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2009-07-31

 鈴木理策展「WHITE」(5月28日−7月11日、東京銀座ギャラリー小柳)についての展評が
 http://d.hatena.ne.jp/eyck/20090706
 に載っていることをhttp://d.hatena.ne.jp/n-291/20090728から知った。
 鈴木理策展「WHITE」で撮ったときとほぼ同じ時期の8x10のコンタクトが
 横浜美術館で開かれた「 写真をつなげる 時間をつなげる」 http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2009/artgallery/suzuki/に出品されているが、ギャラリー小柳の写真は私にはほとんどそのまま伸ばしているようにしかみえなかったのだが、

鈴木理策氏の「White」で展示されている写真は、極めて操作的なプリントであって、これを「自然」と見ることはできないだろう。むしろそれはとことん人工的な写真なのだし、そういった意味で言えば「絵画的」と言うことも不可能ではないと思う。しかし、ここで鈴木氏がしている操作は、いわば、鈴木氏の「直感」、その写真家としての感覚に介在している何事か=外部性をとことん純化し増幅するために行われているのではないだろうか。そして、ここで鈴木氏が直感したものとは恐らく雪(という実在物)ではなくて光、あるいは光線といったもので、ここでの雪は、そのような鈴木氏の「直感」としての光を捕まえるためのフィルターに過ぎないように思う。

 絞りをあけ、露出をオーバー気味にしていることが操作なのだろうか?
 私には、操作的なプリントどころか、極めてストレートな写真だと思うのだが、このようなblogを見ると私の写真の見方がずいぶんあまいのかなぁと考えてしまう。
 ほとんどの写真は「光」「光線」がテーマです。

 今日、新たにもうひとつの「WHITE」の展評を見つけた。
 http://www.pg-web.net/off_the_gallery/papery/main.htmlの前田恭二氏のものだ。これは更新されるとアドレスが変わりそうなので引用しておく。

06.23. 白

 鈴木理策展「WHITE」(5月28日−7月11日、東京銀座ギャラリー小柳)。北海道で撮られた雪景。目をひいたのは奥にあった4連幅の作品。左側3点は風景をさえぎるように、手前の雪が大きな領域を占める。右端の1点はほとんど白い領域となっている。これは果たして、左側の雪と連続するものなのかどうか。見ようによっては曇り空のようでもある。曖昧な白の広がりはしかと定めがたい。その宙づり感によって、展覧会タイトルに言う「WHITE」が浮上する。以前にもどこかで書いた気がするけれど、雪のシリーズは青木淳設計の青森県立美術館――例えば土のように見える部分と白い壁の反転可能性と宙づり感を追求した建築を撮影する中で、始まっている。

 こちらは、私も気になった、右端の1点は最初は連続する雪だと思ったのだが、二度目に見に行き、なんだ空だったんだと騙されたと思ったぐらいだ。

2009-07-30

 故障したSuper Angulon 65mm F8 をどうするか,とにかく,修理業者にメイルで問い合わせてみた.
4ヶ所にメイルを書いたが,すでに3つもどり,修理可能とのことだ一安心.
 見積もりも2万円位差がある.とにかく,しばらく動けないので,来週の中頃までに業者を決めたいと思う.
 
 今日は家族のノートパソコンが壊れたので,できるだけ安いノートパソコンを探しに行った.Yカメラのアウトレットのある川崎駅前にひさしぶりに行った.
 flickrに写真を投稿するとき,川崎というタイトルだとあまりアクセスされないようだ.
 そんなことを思いながら,川崎で写真を撮る.
f:id:heliograph:20090730154145j:image
f:id:heliograph:20090730154533j:image



 今でこそ逗子に住んでいるが,育ったのは川崎だった. 川崎駅前も随分変わったけど,面白い街なのにイメージ悪いのかな?

 

 

2009-07-29

寝る前に更新したつもりが,保存してなかったようです.

 横浜,北東口より,ポートサイド公園に行き,帷子川沿いの景色を撮る.ここは,何となく東口より歩き出し,川の景色を撮ろうとしただけで,あまり期待してなかっただけに,新しい景色に出会えて,久し振りに撮影を楽しむことができました.川の向こう側が横浜みなとみらいのビル群なので,一つ間違えば絵はがきの写真になりかねない所です.
f:id:heliograph:20090729154303j:image
f:id:heliograph:20090729173710j:image  


 予めこんな景色があるだろう(こんな写真を撮ろう)と思いながらの撮影が続いていたのですが,やはり,新しい風景に出会い,これを写真に撮るとどうなるかとどきどきしながら,撮るのが写真撮影の醍醐味なんだなぁと思いながら撮影をしていたのですが,大変なことが起きたのです.Super Angulon のシャッターが壊れてしまったのです.時々,シャッターが開きぱっなしになっていたのです.道理で,こないだから,現像のとき露光過多になるのが数枚出てくるわけで,操作ミスで,開放のままシャッターを押したり,2回露光してしまったりしたのかと思ってました.

 ショックです.格安で手に入れたと思っていたレンズが壊れてしまったこともあるのですが,このレンズ一本でこの川のシリーズを撮ろうと思っていたからです.
 今日の分は怖くて現像できませんでした.どのくらいまともに写っているか,そのうち,現像します.
フォルダーからフィルムを出さないと次の撮影はできません.
 この一週間は,所用で写真は撮れないので,どうするか考えてみようと思います.

 

2009-07-28

今日は雨が激しく降ったり止んだりを繰り返す非常に不安定な天気.
4x5を持ち出して写真を撮るような状況ではなかった.

 川沿いを中心に写真を撮っているので,橋の欄干越し,川岸の柵越しといった撮影となることが多い,三脚を高くすると,画面の確認ができないし,超広角レンズを使っているためか,欄干や柵の一部が画面に写り込むことが多い.画面を確認するために脚立を持って歩くのも大変なので,キャリアーと脚立(踏み台)の兼用になっているものはないか色々見て回ったが良い物はない.それでは,三脚にアクセサリーを追加して雲台より前にカメラをずらすことを考えたが,なかなか思い通りになるようなものもない.
 発想を変えて,欄干とか柵を入れて撮影するとか考えるしかないのか.


