シニア層へのスマートフォン普及の壁はたぶん月額使用料金

人気のスマートフォン(多機能携帯電話)を使っている人が20歳代では4割を超えることが、時事通信が17日までに実施した調査で分かった。1年前より大幅に伸びており、スマートフォンが若者の間で急速に浸透している実態を裏付けた。全世代の合計では約1割にとどまるものの、保有する携帯電話からスマートフォンへの乗り換えを希望する割合は、若者に限らず高い。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120117-00000076-jij-bus_all

どこのキャリアも新機種がスマートフォンだらけになってる今、利用者はどんどん携帯を買い替える若者を中心に増えてくってのはもう大きな流れ。



iPhone使ってて、一般の携帯電話よりも簡単に操作できるので両親みたいなシニア層にも勧めたいところなんだけど、スマートフォンはパケット代込みで月の使用料金が5000円以上くらいになっちゃうのが大きな壁。

もともとネットとか携帯電話で見ない、せいぜいメールくらいしかしないシニア層だと、月々の使用料金なんてせいぜい2000円くらいなもので、いくら便利だからと言ってもここが2倍以上になってしまうスマートフォンはなかなか流行らない。



便利は便利なんだけども、モバイルでばりばり使う、なんてシチュエーションがそれほど考えられないシニア層にとっては、使用料金が壁になってスマートフォン普及は遅れそう。自宅で使うことに特化したタブレットとかの方がよっぽど早く普及しそう。

書く事に関してのデジタルとアナログ

手で書くということ - G.A.W.」を読んで。

文章を書くときにある二つの形、「手で書く」か「キーボードで打つ」かの、「手で書く」ことについて語ってるエントリ。


手で書くこととキーボードで打つこと


大学の卒論を書くのにMacを使ってて、もうキーボードで文字を打って文章を作るのが一般的になり始めていた頃。少し上の学年の先輩達はワープロを使ってて、それよりもっと上になると手書きで卒論って時代。



キーボードで文字を打つって、タイピングに慣れるまでは非常にもどかしくて苦痛な作業なんだけど、一旦タイピングに慣れてしまえば、思考に近いスピードで文字をどんどん入力する事が出来る様になる。

しかも、後から好きに入れ替えて編集したりできるし、複雑な漢字だって変換一発!・・・いや、二発!三発!!で出てくるし、印刷すりゃあ、非常に綺麗な見栄えで出てくるし。



一方の手書きは頭の中で考えてるスピードにとうてい追いつかない速度でしか書けず、たまに漢字忘れてひらがなになったりして、あ、字を間違えた!となると消しゴムで消すかボールペンならがががっと黒く書きつぶしてまた書き直し。



卒論を書く時期にコンピューターが使える時代に生まれて良かった!と、数年前の先輩達が書いた手書きを卒論を読みながら思ったものだった。


それでも手で書いてる


じゃあ、もう手書きは卒業して、文章たる文章はみんなコンピューターで打って済ませる様になったかというと、案外そうでも無かったりする。



大学での研究時代、実験系の組み立てだったり、ちょっとした計算やアイデアメモだったりは、研究室に積まれている大量の片面印刷廃棄書類、これは裏面を使うためにとっておいてあるもの、をぐわしと一枚引き出して、がががっとボールペンで書きなぐるスタイルだった。

A4の紙の上を、あっちこっちすっとびながら自由に書けるのが良かった。



コンピューターで文字を打つのは、単に文章を書くのに特化してる時はいいのだが、何かを考えたり、自由なレイアウトが必要だったり、という書き物作業のときには、手で書く方が圧倒的にはかどった。



手で書くというのは、頭での思考速度よりずっと遅い速度での筆記となり、しかも手で文字を書くということにずっと意識の一部を持って行かれるために、半強制的に思考を頭の中でぐるぐると回してるような状態になる。

そのせいか、書いてる途中に今書いていることと関連した何か別なことを思い付くことが多い。



結局、卒論を書いてから十数年経つ今でも、「コンピューターで文字を打つ」のと「手で文字を書く」のは両立している。文章を書くのに集中したいときはコンピューター、アイデア練ったり想像働かせたりのときは手書き。



