平斎の日記

2016-09-28 [歴史]倉西裕子先生の【紀年論】を読む

[歴史]倉西裕子先生の【紀年論】を読む


 『日本書紀の真実―紀年論を解く―』(講談社選書メチエ・2003)を

読みつつある。しかし、極めて難解である。

 神功紀が複数の紀年(ある紀元から数えた年数の列)で構成されている(=第三章 神功紀の「紀ねん」)ことは、まぁ理解できるのであるが、

<第二章 応神元年から雄略五年までの編年>

の部分は、一層複雑である。A・B・C・Dの4種類の年数列に加えて、記の崩年干支(Z列)までも視野に入れた著者の考証は、尋常な思考ではない。

 しかも、神功紀が実年代を120年引き延ばした分だけ、応神―雄略紀が120年圧縮していて、プラマイ0とは・・・。この点を解明をしたのは、那珂通世博士以来のことではなかろうか?

 しかし、日本書紀の編者はなぜそこまで複雑な操作をせねばならなかったのか?・・・その点を理解するのは、拙者にはまだまだ遠い先のことである。

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内容紹介

『書紀』に織り込まれた年代列の謎

天皇の並外れた長寿と在位期間、中国史書に明記されながら特定できない「倭の五王」。1300年にわたって日本人を悩ませ続けた、『書紀』の非合理的な記述の謎。これらは『書紀』の編纂者が合理的に用意した!?すべてを「紀年」の鮮やかな切り分けにより解き明かす!

著者からのコメント

『日本書紀』の編年には多くの不整合や矛盾があります。『日本書紀』の成立以来、一千年以上にわたって、その不可思議な編年は謎であり続けました。本書では、神功元年から雄略五年までの間は、プラス・マイナス120年構想のもとに、多列・並列構造となっていることを解明しています。ようやく、『日本書紀』は、各々の紀年に対応する実年代を求めることができるようになってきたことになります。

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『日本書紀の真実-紀年論を解く-』を読んで (より転載)↓

http://blogs.yahoo.co.jp/kamitukeno_k/60927454.html

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2016-09-25 [猪飼野]元秀一『猪飼野打令』

[猪飼野]元秀一『猪飼野打令』

 元秀一氏が前作『猪飼野物語―済州島からきた女たち』(草風館・一九八七年)につづく第二作『猪飼野打令』(イカイノ・タリョン)を出版された。


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 『猪飼野物語』については、前にもこんな紹介を書いたことがある。

 

 元秀一の短編小説「喜楽園」(『猪飼野物語―済州島からきた女たち』草風館・一九八七年所収)にも、この事件(※文世光事件)を題材にした部分がある。猪飼野大池橋の南方、百済貨物駅裏手の場末の焼肉屋が舞台。在日の「姐(ネ)さん」たちの朝鮮人訛りの会話が秀逸だ。ご一読をお奨めする。

             (『ニッポン猪飼野ものがたり』P75より)

 こんどの作は、前作より一段とパワーアップしたウォン・スイル節がたまらなく面白い。是非、ご一読をお奨めする。

 なお、『猪飼野物語』の復刻版も、今回併せて出版された。

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2016-09-22 [歴史]西暦年から干支を知る方法

[歴史]西暦年から干支を知る方法

『日本歴史及地理要覧』堀田璋左右/喜田貞吉 編・明治36年刊・P39所載・「本朝歴世干支早見表」によって、西暦年から干支を知る方法

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この表の使い方

1.干支を知りたい西暦年を 60 で割る

2.例:1868÷60=31.・・を得る

3.1868−60x31= 8  を得る

4.早見表で 八の欄を見る→戊辰 を得る

(注)本書では、この表を皇紀(神武紀元)*年から干支を知るためのもの、

と解説しているが、皇紀も西暦も元年は「辛酉」であり、この表では「辛酉」を「一」としているので、使い方としては全く同じである。

※ 西暦元年が「辛酉」に該当することは、単なる偶然ではなく、キリスト生誕年に近い「辛酉」を西暦元年と誰かが決めたのに違いない――と思う。(ただし、これは拙者がそう思いたいだけのことで、根拠はない。通説はウィキを参照のこと→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9A%A6



