寿司がある国に生まれて良かった



寿司が好きだ。



寿司を食べているときほど、日本人で良かったと思うことはない。



何時からこんなに寿司が好きになったかを思い出そうとしても思い出せない。でも、昔はそれほど寿司を食べる機会は無かったはず。そう思い返してるうちに何故寿司を好きになったかとハタと思い当たるふしが。そう、それは回る寿司、回転寿司。


回転寿司との出会い


あれはちょうど二十歳の頃、大学のサークルの人達とどこに晩飯を食べに行くかを相談してたとき、一人が「回転寿司で食べ比べしねえ?」と言い出した。



回転寿司? あの寿司が更にのってぐるぐる回ってるという? まだ回転寿司デビューを果たしていなかった自分だったが、行ったことがない回転寿司という場所への興味はしんしん。腹もぺこぺこ。しかし、食べ比べ、4人で一番食べられなかった奴が総払いという恐ろしい条件が。え、大の男4人でもりもり食べたら一体いくらくらいになるんだ??

空腹と好奇心と興味は、勝負に負けて全額支払うことになるかもしれないという恐怖に打ち勝ち、回転寿司デビューすることとなった。


回る寿司、積まれる皿、流れる汗


初めて見る回転寿司という場所は、全てが新鮮だった。



いや、ネタが、とかいうんじゃなくて、ああ、寿司ってこんなにいろんなネタがあるんだとか、え?お茶もおしぼりも箸も全部セルフサービス?とか、案外寿司以外の物も流れてるんだな・・・デザートまであるのかよ!あ、ジュース飲み放題とかもあるよ!とかとか。



そんな中で開始された4人の男達の回転寿司食べ比べ勝負は熾烈な戦いとなった。10皿目までは非常に美味しい寿司を頂いていた記憶があるが、皿が積み重なり、レーンよりも高くなろうかとする辺りから状況は変わった。脂が多いネタがどんどん苦痛になっていく。まぐろの赤身でさえきつい。誰かが一皿取ると同時に他の3人も遅れまじと皿を取る、そんな状況が続いた。

回り続ける寿司、自分達の目の前にうずたかく積み上げられて行く皿、そして満腹と寿司の脂のしつこさで流れる冷や汗。



勝負がついたときには、一人あたま23枚の皿がうずたかく並んでいた。自分の目の前の皿も23枚だった。一人、23枚に到達しなかった届かなかった男の敗因は本人曰く、出発前に飲んだ一缶のコーラだった。


回転寿司を巡る日々


そんな過酷な回転寿司デビューをした後は、普通に美味しく寿司を食べるために回転寿司に訪れるようになった。当時住んでいた札幌は人口辺りの回転寿司の店の数がかなり多い地域で、しかもその多くが安くて美味しい店であった。



寿司ネタというのは一体何種類くらいあるのだろう?あちこちの店を食べ比べ歩くうちに多くの寿司ネタが見分けられるようになった。同じ種類のネタもどれが美味しくて、今日のはちょっとイマイチそうだなどというのも、なんとなく見分けられるようになった。

軍艦に炙りに手巻きに巻き寿司に押し寿司にと、単なる握り寿司だけではなく創作意欲に富んだ数々の寿司があるのも知った。ネタも魚貝類だけではなく、肉だったり、野菜だったり、乳製品だったり、とさまざまな物が組み合わされて寿司となることを知った。

流通技術の発達でそれまではあまり生で食べられなかったような魚も生で食べられるようになった。しめ鯖の微妙な〆加減にハマって、同じ店で延々5皿以上しめ鯖を食べた事もあった。タコやイカにはうなぎや穴子などに用いられる甘ダレがよく合う事も知った。高いネタも切れ端などを細かく刻んで軍艦で回ってくることがあるのを知った。ウニの苦い味はウニ本来の味ではなく保存料のミョウバンの味だということも知った。ミョウバンを使っていないウニの味は格別だった。



店に入ってすぐに食べられ、好きな量だけ食べて出られる回転寿司は、一人暮らしのときによく利用した。自宅の隣の隣が回転寿司だったときは、仕事が遅くなったときに、休みの日に、待たずにすぐに食べられる回転寿司を愛用した。仕事で東京に移り住んだときも、美味しいと言われる店を探してあちこちに出かけた。


寿司の魅力に取り憑かれた人


どうしてここまで寿司に惹かれてしまったんだろう? きっとそれはあらゆるものをネタとしてしまうその奥深さにあるのだと思う。



私が寿司好きになるきっかけであった回転寿司ほどあらゆる種類のネタを選びながら食べられる形態の飲食店は他にはないだろう。生ものが好きじゃない人でも食べられるネタがいくつも流れている。デザートや麺類、茶碗蒸し、汁物などのサイドメニューにも事欠かない。握り寿司だけでなく、ネタを盛り合わせた生チラシも好きだ。さまざまなネタを乗せた生チラシはなぜあれほど美しくて美味しいのだろう。



