「図書館雑誌」にみる日本図書館協会一会員の“もはやこれまで”

アクティブ会員?

「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」


あまりにも有名な第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・フィッツジェラルドケネディ(John Fitzgerald Kennedy=JFK)による、1961年1月20日、就任に伴う演説の一部分です。
私は、小学校の学校図書館において、この“アクティブ・シチズン宣言”ともいわれる、このフレーズに接し、感銘を受けたことを昨日のように思い出すことができます。
以来、30年が過ぎ、JFKのもたらした政策・手腕には疑問を感じるものが少なくないのですが、この宣言に関する限り、親しみと共感・尊敬の念はゆるぎません。その証拠にワイシャツとブレザーはブルックス・ブラザーズを愛用しています。
さて、『図書館雑誌』最新号(2010年11月号(Vol.104 No.10))の特集はズバリ、“これからの日本図書館協会”!
ということで、私も“アクティブ・シチズン宣言”にならって「これからの日本図書館協会」にとり“アクティブ・会員”として考えようと思い、ページを開きました。

格調高い「窓」だが…

まず、コラム「窓」は、不法行為のオンパレードだった前号とは打って変わり、筑波大学名誉教授の永田治樹氏による「コモン財という位置づけ」と題する、まことに時機をえた、示唆に富み、しかも格調高いものでした。
「これならば、今号は、さぞや…」
と、期待も高まります。
ちなみに特集記事は


以上のように8名の方々(敬称は略させていただきました)による7の論文によって構成されております。

幹部無責任時代

さて、トップバッターの西野一夫氏だが、

筆者は個人選出理事という立場でこの間の議論に参加してきた者として, 私なりの問題点の整理と今協会がやるべきことのまとめを行ってみようと思う。

という意気込みはいいのだが、舌の根も乾かぬうちに、

公共図書館出身であるがゆえ, 議論が公共図書館部門に偏りがちであることを, 読者の皆様にはあらかじめお許しいただきたい。

と、ある意味開き直りの発言。巻頭言であること、“常務理事”という要職にもあり、図書館界全体を鳥瞰する立場にありながら、“偏り”を自認して、悪びれた様子がまったくないようです。内容も

図書館員が個人で協会に入会したり, 退会を思いとどまろうとするインセンティブはなんだろうか。


と、問題提起することはよしとしても

第1に,専門職としての資質を磨くための研修を受ける機会が多かったり, 積み上げた成果を公式に認めてもらえるという要素が一番大きいと思われる。 このたび, 正式発足することとなった日本図書館協会認定司書制度の普及と合わせ,協会が主催する中堅職員研修の地方への拡大化や, インターネット技術を活用した Web 型研修を行うなどの工夫が必要と考える。
第2に,地方での会員の集いの奨励や,Web 上での会員同士の情報交換や議論の広場を設けること,などが考えられる。
このような問題提起は、かなり前、私が入会した10年間、ずっと指摘され、実現が望まれていたことでありました。

にもかかわらず、
議論も必要であろうかと思われる
という、官僚的答弁で締めくくるとは、たしかクレイジーキャッツの歌に

ゼニのない奴はオレんとこへ来い!
オレもないけど、心配するな〜

という歌があったけど、昭和の「無責任世代」ここにあり、の感。

メッセンジャーとしての評議員>代議員?

今回、もっともヒドかったのが、「これからの日本図書館協会−一評議員の一考察−」と題する大石豊氏の論考。噴飯物、というよりも飯粒が鼻の穴から出てしまって、しかもまだその一部が鼻に詰まったような不快感を味わいました。

協会は, 統計, 年鑑等, 出版物の刊行をはじめ, 研修, 大会, 政策形成, 見解など, 図書館界の要にあって多様な役割を実によく果たしていると思う。

という、出だしは西野氏と同じく、クレイジーキャッツの『ゴマスリ行進曲』を思い出したし、“偉大なるイエスマン”“大政翼賛”ぶりはお見事というしかない。
それはいいのだが、

公益社団法人になれば評議員はなくなるが,代議員の開始による課題は,各都道府県内の図書館現場で働く職員の生の声や,図書館の実態,諸課題を把握して協会に伝え,事業に活かす仕組みをどうするかにある。

要するに、評議員>代議員とは、メッセンジャー、すなわち“パシリ”にすぎないのでしょうか?
会員全員が参加できる総会がなくなった以上、代議員の果たすべき役割はより重要になるというのに、このようなメンタリティでは困ります。
加えて、大石氏“個人的見解”と断りを入れている割合に、自分の考えというものをほとんど打ち出していないのが気になるところ。最澄ライシャワー、トインビー、ランガナタンと、古今東西あらゆる知識人の知見を引き合いに出しているのは感心するが、それに比して、あまりにも“自分で語る”ことが少なすぎるような…まぁ、わが国の秀才型*1の方はこのような文章を書くし、このような“優等生”であり“偉大なるイエスマン”こそ、日本図書館協会にとって都合のいい、もとい“望まししい会員・代議員”と申せましょう。

暴れん坊将軍、三田の鬱憤を茅場町で晴らす?

