福島第一原発観光地化計画展に寄せて

こちらでは超ご無沙汰の東浩紀です。横のプロフ写真の娘も妙に小さいですしね……。

さて、今日は、福島第一原発観光地化計画展全体および第2会場の構成について記した文章を貼り付けておきます。思えば、カオス*ラウンジと梅沢和木について、ぼくがなぜ彼らを評価するのかまじめに文章を書いたのは、これが最初ではないかと。

展覧会は12月28日まで開催しています。チケット情報などはこちら(チケット販売数が妙に少ないのは再販売したからですw) → http://peatix.com/event/25973

会期終了まで時間もありませんが、かなり気合いの入った展示です。この文章を読み興味をもったら、ぜひご来場ください。

展覧会全体について

震災後、文学者になにができるか。「福島第一原発観光地化計画」はその結論のひとつである。事故後25年の2036年を目途に、福島第一原発事故跡地に観光客を動員しようという計画。突拍子もない夢想と笑われるかもしれない。実際、官僚や社会学者から(だけ)ではけっしてこのような計画は生まれてこないだろう。けれども、未来は想像力からしか生まれないのではないか。悲劇の希望への変換は、現実の積み重ねを超えることでしか可能ではないのではないか。


福島第一原発観光地化計画は、社会運動であるととともに、文化運動としての側面ももっている。少なくともそれは、既存の「ポスト311建築」「ポスト311アート」への異議申し立てではある。311後、建築家/美術家は「被災者に寄り添う」だけでいいのか。わたしたちは、そのタブーに正面から挑む(挑んでいるつもりである)。


本展の第1会場では、書籍版『福島第一原発観光地化計画』の成立に関わった作品群を、制作過程の記録とともに展示する。藤村龍至による「ふくしまゲートヴィレッジ」模型、梅沢和木による「ツナミの塔」スケッチ案、新津保建秀による福島第一原発取材写真、小嶋裕一の映像作品が、藤城嘘の大作絵画とともに示される。2013年のいま、原発事故を建築/アートがいかに表象すべきか、ひとつの回答を読み取ってほしい。


第2会場では、震災後の梅沢の活動の出発点となった大作絵画、「うたわれてきてしまったもの」およびカオス*ラウンジによる新作を公開する。ただし、それは「被作品化」へ同意したもの限定の公開である。第2会場全体は参加型のインスタレーションになっており、会場の様子は監視カメラでたえずネット中継される。中継映像はのち梅沢の作品の素材として使われ、再解釈され、批判や非難に曝される可能性があり、第2会場への立入はそのような危険性を帯びる「被作品化」への同意を必要とする。それはまさに、監視カメラに囲まれた事故現場への立ち入り取材とともに、すべての人間が「当事者」にならざるをえない震災のアレゴリーでもある。


そう、「被災者に寄り添う」とは、まずは政府と電力会社の責任だとは、なによりもさきに原発ゼロだとは、すべて現実から目を逸らすための「炎上」でしかなかったのではないか。少なくともその相対化の視線なしに、建築とアートは、これからさきに進めないのではないか。それがわたしたちの問いなのだ。

第2会場構成について

第1会場が現在だとすれば、第2会場は未来である。第1会場が2013年における福島第一原発事故の表象/イメージを呈示する空間だとすれば、第2会場は2036年における福島第一原発事故の表象/イメージを幻視する空間になっている。

第2会場は、梅沢和木の2011年の絵画「うたわれてきてしまったもの」およびカオス*ラウンジによる新作「福島第一原発麻雀化計画」、そして新津保建秀の監視カメラ/ネット中継作品「「 監視中 映像を監視・録画しています」「フェンス ・カメラ等の撮影はしないでください」」 の3点から構成されている。

震災は人々の生を断片化し瓦礫に変えた。被災者にとってかけがえのない思い出の品が、そこではあらゆる意味を剥奪され、物質へ還元され、「ゴミ」に変えられてしまった。それは耐えがたい経験だが、しかし不可避の現実でもある。オタクたちが愛するキャラクターを断片化し、アーカイブ化し制作の素材とする梅沢の方法論は、この点で震災の暴力を先取りしていたと言うことができる。他人の愛するものを「ゴミ」に変えてしまう暴力。だれがいかに愛するものであったとしても、あらゆるものが「ゴミ」に変えられてしまう瞬間があるという残酷な事実。それこそが梅沢の作品の本質である。

したがって、その方法論で制作された最後の大作「うたわれてきてしまったもの」が、震災を主題に選び、続いてネットを舞台に激しい「炎上」を引き起こし、彼自身の方法論の撤回に結びついたこと(彼はいまでは商業キャラクター素材の引用をほとんど行っていない)は、震災後の状況をみごとに反映していたと言える。わたしたちは、だれかが愛するものを「ゴミ」に変えることなしに、またひとを傷つけることなしに生きていくことができるのか。第2会場は、そのような問いかけを軸に、カオス*ラウンジ炎上事件そのものを、震災後の状況に重ね自己言及的にパロディにすることで構成されている。

第2会場全体は、2036年にふくしまゲートヴィレッジが建設されたあと、隣接する敷地に超高層のホテルが開設されたという想定で構成されている。参加者は、その最上階のVIPラウンジ(それは2ちゃんねるVIP板への参照であるとともに、カオス*ラウンジの命名を想起させる)で福島第一原発事故をルールに取り入れた変形麻雀を打つことになる。東家の場合、参加者が演じるのはほかならぬ東京電力である。

梅沢の絵画と相対して掲げられている文章「「カオス*ラウンジ(文房具)」宣言」もまた、2036年に記された想定になっている。情報革命ならぬ「文房具化革命」が起きて、カオス*ラウンジこそが時代の最先端となっているというその文章には、開き直りとも言える痛烈な自己パロディが宿っている。カオス*ラウンジは、炎上事件の結果、ネット上の批判者により「カオス*ラウンジ」の商標を次々と取得され、文房具関係においてのみ商標を得るという、いささか滑稽な苦境に追い込まれた。いまのカオス*ラウンジは、じつは法的には文房具なのだ。

そして最後に、第2会場内での参加者の行動は、新津保の装置によりすべて収集され記録され、のち梅沢あるいは新津保の作品の一部となる約束となっている。それは、炎上後のカオス*ラウンジのすがたであり、また震災後の東京電力のすがたでもあるだろう。第1会場では監視される対象だった新津保が、ここでは監視する主体に変わる。加害者と被害者、監視者と被監視者は明確に分割されるものではない。参加者はこの会場で、震災後の東京電力が経験した「炎上」を、ひそやかに分有することになるのだ。

バイトから送られてきたメール第二弾

またアツいメールが来たから公開するよ!

