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Heliograph(太陽の描く絵) このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2009-09-28

 明日から,3泊4日で沖縄に行きます.更新は出来るとしても携帯電話からです.
一応,リュックの中にMinolta AutocordとTRI-X(20本)をつっこみましたが,果たして何本撮ることが出来るのでしょうか?
 デジカメも持って行くので,CardのDATAを慌てて整理しています.4GBのCard4枚に書き込んだままだったので結構時間がかかっています.今,三枚目をHardDiskにCopyしているのですが CardReaderが熱くなっています.
 毎日整理する習慣をつけないと大変です.

2009-09-27

 今日は稲刈りのお手伝いに行きました.
 昨日は,すべて手で刈ったのですが,今日は稲刈り機を主に使い,稲刈り機が使えないぬかるんでいる所だけ手で刈りました.雨の少なかったおかげで,例年に比べ,手で刈らなければならないところが少なく「うるち米」の稲刈りはすべて終了し,後は「もち米」の稲刈りを残すのみです.

 こちらも環境が回復したのか,久し振りのマムシの死体,アカハライモリなどを見つけることが出来ました.
 
f:id:heliograph:20090927111618j:image
f:id:heliograph:20090927164612j:image


2009-09-26

こないだYouTubeに投稿した「日ノ出町の家」にはアクセスは7回しかありませんでした.
でも,flickrに写真を投稿してもほとんど見る人はいません.
やはり,あの訳の分からない動画に7回ということは,本当にたくさんん人がYouTubeを見ているからこそ,見てしまう人が出てしまうのかもしれません.

 今日は友人達と耕している田んぼの稲刈りでした.今年は,9月からの雨が少なかったせいか,田んぼの中が乾いていて作業がやりやすく,一日だけで無事終了ました.
 後は明日のお手伝いに行っている田んぼの稲刈りだけです.

 稲作りというよりは田んぼの周りの自然環境を残そうということで始めたのですが,このところアライグマが増えて,生きものの数が減って心配していたのですが,数年前から始めたアライグマの捕獲作戦が功を奏したのか,成長したヤマアカガエルの姿を山道や田んぼで見かけたし,仲間の話しによると,先日,マムシも久し振りに姿をみせたようで少しずつ環境が回復しているのかなと思っています.

 

2009-09-25

先日、府中市美術館に、球体ガラスのピンホール作品を展示された大竹敦人さんのHPを見つけました。
 http://www.akusyu.com/contents_01/です。
特に、http://www.akusyu.com/contents_01/Frame/akusyuFrame02.htmlを見ると、作品の制作過程がよくわかります。
 ところで、Fujiから出てた富士黒白写真乳剤(Art Emulsion)はまだ販売されているのだろうか?
たしかに、Biccameraのサイトでは3,680円(税込) で販売されているが、入荷次第出荷になっている。
http://www.apjapan.com/apjtopic/fuji/ae/index.html
にArt Emulsionの使い方が載っていました。

 伊奈英次さんが「Emperor of Japan」でフォトシティさがみはら2009で「さがみはら写真賞」を受賞されてました。
 2009年8月25日付で伊奈さんのHPに発表されていますから気づくのが遅かったようです。

 http://www005.upp.so-net.ne.jp/eiji-ina/index.html

2009-09-24

仕事再開

休みが続いていたので、ギャラリーをまわったり、街を歩いてコンパクトデジカメで写真を撮ったりしましたが、仕事が始まったとたん、写真を撮らないし見ない生活に戻ってしまいました。
この連休は本来、4x5の撮影の絶好の機会だったのですが、夏の撮影と引き伸ばしでお金を使い過ぎたようでクレジットカードの請求を見て愕然としています。財政再建の間はコンパクトデジカメで遊んでいるしかないと思っているのですが、動画を撮ることぐらいしか思いつきませんでした。
暇を見つけて街を歩き、4x5の撮影のためのロケハンでもしておきますか。

2009-09-23

MenuにMyTumblrを付け加えました.写真をできるだけアップするつもりです.