 

2009-07-27

4x5の撮影は今日はお休み.天気予報が雨を予想していたし、午前中仕事もあったからだ.
自分の写真のことを色々考えているうちに,テーマを都市の中の川に絞り,横浜に限らず,川崎東京まで含めるか等と考え始めた.
 どうも,作品に共通点を持たせて,まとまりやすくしようとか考えてしまう.
今はまだ4x5を使い始めたばかりだし,4x5の撮影の練習のつもりで,今まで撮った中で現像の失敗や,撮影時のフレーミングの失敗(4x5の65mmは35mmで18mm相当の広角なので隅の方に余分なものが写り込んだりしている.冠布を使わないで,ルーペだけで確認しているのだが,隅はほとんど何が写っているか分からない)を反省しながら,現像方法の改善,撮影時のミスを少なくするように努力したいと思う.

 ところで,アジェの装備って,八つ切りのカメラ,ガラス乾板,三脚だから絶対に私の装備より重いはず,60過ぎてもパリの街を歩き回って撮影していたのだから,すごいと思う.
 横浜の街を歩きながら,そんなことを考えてしまう.





 

2009-07-26

今日も横浜へ,昨日の撮り直しはしないで,新たに北西口前の帷子川に架かる橋から撮影.
ここは,デジカメでもハッセルでも度々撮影しているところだが,光の具合が記憶と違っていて,なかなか思うように撮れなかった.予め,撮る写真をイメージしてしまっているようで,頭の中では,遙かに素晴らしい風景になってしまって,現実とのギャップに戸惑った感じだ.
でも,今まで気がつかなかったアングルを2,3発見したのが収穫である.

 夕方,秋谷に行き現像.使っているうちに色々Ideaが浮かんできた.液を少なくし,温度管理がしやすい1:1で現像できるようにしたい.
 

2009-07-25

横浜駅東口西口,4x5 Ebony New Wide, Super Angulon 65mm f8,Wide Field Ektar 100mm f6.3 Trix 24枚

 さんざんデジカメで撮ったところを4x5を担いで撮り直している.でも,4x5を担いだことによって,新しい発見もある.
 現像,塩ビパイプで8枚同時に現像できるようにしたのだが,少し,混乱した.やはり4枚ずつ位にして丁寧に現像してみようと思う.
 でも,現像の仕上がりはまえよりずっと良くなった.
 後は撮り方次第だ.ちらっと見た感じだと,今日は現像ではなく撮影のでの失敗が多かった.
画面の隅々まで見ていないので,写真に余計なものが入り過ぎているようだ.
 明日,出来たら,再撮影しようと思う.

2009-07-24

 コニカミノルタプラザへ写真を見に行く.

  1.  刑部信人写真展「COMIC」
  2.  小橋ユカ写真展「どこへ帰る道」
  3.  2008年度コニカミノルタフォト・プレミオ年度賞受賞写真展

コニカミノルタフォト・プレミオ年度賞は
大賞: 徳田敬太「ツーリスト アトラクション」
特別賞:石本卓史「脆弱なる大地」-Living in the fragile island-』
    井上麻衣「白いユートピア
だった.

 とくに感想はない.何かしら,自分の中に引っかかるものを感じた時は,受けつけに置いてある芳名帳に名前だけでも書くのだが,今日はそれすらもしなかった.
 どうしてだろう,感性が世の中とずれてしまったのか?

 
 

 

2009-07-23

雨が降っていたので,写真を撮るのを止めた.
横浜で本屋に行き。立ち読みをしてたのだが,この本を買ってしまった. 
 

不鮮明の歴史

不鮮明の歴史



内容(「BOOK」データベースより)

写真、絵画、報道、広告…さまざまなメディアにおいて、ほとんど何も判別できないような画像が、なぜポピュラーになり得たのだろうか?不鮮明なイメージの出現とその流行を時代背景から考察する。2003年度シュトゥットガルト写真関連著作賞受賞作。

訳者のあとがきより,


本書のほぼ最後に,「排除のテクニック」という表現が登場する.以前は,権力を待たざるものが,現実逃避のために「とるにたらない」ディティールを排除した.こんにちでは,社会的強者が,彼らのユートピアから弱者を閉め出すために不鮮明を利用する.不鮮明の歴史は,時代精神を反映して複雑な変遷をたどった.
にもかかわらず,その歴史の初めから現在まで一貫する原理があるとしたら,それはこの「排除のテクニック」である.根本的なシフトチェンジを経ながらも,不鮮明は常に自分に忠実であった.

こんにちの映像世界で,不鮮明がぞうかしているという感想を訳者は持っていなかった.ドイツでは,あるいはヨーロッパではたしかにそうなのだろう.だが日本ははたしてどうなのだろうか.翻訳するに当たって,それが一つだけ気がかりだった,だが意識的に周囲を眺めてみると,日本でも事情はたいして変わらないということがわかってきた.日本に滞在した著者も同じ感想をもったらしい.
 それではなぜ,かなり意識しないとこの増加現象に気づかないのだろうか.それは,様々な不鮮明の手法が,露骨に全面にでることは決してなく,いつもひかえめに使用されているからなのだ.高踏的な雑誌などに限らず,安価週刊誌の類でもその例はいくらでも見つけることができる.たとえば,日本で氾濫しているグルメ記事に添えられる写真.背景のぼかし方,しぼりを小さくし設定し被写界深度を浅くした結果生ずる自然なものだ.だが写真の中心に置かれたパスタなり肉なりのほんのわずか手前が,よくみると不自然ににじんでいる.明らかにデジタル技術によって処理されたものだ.あるはしゃれた美術雑誌.展覧会会場で,絵の前を移動していく人の動きが,動感描写によってかすれ,長くのばされている.だがこれは,動感描写の特性とされたてきた,躍動感やエネルギーの表現をめざしているものではない.また直接不鮮明とは関係ないが,最近の雑誌を見ていて目につくのは,露光が,常にほんの少し過度だということだ.輪郭がとんで不鮮明になるほどではない.だが画面はなんとなくまぶしくて,白くかすんでいるような印象を与える.すべてが軽くて,いまにも消え入りそうなはかなさを漂わさせている.