祭りの後の灰に触れて――「ゼロアカからフクイチへ」と題されるはずだったもの

仲山ひふみ

つい昨日のことだ。10月22日、五反田のゲンロンカフェで東浩紀太田克史による対談イベント、「ゼロ年代とはなんだったのか Vol.1」が行われた。僕はその翌日に大学のPCルームで一人黙々とキーボードを叩き、この文章を書いている。なぜそんなことをしているかはいうまでもない。かつてゼロアカが持っていたあの祝祭的なムードを再現したかのような先日のイベント、僕自身たくさんの笑いと喜びと共に観覧していたあのイベントに対して、どこかで抱いてしまった、かすかだが決定的な違和感に、僕なりに言葉を与えずにはいられない、そんな気分になってしまった、とにかくなってしまったから。だから書いているのだ。

もちろんこの文章が書かれているのには別の形式的な理由もある。どういうことかというと、ゼロ年代を再考するイベントを連続で開く上で、かつて起きた多くの事件やイベントの経緯を、それらの文脈や背景にも理解が及ぶように解説しまとめた文章が、後々の批評の読者への便宜という意味も兼ねたものとして必要になるだろうから、「ゼロアカからフクイチへ」というタイトルでそれを僕に書かせて欲しい、と坂上秋成さんに僕が提案していたのが、結局当日まで時間が取れず書くことが叶わなかったので、それを少しでも埋め合わせるために書いているということだ。とはいえこの文章を書かせている主な心理的な動機となっているのは、あくまで、昨日のイベントに対して僕が抱いた個人的な感想、意見である。(「ゼロアカからフクイチへ」というタイトルの軽さとは裏腹に、このテーマには多くの未整理な問題が含まれており、そのため僕は期日までに書き上げることができなかったのだという事実は、実のところ事態の本質の一側面を衝いているので、この形式的な理由についても言及したのだが。)

昨日の会では多くのことが語られた、それも今まで多く語られてこなかったような、ゼロアカ発足前夜の東さんと太田さんの関係についてや、ゼロアカ開始後の藤田直哉さんの暴走の痕跡たる「ザクティ革命」のことについてなど。それらに共通していえることは、何らかの形でそれらの語られなかった事情はゼロアカにおける奇跡的事件の数々を――それは僕らの言葉では「神イベント」とか「神展開」とか呼ばれるだが――生み出した原因だったり、それどころかそうした「神感」そのものですらあったわけだが、同時に人間関係において多くの障害を残した、一言でいえば「禍根」のようなものだったということである。

考えてみれば、ゼロアカ道場第四次関門において、藤田直哉という人ほど疎まれつつも、この企画全体の持つ何らかの力を高めた人はいなかった。むしろ彼こそは人に疎まれるような、迷惑がられるようなことばかりする中から、新しい批評的な言語がある「かもしれない」という希望を人々に与えることに成功していた唯一の人だったという気がする。それが結果的には何の批評的言語にも結びつかなかったのだとしても、また当時の彼の本音としては、それらの「神感」をまとうと共に「禍根」を残すような行動もすべては東浩紀の歓心を得たい一心でのことにすぎなかったとしてもだ。

僕たちは藤田直哉――いまやSF批評家として単著を発表し、東浩紀が支持する「カオス*ラウンジ」と彼のプロジェクト「福島第一原発観光地化計画」に痛烈な批判を浴びせることでアンチ・東の立場を誰の目にも明らかなまでに示している彼――をはっきりいって、あまりにも早く拒絶してしまったのではないかと、昨日のイベントで無言のうちに考えたのだ。僕は「カオス*ラウンジ」に参加する流れで、彼がその理論的な後方支援を行ったところの、いわゆる「アンチ・カオスラ」による暴力的な誹謗中傷(特に2011年から2012年にかけてのアンチたちによる、カオス*ラウンジを擁護する第三者への執拗な攻撃や、関係を持った人物への昼夜にわたる嫌がらせ行為、現実空間での盗撮、ストーキングまがいの行動)を多く目にしてきたので、心情的には、藤田直哉による「ネット民」支持はまったく許せなかった。にもかかわらず、いまだに僕にとっての藤田直哉は、あのゼロアカの頃の、「ザクティ革命」の動画の中の、あるいは東スレにしばしば書き込んでコテハンだった僕と議論してくれた藤田さんとして、まだ名も与えられず輝きだけを放っていた、ある新しい批評言語のほとんどゼロに近い誕生の可能性の残光と共に、いまでも強烈に記憶されたままなのだ。

この感覚はおそらく昨日のイベントに参列した多くの人があえて言わないながらも等しく感じたことではなかっただろうか。飛躍した物言いを許して欲しい。きっと僕たちゼロアカを通過した人間は、藤田さんと「共に」炎上したかったのだ。藤田さんが炎上する側で、僕らはそれをみて楽しむのではなく、あるいは藤田さんがけしかけ、僕らが炎上するのでもなく――それは東さんが宇野さんに感じているねじれた感情とも共通するものなのかもしれない。「僕たちは批評とか文学とか哲学とかアートとかそういうものに関わっている以上、炎上させる大衆の側ではなく、炎上するマイノリティの側だったはずじゃないか!」――だが「共に」炎上することを選択しなかったという意味では、第五次関門のあの段階で既に僕たちは藤田直哉に一つの負い目を感じているのだ。いやでも、しかしそれは、避けられないことだったのだ。僕たちは結局ばらばらに炎上する、ばらばらなマイノリティにすぎない。罪や過誤や責任やらを押し付け合いながら、誰が正しく優れているかを競い合っている。誰が正しく優れていたところで、所詮大した力も持ちえないというのに。そしてある日ぷっつりと、誰かのツイッターFacebookアカウントの更新が止まる。時計が止まるように、人の死は訪れる。事故で、被災で、罹患で、自殺で。

