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熊本転居日記(普請中)

2018-03-18

山代巴編『この世界の片隅で』

 広島市在住の高雄きくえ氏による「『この世界の片隅に』閉じこめられる日常」(『WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin』2017/7/15)より。高雄氏は、広島で「ひろしま女性学研究所」を運営しているフェミニストである。
つながる/ひろがる/フェミ・ジャーナル -ふぇみん-|インタビュー

アニメ映画この世界の片隅に』は、広島・呉でも昨年11月に公開されて以降いまだに上映されています。(中略)「戦争の悲惨さを声高ではなく静かに訴えている」「戦下の日常を淡々と描いている」ことを人々は称賛し、異見を挟むことさえ憚られる状況です。
 東京で見た知人は、「涙し感動した」鑑賞者が終映後「一斉にスタンディングし拍手をした、もちろん私も」と語り、別な知人は「あの映画のどこに感動し、どこで泣けばいいのか」と苛立ちをぶつけます。どちらにしても、私には多くの戸惑いと違和感が付きまとい続けています。
 その一つが『この世界の片隅に』というタイトル。広島原爆被害を記録した山代巴編『この世界の片隅で』(1965年)のパクリ(きっと)なのですが、「で」を「に」に変えただけ、なのでしょうか。この違いがそもそも私には大きな違和感なのです。
 山代巴らは「在日朝鮮人、被差別部落民、沖縄人」などマイノリティーである被爆者を訪ね歩き、この世界の片隅〈で〉苦しみ続ける存在を世界にひらこうとしました。しかし「嫁ぎ先にも愛される“すず”の日常」は、「家族物語」としてこの世界の片隅〈に〉閉じ込められています。
 「内向き」は、「感動」は呼びますが「問い」を封じ込め、必然的に「声高に叫ばざるをえない人々」への疎ましさをさらに生み出すことにはならないでしょうか。
引用:加納実紀代(@ikuta1665)さん | Twitter


 高雄氏は「パクリ」とかなり強い言い方で批判しているが、実際に『この世界の片隅に』の原作者・こうの史代が、作品執筆に際して山代巴編『この世界の片隅で』を念頭に置いていたのかというと、本人は否定しているそうだ。
 この点については、ブログ紙屋研究所」で次のように論じられている。

 山代巴編の本書『片隅で』は、被爆した広島についてのルポであり、『片隅に』とあまりにも近接したジャンルの本である。
 『片隅に』を描いた、こうの史代が、『片隅で』を知らないはずはなかろう、とぼくは思っていた。それを意識して書いたタイトルに違いないと思ったからだ。
 ところがこうのは、ファン掲示板で次のように書いている。

 実は「この世界の片隅で」は、機会が無くて、わたしはまだ読んでいないのです! ただその存在と、「原爆に生きて」の内容と被っているらしいという事を知っていた程度なのでした。というわけで、「この世界の片隅に」とは無関係なのでした。ごめんなさい!
最近出かけてばかりだ | こうの史代ファンページ 掲示板 | 5891

 読んでいないし、「無関係」なのだという。
 こうのが原爆について描いた物語『夕凪の街 桜の国』では参照文献として山代巴の『原爆に生きて』が取り上げられており、前述の掲示板でも、こうのは山代について、

勿論山代巴には大変な敬意を抱いていて、この人のおかげで原爆文学は大きな広がりと奥行きを持った事は疑いようがない事実ですが、わたしに許されるやり方とはちょっと違う気もしています。

と述べている。
引用:この世界の片隅で

 ここでブログは「邪推」と断りながら、「こうのと山代の手法は大きく異なること」から「あえて距離を置くために「読んでいない」というふりを、こうのはしたのではないか」と述べた上で、 

『片隅に』を読む際に、本書『片隅で』を対象をなすものとして読むことが、『片隅に』を深め、広げていく、豊かな読書法になると信じる。

と結論付けている。

 上記ブログ中で引用されたこうのの発言は、ブログ「今日、考えたこと」で後の省略個所も含めて掲載されている。こちらの方が発言の真意を捉えるのによいだろう。

最近出かけてばかりだ
投稿者:こうの史代 投稿日:2010年 3月14日(日)13時19分24秒 X047192.ppp.dion.ne.jp

 実は「この世界の片隅で」は、機会が無くて、わたしはまだ読んでいないのです! ただその存在と、「原爆に生きて」の内容と被っているらしいという事を知っていた程度なのでした。というわけで、「この世界の片隅に」とは無関係なのでした。ごめんなさい!
 勿論山代巴には大変な敬意を抱いていて、この人のおかげで原爆文学は大きな広がりと奥行きを持った事は疑いようがない事実ですが、わたしに許されるやり方とはちょっと違う気もしています。大田洋子に対しては自分の運と健康を分けたいぐらい惚れているのですが。今思うと、「この世界の片隅で」まで読んでしまうとぐらついてしまいそうで、それで必死で探してでも読もうとしなかったのかも知れません。
 しかし、「原爆エレジー」という言葉はいいですね。
 実はわたしも「この世界の片隅に」では、最初から原爆以外の戦災を描くと言っていたにもかかわらず、すずが被爆しなかった事や、すみが死ぬところまで描かれていない事、黒焦げの死体の山なんかが出てこない事を、あからさまにガッカリする人を目の当たりにしたりしたものでしたよ…。でも自業自得なのかもしれない。広島市で、原爆についてしか学んでこなかったわたし自身は、呉戦災について語ってくれようとした祖母に対して、そういう態度をとらなかっただろうか。そういう人に会うたびに、そんな強い自責の念に駆られたりします。今となっては、そんなわたしを許してくれる人は永遠にいません。決して許されないまま、一生を終える事になるのでしょう。
 「原爆エレジー」は、原爆が「最も威力ある」兵器として登場させられる点で、「権威主義」の一種ではないかとわたしは考えたりしていますが…、右か左か核容認か反対かというおもての意見の対立とは別の次元で、原爆を過大に評価(あるいは批判)するかそうでないか、という別の対立が隠れていて、それは事実や知性の問題ではなく、描き手と読み手の人間性の問題なのだと思います。この辺の事は、いずれ平凡倶楽部で書くと思います。
引用:「『この世界の片隅に』(こうの史代) メモ」について 今日、考えたこと/ウェブリブログ