府中美術館へ「多摩川で/多摩川から、アートする」を見に行く.
 http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/atfromtamagawa/index.htmlより 

現代美術多摩川の意外な関係をご存知でしょうか。
1960年代以降、前衛美術は美術館や画廊などの既存の空間から、都市や自然へ飛び出しました。この東京神奈川という大都会の住民にとって身近な自然河川である多摩川は、作品の発表や制作の舞台になることで、数々の美術品誕生に関わってきました。
本展では1964年に日野市中央線高架下(こうかした)で行われた中村宏と立石紘一による一日限りの展覧会「第1回観光芸術展」や、1971年の二子玉川付近における伝説的な上映会「川を写したフィルムを川に映す」など、戦後美術を画する4つの出来事にまつわるドキュメントや作品をご紹介します。また多摩川をモチーフとした絵画や写真など、現代の表現の中に、身近な自然との関わりを発見していきます。


 1964年1月,中村宏・立石紘一とで結成された「観光芸術研究所」の誕生告知葉書が面白い.

"観光芸術" 誕生
<観光>とは光をみることです。
光は誰にもみえます。
しかしここでは<みる>ということと<みえる>といえことの違いは明らかです。単に<みえる>ということは受動的な視覚認識であり<みる>ということは積極的な視覚表現のことです。光は<みる>ものであって<みえる>ものではありません。したがって光はだれにもみることは出来ません。いいかえれば、<みる>ということは光を媒介としながら光に消去し、さらに光を自己目的化しようとする極めて意識的な観念の全体である視覚交通だからです。
私たちは観光が光となった観念の全体像に他ならない以上、ついに光は誰にでも<みる>ことが出来るところへ向かって出発してこの世のすべてを<みる>楽しみに変えながらパラダイスに憩おう処方を探求しようと観光芸術研究所を創設しました。目録内容は追ってご通知しますが何卒ご支援のほどお願いします。

この展覧会には写真に関連する作品を展示していたのは,山中信夫,柴田敏雄,山本糾,大竹敦人の四人であるが,
 山中信夫の作品は図録などで見たことはあったが,作品を直接見るのは始めたであった.
特に部屋そのものをピンホールカメラとして制作された「9階上のピンホール」は思ったより鮮明で,その大きさに圧倒された.
 柴田敏雄は去年,東京都写真美術館で個展を開いたばかりであるが,旧作品の他に新しいカラーの作品が展示してあった.他の人のカラー作品とは違う,独特の世界を築いていると思う.なんというか,色がまず目に入っていうより,見ているちにあっカラーなんだという感じなのだ.だから,白黒の作品と並んでいても違和感がないのだ.
 山本糾の作品は,柴田さんのダム,あるいは畠山さんの渋谷川等を思い出させたが,プリントから受ける感じは全然違い,表面がヌメッテした感じがした.(説明になっていませんね,表面が濡れている感じ)
 大竹敦人の作品は,球形ガラスの容器の内部に写真乳剤を塗り,遮光した状態で河原に置き,針穴を開けて撮影したピンホール写真( 多摩川の上流から下流まで15ヶ所で撮影した.水面/収集(多摩川) )


 



が面白い.このアイデアを思いつき,実行したのすごいと思う.技術的にも色々苦労されたのだと思う.

 


 
 

2009-09-22

 この日記に載せるために,YouTubeに投稿したのだが,あっという間に鎌倉の美術館は30回再生されたし,黄金町は23回再生されたようだ.
 fkikrでそんなに見てくれる人はいない.YouTubeを見ている人ってすごく多いのだろう.
 最近のデジタル一眼レフは動画もかなり本格的になってきて,写真を撮っている人達がVideoを撮るようになるのだろうか,YouTube等のVideoのサイトが発表の場になっていくのかもしれない.
 確かに,Videoは記録という面では写真よりずっと便利である.昨日,日の出町で撮ったある家の動画を撮ったが,一枚の写真ではとてもこの家の様子は撮れなかったのではないと思うのだが?
 
