ディドルディドル、猫とバイオリン

2015-08-12

[][]俯瞰するニンジャスレイヤー

大型エピソード「ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ」が完結し、忍殺の本アカウントhttps://twitter.com/njslyr)では現在クールダウンを意図したような独立した好短編が連載中。

メインストーリーには大きな動きのなさそうなこの機会に、『ニンジャスレイヤー』における物語を俯瞰して眺めてみたい。


ニンジャスレイヤーの物語の大枠

ニンジャスレイヤーにおける物語の大枠は以下の3つ。


1.時系列シャッフルされた連作短編。それ単体でおもしろい「ニンジャが出て殺す短編」がモザイク状に組み合わさっていくことで、より大きな物語が浮かび上がる。

2.縦軸としてのロングスパンな復讐劇。突き詰めるとフジキドの復讐の相手はダークニンジャことフジオ・カタクラであり、ナラクの復讐の相手はカツ・ワンソー。神秘の彼方に隠されたカツ・ワンソーに対してフジオは比較的手に届きやすいところにいるが、第二部以降裏主人公として覚醒したフジオはカツ・ワンソーとの対決を目指しており、結果としてフジキドとナラクの復讐の旅の終着点は同じ場所になる。また復讐の達成は物語上の謎が明かされる時までサスペンドされ続ける。

3.ネオサイタマという都市と近未来日本を舞台とした群像劇。猥雑なサイバーパンク日本の描写とそれを彩るジョークや風刺が作品の主眼であると言っても言い過ぎではないだろう。


なお物語としてのジャンルに違いのある2の要素と3の要素を結びつけているのがコトダマ空間というアイデア。

1・2・3の要素は忍殺の第一部・第二部・第三部の各パートに共通して存在し作品全体の軸になっているが、どの要素が前景化しているかによって各部のテイストの違いが生まれている。

また各部の中盤に負けイベントが配置してある点や、ハッカーニンジャの攻略が敵組織打倒の鍵となる点は各部で共通であり、大きなリフレインを為している。


第一部 ネオサイタマ炎上:復讐のミニマル・ミュージック

ゲストキャラクターの再登場率の低さ、協力者の死亡率の高さ、敵組織が比較的一枚岩で派閥争いのような中規模なイベントが少ないことなどにより、第一部は忍殺各部でもっとも連作短編としての性質が強いパートとなっている。

各話の視点人物が抱えた事情や悲哀、そしてニンジャスレイヤーとゲスト敵ニンジャとの戦いが繰り返し描かれ、シンプルでストイックで独特のグルーヴ感を宿しているところに第一部の魅力がある。

一方でサブレギュラーが少ない分だけ、フジキド・ケンジ自身の物語に焦点が当たっているのも第一部の特徴。妻子との死別・ナラクの憑依・ゲンドーソーへの弟子入り・盟友ナンシーとの出会いといったいかにしてフジキド・ケンジはニンジャスレイヤーとなっていったかというオリジンの物語が第一部にはある。

ニンジャスレイヤーがソウカイニンジャを殺して殺して殺して殺す復讐のミニマル・ミュージックという第一部の面白さの特性の極地が、第一部最終話「ネオサイタマ・イン・フレイム」におけるシックスゲイツ6連戦やラオモト・カンの7つのニンジャソウルの連続撃破。また、ニンジャスレイヤーオリジンの物語としての側面もラオモト戦でのフジキドとナラクの和解によってひとまずの完成を見ることに。

そしてまた、最終決戦を前にした古参のシックスゲイツのヘルカイトの述懐を踏まえて第一部を振り返ることにより、ニンジャスレイヤーと戦い滅んでいったソウカイ・シックスゲイツという組織のたどった歴史もまた第一部を貫く裏の主要プロットだったのだなあということがわかる。


第二部 キョート殺伐都市:抑圧される階層間移動

第二部は神話的ロングスパンの復讐劇としての忍殺の縮小版であり、敵・味方・トリックスターが入り乱れる圧倒的なエンターテイメント性を誇る。

第二部の特徴は敵組織ザイバツの位階制度と、地下型階層都市キョートと言う2つの階層構造の存在と、階層間移動に対する抑圧。

ニンジャを虐げるニンジャ達もまたより上位のニンジャの陰謀のコマに過ぎないというザイバツニンジャたちの抱えた悲劇性と、表層ばかりを取り繕って貧困と悪徳を下層へ下層へと押し込めていくキョートという都市の有り様との二重の階層構造の中で、最も深い秘密を抱え最大の抑圧者として君臨しているのがロード・オブ・ザイバツ。