“個人的意見”と断っておきながら、それを出さない無責任男とゴマスリ男。このお二人ではマズいということで、アクの強い糸賀雅児氏を起用したのは正解であったいえますし、糸賀氏もまたその「期待」にはよく応え、云いたい放題の感じがします。
その内容一つ一つについては触れませんが、ここでは「図書館教育部会」の前部会長としてのご発言がいただきたいところでした(特集全体が、公共図書館部会に偏っていただけに)。
まぁ、図書館学教育部会長としては、あまりみるべき成果を出すことができず、「認定司書」で名をあげた同氏ですが、「司書職の養成過程」「若手のライブラリアンの成長」を通じ、司書全体の底上げになんら貢献できなかった方が、今度は正反対の「中堅以上のライブラリアンの現状維持」を図るのは、興味深いことです。
また、なんといっても、ご自身が教鞭をとっておられる大学では司書養成課程が廃止の方向とか。俗にいう“江戸の仇を長崎で討つ”というのは、なかなか根性が必要ですが、同じお江戸で、“三田の鬱憤(教鞭)を茅場町で晴らす(強弁)”というのは、東京メトロ的にはきわめて簡単です。
まぁ、暴れん坊将軍にふさわしい行動力・発言力には(マジに)敬意を表しますが、たとえ“名将軍”であっても、それは専制主義・独裁主義の所産ですよ>港区三田の指導者にして茅場町に輝ける星であらせられる偉大なる領袖たる将軍様

的確な指摘もあるが…

以上のようにお笑いバラエティーのような「特集」であるが、素晴らしい指摘をされた論考もないわけではない。
「JLAの公益社団法人としての発展を願って」と題する、森茜氏の論考は、実に的確に問題の本質をとらえているし、「図書館をめぐるすべての人々をツナグ場としての日本図書館協会の可能性」と題した岡本真(id:arg)・平山陽菜(id:humotty-21)両氏の論考も素晴らしかった。特に後者は、岡本氏の意向もあったのだろうが、“これからの若手ライブラリアン”としての平山氏を加えたことは、それ自体が意義があるように思えました。
ですが、これらの方々には申し訳ないが、この3名の方々の原稿は、
「ちゃんといろんなひとの意見もきいてますヨ」というアリバイづくりのためにつくられたように、私には思えました。

討論なき『図書館雑誌』〜そして、私の意見は抹殺された〜

図書館雑誌編集委員会は「特集にあたって」と称した巻頭言を書いています。それによれば、
今回の協会論特集企画は, 新生再生のためのクリティークであり, ポレミークであることをひそかに期待しました。 このラインナップを呼び水として, 次回に続く特集号には読者投稿を呼びかけたい。 さらには, 第3回特集を 「会員論」 として予定できればと考えています。 この連続企画が, 衆知を集約する場でありたいと強く願うものです。
とありますが、原則的に賛成はいたしますし、また、一般会員の忌憚なき意見が続出することを期待したいのです。
が、私自身、まったくしらけているのは、投稿をボツにされた経験があるからです。
私が、『図書館雑誌』10月号のコラム「窓」の住民票請求の不当な取り扱いについて、投稿いたしました。

・ワグナーに耳を傾けながら、日本図書館(界)協会を憂う
 http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20101024/1287922600

にも書き、その後、日本図書館協会図書館雑誌編集委員会から、さもバカにしたような返事

日本図書館協会からの一足早いメリークリスマス
 http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20101026/1288091215

が来たことも書きました。
実は、その投稿、先日編集委員会のM氏から聞いたのですが、
「保留(無期限での)」
処分になったそうです。
理由は

  1. 図書館業務とは直接関係がない
  2. 編集委員会には「住民票」に詳しいひとがいない

というのが理由がそうです。
私としては、納得がいきませんでした。
前者のように“直接関係がない”というのであれば、そもそも“直接関係がない”ことをコラムにする必要はないし、後者について、疑義があっても(私も自説がまったく正しいという主張はしていないので)、再度執筆者(川越峰子氏)からの再反論を掲載すればよい、それこそ「討論」というものです。なにより、掲載された記事に責任を持とうとしない図書館雑誌編集委員会には失望しました。

これで済んだと思うなよ

編集委員会は、私の意見を黙殺するようですが、私としても不正行為は見捨てておけません。このままおめおめ引き下がるわけにはいきません。
あまり、好きになれない方法ですが、以下の要領で「図書館雑誌」に訂正記事を入れさせようと考えています。ほとんどの市役所は公聴制度をとっておりますから、K氏の所属するY市役所に投書することです。もちろん役所は「黙殺」などできませんから、そこでデタラメな仕事ぶりと増長慢ぶりが指摘されることでしょう。とりあえず、12月25日(!)に投書を予定しています。

さようなら、日本図書館協会

で、さて、ハナシは冒頭のJFKの“アクティブ・シチズン宣言”に戻しましょう。齢40代半ばにしてみるこの宣言、本当に勇気のある発言だと思います。国民に“何をできるか考えて欲しい”と語りかけるからには、それに応える責任があることを自覚し、広言するわけですから。
この例にならい、日本図書館協会会員たる自分は「これからの日本図書館協会」にとり“アクティブ・会員”とならなくてはなりません。
が、日本図書館協会は私にとって必要な存在ではありません。
同時に、日本図書館協会にとってもまた、私というものは、必要な存在ではない、というより抹消・黙殺すべき存在であるようです。
さようなら、日本図書館協会。私が“退く=退会”のではない、あなたがたが無進歩・無責任・無定見で“後退”して離れていくのです。

*1:ほんとうは「ガリ勉」と云いたいところだ。