 こうのが「わたしに許されるやり方とはちょっと違う」と評した山代巴の「やり方」とは何か。それは一言で表すならば、被爆者同士の連帯や被爆者自身による運動を組織化していかなければならない、という発想の有無だと思う。
 例えば、こうのの作品では、最後にすずと周作が母親を失った女の子を「家族」に迎え入れる。これについて前掲の紙屋研究所は「原爆孤児を「養子」にむかえる」という結末が、山代著に見られる「「原爆孤児国内精神養子運動」を含めた広島反戦平和運動を水脈として持っている」と指摘している。

 しかしこの行動は確かに、上記高雄氏の言うように一家族内の範囲内に留まっており、「運動」として組織されたものではない。
 これは勝手な憶測だが、こうのは、組織や運動が囚われがちな手の届く日常性からの離脱、政治性や集団性や権力性といった世界に、どうしても馴染めないものがあったのではないか。日常のトリビアルなものへの凝視は、すず達主婦の目線を通して細大漏らさず書き尽くされている。そして『この世界の片隅に』は、そのような日常性の延長線上に原爆を描きたかったのではないだろうか。
 そしてそれは、すずの物語が1946年で終わっているのに対して、『この世界の片隅で』が、むしろそれ以後の20年をいかに生き抜いてきたか、に焦点を当てているのと無関係ではないように思う。山代が「まえがき」で振り返るように、「今では「原爆を売りものにする」とさえいわれている広島被爆者たちの訴えも、地表に出るまでには、無視され抑圧された長い努力の時期を経過して」いるのであり、戦後社会にその声が聞き入れられるために運動の力が不可欠だった。そして声を上げることが、当事者にとっても認識の変化をもたらした。

川手健は、一般被爆者の手記を集めるためには、被爆者の組織が必要であるといい出しました。しかし組織するためには、まだ立ち上がれずにいる被爆者の家を、一軒一軒訪問して、彼らのところにある要求や訴えを聞かなければなりません。『原子雲の下より』を編集した仲間たちは、その夏からこぞって被爆者の家を訪問することになりました。そして一人一人のまだ立ち上れない苦しみを聞き、要求や訴えを手記にする手伝いをはじめました。これは詩人や作家にとっても、全く新しい道でありました。ものを書いたことのない被爆者たちも、自分の体験を文章にするなかで、自分の思いを確かめることができ、その言葉が活字になって出ると、未知の人に理解される喜びがともない、次第に自分の訴えに自信を持つようになって来ました。そしてこのいとなみを通して、被爆者組織の礎となり、進んで原爆禁止の戦列へ加わって行く人々が続出しました。この事実から考える時、被爆者の手記集『原爆に生きて』は、今日の被爆者組織の礎石であったといえましょう。

 事実、『この世界の片隅で』の各章の多くは、当事者の力強い認識の変革を書き記すことで終わっている。山代は、このような自他に及ぶ認識の深化を「闘い」と呼んでいる。

 この本の名を、『この世界の片隅で』ときめました。それは福島町の人々の、長年にわたる片隅での闘いの積み重ねや、被爆者たちの間でひそやかに培われている同じような闘いの芽生えが、この小篇をまとめさせてくれたという感動によるものであります。現地の片隅での闘いが私どもを変化させた力は大きく、「広島研究の会」は、どこまでも現地に密着して、中断することのない研究を進めなければならないと思われます。

 「世界の片隅」とは、「被爆体験からの思索の歩み」が生まれ出る「現地」を指すと考える。それは、ともすれば世間の大きなうねりに無視されがちなゆえに「片隅」だが、その場所から始めなければ意味がないという「闘い」の現場をも意味する強い言葉だろう。
 しかし、先駆者である川手健(たけし)*1自死を、山代が哀惜を込めて述べるように、運動化・組織化は拡大すればするほど、現場からの離脱という危険をともなう。

峠三吉をのぞく、他の先駆的な人々の名は忘れられ、彼らが発見し積み重ねて来た努力や方法は、受けつがれていません。川手も一九五五年の第一原水爆禁止世界大会が、広島で開かれるまでは、被爆者の会の中心的な活動者でしたが、盛り上がって来た被爆者救援の声は、同時に若い彼の持つ欠陥への批判や攻撃となってあらわれ、彼の意見の用いられない状態をつくり出して行きました。しかし彼は、大学を二年も棒に振って青春を捧げたこの組織と、全く無関係になることは出来ませんでした。一九六〇年四月、遺書も残さず自殺して行くまでの間に、彼が私に送った言葉はつねに、被爆者の組織化の発端において、お互いの発見したあの方法が、捨て去られようとすることへの悲しみを訴えていました。