もう少しだけ論理を飛躍させる。じつは僕はあの2011年3月11日、夕方のニュースを見ながら、なぜ僕はこの日この時刻に宮城に、あるいは福島の海岸線沿いにいなかったんだろう、と思っていた。若者の甘えた幻想であることは承知の上で告白すると、僕は当時自分の人生にそれなりに絶望していて、「みんなで死ぬこと」に深く考えもせず憧れていたのだ。僕は災害という偶然性に襲われて、これまでの人生で辿ってきた必然性の履歴をすべてリセットされて死ぬことに、感じてはいけない希望を感じてしまっていた。僕がそんな甘えた錯覚に耽る少し前、つまり地震直後、その震源地と規模すら知らずに、自分が死にかけているというツイートをふざけて流したいわゆる「破滅クラスタ」の糸柳和法は、その後の周囲の擁護のかけ方が不味かったのも相まって、一瞬にしてネットの良識的な多数派たちによって炎上させられ、その社会的生命を終えた。間もなくして、展示での協力関係などで彼と比較的近しい関係にあった「カオス*ラウンジ」は、糸柳と「破滅クラスタ」との関係を断ち切ることを公式に発表することになる。「カオス*ラウンジ」どそのものが梅沢和木のある作品をきっかけにして炎上を経験することになるのは、それからほんの数ヶ月後のことだ。

祭りも、炎上も、災害も、すべてまったく次元が違うことを承知で言う。それでも僕たちはその向こう側に失われた共同性、失われた「共に」の可能性を見てしまう。ばらばらに死んでいくよりは、どこにも届かない言葉=心を抱えたまま消滅するよりは、一瞬だけ垣間見える輝きの中にいたいと誰しもが思う。そして一瞬でいいと言っておきながら、いざその瞬間が訪れると、できればその輝きが永遠であって欲しいと、卑怯にも願ってしまう。SNSとかやっているやつには孤独がわからないと東さんは昨日のイベントで述べた。その言葉の意図をたしかに受け止めつつも、あのとき僕は、逆ではないか、と考えていた。本当の孤独は、こんなにも多くの人に自由に言葉を、表現を届けられる環境にありながら、同じ時間と空間を共有しているように見えながら、僕たちは結局誰ともつながってなどいない、言葉は常に宛先から微妙に逸れ続けていると気づくことにこそあるのではないかと。

おそらく必要なのは二つのことだけなのだ。まず、嘘をつくのをやめること。言語の本性に従って、正直にこう述べるべきなのではないか。僕たちはSNSをやっている。人とつながりたいから。人と語り合いたいから。人と「共に」ありたいから。でも僕たちは知っている。SNSでは、いやほかのどんな媒体をもってしても、他者とはつながれない。「共に」あることなどありえない。すべては僕たちの矛盾した欲望が――つながれないとわかっていながらつながりたいと思ってしまう心が――つけ込まれているということに集約される。そして、こうしたコミュニケーションの錯覚を社会はまさに必要としているというわけだ。

もう一つ必要なことは、時間と空間の共有ということに関係する。昨日のイベントで僕たちは藤田直哉の撮影した動画のうちいくつかを、ニコ動のコメントともに見た。濱野智史がいうようにニコニコ動画のコメントは異なる時間に書き込んだコメントが、動画の上では一つの時間に書き込まれたかのように演出される、擬似同期のシステムにしたがってその強度を獲得している。僕たちはあの第五時関門のシンポジウムの映像を、当時会場内に同時中継されていたニコニコ生放送のリアルタイムコメントと、その記録がアップロードされたニコニコ動画の映像につけられたコメント、さらにそれがゲンロンカフェから配信される際のニコニコ生放送のコメント、そして東浩紀太田克史と観衆の笑い声と「共に」みていたわけだが、このようにして多重化されたコメントや言葉の層が、すべてどこか反復的で再帰的なものに思えるのは自然な成り行きだった。そして結局、そうしてそれぞれ別の時間に書き込まれた、祭りそのものとは別の時間に属する、焚火の後に残った白い灰のごとき言葉たち、擬似同期するコメントを通すことによってしか、僕たちはかつて感じていた「共に」一つの新しい批評的言語を生み出すという実験の強度を、生き生きとした色彩を伴って想起するということが叶わなかったのだ。だがいまとなってはさらにこうも思う。祭りが起きたことなどかつて一度もなかった。炎上が起きたことなどかつて一度もなかった。災害が起きたことなど――これは新たな炎上を引き起こすだろうし、メタファーの重ね過ぎで推論が不正確になっている気がするし、女は存在しないとか社会は存在しないといった批評に特有な自己撞着的レトリックに落ち着いてしまいそうだから言わないが――・・・・・・あのゼロアカがアツかったと言われていた時代、僕たちは単に幾重にも重なったかつての祭りの後の灰を眺めていたにすぎなかったのではないか。美少女ゲームの、初期ファウストの、新現実の、90年代アニメの、批評空間の、文学史の、それぞれの残した白く柔らかな灰と戯れながら、かつてあった火の大きさに無意識に焼かれつつ、苦痛とも快感ともつかない興奮と「共に」言葉を吐き、動画を撮っていただけだったのではないか。要するにこうだ、すべては非常に一般化された意味での擬似同期が見せた、束の間の夢だったのではないかということだ。

もちろんそれが極論であることを意識していないわけではない。この洞察から得られるのは、炎上など幻想であるという帰結だ。しかしそれは対症療法にすらならない、役立たずのテーゼには違いない。だって僕たちは、この期に及んでもまだ人とつながりたいと思っているのだから。人とのつながりを本当にすべて捨てていいと決意するのであれば――もうSNSだのなんだのでの炎上を気にすることは一切やめるべきだ。しかしきっと、そこまで思い切ることは僕たちにはまだできない。その事実こそが、僕たちがまだ十分に孤独でないことの証明になっている。

