みなさん、ありがとう! このブログ本日「中締め」

みなさま、今まで約3年間、おつきあいいただきまして誠にありがとうございました。
このような場に招じていただいたid:arg氏には特別感謝です。
結果的に、現役よりもOBの期間の方が長くなってしまいましたが、いま本当に満足しています。
だから、ここで「中締め」です。
私は「終わり」とは書きません。退職後ボランティアとして(特に病院図書館の)再登板したいと思っています。
でも、それまでに

  • この「はてなダイアリー」が存続しているか?
  • 残っていたとしても、ちゃんとログインできるか?(かなり自信なし)

とか、あるいは最近の健康をとっても

  • 病院図書館でサービスするつもりが、受ける側(=患者)になってしまう

可能性も高いワケでして…
だから、この場そのものは残しておきます。
ただし、自分自身は「放置に近い状態」にするつもりですので、コメント返しはご容赦願います。
Twitterは、続けます。あまりつぶやく機会はないかと思いますが、若手のフォロー/フォロワーさんの図書館を随時アポなし訪問して激励したいので。
とにかくみなさま、ごきげんよう、さようなら。まだいえなかった“ありがとう”をハイタッチで!*1

*1:で、結局最後はAKBになってしまうワケね

Das gibt’s nur einmal〜人生でただ一度だけの〜

金木犀

遅咲きの金木犀の香りが漂います。
私の勤め先の図書館にも構内に金木犀が植わっていましたし、街路樹にはイチョウ並木が続いてました。
金木犀の花が香る頃、イチョウには銀杏が実る頃でもありました。道路に落ちた銀杏を移動図書館(=BM)は、容赦なく踏みつけ、その果肉と臭いをタイヤに付着させて車庫に入りましたから、あたりは両方の香りと臭いで満たされ、さながら(水洗式でない)トイレのような空気が漂っていました。

私の手元には、ウン十年前の11月1日に教育長からもらった一枚の紙があります。
内容はいたってシンプル。次の一行

司書職を命ず

そう、夏のあいだ「司書講習」を受講した私が、名実ともに図書館法でいう「司書」に就いた辞令です。この辞令こそが司書職たる証であったわけです。

1枚の紙切れに過ぎません。しかし、私の人生では重みのある、重要なものでありました。
「図書館は人の生き死にに関わらない」かどうか、語っておられる方がいらっしゃいましたけど、たった1枚の紙きれひとつで人生に影響をもたらすのですから、それらが数多く重ねられ帳合・製本されたもの〜本が影響をもたらさないはずがありません。
かくいう私も、小学校低学年のころ市立図書館で読んだ本
『しょうぼうじどうしゃじぷた』
に、当時小柄の体格だった私は、おおいに感動し、インスパイアされた結果、非常勤の消防団員になると同時に「司書」にもなったのです。
カウンターに立つ図書館員は、その職の中で何回本を貸すのでしょうか?
その中に、その利用者にとって重大な意味をもっているものがないはずがない、という体験を私はしています。
そして、それを目の当たりにした私は幸せ者です。
たった一度だけ、忘れられないサービスをした、という点でも…

紫陽花

私の司書としての仕事は「移動図書館=BM」からでした。
ツールを慣れた手つきで如意にあやつり、質問をさばきまくるレファレンス・ライブラリアンを夢見ていましたから、これにはガッカリしてしまいました。
BMはなぜ「Out of 興味」だったかといえば、目録もないし、分類しているけど配列は(車両の構造上)めちゃくちゃだし、正直「図書館」とは思えなかったからです。
おまけに、BMは当時“いつ廃止されてもおかしくない”と館長からも言われていたし、他の図書館員からは、
「BMなんかにまわすカネ(=資料費)があれば、本館を充実できるんだけど…」
という発言もあからさまに言われ、こちらから見ると自分の陣地からタマが飛んでくるような感じでしたね。
そうなると、逆に負けず魂に火がつきます。BMでステーション(=巡回して貸出するポイント)に行けば、公園でおしゃべりしているお母さん方のあいだに割って入り、キャッチ・セールスよろしく読書普及をしたりして、ねじり鉢巻でやってましたわ。