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2016-09-09 [歴史]<暗号「山上憶良」>の私製目次

[歴史]<暗号「山上憶良」>の私製目次

 このページは、『「いろは歌」の暗号』の著者・村上通典氏のウェブサイト「暗号「山上憶良」」の全目次の内、主として【邪馬台国・日本の古代史】関係の部分のみを、私「稲国世直」が自分勝手に抜き出して作成した”私製”の目次である。

 この著者の研究は本来、「いろは歌」の暗号の解読・解釈に主眼をおかれているのであるが、そこから派生した(と思われる)古代史方面の方が、私のレベルには合っており、著者のサイトの全体の構造は余りにも複雑であり、内容が厖大なので、著者には誠に失礼かとは思うが、お許しを頂ければ幸いである。

 私はこの私製目次を活用して、ぼちぼちと学ばせて頂きたいと思っている。私のレベルがアップすれば、この目次も逐次 増訂されて行くことになるだろう。

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・暗号「山上憶良」目次(←これはオリジナルの総目次です)

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-mokuzi.htm

・魏志倭人伝に見る春秋の筆法

http://www.geocities.jp/yasuko8787/160601.htm

・西暦が明かす日本書紀の秘密

http://www.geocities.jp/yasuko8787/1792470-tw-1.htm

・こんなことでいいのか!歴史学研究会

http://www.geocities.jp/yasuko8787/130723.htm


・万代に語り継ぐべき倭王の名

日本書紀の干支紀年法・日本書紀のデータ・景初3年=西暦239年を割り出すための資料・年代に関する神武紀のヒント・年代に関する神功紀のヒント・年代復元式の出発点・ハツクニシラス天皇が2人いる理由

http://www.geocities.jp/yasuko8787/150310.htm


・中国史書を重視する日本書紀

魏志倭人伝の「壹(壱)」と「臺(台)」・「春秋の筆法」=邪馬壱国・景初二年

http://www.geocities.jp/yasuko8787/150301.htm


・『日本書紀』の年代復元式

諡号「推古」の持つ意味・飼葉おけに寝かされたキリスト・年代復元式の求め方・2人のハツクニシラス天皇・天祖降臨後179万2470余歳の意義

http://www.geocities.jp/yasuko8787/130811.htm

・神功紀の卑弥呼と台与の記事

http://www.geocities.jp/yasuko8787/130725.htm


紀元節2月11日の意義

神功紀の年代の秘密・年代復元式の持つ意味・古事記没年干支の意義

http://www.geocities.jp/yasuko8787/130503.htm


・ド素人が発見した古事記の大秘密

5世紀の倭の五王の元年、没年と古事記崩年干支・賽の目の出方と古事記崩年干支・古事記崩年干支が示す異常・確率2兆8千億分の1を示す表

http://www.geocities.jp/yasuko8787/110409.htm


・ド素人が明かす日本書紀の大秘密

日にちを干支で表す日本書紀・神武天皇と金印の倭奴国王の結びつき・

参考:邪馬台国の謎を解く年代復元

http://www.geocities.jp/yasuko8787/110406.htm


・2010年12月の新聞記事

斉明天皇陵の見直しは必要か・治定見直しに於ける問題点

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0-0-10-12.htm#sekisitu


前編 邪馬台国ファンへの新提言

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-04.htm

・第一部 邪馬台国ファンを惑わす誤り(目 次 41)

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-041.htm

・第二部 「日本書紀」が明かす邪馬台国の真相(目 次 42)

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-042.htm


・暗号から分かる邪馬台国(邪馬台国を示す地図)

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0q-4.htm

・暗号から分かる邪馬台国(古代史の暗号の世界への入口)

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0q-3.htm

・柿本人麻呂の正体について

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0q-5.htm

・雑録(老人のたわごとなど)..