この中途半端な孤独の中で、僕たちは何をすべきだろうか?東さんも、僕も、僕の師匠である黒瀬陽平さんも梅沢和木さんも、いちおう炎上を幾度か経験している。僕たちはこれからも炎上を経験するだろうし、炎上は本当の炎に焼かれて死ぬことに比べればたぶんそれほど苦しくないことも知っている。だが、炎上が人と人とがつながれるというあの甘い錯覚を確実に焼き払っていくということだけは、確実に知っている。炎上を恐れつつ、炎上の力を利用する、そんな邪な考えがだんだん僕たちを支配する。メジャーにこそ見過ごされてきた真の批評的可能性があるというロジックは、炎上を避けつつ炎上の力の源である多数派の欲望にだけ安全に働きかけようという、ある意味では今日の状況に置ける最適解としての戦略には違いないだろう。この水平的な戦略の台頭によって、ゼロアカの水平的に見せかけながらきわめて垂直的な実存によって駆動されていた想像力の可能性は、完全に抑圧されることになった。

長くなりすぎたのでそろそろこの文章を終えよう。結局僕には「ゼロアカからフクイチへ」などという希望に満ちたタイトルを与えられた文章は書けなかった。僕にできたのは、いま書いているこの文章のように、ただ個人的に思い入れのある過去を非-公共的な態度でもって眺めながら、そこに置いてきてしまった言葉のかけらを自慰的に撫でるようなことにすぎなかった。

たぶん――ゼロアカ道場とは批評にとって、流産した言語行為のようなものだった。

しかし僕たちは、こうして残った言葉たち=灰たちを重ね散らしながら、まだ何か書くことがあるはずだと探してみることはできる。ネットの海の中には、あるいはネットの外でもいい、いっけんつながっているように見えて、どこにもつながっていない言葉を、表現を吐き出す人たちがいるはずで、じつはそれは結構すぐ近くにいる他者から発せられているものかもしれないのだ。それをゼロアカという祭りの後の灰と混ぜ合わせること。ゼロアカという、数限りない「禍根」と「神感」を同時に残した出来事を、新しい言葉や表現の可能性の中で、なんとか救い出してやること。それははっきり言って無理かもしれない。でも、誰かがそういう無理な仕事をやるのでもなければ、あまりにもあの頃の言葉たちは、救われないではないか。

バイト候補からの手紙

こんばんわ。
東浩紀です。
何年ぶりかわかりませんが、ここでも更新してみます。ゲンロンの公式ブログよりもこちらのほうがインパクトがあるのではないかと思ったからです。
かつて、ゼロアカがアツかった時代、仲山ひふみという男が2chに降臨しました。彼は、高校生にもかかわらず、ドゥルーズに詳しいと主張し、東大も一瞬で合格できると豪語していました。残念ながら、彼は浪人したすえ、べつの某大学に行ったわけですが。。。

が、それはともかく! そんなスーパースター・仲山くんが、ゲンロンカフェに加わってくれることになりました。ゲンロンはますます原点回帰していきます。

というわけで、以下、仲山くんのアツすぎるメールをお送りしましょう。みなさん、11月からのリニューアルにご期待よろしく!!!

坂上さん、東さん

昨日はお疲れ様でした。
かなり衝撃的な流れでしたが、お二人が語ってくれた言葉は確実に響くものがあって、久方ぶりに人と会話して目を醒まされる思いをしました。
しかしそれでも、お二人からの問いかけに対して、回答するのに時間をいただかずにはいられませんでした。そのことについてまず説明させてください。

最初、メール業務について自分の能力に不安があると言いました。あれは決して嘘ではなかったのですが、しかしその時抱いた本心とは微妙にずれたものだったことをいま告白します。
僕が本当に戸惑いを覚えたのは――最初に聞かせてもらった固有名――会田誠小林よしのり三浦展とやり取りできることを面白いと思えなければこの仕事はできないと言われた、その部分に関してでした。
正直に言えば、あの時点では、僕から見て、この三人と東さんが対談することにあんまり面白みを見出せなかった。なぜならそれは、かつて話された主題(リベラリズムヘイトスピーチ、あるいはゾーニングとアート、ショッピングモールと郊外性)の反復をあまりに強く想起させるし、それがチェルノブイリ本、フクイチ本以降の新しい実践にラディカルに結びつくようにも思えなかったからです。また、特に小林よしのりの仕事については、ゼロ年代批評の文脈の外側から眺めた経験が僕にはほとんどなく、そんな状態でいったい自分に何ができるのか全く見えなかった。だからお二人の問いにはっきり答えることができませんでした。
しかし帰宅して夕飯を食べて犬の散歩をしている間に、この戸惑いの中にこそ解決すべき問題が含まれていることに、唐突に思い至りました。つまり、ゼロ年代批評、あるいは批評全般がいまや力を失い、僕自身その強迫観念を維持できなくなりつつあるために、こうした仕事への興味の動線が見えづらくなっているのではないかと思うようになりました。
もう一度、批評の再生を意識しつつ、再びこれらの固有名を眺めてみました。するとかつて話された主題たちの中にこそ震災・原発事故・ダークツーリズム以降の問題と対応した意味が見出せることに気付きました。この意味を通じてようやく僕にも、ゲンロンカフェの再起動、その先にある具体的な希望が垣間見れたような気がします。