で、さてステーションの中に、利用者がゼロに等しい、そんな場所がいくつかありました。
前任者のハナシでは…
「貸出しばかりしていると、くたびれるだろ。だからこういう(お客のいない)ステーションをつくって、一服するんだよ」
などという、どこまで本気なんだか冗談なのかわからない説明だから、「青年将校」としては実に不本意、というか気に入らん、けしからん、と思ってましたっけ。
件のステーションの傍らには古(いにしえ)の豪族が、自らの死後もその権力を誇示するために築かれた巨大な墓=古墳があり、築一千年の時を経て木茂り草生して、自然回帰しつつあるように思えましたし、お稲荷さんが祀られていて少しばかり昼なおミステリアスな場所でした。
こんなステーションはリストラして、と考えていたそのころ、そのような閑散としたステーションで私はある「利用者」とかかわりあいをもつようになります。
その人(=利用者本人ではない)が出現したのは、お稲荷さんの紫陽花が花咲く頃だったと思います。その方は、年金生活者と思われる初老の紳士で
「家内に頼まれてきた。本を貸してくれ」
ええ、そりゃもうこちとらそれが商売(ビジネス)なもんで…ところで何の本をお望みで?
「わからないから、あなたが決めてくれ」
???
「家内がいっていたよ。ここにくる図書館の人に頼めば大丈夫だと…」
まぁ、実のところ自分で本を選ばず、私のすすめる本だけ借りる、という方は少なくなく、また大きな声じゃいえませんが、私としてもそれを「得意」としていたところだったけど、このステーションではそういう方はいなかったように思えるけど…
まぁ、最近読んだ本とか、好きなジャンルとか作家とか訊ねてはみても、まったく要領をえない、覚悟をきめるしかないですね。
私は、二点お願いしました。

  • 気にいらん本があっても文句を云わないこと
  • 借りた本10冊の中で、一番よかったものと読まなかった本をあとで教えてくれ

後者は、私がよくやったパターンです。ゴルゴ13のように「一撃必中」を狙うのではなく、むしろ帝国海軍の戦艦の砲撃〜(遠距離なので)最初からの撃った弾は命中を期待しない。着弾地点と目標の「差」を測りながら修正していく〜に似ています。
けれども、諸元なぞ無きに等しいから、まったくの暗闇にむけて撃つしかないけど、年代・性別を考慮してワザとばらまくように撃つ(=貸し出す)、これならば下手な鉄砲なんとやらで「当たり」の一つでも出れば儲けもの、ということで切り抜けましたけど。

で、次の週「ダンチャーク(弾着)!」と戦艦の砲術長のような独り言(むろん想像だが)をほざきながら、件のステーションへ。
行くと、もう相手は待ってました。
早速、「感想」を訊くと…
「全部読んだ、全部面白かった」
そう伝えてくれとのこと。
はて、私はバラまくように貸出したのだから、
「初弾全弾命中!」
なんてコトはありえない、と思っていましたから、この反応には驚きました。
よくあるように、「驚き」は往々にして「疑心暗鬼」をよびます。
「本当に?」
と、念を押しても相手の答えはかわらない、というより「伝聞」にすぎないのだから、確かめようもない。
そして、その日も同じように本を貸しました。

彼岸花

私は当初、コトの重大さに気がつきませんでした。たまさかの気まぐれみたいなもので、そのうち飽きるか、他所にいくだろう、とか…
でも、その後も律儀に男は現れ、本を返し借りていくのです。私はあれこれ思いをめぐらしながら本を選び、彼はそれをタバコ吸いながらのんびりと待っていましたっけ。
まぁ、楽しくもあり、不気味でもあり、おかしな仕事ですが、だんだん「重荷」になってきます。と、申しますのは回数を重ねると、前にお貸しした本を再び貸してしまう。つまり“カブる”おそれが高くなるからですね。
そこで、私はお愛想のつもりで
「今度お二人でいらしてくださいよ」
と、頼んでみました。すると彼は
「ないよ!」
と一刀両断に言葉を返し、続けて
「入院しているから…」
と、その“理由”を簡潔に語りました。
ならば、
「それでは、ぜひ、お元気になっていただいて…」
“いらしてくださいな”という下の句まで言わせるいとまもなく、かぶせるように、再び
「ないよ!」
そのあと一呼吸おいてから、
「もう治らん病気だ。退院することもない。医者はあと半年もてばいい、といわれたよ」
気負いもなく淡々とした答えが返ってきました。
思わず、目のやり場に困り、相手から目を背けた先には、毒々しいまで鮮やかな彼岸花が咲いていました。