寿司という一つのメニューがありとあらゆるネタや調理法で作り上げられる広大な世界を作り出している、そんな奥深さにハマってしまった。



食べたい時に寿司を食べられる、そんな国に生まれてよかった。

目標から目をそらしたときが失敗への入り口

「必ず目標を達成する人」はどのように考えているのか | Lifehacking.jp」を読んで。

目標達成型の思考と、失敗回避型の思考の違いがいくつかのパターンで挙げられています。

1. 目標達成は自らの責任と考える
目標達成型の人は、困難なタスクの成否は自分のイニシアチブの取り方、実行の仕方、達成するまでの継続力にあると捉えるのに対して、失敗回避型の人は手持ちのリソースの量や状況に左右されると捉えがち(「難しすぎる!」「時間がないのでできない」)

「必ず目標を達成する人」はどのように考えているのか | Lifehacking.jp

言い訳してる暇があったら手を動かせ、って奴ですね。困難な道のりでも、目標を見失わず、実行の仕方をしっかり考えながら目的達成まで地道な継続を続ける、山頂に登るのも一歩一歩の積み重ね。

2. 難しいタスクはチャンスと考える
困難に直面した目標達成型の人はそこに「機会」や「価値」を見出すのに対して、失敗回避型の人は失敗して恥をかく「脅威」を感じてしまう。

「機会」や「価値」を見出せばそこへ果敢にチャレンジしていく勇気がわくけれど、「脅威」を感じてしまえば怖じ気づいて足が止まってしまう。そこから逃げ出してしまう。

3. 困難に伴うストレスを歓迎する
目標達成型の人は困難に対してさらに集中力とコミットメントを強めるのに対して、失敗回避型の人はそのストレスに耐えられなくなる。失敗を回避する人は、そうした努力をいきすぎている、あるいは無理をしていると感じがち。

「必ず目標を達成する人」はどのように考えているのか | Lifehacking.jp

困難を突破するには集中力とここを乗り越えるんだという自分への約束が必要なのに、「無駄な努力」と自分への言い訳にしてしまう。自分の目標を自分で達成不可能であると判断してしまったときの言い訳。

4. スキルは向上しうると考える
目標達成型の人はタスクを進めながらもスキルを向上させて最終的には達成できると考えるのに対して、失敗回避型の人はスキルは固定していて、いま持っているもので戦わないといけないと考えがち。

「必ず目標を達成する人」はどのように考えているのか | Lifehacking.jp

いま自分が持っているスキルは、かつて長い時間をかけて向上させてきたもののはずなのに、もうそれが向上しないと考えてしまうのは何故だろう。

5. 継続の力を信じられる
目標達成型の人が、「やってみるまではわからない」「とにかくできるまで何千回でも試すんだ」というとき、失敗回避型の人は「やめどきが肝心だよ」と考えてしまう。

「必ず目標を達成する人」はどのように考えているのか | Lifehacking.jp

失敗を回避して得られるのはなんだろう?失敗しなかったことで守られた自分のプライド?それと目標達成の喜びとどっちが大事なんだろう?



自分の人生を振り返ってみても、目標を達成できたときにそれはどんな道のりだったかを考えると、失敗することを恐れずにひたすら目標に向かっていった場合が多かったように思う。失敗したときはたいてい目標が見えなくなっていたり、そこから目をそらしていた。


人は見えない目標に向かっては頑張れない。自分が目指すべき目標を見つけ、そこから目を離さずに前に進み続ければいつかそこにたどり着ける。目標から目をそらしてしまったそのときが失敗への入り口なのだろう。

低い賃金や有効求人倍率からみえる地方の厳しい労働状況

平成23年賃金構造基本統計調査結果(都道府県別速報)の概況ってのが厚生労働省のサイトで公開されています。
高齢者介護実態調査|厚生労働省

役所の発表資料って、どうしてこう分かり易く見せる気が無いんだろう?ってのはさておき。



所定内給与額(きまって支給する現金給与額から超過労働給与額(時間外勤務手当、深夜勤務手当、休日出勤手当、宿日直手当等)を差し引いた額、2011年6月分調査)をみると、トップの東京都が37万2900円、最下位の青森県が22万2200円で、その差は15万700円となっています。ちなみに北海道は25万8200円。