 暗いところで,遅いシャッターをきれば,映像はかすれ,ながくのばされる.
 これが,動感描写であり,それは躍動感やエネルギーの表現をめざさしてないからおかしいということではないだろう.でもこれは不鮮明な写真である.
 次の,露出過度のカラー写真が増えていることは確かだし,何か世の中をふわっとしたユートピアのように表現している人が多い.写真家の名前を列挙するのは止めておきます.これこそ不鮮明な文章.

 

 

2009-07-22

 新宿 Nikon Salon へ王子直紀展「牛島」を見に行く.
「王子直紀ってあのストリートフォト撮ってた人だと思ってたの,勘違いしたかなぁ」と思いながら会場を出る.家に帰って展覧会のホームページをみると

作者は、写真家大島洋氏の70年代前半の仕事に関わる機会があり、(トカラ)列島平島に興味を持つようになっていた。ストリートスナップをこのままズルズルと撮り続けることに疑問を感じていた作者にとって、これはそんな状態から離れるための、絶好のチャンスだった。
いままで街を撮るために使ってきた80mmレンズ一本だけで平島を撮ると決め、ストリートとは正反対の絶海の孤島と呼ばれるその島へ行くことにした。
島へ行くにあたり、作者は失敗するかもしれないという覚悟もあったが、ストリートスナップと同じ撮影スタイルで島を撮ってみたいという気持ちもあった。
初めて訪れた島は、作者の目にはあまりに何も無い場所に映った。島へ来て失敗したと思ったが、まず撮るものを見つけることが日課になった。途方に暮れながら作者は島中を撮り歩いた。とにかく何か撮れればと、神社の工事や廃屋解体の手伝いもした。「兄さん、七夕飾り撮らんか」と言われれば、老人会のようなものにも参加した。撮れるものは何でも撮った。何が写っているのか分からない不安と苛立ちが続いたまま、持って行った230本のフィルム全てを使い切っていた。
何が写っているか不安なまま、現像したベタ焼きを見ると、人間や、牛や笹や蘇鉄や工事現場、あるいは岩や漁船や七夕祭りが片端から写っていた。画角が狭く、不自由な80mmレンズで撮った島の断片のような写真は、作者がいままでに見たことのある、どの先輩写真家たちが撮った島の写真とも違っていた。また、作者が撮ってきた街の、どの写真とも違うものだった。それは、作者自身も撮影しているときには想像もしなかった島の写真だった。モノクロ約60点。

とあった.
 勘違いではなかったのだ.
 中平卓馬は確か100mm一本だけで撮っているようだし,この夏は65mm一本だけで頑張るか.私の場合は4x5だから,画角が逆に広い(35mmでいうと18mm)のだが,同じ作者が,Photographers' galleryで「外房」という写真展をやっているようだ.

王子直紀写真展「外房」2009年7月12日(日)〜8月8日(土) 12:00〜20:00 会期中無休
これも見に行きたいと思う.

 新宿に行った理由は,現像用塩ビパイプを買うことだった.こちらもカットしてもらって,液量さえ気にしまければ、8枚同じに現像出来る.バケツかゴミ箱を買いに行こう.
 これをテストするにはまず写真を撮らねば.

2009-07-21

今日は昨日撮影した横浜の写真の現像.
 その前に干しておいた日曜日に現像したFilmを回収.
よくみると,Filmの淵に傷ができ,黒くなっている.それが画面にもかかっているのもある.
Joboによる現像では,手が慣れても改善されないかもしれない.
 他の方法を考えねばならない.
 マスコのブローニー一本用のタンクに4x5のシートが2枚入れ,(タンクの内側側面に沿って丸めて装填する.もちろん乳剤面が内側)リールをを入れて蓋をすれば,明るいところで,ロールフィルムと同じように現像出来る.
 こう考えて,早速現像,大失敗.攪拌するためにタンクを振るとリールがフィルム当たり傷を付けてしうのだ.
 皿現をするしかないのか?と一瞬思ったが,もちろん,ホームセンターに行き,塩ビ管でも買ってくればいいのだが,今日中に現像したい.
 しょうがないので,コンビニに行き飲み物をかい,下のようなものを作った.
f:id:heliograph:20090721235335j:image
f:id:heliograph:20090721235126j:image

この中にフィルムを丸めて装填して,暗室(Unit Bath)で現像液,水,定着液を入れたビーカーの中に順次,沈めて行く.針金をつけ上下に往復させて攪拌した.結果はまずまずであったが,一回に一枚しか現像できないのは効率が悪い.
 そんなわけでかなりくたびれました.
 塩ビ管で一度に何本か現像出来るように工夫しようと思う.

2009-07-20

 

 今日は,午後から横浜駅西口へ,Ebony+Super Angulon 65mm f8 ,Film :TriXで撮影.
日頃,ロケハンしてるというか,デジタルカメラで散々撮っている場所なので,いつもシャッターを押してしまう場所へ4x5のカメラを連れて行く感じ,そこにカメラを据えて,一応ピントグラスを覗き込む,冠布は使わず、ピントルーペで画面の隅に余分なものがないかどうかチェックするだけ,構図とかを考えずに,撮りたい中心のものを画面の中央に据えて,後は,Angulon 65mm f8 にお任せです.とにかく超広角ですから,いろいろなものが写り込んできます.遠近感も違って見えるはずです.
 結局,17枚撮る.引き蓋をずらしたしまって.露光させたのがあるのでもう1枚失敗.
 残り16枚のうちちゃんと現像できるのは何枚になるんでしょうか.
 