D

2009-09-21

 黄金町バザールに行く.
 黄金町についてWikipdiaで調べると次のように解説されている

黄金町の特殊飲食店街は1958年の売春防止法施行後も相当な規模で存在し続けた。2000年頃までは京急線の高架下とその周辺で、高架下から排除された後は高架の周辺で「ちょんの間」と呼ばれる三畳ほどの小さな部屋で売春行為が行われていた(娼婦の多くは中国東南アジア、中米出身の女性だった)。2005年の春、2009年の「横浜開港150周年」に向けて街のイメージアップを図るため、警察による集中的な摘発が行われた。

一部残存しているとされる店が売春防止法違反で摘発される事件が散発的に報道されているが、2007年6月現在、神奈川県警による臨時派出所の常駐とパトロールが行われており、堂々と売春行為を周旋する飲食店は事実上皆無となっている。飲食店家屋の取り壊しや新築マンションの建設工事が相次ぐ一方、2007年中頃から、「ちょんの間」と呼ばれた飲食店家屋を改装の上店舗として利用した、若者向けのバーやカフェ等通常の業態の飲食店が開店し始めている。

 黄金町バザールのホームページのaboutを見ると,次のように書かれている

かつて違法な特殊飲食店が軒を連ねていた横浜市黄金町に2つのアートスタジオが新しく誕生します。これらのスタジオをメイン会場とし、「黄金町バザール」が開催されます。

黄金町バザールは、地域とアートの共存を通して街並が新しく生まれ変わることをめざす事業であり、その最初の一歩として位置づけられます。今回はアートという枠にあえてこだわらず、衣食住にわたる新しい経済活動を導入しながら、街の在り方を見直すアイデア、イベントなど多彩な分野を取り入れて全体を構成しています。それらすべてが一体となって、豊かな経験が生まれる場所を作り出すこと、多くの来訪者を心から歓迎できるまちづくりと会期終了後も持続可能な事業展開を目指します。

 確かに日の出スタジオは完全に,雑貨,衣料品を売る店が入り,去年がギャラリーのようだったのに,今年は随分様子が違っていた.
 よく調べると,Art系の催しものもあったのだろが,地域をアートで再生させるのは大変だろうと思う.近くに住んでいる人達はどう思っているのだろうか?来年以降,どう変わって行くか見守って行きたい.
 黄金町の路地を少し動画で記録しました.

D
 
 
 

2009-09-20

 神奈川近代美術館 鎌倉館 「麻生三郎とそのコレクション」展を見に行く.
 コレクションの中にジャコメッティデッサンエッチングがあり,前の葉山館で経験した,絵に近づき,書かれた顔を見つめて,顔が立体的に浮かび上がってくるのを楽しむ.
 1Fの池に面したテラスで,池の表面の波紋が反射して天井に映るのをデジカメで撮る.動画モードにしても撮って見た.
 You Tubeにアップしたので下をご覧下さい.
D

 昼食後,神奈川県立近代美術館 葉山館「フランスの浮世絵師 アンリ・リヴィエール展」を見に行く.
>> http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2009/riviere/index.htmlより
アンリ・リヴィエール(1864−1951)は、19世紀末のフランス美術界でブームになったジャポニスムに深い影響を受けた画家・版画家です。北斎広重らの浮世絵に心酔したリヴィエールは、浮世絵の影響を受けつつ、フランスの自然や都市の光景を見つめ、木版やリトグラフを中心に、多くの作品を生み出しました。波、雲、雪や風など、自然の微妙な表情をとらえた画面は、私たち日本人にとっても懐かしく親しみのある世界をつくりあげています。<<
これが,あまり期待してなかったでけに結構面白かった.
 
 今日はその後,横須賀美術館 「パウル・クレー 東洋への夢」展 を見に行く.
 クレーの絵を楽しむというより,いかに日本の浮世絵中国

http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/kikaku/582.htmlより

 クレーは、1905−8年頃、北斎漫画をはじめとする浮世絵をモデルにした作画上の試みを数点手掛けています。線描による造形を探究していた初期のクレーにとって、北斎漫画の巧みなスケッチが格好の手本となったことは容易に想像されます。本展では、線描画家として頭角を現しつつあった初期作品に浮世絵からの直接的な影響を確かめるとともに、色彩画家として成熟した中期以降の作品に見られるアジア的なかたち(カリグラフィー、省略、シンボルといった要素)にも注目します。

 今日は,アンリ・リヴィエールにもパウル・クレーにも影響を与え北斎の偉大さを思い知らされた日であった.
ただ,横須賀の展示は,いかにクレーが東洋の影響を受けたかという解説を見に行ったようで,クレーの絵を楽しむという感じがしなかったのが残念だった.
 昨日のゴーギャンもそうであったが,絵の解説を聞くことと絵から何かを感じることは別のことのようだ.