 この問題は、『この世界の片隅で』だけでなく『原爆に生きて』『囚われの女たち』、牧原憲夫氏の評伝、サークル運動などの背景を踏まえて考えなければならない*2。そして「サークル村」と石牟礼道子震災後の復興など、社会的課題に直面した人々が水平なコミュニケーションに基づいて事に当たる際に、常に直面する課題である。 

この世界の片隅で (岩波新書 青版 566)

この世界の片隅で (岩波新書 青版 566)

山代巴文庫[第2期・4] 原爆に生きて

山代巴文庫[第2期・4] 原爆に生きて

山代巴 模索の軌跡

山代巴 模索の軌跡

1950年代---「記録」の時代 (河出ブックス)

1950年代---「記録」の時代 (河出ブックス)

2018-03-15

レヴィ=ストロース「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。」

 通勤途中の坂道で、珍しい鳥の鳴き声を聞いた。今まで聞いたこともないような張のある声で、残念ながら種類までは分からなかったが、季節の移り変わりを感じた。帰宅後、歳時記を繰ってみたが、やはり分からない。「早春に平地で囀り始め、気温の上昇にともない冷涼な地帯に移動する」とあるので、鴬かも知れない。俳句を作っていなければ、鳥の種類まで気に掛かることはなかっただろう。

 うぐひすのケキョに力をつかふなり(辻桃子

 それと共に、人間が意識しようと意識していまいと、自然の営みは刻々と進みつつあるのだと感じる。そこには、人間の意志を越えた、文字通りの自然(じねん)の力、「おのづからなりゆくいきおひ」を思わせるものがある。
 私達は自然を様々に意識し意味化しているが、自然が私達人間をどう考えているのかは、知る術がない。自然は人間のように語らないからだ。これはよく考えれば恐ろしいことである。
 個人は、自分を主観的に測るだけでなく、他人の視点も折り合わせて、自己イメージを微調整しながら自分を把握する。主観だけでは独断に陥るからである。国家などの集団も同様だ。しかし人間に対しては、外からの視線がない。他の生物や自然界にとって人間はどのような存在なのか、人間は自分で想像してみるしかないのである。そうしなければ、人間全体が独断に陥ってしまう。
 そこで連想したのが鷲田清一「折々のことば」1046(2018/3/11)だ。

  世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。(クロード・レヴィ=ストロース
 途中から世界に現れ、やがて先に消えてゆく人類には、その世界に「修復不能な損傷を惹き起すいかなる権利」もない。人類は世界の主ではない。世界の中で自分が占める位置を知るために、人類は自らの背後にもう一つの眼をもつ必要がある。その眼をフランスの民族学者は、のちに世阿弥の「離見の見」に倣い「はるかなる視線」と呼んだ。『悲しき熱帯』(川田順造訳)から。

 鷲田がこの文章を選んだのは、「3・11」の傷痕を踏まえてのことだろう。「世界の中で自分が占める位置を知るため」に「もう一つの眼をもつ」とは、肥大化する人間の科学技術が、自然の中でどのような存在であるのか、客観的に見る目を持つべきだということだと考える。もちろん、自然が常にか弱い被害者であるとは限らず、人間の技術こそが自然の力の前で脆弱たりうることは言うまでもない。
 私達人間の営みは、余りに人間中心の判断に偏りすぎている、というのが鷲田の伝えようとしたことではないか。
 引用されたレヴィ=ストロースの文章は、この脱人間中心主義を徹底している。

 世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。制度、風俗、慣習など、それらの目録を作り、それらを理解すべく私が自分の人生を過ごして来たものは、一つの創造の束の間の開花であり、それらのものは、この創造との関係において人類がそこで自分の役割を演じることを可能にするという意味を除いては、恐らく何の意味ももってはいない。(中略)人間の精神が創り出したものについて言えば、それらの意味は、人間精神との関わりにおいてしか存在せず、従って人間の精神が姿を消すと同時に無秩序のうちに溶け込んでしまうであろう。

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

2018-03-06

「芸術はすべて心である〜知られざる画家不染鉄の世界〜」

 3月4日のNHK「日曜美術館」は、「芸術はすべて心である〜知られざる画家不染鉄の世界〜」と題して「幻の画家」と称された不染鉄(1891-1976)の特集だった(2月の再放送らしい)。

去年の夏、東京で初めての回顧展が開かれ、美術関係者の注目を集めている日本画家、不染鉄。人生の足跡を明らかにしながら、不染鉄の郷愁あふれる幻想の風景世界を紹介する
去年の夏、東京で初めての回顧展が開かれ、美術関係者の注目を集めている日本画家、不染鉄(1891〜1976)不染鉄は人生の中で出会った風景を、生涯繰り返し描いた。生まれ育った寺院のイチョウの木。漁師として暮らした伊豆大島の村落と海。奈良・西ノ京に住んで見た古都の情景。番組では、晩年不染鉄と絵葉書の交流をした女性などの証言によって、人生の足跡を明らかにしながら、不染鉄の郷愁あふれる幻想の風景世界を紹介

