アフリカンドラムと操体法 1
西アフリカの太鼓ジェンベ。
1997年に出会って以来続けてます。
ギニア共和国では結婚式や祭り、ストリートパーティーなどで使われる伝統的な太鼓です。
アフリカの伝統的リズムは日本の和太鼓のと共通するところもありながら、全く違う魅力があります。
一時ブームになり、今はブームは過ぎましたが日本全国に熱烈に好きな人がいますね。
日本人の「どっこいしょ!」的な、田植えとかお神輿とかの感覚は和太鼓と合うんだと思います。
和太鼓はかっこいいし、すごい迫力だけど、自分ではなぜかアフリカのリズム方が踊れる。
アフリカのリズムは裏拍強調で、アフリカの人々の歩き方を見てると上に上にリズムをとって歩いているように感じます。
私たちには普通の三拍子とか四拍子とかの区別が、アフリカの人々には無いようで、一つのリズムに同時に三拍子と四拍子が存在するんです。
それが独特のトランス感覚を生み出す元になってて、人によっては気持ち悪くなってしまったりもする。
操体法の修行時代、仕事で一日何人ものクライアントさんのセッションをすると、
単純に肉体労働というだけでは説明できない疲れ方をしてました。げっそりして家に帰って寝るだけ。
これは「もらって」しまうという現象で、クライアントさんのネガティブなバイブレーションを受けてしまい、自分自身の生命エネルギーを使ってしまう事で起きます。
これはテクニックでどうにかなるものではなく、エネルギー行為に対する理解が深まっていかないと解消されませんでした。
当時、操体法の師匠に、
「なんでもいいから、意味なく体を動かす事をやれ!ジョギングでもヨガでも太極拳でもなんでもいいから、とにかく目的を持たずにやれ!勝ち負け、競争のあるスポーツはダメ!」
と言われました。
仕事場の近くでギニア人が太鼓教室をやっていたので毎週通い始めました。
仕事でもらってしまいげっそり疲れている後に思いっきり超絶な太鼓の音を浴びて、自分も叩くと、なぜか変な疲れはすっきりとして気持ちが良い肉体的な疲れだけが残る!
帰って寝て起きるとすっきり!
ジェンベの強烈な音とリズムによる浄化!
エネルギーを出し切ると、後から入ってくる。補給されて前よりちょっと容量が増える。
ただ楽しいだけでやっていた太鼓の世界に本当にはまった瞬間でした。
続く
楽器演奏と操体法
ヴァイオリニスト、大久保貴寛さんとの出会い。
その場の状況、空気に応じて様々な美しい音を紡ぎ出す彼の演奏にとても感動しました!
彼はプロの音楽家なのでヴァイオリンを弾くのが仕事です。(教えたりもしてます。)
仕事が休みの時も朝から自分の稽古で一日中弾いてるそうです。
半日一緒に過ごしいろんなところへ案内しましたが、どこに行ってもすぐにヴァイオリンをケースから取り出して弾き始める。弾いてる様子を見てると本当に気持ち良さそうにずっと弾いてる。
要は「仕事だから」とかではなくて、本人が本当に好きで気持ちが良いことをずっとやり続けている、ってことです。
「稽古」と言っても努力して頑張って、ではなくて一日中没頭して好きなことをやり続けてる。(もちろん努力、の部分もあるのだと思うけど)
好きなことをやり続けて結果、たくさんの人に感動を与えている。
素晴らしいなーと思いました!
自分もそうありたい!
彼はヨガを実践していて、演奏と体の使い方についても理解が深く、興味深い話が聞けました。
演奏は当然、手を使って弾くけれど、まず立ち方が大事だと。
足でしっかり大地に立っていないと、手が自由にならない。
ある著名なヴァイオリン演奏者が出してるテキストブックの最初の方のページは、まずヨガを実践しなさい、と書いてるそうです。
ヨガの呼吸法の練習の結果身についたリラックスした集中状態、
「ゾーン」「フロー」の感覚は、彼のヴァイオリン演奏の微細な表現を可能にしているのでしょう!
