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2008-11-08

[]ネット上は二極化しがちだけど、あなたはどちらに向かいたい?


素直なバカが無限に得をするのがインターネットの特徴 - 枯れた知識の水平思考」を読んで。

俺は、インターネットっていうのは、素直なバカが一番得をする場所なんだと思う。素直なバカは、自分の間違いや自分の弱い部分を素直に認めることが出来るから、よりよい内容に触れれば、それに素直に染まることもできる。でもやっぱりバカだから色々失敗したりもするんだけど、賢い人たちのアドバイスを受けることで、その失敗も糧にできる。色んな人たち色んなフィードバックを受けることでどんどん人間的に成長できる。

素直なバカが無限に得をするのがインターネットの特徴 - 枯れた知識の水平思考

この考え方はとても性善説な感じでよいのだけれども、実際のインターネットはどうか。主観的な意見のオンパレードであります。そして、そのこと自体は別に悪いことではありませんが、それって受け取る側にリテラシーが必要になるわけね。だから、単に素直なバカではいけない。

自由なインターネットが必要なのは一握り、あるいは素直なバカは得をしないよという話 - novtan別館

ネットってのは、自分の間違いや弱い部分に対するツッコミを認めて、それを自分に取り込むことができれば自分が成長することができる。賢い人達のアドバイスを受けることで、色んなフィードバックを受けどんどん成長できる。



でも、それはid:NOV1975さんも指摘している様に性善説な考え方で、周り(所属しているコミュニティ)に賢くて適切なアドバイスを与えてくれる人がいたり、有益な正しい知識の蓄積が存在していてそれに正しくたどり着けたりしたら、という前提があってのこと。主観的な意見が溢れる「現実のネット」上においては、受け取る側が何が取り入れたら良くて、何は捨てるべき情報なのかってことを見分けるリテラシーを持っていなければ成長することはできない。

つまり、知識や経験的にはバカでもいいけれど、情報の取捨選択的には高いリテラシーを持っていないと成長できないという。



正しい情報、必要な知識を見分けられず、間違った情報、いらない知識を取り込み続ければ、成長するどころの話ではなく、ダークサイドまっしぐらとなってしまう。



二極化の加速


バカって言い方はあれだけど、知識や経験を持たない状態(子供や、大人における専門外の分野)からネットという場を使って成長しようと思うと、必要なのは正しい情報を取捨選択できるリテラシーと、正しい情報を与えてくれる人の存在、正しい情報の蓄積がある場の三つとなる。自分の内的要因が一つに、外的要因が二つ。


正しい情報の蓄積ってのは、言い換えれば、過去の人達のやりとりから培われ作り上げられた、見つけられた知識が集められているということ。正しい情報を与えてくれる人ってのは、そういう知識やそこへの道しるべを教えてくれる。でも、最終的にどれが正しいかを判断して取捨選択するのは自分。(リテラシーが高い人を盲目的に信じるってのも無くはないけど、その人が本当に信じるに足りる人なのかはやはり自分が判断しなくてはならない)



果たして現在のネット上に、正しい情報を与えてくれる人が存在していて、正しい情報の蓄積がある場というのはどれくらい存在しているだろう?



インターネットっていうのは、素直なバカと、性質の悪い馬鹿の人間的能力の二極化を極限まで進めてしまうメディアなんじゃないだろうか。素直に、有益なフィードバックを得続け、磨かれ続ける人間と、他人から何らかのフィードバックを得ることを一切拒絶した人間との深い溝が、今後、深刻な社会問題化するんじゃないだろうか(もうなってるか?)

素直なバカが無限に得をするのがインターネットの特徴 - 枯れた知識の水平思考

ネットというのは、とにかくいろんなものを加速する場であり、ここで言われている様な二極化へ向かう可能性は高い。


そもそもネットから有益なフィードバックを得続け、磨かれるというのは上記で説明した様にさまざまな条件が必要となる。上でも挙げた三つの要因以外にも、そもそも本人が成長したがってるかどうか?という根本的なところもあり、ネットをストレス発散の憂さ晴らしの場として捉えている人はそもそも成長は望むべくも無い。

間違った情報を信じ、自らの欲求を満たすべく加速していく人達はダークサイド側へと向かい、そして害となる情報をネット上にまき散らすことでその勢力はどんどん増していく。