日曜美術館 - NHK

 東京小石川の寺の住職の息子に生まれながら、不良少年となり、伊豆大島京都奈良東京・また奈良と転々と居を変えながら、それぞれの土地を愛着を込めて緻密な描写で描き続けた。流浪には何か根深い動機があったのだろうか。種田山頭火尾崎放哉などの放浪の詩人を思わせるが、彼らのように窮死することなく、84歳まで生きた。 
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 「写実主義による写生を好まず、学校の図書館で『一遍上人絵伝』を模写していた」*1ということからも分かるように、現実の風景をモチーフにしていても、静謐な光で満たされた寂光土を思わせる。富士山を中央した絵は参詣曼荼羅のようだ。絵の周りに文字を配するのも、絵巻的手法を連想させる。

*1星野桂三・星野万実子『忘れられた画家シリーズ 31 「没後30年・不染鉄遺作展」図録』(星野画廊 2007)Wiki「不染鉄」より孫引き

2018-02-15

ハンナ・アレント『人間の条件』

 難解を以て鳴るハンナアレントの主著。現在ではドイツ語版に基づく『活動的生』も翻訳されており、先に出された英語版に著者自身が手を加えただけあって、かなり表現が分かりやすくなっているらしいが、今回は従来のちくま学芸文庫版による。

活動的生

活動的生

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

 本書では人間の基本的行為として〈活動〉・〈仕事〉・〈労働〉の3つが挙げられている。後に筆者は、訳者に対して「自分がとくにどの「活動力」を高く評価しているということではない」と語ったそうだが、現代世界を考察する上で最も重視しているのが〈活動〉であるのは明らかである。
 古代ギリシアのポリスで実現されたような〈活動〉を基本とした生き方は、〈仕事〉に取って替わられ、さらに現代では〈労働〉が価値の中心となっているというのが、本書全体の見取り図である。

 1 〈労働〉と〈仕事〉
 〈労働〉は、生物学的・自然的な存在である人間を日々維持するための行為である。食物の生産・繁殖(再生産)などがそれに当たる。ゆえに〈労働〉の産物は、生命維持活動のために絶えず消費されねばならず、後に残ることがない。言いかえれば〈労働〉は、自然の終わりない循環過程の一部をなす。

 〈仕事〉は、人工の物を作り上げる人間固有の行為である。〈労働〉と違って、〈仕事〉の産物である工作物は、作り上げられた後もこの世に留まり続ける。むしろ、この耐久性こそが〈仕事〉の特質である(椅子やテーブルは消費されるために作られるのではなく、出来るだけ長く使われることこそ望まれる)。
 そして〈仕事〉の過程は、ある目的(=終わり)に向けての一連の作業という性質を持つので、必ず始まりと終わりがある。

 しかし同時にまた〈仕事〉は、果てしない拡大過程も持つ。なぜなら人間の工作物は、それが目的であると同時に、製作が終了すると、次の〈仕事〉に向けての手段(道具)ともなるからである。つまり、あらゆる〈仕事〉の産物は、次の〈仕事〉の手段になるという意味で、最終目的となりえない。

 人間は、〈工作人〉である限り、手段化を行なう。そしてこの手段化は、すべてのものが手段に堕し、それに固有の独立した価値を失うことを意味する。したがって、最後には、製作の対象物だけでなく、明らかに人間の助けなしに生成する、人間世界から独立した存在である「地球一般とすべての自然力」も、「仕事から生じる物化を提示しないゆえに価値を」う。(p.249-51)

 世界と地球全体が手段化され、いっさいの所与が際限なく無価値なものとなり、すべての目的が手段に転化され、ただ人間そのものが万物の支配者や主人になったときによってのみ止まる増大する無意味性のこの過程――これは製作過程から直接生じるものではない。なぜなら、製作の過程から見ると、完成された生産物は目的自体であり、それ自身の存在をもつ耐久性のある独立した実体だからである。(中略)しかし、製作は主として使用対象物を製作する。その限りで、完成された生産物は、ふたたび手段となる。(中略)その限りで、本来、生産的で限定された政策の手段性は、存在する一切のものの無制限の手段化に転化するのである。(p.250-1)


 2 〈仕事〉の変質
 さらに近代の始まりに当たり、〈仕事〉(もはや近代科学と言いかえた方がよい)は、人間の知覚を大きく変える。
 かつて人間の知とは、外部世界にある真理へ、「観照」によって到達することだと考えられていた。ギリシア哲学では、「観照」は外部世界に対する「驚き」という忘我状態であり、また後に超越的世界に存在する普遍的イデアの認識だと考えられるようになった。
 いずれにせよ、真理は人間の外側にあり、そこに到達するために人間は、行動を止めて「観照」という静止状態を保たなければならなかったのである。この考え方は後のキリスト教世界まで引き継がれた。

 観照は、存在の奇蹟にたいするあの衝撃的な「驚き」こそすべての哲学の始まりであるという、アリストテレスが引用しているプラトンの有名な主張と明らかに一貫して結びついている。(中略)「観照」というのは「驚き」の別の表現にすぎない。哲学者が最終的に到達する真理の観照は、彼が最初に抱いた、哲学的に洗練された言葉のない驚きだからである。(p.474)

