やりとりから広がる思考


明日は明日の風が吹く - コミュニケーションを求めていない人に見つかってしまう確率 - 北の大地から送る物欲日記」を読んで。


文章という形で自分の考えを表現して、相手にそれを読んでもらう。自分の本意を相手に伝えることが難しいって分かっていれば、相手の真意は何だろう?って考えたり、対話を続けることで互いの考えを理解しようって流れになるのだと思います。

相手のことを知ろうとするか、自分の考えを押し通そうとするかで全然違うやりとりになる。

 ただ、読んで意味が通じないという部分においては、書き手側の力量の問題もある程度はあると思う。そこをどう上手くまとめて伝わるようにするのか? これまたパソ通時代の感覚で申し訳ないが、「やり取りを続ける」事ではないかと思う。特にブログはコメント欄やTBがあるのだから、そこで内容について詰めていく事が出来る。

やっぱり、誠意をもって「やり取りを続ける」以外に、互いを分かり合える方法はないでしょうね。何も一度で完璧に分かり合う必要はなくて、お互いに誤解しあってた部分を対話で修正していけばいい。


こういう発言のやり取りはパソコン通信時代からなんら変わるところはありませんが、ブログ時代になって参加してる人の規模が増えたり、トラックバック、コメント以外にもはてブのようなソーシャルブックマークなど、やり取りの形の増加で、より幅広い広がりを見せるようになってきてるのを感じます。



こういうやりとりで、自分が思っても見なかった考えを聞いたり、考えを改めるような意見にであったりと、自分の頭の中だけで考えてるときとは違う広がりを見せていくのが、ネット上でのやり取りの楽しさだと思う。