 ネットで塩ビパイプでの現像法を調べ始める.

2009-07-19

午後,いよいよSuperAngulon の試し撮り,FilmFolderにTriXにを詰め込んで、秋谷の海岸に出る.
Ebony New Wideに取り付けると,レンズボードを繰り出さなくても,無限遠にピントがあっている感じ,2,3m先のものにピントを合わたりして,確かにピントが移動することを確かめる.
 
 とにかく,現像するのにきりのよい12枚撮って,仕事場へ,
 私の,Film現像は,Joboの#2521 Tankと#2509N 4x5" Sheet Film Reel で行います.
 ロールフィルムのリール(どんなものかは,こちらでご覧下さい.http://www.freestylephoto.biz/2509-Jobo-4x5-inch-Sheet-Film-Reel-Holds-up-to-6-sheets-of-4x5-sheet-film?cat_id=1603)のようなものに,6枚のSheetを巻き込むわけです.これが中々大変で,今日のように暑い日は,暗室というか,UnitBathの中であせびしょびしょで巻き込むわけです.
Joboといっても,あとは普通のタンク現像と同じように処理します.

 気持ちが逸ったのか,最初の6枚はネガが重なったりして大失敗.流石に2回目の6枚はは慎重に巻き込んで無事にと言いたいところだけど,撮影時,バルブで開けていたときにFilmFolderを差し込み開けてしまって露光させたようで真っ黒.結局,ネガになったのが5/12という効率の悪さ,もう少し,簡単な方法で現像する方法を見つけようとしているのですが,中々ないようです.今の方法はfilmの巻き込みが難しいだけで,それさえうまくいけば,ムラも少なくキレイなネガが出来るので,手が慣れるのを待つしかないようです.
 
 ところで,Super Angulonは名玉かどうかは,まだ伸ばしてないので何とも言えません.

2009-07-18

 
 普段使っているコンパクトデジカメCCDが汚れ,画面の中央付近に薄く影のような点が写り込むようになってしまった.
 前のデジカメが同じようになった時,買い直すまで、写真を撮らなかったときがある.
今回は空などを画面に入れないようにすれば目立たないのですが,ちょうど興味が4x5の方にシフトしているので,写真を撮らなくてもてもあまり気にならなくなりました.
 毎日撮らなきゃいけないとい強迫観念みたいなものを振り捨てることができたのかはまだ分かりませんが.
 
 のんびりと,本当に撮りたいものに出会った時だけ撮るつもりです.


 

2009-07-17

ボード取り付け終了.店に受け取りに行く.店の人に「6x9で使うのですか?」と聞かれるが,ちょっと,自慢げに「4x5でEbonyのNewWide」で使うと答える.「4x5じゃ周囲暗くなっちゃいますよ.」と言われるが,「まぁ,155mm*1あるっていうから」とイメージサークルもちゃんと知っていることをアピールして,店をでる.
 明日は仕事で,写真は撮れないが,20,21日と試し撮りするつもりだ.

前に,鈴木理策さんのワークショップで,今まで見たり撮ったりした写真のDataBase のようなものがあり,ものや光景をに出会ったとき,DataBaseに含まれる写真と一致するときに人はシャッターを押すのではないかという話があった.

これと同じような話があった.
http://openers.jp/culture/kitamura/kitajima01.html:title=ラットホールギャラリー│第43回 北島敬三個展『PORTRAITS』 (1)
「見る」という行為の精度の限界] より引用

 
──略
ここであらためて感じるのは、やはり「PORTRAITS」以前と以後の鮮明なスタンスの変化。北島さんといえば、70〜80年代には世界の都市に飛び込み、そこを行き交う人びとのリアルなスナップを切り取ることで、その街や時代の臨場感を伝えてこられたわけですが、それをあえて封印し、ポートレイトという一見対極に位置する手法を選ばれた。そこには、いったいどういう心境の変化があったんですか?


極論すれば、スナップの限界を感じたということです。その予感のようなものは、けっこう早い段階からあって、ニューヨークを撮っていたとき(81〜82 年)にはすでに、頭の隅っこのほうで、どこかつまらなさを感じていました。面白い写真、いい写真を求めて撮るんですが、ある程度面白い写真だな、いい写真だなと思ったものが、どっかで予定調和しているような感覚とでもいいましょうか。面白いこと自体が、それだけでつまらなく思えてきたんです。

参照イメージがないと、ひとはなにも見られない
──普通に考えると、スタジオで撮るほうが予定調和という言葉と結びつきやすいと思うんですが、そうではなかったんですね

たしかに通常スタジオ撮影というのは、目指す目的地があって、絵コンテがあって、そこに近づけていく作業です。街のほうは結果がわからないものに向かっていくという感じ。ですが、私の場合むしろ逆でしたね。

──それは、街のスナップを撮るという手法が一般的になってきたからなんでしょうか?

そういうわけでもありません。私が感じたのは、たとえば自分の写真をセレクトする際、一見新鮮に見える写真でも、必ず元になるイメージがどこかにあるということです。それは自分の好きな写真家の写真であったり、広告であったり、映画であったり。あるいは子どものころに見た風景でもいいんですが、そこにシステムとしての限界があると感じたんです。

──システムというのは、脳のメカニズムということですか?

簡単にいえば「見る」という行為の精度の限界です。なにかを見るという場合、ひとは参照イメージがないと見れないと思うんです。ありていにいえば、どっかで見たことのあるイメージから離れらない、超えられない、そしてそのなかにしかいられないということがわかってきた。それで自分の写真が嫌になっちゃったんです。


 さて,4x5で65mmでどのような写真が撮れるのか?予測が出来ないと思っているのだが,撮った写真は相変わらず,どこかで見た写真でしかないのか,どうなるか実験をしてみよう.