 職人は、対象物を作るとき基準とすべきモデルの形を内部の眼に思い浮かべる。プラトンによれば、このモデルは、職人の技術によってただ模倣されるだけで、創造されるものではなく、人間精神が生みだすものではなく、かえって人間精神に与えられるものである。そのようなものとしてのこのモデルは、一定の永続性と卓越性をもっているが、この永続性と卓越性は、それが人間の手の仕事によって物化されるとき、現実化されるのではなく逆に損なわれる。つまり仕事は、単なる観照の対象となっている限りは永遠なものとして留まっているようなあるものの卓越性を滅びやすいものとし、損なうのである。したがって、仕事と制作を導くモデルであるプラトンイデアにたいしてとるべき適切な態度は、それをあるがままにしておき、精神内部の眼に現われるがままにしておくことである。人間は仕事の能力を断念し、なにもしないでいさえすれば、そのようなイデアを眺めることができ、したがってその永遠性に加わることができる。(中略)中世キリスト教の場合のように、ある種の観照や黙思がすべての人に要求されたとき、重点はますます〈工作人〉の経験の方に傾斜した。(p.475-6)

 しかし「近代は、あらゆる種類の活動力を凌駕するこの観照の優越性に挑戦した」(p.477)。
 アレントによれば、ガリレオの発見に端を発する近代科学は、まず人間の「感覚」や「直接経験」に対する深い懐疑を呼び起こした。地動説を例に挙げるまでもなく、現実世界は人間の経験した通りのものではない、我々は自分達の感覚に欺かれているのではないか、という疑念が強まったのである。
 そして人間の手になる望遠鏡という工作物によって、近代の新しい認識が開かれたことから、真理は「観照」によって、つまり人間が手を拱いて得られるのではなく、道具や装置を用いて外部世界に積極的に働きかけることで得られるものである、という態度が認められるようになった。

 望遠鏡を使って宇宙を覗き見たことは、まったく新しい世界を切り開く段階を画し、その他の出来事の進路をも決定した。(中略)ガリレオが行ない、それ以前のだれもが行ないえなかったことは、望遠鏡を使って、宇宙の秘密が「感覚的知覚の確実さをもって」人間に認識されるようにしたことであった。つまり、彼は、以前には永遠に人間のとどかぬ、せいぜい不確かな思弁や想像力にゆだねられていたものを、地上の被造物である人間が把握でき、人間の肉体的感覚がつかまえられる範囲の中に置いたのであった。(p.415-8)

 この事実にたいする哲学の直接的な反応は、もはや歓喜ではなく、デカルト的な懐疑であった。これによって、ニーチェのいう「懐疑学派」、つまり近代哲学が創立された。(p.419)

 近代の天体物理学的世界観は、ガリレオと共に始まり、感覚はリアリティを明らかにするものではないと感覚の正しさにたいして挑戦した。その結果、私たちに一つの宇宙が残されはした。しかし、その宇宙の属性は、私たちの測定器具に現われる程度にしかわからない。(中略)いいかえると、私たちは客観的な属性の代わりに器具を見いだしているのであり、自然や宇宙の代わりに――ハイゼンベルクの言葉を借りれば――人間はただ自分自身に向きあっているのである。(p.420) 

 近代哲学懐疑主義と科学技術の発達は深く結びつく。どちらも真理とは自然に積極的に働きかけることで得られるものであり、かつそこで見出された真理は、もはや人間の地上的感覚に合致するものではない。最終的には全て数学に還元されるような抽象的・思弁的な対象である。

 真理にしろリアリティにしろ、与えられるものではなく、いずれもそのままの姿では現われず、むしろ現象干渉したり、現象を取り除くことによって、ようやく真の知識が得られる(p.438)

 以前観照が占めていた地位にまず引き上げられたのは、〈工作人〉の特権である製作の活動力であった。このことは、近代革命を導いたのが器具であり、したがって道具の作り手としての人間であった以上、まったく当然であった。(中略)
 もっと決定的であったのは、そもそも実験そのものに製作の要素が現われているということである。実験とは、観察さるべき現象を作り出すことであり、したがって、そもそもの最初から人間の生産的能力に依存している。知識を得るために実験を用いるということは、すでに、人間は自分自身が作るものだけを知ることができると信じていればこそである。この確信は、人間が作らなかった物についても、それらの物が生じてきた過程を突き止め、模倣すれば、それらの物について知ることができるということを意味していたのである。(中略)
 科学の歴史において重点が、あるものが「なに」であり、「なぜ」あるのかという古い問題から、それが「いかに」生じたかという新しい問題に移動したのは、このような確信の直接的結果であり、したがって、その回答はただ実験においてのみ発見できるのである。実験は、あたかも人間自身が自然の対象物を作ろうとしているかのように、自然過程を繰り返す。(中略)「われに物質を与えよ、それによって世界を作るであろう。すなわち、われに物質を与えよ。それによって世界がいかに発展したか示すであろう」。カントのこの言葉は、近代が作ることと知ることを混ぜ合わせている状態を極めて簡潔に示している。(p.464-6)

 現代の科学は、地上的・地球的な自然を対象とした単なる知ではなくなった。本書冒頭の人工衛星エピソード象徴するように、人間の知は、脱地上的・脱地球的な方向へと発展してきたのである。
 核分裂にせよ遺伝子操作にせよ、現代の科学は、身の回りの存在をあるがままの姿で認識するものではなくなった。むしろ、自然的過程を人間の手で再現し、その過程に介入して自然の力を自分達のために引き出すようなものとなった。それは、アレントによれば〈仕事〉という行為の変質を意味する。〈仕事〉は終わり=目的があるという点で、自然的過程の一部をなす〈労働〉と区別されてきた。しかし、現代の科学技術は自然的過程と一体化している。その意味で、〈仕事〉は終わりなき自然的過程と同一のものとなったのである。

