グラン・トリノ

有楽町丸の内ピカデリーで、クリント・イーストウッド監督『グラン・トリノ』を観る。前回TOHOシネマズ日劇に『チェンジリング』を観にいったエントリーで、ピカデリーの名前は消えてしまったと書いたんだけど私の勘違いでしたね。無くなったのは日劇ウェスタン・カーニバルだった。


これは、ほんとうに素晴らしかった。まず、派手な顔の役者がいない。ギャングを含めてみんなそこらへんからひっぱってきたような素人くさい顔をしてる。主人公の行く教会の神父さんなんかまだ頬が赤くて、いかにも新米って顔してるのなんかいいんだな。事前にかなり重い内容の映画であることは知っているわけだけれど、イーストウッド演じる頑固爺の人種差別発言連発や癪に障って吼えまくるとことか最高におかしいし。シナリオの緩急がいいんだねぇ。
主人公が、初めは疎ましく思っていた隣家に住むアジアの少数民族一家。長女を介して、この一家と次第に交流を深めていく。なんででしょ?不思議ですねぇ?あんなに人種差別主義者だったのに。この家の親族の食事に呼ばれると、歓待を受けるんですねぇ。大勢のアジア人に囲まれた主人公が、だんだんとその雰囲気を楽しみ始めます。この場面幸福感あふれとってね、わたし涙出ました。台詞だけじゃないんです。暖色系の画面と微笑み。ぎゃーぎゃー泣き喚いたり叫んだりするのが演技だと思ってる映画ばっかりだったら、わたし、もう死んでしまいたい思う。淀川節はここらへんで…。
この後からの、この一家のシャイな少年と主人公との交流は、血がつながっていないとはいえ、まさに父親が息子に人生の手本を示す物語になっていく。個人的にこういう父と息子ものには滅法弱いのだ。ひとつひとつレクチャーを重ねる場面に胸が打たれる。今からでも遅くない!クリント!俺に男の生き様を教えてくれ!
こっからは、ネタバレになるから細かくは書かないけれど、めったに自分からは電話をかけなかった主人公が、自分の息子の家に夜電話をかける。ほんの短いシーンなんだけれど、これ、凄くいいんですね。電話切った後、主人公の息子を演じた役者。「なんで親父がこんな時間に電話かけてきたんやろ?」そんな顔します。地味な顔の役者やから余計いいんですねぇ。お稚児さんみたいだった神父さんも、物語の進行とともに実にいい顔になっていきます。この役者さんよかった。やっぱり淀川節って映画の感想書くのにいいな。
そして、ラストに向かい儀式のように重ねられていくシークエンスでは、もう嗚咽をあげていた。映画が終わってもしばらく涙が止まらなかった。外に出るのに時間が必要だった。これは間違いなく彼が撮った映画の集大成だろう。でも、最後の作品にはしないでほしい、クリントにはまだまだ元気でいて映画を撮ってほしい。