 「小林よしのりにAKBの話をさせるだけでいいのか?彼が持っていた日本の土着的思想への嗅覚はそれに収まるだけのものではないはずだ。彼は共感の増幅装置としてのシミュラクルに徹底的に賭けて、イデオロギーそのものが賞味期限切れを起こした世界で物語をつむぐことに成功した人だった。そんな彼がフクイチ計画をどう捉えるか、ぜひとも知りたいじゃないか?」
 「会田誠はアートとサブカルのなし崩し的融合と昨今の美術館ビジネスの困難を同時に象徴する存在である、こんな客観的かもしれないが凡庸な教科書風コメントに何の意味がある?震災以降、明らかに何もかもがどうでもいいといったニヒリズムが支配的なのに、神経症的なツッコミだけは全方位からやってくる今の日本のSNS文化の中において、アーティストとしての彼が感じていること、その想像力の中にこそ僕たちの知りたいことが含まれているのではないか?」
 「下流社会と郊外における人々の生活というテーマは、フクシマという、内部にして外部である圧倒的な場所の名によって、キレイにその存在感を消されてしまったように思われる。だが少し見方を変えれば、フクシマで働く原発作業員や避難民の方々の生活にも、下流社会が顕在化させた過剰流動化の問題や、インフラストラクチャー環境管理型権力が変わりなく関わっており、誤解を恐れずいえば彼らの「放射能に囲まれていることを除けば普通に多様な生活」という現実を見出すにはもう一度、下流社会や郊外を取り上げなおす必要があるわけだ。とくに福島や三陸の諸被災地域は、東京や仙台との関係でいえば、「偉大なる郊外」としての復興を遂げられるかどうかに可能性を賭けている。ゼロ年代の郊外論を牽引した三浦展にこのテーマをぶつけ、それが開沼博など新しいリアリズムを追求する若手の社会学者との議論に発展するのであれば、それはとてもエキサイティングじゃないか?もちろんその知的興奮は、僕たちの意識には上らない、いわば非現前的な領域で、フクシマ=福島という二重化された固有名を歴史に刻みつけることに大きく貢献するはずだ。」

ゼロ年代批評の持っていた力とは「物語」を失った世界をそれでも「物語」として捉えなおす力だったのではないでしょうか?
それは「物語」の外で、新たにその種子のようなものが育っていくことの希望を僕たちに見せるものだったのではないでしょうか?
だから、いまゲンロンカフェの再起動を考えるのであれば、それは「物語」を生成する場として、いわばそれ自体が「物語」でもあるような場としてそれを考えること以外にありえない。
「物語」には媒介としてのキャラクターが必要です。しかし人間はキャラクターになることを望んでいないし、なかなかそれを受け入れようともしない。
しかし残念部は――というより僕は――いま上に書いたテクストから容易に読み取れるように、無教養で、軽薄な知しか持ち合わせていない、残念な人たちです。


メールのタイトルは、僕なりの決意を込めて、それがいつまで続くかわからないけれど、少なくともいまこの瞬間は自分がキャラクターであることを、
いま自分が属しているこの世界が一つの「物語」であるということを引き受けよう、選択しよう、という意図でつけました。

以下、対談イベント案+告知文シミュレーション+コメンタリーです。敬称略です。全部で六件ほど考えてみました

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福嶋亮大×安藤礼二「復興と輪廻転生」
ゼロ年代のネット文化を構造主義的に分析した『神話が考える』の著者である文芸評論家で中国文学研究者の福嶋亮大が近々、『復興文化論』と題された書物を刊行する。文化がエフェメラル(儚い、瞬間的)な消費のシステムへと解消しつつあることを指摘した著者が、いまや世界史の領域へと関心を広げつつ見出した、文明論的危機に対抗する復興文化の可能性とは何か。他方で、折口信夫に対する特異な考察によって文芸評論の世界で注目を集める安藤礼二は、この謎めいた思想家の仕事を軸に、明治以降の近代化に伴った民俗学と文学という制度の誕生の歴史、アジア的伝統に伏流する死と再生のロジックを追求し、その射程をイスラーム井筒俊彦の思想にまで伸ばしている。文化に眠る古くて新しい再生の力を探求する、待ち望まれた二人の対談をいまここにお届けする。

*実現可能性はスケジュール次第だがかなり高いのでは。狙いは、アジアを主題とした議論を、ソーシャルビジネス・政策提言のイメージの強いフクイチ本と同じパースペクティヴにおくことで読者の誤配を引き起こすこと。復活・再生というテーマを強調してゲンロンカフェの空気を変える。大塚英志安藤礼二という組み合わせも考えていたが実現可能性は低そう。


斉藤圭太×斎藤大地「ネットによる軽やかな革命は可能か」
近年メディアを賑やかすネット以降の新しいライフスタイル、シェアハウス、ノマド・ワーキング。渋ハウスはその文脈に大きく括られながらも、渋谷という街の記号性に寄生しつつアートとしての実践をそこに重ねることで巧みにズレを導入している。対する斎藤大地はジャーナリズムの新しい可能性を探してネットカルチャーサイト「ねとぽよ」を立ち上げた。SNS中毒でコミュニケーション偏重な、いわゆるヌルくてライトな新しいオタク世代のリアリティに寄り添いながら彼が目指すのは、労働意識の変革のさらにその先かもしれない。表面的な軽薄さの下で若者たちが共有する革命への隠された欲望、その可能性を巡るこの異色の対談を見逃すな!

斉藤圭太さんとはじつは微妙な関係なので実現はやや難しいかもしれない。ただ芸術係数のイベントのさいにゲンロンカフェには来ているので可能性はあると思う。僕はこの二人が革命について口角泡を飛ばして語っているのを見せるのは面白いと思いますが(というのも今の若者はそういうものに興味が一切ないと思われがちで、なおかつ新しい客層へのアピール力があると思うので)、二人がその図式に乗ってくれないと成立しないというのが最大の難点かも。


・chloma×ケイスケカンダ「ファスト・ファッションを超えてーー新しいロマンティシズムを着こなすために」
新しいファッションとは何だろう?UNIQLOやH&Mをしれっとカッコよく着こなすのも悪くないが、それだけでは物足りない。何より閉塞感がある。『日本2.0』への参加などでゲンロンに縁のある新進ブランドchlomaの鈴木淳也と、独特のポエジーを発散するロリータ系ファッションで若い女性から確かな支持を得るケイスケカンダが、ファッションの新しいロマンティシズムを巡って静かに邂逅する。そしてさらにイベントの最後には両ブランドのプロダクトの試着もできる。実際に着ることでしか味わえない新しいファッションのコスプレ的な快楽に、あなたも勇気を出して目覚めてみてはいかがだろうか?