正しい情報の蓄積や、正しい情報へと導いてくれる人の存在がある程度以上あれば、そこでは素直なバカであれば成長することができる。でも、急激な人の増加によって、正しい情報の蓄積や正しいアドバイスをくれる人の存在が相対的に少なくなってしまうと、たとえ素直なバカであったとしても、成長に必要な情報が得られる可能性は低くなってしまう。

そして、間違った情報やおかしなルールが蔓延する場となってしまう。



成長とはちょっと関係のない話になってしまうが、ネットの活動において、なんにおいても真っ先に飛びつく熱狂的な人達が群がっている間は盛り上がるのに、その後で噂を聞き付けてやってきた人が多くなって行くに従って熱量は下がり、意識が低下していくのも、ネットにおける二極化現象を表しているのではないだろうか。

自ら盛り上がろうとする方向と、他人に盛り上げてもらおう(でも盛り上がらない)という方向の二極化。



リテラシーはどうやって身につけるのか


リテラシーなんてものは、誰でも最初は0からスタートしていろんなものを見聞き経験し、それが正しかったかどうかを自分の肌で感じることで身につけて行く能力で、とにかく経験を積むこと無しには身に付かない。トライ&エラーに勝る学習法はない。

この場合、とにかくどこに正解が存在しているか分からないのだから、より多くのものを見聞き経験するのがいい。これはリテラシーを身につけるときだけではなく、正しいものを追い求める上において基本的なスタンスである。闇雲に視野を狭め、自分の信じたいものだけを信じるような方法では、正解を見失い勝ちになってしまう。



子供のようにリテラシーが確実に低いであろう状態で、ネットのようなあらゆる情報が満ちあふれている場所に出てしまうと、正しい情報を見分けるリテラシー能力を持ち合わせないが故に、高い確率でダークサイドへと落ちて行ってしまう。あらゆる情報の中には、一見正しそうに見えたり、自分の欲求を満たすけれど、実は正しくない情報なんてのがごまんと存在しているのだから。

だから、学校や家庭、日常生活などである程度のリテラシーが育つ年代になるまでは、ネットへと出て行くことは十分に気をつけなくてはならない。



そういう意味では、まだリテラシーが身に付いていない低年齢層において、ある程度の規制は必要なのかもしれないと考えさせられる。でも、そもそもリテラシーがどの程度身に付いたかなんてのは個人差が大きいものだし、そもそも大人にだってリテラシーが低い人達はたくさん存在している。単純に年齢で区切れるものじゃない。


また、規制をかけるといっても、どれを見てよくて、どこは見てはイケナイというのは誰が判断するのだろう? それを何かのツールで自動的に判別できるのなら、そもそもリテラシーを各自が身につける様な苦労をしなくても済んでしまう。

ブラックリスト方式で悪い物を排除するには、ネットという場は広すぎるし、ホワイトリスト方式で正しい情報、知識を掲載している場を登録していったとしても、将来においてその場がそうであり続けられる保証はどこにもない。



その辺が低年齢におけるネット規制という問題の難しさを表している。



素直なバカから何に向かうべきか


インターネットとはそういう悲観的に将来を見ておくことや、自分自身を疑う姿勢の大切さもただちに教えてくれる賢い人たちが多数いるメディアなのだ。やっぱり素晴らしい場所だと俺は思うよ。

素直なバカが無限に得をするのがインターネットの特徴 - 枯れた知識の水平思考

この一節にはとても共感した。だからこそ、「素直なバカ」を肯定的に捉えるのではなく、自覚できたらできるだけ早く脱却することをお奨めしたい。

自由なインターネットが必要なのは一握り、あるいは素直なバカは得をしないよという話 - novtan別館

自分の間違いや劣った部分を認めて受け入れられる「素直なバカ」ってのは、自分の得意分野、専門分野でない部分において、ネットを利用して成長しようとするときに必要な資質みたいなものだけど、いつまでもネットから受け取るばかりな「素直なバカ」で居てはいけない。

自分がただしく成長できたら、次はあなたが正しい情報をネットに蓄積し、これから来る人をその正しい情報へと導く人にならないとこのネットで成長できる場は持続しつづけられない。id:NOV1975さんの言うところはそういうことだろう。



また、一人の人間ということで考えてみれば、全てに秀でてる人なんてのは存在せず、それぞれの人はそれぞれ得意・専門な分野とそうでない分野を持っているから、自分が劣ってる分野では「素直なバカ」を演じ、自分の得意・専門な分野では後続の人にアドバイスを送る人となるべき。



