupoはもはや「同業者=司書」ではありません。現役の場を退いております。
過日のエントリ

・図書館利用は忍耐が必要だ。はじめて気がついた!
 http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20100812/1281609717

にはじまる、一連のエントリは、自らが“一図書館利用者=市民”としての経験を書いたもので、たしかに皮肉というスパイスが強いですが、

  • 特定の館名・個人名は伏せてある 
  • そのときの女性館員の対応は社会通念上、礼儀を欠いたことである

ということで、注意を促す(おかげさまで、私のブログは図書館関係の方々多くにご覧頂いておりますので)観点でエントリを書いたものです。
また、私は少なくとも自分でできなかったこと、努力を怠っていたことをかつての同業者に求めるような、そこまでヒドい人間ではないと思います。
しかしながら、poppen38様が直接(ハンドルネームではありますが)、id:hatekupoを、“酷評が過ぎる”と、私と同じ一市民であり一図書館利用者として「酷評する人間」と指呼されたことは残念なことで、
“これでは私の方こそが、よっぽど「酷評」されているな”
と思って残念でした。
それでも、同時に

hatekupoさんが、図書館職員の現状に大きな問題意識を持ち、また自己研鑽に励まれているのもよく理解できましたし、その自分に厳しくあろうとする態度には感服します。

という立場をご理解いただき、過分なご評価いただいていることには感謝いたします。
ただし、正確にいえば、“励まれている”というのはかつての現役のころであり、今では“禿増している”中年男にすぎません。

コンビニと同じなのです

コメントで、

コンビニはそもそも「買い物」が一番の目的だからこそ、接客の質はある程度でも文句が無いのではないかと思います

とのご発言ですが、別に揚げ足を取るつもりはありませんが、
“図書館はそもそも「本を借りる」が一番の目的だからこそ、職員の質はある程度でも文句が無いのではないかと思います”
という見方も成立します。もちろん自分はこの見方には反対です。
戦後、わが国の図書館づくりにあたって、我々の“大先輩”が“とりあえずの策”として、貸出に特化した図書館サービスを行い、広く市民にまずは利用してもらおう、という考えを出します。この考えは“大当たり”だったと思います。
同時に「貸出中心」は大ヒットであると同時に、図書館員に劇薬・麻薬のような効果をもたらしたと思います。結果我々の“中先輩”は「貸出中心」を“とりあえずの戦術”ではなく金科玉条憲法のように「侵すべからず」として取り扱いました。
同時に機械が入ってきます。ちょっと一般の市民が利用するにはハードルの高い、カード式目録だのがOPACにかわり、利用者は自分で求めの資料の所在を調べ、貸出カウンターに行くという流れになり、まさにセルフサービスのスーパーやコンビニに似てきました。

余命3年の図書館司書

しかし、コンビニと図書館が一番似ているのは、就業構造でしょうか。公共図書館司書の7割が非正規(臨時・嘱託)によって占められています。平たくいえば
「バイト(非正規)が多い」
ということです。
図書館のバイト>非正規職員の場合には、いわゆる「雇止め」という慣行があります。長期間の雇用は地方公務員法(職員の試験登用の原則)の都合で、市町村によって異なりますが、おおむね3〜5年です。私の市では「3年間」でした。
私は、多くのそうした非正規職員とタッグを組んで働いてきました。何事にも「経験」がモノをいう世界。図書館司書も本来その例にもれず、私の実感では10年勤めてようやく1人前といっていいと思います。

「使い捨て」よりも、もっと悪い

よく「非正規職員」を使い捨てカイロや乾電池のように例える人がいます。同情のニュアンスを含んで語られる言葉でしたので、そのまま受け流してきましたが、私自身の見方は(あ、これが「酷評」ってことかな?)、扱いは使い捨てカイロや乾電池よりもはるかに悪い。カイロも乾電池も持てる力(保温力や電力)の全力を使い果たし、捨てられるのです。反面「非正規職員」は、ある程度力をつけて、“さぁ、これからだ!”というタイミングでクビを切られます。
公共図書館の方はともかく、最高学府、しかもノーベル賞受賞者を多数輩出している名門大学の図書館でもクビ切り(こちらは5年)があるのです。くわしくは、下記の京都大学時間雇用職員組合 Union Extasyのブログをご覧ください。