私個人はタイコ、ドラムが好きで長年続けてます。
始めたばかりの頃、アフリカ人の先生に習っても当然思うように手が動かず全くうまくできなくて、ひたすら頑張ってやり続けました。
そのうち操体法的体の使い方、呼吸を練習、演奏に取り入れてみようと思いアプローチを変えました。
まず、腰、腹に重心を持ってくる。重心を下げる。
中心軸を定める。
重心と中心を一致させる。
上半身、肩の力を抜いて。
ゆっくりとした長い呼吸。
グラウンディング、センタリングってことです。
「リラックスした集中状態」を作って、「今ここ」に在る。
ここから、ゆっくり、軽い力で、正確に、同じことを繰り返す。
こんなふうに練習法を変えていったら、徐々に上達していきました。
演奏は「今ここ」にあり続けること。
あるベテランドラマーは演奏中、
「演奏している自分、を見てるもう一人の自分、を見てるもう一人の自分」
がいる感覚がある、と言っていました。
観照者、と言います。
エゴにとらわれていない本当の自分。
そうした時はじめてインスピレーションが降りてくる
本当のアートが生まれてくる。
そんなわけで、操体法は歌や踊り楽器演奏、舞踊、武術、スポーツなどをやってる人にオススメですよー。
○操体法パーソナル 個人セッションです
○[操体法セルフケア]
9月もやります!
曜日を変更して金曜日になりました。
9/13(金)
9/20(金)
9/27(金)
○肩凝り、首の痛み、腰痛などの不快感がある方
○体の歪みが気になる
○自分自身で健康的なライフスタイルを創造したい
○音楽、ダンス、ヨガ、スポーツ、武術などの身体表現が好きな方
○心と体の調和、バランスをとりたい方内容
○呼吸法
○不快感、歪みを解消する体の動き
○効率的、自然な体の使い方
などをやります。
場所の詳細はご予約時にお伝えします。
自分のコアとつながる
もうすぐ新月ですね。
心のザワザワが落ち着いてきて、何が自分にとって大切なのか明確にしやすいです。
普段生活している時はこの「心のザワザワ」にとらわれていて本当の自分の望みと全然違う方向に向かって進んでいる事にさえ気が付かない、ことが多いですね。
命は気持ち良いことが好きです。
もう使ってない古いいらないものを捨ててシンプルにすると新しいものが入ってくる。
断捨離すると物事がスムーズにいくようになる。
執着を手放すと、ザワザワしてた心もスッキリして落ち着きます。
体の痛い所、滞ってる所には物質的なゴミ(老廃物、瘀血など)がたまっているけど、エネルギー的なゴミ(古い感情、記憶など)もたまってます。
操体法をする事は、体の断捨離みたいなもの。
意識の光を当てて、手放す、解放する。
自分でも家の中とかで物理的に断捨離する時は取りかかるまでなかなか時間がかかり、いざはじめてみても結構古い感情、記憶が出てきて苦しいこともあるけど、終わると「あースッキリした!」ってなる。
体の断捨離は気持ち良いものです。
気持ち良い方に体を動かす、気持ち良さを感じることでゴミは光の粒子となって天に還っていく。
ゴミがなくなってスッキリしてくると、本質(コア)が見えてくる。
断捨離は他人にはやってもらえません!
お知らせです!
操体法セルフケア、8/1(木)からはじまります。
詳細はこちらをどうぞ。
人生の指針
最近ブログタイトルを『気持ちの良い方へ』に変えました。
操体法は私にとって人生の指針になってます。
体の痛み、歪みを解消して健康的であるのはもちろん、自分の人生を自分で創造するための指針です。
「それ」は気持ちが良いのか?よくないのか?
生きていく上で選択に迫られた時、これで選んでます。
心地良いのか?良くないのか?
操体法では他人、外からの見た目での判断ではなく、100%「今」の自分自身の体感で体を動かす方向を決めます。
何かを選ぶ時、特に重要であればあるほどこれを指針にしてます。
マインドのおしゃべりが止んで、本当のニュートラル、自分の中心にただ在る時、一切の不安恐れを「見れている」状態、ここがスタートです。
エネルギーが物質化する前の、陽炎のような揺らぎの状態。
自分の中の神を完全に思い出している状態。
ここで自分に聞いてみます。
「どっちが気持ち良いのか?」
マインドが作った損得、理屈でなく、純粋に「今」自分が気持ちの良いと感じる方を選択していく。
ただ自分にも他人にも無責任に勝手に好きなことをやればいい、というのとは違います。
「快」を選択すると言っても快楽に溺れるのとは全く違う。
「後味が悪いこと」は選択しない。
魂の選択をしてみて、実際に現実が創造されてくるとまた不安が出てきたりします。
「本当にこれでよかったのか?」とか
「でも、だって」とか
24時間常に自分の中心に在れるわけではないのでエゴはペラペラしゃべりがうまい。
そんな時は他のすべてを置いておいて自分の中心に戻り、もう一度「思い出す」。
「どっちが気持ち良いのか?」
「頑張る」「我慢する」「耐える」「努力する」とかの古い価値観の時代は崩壊しました。
時代は『気持ちの良い方へ』!
