2011-10-29
北風のことば,太陽のことば
今回も文章について,広い意味でのことばの話です。
Twitterでフォローしているある人の文章を読んでいると,初期村上春樹的な心地よさを感じます。初期村上春樹的な心地よさというのは,甚だ漠とした言い方ですが,暖かい日だまりの中でまどろんでいるような心地よさということです。
僕もそういう優しくて暖かい文章が書けるようになりたいのですが,どうやらそういう言語感覚は与えられなかったみたいです。この7,8年間,村上春樹に愛着を持って読み続けているというのに。
北風と太陽での太陽みたいな説得力のある文章を書く人というのは一定数いて,それはすごい才能だと思います。法学部にいると,北風で見えない敵を丸裸にしようとする文章を書いていることが自然と多くなるので,ますますそう思います。
日常の細々した仕事で役立つのは,地底から吹き上がり身を裂くような北風のことばかもしれません。つよい北風は,旅人を身ぐるみ裸にするのみならず,彼を吹き飛ばすことができるでしょう。しかし,多くの人を真に納得させられるのは,少しもやがかって,おぼろげに照らす太陽のことばであるように思います。
もう少し敷衍しようと思いましたが,眠いのでここまでです。
Twitterだと,140字の制限の中で一つの主題を語らなければならないので自然と1postで1段落分の内容ができあがるのですが,Twitter再録部分に付け加えようとすると,できるだけ精確に表現したいと思うあまり,このことばもあのことばも付け加えなければならないと気が急いて,結局主題の定まらない文になってしまいます。ほら,この文だけ異様に長い。
結局,精確に表現したいと思うあまり,ということ自体が北風の発想なのでしょう。この機会に一度太陽のことばを使ってみようと思ったのに,結局北風のうなり声が太陽をおおい隠してしまいました。