東京を100%とすると、青森県は59.6%、北海道は69.2%となります。


都会の方が家賃がかかると言っても、それ以外の生活費はそれほど変わらない状況でこんだけ給与額に差があれば、どんどん地方から都会へと人が流出していくのに歯止めが利かなさそう。



一般職業紹介状況(平成23年11月分)について |報道発表資料|厚生労働省
別の発表資料から分かる2011年11月の地域別有効求人倍率は東京 0.90、青森県 0.48、北海道 0.52でした。給料が安い上に仕事もない。



都会に人が集まる理由、というか、地方から人が出て行かざるを得ない理由なんでしょうね、たぶん。



地方のこの冷えきった労働状況を変えるには、現状の仕事を活性化させて盛り上げる、新しい仕事を起こすなどの変化が必要なのでしょうけれど、地方での仕事は時が昭和で止まってしまってるかのようなワークスタイルがいまだに続いてるような所が少なくありません。新しい時代のワークスタイルに必要な武器たるコンピューターとかネットとか、必要最低限レベルでなんとか使っているという。



コンピューターとかネットというのは、20世紀生まれな人にとっては学生の頃にそれを使わざるを得ない状況があって初めて習得するみたいな部分があって、進学率や学歴が低い人材が比較的多い地方では、職場の環境でそれを学んだり、導入したりする変化が非常に立ち後れた、もしくはほとんど起こらなかったんじゃないかと感じています。

もちろんそれだけで仕事が回る訳じゃないけれども、それを有効に使えるかどうかというのは生産性に大きく関わってきます。



前職をリタイアして地元の登別に戻った後、失業保険をもらうために通っていたハローワークで職業相談をしてたときの相談員の方々が申し訳なさそうに「あなたのような経歴の人を活かせる仕事は地方にはありません、都会に出た方がいいです」というオーラを発してたのが忘れられません。

人口が減少することへの対策で、地元へのUターンを推奨しはするものの仕事が無くて戻って来た人が行き詰まってしまうという状況。

新世代の携帯ゲーム機はマニアのものというアリ地獄から抜け出せるのか?

PSVita、買っていい人、買ってはいけない人・・平林久和「ゲームの未来を語る」第27回 / GameBusiness.jp」を読んで。

そう、昨年末に発売になったんでしたよね、PSVita。PSPVitaじゃなくてPSVita。ハードウェア的には非常にワクワクするゲーム機ですが、自分にとってのキラータイトルは見つけられなかったので、発売時点での購入は見送りました。

世の中はいつのまにやら携帯電話に変わってスマートフォンがカジュアルにゲームもできるモバイルデバイスとして地位を確立しつつあり、携帯ゲーム機 vs スマートフォンなんて構図でシェア争いが繰り広げられる模様。



スマートフォンの普及が地域によって大きく異なる、というのが、「日本のスマホ利用動向最新情報! - comScore, Inc」で分かりますが、この差は電車移動が多い地域と少ない地域の差なんじゃないかと思ってます。車移動だと運転中にスマートフォンいじったりできませんからね。

そしてスマートフォンと争っている携帯ゲーム機もまた、似た様な普及分布状況にあるのではないかと。まあ、ゲーム機の場合はスマートフォンよりは購買層の年齢が低そうで、自宅で使用ってのも多そうですから、スマートフォンほどの差はないのかもしれませんが。



PSVitaに満足するために必要な資質?として挙げられていた

□自宅にWi-Fi環境が整っている
□インターネット接続が独力でできる
□USB、WEPキー、MP4などの最低限のコンピュータ用語が理解できる
プレイステーション3を持っている
□トルネを持っている
□インターネット接続されたPCを持っている
PSNのアカウントを持っている
□自分で決済できるクレジットカードを持っている
PSNのクレジットカード以外の決済方法も知っている
スマートフォン、またはタブレット型PCの利用経験がある
□ポケットWi-Fiを持っている
□人口密集地帯に住んでいるか、通勤・通学をしていてNearの機能を楽しめる
□無料アプリ、Twitterのアカウントを持っている
□無料アプリ、ニコニコ動画のアカウントを持っている

http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=5185&page=3

これの多くを満たせるのは、「ネットに詳しい」「ソニー好きな」「デジタルガジェットマニア」。あ、自分も当てはまってるかも!とか思ったけど、ここに該当するような人ってほんとごく一部のマニアしか居なさそう。自分で言うのもなんですが。



自分がPSVita見てて思うのは、タッチパネルとか各種センサーとか3G通信機能とか、もう機能テンコ盛りな状態で作られた豪華なハードウェア(だからこそデジタルガジェット好きとしてはワクワクするのだけれども)なんだけど、今までの携帯ゲーム機という枠組みから何か飛び出して新しいことが出来るのか?と言われるとちょっと微妙かな?という部分。