梅は匂い

そうと決まったら、全力投球しかありませんね。
小手先の技術だけでなく、「物量作戦」。新刊を片っ端からリストにしてしまい、彼に「予約・リクエストカード」を渡して、どんどん本人に頼むようにお願いしました(なぜ、これをもっと早い時点でやらなかったのか、私はいまでも後悔している)。
病人とは思えない達筆で書かれた「予約・リクエストカード」が出されると、私のいままでの「砲撃」は“当りとはいわねど遠からじ”であったことを知り、胸をなでおろしたものです。
ただし「リクエスト」だけですべてが足りるわけではありませんでした。彼いわく
「家内は(あなたが)選んでくれる本を楽しみにしている」
とのことであり、そしていつも、私はあれこれ本を選び、彼はニコニコしながらタバコをふかして待っている、そんな風景が繰り返されました。

「異変」は、その「風景」がずっとくりかえし続くように思われたある日、訪れました。
前兆はあったのです。
その数回前から、毎回必ず出された「予約・リクエストカード」が、パタっと途切れてしまったからです。用紙がなくなってしまったのか、と訊ねてみると
「今から出しても…」
と、一言。それでじゅうぶん意思が伝わってきました。「…」のあとに続くのは、
“もう、間に合わないかもしれない”
ということが…

そして、3月7日(この日付だけは忘れたことがない。今でもカレンダーを見るとあの頃のことを思い出す)。
ステーションでBMを待っていた彼の様子がいつもと違う!
あいさつもそこそこに
「すぐに用意してくれ! 時間がないんだ!!」
いつものタバコ吸って、のんびりしている様子とは一変して…
「医者には危篤だといわれている! 病院から外へ出ないで待機していろといわれている!」
そこでため息交じりの息をついてから、
「それでもアイツは、“死ぬまで本を読む、最後の最後まで本を読む、だからいつもと同じように(BMに)行ってきてほしい”といっているんだ! 頼む、急いでくれ!」


その後ずいぶんと図書館でメシを食わせてもらいましたが、あのときほど緊張したことはありませんでした。今思い返すだけで背筋が凍るような思いです。
一人の熱烈な愛読家が、今生の別れに、一生の最後に手にする本、それをこの私が今すぐに!!
なにを貸したか、なんてまったく覚えていない、記憶にあるのは、緊張のあまりバーコードスキャナーとか利用カードを滑って何度となく手落としたりしたことぐらい。
本をバックに詰め、やっとの思いで手渡す。とっさにその場に咲いていた梅の枝を一折りして渡す(持ち主の人すみません)。
あとは、その場にヘナヘナとへたりこんでしまい、運転手の
「時間だよ」
で、ようやく我にかえりました…

タンポポ

で、次の巡回も、その次も彼は来ませんでした。桜が咲き、散って、若芽が芽吹いても…
そして…
督促リストに彼(ら)の名前が出てきました。
私は、ふと思い立って、住民票の係に頼んで「住民基本台帳コンピュータ」を使わせてもらいました(いまなら、ご法度かもしれないが、当時は「督促リスト」さえ持っていけばカンタンに使わせてくれました)。
氏名・生年月日を入力して…世帯主とおぼしき彼の世帯画面を見ると、「妻」の欄に
「平成×年3月7日死亡、平成×年3月8日届出」
との記述が…
「やっぱり、あの日に…」
ご臨終には間に合っただろうか、図書館が原因で死に目に逢えなかったらお気の毒だ、いろいろ思いを巡らせていると、
住民係のオバサ…じゃない女性職員が怖い顔して
「いつまで、そこにいるつもりなのよ!」