2009-07-16

 帰りに本屋により何となく
 

 を見ている内に買ってしまった.
 日本語版監修者 伊藤俊二の序文から引用

 イメージを射ると同時に自らも射られるというその相互性が重要なのだ.的を正確に射ると自らの像が映し出される「写真を射る」はブレッソンのこうした瞬間把握の問題を提示していたのである.このことはブレッソンの有名な次の言葉にも明確に印されている.
 「撮ることは集中力や感受性,造形感覚が同じに必要とされる.そして世界に意味を与えようとすればカメラが切り取るものを己と一体化させる必要がある.撮ることは,事実と事実に意味を与える視覚言語の構造を同時に認識することに他ならない.つまり自己の知と眼と心を同一直線上に置くことなのだ」
 一直線になった知と眼と心はカメラによって世界とダイレクトに結びつけられる.シュルレアリズムに強い影響を受けたブレッソンの写真美学インドネシアインドメキシコ中国といったさまざまな土地や民族をまわりながら出会った.西欧とは異質な身体技法を持つ多よな文化との接触から生まれた.そのような相互作用の場でブレッソンが体感したのは心と眼と世界の多様な関係そのものだと言っていい.カメラは撮影者の身も心もその多元的な世界へ参入させる通路であり,撮影者一直線の軸上で世界の一部になる.撮影という行為のなかで撮影者とカメラと世界がひとつながりになってしまう.そうした関係を記述する新しい方法が写真だった.一直線上になった軸線上での世界が新たに開かれてゆく.

2009-07-14

 関東地方梅雨明け宣言が出された.
 仕事へ行く前に,御徒町へ行き,SuprAngulonのボード取り付けを依頼.
 来週の初めには出来上がるそうだ.
 イメージサークルがほとんど4x5ぎりぎりなので,いっそのこと広角専用のカメラを自作するかなどと考えてしまう.
 http://modernism.jugem.jp/?eid=1174
 http://modernism.jugem.jp/?eid=1137
 あるいは
 http://k-repair.blogspot.com/2009/02/47mmf56xl.html
 を見ると,いろいろ考えてしまう.

2009-07-13

 SuperAngulonを取り付けをしてくれると思われるカメラ屋にメイルで問い合わせたが,ずっと返事がこなかった.
大阪の修理専門業者がやって下さると言うが,ボードを手に入れて,それを送る手間と送料を考えてなんとなく躊躇していた.
 実はメイルは問い合わせた翌日には届いていた,迷惑メイルに紛れ込んでいたのだ.自分で取り付けるためには工具も買わなければいけなかったので,頼んだ方が安いし,第一安心だ.
 これで,レンズを使えるめども立ち,後は,フィルムの手配なのだが,ここはひとまず,TriXで機械と現像になれることにする.
 
 問題の現像だが,Yankeeというアメリカで売られている,4x5の現像タンクが一度に12枚現像でき便利そうだ.Amazonのアメリカで買えそうだったので,レジまで進んだら送料が本体の5倍くらいになり慌てて止めた.これをどこで手に入れるかが問題だ.

2009-07-12

 桜木町,貸し暗室「THE DARK ROOM」の入っている野毛Hana*HanaのスペースCで開かれている近藤一郎写真展「LOOKER-ON 〜Yokohama〜1970s」を見に行く.「THE DARK ROOM」のスタッフ近藤宏光さんの祖父である近藤一郎さんが残した1970年代の横浜の写真のネガからプリントし展示したものである.
 昔の写真って,自分の生まれる前の写真だったのに,そう,この頃確かに自分は生まれていて,この町で写真を撮ったり,スケッチをしたりしていたのだと思うと不思議な感じがしてきた.
 
 その後,横浜の街をデジカメを持ってぶらつく.
 関内まで歩き,途中BookOff
 

SUBWAY LOVE

SUBWAY LOVE

を買う.
 これは,

1963年から72年にかけて、アラーキーが通勤の地下鉄車内で撮影した200点を超えるモノクロ写真を収録。
ノーファインダーで撮影された乗客のポートレートには、当時の人々の「日常」が焼き付けられている。彼らの人生が40年の時を経て、いま鮮やかに甦る。
「見つづけること、撮りつづけることがドキュメンタリーだ」という写神アラーキーの写真論が詰まった一冊。

 荒木の写真集を買うのは久し振りだ.
 これを撮っていたころ.荒木はWalker Evansの
 

を知らなかったそうで,それを知り出版をしなかったといっているが,40年時間を置き,肖像権とかの問題を避けたのではないかと思っていた.
 *1地下鉄と言えば,瀬戸正人の

瀬戸正人 Silent Modo モールユニットNo5

瀬戸正人 Silent Modo モールユニットNo5

が一番迫力があるよな気がする.

*1地下鉄では無くて電車内での撮影

2009-07-11

神奈川県立近代美術館鎌倉館へ「建築家 坂倉準三展モダニズムを生きる:人間、都市、空間」を見に行く.板倉準三は私の大好きな建物の一つである.神奈川県立近代美術館鎌倉館の設計者であることはしっていたが,もっと身近な渋谷東急渋谷駅東急東横店,東急文化会館東急文化会館から渋谷駅そして井の頭線渋谷駅までの通路」,新宿新宿駅西口,新宿駅西口地下通路(今は広場),小田急百貨店」などの計画が板倉準三であることは知らなかった.

 渋谷駅付近昔の写真が展示してあり,よく見るとトロリーバスが走っている.それを見ているうちに,小学生の頃,渋谷東急文化会館の映画館で映画(たぶんディズニーのバンビ)を見たあと,ビルの上にある食堂に入った.外はすでに日が暮れていた,そんな中で,都電かトロリーバスのパンタグラフと架線がスパークし青白い光をはなっていたのを思い出した.
 新宿西口広場に沢山の人が集まっている(フォーク集会か)のを上から撮った写真,これは集会に参加したことはなかったが,西口広場を西口通路と名前を変え集会を止めさせたことな等はよく覚えている.
 展示の中で現存する板倉準三の建築の写真をスライショーで見せていた.発電所も設計してたのには驚かされた.