二重の階層構造と階層間移動への抑圧は、第二部の物語に目をそらすことを許さない凄みのある面白さを与えているが、それだけでは面白さの方向性が陰気な方に振れすぎてしまう。そこでそれを補っているのが縦方向の階層間移動への抑圧とは対照的に活発な、キョート―ネオサイタマ間の横方向の移動。東へ西へと精力的に移動するニンジャたちの姿は物語に勢いのある面白さを加えている。

階層構造という視点から考えた場合第二部のターニングポイントとなっているのは「アウェイクニング・イン・ジ・アビス」。階層構造のどん底であるキョート最下層コフーン遺跡に、フジキド・ガンドー・デスドレインが集まっているという点が重要。ガンドーとデスドレインは死にそうで死なないことが何度かあるが、それは別に作者に贔屓されてるとかではなく、キョート市民の希望の灯であるガンドーと悪の精粋であるデスドレインはキョートという都市の生命力そのものであり、彼らがキョート最下層から上昇しながらやがてキョートを支配する僭主ロード・オブ・ザイバツに挑んでいく事は第二部のプロットにおけるもっとも重要な部分と言える。

階層間の下降と上昇というモチーフは、また別のターニングポイントエピソードである「リブート、レイヴン」においても、琵琶湖に投げ込まれたガンドーが過去の記憶に沈み込み、そこからまた浮上することがザイバツへの反撃の起点となっている点でも踏襲されている。またこれはほぼ同じ時期に起きていたエピソードである「ディフュージョン・アキュミュレイション・リボーン・ディストラクション」でフジキドがマルノウチ・スゴイタカイビル地下の巨大空間で太古の記憶に触れていたこととリンクしている。

第二部最終話「キョート:ヘル・オン・アース」ではキョート城の浮上とともに抑圧されてきた都市の階層間移動がついに決壊、キョート下層からはモヒカンが溢れ出し、都市を覆う死と混沌を餌に天に向かって伸びる暗黒の大樹によってデスドレインはキョート城を目指し、また一方で東のネオサイタマからは決戦兵器モーターツヨシがロケット推進でぶっ飛んでくる。

キョート城天守閣最上階にてガンドー・デスドレインは再びまみえ、そしてそのふたりをさらに代表するニンジャスレイヤーがキョート城の屋根の上にて抑圧者ロード・オブ・ザイバツと雌雄を決する。

なお第二部最終決戦に集まった者たちのうち、ニンジャスレイヤーとガンドーとデスドレインとロード・オブ・ザイバツとダークニンジャとザ・ヴァーティゴはみな、自身の中にほかの人間の命を抱えそれを力に変えているという点で共通しているのが理由はよくわからないが面白い。


第三部 不滅のニンジャソウル:ネオサイタマにおける今、この時代

第三部については、まずこちらの記事http://blog.livedoor.jp/otaphysicablog/archives/1835287.htmlで忍殺は空間軸ではなく時間軸で物語を作っているという指摘があり慧眼だなと思う。

 遅まきながら読みかたを根本的に間違えていたことに気づいた。私はこれまで、この作品は基本的に空間軸で話をつくっていくタイプのものだ、と思いこんでいた。つまり、一つの街のような限定された空間に奇人怪人超人を大量に放りこんで、そこでのバチバチとした化学反応を楽しむのが主眼であって、ニンジャ云々は、なぜそんな奇人怪人超人が存在するのか、という説明を省略するための馬鹿設定にすぎない、と思いこんでいたのである。しかし、この巻に至って、延々とニンジャ神話的真実が語られはじめて、ようやくこの作品が時間軸で話をつくっていこうとしていることがわかった。どうりでネオサイタマやキョートといった都市そのもののキャラクターが薄いわけだ。地理ではなく歴史が物語のエンジンだったのだ。

第三部は他のパートと比較してネオサイタマという都市を描き出すことにより重点が置かれているが、その描き方はやはり時間軸の中における都市に焦点が当たっている。時代の移り変わりという縦軸を前提としての、都市の諸相という横軸の描きが第三部の特徴であり、言い換えればネオサイタマという架空の都市におけるいまこの時代を、あるいは歴史の動く転機を描くことが第三部では目指されているように思う。そのために多数の単発エピソードがあり、また他のパートよりはるかに多いサブレギュラーの存在があるのではないか。