 

 
 

2009-09-19 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

 東京国立近代美術館ゴーギャン展を見に行く.
 画面の中の統一された空間できていなような絵がある.画面の中で明らかに空間が繋がっていないようなぎこちないところがある.セザンヌゴーギャンを認めなかったそうで,逆にいうと,セザンヌを代表とする西洋のその統一された空間というものを打ち破ろうとしたのがゴーギャンだったのだろう.
 今回の初めて日本で公開されるという「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」はさすがに見応えがあった.その作品の展示する前に次のようなVideoが上映されていた.
D
 後で調べると,ゴーギャン自身がこの絵を手紙の中で説明しているのに基づいているので間違いではないだろうが,絵をこんなに細かく解説してから見せると何か分かったような気にさせられてしまう.

 その後,所蔵作品展「近代日本の美術」を見る.写真のコーナーでは川田喜久治「ラスト・コスモロジー」が展示してあった.しばらくそこで中央のソファに座っていたが,「何だ,写真か」って言ってすぐに見るのを止め通り過ぎていってしまう人がいた.

 2F所蔵品ギャラリーでは「田中信太郎」の作品が展示してありアーティストトークの様子がビデオで見られた.
その中で 

 眼で考えることを視考とよぶ.われわれは全脳を介在させて理解しようとするが,眼で瞬間的3秒見た肖像というのをこれを言語で解説した場合には,かなりなり膨大な字句を並べないと理解できない.眼で見る絵という表現というものは,人々がそこに佇んでいるものによりそって,理解するというよりは共有したそれぞれの人の何かが起きたときに表現が成就する.

という言葉があったが,ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の見事な解説を見て納得するよりは,自分で何かを感じることの方が大事なんだと思うし,言葉にする必要もないのだと思う.

 水道橋まで歩きながら写真を撮り,途中,Up Field Galleryで石黒美雪「She Saw」を見る.
 最後に新宿ニコンサロン小林のりお「アウト・オブ・アガルタ」を見に行く.
 http://www.artbow.com/gallery/でWeb でも同時開催されているようだ.
 展覧会に寄せる作者の言葉 

アウト・オブ・アガルタに寄せて

現実に向って現実を失い、消えた現実が再び現実となって甦る・・・
その繰り返しの果てにある、無力な写真のリアリズム。
僕は、写真が無力であるが故の希望をそこに見出したいと思った。

風景 (ランドスケープ) の中にディテールを探すのではなく、
ディテールの中に風景 (ランドスケープ) を探していた。
その逆転を、瞬間を、連続を、生きる。



 

2009-09-18

tumblrのことを調べてみた.本来は,ホームページなどで自分の興味あるものを切り抜いてきて,貼り合わせてつくるBlogのようなものらしい.
 昨日,紹介した内原恭彦さんのような使い方はむしろ珍しい.私もまねしてというか,手探りでTumblrのページを作って見ました.
 http://taiyo-no-egaku-e.tumblr.com
をご覧下さい.

2009-09-17

 最近,どうしているんだろうと思っていた.内原恭彦さんがtumblrですごい勢いで作品を発表している.
 http://uchiharayasuhiko.tumblr.com/
 文章は何もなく,ただ写真を並べていくだけ.私もこういHPをやりたいと思って,
 http://heliograph.info/
を始めたのに中途半端になっている.とにかく写真を撮る時間を作らなければ.

2009-09-16

 仕事が忙しく,写真に関しては何もできなかった.
帰りに,池袋湘南ラインを待つ間,少し外に出て写真を撮る.
f:id:heliograph:20090916214912j:image
f:id:heliograph:20090916215252j:image

2009-09-15

 いや,本は全く読めません.写真も撮ってません,
この頃,あまりアップしていないflickrを見に来る人が少なくなったきています.
前にも書きましたが,Titleに京都横浜という地名が入った方に人が見に来ます.
川崎」,「百人町」等では見に来てくれないのです.
そういう,言葉で写真を探している人達は私の写真を見てどんな風に感じるのさろう.
決して,いかにも京都,とか横浜って感じの写真を撮っているわけではないのだが.

