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平民新聞

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2013-08-20(火)

メキシコの夏目漱石

これまでスマートフォン、パソコン、タブレット、なんでもいいんだけど、ディスプレイで本を読むなんて……ハナっから馬鹿にしてたんだけど、この1か月くらいで完全に考えが変わってしまった。きっかけは、日本を離れているから、というのが全てだろう。ある日、突然のスコールにやられて近場にあったスターバックスに避難した。慣れないスペイン語で注文をし、空いた席に座って窓の外を眺めながら、さて、何もする事がない。そこで、レシートに書かれていたパスワードを使ってiPhoneWi-Fi接続し、豊平文庫というアプリを使って夏目漱石の「三四郎」(青空文庫)をダウンロードしてみたのだ。それは自分にとって、革命に等しい出来事だった。恥ずかしながら、そのとき青空文庫のすごさというものを、初めて理解した。どこをどう歩いても日本語の書籍など手に入るわけのない環境にいて、雨よけのために入ったコーヒー屋で、ほんの一秒もかからないわずかな時間、指先ひとつ動かすだけで、日本で100年ほど前に書かれた小説が、何の質感量感も感じる事なく自由自在に手に入る。夏目漱石だけでなく、中里介山坂口安吾太宰治牧野信一、なんでも好きなだけ、あるじゃないか。ジーパンのポケットが、巨大な書庫の入った四次元ポケットになった感覚。おそらく日本にいたら、僕の場合まずスマートフォンをいじる前に古本屋や町の書店を訪ねるので、こういった体験は出来なかったと思う。日本からひっぺがされた場所にいて、日本語の小説に飢えてようやく、電子書籍(…と言ったらいいのかな、ディスプレイで読む本)というものの有り難みというか、青空文庫ショックというものに全身がしびれてしまった次第。スマートフォンと青空文庫の組み合わせというのは、バックパッカーの旅のスタイルを変えるだろう。異国の深夜の公園で、移動中のバスの中で、雨宿りしている他人の家の軒先で、ポケットに入ったわずか数センチ四方の機械から自由に、明治大正期の文学作品を読む事が出来る。夏目漱石だってスマートフォンを持っていれば倫敦で頭おかしくなったりせずにすんだのではなかろうか。こういう体験が可能になったのって、ここ五年くらいの出来事だと思うけど、ほんとすごい時代だな。食わず嫌いばかりせずにもっと早く気付いておけばよかったと思うが、今からでも「読書」という習慣のまわりで起こっていた時代の進化に気付けてよかった。けど日本に帰ったらどうだろう。今と同じようにiPhoneだけで読書するだろうか。というとそんな事もなく、また僕は、いつもと同じように足を使って本屋さんに通うと思う。でもこの1か月でわかった事は、電子書籍というものは、決して紙の本と比べて優劣を語るものではなく、紙とはまったく別個の存在である、そして紙で読もうがディスプレイで読もうが、本は本でしかないのだ、という圧倒的な事実だ。そういった、多くの人にとっては当たり前にわかっているような事実を今さらこんな所に書くのは恥ずかしいのだけれど、しかし読書という行為の本質に、遅ればせながらでも体験的に気付かされた事は衝撃的だった。メキシコ人達のカップルが、そこいらで音をたててキスをしている夜の公園で、ベンチに一人すわり、ディスプレイを薄く光らせて夏目漱石を読んでいるのがとても楽しい。夜の薄暗い公園で本を読む事って今まで出来なかったもんな。闇と青空が、こんなにも相性がいいなんて。


(こういった事を考えている時に、青空文庫創設メンバーの一人である富田倫生氏が亡くなったという報に接した。自分に何ができるわけでもないのだが、日記を書いて、感謝の気持ちを伝えたい)

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