 3 〈活動〉の意味
 ここまでから分かるように、本書の基底をなすのは、自然的過程へ消滅することへの悲観的態度である。
 「無為自然」といった言葉に表されるように、自然との一体化=善と捉えるような文化圏に生まれ育った人間にとって、この捉え方は理解しがたいものに思えるかも知れない。
 しかし、忘れてはいけないのは、アレントユダヤ人としてナチズム下のドイツから亡命し、パリで東ヨーロッパから避難してきたユダヤ人イディッシュ語を学び、フランス敗戦後は強制収容所に入れられ、1951年アメリカ市民権を得るまで、「二十年近くもアレントは国家の法の保護の外に置かれていた」ことだ。そこでは絶えず自己と自己の属する文化が、消滅の危機に曝されていた。彼女の思惟の根源には、常に「生存の基本的恐怖」があったのである(「訳者解説」)。

 〈活動〉は、人間の永続性が保証される唯一の行為である。本来なら他の様々な物質と同様に消滅し、流転する自然的過程の一部となるはずの人間は、ただ、他の人間との関係の中で記憶されることを通じてのみ、自分という存在の痕跡を残すことができる。
 〈活動〉の前提となるのは〈仕事〉である。前述したように〈仕事〉の産物は、自然的過程に呑み込まれない堅固さを持つ。工作物によって取り囲まれた、人間の手になる堅牢な領域を、筆者は「世界」と呼ぶ。「世界」は、自然のただなかに作られた人間の居場所である。

 世界とは、地上に打ち立てられ、地上の自然が人間の手に与えてくれる材料で作られた人工的な家であり、それは、消費される物からできているのではなく、使用される物からできている。自然と地球一般的に人間の生命の条件を成しているとするならば、世界の世界の物は、この特殊に人間的な生命が地上において安らぐための条件を成している。
 〈労働する動物〉の眼を通して見た自然は、すべての「よい物」の偉大な供給者である。(中略)しかし、世界の建設者である〈工作人〉の眼から見ると、同じ自然も「それだけではほとんど価値のない材料しか与えてくれぬ」ものであり、その材料の全価値は、それに加えられる仕事にある。〈労働する動物〉は、物を自然の手から受け取り、それを消費することなしには、そして自らを成長と衰退の自然過程から守ることなしには、生き残ることができない。他方、物は、その耐久性によって使用に適合し、そのほかならぬ永続性によって生命と直接的な対象をなす世界の樹立に適合する。そしてそのような物に取り囲まれた安らぎがなければ、この生命もけっして人間的ではないであろう。(p.197)

 しかし「世界」の永続性だけでは、十分に人間的な生であるとは言えない。「世界」という人工的環境で営まれるのが〈活動〉である。
 〈活動〉の条件は、「多種多様な人びと」が共にいるという人間の多数性である。ここで人間は、常に他の人間に対して他者であり(他者性)、それぞれに違う性質を持つ(異質性)。従って、“他とは異なるこの私”という自己の唯一性は、多種多様な人々のただ中にいるという多様性によって支えられている。そして自己の唯一性は、言論公的活動、つまり人々の間で演じられた〈活動〉によって徴付けられる。
 そしてもう一つ重要なのは、終わりなき自然的過程に対して、〈活動〉は始まりと終わりをもたらすことである。「世界」は恒久的なものとして永続するが、個人はそこに参入し、死と共に出ていく。反復からなる自然の中で、人間は〈活動〉によって自己の一回的な生を全うするのである。 

 言葉と行為によって私たちは自分自身を人間世界の中に挿入する。(中略)「活動する」というのは、最も一般的には、「創始する」、「始める」という意味である。(中略)人間は、その誕生によって、「始まり」、新参者創始者となるがゆえに、創始を引き受け、活動へと促される。(中略)すでに起こった事にたいしては期待できないようななにか新しいことが起こるというのが、「始まり」の本性である。この人を驚かす意外性という性格は、どんな「始まり」にも、どんな始原にもそなわっている。(中略)
 したがって、新しいことは、常に奇蹟の様相を帯びる。そこで、人間が活動する能力を持つという事実は、本来は予想できないことも、人間には期待できるということ、つまり、人間は、ほとんど不可能な事柄をなしうるということを意味する。それができるのは、やはり、人間は一人一人が唯一の存在であり、したがって、人間が一人一人誕生するごとに、なにか新しいユニークなものが世界にもちこまれるためである。(p.289)

 國分広一郎『中動態の世界』によれば、アレントには、人間の意志を全ての始まりと見做そうとする強い傾向があるという。その背景には、本書が何度も述べてきた、自然への自己消滅の恐怖があると考えられる。
 人間は、他者との間に張りめぐらされた関係の網目において、〈活動〉を通じて自己の物語を紡ぎ出す。物語には必ず始まりと終わりがあり、“私が何者であるのか?”という問いへの答えは、自己の物語が完結して初めて明らかになる。