次の巡回日。
いつもに戻ったかのように、彼は待っていました。
でも今までとは違うのは、返却だけということ…

私は深々と一礼。彼もそれで意思が通じたらしい、余分な会話は必要ない、
「ありがとう」
と、本を差し出す。

それから私は彼がいつもそうしていたのと同じように縁石に腰掛け、並んでタバコをふかしていました。
ひばりが鳴いていて、鳥鳴き彼の目に涙なし。なにか重要な仕事を成し遂げたあとのように満足した彼の横顔に目をやって…
「最後まで本が好きだったヤツだったよ。あなたのおかげで喜んでもらえた。」
このセリフを聞いて、私は前から抱いていた“疑問”が“確信に近いもの”に変わりました。
入院生活、実直だが不器用そうな初老の男性にできることといっても、そう多くないだろうが、彼は妻のためにベストを尽くしたいと思っただろうし、奥さまはそんな初老の男になにか頼めることといえば…
お互い、タバコを吸い終わり、立ち上がろうとした瞬間、私は自分なりの“推理”を口に出そうと決意しました。
「あの…」
そのあと、言葉は続かなかったのです。突然一陣の風が吹きぬけ、私の口にはタンポポの種が入って咳き込んでしまったからです。まるで、
「それはいわないで…」
という声が、風に乗ってどこからか聞こえたような気がしました。
ようやく立ち上がった私に、彼は利用者カードを差し出しました。
「もう、使わないから」
(持ち主無き)不用なカードは回収するのが決まりです。
でも、“持ち主”はいなくなったわけではなく、ご主人の心の中に在り続けるのです…
私は大きくかぶりをふり、カードを持った手を押し戻しました。
「このカードは、奥さまのものですよ。今までも、そして、これからも…」
彼はほっとしたようにカードを大事そうに胸ポケットにしまいながら、
「そう、させてもらいます。明日は家内の納骨日。骨といっしょに納めてきます」
ハンチング帽を脱いで深々と一礼し、微笑みながら帽子をかぶって帰っていく彼の背中に、私は心中でさきほど云えなかった言葉を語りかけました。
「ご主人、奥さまが愛していたのは本ではありません。それを借りに来るあなたの優しさ、心遣い、とにかくあなた自身こそが大切だったのです。」
と…*1

*1:このハナシ、自分でも出来過ぎの観が否めないので、自分でも怪しくなり、先日10年以上の時を経て、件の場所にいってみた。運転手さんにのせてもらう「BM」と自分で運転する「W」を加えた車では相当に勝手が違ったけど、なんとか目的の場所にたどり着いた。全部が全部というワケでもないがほとんど変わっていなかった。お稲荷さんの社も健在だった。帰りにむしょうに「稲荷寿し」が食べたくなり、スーパーでたらふく買って食べたから、キツネ(おいなりさん)につままれたワケではないけど、“一杯喰わされた”ことは事実である

非常勤と開館時間と

図書館に非常勤が多くなる理由

自治労の調べによると、自治体職員の3人に1人は非常勤職員ということです。図書館員は往々にして「図書館員だけが狙い撃ちにされている」と被害者意識をもつ方が多いですが、程度の差はあっても、実際にはどこの職場でもおこっていることです。ただし、私の実感として図書館は比較的早い段階から非常勤の方の比率が多いようです。このあたりを整理してみましょう。
まず制度面から。非常勤職員が積極的に増加したのは、育児休業制度ができてからだということは前に述べたとおりです。育休を利用しようとする職員のピンチヒッターとして登場しました。産休は女性だけだし育休もほとんどが女性が取得するのが一般でしたし、図書館は職員の男女比率がどちらかといえば女性の占める比率が高い職場であったから、ピンチヒッターとしての非常勤職員勤務が増えるのも当然のなりゆきだったと思います。
次に職場としての特殊性。一般の公務員は地方公務員法自治体の条例で勤務条件がガチガチに定まっています。たいていの自治体では朝8時半ごろから午後5時半ごろが勤務時間で、勤務日も土日は休み。というあんばいで週あたり勤務時間まで決められています。
ところが、一般市民の便宜を図るため、開館時間=就業時間を伸ばす、あるいは土日=勤務を要しない日に出勤するとなると、「条例規則によりがたい場合」が多出してしまいます。これではよろしくない、というよりも複雑怪奇な勤務形態になってしまいました。私も何を隠そう、勤務表づくりを手がけたこともありましたが、とにかく難しいというか出来映えの悪いパズルのようなものでした。苦労した末「作品=勤務表」を提示すれば、非難中傷ボヤキ愚痴のオンパレードに見舞われ、じつに遣り甲斐の無さを感じたものです。ところが、そこに臨時とか非常勤の方がはいってくると、これがなかなかウマくいくわけですよ。しかもご本人は気の毒だけど正規のオバサ…じゃない御姉様方とちがって不平不満めいたことはいわないからますます好都合なのです。
あとはこのブログでも何回か取り扱った「行政改革」ですね。定数削減を目的に正規を非正規に置き換えることが「国策」となれば、同じ置き換えでも「非正規をもって替えがたい」職場よりも「なじんでいる」職場に集中するのは当たり前のハナシです。