*対談を対談だけでお行儀よく終わらせてもつまらなくなりそうなので、試着イベントを組み合わせるというのはどうかという企画です。クロマさんはやってくれそうですが、ケイスケカンダさんとは人脈がないので手探りになりそうです。(試着スペースの準備などはまだ考えていませんが男性客が多かった場合、むしろ試着スペースとかいらないかもしれません。)ケイスケカンダ・ファンの女子層はゲンロンカフェとの相性はいいのではないかと思いますし、アートとファッションの話につなげれば思わぬ脱線も期待できそうです。


・ありらいおん×tokada×廣田周作「人文知とデータマイニング、その幸福すぎる関係」
図書館司書として日々データベースに接する傍ら、ニコニコ動画のタグ分布や再生数・コメント数のヴィジュアライゼーションを行っていることで有名なありらいおん、ゲンロン友の会の上級会員であり古くからの東浩紀ウォッチャーでもある人文系エンジニアtokadaと、あのゼロアカ道場の最終選考にまで残り現在ではデータマイニングやビジネスに関する単著を出版した廣田周作が一同に会し、ライフログと検索アルゴリズムと可視化技術の先にある人文知の可能性を、聴衆からの意見もリアルタイムで集めながら語り合う。無味乾燥に思われがちな情報処理技術の先に、新しい夢を見る想像力をゲンロンカフェから提案する。

*友の会&ゼロアカ&関クラ&ツイッター有名人ピックアップ系イベントです。思うにあの登壇者席には、わやわや人がいた方が祭り感が出る。いわゆる講義形式ではなく、質疑応答などを多数挟む参加型の形式にすることで、会場の熱気を上手く取り込みつつ、リピーター+友の会入会への導線を作るのが狙いです。村上さんや峰尾さん、筑波批評の人たちも上手く組み合わせて、こういう形式のイベントのヴァリエーションも考えられます。問題はスケジュール調整ですね。


・仲山ひふみ×永田希「かつて音楽があった」
音楽について語ることがこれほど惨めな行為だった時代がかつてあったか、という反語的問いかけすら空しくなるほどに、20世紀のサブカルチャーの中心に座していた音楽はいまや凋落の一途を辿っている。ジョン・ケージや池田亮二とアニソン、ゲーム音楽を等価に聴く仲山ひふみと、本が好き!BookNewsを運営しDJとしても活動する永田希が、音楽の終わりを軽薄に想像し、哲学・美術・文学の議論も交えながら、アイロニカルに語り合う。すでに一部で話題になりつつある、そんな救いようもなくネガティヴなポスト音楽系トークイベントがゲンロンカフェを襲来する。突発ライブ演奏やシークレット・ゲストももしかしたら?

*比較的ノーコメントですが、一応UST累計視聴者数は200〜300人ぐらいをキープできているので、やり方次第で集客は望めるかと思います。カフェ店員である僕が前に出ることでゲンロンカフェの空気を変えるという一連の流れの中での意味もあります。


・pha×藤城嘘×石岡良治ニートとアートとソーシャル・ゲーム」

ニートの歩き方』でライフワークバランス系論壇に衝撃を与えたphaが、若手の現代アーティストの中でも屈指のニート感を発揮する藤城嘘と、自宅警備員の名の下にニート的イメージが一人歩きしている評論家の石岡良治に出会う。そこで問われるのは、一世を風靡した「ニート」の概念がいまどう変わりつつあるのか、あるいは変わらずにいるのか、ということだ。それぞれの立場から問われる「ニート」という現実は、生きること、遊ぶこと、コミュニケーションすることの境界が消えた現代社会の状況を経由しながら、ソーシャル・ゲームの問題へと収斂していくことだろう。パズドラ、艦コレ、そしてクッキークリッカーへと、その奇形的進化にはどのような美学的可能性があるのか、予想不可能な議論に飢えた好奇心豊かな聴衆に向けてゲンロンカフェは開かれている!

*かなり直感的に考えた組み合わせですが、ニートからソーシャルゲームへというテーマで語るイベントはあっていいかなと思いました。そこにアートを絡ませたのは僕の趣味ですが、phaさんはああ見えて自由即興音楽とか聴いたりしているので、こういうテーマとの相性はいいのではないかと思います。

しそちず!4号幻の送り状メッセージ

以下は、コンテクチュアズ友の会会報『しそちず!』第4号、送り状用に書いた挨拶です。社員の独断により送付されませんでしたので、ここで公開します。

編集長からのご挨拶

東日本大震災の被災者の方々に心よりお見舞いを申し上げます。
会員の方にも被災地在住の方々がいらっしゃいます。
復興の辛苦のなか、もし本会報が少しでもみなさまの苦しみを和らげるものになっているならば、それに越した喜びはありません。
少しでも楽しんでいただければと存じます……。

……というわけで、なんともかんとも、たいへんな災厄が起きてしまいました。
東北および北関東地方の惨状とは比較になりませんが、首都圏でも放射能汚染の恐怖、計画停電による不安はまだまだ続き、かつての日常が復活するには長い時間がかかりそうです。この震災は日本社会のあらゆる場所に深い傷跡を残し、言論もむろん例外ではないでしょう。ゼロ年代の思想が云々とかもはや言っている場合ではない、ぼくたちは突然のように、50年、100年にいちどの大きな歴史の節目に投げ出されてしまったようです。今後は、次の10年ではない、次の100年を考えなければなりません。
いやはや、それはまったく重い責務です。鬱になりそうです。というかぼくはそういうのはとっても苦手です。でも、現代日本で言論人として生きている以上、この責務からだけは逃がれるわけにいかない。
とりあえず我が社コンテクチュアズは、この危機に対し、言論・思想を担う新しい出版社として最低限の社会的責任を果たすべく、急遽『思想地図β』震災特別号の刊行を決定いたしました。「危機(災厄)と思想の力」を主題とし、この過酷な現実を生き抜くためのアクチュアルな思想の可能性を探る意欲的な目次を構成し、定価の3分の1を支援金として被災地に送らせていただく予定です。
刊行時期や目次など詳細については、本会報次号でも告知しますが、ぼくのツイッターでの呟き @hazuma や公式アカウント @contectures を適宜ご覧になっていただければ幸いです。