 人間事象の領域は、人間が共生しているところではどこにも存在している人間関係の網の目から成り立っている。言論による「正体」の暴露と活動による新しい「始まり」の開始は、常に、すでに存在している網の目の中で行われる。そして言論と活動の直接的な結果も、この網の目の中で感じられるのである。言論と活動はともに、新しい過程を出発させるが、その過程は、最終的には新参者のユニークな生涯の物語として現われる。(中略)
 だれでも、活動と言論を通じて自分を人間世界の中に挿入し、それによってその生涯を始める。にもかかわらず、だれ一人として、自分自身の生涯の物語の作者あるいは生産者ではない。いいかえると、活動と言論の結果である物語は、行為者を暴露するが、この行為者は作者でも生産者でもない。言論と活動を始めた人は、たしかに、言葉の二重の意味で、すなわち活動者であり受難者であるという意味で、物語の主体であるが、物語の作者ではない。(p.298-9)


 4 「物語」の力
 現代の特徴は、人間が自己の本質を開示する〈活動〉の領域が失われたことにある。だが、この領域を現代にどのように回復したよいか、本書では積極的な提言はしていない。従って、読み終わってもペシミスティックな印象を受ける。
 しかし、文庫本の半ばである第五章の冒頭に掲げられた二つの引用は、アレントの重視した物語る力の強さを示唆しているようだ。

 どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、堪えられる。(イサク・ディネセン)

 どんな活動においても、行為者がまず最初に意図することは、自分の姿を明らかにすることである。(中略)どんな行為者でも、行為している限り、その行為に喜びを感じるのはそのためである。というのも、存在するものは、すべて、あるがままの自分を望むからである。(中略)活動が隠された自己を明らかにしないなら、いかなるものも活動しないだろう。(ダンテ

 古代ギリシアのポリスとは異なる形で、「物語」の共有される「網の目」を作り上げること。そのモデルは、それぞれの社会を生きる私達の課題として委ねられているのだろう。

政治と複数性―民主的な公共性にむけて

政治と複数性―民主的な公共性にむけて

2018-02-11

佐川光晴『牛を屠る』

 この本を読み始めたきっかけは一本のテレビ番組である。
 くまもと県民テレビ(KKT)製作で、日本民間放送連盟賞優秀賞も受賞した「現場発!第41回 “いのち”を伝える 元食肉解体作業員の挑戦」がそれだ。ここで登場する元作業員の坂本義喜さんは、現在は各地の小学校を回り啓発運動を行っている。この番組の中で、坂本さんも職場の元同僚も、口を揃えて「自分達の技術は本当にすごいものなんだ!」と胸を張っていたのがとても印象的だった。
 この優れたドキュメンタリーから、かねて気にかかっていた本書を手に取った次第。
現場発|KKTくまもと県民テレビ



 筆者の佐川光晴は「生活の設計」「ジャムの空壜」などの作品で知られる小説家である。しかし最初から文筆業を目指したわけではなく、北海道大学卒業後、出版社に勤務するものの職場で喧嘩して退職、職安で次の仕事を探す内に、「大宮市営と畜場」に勤務することとなる。
 「と畜」の「と」は、言うまでもなく「屠る」である。「鳥獣の体を切り裂く。切り殺す」という生々しい行為を連想させないために、「屠」の文字をひらがな表記にしたのだろうということは想像がつく。
 では、実際に携わる人々は、どのようにその行為を受け止めたのだろう。
 筆者は「大宮市営」の人々を描く際に、観念的な図式に頼らず、あくまでも即物的な視線に徹して、仕事としての「屠殺」を捉えようとしている。

本書でも私は家畜の解体作業を表す語句として「屠殺」を用いている。その理由を、注という補足的なかたちで説明することはできない。なぜなら、本書の全体が、まさに「屠殺」の一語を肯定するために書かれているからだ。したがって、あえて簡略に言えば、「屠殺」という一語こそ、その行為と、その行為の背後にある、差別的視線などではとうてい覆いきれない、広く大きなものが感じられるのだと、私は考えている。

 筆者が、自分の仕事を観念的な図式に落とし込むことを知らなかったのではない。
 例えば「屠殺」に対して抱かれる差別的な観念に基づいて、「聖と賤」という図式を想定し、そこに自己の仕事の意味を求めるということもできる。しかし、筆者はあえてそうしなかった。注視したのは、いかに牛や豚を解体するか、その技術を鍛錬し継承していくという、あらゆる仕事に共通する職業意識である。

 私の学生時代には阿部謹也網野義彦を旗頭とする「社会史」が一世を風靡しており、私もかれらの著作を読んでいた。米作農業の発展を社会の中心に置く従来の史観に対して、非農業民の土地に縛られない交流こそが社会にダイナミズムを与えてきたとする構想は魅力的だった。また中央権力の及ばない領域としてのアジールを積極的に評価する視点にも、大いに啓発された(社会史研究者の中で、私は良知力が大好きだった)。
 したがって、屠殺場で働くという私の選択は、自分を権力から能うかぎり遠ざけようとする意図によるものであると解釈することができるのかもしれない。さらに、あえて我が身を「穢れ」の中に浸し込み、そこをくぐり抜けることで「聖」へと至ろうとしていたのかもしれない。
 しかし(中略)屠殺場とは日々搬入されてくる牛や豚を解体する場所である。そこで働くわれわれに求められるのは、体調を整えて過酷な労働に耐えることと、先輩から受け継いだ技術を後輩へ伝えていくことである。具体的には、手を抜かずにナイフを研いで、大怪我をすることなく解体作業を行ない、家に帰ったあとは明日に備えて早くに眠る。
 われわれにとってはナイフの切れ味が全てであり、切れ味を保つためにいかにしてヤスリを掛けるのかの一点に心血が注がれた。

