日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

誰そ彼と…。


(備忘の為の整理です)

「誰そ彼と われをな問ひそ 長月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」万葉集巻10・2240番) 
( 誰そ彼れと我れをな問ひそ九月の露に枯れ乍君待つ 吾れを)
(誰そ彼と吾をな問ひそ九月の露に濡れつつ君待つ吾を)


現代語にすると、「「(そこにいるのは)誰ですか?」と、どうか私の事を聞かないで。9月の露に濡れながらあなたの事を待っている私を。」みたいな感じ。
「な」がすぐ下の動詞の表す動作を禁止する意なので、「な〜そ」になると「〜しないでください」と柔らかい禁止なる。

作者は不詳。”詠み人知らず”って奴です。万葉集編纂にあたり、「柿本人麻呂歌集」から選出されたものと注があるけど、「君」というのが、天皇や主人を指す語ですから男性なので、この歌を詠んだのは女性。人麻呂が女性と偽って作ったのか、本当に誰か女性が詠んだのかは不明。

「誰そ彼」は、今も黄昏(たそがれ)時という、夕方だんだん暗くなって人の顔の判別が難しくなっていく時間帯のこと。だから「誰そ彼(あなたは誰ですか?」から黄昏になった。「黄昏」は当て字。もともと「こうこん」と音読みする漢語で、十二時辰の「戌の刻」の別名。朝の、夜明け前をさす言葉は、「彼は誰(かわたれ)時」という。といっても、「かわたれ」が朝限定になったのは後年で、それまでは「たそがれ」「かわたれ」は朝夕どちらもつかわれていたらしい。



ご存じ大ヒット「君の名は。」で取り上げられていた歌です。
なお、「君の名は。」で使われた読み下し文から、新海監督は中西進先生校注版を参照したらしいことが指摘されています。大学時代の上代文学専攻だった私の先生は、中西先生門下の先生でした。

万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫)

万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫)


新海監督は、前作「言の葉の庭」から和歌をモチーフに作品を作っています。「君の名は。」には、もうひとつ、この歌が出てますね。


「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」古今和歌集小野小町
「(あの人の事を)思いながら寝たから彼が(夢に)出てきたんだろうか。夢だと知っていたなら目を覚まさなったのに」って感じ。


可愛くて、キュンキュンしちゃいますねw

1300年以上前の人が、今を生きる私たちとおんなじ感情を持っていたというのは、当たり前ではあるんだけど、なんだか嬉しく思いませんか?