さて、会報『しそちず!』第4号をお送りいたします。
今号もふたたび大幅ページ増。巻頭特集では、マンガ表現論でエッジを走り、じつはぼくの15年来の畏友でもある伊藤剛氏の研究室におじゃましました。例によっての二号分割掲載で、次号はマンガ表現の「目」と「視線」の機能について、じつに刺激的な理論の構想が語られるので、お見逃しなく。
第二特集は、昨年末から先月2月26日の創刊記念イベントまで、この3ヶ月間コンテクチュアズを(いい意味でも悪い意味でも!w)翻弄し続けた大型企画、「AZM48 the movie」の総括記事です。入江悠監督参加のコラムと鼎談、狂乱の2.26イベントの報告記事、そして宇野常寛氏連載の原作小説もついに最終回へ……。まったくの偶然なのですが、震災を経た現在の視線で見ると、それはまさに、震災前の、あの幸せで内向的で能天気だったゼロ年代を象徴する企画だったようにも見えないことはありません。2月26日からまだ1ヶ月経っていないというのが、ぼくにはまだどうも信じられないのです……。
そして今号は、この版型、ページ数で送る最後の会報です。次号より本紙は大幅にリニューアルし、版型こそ小さくしなりますが、逆に大幅ページ増、目次も一新し新人の投稿原稿を受け付けるなど(正式な募集は次号からですが、意欲あるひとはいまからでもぜひぜひ! 2万字以内が目安のノンフィクションの論考を幅広く募集します)、『思想地図β』の友の会としてふさわしい読みがいのある会員制マガジンに生まれ変わる予定です。
ほかも某事情により代表がぼくに変わったこと(!)や、オフィスが四谷から五反田に引っ越し面積が10倍以上になったこと(!!)など、この春は社内も動きが激しく、じつは無数に報告しなければならないことがあるのですが、震災に比較すればすべてが些細なことですし、なによりももはや紙面が尽きました。

今後ともコンテクチュアズへのご支援、よろしくお願いいたします。
『思想地図β』震災特別号、そしてその次の2号、必ずよいものにします。

 2011年3月23日
停電で暗い羽田空港にて
合同会社コンテクチュアズ
代表 東浩紀

For a change, Proud to be Japanese : original version

 地震の瞬間、ぼくは同僚とともに東京都心部の四谷にある古い雑居ビルの六階にいた。
 日本人は地震に慣れている。ぼくもまた幼少期から無数の地震に遭遇してきた。だから揺れ始めた瞬間も動じることはなかった。いつもより大きいなあ、と思ったぐらいだった。
 けれども揺れはいつまでも止まらず、振れ幅は少しずつ大きくなっていった。やがてフロアの天井と壁が異様な音を立てて軋み始め、だれからともなく、これはまずい、外に出ろと叫びが上がり、ぼくたちは砂埃が舞うなか狭い階段を争うように駆け降りた。なんとか戸外に出て振り返れば、ビルはぐらぐらと激しく横に揺れ、隣のビルといまにもぶつかりそうになっている。群衆から声にならない悲鳴が漏れた。あたりを見渡すと、すべての車が停止し、広い車道は周囲のビルから逃げ出してきた人々で埋まっていた。
 ぼくたちはみな携帯電話を取り出した。電話は通じない。ネットは繋がる。メールは不安定だ。ツイッターの書き込みによって、それがはるか北方を震源地とする巨大地震で、公共交通機関はすでに運行を停止していることを知った。顔も名前も知らないツイッターユーザーの安否は続々と明らかになるが、妻との連絡はいっこうに取れない。娘を預けた保育園も繋がらない。
 結局ぼくはその日、自宅まで一三キロの道のりを歩いて帰ることとなった。幹線道路沿いの歩道は、同じように徒歩での帰宅を決断した通勤者たちで埋まり、ぼくたちはただひたすら軍隊のように、それぞれの自宅にむかい無言で行進を続けた。帰宅したのは、もうすっかり日が暮れたあと、午後七時も回ってからだ。
 ぼくは東京で生まれ、そして三九年間東京に住み続けてきた。しかし、この都市がここまで混乱した――というよりもむしろ呆然と立ち尽くしたと言ったほうが正確だろうか――のを見たのは初めてだ。
 しかもそれは、悪夢の始まりでしかなかった。地震から津波へ、そして福島の原発事故へと続くその後の展開は、みなさんもすでにご存知のとおりである。その悪夢は、この原稿を書いているいまも収束の兆しを見せていない。

