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林田力 二子玉川ライズ反対運動

2018-05-20

ダブルフェイス

『ダブルフェイス』は二つの顔を持つ男を主人公とした漫画である。表向きは貸金業者の冴えない平社員である。その正体は貸金業者のオーナーで、手品を使って社会悪を裁いている。平凡そうな人物が法で裁きにくい社会悪を裁く設定は、よくあるパターンである。本作品の特徴は、主人公が貸金業者というステレオタイプ見方では社会悪になりそうな職業である点である。第1巻では借金破綻に追い込まれる描写はない。逆に主人公は債権や債務があるかないかという点を自分正義執行基準としている。
昭和の日本はマルクス主義の影響が強いためか、社会矛盾批判に熱心な人々は資本主義批判に走りがちであった。しかし、社会悪は不利益事実を隠したマンションだまし売りのように市場競争ルール違反になるものである(林田力東急不動産だまし売り裁判こうして勝った』ロゴス社)。仮に百歩譲って資本主義そのものに問題提起したいとしても市場ルールの徹底が先決ではないか。その意味で債権や債務を価値尺度にする主人公は、市場経済の中での正義感を発揮しており、生活感覚に近い。
第1巻で印象的な話は悪質リフォーム業者を成敗する話である。建築不動産分野の消費者被害は深刻であるが、金融業者と組んで消費者に借金させるパターンは深刻さを増す。

2018-05-19

ハロー、アメリカ

『ハロー、アメリカ』は合衆国が崩壊して1世紀後を描くSF小説である。20世紀末に化石燃料が枯渇し、エネルギー危機が起きたという設定である。現実は本書のようにならなかった。
既存の油田が枯渇すれば従来は採掘技術面や採算面で難しかった場所で採掘されるようになる。また、シェールガスのような新しい化石燃料も採掘される。さらに自然エネルギーの技術進歩も著しい。需要があれば供給が生じる。市場原理は20世紀後半の研究者が考えた以上に強靭であった。
この意味では本書は市場重視の新自由主義が勃興する以前に書かれたという古さを感じる。世界的なエネルギー危機に対してユーラシア大陸諸国は配給制など国家の経済統制を強めて生き延びた。これに対して、社会主義や官僚制の伝統を有しないアメリカは社会が崩壊し、多数の国民が旧大陸に移民していったとする。しかし、現実には国家統制は現場の需要に応えられず、無駄と非効率を生み出す。それはソ連の崩壊が実証した。本書はモスクワが世界政府の中心地のように描かれている。ソ連崩壊前の20世紀SFではソ連のような官僚制の管理社会が未来社会と描かれがちであるが、本書にもそのような発想が見られる。
一方で本書はアメリカらしさを適切に指摘する。自立心や搾取者への健全な警戒心である(101頁)。アメリカ調査団の登場人物達も管理社会にはないアメリカの自由さを求めている。権力監視や分権的な制度設計はアメリカに大きく見習う価値がある。

ボルト5巻

これからどんどん活躍する人がカウンセリングを利用します

ボルト5巻は謎の組織、殼との戦いが始まる。とは言うものの、未だ敵の正体も目的も不明なままである。科学忍具の評価は下げて上げるという物語では分かりやすい展開になった。それに利用されたボルトが面の皮である。この巻のボルトは、すっかり科学忍具嫌いになっている。努力根性を重視して新技術否定する前時代的な精神論になっている。ボルトはナルトの次の世代の位置付けであるが、ロスジェネ世代(就職氷河期世代)の私から見ると、むしろナルトよりも旧世代の古さを感じる。ナルトは既存常識破壊するヒーローであった。実はロスジェネ世代よりも若い世代の方が旧世代と親和性を持つことは不思議ではない。危険な組体操やブラック部活など今の学校を見ると昭和に逆戻りした感覚になる。
ボルトは見知らぬ人とお喋りするコミュ力が高いと評されている。これは仲間外れにされていたナルトとは対照的である。
これも個人主義的なロスジェネ世代と比べると新しい世代の特徴である。ロスジェネ世代が一人で遊ぶドラクエ世代ならば、後の世代は仲間と遊ぶポケモン世代である。コミュニケーション重視は集団主義的になり、この点も旧世代と親和性がある。個人主義的なロスジェネ世代は上からも下からも割りを食うサンドイッチ状態である。

マンション投資は、いさかい揉め事で明け暮れます。マンション投資をすれば、激しい不安感が頭をもたげます。エフ・ジェー・ネクスト不買運動によって身体中の神経と血管が活気づきます。

