2008-08-07
スカイ・クロラ
ツアーも終わったと言うことで、ムービルでスカイ・クロラ見てきました。入れ替えなかったので連続二回。
さて、この映画で押井は何を伝えようとしたのか。急遽見ることを決めたため、予告編も何も見ていない自分にとっては世界観からして一回目では判然とせず、二回目でようやく解り、家に帰って予告編を見て全てが氷解するという感だった。逆に言えば、予告編(と公式サイト)の内に、世界観の説明と押井の提起したい問題は殆ど詰まっているのだ。或いは答えの一部さえ。あと本編に残された役割は、その問いと答えを、如何に実感あるものとして観客に受け取ってもらうか。この映画の作り込まれたリアルさは、彼にとっての問いと答えを提示するものではなく、提示した問いと答えを観客に内面化させるためのものだと言ってもいいように思う。しかし、やはり世界観説明を予告で済ませて本編ではさほど触れないという態度には疑問が残る。
話題がずれた。押井は何を伝えようとしたのか。一義的には、「同じ日々の繰り返しは生を摩耗していくことになるなのか」という事だろう。自分は「今のこの日々がずっと続いたらいいなああああ」などと妄想するモラトリアム人間だから、同じ日々の繰り返しには一種のあこがれも抱くが、やはりこれは繰り返しがあり得ないが故の憧憬なのだろう。だが、押井は登場人物にこう語らせる。
それでも……昨日と今日は違う
今日と明日も きっと違うだろう
いつも通る道でも 違うところを踏んで歩くことが出来る
いつも通る道だからって 景色は同じじゃない
全くの同じ日々の繰り返しならば生は摩耗されていくだろうが、同じ日々というものはあり得るのだろうか?それ自体に疑問を呈するわけである。
自分は予告編など見ていなかったため、これが押井の例によってゴーストをテーマにしたものかと思っており、実際その様な視点からずっと見ていた。日々の繰り返しによる生の摩耗という点からは、日々の完全な同一性の否定によってこれが解消できたわけだ。しかし、キルドレがクローンのようなものであって、一人が死んだときに容姿や記憶(ここでは戦闘経験とされていたが)の類似した代わりの要員が現れる、そしてその記憶を同じくするキルドレ同士を同一のものと見たとき、これはより救われようのない、「同じ生の繰り返し」という事になりはしないか。草薙は仁朗を殺すことで日々の同一性から解脱させようとしたが、この考え方からすれば、優一が現れたことで、より大きな同一性の連鎖からは解脱できなかったのである。
これを解消するのがゴーストではないか。即ち、例え同じ容姿、記憶を持っていてもゴーストが異なればそれは違う人格だ、ということである。劇中で湯田川が死に、代わりに湯田川とうり二つの人物が配属されてきた際、新聞をたたむという同じような動作をしながらも、読んでいる新聞の種類、たたみ方に湯田川と若干の差が生まれる(湯田川一人の動作は、二回描写があっても全く同一のものだった)ことからも、それが伺える。だが、異なるゴーストを持っていた場合、何故草薙は仁朗と同じく優一を愛しえたのか、との疑問も残る。
同じ生が繰り返されていると言うことを優一が認識したとき、それを解消するのは、このショーとしての戦争を終わらせる事によってのみである*1。ショーとしての戦争を持続させているのは、決して勝てない敵の存在、つまり「teacher」であり、それ故に優一は物語の最後にteacherに挑み、そして散っていくのである。
映像、音楽に関しては、もう絶賛するほかない。非常にリアルな3D背景に対して完全に2Dの人物が違和感を持つという意見も聞くが、個人的にはさほど気にならない。もう背景のリアルさに圧倒されてしまって・・・
映画始まってすぐの空戦の場面でもうノックダウン。先尾翼の戦闘機が空中を舞い、回転し、鉛の弾に穴を開けられて散っていく。わざわざ先尾翼の機体を味方の主力戦闘機に設定したのは、もはやフェティシズムとしか言いようがない。他にも、飛行場の司令所のアンテナが妙にリアルだったり、重爆がバカガラスだったり、全く押井らしいメカへのこだわりに満ちている。それと共に、空や雲や草原も非常に美しく表現されていて、その自然が、アブラによって動いているという実感の湧くような武骨な飛行機と重なったときに、この上ない「本物らしさ」が生まれる。低空をすり抜けていく場面では、股の間を風がすり抜けていく感覚さえ味わった。
以下、全体の流れに組み込めなかったことのメモ
トキノの存在というのは、注目されていいと思う。明るく狂言回し的な役割も果たすが、その明るさは全てを知り、受け容れた上のものであるのだ。トキノも「teacherを撃ちたい」という趣旨を発言していることから見るに、さほど単純ではない。
大規模侵攻作戦の意味ってあったんだろうか?従来の登場人物一人消して、新しく一人入れる以上のものではなかったように思うのだが・・・単に押井が重爆描きたかっただけとか?それならば、あんな美味しい場面なんだからもっと尺を長くしてほしかった。
谷原声優も上手いなぁ・・・
全体感としては、暗い映画だなあという印象。登場人物の大半の目に光がなくて怖い。だが、地上でのその暗さに比して、空の上があまりにも輝いて見えるから、それがまた哀しい。全体テーマ、「日々の差異の輝き」については、「言われなくても分かってるよ!」という印象の方が強いか。現代社会の問題が、似たような日々を繰り返していることに求められる、という前提自体に疑問が差し挟まれて然るべきだろう。押井は、若者に同一の日々の反復による陰鬱が垂れ込めていると理解するわけだが、一応若者としてはそれは感じない。むしろ、毎日の異なった生活の中で訪れる、生き生きとした悲しみがより辛いのだ。
映画館で見ても損はない映画。ストーリーが意味不明でも、大画面で飛行機見るだけでも価値あるかと。
*1:別に、戦争を終わらせてキルドレ解放、とかいう構造的、政治的な話ではなく、優一個人の内面的な問題であると捉えたい。よく言葉に表せないけど。