 続いて,鎌倉館別館美術館へぼくらの宝箱子どもたちの視点がくれるもの」

この展覧会は、岸田劉生≪童女図(麗子立像)≫や松本竣介≪立てる像≫など神奈川県立近代美術館のコレクションを代表する作品約30点を展示するとともに、それを鑑賞した子どもたちの言葉や映像を紹介するものです。子どもたちは美術館をどのように楽しんでいるのでしょうか?子どもたちが絵を見て楽しむ視点は、大人にも作品の新たな楽しみ方を気づかせてくれます。
当館ではこれまで「Museum Box 宝箱」という美術館体験キットや、所蔵品のポケットガイドなどを制作し、美術館に親しむきっかけづくりをしてきました。そうした活動の中で少しずつ
小・中・高校生やもっと小さな子どもたちとの交流がだんだんと広まってきたのです。それらの活動も紹介しながら、子どもたちにとって美術館が魅力的な「宝箱」になってゆく道のりの一端を紹介いたします。



これはそれなりに面白かったのだが,二階の階段室のようなところで,パソコンが置いてあり,その付近に置いてある新書やカードを机のうえに置くとその本の内容をキーワードとして複数のデータベースを検索するというものであった.無線ICタグを本に貼り付けておきそこからキーワードを読み取っているようだ.
http://imagine.bookmap.info/index.jsp にアクセスすれば,自分でキーワードを入力すれば複数のデータベースを同時に利用できる.

2009-07-10

昨日,手に入れたSuperAngulon 65mm f8 をどうやってボードにつけるか悩んでいる.
例えば,リンホフボードから自作しようとすると,その規格が知りたいわけなのだが,簡単にインターネットで調べられると思ったのが大間違い.中々分からない,99 x 96 mmらしいのだが,角が切ってあるし,切れ込みあるようだそれらを含めての情報はなにもない.実測するしかないようだ.
意外とレンズの取り付け方とかの情報も少ない.

2009-07-09

 銀座へレンズの値段を調べに行く,その前に銀座ニコンサロン,そして去年銀座三愛ビルにオープンしたRICOH RING CUBEで写真展をみる.特に感想はない.

 そして,3軒中古カメラ屋を見たのだけれど,掘り出し物と思える物はなかった.最後にレモン社に行くと,なんとSuper Angulon 65mm F8 があったのだ.今,オークションに出ている値段より40%位安い.店員に言ってガラスケースから出してもらい,レンズの汚れ具合,シャッターの調子を見る.この値段なら欲しい.だけど問題があった.レモン社ではリンホフボードに付けることは出来ないというのだ.
 シャッターが00番で,その大きさに穴を開けたボードがないから出来ないというわけなのだ.
 これは不器用な私が穴なしボードを買い,自分で穴を開けなければならないのか,本当に出来るのかと少し躊躇したが思わず下さいと言ってしまった.(オークションに出ている物もボード無し,なので,オークションで買っても同じ悩みを抱えることになる.)

 結局,「名玉とか名機等というものは使わない」と10年くらい前までは思っていたのに,やれHasselだEbonyだと買い出し,昔,馬鹿にしていたような爺さんになってしまっている.
 ただ,Hasselも大判カメラ用のレンズも随分値下がりしている.デジタルで35mmフルサイズの一眼レフを1セット買うよりはずっと安い.

2009-07-08


 今日は二人の人に,この間のグループ展の時に作ったポートフォリオを見せた.(見て頂いたと言うべきか?)一対一で自分の写真を目の前で見てもらうのも一つの写真の見せ方だと思う.
 
 写真展をやることへの疑問を前に書いた(http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20090630/1246379165)が.写真を人に見せることについて,またまた西井一夫「20世紀写真論・終章―無頼派宣言 (写真叢書)」からの引用

 撮った写真は,あるまとまりをつけて人に見せてもらわなければ気がすまない.というのはあまりにも虫がよすぎる.何を撮るのも勝手です,ともうしあげているのだから,それを見ないものこちらの勝手なのであって,見せるために撮っている姿勢は,評価されたされたがりの渇望症でいじましい.見せることは大事だが,それは厳格さ(「含蓄」と「ひそやかな自信」とに支えられた)の要請であって,やたらに写真展を開き,雑誌に発表することではない.一年に何回も似たりよったりの写真展を平気でやるような写真家や,どこかに旅したり街をちょいと歩いたりするとすぐ写真展が開けたりする人は確かに巧い人に違いないだろうし,要領もいいのだろうが(ずうずしいのかもしれないし無知なのかもしれない).「過剰な多産」が特質となっている時代に,さらに過剰な多産を付け加えるという愚挙を,どうだ,と身勝手に押しつけているばかりではないか.たぶん,巧さと愚かしさはどこかでつながっている.

不器用さは謙虚さと結びあうことで愚かさからまぬかれているところがある.

見せるにせよ,見せ方の多様さがあってしかるべきだろう.メーカーのできあいギャラリーとか,すでに用意された場で見せる安易さ,ヨーロッパから帰国した北島敬三は,いつでもどこへも(むろん条件によって)すぐ自分の写真作品を貸し出せるようにマットした写真を箱におさめて造っていて,見たいという人が訪ねてくればいつでも見せられる状態にしている.見たい人,見せたい人が個人的に個人的に写真を見せるという見せ方もたしかにある.

2009-07-07

 昨日,現像し,干しておいた4x5のフィルムを回収.
昨日は気付かなかったが,フォルダーのチリか,あるいは現像のときに気泡ができたのか,小さく円状に白く抜けているところがある.もう少し,ちゃんとした4x5の現像法を身に付けないといけない.
 プリントの質を上げるためには,ちゃんとネガがを作らねばならないのだが,なかなか難しい.

