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01-31, 2009

(第1回)Live Round About Journal 2009

とてもおもしろいイベントを開いてくれた藤村龍至さんに、まずは感謝。かなりマジメに聞いたので、考えたことを書きたいと思います。藤村さん、読んでくれるといいな。


・「閉じてる」発言と社会性

よく「話が内輪で閉じてる」「言っていることがわからない」という批判をする人がいます。けれど、僕はこういうことを糾弾する人をあまり信用できません。当然、わかりやすい言葉で語ることは必要だと思う。でも「建築」なんていうそもそも「込み入った」話が簡単な話になるわけがないじゃないか。難しいわからん、と言っている人は、本当にその話を聞こうとしたか。どんなに難しい話でも、がんばって聞けば1割くらいわかって、それで嬉しいもんです。「社会性=誰にでもわかる言葉で語る」という議論も幾度か出て、たしかに納得できるところもあるけれど、じゃあメチャクチャ難しい(らしい)ラカンの本はどうなるんだろう。たとえばラカンの本を開いてラカンにキレたってしょうがない。でも読む人は絶えないのだ。なぜか。それは「難しくてもついていこう」という読者がいるからだ。建築も「わかりやすさ」を目指すことより先に、ただ「それを知りたい」と思わせる魅力がありさえすればいいんじゃないかと思うのだ。それが社会性じゃないでしょうか。


・人数多いよ問題

ディスカッションのあとに「人数が多くて話もかみ合わないし、したがって何らかの結論も得られない」というような意見もあったけれど、僕はこれは全くもって問題ないと思う。むしろ少人数でわかりあえて弁証法的に話がトントン進んでいったら困る。それは仲間同士で居酒屋でやるときには素敵なことだけど、大人数でやることの醍醐味は、むしろ「わからない」にあると思う。たとえば2人の建築家の話が全くかみ合っていなかったとして、それを聞いている人が「つまんねぇーな」と思ったとしたら、それはそう思った人が悪いのです。こういう場合はむしろ「なぜこの2人は全然話がかみ合わないのか」と考えることで、実は問題の核心に触れられると思います。だから「わからない」「かみ合わない」「結局なんだかわかりませんでした」でも、ちゃんと聞いていればいろんなヒントがある。結論なんて出るわけない難しい問題を扱っているんだから、これでいいと思います。だから、いっぱい呼んでいっぱい「わからない」を残してくれた藤村さんに感謝しています。来年もへんに少人数にしなくていいと思います。


・なぜ社会学者

社会学者の方はいつも「門外漢ですが」という。それは、主に建築家側が好んで社会学者を呼びたがる傾向にあるからだ。連れてこられる方はけっこう「なぜ僕が」という感じだ。なんでいろんな学者がいるなかで社会学なのだろうか。僕はたんに「建築」が話し相手を探しているんだと思います。それでたまたま「システム」とか「プロセス」とか「アーキテクチャ」とかいう聞き慣れた単語が聞こえてきたので、話しかけているんだと思います(違かったらごめんなさい)。でも対話するんだったら何も社会学者に限定する必要はないし、もっといろんなジャンルと絡んだほうが健康な気がします。で、藤本壮介さんが「有形」の「建築」にこだわるのは、「対話というよりは借り物の言葉で建築を語ろうとしている。ではなくて形をもった建築<から>社会学でも哲学でも数学でも考えることができるんじゃないか」と言っているような気がします。


・建築2.0

ウェブ2.0という言葉があって、ユーザーという概念がくつがえる、みたいなことがあったと思います。それでオープンソースとかSNSとかウィキとかが流行った。ウィキペディアは確かにすごい。だから、そういう「集合知」の力を建築に生かしたらどうなるか、という実験はありだと思います。ただ、個人的な考えですが、ウィキペディアの記事程度の簡単なものならみんなで作ればいいし、リナックスみたいにエンドレスに足し算・改良していってもいいならそれでいいと思います。が、建築というのは答もなく複雑で、基本的にはエンドレスではなく一度決めたものを作らなきゃいけない。改変もどちらかといえば難しい。そういうものを、大勢のユーザーと一緒につくることで、そんなにいいことがあるでしょうか。(ただ、関わった人が満足すると言うこともできます。このへんは、むずかしいです。)ちなみに、「議論の場」をつくることには大賛成です。僕のこのサイトも藤村さんたち「自前の草の根的メディア」の重要性に先に気がついている方々を見習って始めたものです。そのうえで、「議論の場」の設計と「建築」の設計は、やっぱり同じ方法で語れるものではないのでは、ということだけが藤村さんに対する疑問です。


※「有形/無形」「ポジティブなアーキテクチャ/ネガティブなアーキテクチャ」「方法論/結果論」etc.といろんな話が出ましたが、それらはどれも正解がない問いで、これについて語るときは「私見」にならざるを得ない現状があると思います。なので、今回僕の意見はあまり書きませんでした。でも、議題としてはすごくおもしろかったです。

はなはな 2009/06/10 03:07 服部さん、はじめまして。mosakiという編集チームのタナカと申します。
RAJ2009で「わかんねーよ伝わんねーよ」的な発言を一番したのは、確実に
私だったと思うので、読んでてすっごいドキっとしました。ありがとうです(笑

建築に知的好奇心を持ってくれる層以上に、全くそうではない層
(駄洒落みたいだけど)が莫大に存在していると思うんだけど、
その間にある距離が離れすぎているのが問題だと、私は思っています。
私が言いたかった「わかりやすさ」とは、服部さんが書かれているような
「知りたいと思わせる魅力」を持ち得ているかということであって、
それはカタチや言葉だけでなく、日々の出来事や現象にも言えるわけです。

この世の学問全てが、全ての層で同レベルで共有できるわけじゃないけれど、
経済や政治や建築については、少しでも多く共有できるようにすることを
考えていくべきだというのが、個人的な問題意識です。
例えば建築家が社会学者を呼びたがり、社会学者が「門外漢ですが」っていう
流れ自体が未熟(あるいは退化)だと思うし、やっぱりすべきことがあるなあと
感じるわけです。

以上、なんかすっごい端的で、かえってこれってどうなんだろうと思うけど
とりあえず思い切って投稿ボタン押しちゃいます。
他のエントリもすごく面白かったです。また読みに来まーす!

hattorikazuakihattorikazuaki 2009/06/15 19:48 コメントありがとうございます。びっくりしました。
僕、たしか田中さんが「正しいものをつくろうとしすぎている」と藤村さんたちに言っていた記憶があるんですが、あれはなんか痛快でした。僕の中にある疑問をスパッと言ってくれた気がして、とても印象的でした。へんにプライドの高い建築家の議論を一蹴するパワーがあって、すごくよかったです。

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僕も田中さんの意見に同感です。
誰もが「建築」を「自分の問題として捉える」ことができればいいと思います。
ただその前の段階として、まずは誰もが「建築ってなんか楽しそう」と感じることが必要だと思います。
そのためには「建築をやっている人がやたら楽しそうにしている」ことが大事で、そうすれば、人に理解させようとしてヘンに下手に出たり高慢になったりせずに、自然と重力の中心みたいに人を惹きつけはじめるだろうと思います。
もちろん自己満で楽しそうならいいかというと疑問ですが。。
難しいですね。笑


今後どこかでお話できると嬉しいです。ありがとうございました〜

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