司書と市民の「差」

ここで開館時間に話が及んだところで…
地方自治体は頻繁に住民を対象にアンケートを行います。
その結果、

「図書館など文教施設の充実」

という項目が上位にランクインされます。
図書館員としてはよろこばしいことですし、励みにも追い風にもなるのですが…
なにを「充実」させる(してもらいたい)かで、市民と図書館員にはかなりの「差」が生じます。
図書館員は、

  • 資料の充実

などを考えます。当然ですね。
しかしながら、市民は

  • 開館時間・日数の延長

を具体的な要望として出してします。
就労構造が変わり「専業主婦と子ども」から「ワーキングマザー+託児保育施設」が増えてくると、来館困難な方が増えます。
その人たちの身になれば、

  • 使えない30万冊の蔵書

よりも

  • 使える3千冊

を志向したとしても間違いのないことですから。
このあたり、市民全体の意識とか要望に思いをはせなくてはいけないと思いますけどね。

極端なハナシ、日本図書館協会が「倒産」しても、図書館流通センター(TRC)があればいいじゃないか。

あやまちは繰り返しますから…

以前、日本図書館協会の常務理事が、委託問題のゴタゴタを整理したといって胸をはったこと(2010年)は、

・図書館職員は死ななくてもよいが、いい加減なところで消えるべき
 http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20101229/1293628005

にも書いたとおりです。
しかし、映像事業はその後も尾を引いたらしいですね。
ここでまた、あの日あのとき、N常務理事の発言ややりとりを思い出します。

納品の遅れなどでご迷惑をおかけしたが、なんとか元に戻した

ご発言の言い回しとその表情からして、“迷惑をかけた”ことを詫びるより、自らが“建て直した”という、自信と自負が感じられました。私は民間企業の上級管理職の友人が多いし *1、それなりに民間の厳しさを側聞していますが、このような場合、

  • そもそもの発端である、管理体制の甘さを反省し
  • 納品の遅れ等でユーザー(図書館)及びエンドユーザー(利用者)に迷惑をかけたことを詫び
  • 再発防止を誓う

この中のたった一点でもN氏の思考の中にあれば、あのような傲岸不遜はありえなかったように思います。
こちらも酔っていますから、
「TRC(=図書館流通センター)のtool−iは断然便利です。協会は(納品)時間がかかりすぎますヨ」
と、からかい半分で茶々をいれてみました。
すると、
「あんなのダメです! 日図協(=日本図書館協会)の視聴覚資料でなければダメなのです」
と、傲岸不遜の見本市のようにおっしゃったワケです。
このエピソードは、前にも書いたけど、続きを…
「だって、tool−iは便利だし、迅速だし、請求・納品も迅速だし、お客様係によるサポート体制は万全だし、実用性も信頼もはるかに上ですよ!」
と、さらにツッコミをいれてみた。
ここで、女史が理路整然とした反論をしたり、あるいはTRCのサービス内容にあれこれ質問して来たなら天晴れな心映えであると称賛すらできたでしょうが、ご本人は異教徒の呪文を聴いた宣教師のような表情で、
「あんなのダメです! 日図協の視聴覚資料でなければダメなのです」
を、繰り返すのみ。こちらは酒に酔った勢い半分、女史の態度への憤り半分で、さればとばかり、
「日図協の映像事業部がTRCよりも優れている点を具体的にあげよ」
と、さらに押してみた。
なかなか要領をえず、
2〜3回詰め寄っても、答は
「あんなのダメです!」
の一点張りに終わりましたが、同じセリフでも、最後のほうでは傲岸不遜というよりも、“迫害を受けた殉教者”のような態度に変わっていました(それにしても、なぜ図書館オピニオン・リーダーの態度って“おやまの大将”か“被害者”のいずれかですね)。
と、同時にこのようなメンタリティでは、
「再び同様な事件は起きるのではないか」
という“具体的な不安”を感じていました。
反省と学習、この二つが決定的に欠けていたのです。
この予感は(残念ながら、見事に)的中したようです。