 ナイフについては、本書の随所で詳細に述べられている。あらゆる職業では、対象の手応えや手触りこそが、熟練していく上での目安となるものだろうが、ここではナイフを介した牛や豚との関わりこそが、解体作業に関わる職員達の“支え”であることが描かれている。

 牛の皮を剥いているのは私であり、ナイフの切れ味の全てを感じ取ってはいるが、事実として牛と接しているのはナイフであって、私ではない。ナイフと一体になるのではなく、決して埋め切れないかすかな隔絶感を意識しながら、私は牛の皮を剥き続けた。

 そのときは不意に訪れた。(中略)私は刃先にまったくあそびをつくらず、いきなりナイフに力を込めた。その途端、ナイフが腕ごと前に伸びた。(中略)大変なことが起きたと感じながら、私は動きを止めずにそのまま牛を剥き切った。からだに残ったイメージを壊さないようにつぎの牛に取りかかると、ナイフは腕の長さいっぱいの弧を描いて牛の皮を剥いてゆく。
 まさかこんなことが起きるとは思わず、私は呆気に取られていた。朧気に感じていたのは、これは道具がした動きなのだということだった。青龍刀のように反り身になった皮剥き用の変形ナイフは、いま私がした動きをするように形づくられているのだ。その形は幾百幾千もの職人たちの仕事の積み重ねによって生み出されたものであり、誰もが同じ軌跡を描くために努力を重ねてきたのだ。

 このような具体的な技術の矜持が、様々な観念に纏わりつかれがちな「屠殺」という仕事に携わる人々を支えているのだろう。

 われわれは「屠殺」と呼んでも、自分たちが牛や豚を殺しているとは思っていなかった。たしかに牛を叩き、喉を刺し、面皮を剥き、脚を取り、皮を剥き、内臓を出してはいる。しかしそれは牛や豚を枝肉にするための作業をしているのであって、単に殺すのとはまったく異なる行為なのである。(中略)小説「生活の設計」には「死」という文字がほとんど出てこない。まして、解体されつつある牛や豚を指して「死体」と呼んだことは一度もない。「命」や「いのち」にいたっては、ただの一度も登場しないはずである。自分の目の前には、生きている牛や豚が枝肉になるまでの全過程がパノラマとして展開されている。しかし、ここが命と死の境目だと指差せる瞬間はないと思っていたからだ。

 「死」も「いのち」も、余りに大きく、それゆえに観念だけが実体から離れて肥大化しがちである。しかし、筆者の経験では、両者の境界線ははっきりしていない。死んでゆく牛や豚は、一般的な「死」の観念と対照的に、「熱い」のである。

 「死」には「冷たい」というイメージが付きまとう。しかし牛も豚もどこまでも熱い生き物である。ことに屠殺されてゆく牛と豚は、生きているときの温かさとは桁違いの「熱さ」を放出する。(中略)屠殺されてゆく牛と豚は、背引きをされて枝肉になってもなお、温かみを失ってはいないのである。
 喉を裂いたときに流れ出る血液は火傷をするのではないかと思わせるほど熱い。真冬でも、十頭も牛を吊せば、放出される熱で作業場は暖まってくる。切り取られ、床に放り投げられたオッパイからは、いつまでたっても温かい乳がにじみ出る。

 筆者は、自分達の行為を「殺す」とは呼ばない。「殺す」には「命を奪う」以外に「そのものの特質を駄目にする」という意味がある。解体作業員は、牛や豚を食用の肉にするために、つまりそれらの特性を人間のため貰い受けるために、それらの生命活動を止める。ゆえに「殺す」とは呼ばない。
 しかしそれでも、生きている牛や豚の生命活動を中断することには、重さが残る。中断された命の重さを「熱さ」として受け止める時、人は誰しもたじろぐだろう。しかも、それを乗り越えて解体作業員としての自恃を、日々の仕事から練り上げていかなければならない。
 この正負の混然一体となった行為を言い表すには、「殺す」という強い言葉を用いざるを得なかったのだ。

 たしかに「屠」の一字があれば、簡潔に用は足りている。しかし今にして思うのは、われわれには「屠」だけでは足りなかったのだ。差別偏見を助長しかねない「殺」の字を重ねなければ、われわれは自らが触れている「熱さ」に拮抗できないと考えていたのではないだろうか。(中略)
 現実に存在する言葉だからといって、それが正しいと限らないのはもちろんである。差別的な意味合いが込められているならなおさらだ。そのことをくりかえし頭に叩き込みつつも、私はやはり自分たちがしてきた仕事は「屠殺」であったと考えている。
 牛や豚を殺しているのではないと言い張りながら、「殺」を容認するのは矛盾だが、われわれは「屠殺」という二文字の中に作業場でのなにもかもを投げ込んでいた。

 本書について、巻末の対談で平松洋子は「働くことの意味、そして輝かしさを書いた作品」だと評しているが、本当にその通りだと思う。職場での経験を切り詰めた筆致で伝えることで、仕事というものの本来の在り方、つまり対象に働きかけ、その手応えが自身に跳ね返ってくるというフィードバックの積み重ねを通して自己を錬磨する、という姿が鈍い輝きを持って浮かんでくる。

牛を屠る (双葉文庫)

牛を屠る (双葉文庫)

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