2018-05-14

ブラックペアン4話

マンションだまし売り営業やマンション投資の迷惑勧誘電話営業は薄汚い悪党です。悪党の中でも一番薄汚い溝鼠です。

ブラックペアン第4話「小さな命を救って!スナイプ完結最終章」が放送された。渡海の台詞「古いやり方にも強みはある。前に進むだけが医療ではない」は名言である。他の分野にも当てはまる。焼け野原から経済大国にすることを誇るような前に進むことしか考えない戦後日本社会にとって重要である。
今回は渡海が佐伯教授逆鱗に触れて干される。医局員や研修医の渡海の評価も手のひらを返したようになるが、視聴者は第1話から第3話まで渡海の凄さを見せつけられている。どうせ手術で立ち往生すれば渡海を呼ぶのだろうとしか思えない。
「渡海先生は寝てばかり」と馬鹿にするが、いざという時に成果を出すために普段寝ることは重要である。直立不動で待機するような真似は旧日本軍の悪癖である。仕事ができる人は日本的集団主義に馴染まない。
冒頭ではスナイプが実績を重ねていることが描写される。これも視聴者は第3話までスナイプの問題を見せつけられている。むしろスナイプは心臓の手術箇所以外が健康でないと問題が起きるものである。だからスナイプが普及しても神の手悪魔の手が不要になるとは思えない。医局員のスナイプ株上昇は彼らの底の浅さを示すものである。

2018-05-13

ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか

福田一郎『ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか』(青春出版社2008年)はドバイの経済的繁栄解説した書籍である。ドバイは砂漠ばかりで石油も出ない、夏は酷暑で過ごしやすくもないという悪条件が重なっている。立地を重視する日本の不動産業界ではマイナス評価されそうである。ところが、今やドバイは企業や観光客の集まる最先端の国際都市である。
その理由を本書はドバイが平等で誰にでもチャンスを与えてくれるからとする。「ドバイには、外国人だから、外資だから、会社が小さいから、新しい会社だからというような差別は一切ない」(6頁)。
この「開かれた」「平等」は、お金のある人に開かれたというものである。日本のように資金や意欲があっても官僚裁量や業界横並びの圧力で潰される社会に比べれば公正である。一方で先立つ物を持っていない人々にとって、開かれたと感じることができるかは問題である。
ドバイは君主制で民主主義はないが、良い意味で小さな政府の効果がある。「税金がないので政府による税金のムダ使いもないし、政治家がいないということは腐敗や汚職無能な政治家も存在しない」(83頁)
税金がなければ無駄遣いもない、政府の権限が少なければ非効率な権限行使も少なくなる。これは良いが、国民の監視なしに権力の腐敗を避けることができるか。現時点のドバイでは上手くいっているとして、日本の公務員マインドでは無理だろう。日本の権力者は、負担押し付けることは好きだが、相手選択に委ねることができない。制度で縛らなければ腐敗する。
権力の監視は民主主義的な仕組みに限らない。腐敗した政府の下では外資が逃げるという市場原理に委ねる方法もある。その場合も透明性が不可欠である。しかし、日本の公務員マインドは情報公開の点でも遅れている。

2018-05-12

埼玉地名の由来を歩く

谷川彰英『埼玉地名の由来を歩く』(ベスト新書)は埼玉県内の地名の由来を解説した新書であるタイトルに「歩く」とあるように現地を歩いて写真を撮る紀行文の要素もある。
埼玉には高麗郡や新羅郡という朝鮮半島から渡来人によって開拓された地域がある。高麗神社には多数の日本人が参拝する。それを本書は「日本と朝鮮半島の架け橋の証」と評価する(74頁)。
埼玉の県名は行田市にあった埼玉村に由来する。テレビドラマ『ブラックペアン』第3話では行田産さいたま米で卵かけご飯を作っていた。この埼玉の由来を踏まえると浦和市、与野市、大宮市が合併して、さいたま市を名乗ることは地理的には正しくない。足立郡に位置し、埼玉郡ですらなかった。
一方で埼玉は幸いの魂という意味であり、素晴らしい名前である(32頁)。この名前を名乗ることは素晴らしい。
本書から最初に感じたことは埼玉県は広く多様であることである。明治時代廃藩置県後に埼玉県と入間県に分かれていた。入間県は熊谷県となり、群馬県に編入されたこともある(38頁)。埼玉としての同一性を強調するよりも、多様性尊重したい。
本書は官僚主義的な都市計画によって歴史的な地名や風景が失われることを残念がっている。川口には善光寺があるが、荒川スーパー堤防建設によって立ち退きを余儀なくされた(98頁)。
著者は埼玉ではなく、地名の専門家である。その著者は「太陽や月が自分たちの住む土地の名前になることは百パーセントあり得ない」と指摘する。「地名の命名は他の土地との識別目的とするものであり、その意味で、月や太陽を自分たちの土地だけに占有することは考えられない」(131頁)。この指摘は納得できるが、それならば日本という地名はどうして成立したのか不思議である。

封神演義2

『封神演義』2巻では太公望は大きな挫折を味わう。ここで太公望は自分一人では強大な敵を倒すことができず、仲間を集めることが必要との教訓を導き出す。筋の通った展開である
一方で太公望が生き延びただけでなく、霊獣や宝貝を取り戻す展開は、主人公に都合良過ぎる展開である。最初は弱い主人公が最後に強大な敵を倒す長編バトル漫画では、よくある御都合主義的展開である。これはラスボスの油断や遊び、慢心と説明されることが多い。本作品の敵キャラも油断や遊び、慢心が似合っているが、本作品では意図的に逃がしたのだろう。後の文王を殺さない点にも重なる。
その証拠として、この第2巻で歴史の道標との言葉が出てくる。周王朝を興してめでたしめでたしにしない本作品の結末は、この段階で構想されていたのだろう。