 POTAによる軟調現像など実験することはたくさんありそうだ.

 オークションで手に入れた75mmのレンズのシャッターが壊れていることが判明.
 買い直すか,65mmも欲しいし,オークションや中古カメラ屋の情報を集めたが中々決心はつかない.

2009-07-06

 さて,昨日ピクトリアリズムと絵画について,西井一夫の20世紀写真論・終章―無頼派宣言 (写真叢書)から引用したが,その後で,ピクトリアリズムの写真家と対比してf64グループの写真について次のように言及している.引用を続けると

 
 一方でアンセル・アダムス,ウェストンらのf64グループは,徹底した外面描写を続けながら,そのプリント「表現」を確保しつづける姿勢が生まれてきた.ここには,写真の特性を捨てることを断然拒否しながら,その特性のうえでなお「表現」に固執する姿勢がある.その一点において私は,彼らの写真を再評価すべきだと考える.

ともかく,f64グループの写真について,彼らの生き方について,われわれはあまりにも,ステレオタイプにしか見てこなかった.それは,私を含めて日本の写真界が見落としてきた致命的欠落である.写真をはじめる人に私がいちばん最初にみてほしいのはf64グループの写真である.彼らの写真の写真的要素をじっくり視ること.そこには,何か神秘的なものが降臨したかのような,どこか神々しいものが感じられるだろう.それは,彼らがプリントという写真独自の表現のすべてをかけていることからもたらさられる.プリントという暗室での触覚的手作業に,最終仕上げのなかに,撮影からセレクトまでの,写真が写真として現れる過程の全行程を凝縮させる.それでこそ,「視る」という写真の本質が問われることを誰よりも彼らが知っていた.そういう意味では,写真は写真家がプリントしたオリジナルプリントが本質物だ.

のように書いてある.前から,柴田敏雄伊奈英次鈴木理策の展覧会のあのピンとはりつめた緊張感ってここで言っている,神々しさと同じものであると思う.

そんなわけで,今日は仕事がなかったので,4x5(Ebony)をかついて,撮影,現像をした.
4x5の現像の練習です.まさしく闇の中で「触覚的手作業」をやってきました.

2009-07-05

神奈川県立近代美術館葉山館へ「画家の眼差し、レンズの眼 近代日本の写真と絵画」を見に行く.
「画家には眼差しがあるけど,写真家の眼差しはないの?」何て思いながら展覧会を見る.
このタイトルをみたときは,カメラ・オブスクラと絵画(レンブラント,フェルメール),写真が絵画に与えた影響(印象派の誕生),キュビズムと写真(David Hockney)とかを何となく勝手に想像していたのだが内容は美術館のホームページから引用すると次のようなものであった.

 19世紀に日本に西洋から伝わった洋画と写真、そして印刷技術。これらの技術は19世紀から20世紀にかけての美術にさまざまな変化をもたらしました。とくに写真というレンズを通して見える世界は、新しいメディアとして人々の知覚にこれまでにない驚きと発見を与え、絵画にも大きな影を投げかけました。伝来当初「迫真」という点において、画家は絵画の題材を写真から採るなどして絵画と写真の相互的な関係を活用しましたが、明治半ば以降、写真の芸術性が唱えられるようになると、写真家は絵画を意識した写真を制作するようになります。「ピクトリアリズム(絵画的写真)」と呼ばれるそれらの写真は、絵画との関係を考える上で欠くことはできません。大衆化が進む一方で、写真ならではの表現による「芸術写真」が生まれてきます。絵画と写真はつねに互いを意識し影響しあいつつも、独自の表現を追求してきました。

 これまでにもヨーロッパにおける絵画と写真に関しては紹介されることはありましたが、近代日本という舞台で、絵画と写真の関係を実際の作品として並置させて知覚の表現手段としてどう互いに影響しあい、または自律していったかということを検証した機会はあまりありませんでした。今回の展覧会では、まずは19 世紀の新しい視覚体験として少なからず衝撃を与えた写真の登場からはじめ、写真と油彩画、日本画あるいは版画といういくつかのメディアを対比させて、幕末から1939年の国画会の写真部門創設をひとつの区切りとして、日本でのリアリズムの問題や近代絵画、近代写真の成立を考える試みです。写真50点、油彩画50点、日本画20点、版画80点、総計約200点を展示いたします。

というもので,純粋に日本での絵画と写真関係の歴史がテーマであった.
 興味深かったし,何人か気になる写真家がいた.
 ただ,ダゲレオタイプから始まって,鶏卵紙,ゴム印画,ブロムオイル印画,コロタイプ,カーボン印画そして現在のゼラチン・シルバープリントまでの色々な技法をの写真が並ぶのだが,それらがどのような技法なのかの具体的な解説が欲しかった.
 というのも,偶然2,3日前に読み直していた西井一夫の20世紀写真論・終章―無頼派宣言 (写真叢書)に次のようなことが書かれてあったのだ.

 写真は19世紀前半に発明されたが,その最初期には,いわゆるリアリズムとして受けいれられていたものの,ただちに起こったことはむしろ,反リアリズムというべき「心霊写真」の流行だった.
・・・・
やがて十九世紀末には,いわゆるピクトリアリズム=芸術写真へと引き継がれた.世紀末の芸術写真なるものは,かぎりなく絵画に近づくこと,絵画表現の真似であった.写真は克明な描写を捨て,レンズにグリセリンとか油を塗って描写を曇らせ,あるいは,プリント焼き付けのおり印画紙に薄くオイルを塗り,あるいは印画紙をゴム版に変えプリント紙をゆがめたりして,わざわざピントが曖昧になるように工夫して写真を作った.ここでは,ネガにはあっても,焼き潰してしまうとか,ないものを別のネガから重ね焼きしてイメージを捏造することも,平気で多用された.芸術写真とみずから呼ばれたい心性こそ,写真の内部に生まれた「内面描写」への願望なのである.だからこそ,そこでは,写真の特性である,細密描写外面描写が捨てたいものとして欲望されている.世紀末に彩られたこの芸術運動の欲望は,写真の「表現」的欲望であり,写真が自己の特性を否定する.明らかなことは,写真が登場したことで,明らかにそれまで細密な「外面描写」を求められていた絵画がその束縛から解放され,「描く」という行為の純化に向かい,絵画の目的が明確に「描写」それ自体へ収斂していったことである.つまり,絵画はかぎりなく画家その人の内奥=無意識を表現することとなっていった.もともと写真は機会を通した,銀塩化学反応による描写という特性から人の手業による絵画や芸術へのコンプレックスがあるところに絵画の自由への飛翔がダブる.