 さて、今回の震災が日本社会に対して与える影響を見積もるのは容易ではない。事態はまだ進行中だし、なによりもこれほどの大きさの災害となると、影響はじつに多岐に亘り、予測を超えた深さで国のかたちを変えるはずだからである。
 たとえば政局は震災以前とがらりと変わるだろう。民主党政権はふたたび息を吹き返すだろうし、党内の力関係も大きく変わるだろう。東北地方の経済復興には長い時間がかかるだろうし、原発事故のあとではエネルギー政策も根本から見直さざるをえない。しかしそれらの変化はまだ予測可能なものだ。一六年前、阪神淡路大震災の二ヶ月後にオウム真理教のテロが起きたように、震災が国民に残した精神的心理的動揺は、のち思いもかけないかたちで吹き出す可能性がある。これから半年、一年の日本の動きは、さまざまなレベルで注視し続ける必要があろう。
 というわけで、具体的な予測や評価はまだまったくできないが、それでも話を抽象的な側面に絞ってよいのならば、震災後六日目のいまでも言えることがただひとつある。
 それは、この災害を契機として、日本人がいまかつてなく――少なくともこの二、三〇年では経験したことがないほど強く――「国家」の存在を肯定的に意識し始めたということである。
 日本人は、第二次世界大戦に破れて半世紀以上、国家や政府を誇りに感じることがほとんどできなかった不幸な国民である。とりわけこの二〇年、バブルが崩壊し長い不況に入ってからはそうで、首相の顔は驚くほど頻繁に変わり政策は停滞し、日本人のあいだには政治的シニシズムが蔓延している。実際、一六年前の阪神淡路大震災では、政府の対応はあまりに杜撰かつお粗末で、多くの国民から強い非難を浴びた。
 ところが今回は状況が劇的に異なる。むろん非難の声はある。原発事故および首都圏の大規模な停電は、国民生活に深刻な影響を及ぼし続けており、当然のことながら政府と電力会社はマスコミから厳しい追及を受けている。しかし他方、国民のあいだでは彼らを擁護する声がじつに強い。救援活動のスポークスマン、枝野幸夫官房長官はネットで英雄となっているし、自衛隊の救援活動は絶賛されている。ツイッターの投稿は震災一色だ。ぼくはいままで、日本人がここまで「公」のことばかりを考え、話題にし続けた光景を見たことがない。日本国民も日本政府も、ついこのあいだまでは愚痴と内ゲバばかりでまったく前に進めない優柔不断で身勝手な人々だったのに、いまや別人のように一丸となって大胆に国を守ろうとしている。つまり日本人は、日本の若い世代がよく使う表現を借りれば、震災後突然「キャラ」が変わったように見えるのである。
 日本人はいま、めずらしく、日本人であることを誇りに感じ始めている。自分たちの国家と政府を支えたいと感じている。
 むろん、そのような「キャラ」はナショナリズムに繋がるのでよくない、との意見はありうるだろう。ネットでは早くもその種の懸念が登場しているし、また熱狂はしょせんは一時的なもので長続きしないという見方もある(おそらくそうだろう)。しかし、ぼく自身はそのうえでも、やはりその現象にひとつの希望を見いだしたいと思う。
 震災前の日本は、二〇年近く続く停滞に疲れ果て、未来の衰退に怯えるだけの臆病な国になっていた。国民は国家になにも期待しなくなり、世代間の相互扶助や地域共同体への信頼も崩れ始めていた。
 けれども、もし日本人がこれから、せめてこの災害の経験を活かして、新たな信頼で結ばれた社会をもういちど構築できるとするのならば、震災で失われた人命、土地、そして経済的な損失がもはや埋め合わせようがないのだとしても、日本社会には新たな可能性が見えてくるだろう。もちろん現実には日本人のほとんどは、状況が落ち着けば、またあっけなく元の優柔不断な人々に戻ってしまうにちがいない。しかしたとえそれでも、長いシニシズムのなかで麻痺していた自分たちのなかにもじつはそのような公共的で愛国的で人格が存在していたのだという、その発見の経験だけは決して消えることがないはずだ。
 今回の震災、海外のメディアでは、災害に直面した日本人の冷静さや公徳心が驚きをもって受け止められ、高く評価されていたと伝え聞く。しかしじつはそれは、当事者の日本人にとっても驚きだったのだ。なんだ、おれたちやればできるじゃないか、だめな国民じゃないじゃないか、というのが、おそらくはこの数日間、日本人の多くが多少のくすぐったさとともに味わった感情のはずなのである。
 あとはその感情を、時間的にも社会的にもどこまで引き延ばすことができるのか、その成否に、今回の震災だけではない、その二〇年前から続く長い停滞と絶望からの復興がかかっている。

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上の原稿は、New York Times に2011年3月17日掲載された原稿For a Change, Proud to be Japaneseの、英訳される前の元原稿です。
3月16日執筆。英訳原稿は日本語原稿の6割ほどの翻訳です。時差と締め切りの関係で、要約編集は翻訳者と編集者が行いました。日本語版にはタイトルはありません。タイトルは New York Times 編集部が決めました。
日本語版公開を許可いただいた New York Times 編集部に感謝します。また翻訳および New York Times 編集部との連絡役を担当してくれた河野至恩、Jonathan E. Abel 両氏に深く感謝します。両者はぼくの『動物化するポストモダン』の英訳者でもありました。
2011年3月22日公開。

コミケ出店


直前の告知になりましたが、明日コミケに出店します!
ブースは 西地区 れー24b「波状言論」。なんと壁です!
新刊は例によって宇野くんとの合同本『Final Critical Ride』の第2号。
目次は以下のとおり。
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【グラビア&インタビュー】松田賢二
【対談】東浩紀×宇野常寛聖地巡礼2――平成仮面ライダー補完計画 MISSING ACE」(随行記:浅子佳英)
〔特集〕エヴァ/ヱヴァ2009
 【対談】東浩紀×山本寛
 【鼎談】東浩紀×伊藤剛×竹熊健太郎
 【対談】宇野常寛×荻上チキ 
 【論考】稲葉振一郎 
 【論考】坂上秋成
【特別寄稿】入江哲朗 
【付録CD】決断主義トークラジオAlive4 東浩紀×宇野常寛×濱野智史×李明喜×浅子佳英etc
A5版:64頁/1,000円
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ほか、思想地図第2期出版のため宇野くんや濱野くんと一緒に新春設立する、「合同会社コンテクチュアズ」の記念Tシャツも販売する予定です。
よろしくお願いいたします!

twitter3日ほどお休みします

どうも僕がいるホテルはツィッターに接続できないようです。理由はよくわかりませんが・・・。
Android端末では試していないのですが、データローミングパケ死するのもいやなので、3日ほどツィッターはお休みします。冷静に考えてみると、このほうが休暇として正しいすがたかもしれません。
ハッシュタグ「#QF」のメンテナンスは公式アカウントさんにお任せします(本当によろしくお願いします!)。むろん、帰国したら目を通しますので、どしどし感想をお寄せください。
なお、品切れ情報などは、そのあいだぼくがRTすることができないので、@QuantumFamiliesに直接メンションして呟いていただけると助かります。よろしくお願いします。
それにしても、あの1万人のフォロアーのうち、何割くらいがこのブログに気づくのだろう。。。もうだれもブログなんて読んでいないんじゃないかとかいう不安に押しつぶされそうですが(実際ぼくがすっかりそうなっているし!)、それは自分がすっかりツィッター脳になっているから、ただそれだけのことだということも自覚していますw。