TRCはなぜ優等生なのか

さて、私が話題に出したTRCですが…
公立図書館員とTRCの関係にビミョーな雰囲気がでてきたのも確かのようです。
従来の主従関係、ユーザーとサプライヤーのような垂直方向の関係から、TRCが指定管理者に参入することによって、水平〜競争意識・ライバル関係のようなものが生じているためです。
先日も、知り合いの司書が
「TRCは独占しているからケシカラン」
という趣旨のことを述べてました。
“ケシカラン”の中身は“些細なミス〜バーコードラベルの位置まちがい〜で、それもきちんと対処してもらったのだから、それでヨシとすべきところでしょう。それがなぜ“独占の弊害”に発展するのか、わけがわかりませんね。ホント図書館員は…
まぁ、ここで全砲門開いて全力集中射撃を行い、木っ端司書(のカン違いとか傲慢とか)を木っ端微塵にしたところで、面白いわけでもないけど一応考えてみました。
たしかにTRCはMARCの分野で「独占・寡占」状態を生んでいます。
しかし、TRCは自分だけのルールを(競争を背景に)押し付けしているワケでないし、規格の一方的なゴリ押しをしているわけでもありません。さらにいえば、知的財産権の運用に対してもオープンであり(TRCデータ部ログの公開)、厳格ではない(各館独自書誌データ作成にTRCHDを使用しても黙認している。本当のことは知らないが)ことをみると、独占・寡占状態に胡座して、あるいはそれを濫用するそぶりはまったく見られないようです。

TRCあれば安泰です

私は以前、TRCの営業マンと話したことがあります。彼らすべて、おごらず*2、媚びず、自然体であって、その口調にはユーザー(図書館・員)を通じてエンドユーザー(利用者・市民)に奉仕する、という姿勢・自負・矜持がみてとれました。そのような意味で彼等は図書館員以上の“ライブラリアン”ともいえる存在であったとも思えます。
おまけに「図書館の学校」「図書館振興財団」など図書館界全体の向上にも寄与しているのには感心するしかないですね。

さて、ふたたび日図協。幹部が胸をはるのは構わないが、老舗の暖簾という圧倒的に優位な武器をもちながら稚拙なマネジメントでエラーばかりです。
先述の女史は、
「日図協は政府や自治体から補助金を受け取っていない、まったくの自主的な組織だ」
と、自慢します。なんだか政党補助金を受け取らず、専従職員給料未払い続きの革新政党に通ずるものがありますけど、ビミョーにちがいますね。
日図協には「施設会員」があります。公立図書館という「施設会員」の会費は地方公共団体=税金からまかなわれています*3。このあたりの自覚が十分でないと…少なくとも目の前の図書館・員のさらにむこうにあるエンド・ユーザーのことまで考えているTRCとは比較するのも愚かというものです。
まぁ、日図協の財政危機を心配する善良な図書館員のみなさん、あそこは立ち直ってもまた同じような失敗やりますし、TRCがあれば困らない感じだから、放置しておいたほうがいいのじゃありませんか?

*1:こう見えても経済学徒です。うぅ、あのとき都市銀行に就職しておけばよかったのかなぁ…

*2:あぁ、見計らいでコーヒーをゴチになったけど

*3:もちろん、頒布物はもらえるけど

文芸という名の芸に奔り、リテラシーを忘れる…

少し前の話題ですが、総務省自治行政局選挙部管理課が「常時啓発事業のあり方等研究会」最終報告書を公表しています。

「常時啓発事業のあり方等研究会」最終報告書の公表(平成24年1月10日
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01gyosei15_02000033.html

サブタイトルは、

社会に参加し、自ら考え、自ら判断する主権者を目指して
〜新たなステージ「主権者教育」へ〜

「まえがき」では

本研究会は、以上のような状況を踏まえ、時代に即した新しい「社会に参加し、自ら考え、自ら判断する」主権者の姿を念頭に、常時啓発のあり方について検討を行ってきた。7月には中間取りまとめを行い、さらに議論を重ね、このたび、最終的な取りまとめを行ったので、ここに報告を行うものである。

とあります。あまり面白くもなさそうな文章ですが、要するに
「選挙へいこう」
ということですね。
さて、本文をめくると新鮮に感じたのが

政治的リテラシー

という言葉ですね。あまり聞き慣れない言葉なので試しにGoogleで検索をかけてみたら、それなりの件数がHITしたけれども、流通は限定的に感じました。ちなみに件の総務省の資料には括弧書きで

