ネットによって人々の意識が交わり、変わっていく時代

ネット―人の心の中にあるものが可視化される世界 - もっこもこっ」を読んで。

ネットが「人の心の中にあるものが可視化される世界」ということに関する記事。


可視化され繋がる思考や想い


ネットにおいて人の心の中にあるものが可視化されるってのは、人が心の中にあるものをネットに書き込んでるってこと。ネットに残された人の心のなかにあるものが他の誰かの心を動かし、またそれが書き込まれていく。


ブログを書くなんてのは、ネットに自分の考えてること、心の中にあるものを記録する、つまりネットを自分の頭の中の外部記憶装置として使うようなものですが、ネットに書き出し他の誰かに見える状態にすることでそれが他の誰かの思考や想いと繋がっていく、ネットを形作る情報の海は大勢の人々の頭の中が繋がってるようなものなんじゃないかと。


ネットでの自分を形作るモノ


ネットにおける自分って存在は何によって認識されるのかといえば、自分がネットにおいて発信したものの集合にほかなりません。発言したこと、反応したこと、自分の興味の記録、自分が作ったもの、そんな一つ一つが集まって自分という情報の塊になります。好きなモノ、嫌いなモノ、考え方、物の見方、体験したこと、考えたこと、思ったこと、そんなことの集合です。


そういった誰かの残した情報によって、ネットを通じて向こう側にいる人の存在を認識するし、剥き出しのそれらがぶつかり合う様を見てると、本音と建前を使い分けて生きることが多い現実とはまた違う形のもう一つの世界なんだな、と感じさせられます。


ネット上に何を追い求めるか


ネット上ってのは、現実と繋がりながらも、現実とは違う世界であるが故に、人はそこにいろんな想いを投影します。理想を追いかける人、現実の鬱憤を吐き捨てる人、仲間を探す人、自分を認めてくれる誰かを求める人、他人の生き方を見る人、チャンスを求める人、逃げ場とする人。



また、ネットを通じてどう行動するかも人それぞれ。ネット上にもう一人の自分を作りあげていく人、現実の自分と重ね合わせる人、次から次へと自分の分身を作る人。



ネットが無かった時代から生きてきた人はネットが無くたって生きていけることは知ってます。でも、ネットを通じて何かを得たり、失ったりした人はネットが自分の生き方を良くも悪くも大きく変えてしまうことも知ってます。そして今の現実の世界はもうネットが存在することが前提となった世界。自分がネットを使う使わないに関わらず、世の中はネットによって広がった可能性に影響されて変わっていくことは止められません。



自分がネットをどう使い、何を得て何を失っていくか、これからの時代はそれに大きく左右される時代なのかもしれません。