For a change, Proud to be Japanese : original version

 地震の瞬間、ぼくは同僚とともに東京都心部の四谷にある古い雑居ビルの六階にいた。
 日本人は地震に慣れている。ぼくもまた幼少期から無数の地震に遭遇してきた。だから揺れ始めた瞬間も動じることはなかった。いつもより大きいなあ、と思ったぐらいだった。
 けれども揺れはいつまでも止まらず、振れ幅は少しずつ大きくなっていった。やがてフロアの天井と壁が異様な音を立てて軋み始め、だれからともなく、これはまずい、外に出ろと叫びが上がり、ぼくたちは砂埃が舞うなか狭い階段を争うように駆け降りた。なんとか戸外に出て振り返れば、ビルはぐらぐらと激しく横に揺れ、隣のビルといまにもぶつかりそうになっている。群衆から声にならない悲鳴が漏れた。あたりを見渡すと、すべての車が停止し、広い車道は周囲のビルから逃げ出してきた人々で埋まっていた。
 ぼくたちはみな携帯電話を取り出した。電話は通じない。ネットは繋がる。メールは不安定だ。ツイッターの書き込みによって、それがはるか北方を震源地とする巨大地震で、公共交通機関はすでに運行を停止していることを知った。顔も名前も知らないツイッターユーザーの安否は続々と明らかになるが、妻との連絡はいっこうに取れない。娘を預けた保育園も繋がらない。
 結局ぼくはその日、自宅まで一三キロの道のりを歩いて帰ることとなった。幹線道路沿いの歩道は、同じように徒歩での帰宅を決断した通勤者たちで埋まり、ぼくたちはただひたすら軍隊のように、それぞれの自宅にむかい無言で行進を続けた。帰宅したのは、もうすっかり日が暮れたあと、午後七時も回ってからだ。
 ぼくは東京で生まれ、そして三九年間東京に住み続けてきた。しかし、この都市がここまで混乱した――というよりもむしろ呆然と立ち尽くしたと言ったほうが正確だろうか――のを見たのは初めてだ。
 しかもそれは、悪夢の始まりでしかなかった。地震から津波へ、そして福島の原発事故へと続くその後の展開は、みなさんもすでにご存知のとおりである。その悪夢は、この原稿を書いているいまも収束の兆しを見せていない。

 さて、今回の震災が日本社会に対して与える影響を見積もるのは容易ではない。事態はまだ進行中だし、なによりもこれほどの大きさの災害となると、影響はじつに多岐に亘り、予測を超えた深さで国のかたちを変えるはずだからである。
 たとえば政局は震災以前とがらりと変わるだろう。民主党政権はふたたび息を吹き返すだろうし、党内の力関係も大きく変わるだろう。東北地方の経済復興には長い時間がかかるだろうし、原発事故のあとではエネルギー政策も根本から見直さざるをえない。しかしそれらの変化はまだ予測可能なものだ。一六年前、阪神淡路大震災の二ヶ月後にオウム真理教のテロが起きたように、震災が国民に残した精神的心理的動揺は、のち思いもかけないかたちで吹き出す可能性がある。これから半年、一年の日本の動きは、さまざまなレベルで注視し続ける必要があろう。
 というわけで、具体的な予測や評価はまだまったくできないが、それでも話を抽象的な側面に絞ってよいのならば、震災後六日目のいまでも言えることがただひとつある。
 それは、この災害を契機として、日本人がいまかつてなく――少なくともこの二、三〇年では経験したことがないほど強く――「国家」の存在を肯定的に意識し始めたということである。
 日本人は、第二次世界大戦に破れて半世紀以上、国家や政府を誇りに感じることがほとんどできなかった不幸な国民である。とりわけこの二〇年、バブルが崩壊し長い不況に入ってからはそうで、首相の顔は驚くほど頻繁に変わり政策は停滞し、日本人のあいだには政治的シニシズムが蔓延している。実際、一六年前の阪神淡路大震災では、政府の対応はあまりに杜撰かつお粗末で、多くの国民から強い非難を浴びた。
 ところが今回は状況が劇的に異なる。むろん非難の声はある。原発事故および首都圏の大規模な停電は、国民生活に深刻な影響を及ぼし続けており、当然のことながら政府と電力会社はマスコミから厳しい追及を受けている。しかし他方、国民のあいだでは彼らを擁護する声がじつに強い。救援活動のスポークスマン、枝野幸夫官房長官はネットで英雄となっているし、自衛隊の救援活動は絶賛されている。ツイッターの投稿は震災一色だ。ぼくはいままで、日本人がここまで「公」のことばかりを考え、話題にし続けた光景を見たことがない。日本国民も日本政府も、ついこのあいだまでは愚痴と内ゲバばかりでまったく前に進めない優柔不断で身勝手な人々だったのに、いまや別人のように一丸となって大胆に国を守ろうとしている。つまり日本人は、日本の若い世代がよく使う表現を借りれば、震災後突然「キャラ」が変わったように見えるのである。
 日本人はいま、めずらしく、日本人であることを誇りに感じ始めている。自分たちの国家と政府を支えたいと感じている。
 むろん、そのような「キャラ」はナショナリズムに繋がるのでよくない、との意見はありうるだろう。ネットでは早くもその種の懸念が登場しているし、また熱狂はしょせんは一時的なもので長続きしないという見方もある(おそらくそうだろう)。しかし、ぼく自身はそのうえでも、やはりその現象にひとつの希望を見いだしたいと思う。
 震災前の日本は、二〇年近く続く停滞に疲れ果て、未来の衰退に怯えるだけの臆病な国になっていた。国民は国家になにも期待しなくなり、世代間の相互扶助や地域共同体への信頼も崩れ始めていた。
 けれども、もし日本人がこれから、せめてこの災害の経験を活かして、新たな信頼で結ばれた社会をもういちど構築できるとするのならば、震災で失われた人命、土地、そして経済的な損失がもはや埋め合わせようがないのだとしても、日本社会には新たな可能性が見えてくるだろう。もちろん現実には日本人のほとんどは、状況が落ち着けば、またあっけなく元の優柔不断な人々に戻ってしまうにちがいない。しかしたとえそれでも、長いシニシズムのなかで麻痺していた自分たちのなかにもじつはそのような公共的で愛国的で人格が存在していたのだという、その発見の経験だけは決して消えることがないはずだ。
 今回の震災、海外のメディアでは、災害に直面した日本人の冷静さや公徳心が驚きをもって受け止められ、高く評価されていたと伝え聞く。しかしじつはそれは、当事者の日本人にとっても驚きだったのだ。なんだ、おれたちやればできるじゃないか、だめな国民じゃないじゃないか、というのが、おそらくはこの数日間、日本人の多くが多少のくすぐったさとともに味わった感情のはずなのである。
 あとはその感情を、時間的にも社会的にもどこまで引き延ばすことができるのか、その成否に、今回の震災だけではない、その二〇年前から続く長い停滞と絶望からの復興がかかっている。

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上の原稿は、New York Times に2011年3月17日掲載された原稿For a Change, Proud to be Japaneseの、英訳される前の元原稿です。
3月16日執筆。英訳原稿は日本語原稿の6割ほどの翻訳です。時差と締め切りの関係で、要約編集は翻訳者と編集者が行いました。日本語版にはタイトルはありません。タイトルは New York Times 編集部が決めました。
日本語版公開を許可いただいた New York Times 編集部に感謝します。また翻訳および New York Times 編集部との連絡役を担当してくれた河野至恩、Jonathan E. Abel 両氏に深く感謝します。両者はぼくの『動物化するポストモダン』の英訳者でもありました。
2011年3月22日公開。