また、いくら自分が正しいと思う情報を取り入れていても、それが間違っていたら間違った成長へと一直線となりかねない。自分のリテラシーを磨く、自分の選択が本当に正しいのか疑う第三者の目を自分の中に培うというのも重要だろう。

[]デジタル機器の操作は過去の経験に囚われる



「iPhoneの操作は直感的だ!」「いや、予備知識なしで見たらよく分からないだろう!」など、iPhoneのUIに関してはいろんな意見が飛び交ってますが、デジタル機器の操作ってのは過去の経験に囚われるもの。

新しい未知の装置に遭遇したとき、人は過去の類似の装置を使った時の知識・経験を元にどうやって使うかを推測します。過去にその装置と全く違う操作体系の装置を使っていた人は、その新しい未知の装置を使いこなすのに苦労するでしょう。

日本の一般的な携帯電話になじんでる人がiPhoneを操作してみようとしてはまるのはそういう部分かと。



ここで、そもそも携帯電話のような装置をほとんどまともに使ってみたことがない人に、iPhoneと日本の一般的な携帯電話を与えて、使い方を教えながら操作してもらうってことをやったときに、どちらを早く使えるようになるか?ってのを想像してみると、どう考えてもiPhoneの方が早そうです。



たまに両親にiPhoneを渡して、いろいろといじってみてもらったりしたことがありますが、目的の操作はだいたいすぐに覚えてくれます。カメラ機能ならシャッターしかないし、何かアプリを使うのも起動は目的のアプリアイコンを探してタッチするだけ。ブラウザのピンチイン・アウト(二本指で閉じたり開いたりで拡大縮小)、ダブルタッチで目的部分を拡大、元に戻すってのも、一旦やってみせるとすぐに覚えてもらえる。

一方、一般的な携帯電話で同じようなことをやると、カメラ機能はシャッターを押すまではできても、その後の「保存しますか?」でもうダメ。アプリというか目的の機能はもちろん呼び出せず、保存された写真はもちろん見ることはできないし、メールは隙あらば代打ちしてもらおうとし、自分の携帯に着信があったかどうかすら確認できません。



教える側としても、iPhoneの操作教えるのはえらい楽なんだけど、携帯電話の操作教えるのは勘弁してくれよモードになるってものです。

[][]ブックマークコメントの必要性


俺的はてなブックマーク観 - おやじまんのだめだこりゃ日記」を読んで。

はてなブックマークについての話題。



はてなブックマークについてどう思うかが書かれていて、ブックマークコメントに疑問を持っているらしい。

しかし、ブ米はその存在意義がよくわからない。個人的なメモとして書いておくという使いかたならまだしも、それを有無をいわさず公開する意味があるのだろうかと思う。ブ米は「人の家の玄関に呼び出しベルをつけませんかといいつつ、つけちゃったら落書きOKなパネルもついてきちゃうサービス」という気がする。その落書きブ米パネルで落書きしている物同士がエントリ主そっちのけでコミュニケーションを取っていたりするのを見ると、ますます変な感じがする。そんな使いかただったら別途掲示板ででもやればいいのにと思う。

http://www.oyajiman.net/oyaji/item-2284.html

ブックマークコメントは公開と非公開(プライベード)を選べるので、「有無をいわさず公開」ってことはないです。



疑問をもたれているのは、あるブログ記事などについてのブックマークコメントが、その元ブログ記事をそっちのけにしてブックマークコメント同士でコミュニケーション取ってたりするのは変な感じがする、ということ。



逆に私からすると分からないのは、「そんな使い方だったら別途掲示板ででもやればいいのに」ってのが、ブックマークコメント欄だったらダメなのか?という点。あるブログ記事について語るのに、そのブログのコメント欄で語ろうが、ブックマークコメントで語ろうが、掲示板で語ろうが、自分のブログで語ろうが、私にはいっしょに思えます。

ここで挙げた例で違うのは、本ブログ記事のコメント欄で書いた場合のみ、書いたコメントの修正・削除などがブログ作者にゆだねられてしまうという点。それ以外の例では、書いたコメントは書いた本人が修正・削除の権限を持つか、自由に修正・削除できないか、です。