これは主に.日本ではなく西洋における写真の状況を述べたものだが,どの程度今日見た写真に手業というものが加わっていたのかが知りたかったのだ.

2009-07-04

Rat Hole Gallery へ北島敬三「PORTRATIS」を見に行く.
Rat Hole Gallery の案内


1992年より始められた本シリーズは実に17年にわたり続けられています。被写体となる人物を8x10のカメラで、ある一定の期間をおいて繰り返し撮影し、現在ではモデルの数は300人以上、作品の総点数は2000点を超えています。今回はその中から3つのグループ作品、約14点が展示されます。



どの人物も白い背景、襟付きの白いシャツ姿、正面からの胸像という、同一の単純なルールに従って撮影されている「Portraits」の十数年間にわたって撮影された同一人物の写真を見ていると、奇妙な感覚に襲われてきます。例えばそれは、運転免許証の顔写真、あるいは録音された声など、確かに自分の顔であり声であるはずなのに、何か違う、その違和感にも似た、いっそう深い困惑にとらわれます。これは、写真を見ることでしか体験できない感覚ではないでしょうか。
北島の「Portraits」は、photgraphyというものを初めてみた19世紀の人々の驚きと恐れを、現代の私たちに思い出させてくれるはずです。

”北島の「Portraits」は、photgraphyというものを初めてみた19世紀の人々の驚きと恐れを、現代の私たちに思い出させてくれるはずです。”
の所は何をいわんとしているかわからない.時間の流れと人の顔の変化,リンカーンの「人は40歳過ぎたら自分の顔に責任がある」と言ったそうだが,単純に歳を取ると言う以外に,この顔の微妙な変化はこの人にとってどんなことが起きたのだろうかと色々考えていました.

写真展の様子や北島さんのインタビューは以下にあります.

http://openers.jp/culture/kitamura/kitajima01.html
http://openers.jp/culture/kitamura/kitajima02.html
http://openers.jp/culture/kitamura/kitamura03.html

f:id:heliograph:20090704182642j:image
f:id:heliograph:20090704175514j:image


2009-07-03

水道橋
アップフィールドギャラリー企画展「Land Site Moment Element」Division-3: 相馬泰/越田滋
を見に行く.

企画展 「LAND SITE MOMENT ELEMENT」 について
今回の企画展は、多彩な経歴と方法論を持つ8名の写真家が集い「風景写真」と呼ばれる写真の新たな表現と可能性を提示するための実験の場として表出します。参加写真家は、風景を成立させていく要素としてのLAND SITE MOMENT ELEMENTを探りながら、自らの関心によって選んだ風景の絶対性という意識を各々が共有します。作品の対象としての場が持つ固有性、具体性をそぎ落とした「風景」を、写真家のまなざしの独自性に依って「光・景」写真として成立させていく作業です。各DIVISIONで展開される作品群とDIVISION同士が拮抗する関係性が、リアリティーのあるイメージを表象させ、世界の日常の有り様に裂け目を入れ「自己と世界の境界」を浮かび上がらせます。

相馬泰 Yasushi Soma   http://nitijyou.exblog.jp/ 
越田滋 Shigeru Koshida http://www.tohuwabohu.jp/

越田さんのロールへのプリントは
 Paper size:Width 1065 mm, height about 1400 mm
 Image size:Width 850 mm, height 850 mm
のようだ.とにかくその大きさに圧倒されてしまった.
 私の先日のグループ展でのImage size:Width 420 mm, height 420 mm であるから,面積4倍である.私のネガはどのくらいまで伸ばせるのか気になる.

今日はデジカメを忘れたので,携帯の写真です.
f:id:heliograph:20090703175401j:image
f:id:heliograph:20090703175503j:image




 

2009-07-02

 filmの在庫を調べるために新宿で降りる.
 Ortho 25 の在庫はない.駒村商会に在庫がないと随分待たされるようだ.海外から取り寄せないと行けないみたいだ.
 考えてみたら,前に買ったTri-Xが一箱残っている.これで手持ちで4x5のスナップというのも面白いかもしれない.ある程度絞れば75mmならほとんどピントの調整はいらなそうだ.
被写界深度の計算についてはこのページが便利.http://shinddns.dip.jp/
 それに,4x5の現像はかなり手間どるので,手を馴らしておかないとだめだし,ひとまずこのTRI-Xを使い切ることから始めることにする.

 店を出て,しばらく新宿の街を歩きながらスナップ
f:id:heliograph:20090702210302j:image
f:id:heliograph:20090702205912j:image


2009-07-01

 7月に入った.今年もとうとう半分終わってしまった.前半は,横浜美術館に提出するポートフォリオ作りに始まり,ワークショップ受講,グループ展と結構充実していたと思います.
 普通でしたら,このまま植物のシリーズを追求すべきだとは思うのですが,去年から機材を揃えてきた4x5による撮影を開始してみようと思います.
 実はすでに去年挑戦したのですが,カメラの光線漏れで作品はなにも残らなかったので,再挑戦というわけです.
 8月末までに30〜40枚のポートフォリオを作る予定です.まずは,filmと現像液の選定です.
 Rolleiのfilm ortho 25 をPOTAで現像すると素晴らしいという話を聞いたのでまずそれを試そうと思います.

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