2009-09-14

先週の土曜日(9月12日)から

現代アメリカ写真を読む―デモクラシーの眺望 (写真叢書)

現代アメリカ写真を読む―デモクラシーの眺望 (写真叢書)

読み出した.どうしても,デモクラシーと写真との関係がすっと頭に入ってこない.難航しています.
そのうちに感想が書けたらと思っています.
 そんな本どうして,買ったかというと,

The New West: Landscapes Along the Colorado Front Range

The New West: Landscapes Along the Colorado Front Range

について,触れているところが,立ち読みしていて共感できたからです.
ホンマタカシたのしい写真―よい子のための写真教室を読んでいて,「New Topographics(ニュー・トポグラフィックス)」,「New Color(ニュー・カラー)」の写真についてもう少し深く考えたかったのです.

2009-09-13

 神津島で撮ってきたfilm等を現像.XTOL1:2で現像,1:3のつもりが1:2になっていたというお粗末な話し.
最初の2本を失敗.あと時間を修正したので結局20℃12分で良かったようだ.Try-x(120 17本 ASA 320 として 露光).

 定着液を横浜へ買いに行く.北西口前の川でまた写真を撮る.
f:id:heliograph:20090913133057j:image
f:id:heliograph:20090913133349j:image
f:id:heliograph:20090913133534j:image

2009-09-12

茅場町の森岡書店で行われている.
 中道順詩写真展 「気」 を見に行く.
http://moriokashoten.com/?pid=15300051より

「フーッと、地上から空を見上げると、
いろんな雲の情景が目に入ってくる。
この流動体に、今、「気」を感じている。」

雲や波紋の写真,その雰囲気から詩写真というのかと思ったら,中道順詩ナカミチジュンシ )までが作者の名前でした.

帰り,東京駅まで歩きながら,写真を撮る.
やはり,あまり歩いていない場所なら,シャッターを押す.前は,大きな通りを歩いたので,今度は,少し細い道を選んで歩いた.要するに,ちょっと,別の街まで出て行かないと,写真が増えないのかもしれない.
この後,お茶の水に行き.Gallery Bauhaus で
 中川隆司写真展「On The Road」
を見る.
http://www.gallery-bauhaus.com/090902_nakagawa.html より

gallery bauhaus第16回の企画展は、写真家・中川隆司の作品展です。
8×10のカメラを肩に、ひとりアメリカ南西部を踏破、5年間かけて撮影した作品。
ネヴァダの果てしなく続く砂漠の中のハイウェイカリフォルニアの海辺で暮らす人々など、8×10の限りなく精緻な描写力が、人の目を超えた別世界を見せてくれます。
8×10大型カメラと路上(On The Road)にこだわって創りあげたモノクローム作品(ゼラチン・シルバー・プリントにトーニング)、約40点を展示。

 空港でのFilmの機内持ち込みに関するトラブルがあったので,結局,宿でその日の内に現像しながら,旅行を続けたという.8x10 の写真は流石に美しい.

2009-09-10

仕事前に、新宿で降りる。デジカメは持っているし、眼もいつものように被写体を探しているのだが、結局、何も撮らなかった。
どこも、前に写真を撮ったような気がして撮る気にならない。
4x5を担いでいるのなら、どこまで街のディテールがでるかっといった興味がわくのだが、写してどんなふうになるのかっていう楽しみがなくなったのだ。

自分の写真への興味が、徹底的に写真のクォリティーを追及しようという方向に行っているからなのか、それともスランプなのか良く分かりません。

2009-09-09

 先週から、実験している、UBUNTUUSBへのインストールが一応できた。
bootして、設定を変えるとUSBに保存できるようになり、これから、TEXとか言語の処理系を使えるようにインストールしていきたいと思っていたのだが、Windowsとデータをやりとりするために、USBのなかにfat32のPartitionを作っていたのだが、これが、Winndowsを立ち上げたときに認識できないようだ。またインストールし直しのようです。

2009-09-08 コンパクトデジカメ

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 最近,コンパクトデジカメで写真を撮らなくなった.flickrも更新してない.
 カメラに飽きたのか,デジカメで気軽に撮る写真に飽きたのかは良く分からない.とにかく,前のように,少しでもコンパクトデジカメで写真を撮る時間を作ろうとしなくなった.
 4x5の撮影も中途半端になっているし,植物のシリーズもまとめてないのだが,その他にもいくつかテーマが浮かんできている.どうも,まだ銀塩の写真の方に惹かれている.コンパクトデジカメの画質に我慢出来なくなったのが一番おおきのかもしれない.
 とにかく,レンズの修理も完了したのだし,4x5の撮影で問題になった,現像方法をもう一度検討しながら,撮影を続けたい.