話題として大きく取り上げられていた3G通信機能も、移動中に通信が利用できるようになることは素晴らしいとは思うのだけれども、PSVitaスマートフォンじゃなくて携帯ゲーム機なんですよね。ゲーム機として3G通信が何に活かせるのか?って部分のアピールが弱いように感じます。

いままでも、ゲーム機の通信機能を使った対戦や協力プレイなどは、Wi-fiや有線LANで実現してたワケで、そこにどこでも繋がるけど反応はちょっと遅い、しかもそれほど大容量にはデータのやり取りはさせてくれない(ように見える通信契約)状態の3G通信が追加になって何ができるんだろう?という疑問。



先行して発売されていたもう片方の携帯ゲーム機、任天堂3DSも売りのはずの3D機能はみんな切ってプレイしてるように、新しい機能をうまく活かすというのは難しくて。

そして争う相手のスマートフォンのゲーム機としてみたときの売りって、タッチパネルでいつでも気軽にプレイできる、無料や格安な価格で新しいゲームをどんどんダウンロードできる、という所で、もうこれは一般人にはたまらない魅力に映ります。



持てる機能をうまく活用するゲームを出してくるとか、より気軽に親しみ易い環境の構築に尽力するとか、結構大きなテコ入れをしないと、据置型ゲーム機がどんどんとシェアを下げているのと同じ状況が携帯ゲーム機にもやってくるかもしれません。

デジカメに取り込まれまいと気を吐くソニーのビデオカメラ新型モデル「PJ760V」

ソニーは、ビデオカメラの新モデルとして、空間光学手ブレ補正機能を備え、プロジェクタ機能も搭載した「PJ760V」と、同モデルからプロジェクタを省いた「CX720V」を発売する。

ソニー、空間光学手ブレ補正搭載の2Dハンディカム - AV Watch

デジタルカメラで動画が撮影でき、デジタルビデオカメラでも静止画が撮影できる。デジカメとデジタルビデオカメラって、出来る事がかなり被ってきていつかは統合されちゃいそうだな、とか思ってたけど、ソニーはまだまだ統合させる気はないらしい。



デジカメの動画撮影ではソニーの光学手ブレ補正機能はかなり評判がいいんだけど、ビデオカメラの方でも更に進化させた光学手ブレ補正を採用。ビデオカメラだとズーム性能が高いし、撮影中に動くことも多いためにより手ブレ補正機能が必要とされるんだけど、今回の空間光学手ブレ補正機能は「約13倍ブレナイ」んだそうで。



そして、プロジェクター機能内蔵。ニコンのデジカメでプロジェクター機能を内蔵したシリーズがあるけど、デジカメだと本体が小さいのでバッテリの電池容量とかサイズ的にとかかなり厳しそうなのが、デジカメよりは大型でサイズのコンパクトさがそれほど要求されないビデオカメラだと、その辺は楽にこなせそう。

プロジェクターを手軽に持ち運べるってのは、外出時でも簡単に大勢で動画を見られるというのもあって、イベント時なんかにも良さそう。



これは昨年発売のモデルHDR-PJ40Vのプレゼン動画ですが、プロジェクター機能は同様でしょう。



参照記事:世界初「空間光学手ブレ補正」搭載の“ハンディカム”など計6機種を発売 | プレスリリース | ソニー

違う山頂を目指しゆっくり流れるようになった時間

僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録」を読んで。


人生において何らかの壁に突き当たった時、僕たちはどうしてきただろう? 自分に嘘をついて、言い訳をして、壁なんて無いよとうそぶいてみたり、たまたま調子が悪かったのさと見て見ぬ振りをしてこなかっただろうか?

「僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった」という高校生の独白を読み、昔の自分を思い出す・・・。



あれは高校生の頃、そう、高校に入りたて、一年生の頃は一番頭がよく回ってた頃で、クラスでも1、2を争うくらいの成績だったように記憶している。でも、なんでだろう、理由はもう思い出せないが、二年生になった頃から勉強に全く身が入らなくなってしまった。同じクラスで成績を張り合っていた友人と別のクラスになり、勉強に張り合いが感じられなくなってしまったせいだったのかもしれない。それとも、一年生の頃に張り切りすぎた反動での中だるみだったのかもしれない。

