高解像度より踊りが気になる動画


Youtubeは一番知名度の高い動画共有サービスですが、アップされた動画の画質はその他の動画共有サービスと比べるとずいぶんと低いものでした。

でも、だんだんと高解像度の波がおとずれて次第に綺麗な動画が見られるようにもなってきています。


http://jp.youtube.com/watch?v=zlfKdbWwruY&fmt=22
の最後に「&fmt=22」とついていますが、高解像度の動画が用意されている動画では、このオプションを最後につけることで高解像度の動画を見ることが可能になります。まあ、いままでの動画と比べると綺麗、というレベルですが。


この高解像度動画の例として挙げられている動画、高解像度という部分よりも世界中で同じ踊りを踊ってるその内容の方に目が惹かれてしまいます。音楽や踊りみたいに国境がないものって世界中どこに行っても通じるんだなあ、と。

幸せはたぶんテレビやネットの外にある


らばQ:幸せじゃない人は幸せな人に比べてテレビを見る時間が長いことが判明」を読んで。

上記の記事ではテレビについて取り上げられていますが、ひたすら受身で読むだけならネットもたいして変わらないのかな?と思ったり。


テレビやネットを受動的に見るだけ(ネットで自分の好きなものを探してみるのと、テレビで気になるチャンネルをザッピングしながら見るのにはたいして違いはないように思える)ってのは、自分の外の世界に対してひたすら傍観者でいるってこと。

もちろん、そこから得られるものもあるでしょうが、その比重が高くなりすぎてしまうのは危ない。



元記事では幸せな人、不幸な人という区分で分けられていますが、これは言いようによっては、自ら動く人、自ら動かない人とも言い換えられそうでもあります。

ブログを読んでもらうためには


ブログ。長文を書くとき気をつけたいこと。 - かみんぐあうとっ」を読んで。

文章を読む場所ってのはいろいろあって、新聞、書籍など紙媒体に書かれたもの、PCならブログやいろんなサイト、また携帯電話でもブログやサイトなどがあります。


紙媒体では比較的見通しがいいことや、文章を書くときのフォーマットがきっちり決まっていて読みやすく作られていることなどから、長文でも苦労せず読めますが、これがPC上ともなると結構長文を読むのは大変です。まして、携帯電話などになると長文はまずありえません。携帯小説を紙媒体に書き起こすと、ものすごい短文ばかりになってスカスカになりますが、あれは携帯電話で読むためにはあれくらいの量が最適だということで特化されている文章なのでしょう。


ブログにおける長文


PCで読むブログということで考えると、ブログというのは作者の思い通りのデザインやフォーマットを選択することができるので、デザイン、書き方などによって随分と違った印象になります。

引用記事で挙げられている「長文は好まれない」ってのは、「読む人のことを考えずに書かれている文章はとても読みにくい」ってことでもあります。

  • 改行する
  • 小見出しを入れる
  • 最後に「まとめ」を入れる

ってのは、文章を分かりやすく見せる手法として有効。せっかく自分が書きたいことを書いたのだから、ちょっと体裁を整えて読みやすくして、より多くの人に最後まで読んでもらいたいですしね。



このブログを書くときだと、改行はかなり多めに入れています。同じ段落の中でも改行を入れるし、数行くらいずつのまとまりで改行を多めに入れて幅をとって、あまり長文にしないようにしたりもしています。小見出しは、全体が或る程度の量になりそうだなと思ったら、適当な場所で入れておくと読む側が一息つけます。


最後の「まとめ」はなんか諭してるようであまり好きじゃないので、ここではあまり用いることはありません。どっちかというと、最後には何かしらの締めなり落ちなりを付けたい、って気はします。文章を読み終えた感を味わってもらうために。


長文になると、長い分、読み間違いされる率も高くなるんじゃないかなと思う。とはいえ、まぁ読み間違いされるというのはしょうがないかな、とも思うのですよね。人って読みたいように文章を読んで解釈するものだから。私も読み間違えることあるし。

ブログ。長文を書くとき気をつけたいこと。 - もっこもこっ

自分の主張したいことを、より詳しく書こうとするとどうしても長文になってしまう、でも長くなればなるほどどうしても思ってることと違うことを読み取られてしまう可能性も増えます。ああ、なんというジレンマ。


文章ってのは、人と人とが考えていることを伝え合うためのコミュニケーション手段ですが、それぞれの人が持っている背景が違えば、当然同じ文章を見てどう受け取るかも変わります。何かを正しく伝えようとするなら、「どこが主観でどこが客観かはっきり分ける」「紛らわしい比喩はなるべく避ける」「くどくど長く書かずに短くまとめる」ってのが大事。



