2012-01-01
■初日の出

明けましておめでとうございます。
今年も細田の山で初日の出をお迎えした。
東京や関東の上空には雲が垂れ込め、なかなかお日さまが現れなかった。
それでも、くもを割って朝日が輝いた。
東の空は曇り勝ちだが、やがて晴れてくる、穏やかな新年の幕開け。
お太鼓で何とか初日を拝ませて頂けた。
近所の若者が、挨拶がわりに、お太鼓が雲を開いたね、と、言った。
天岩戸以来のお太鼓の祈りは、こんな若者の胸の内にも、日本古来の伝統が感応するのだろうか。
初日のお姿は、一年の計を、自ずから思うことになる。
雲の垂れ込めがちな、新しい年の初めとなった。
2011-12-10
■3・11の集い

明日、11日より福島の再生と核のない世界を求めて、飯能の街を歩く事になった。
中央公園で小さな集会をもち、街を歩き、飯能河原で震災の追悼と原発の全廃を祈念して、花と言葉の草の葉を、川に流す。
3.11の集いとして、知人たちにも呼びかけた。
これから、原発がなくなるまで毎月11日を記して、歩きたいと思う。
数日前の東電の福島原発の情報で、地下水が絶え間なく壊れた原発内に流れ込み続けているので、無尽蔵に出る汚染水を処理した後に、海に流すと言う。
果てしない汚染の告知を他人事のように広報マンが話すのを聞いて、憤りを超えて、深い絶望感に見舞われた。
また、私たちは私たちの道をこつこつと歩き始めよう。
2011-11-14
■小春日の秋に

山にはまた、3・11以後のこの東日本の大地や空にも、美しい日々が巡ってきた。
ちぢこまりがちの心に、お日さまも、木々の色づきも、稔りの豊饒の気分が、まぶしいほどに沁みこんで来る。
この秋はとりわけ、神を恐れず自然を壊しつづけてきた、私達人間には、自然の、神の恩恵が身に心に沁み込む。
過酷で身に余る現実が福島を中心に、この在所まで拡がって来る。
またその原因の最大の元を今も流し続ける、東京そして私達自身の社会や暮らしが、山里から都心まで、谷間の空の下に続いている。
だから一層、ガンジー翁の「真理が神である」という言葉が、深みをまして心に響いてくる。
2011-11-08
■ノートの終わりに

3・11によって
太古からの神話が私たちの心に蘇った
【神々に許されない 人間の営みは 亡びさる】
あるいは
【この国の人々は 神々に許されて この国の民となった】
神々を自然や大地や天と言ってもよいだろう
今、私たちの目の前に広がる現実が
流された跡に 原初の浜辺が帰りつつある
人間はまたこの上にどのような街を造るだろうか
しかし 造れるだろうか
命の破滅に至る道のりであることが 明らかになった
神々の宣託と人間の選択が
1999年より書き綴った詩のノートが終わろうとしている。
上記の文は、その最後の一篇。
この三年弱の月日を山里でくらした私の、個人的な詩集がまたできたことになる。
私の死と共に役目を終えることになるだろうこの詩集に、他と異なる波紋が3・11によって現れた。
こんな小さな詩集の内にも、3・11が視えるようにした人間の業の因果の真実。
2011-09-22
■興にまかせて

ものを作ることが人間的であると同じように、自然でありたいと、彫刻を始めた頃より願ってきた。
以来、本当に山に入り、小屋を作り、土を耕し始めてしまった。
そして精神的な世界でも仏教と出会い、至極の自然生活が理想となった。
木を削る、土を捻る、これらの行為が作為を超えて自然な生成と調和したものであって欲しい。
この願いは山里でくらし、木や空や雲の造形と身近に過ごすなかで、さらに深く当然のこととなっていた。
素材であった木や土は素材を超えて、自然そのものとして現れ、わたしの人間的な創意の中に、手の一押し、ノミの一彫の行為の内に、自然な生成へと誘うもの、グルのごときものとなった。
興にまかせて、即興で、アドリブの手のはたらき、木の木目や土の意図しなかったでこぼこから形が生まれてくる。風や水が生み出す岩の象、木の風化、そうだ風化作用のような、もの作りがいいと思う。