デジタルな手法とアナログな手法、どっちもそれぞれに良い所があるので、うまいこと使い分けてるようだ。

事態がよくなることを中途半端に期待しないで、自分から動こう。

今年のキーワードは「見限る」 - Chikirinの日記
中途半端に変わる必要はないです。そのままどうぞ! - Chikirinの日記」を読んで。

一瞬、続けて書かれている二つの記事で真逆なこと書いてる?と思わせといて、書いてることはいっしょ。



もはやこれからの日本にはイラナイもの、どんどんトップは入れ替われど本質的な部分が変わらない政治、不正が明るみに出ようが関わっている人が多いと守られてしまう企業体質、たいした働きもしないのに高い給料が保障されている正社員、などなど、ダメなところは「中途半端に変わる必要はない」です、ダメなままどんどん沈んで行ってくれれば「見限る」から。



「見限る」方は見限った後にどうしたらいいのか、何がこれから必要なのかを考えて行動しないとダメですよ、ダメな部分を見限って捨てるんだから、その後に新しいものを作って行かないと。



いままでの考え方を捨てて、がらっと変わるくらいじゃないと、これからの新しい世の中を作って行けませんもんね。

今日の結論:日本は変わらなくていいです。政府も官僚組織も大企業も、ずうっと、ぜんぜん変わらなくていいです。変わる必要があるのは個人だけなんです。個人が変わればいいだけなんす。

2012-01-17

個人で、自分の頭で考えて行動するか、日本という形にこだわってどんどん沈んでいくか。


いわゆる日本の普通の人ってゾーンから結構外れて歩いてるので、日本の再生に中途半端に期待しないで、このまま自分が進む先を考えながら進もうと思うだけなんす。

ネットが透明になる未来を目指して


フロンティアでなくなったネットで、サスティナビリティについて考える :Heartlogic」を読んで。

改めて考えてみれば、近年の「ネットはフロンティアとしての魅力を失ってしまった」的な話の次に来るのは「(ひととおり開拓され尽くした)ネットでいかにしてsustainableな(個人)活動をしていくか?」という課題なんだろうな、というところに辿り着きました。

http://www.heartlogic.jp/archives/2012/01/post_637.html

次々と新しいモノが登場して、今までに無かった新しい世界を見せてくれたネットも、2010年辺りを境に基本的なツールはかなり出尽くして新しい何かというのが少なくなりました。

「普通の人」がどんどん参入してくる今ではいかにしてネット上の活動を続けていくのだろう、現実とネットが強くリンクしていく時代にはネット上での活動はどういう形が望ましいのだろう、という新しい世界を広げる段階から、足下を固める時期に入っているという感じがあります。


ネットと現実とどちらの足に重きを置くか


私もwebに何かをアップするようになり、それがブログになって、たまに途切れがちな事があれども、気づいたらもう15年近く何かを書く事を続けてる、いわゆる「変人」の部類に入る人ですが、ここ半年くらい、ネットにおけるsustainableな活動について考え始めています。

おそらく普通の人のsustainableな活動のためには、「面白い」「楽しい」「刺激的」といったことに加えて、
活動の基礎を支えるものを得られる(端的に言ってアフィリエイトか何かの収入)
不必要なストレスがない(いきなりの炎上のようなリスクが可能な限り低い)
ということが必要になるのだろうと思います。

http://www.heartlogic.jp/archives/2012/01/post_637.html

いままでのネット上で何か発信するような活動ってのは、現実の世界で生きながらネット上に自分の思考という分身をばらまいて可能性を試す、というような、生活や収入などの基盤は現実の活動で得ながら、ネット上ではその世界の広がりをいろいろ探る、という形でした。


それが、ネットが十分に広がってもう日常に当たり前のように存在している物となり、どうsustainableな活動を続けて行こうか、と考えるにあたって、現実とネットと両方に乗せた自分の足の重心を現実からネットの方へ次第に移していかざるを得ない、と考え始めています。



引用部分で挙げられているような「活動の基礎を支える収入」「炎上リスクの低下」ももちろん必要でしょうし、ネットの特性を現実世界のうまく回っていない部分に応用させて行き詰まっている問題を解決したり、現実の世の中のしくみをネットがある時代に沿う形へと変化させていくことも必要でしょう。


ネットが透明になる世界


最初は現実とは全く別世界として生まれたネットが、さまざまな可能性を得ながら広がって現実を覆い尽くしたのがちょうどこの数年くらいの状態で、次第に現実とネットは融合していくことで新しい世界へと進化した暁には、ネットという存在は透明になってごく当たり前にどこにでもある現実そのものと化す、そんな未来がくるのではないかと考えています。


ネットが登場した頃からその可能性や進化をいろいろと試しながら参加してきた身としては、これからネットと現実が融合して混ざり合っていくときのあり方を模索していきたい。