政治的判断能力

と書いてあるものもありました。
ならばそう書けばいいのに、なんて思ったりもしますが、今日では、「メディア・リテラシー」とか「情報リテラシー」などと、“リテラシー”というのが流行しているラシー。
で、政治的リテラシーの内容はといえば、

情報を収集し、的確に読み解き、考察し、判断する

これでは、単なる“(情報)リテラシー”じゃねぇか、などと思ったりもしますが…
ならば、どのような情報に接するか、という点や、そもそもリテラシーを行なう場としての「図書館」の意義付けが与えられてもいいような気がします。
しかしながら、このブログを続けてきた私からすると、

図書館員のリテラシー

には、疑問符がつけられるからです。
たしかに、それなり学歴があり、文芸に関心がある方は図書館員に多いと思いますし、私も、それには率直に敬意を表したいと思います。
では、なにゆえ図書館員の“リテラシー”に疑問を持つか、といえば法令等を読解(=読んで解釈する)能力が決定的に劣っているとしか思えないからですね。このブログ主宰者としては*1
まぁ、“文芸に通ず”といえば結構だけど、“文芸という「芸」”に奔っただけ、という風にもみえなくはないですね。

あれ、で「本題」のことですが、常時啓発〜選挙に行こう〜のことですが…
行政があれこれ述べたところで、投票率がそうは簡単にあがるとは思えません。
むしろ、

・平成22年国民生活基礎調査の概況>4 世帯別の所得の状況
 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa10/2-4.html

によれば、国民一世帯あたり年収の「中央値」は438万円ですから、それと国会議員の歳費とか地方自治体の首長の給与を表示して、読み書きじゃなくソロバン、つまり

勘定問題

にしてしまえば、と思います。
数字ならば、やれ貸出密度などの数字を重視する(ありがちな)図書館員もこれならばOKさ!
ということで…

*1:反論する向きもあろうが、日本図書館協会のエリートたる図書館雑誌編集部が http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20101226/1293366142 のようなご覧の有様では弁解の余地ナシだ

これからの図書館界は「5年制」?

日ごろの報いでしょうか。頭痛と嘔吐に見舞われ、検査入院から帰還しました。
本日は、そのリハビリということで、前回からの図書館ワーキングプア問題について、ですが…
まず「雇用」ですが…
私は安定した(雇用)環境でなければ人材は育たない、と思っています。
しかしながら、一方で“逆境”にあっても力を発揮する図書館員がたくさんいることも知っています。
次の「職場(環境)」の問題
有能な司書ほど若手や周囲の意見に率直ですが、“自分で有能だと思っている司書”は、その逆です。
有能な若手は、問題意識をもち提言をしますが、封建的な職場ではそれが仇になることも…
かなり、ややこしい、というか矛盾に満ちた世界。
乱暴な思いつきですが、図書館員は
「1職場に5年まで」
ということを前提に考えるべきなのです。そのようなことを申しますと、私がさもそれを“奨励”しているかのように思われるでしょうが、現在の雇用情勢をみる限り、理想論とか、画に描いた餅のようなことをいっている場合ではないだろう、より現実的な対応も考えていくべきじゃないかと思います。
少なくとも日本図書館協会の認定司書のような「ベテラン優遇」というのはやめることです。
私も職場の民営化はともかく、いずれは「定期異動」で行政の異なる分野に行くだろうと、予想はしていました。一定の期間「5年間」で完全燃焼する気迫はあってもいいのです。
問題は、培った知見をいかに次の職場で活用するか、ということですね。
特に民間委託受託者・派遣会社等に属している方の場合、「5年間」の功績とか実績とかを次の雇用でいかに活用できるようにするか、ということです。
あれこれ考えておりましたら頭痛がヒドくなりました。尻切れトンボですみません。

図書館を動かすのは若手なんだけど

このブログも終わりまで10日間を切りました。
過去のエントリを読み返しましたが、「小役人根性」丸出しのエントリばかりですから、読み手がなくなってしまっても正直無理もありません。
逆にいえば、私のように、図書館行政に正面きって取り組む図書館員がいれば、もう少し今のようなまともでない図書館界にはならなかったかもしれない、そんな気がします。
え、
「何が“まともでない”のか?!」
ですって…
まぁ、今までのエントリ見てくださいよ…