長文を読む気になるかどうかってのは、出だし数行くらいの部分で引き込まれるかどうかが一番大きいかな? 7秒で読めるのもちょうどそれくらいだし。

改行が一切無くて、文章がびっしりブロックになってるブログは、どんなに気になるタイトルでもまず間違いなくページを閉じちゃいますけどね。

身近な場所でのブログブームへの期待


ようやく来たブログブーム - Hopeless Homeless」を読んで。

ゲーム系の仕事10年やってますけど、仕事場で「ブログやってる」人はごく少数。mixiを除けば、片手で数えるほどしかいない。ようやくブログ経験者見付けると、写メでご飯と買い物と空写真とか撮って、日記ちょこっと書いて、つ、いわゆるガールズブログ。ゴリゴリ文章書いて、毎日おもろいネタ披露して、レビュー書きまくって、ときに論争に首つっこんで、みたいな「ブロガー」って、身の回りにぜんぜんいない。

ネットを介して出会った人以外で、ブログが日常になった人は、いませんでした。

http://d.hatena.ne.jp/akio71/20081115/p1

この感覚、ものすごい分かる。


やれブログが流行ってる、SNSが流行ってる言われて、1000万だの1500万だののユーザー数や開設数と言った数字がニュースになったりしてる割には、身近な知り合いで引用で挙げられているような「ブロガー」っぽいブログを書いている人は本当に少ない。いわゆる不特定多数の人に見せることを目的としてのブログを日常的につけている人。

いままで知り合って来た身近な人数百人くらい(日常的に会話を交わす程度の間柄)で考えても、ああ、ブロガーだよなって思える人はおそらく10人もいない。いや、片手で足りるくらいかも。



SNSでの日記やちょっとした日記であるガールズブログっぽいものなら、もうちょっと書いている人の数は増えるけど、それだってそうは多くない。1000万とかの景気のいい数字はお試しでちょっとだけ触ってみたけど、すぐに飽きたって人くらいまで含めての数字で、実際にブログを日常的に書いている人はせいぜい100万人くらいなんじゃないだろうか。日本の人口1億2千万人からみたら、せいぜい100人に1人くらいな数。これが笑っていいともなら、「ブログを日常的に書いてる人!」と言えばストラップが当るくらいの確率。


ブログみたいな手段で個人が自分の書きたいことを自由に書いて発信できる土壌はできたけれど、世の中何かを書きたい!って欲求を強く持っている人ってそんなにいないのだろう。


ブーム、も振り返ってみれば、仕事で広報しなきゃならない店舗経営者、公式サイト、芸能人、文化人や、ガールズブログが主。ネットで遊ぶの大好き新しいもの大好き!な人たちが集まる場所では、ブログはもう終わってるらしいけど、ふつうの勤め人さんや、デジタル苦手な人にとっては、ようやくブログが定着しはじめたのかもしれないなあ。

http://d.hatena.ne.jp/akio71/20081115/p1

ブログが新しいブームとして取り上げられる段階は過ぎちゃったのかもしれないけど、それはブログを書くってことがどういうことなのか理解されて認識されたってことなんだと思ってます。ブログブームが終わっただけで、ブログ自体は終わっちゃいない。

むしろ、一般の人が参加してくるようになってくれば、いままでとは違った視点が増えてブログを読む側としては面白そうな気がします。



現実の知り合いでも、「ああ、あの人がブログ書いてくれたら面白そうなのになあ」って人は結構います。あえて無理に勧めたりはしませんがw

続けることで見えてくるもの


あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則 | Lifehacking.jp」を読んで。

何かを成し遂げるには10000時間それを続けられるか?というのが関門の一つであるかもしれません。

2年:10000 / (2 x 365) = 13.7 時間
5年:10000 / (5 x 365) = 5.4 時間
10年:10000 / (10 x 365) = 2.7 時間

あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則 | Lifehacking.jp

10000時間というのは、毎日それを行うとして一日当りどれくらいの時間になるか?というのを計算してる引用部分ですが、こんなに時間がかかる。2年の場合の一日13.7時間なんて、起きてる間ほとんど全てそれに費やすってことになりますし、10年の場合の2.7時間だって、毎日それをやり続けると考えると、やはり10000時間というのはとてつもない時間になります。



ここで上げられている10000時間ってのは、単にそれをやり続ければいいってんじゃなくて、向上心を持ってやり続ける時間のことですから、壁にぶつかって成長してないように見えても、じわじわと成長してて、それが10000時間みたいな大きな時間続けられれば、それなりな結果をもたらすってことでもありそうです。



コツコツと目標に向かって何かをやり続けられることができる、その根気強さってのはなにものにも勝る才能なのかもしれませんね。