見る見られるに関する気持ち悪さの感情の裏側を探る。


昨日の「北の大地から送る物欲日記 - 過去ログはどこまであなたを表すのか?」で書いたブログの過去ログを読まれることに対する気持ち悪さに関しての反応を見ながらもうちょっと掘り下げてみます。

「ブログの過去ログを(誰だか分からない人物に隅々まで)読まれて気持ち悪いと思うかは、そのブログの「記事内容」によるのでは?」

での考察が非常に分かりやすかったので、そこから考えて見ます。

記事内容による違い

例えば、僕が「何か主張したことがあってブログを書いている」とすれば(実際にそうなんですが)、過去ログを(誰だか分からない人物に隅々まで)読まれても別に気持ち悪いことはないと思う。むしろ、読んでくれてありがとう、って感じる。

私もこのタイプですね。そっか、確かに主張したいことを見てもらってるんだから、嬉しくこそあれ気持ち悪いって思うことはないですよね。

でも、僕が「自分の記録や親しい知人への近況報告的な目的でブログを書いている」とすれば、過去ログを(誰だか分からない人物に隅々まで)読まれたときには、薄気味悪さを感じる。

「過去ログ全部読みました!」というコメントに対して、ストーカーに付きまとわれるような感覚を覚えるのだろうか?

コメントで書かれなくても、アクセス解析してたりすれば誰か個人が自分のブログをじぃぃっと眺めているのは分かります。確かに世界中に広く公開することを意識していないコンテンツを隅々まで読まれるのは気持ち悪く思いますね。

ブログには、「自分が誰と分かるような個人情報を書き込むな」という注意ごとがよく言われていますが、こうやって自分のブログを隅々まで眺められることがある以上、そこから自分が誰か特定されてしまうことも十分有り得る話で、ストーカーなんかに対しては格好の餌となってしまいます。


これはもう自分の情報は知られてしまうものなんだ、と割り切ってしまうか(芸能人や著名人、個人情報をはっきり書いているブログの場合はコレ)、個人を特定されたくないのならなるべく自分に直接繋がるような個人情報は書き残さないようにするしかないような。


昔、2chで何かの祭りが起こった際に、祭り上げられた人がヤフオクに出品していたテレビの商品画像のブラウン管に映りこんでいた当人の顔写真を画像解析されて晒されているのを見て、調べ上げようとする人はホント何でもして調べ上げちゃうんだなぁ、と薄ら寒く感じたことがありました。

そこまでされることは普通は有り得ませんが、でもなんかのきっかけで自分を調べようとする人が現れた場合には同じようなことをされる可能性がある訳で。一度アップしたものは、いくら自分のブログから消してもどこかにキャッシュが残っていたりする可能性までは消しきれず、自衛の手段としてはやはりそういう情報を軽い気持ちで書き綴るのは危ない、という結論になってしまいそうです。

自分の書き連ねた発言が消えていって欲しい心理

だって、極端なことを言ってしまえば、中学生のときの自分と今の自分が同じ発言力で喋ってるわけですよ。検索なんかで飛んでくる人はそれが今の発言か昔の発言かなんて気にしないだろうし、実際数年前に書いたエントリーに対して直でGoogleなんかで飛ばれてくると申し訳ないなと思いつつも同じ舞台でブログを書きつづける以上、古い情報は削除されてしかるべきなんじゃないかなと思ふ。

特に俺みたいに読んで欲しいと思って書いているというよりは、精神衛生上ぺらぺら書きなぐるのが好きな駄文吐き出し人にとっては、適度なログがたまったら纏めて(゜Д゜=)ノ⌒゜がネットに散在する情報の適切なありかたではないだろうか。

kuippaさんの使い方だと、王様の耳はロバの耳の話のように井戸に向かって叫び続けるような形でブログに記録を残し続けるということで、そういう情報は削除されてしかるべき、読まれたら気持ち悪いって話。


これに関して、ネット上で一度アップしてしまったものがなかなかその存在を消せなくなってしまうのは、後々大きな問題になるだろうなぁってのは私も感じています。気持ち悪いくらいという印象の問題ではなく、その後のその人の人生にまで大きな影響を与えちゃう可能性です。


例えば若い頃にやんちゃしてて、酒やタバコをやった、万引きした、恐喝した、などの当人曰く若気の至り的なことをネット上にアップしてたのが、後々になっても残っていて、いくら本人が改心しててもその記録は消えないという恐怖。

書き込むときには、自分が消せばネット上からその情報の痕跡が全て消えると思っていても、実はそうではないということに気づいていない人はかなり多く、特に若い人、ネット初心者にその傾向が強いように思います。


以下はSNSでの例になりますが、ネット上の情報が残ることに関して。

マリファナ・パーティに参加した経験をネットに投稿していたことが後でばれて高校を退学になった若者や昔の投稿が原因で判事の職に就けなかった若者が出始めています。ネットの書きこみは永遠に残るので『彼らへの非難も人生において永遠について回る』と言うことが問題になり始めています。


人の噂は75日といいますが、ネット上での情報はなかなか消えないんです。過去の話がふとしたきっかけで再燃することもよくありますし。

人の記憶は忘れるという機能があるので、うまく都合の悪いことは忘れられますが、ネットはコンピューターによる情報の記憶で成り立っている以上、自動的にそれを忘れるような機能は存在しておらず、一度アップした情報はどこまでも残り続ける可能性があるんだということは意識しておく必要があるのかも。


それでも人は何かを書き綴る

結局、「何故読まれたり、触れられたくない過去ログをWeb上で公にしているのだろうか。」という疑問に対する回答は残念だがまだない。

私もそれを知りたいのですが、「そういう過去ログを残している人はネット上に上げた情報というのはそう簡単には消えないということを意識していない」が答えなのかなぁという感じもしています。

結局、過去ログを読まれる事自体に違和感を感じる後者の場合、人の過去ログを読むのも同じように気にしているのではないかと言う疑問である。

これもアクセス解析で自分を見ている人は詳しく分かるから非常に気になるけれども、逆の自分が見に行く場合にはそこまで見ていることを見られているという意識が薄いんじゃないでしょうか。

はっきりと見に行ったことが分かる形になっているmixiの足跡のような機能がある場合には、そこを見に行くのを躊躇することはあります。見ていることを見られる気持ち悪さ。



見る方も見られる方も、お互いの存在をどれだけ意識できているかというところに気にするかしないかの線引きがあるのかもしれません。



(参照記事)
長靴をはいたネコ:過去ログを読まれると気持ち悪いか?
べつやくいっぱ。 - 五月雨に勢いました小川はあなどりがたし
suVeneの耳をすましば: 過去ログを読まれると気持ち悪いパターン
FPN-米国SNSマイスペース上の若者の逸脱行動は永遠に咎められるべきか?