ふと気づくと、もう三年生の夏休みの終わり、そう、大学受験に向けて最後のラストスパートに入るべき時期となっていた。

大学受験のための模試の成績が、一年生の頃は上から数えてすぐに見つけられる位置にあったのが、三年生の夏休み明けの模試では大学受験組の中でも下から数えた方がずっと早いところまで落ちていた。それまで、自分はそれなりに頭が良いと思っていたが、いつの間にか、いや、ずっと成績がじわじわと下がって行くのを知ってはいながらも何もしなかった。二年生の頃の授業といえば、ひたすら授業中に寝ていた記憶しかない。

もう、頭の善し悪しなどではなく、単に勉強をしていないせいで勉強が出来なくなっていた。



大学は中学生くらいの頃から漠然と北海道大学を受けたいと思っていた。きっとそれは若者にありがちな、家を出てどこか都会に行きたいというありがちな願望だったのだろう。でも、残り半年でラストスパートをかけたとしてもどこまで手が届くか分からない、センター試験足切りされてしまうかもしれない、そんなもやもやした気分で受験勉強を続けていた。

なんとか二次試験までこぎ着け、試験を受けるために初めて北海道大学に行ったとき、雪が降りしきる広大な大学構内を歩きながら、ああ、ここで大学生活を送ってみたい!と強く感じたことは今でも覚えている。きっとあの時に何かスイッチが入ったんだと思うけど、受験前日の下見でスイッチが入ってもさすがにもう何も出来る事はなかった。何かを身につけるというのは、普段の地道な積み重ねなくして成し得ることはないと強く実感した時でもあった。



結局、現役での大学受験は見事に失敗に終わったのだが、「自分は北大に行くんだ」というスイッチが入ったせいで一年の浪人生活の後、無事北海道大学に合格することが出来た。現役の頃と、浪人生活の頃と別に自分の頭の良さが変わった訳じゃない。違ったのは、地道に知識を身につける努力をするやる気を出せたかどうかだけだった。

自分が目指していた大学に合格できたのは、ここに必ず入るのだという目標をしっかり定め、やる気のスイッチを入れたせいだった。



どうすれば、やる気のスイッチを入れられたのだろうか? もっと早くに北海道大学を訪れていればよかった? 落ちて行く成績を見てみぬ振りをせずに、自分にカツを入れればよかった? 後から考えてみても、どうすればやる気が起こせたか?というのは全く分からなかった。だって、やる気のスイッチが入ったときの感覚は何か分かり易い理由があった訳ではなく、直感に近いものだったから。

でも、やる気のスイッチを入れて地道に勉強する努力を始める事無くしては絶対に合格することはなかった。それだけは言える。目標を見定めないと、どこにも向かって行けないんだ、ということは分かった。



自らが困難とぶつかったときにどう対処すべきか、というのは上述の参照記事以外にも「"プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らない" - naoyaの寿司ブログ」の話も似た様な体験が語られていて、結局のところ山のふもとからしっかりと踏みしめながら登って行くのが結果としてしっかり山頂へと結びつくんだな、と。


目標を定めることで変わる世界


話は変わりますが、4年前に研究者の道を辞めると決めたときにはとても自分のプライドは傷つきました。大学生活から数えると十数年費やして来た道を諦めたのだから。でも、何時の頃からだったかは覚えていませんが、自分に研究者としての資質や実際の能力に欠ける部分があると気づいてたのも確かでした。埋められないギャップを抱えたまま、次第に目標を見失い、やる気を失い、それでも義務感で無理を続けたことで体を壊してしまい、もう仕事を研究者への道を進み続けることは出来なくなりました。

思えば、本当にダメになる前に周りの人に助けを求めれば良かったのかもしれません。でも、あの時はポスドクという自分の立場が、いや、きっと自分のプライドがそれをさせませんでした。当時の職場の人には仕事を途中で投げ出さざるを得なくなってしまったことでいろいろと迷惑をかけてしまい、申し訳なく思っています。



今でもその時の傷は完全には癒えてはいませんが、あれから数年経ち、違う山頂を目指すやる気が生まれました。じわじわとではあるけれど、その山を登るためにいろいろな準備を始め、一歩ずつ歩み出して、日々の生活が変わってきました。歳を取るにつれてどんどんと早く過ぎるように感じていた時間の流れが、急にブレーキをかけたかのようにゆっくりに感じられるようになりました。

自分が目標を見定めて、そこに向かって必要なことを選び、探し、調べながら少しずつ進み出したことで、日々の生活の中で無為に過ごしてた時間が少なくなり、そのせいで意識的に使ってる時間が増えたからでしょうか。



新しい山頂は決めたけれども、まだまだ登り始めたばかり。今度は前の様に途中下山しなくても済む様、しっかりと足場を固めながら着実に登って行こうと思っています。自分の体験からも、周りの体験からもきっとそれが一番の近道だから。