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-00.htm

・掲示板 暗号「山上憶良」

http://6904.teacup.com/mm3210/bbs

・付録:『「いろは歌」の暗号』について

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-021.htm

・旧著転載 『「いろは歌」の暗号』 (目次 30)

『「いろは歌」の暗号』は、暗号「山上憶良」の入門書です。

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-03.htm

・MM3210のリンク集

http://www.geocities.jp/yasuko8787/link.htm

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※このサイトは迷路のように複雑で閲覧するのに実に骨が折れる。著者がわざと複雑にしているわけではなく、次々と増築しているうちに著者でも手に負えないほど複雑怪奇なHPになってしまったのであろうと拝察する。

↓下記は再度見ようと思っても捜し出すのに難儀する枝サイトの一例である。

・屈辱と忍耐との記録  出版社に低姿勢で出した手紙 (付録:『「いろは歌」の暗号』について の枝サイト)

http://www.geocities.jp/yasuko8787/02-07.htm


・ベテラン編集者の批評( 古代史の暗号(工事中)の枝サイト)

厚かましい問い合わせ・恥ずかしい私の対応・「一般の読者向きではない」という烙印・何とか結果がでた再度の挑戦・万葉集についての見直しを迫る材料

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0-0-12-19.htm


・邪馬台国東遷を物語る日本書紀の記事(目次42の枝サイト)

http://www.geocities.jp/yasuko8787/2-30.htm


・宋史日本国伝に記された五畿七道(雑録の枝サイト)

http://www.geocities.jp/yasuko8787/81111.htm

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2016-09-01 [歴史]続・山科論文への素朴な疑問

[歴史]続・山科論文への素朴な疑問

 拙文は、市井の古代史研究家であるY氏の畢生の力作、『日本書紀・古事記 編纂関係者に抹消された 邪馬台国』に対する読書メモである。

このY氏の著書の論旨は、筆者(平斎)の理解によれば以下の通りとなる。

.記紀には、邪馬台国に関する記述が一切ない。それは、中国に膝を屈して臣従したヒミコの存在は、記紀の編纂者であるヤマト王権にとっては極めて不都合であって、その事実を隠蔽するために、邪馬台国に関する記録を徹底的に抹消したからである。←P54

.ヤマト王権にとってヒミコの存在が不都合である理由は、下記A・Bである。

  .国家意識高揚期にあったヤマト王権の立場上、中国への朝貢記事などは国家の体面(コケン)に関わる。←P43、P49

  天照大御神の神勅により、大御神の子孫たる天皇がこの国を統治する、という国体思想の原理に基づく神話体系に矛盾する。←P43、P49

.神功紀に『魏志倭人伝』の記事が注記の形で引用されているので、記紀の編纂関係者が邪馬台国のことを熟知していたことは、明らかである。←P21〜22

.女王朝貢の魏志の記事を、神功紀の本文としてではなく、傍注という形でさりげなく挿入しているのは、「倭の女王=神功皇后」説を暗に示唆するためである。←P56〜60

.邪馬台国の位置が北九州であることについては、『魏志倭人伝』の記述の材料とされた『魏略』の逸文である『広志』に、「伊都国のすぐ南」、同じく『翰苑』に、「伊都国に比較的近い場所」と記されていることによって、明らかである。←P89、169

.邪馬台国は卑弥呼の死後、女王となった台与の時代(AD266、晋に遣使の記録あり)に纏向に遷都した。出雲・吉備の両国が台与の要請に応じて遷都に協力した。纏向遺跡の出土品によって両地方の影響が顕著に窺える。←P144〜、155〜、

.台与の晋への遣使(AD266)は、纏向への遷都後のことと思われる。←P170

.陳寿はAD280年代に『三国志』を撰述したとされている。邪馬台国の位置について、遷都前と遷都後の二つの情報が混同されたことが、魏志の方位里程記事のうち、伊都国以降の部分が曖昧になった理由であろう。←P170

.台与の纏向政権がのちのヤマト王権に発展した。崇神天皇は台与の何代目かの子孫であろう。←P49(3〜4行目)、P151

10.  記紀に邪馬台国の記述がないということが、邪馬台国がヤマト王権の前身であることを逆説的に証明している。←P49


※(上記の10項目は、序章(=3)、第1章(=1・2・4・9・10)、第2章(=5)、第3章(=5・6・7・8・9)からの要約であって、第4章に当たる「補章」の論旨はここでは省略した。)

※<素朴な疑問>は別稿にて。

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