お知らせです
「操体法セルフケア」始まります!
詳細はこちらをどうぞ!
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体が楽になるように
久しぶりに更新します。
梅雨で雨が続くと体が重くなってきますねー。低気圧の影響か頭が痛くなったり。
一日中寝てます
そんなときは"耳ひっぱり"が効きますよ!
とりあえずやってること、やらなきゃいけない...ってなってることを全部置いておきます。
耳たぶを左右それぞれ指でつまんでゆっくり斜め下にひっぱります。
下あごの力を抜いてノドの奥の方をすき間を開けるようにしながら(あくびが出る時の感じ)ゆっくり呼吸して待っています。
ゆっくり、ジワーッとひっぱり続け、体の内側の"引っ張られてる感じ"を感じ続けていると、だんだんと側頭部、耳の周り、あご周辺、首と頭の付け根、などが内側から開いてきて弛み始めるのを感じるでしょう。
あくびが出そうになったらそれに任せてください!上手く利用すると全身が整っていきます。
耳をつまむポイントを変えていきます。
真横、斜め上にひっぱったり。
色々試してみて一番気持ちいいところを見つけて下さい!
成功すれば頭スッキリ、視界もバッチリ、爽快な気分になれるでしょう!
体が楽になると梅雨もいいなーってなります。
植物元気だし。生き生きしてるよね!
楽になって気分が良くなったら、またさっきやってたことにとりかかろう!
さっきとは全然違ってスムーズに進むかも!?
リコネクトダンス
太鼓の音はどこか懐かしい感じがする。
太古の昔から世界中に太鼓があって、祭りや儀式で演奏されてきた。
木をくり抜いて動物の皮をはっただけのシンプルな物を、手や木のバチで繰り返し延々と叩き続ける。
皆でリズムに合わせて踊り、地域や共同体の調和をはかり、良いことも悪いことも 「祭り合わせ」るため。
また精霊や祖先と交流し祈り感謝を捧げガイダンスをあおぐため。
結婚式を祝うため。
その年の収穫に感謝し祝い皆の苦労をねぎらうため。
病気や霊障を治療し浄化するため。
リズムは「目に見える世界」と「目に見えない世界」をつなぐ旅をするための「乗り物」です。
人種や文化や価値観の違いを超えて人と人とをつなぐ。
自然と離れてしまった人と自然をもう一度つなぐ。
自分と自分をもう一度つなぐ。
3次元の物理ボディーに納まっている「魂」は本来自由にしたいのに、この世(目に見える世界)の社会構造やシステムや生まれ育った環境に適応して生きて行くために、自らその欲求に制限をかけて束縛していることが多く、そういった「抑圧」は本人が気付いている、いないにかかわらず物理ボディーの奥深くに埋め込められていることがあります。
あるいは人生で経験したショックな出来事、トラウマ、などその当時向き合うことができずに消化しきれていない、味わいきれていない感情、思いなども体の中に封印されていることがあります。
こういった「残留感情」は、「自分」を形成している「信念体系」に大きくかかわっており、自分に対する価値感や社会に対する自分の対応に多大に影響しています。
知らない内に人生を大きく左右している。
「残留感情」や「抑圧」した思いは体の奥深くにある「コリ」や「かたさ」とくっついており、そのコリが解放されるとき、そのときの記憶や感情を再体験することがあります。
感情のカタルシス(発散浄化)が起きるとそれは涙や体の動きとして昇華していきます。
リコネクトダンスは動の瞑想法です。
守られた安全な空間のなかで、誘導に合わせて感情にフォーカスし、音楽と体の動き、踊りで昇華します。
アフリカの楽器バラフォンやジェンベのリズムは、向き合うのが怖いような過去の思い出をもう一度安全に再体験することをサポートします。
「瞑想」を言語レベルで語るのはとても難しい、というより不可能なことですが、師の教えと自分の経験上からいえるのは、それは「する」ことではなくてただその体験が「起きる」ことだということです。
「する」ことはできないので、「起きる」ことを受け入れる。
座って静かに瞑想しているつもりでも、頭の中のおしゃべりはとまらず、なにも変わりません。
「瞑想法」は、できるだけ「それ」が起きるように様々な内、外の環境をセッティングすることですが、必ずしも「それ」が起きるとは限らない、ということです。
ただ、それが本当に「起きた」ときには一瞬にして気付きとともに深い理解が起きる。
生かされている、ことに対して感謝がとめどなく湧いてくる。
今ここ、に在る。
そして一旦起きたことは自分一人でも再現することができる。
自分自身の最近の気付きは、「喜び」を素直に表現できず押さえ込んできてたなー、と。
生きてる喜びを表現して最大限に人生を楽しむために、もういらないものは捨てて踊りましょう!