ブログ作者からしてみれば自分のコメント欄で語られた方が、自分の意に沿う編集ができます(荒らしや誹謗中傷などなら削除すればいいし、人に寄っては自分の意に沿わないコメントを掲載しない人もいるかもしれない)。これを嫌う人が、元ブログ記事のコメント欄以外の場所で書くってのは自由だし、またブックマークコメント同士や掲示板内、言及したブログ記事上でコミュニケーションとるのもまた自由でしょう。

まあ、自由だと言っても、書いたコメントについての責任は書いた本人にありますし、自由に書き込むことの出来る場に元ブログ記事への攻撃を書き込め、と言っている訳ではありませんが。



はてなブックマークのコメント一覧が何かと違和感をもたれやすいのは、はてなブックマーク登録アイコンなどを付けているサイトからはワンクリックで飛べるという感覚的に近い場所に、サイト管理人の権限が及ばない形で大勢のコメントが一覧で並んでいる。つまり、元記事から近い場所なのに自分(元記事作者)の自由にならない空間であり、多数の歯に衣を着せぬコメントが書き込まれることもある場所だからなのかもしれません。近くて見えてる場所から槍が飛んで来てるのにどうにもできない感覚。



さらに不思議なのは、その落書きパネルがブログも持たない人にも利用できてしまうことだ。そもそも自分の意見をブ米だけで述べる人がいるのはどういうことなのかよくわからないのだが、ここで後から変更可能という仕様が光り輝く。この仕様によって、ブ米はブログでの捨て台詞罵詈雑言コメントよりも素晴らしいレベルに到達している。後出しじゃんけんが出来る分便所の落書きよりサイテーでラブホテルの落書き帳よりたちが悪いのだ。責任の所在というか、自由と自分勝手を取り違えているというか、この仕様には賛同できない。というか、そんなにコメントがしたいのであれば、ニュースサイトのように自分で集める場所を作り自分の責任でやってほしいと思うのだが、どうか。

http://www.oyajiman.net/oyaji/item-2284.html

はてなブックマークを利用するのに何故ブログを持たなければいけないのかが良くわかりません。ブログを持つ=責任を持つ場所を持つってことでしょうか?



はてなブックマークコメントでコメントすることを責任の所在がない場所で書く、というような物言いをする人はたまに見掛けるが、はてなブックマークコメントだろうが、ブログだろうが、掲示板だろうが、書いたコメントの責任は書いた本人に帰属します。はてなブックマークコメントであれば、誰が書いたかちゃんとアカウントが分かるので、書いた内容の責任はそれを書いた人にある。

反論があったり、間違いを正したい時はそのはてなブックマークユーザーを名指ししてブクマコメントを引用して行えばいい。それが相手に読まれるか、またそれに対する反応があるかどうかは分からないが、それは元ブログ記事のコメント欄だって、その他の場所で書いたって変わらない。



ニュースサイトうんぬんで言えば、はてなブックマークの各個人ブックマークページはコメント付き羅列型ニュースサイトと同様です。




また、ブックマークのリンクをクリックしたときにブ米を強制的に見せる必要もない。便所の落書きをわざわざ拡声器を使って読み上げてもらわなくても結構だと思う。それこそブ米を見たい人が見ればいい仕様をデフォルトにするべきだろう。

http://www.oyajiman.net/oyaji/item-2284.html

中には便所の落書きのような書き込みもあるだろうが、参考になるコメントもいっぱいあります。

ブックマークコメント一覧表示が嫌だ、というのは、はてなブックマークにユーザーごとにブックマークコメント一覧を表示/非表示にするという機能があればいいんでしょうか?

一覧表示、非表示のどちらをデフォルトとするかはサービスを運営しているはてなの意思でもあるので、これが気に入らないのなら、はてなブックマークを見ない、くらいしか解決策は無さそうですが。



単純に力関係を見た場合、自分の意見(エントリ)に対して、コメントを書いた物が「後出しじゃんけん」出来るシステム仕様は主エントリとコメンテーターが対等になっていないように感じる。ブ米はコメンテーターがやりたい放題に出来る仕様と言っても良いのではないか。

http://www.oyajiman.net/oyaji/item-2284.html

この「後出しじゃんけん」ってのは別記事から

ブ米について言えば、ブログではコメントの修正はブログ主以外に出来ないのが一般的で、普通はコメント投稿者が勝手にコメントの変更をすることは出来ない。自分のコメントをコメント主が後から修正できてしまう点を「後出し」と表現したのだが、これがどうやら伝わってはいない。

http://www.oyajiman.net/oyaji/item-2286.html

ってことで、後出しというよりかは改変?ってことなのかな?