等々があります。
今日、これからお話しすることも、おそらくその一つに数えられると思います。

近頃Twitterで耳にする「図書館員の不自由」…

最近、Twitterで若手ライブラリアンの
「やり場のない思い」
に接することがあります。
賃金とか、待遇とかの

  • やり場のない悲しみ・怒り

ならまだしも、傍目でどうにも切なくなるのは

  • やり場(実行・行動力や権限)なき前向きな改善

とか、

  • やり場(発言力)なき疑問・提言

ですね。

実りの秋

季節は「実りの秋」です。栗や柿などいろいろな実りが季節の豊かさを感じさせます。
“桃・栗3年、柿8年…”
といわれていますが、芽ふきから実りまでの時間は長いものです。
ところが、昨今の図書館員の「発芽」したあとを考えると、

  • 直営職場では「雇い止め」
  • 指定管理者では「労働契約法により実質上5年まで契約*2

という現状からは、自分で考えた企画とか自分自身についても、「桃(3年)」は何とかなったとしても「柿(8年)」は危うい。「柚子(13年)」のような大器晩成型の図書館員はお目にかかれないでしょう。

地雷を踏んだらサヨナラ

「柿」で思い出しましたが、過日のエントリで、出てきた「第三(の人生)の男」。そう、
「アイツはクビだ。使えなかったから…」
「代わり(の司書)は、掃いて捨てるほどいるんだからさぁ…」
という台詞をくわえタバコで云っていたあの男、また金曜日に車イス用にメルセデスを止めてやがる、思わず柿をぶつけてやりたくなる衝動にかられました(もちろん、やらなかったけど)。
まぁ、このようなブラック業者あたりだと、たとえ前向きな発言とかまっとうな批判とかごもっともな疑問・疑念を投げかけたところで、「不満分子」にされてしまう可能性は大きいです。
なぜなら代りは掃いて捨てるほどいるから。

直営にあっても

ならば、直営職場、しかも立場の安定した正規職員でも若手が“云いたい放題”が許されるワケではありません。“職務職階制”というカースト制とか、わが国お家芸の“年功序列”があるからですね。
公立図書館界もリカウント教育は分野・対象ともにごく一部分にとどまっています。
一方、若手の図書館員は司書講習を履修して間もないから、最新の知識・理論を入手してやってくることから、こと理論とか制度について、若手の知見がベテランのそれに勝る、ということはよくあることです。
ここで、若手がうっかりベテランの仕事に一言二言云おうものなら、必然的にボス格あたりの不興をかい、プライドを傷つけ、「村八分」状態に陥ることも、」少なくないですね。

前も後ろもないミドル

まぁ、“よせばいいのに発言”で“村八分”になったことは、私も経験がありました。
ただし、世の中よくしたもので、中堅世代〜ミドル〜がそれを助けてくれました。
若手の意見を代弁したり弁護したり、また長老司書のメンツにも配慮しながら、妥協点をつくったりします。
一度は先輩にダメ出ししたアイディアを“自分の意見”のようにうまくことを運び、首尾よく成功した暁には、
「これはAさんのアイディアです!」
と“暴露”し、若手に花と自信を持たせることもありました。
残念ながら、私のあとには「正規司書」は不在でした。「非常勤のフォロー」はできるだけやったつもりですが、「非常勤職員のフォロー」は「若手の正規職員」以上に難しかったことも事実でした。

図書館を動かすもの

さて、
若手VSベテラン
という対立関係。これは結果として互いの緊張感や競争意識などを産み、図書館の推進力の一つになっていたと思うのです。
火花を散らして爆発、というと危ないイメージですが、私の自動車の中では絶えずプラグからの「火花」とガソリンと空気の圧縮で「爆発」を繰り返しています。
電車・電気自動車についても、電動機(モーター)とは「作用・反作用」の繰り返しでしょう。
ただし、そのような「光景」は過去のものになろうとしています。
なんだか図書館の“推進力”が、また一つなくなろうとする感じ・寂しさがします。
いまは、「惰性」でなんとかなりますけど…

*1:ただし、私は結果として「指定管理者」の「成果」を評価している。あくまで法令解釈・手続き上の問題として指摘しているまで

*2:http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20121009/1349785626