京都大学時間雇用職員組合 Union Extasy
 http://extasy07.exblog.jp/

彼らの主張によれば、この問題の根底に「女性差別」があるといいます。私もその意見に賛成です。図書館司書は女性が多いのですが、私の勤めていた図書館の管理職(もう退職されてます)は、
「どうせ嫁に行くんだから(短期間雇用で)いいんだよ」
と言ってました。
わが国固有の“女性は家庭を守るもの”という旧来の悪習を是認する女性差別発言。この一方でこの管理職は、年度当初、その年採用された非正規職員に向かって、しかめっ面で
「君たちも、市民・利用者からみれば“一人前の図書館員”なんだ。そのことを肝に銘じて、我が館の誇りを汚さぬよう勤務にあたれ」
と訓示していました。それを脇で聴きながら、
「だったら、給与・福利厚生・研修も“一人前の図書館員”にしてやれや、バーカ!」
と心中で罵っていました。しかし、自分は無力でした。それが残念でした。

せめて「接遇」だけは

おお、「研修」という言葉がでてきました。7割近い非常勤職員のほとんどは、とおりいっぺんだけの初任者研修くらいで、本格的な研修を受ける機会はありません。どうせクビになるのですから、あまり意味がないということでしょうし、自治体の幹部もそれでいいと思っているから非正規化を進めるのです。だから、図書館のカウンターに質問しても要領を得ない場合があってもしかたないとしかいいようがない。若葉マークがタクシードライバーをやっているようなものですから。
あまり多くを求めようとするのは、それこそ

というものです。
で、なぜ自分は「接遇」を重視したかといえば、ビジネスマナーだの対応力というのはレベルの差こそあれ、あらゆるサービス業に普遍的に求められます。私が「接遇」を重視したのは即戦力化としてもっと必要であると同時に、それが非正規職員の方々の後々のことも考えてのことでありました。

ぜひこれからも図書館を

以上、自分としては雑駁ですがご回答申し上げました。願わくば、ぜひこれからも図書館をどうぞよろしくお願いします。自分はOBですので、これ以上のご説明はご容赦ください。または、当方はトラバフリーですので、ご自身のブログでも、この続きといいますか、問題提起していただければ幸いに存じます。
長文失礼しました。

追記

あと、図書館の話からははずれますが
>サービス・接遇のスタンダードは、急速に高まっております
日本のサービス業の全体的な接遇の質は、確か世界でもトップクラスだったと思うのですが、それでもまだ要求が高まっているとしたら、それはそれで何か怖い社会だな・・・と、ちょっと・・・・・・思いました。

おおむね同じ感想を持ちましたが、この日本は大阪に万博ができたころ大手ハンバーガーショップの1号店ができ、千葉県の浦安に某テーマパークができ、シアトル系コーヒーが席巻し…といった具合でマニュアルに基づいた画一的・紋切り型の接遇が主流になってきました。それが、日本人が本来からもっている“おもてなし”“一期一会の精神”などと重なっての世界一であって、言葉づかいはともかく、心のこもっていないうわべだけの接遇へと変わっていく悪寒がします。
あわせていえば、“客=利用者”のマナーがそれについていってない。スーパーで、
「これください」
の一言もいわず無言で商品を突き出す子どもに、深々と頭を下げる店員。
私の好きな本は

はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)

はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)

ぶたぶたくんのおかいもの

ぶたぶたくんのおかいもの

などがありまして、いずれも幼児の「買い物体験」を扱ってますが、このような「風景」もいずれは過去のものになるような気がします