動機を失ったフジキドを欠いたまま状況が拡大していく「フー・キルド・ニンジャスレイヤー?」は第三部の縮図と言えるし、「サツバツ・ナイト・バイ・ナイト」は都市の過去と現在をつなぎ、「ゼア・イズ・ア・ライト」&「リヴィング・ウェル・イズ・ザ・ベスト・リヴェンジ」は都市に訪れた大きな転機を描く。そうしたいまこの時代の描きの頂点にあるのが「ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ」と言えるし、第三部最終話はあるいは都市の終局を描くのかもしれない。

なお都市(それもネオサイタマとキョート)における激動の時代を描くという点で第3部は幕末ものの大河ドラマ的だが、主人公を背負う艱難辛苦という点を加味すると『レ・ミゼラブル』が一番近い気がするので、以前からヘッズの皆さまにミュージカル映画のやつをおすすめしている次第。

また第三部の敵組織アマクダリの天孫降臨神話モチーフが、作品設定の開陳とともにどのように展開していくのかも第三部の見所の一つである。


その他

忍殺は第四部が存在することは明らかにされており、WEB版のニンジャ名鑑に掲載されている未登場ニンジャの紹介から推測するとポスト・アポカリプスものなんじゃないかと思えるが、こうゆうのはけっこう引っ掛けだったりするので予断を許さない。しかし第三部で死なずにジョン・コナーないしはイモータン・ジョーのポジションになってるチバくんとかすごい見たい。


また、忍殺のヒロインズはわりと冒頭にあげた物語の大枠に根ざした存在となっていることが多いように思われる。つまり一話完結でニンジャスレイヤーとソウカイニンジャとの戦いを描くものとしての忍殺におけるメインヒロインは、虐げられたモータルの代表としてのフジキド・ケンジの妻フユコであり、神話的ロングスパンでの復讐劇あるいはその背景としてのニンジャ歴史絵巻におけるメインヒロインがドラゴン・ユカノであり、サイバーパンク群像劇としてのニンジャスレイヤーにおける電子のヨメがナンシー・リーである。ただし第二部に限定した場合虐げられたモータルの代表はシキベ・タカコになる。

アガタ・マリアとコヨイ・シノノメはフユコの従格のキャラクター、ユンコ・スズキはナンシーの従格であり、パープルタコは何人かいる悪の組織の女幹部ポジションにあるキャラクターの一人だがフジオやナブナガ・レイジの物語におけるヒロイン的な立ち位置にもいる。アズールは既存の価値観への信頼が崩壊した世界に生きている子であって、世界の本質を見ているという点でレイジにも近いが、もし第四部がポスト・アポカリプスものであった場合は世界観とキャラクターの精神のシンクロ度合いが高まるため作中での重要度も上がるかも知れない。

エーリアス・ディクタスは本来なら存在しない人間であり、出自も含めてどっちかっていうとザ・ヴァーティゴさん時空の人たちに近い存在と言えるのではないか。構造に根ざさないニュートラルな立ち位置にいること、そしてその場所からふとした縁やちょっとした善意で物語に関わってくるところにエーリアスの魅力の一端がある。ふとした縁やちょっとした善意という点についてはレッドハッグも共通といえるか。


ヤモト・コキは主人公フジキド、裏主人公フジオに次ぐサブ主人公の筆頭であり、モデストな美徳を持つ女子が多様な価値観の氾濫する都会へやって来る流れはNHKの朝の連続テレビ小説に近い。

ヤモトはその半生を描かれるものとしての主人公である。対してフジキド・ケンジは、自身は人間社会に関わらない異邦人だが、個人的な動機に基づく戦いが時に市井の人々にとっての救いになることもある、旅の任侠や仮面ライダー型のヒーローである。また特に第三部においては事件解決の機能を持った存在としての探偵という属性を与えられている。

そしてフジキドの仇敵たるフジオ・カタクラは、大業を成すが不和と悲運を招く神話・伝説における英雄のような存在であり、フジキドとフジオという種類の異なるヒーローによる噛み合わない英雄譚がニンジャスレイヤーという作品のエンジンになっているのである。