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東浩紀の渦状言論 はてな避難版

2013-12-26 福島第一原発観光地化計画展にあたって

福島第一原発観光地化計画展に寄せて

こちらでは超ご無沙汰の東浩紀です。横のプロフ写真の娘も妙に小さいですしね……。

さて、今日は、福島第一原発観光地化計画展全体および第2会場の構成について記した文章を貼り付けておきます。思えば、カオス*ラウンジと梅沢和木について、ぼくがなぜ彼らを評価するのかまじめに文章を書いたのは、これが最初ではないかと。

展覧会は12月28日まで開催しています。チケット情報などはこちら(チケット販売数が妙に少ないのは再販売したからですw) → http://peatix.com/event/25973

会期終了まで時間もありませんが、かなり気合いの入った展示です。この文章を読み興味をもったら、ぜひご来場ください。

展覧会全体について

震災後、文学者になにができるか。「福島第一原発観光地化計画」はその結論のひとつである。事故後25年の2036年を目途に、福島第一原発事故跡地に観光客を動員しようという計画。突拍子もない夢想と笑われるかもしれない。実際、官僚や社会学者から(だけ)ではけっしてこのような計画は生まれてこないだろう。けれども、未来は想像力からしか生まれないのではないか。悲劇の希望への変換は、現実の積み重ねを超えることでしか可能ではないのではないか。


福島第一原発観光地化計画は、社会運動であるととともに、文化運動としての側面ももっている。少なくともそれは、既存の「ポスト311建築」「ポスト311アート」への異議申し立てではある。311後、建築家/美術家は「被災者に寄り添う」だけでいいのか。わたしたちは、そのタブーに正面から挑む(挑んでいるつもりである)。


本展の第1会場では、書籍版『福島第一原発観光地化計画』の成立に関わった作品群を、制作過程の記録とともに展示する。藤村龍至による「ふくしまゲートヴィレッジ」模型、梅沢和木による「ツナミの塔」スケッチ案、新津保建秀による福島第一原発取材写真、小嶋裕一の映像作品が、藤城嘘の大作絵画とともに示される。2013年のいま、原発事故を建築/アートがいかに表象すべきか、ひとつの回答を読み取ってほしい。


第2会場では、震災後の梅沢の活動の出発点となった大作絵画、「うたわれてきてしまったもの」およびカオス*ラウンジによる新作を公開する。ただし、それは「被作品化」へ同意したもの限定の公開である。第2会場全体は参加型のインスタレーションになっており、会場の様子は監視カメラでたえずネット中継される。中継映像はのち梅沢の作品の素材として使われ、再解釈され、批判や非難に曝される可能性があり、第2会場への立入はそのような危険性を帯びる「被作品化」への同意を必要とする。それはまさに、監視カメラに囲まれた事故現場への立ち入り取材とともに、すべての人間が「当事者」にならざるをえない震災のアレゴリーでもある。


そう、「被災者に寄り添う」とは、まずは政府と電力会社の責任だとは、なによりもさきに原発ゼロだとは、すべて現実から目を逸らすための「炎上」でしかなかったのではないか。少なくともその相対化の視線なしに、建築とアートは、これからさきに進めないのではないか。それがわたしたちの問いなのだ。

第2会場構成について

第1会場が現在だとすれば、第2会場は未来である。第1会場が2013年における福島第一原発事故の表象/イメージを呈示する空間だとすれば、第2会場は2036年における福島第一原発事故の表象/イメージを幻視する空間になっている。

第2会場は、梅沢和木の2011年の絵画「うたわれてきてしまったもの」およびカオス*ラウンジによる新作「福島第一原発麻雀化計画」、そして新津保建秀の監視カメラ/ネット中継作品「「 監視中 映像を監視・録画しています」「フェンス ・カメラ等の撮影はしないでください」」 の3点から構成されている。

震災は人々の生を断片化し瓦礫に変えた。被災者にとってかけがえのない思い出の品が、そこではあらゆる意味を剥奪され、物質へ還元され、「ゴミ」に変えられてしまった。それは耐えがたい経験だが、しかし不可避の現実でもある。オタクたちが愛するキャラクターを断片化し、アーカイブ化し制作の素材とする梅沢の方法論は、この点で震災の暴力を先取りしていたと言うことができる。他人の愛するものを「ゴミ」に変えてしまう暴力。だれがいかに愛するものであったとしても、あらゆるものが「ゴミ」に変えられてしまう瞬間があるという残酷な事実。それこそが梅沢の作品の本質である。

したがって、その方法論で制作された最後の大作「うたわれてきてしまったもの」が、震災を主題に選び、続いてネットを舞台に激しい「炎上」を引き起こし、彼自身の方法論の撤回に結びついたこと(彼はいまでは商業キャラクター素材の引用をほとんど行っていない)は、震災後の状況をみごとに反映していたと言える。わたしたちは、だれかが愛するものを「ゴミ」に変えることなしに、またひとを傷つけることなしに生きていくことができるのか。第2会場は、そのような問いかけを軸に、カオス*ラウンジ炎上事件そのものを、震災後の状況に重ね自己言及的にパロディにすることで構成されている。

第2会場全体は、2036年にふくしまゲートヴィレッジが建設されたあと、隣接する敷地に超高層のホテルが開設されたという想定で構成されている。参加者は、その最上階のVIPラウンジ(それは2ちゃんねるVIP板への参照であるとともに、カオス*ラウンジの命名を想起させる)で福島第一原発事故をルールに取り入れた変形麻雀を打つことになる。東家の場合、参加者が演じるのはほかならぬ東京電力である。

梅沢の絵画と相対して掲げられている文章「「カオス*ラウンジ(文房具)」宣言」もまた、2036年に記された想定になっている。情報革命ならぬ「文房具化革命」が起きて、カオス*ラウンジこそが時代の最先端となっているというその文章には、開き直りとも言える痛烈な自己パロディが宿っている。カオス*ラウンジは、炎上事件の結果、ネット上の批判者により「カオス*ラウンジ」の商標を次々と取得され、文房具関係においてのみ商標を得るという、いささか滑稽な苦境に追い込まれた。いまのカオス*ラウンジは、じつは法的には文房具なのだ。

そして最後に、第2会場内での参加者の行動は、新津保の装置によりすべて収集され記録され、のち梅沢あるいは新津保の作品の一部となる約束となっている。それは、炎上後のカオス*ラウンジのすがたであり、また震災後の東京電力のすがたでもあるだろう。第1会場では監視される対象だった新津保が、ここでは監視する主体に変わる。加害者と被害者、監視者と被監視者は明確に分割されるものではない。参加者はこの会場で、震災後の東京電力が経験した「炎上」を、ひそやかに分有することになるのだ。