痛みに助けられる
痛いのは嫌なものですね。
(痛いのが好きな人もいるかもしれませんが、、、。)
でも、体のどこかが痛いのはそこに何かあるよ、という体からのお知らせ、サインです。
お知らせがあるからこそそれに気付くことができる。
助けられてる。
最初は少し「動かしずらいな」から始まって、それが「痛いな」となる。
ほっておくと痛いこともわからなくなってくる、当たり前になってくる。
コリはどんどん奥に引っ込んでいきます。
感覚が鈍くなってどこが痛いのかわからなくなっていき、常に重い、だるい、全体的に痛い、となってくる。
日常が忙しく、常に頭が働いていて過去や未来に生きていると内側に意識を向ける余裕がない。
さらにほっておけば、機能、構造自体が壊れ病名のつくことになる。
本当に機能、構造が壊れてしまうとなかなか元に戻すのは難しくなってくる。
私たちの社会からは、ちょっとぐらい痛かったり、病気だったりしても頑張って努力することを強いられるので、むしろ痛み、苦しみに対して鈍感でないと不適合になってしまうような側面もある。
今の日本の「国」や「政治」や「システム」は、普通の人々がのびのび健康的に幸せに好きなように暮らしていくことを全く望んではいない、むしろなるべく我慢を我慢とも思わず、自分で判断も出来ず、従順に「常識」という洗脳のシステムのなかでうすうす死んではいないけど生きてもいない状態でいることを要求してくる。
奴隷は自由にしてはいけないということですね。
かといって「システム」や何かに対する怒り、が動機のパンクな行動は動機が「怒り」なので、いくら正しい様でもやっぱり幸せな現実を創造することにはつながらない。
病気になったり、何か人生で大きな問題に直面した時こそ、何が本当に大事なことなのか改めて振り返ることができて気付けるチャンス。
私自身もA型肝炎になったり、ぎっくり腰から椎間板ヘルニアになったりして初めて健康でいられることのありがたさに気付けました。
そして操体法を通して、「気持ちが良い」(後味が悪くない)ことは体に良い!というシンプルで深遠な自然の法則を知りました。
後から振り返ると、その出来事全体が大きな宇宙の愛だった、ということに気付きます。
ただちょっと調子が良くなるとすぐに人はそのありがたみを忘れてしまうものです。
長い時間かかって自分で作り上げてしまった物を元に戻していくのには、やはりすぐに、というわけにはいかず、そして元に戻ってからもそれを保っていくには何かを継続的に続けていく必要が有る。
人の行動はその人が自分でも気付いていない深いところで信じている信念体系によって大きく左右されているから、「これがいい!」と頭で考えてする行動はなかなか継続的に続けていくのが難しい。
頭の考えでなく、体が「気持ちが良い」と感じることであれば割と継続していくのは難しくありません。
呼吸法や体の動きを毎日すこしずつでも続けていれば、体の奥深いところに埋め込まれた様になっているコリも、薄皮を剥いでいく様に少しずつ変化していきます。
毎日それをやることが一度習慣になってしまえば、今度はそれをやらないとなんか調子が変、となってきます。そうなってはじめて『身についた」ということです。
ものすごいスピードで展開していくこの混乱した時代を、自由に快適に、好きなことを思いっきりやって、自分の潜在的な可能性、創造性、ポテンシャルを最大限に発揮するには、まず体が健康で間に合っていないと!
最近、友人に起きた出来事と、自分の経験を振り返って書きました。
人生全体で見せてくれたその友人に感謝します。ありがとう。命の可能性を信じよう!
屋久島で月2回ペースで行っている
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