書いた物を後から自分に都合の良いように改変するというのは、ネット上で他人とコミュニケーションするときのモラル的な意味あいでやるべきではない行動だけど、それははてなブックマークコメントに限った話ではありません。この改変については過去に「ネットの記録を都合の良いように操作する人をみて - 北の大地から送る物欲日記」でも書いています。



ブログコメント欄は力関係がブログ主>コメンテーターとなっている場(ブログ主がコメンテーターのコメントを自由に修正・削除できるので)、はてなブックマークコメントはブログ主の力が及ばないが一ブックマーカーとして参加することはできる場。

一ブックマーカーとしては100文字までしかコメントできないので、自分以外の全てのコメントに反応するのは不可能ですが、何もコメントに反応できるのはブックマークコメント上だけではありません。自分のブックマークコメントに反論記事URLを記載しておけば、自分のブログで多数のブックマークコメントに対して反応することも可能です。(「はてなブックマークコメントへのレス '081001〜'081005 - 北の大地から送る物欲日記」のような形で)

たかだかワンクリックで飛べる先にある反論を読みにこない人ってのは、要は言いっぱなしで書き捨ててる人であり、これははてなブックマークコメントに限らず、掲示板で書き捨ててる人、自分のブログで書き捨ててる人などといっしょです。



ブックマークコメントの必要性


私にとって、はてなブックマークコメントは、元ブログ記事主に対して気を使わずに書かれた素に近いコメントを読むことができるものであり、ブックマークコメント一覧を見ることで、全体的に元記事がどういう反応で見られているかを見渡すことができるものです。

数十以上のブックマークがついている場合、ブックマークコメントが全て好意的なコメントで埋まることはほぼ無く何かしらの反論やツッコミがあるものですし、ほぼ全てが反論で埋まっている場合は元記事に何らかの問題があるように見えます。そして、たいていの場合は賛否両論が飛び交っています。



ある記事について、一人一言(100文字以内)というコメントを一覧できる場ってのははてなブックマーク以外にはほぼ存在していないので、私にとっては大勢の反応を見るという意味で非常に有益な場となっていて、いろんな記事を見る際にかかせないものとなっています。



関連記事:

[]日付の表記法



PC上でファイル名をつけるときや、メモに日付を入れるとき、日付を六桁の数字で表記するってのをよくやります。


例えば、2008年11月7日なら「081107」というように。西暦の下二桁+月二桁+日二桁、で六桁ですね。月や日にちが一桁のときは0を補って二桁にします。

この六桁の数字による日付表記をファイル名の先頭につけておけば、PCでファイル名順に並べると自動で日付の順番にファイルが並ぶという利点が。メモを取るときなんかも、数字だけなのでさらっと書けます。



この表記、08/11/07や08-11-07みたいに記号で区切ってるものもよく使われていたりしますが、外国では必ずしも年月日の順番で表記されている訳ではないので注意が必要です。PCの設定でこの順番が入れ替わってたりして苦労したことがある人もいるんじゃないでしょうか?

アメリカだと月/日/年、イギリスだと日/月/年の順番になります。

「08/11/07」は日本だと2008年11月7日、アメリカだと2007年8月11日、イギリスだと2007年11月8日とバラバラです。



正確な表記がしたいなら、日付と時刻の表記に関する国際規格としてISO 8601が定義されているので読んでみるといいかも。

[]マクロスF、ランカ・リー役中島愛のオリジナル曲がiTSなどで配信開始



マクロスフロンティアでランカ・リー役をやってた中島愛のオリジナル曲が11/8から各種着うた、音楽配信サイトで配信開始されるとあったので、さっそくiTunesStoreを覗いてみたらありました。

f:id:hejihogu:20081108012338j:image


曲は以下の三曲。(リンク先はiTunesStoreになります)

「パイン」って曲名はマクロス的にはなんかちょっと不安になる曲名なんですがw



さっそく3曲とも購入して聴いてみました。マクロスFでのランカ役での歌とは結構違う歌い方で、こっちが地の歌い方なのかな? これはこれで結構イイ。

どんな曲か気になる人は、iTSでそれぞれ30秒の視聴が可能なのでゴー!