2009-09-07 TOKYO PHOTO 2009

土曜日に行った.『TOKYO PHOTO 2009』の感想の続き,
長時間露光の作品が多かった.

古家万     http://www.tokyo-gallery.com/tokyo/index.html
北野謙     http://www.ourface.com/japanese/works/oneday.html
Darren Almond http://www.scaithebathhouse.com/ja/artists/darren_almond/

 特に,古家万,北野謙は太陽とか月の軌跡が写っていて,山崎博の作品を思い起こさせるような所があるし,海辺で長時間ろこうという意味では古家万Darren Almondも似ているように思われる.
また,昨日,印象に残った作家として載せた
所 幸則 http://tokoroyukinori.com/index.html
の作品を都市の中の時間の経過を表している点では,北野謙の作品と似ている.
 このように見ていくと,写真のテーマって意外に少なくって,同じような作品を色々な人が制作しているのかもしれない.

2009-09-06 光 TOKYO PHOTO 2

 昨日はキーボードの故障で,携帯からの入力だったので,昨日の続きです.
 『光 松本陽子/野口里佳』展
 http://www.nact.jp/exhibition_special/2009/03/hikari.html
 松本陽子の作品は2005年の神奈川県立近代美術館の『西村盛雄・松本陽子』展 以来であるが,天井の高く一つ一つの展示室が広い新国立美術館で見ると,随分感じが違う.一度に.数枚の絵を見て,その一つ一つの違いを眺めるような見方をして楽しんでしまう.
 ピンク系の作品が多いがこちらは桜が満開に咲いているのを見上げた感じ,鈴木理策の「桜」を連想してしまう.緑を基調とした作品もあるが,鎌倉では緑のシリーズを中心に発表していた.こちらは「池」「緑の茂った壁」を連想さした

 野口里佳の方は,2004年『飛ぶ夢を見た 野口里佳』展(原美術館),2007年『夏への扉 - マイクロポップの時代 』(水戸芸術館)で見た,「水をつかむ」,「太陽」などはすでに見たことのある作品であった.こちらは部屋を細かくわけ,しかも「太陽」などはピンホールの写真等は部屋を真っ暗にして,スポットだけで写真を展示していたり,展示の仕方も手がこんでいた.あの広い空間に写真をただ並べただけでは写真を相当大きくしないと展覧会は成り立たないのだろう.

 もう一つの『TOKYO PHOTO2009』は,日本を中心として扱うギャラリーがうちではこんな作家を扱っていますといった見本市みたいな催し物会場みたいなものだった.1Fではアメリカの4つのギャラリーサンディエゴ美術館も作品を展示していた.
 写真を鑑賞する場所と思っていった私は1500円入場料を払って入ったことを後悔した.
 そんな中で,
 1Fではサンディエゴ美術館からのLEWIS BALTZの作品,Kopeikin GalleryのJ Bennett Fitts「industrial landscape」が気になった.
 地下の日本のギャラリーでは
 斎木 克裕 http://www.katsuhirosaiki.com/
 菅原一剛 http://www.ichigosugawara.com/ichigoNew/index.stm
 所 幸則 http://tokoroyukinori.com/index.html
の作品を知ることが出来た.
 また,長島有里枝が今までとは違った工場地帯を俯瞰する写真を撮っているのを知って驚いた.
 そう言う意味では,1500円はしょうがないのか? 一人一人の作品をじっくり見られたら良かったのにと思いながら会場を出た.

2009-09-05 光 TOKYO PHOTO2009

新国立美術館『光 松本陽子/野口里佳』展、ベルサール六本木『Tokyo Phot 2009』に行く。

パソコンのキーボードがおかしくなり急遽携帯で入力しています。後はキーボードを明日付け替えて入力します。

2009-09-04 ポートレイト

 今日は人の写真を撮った.
 ポートレイトなんて撮ったときないので,結構面白かった.家に帰ってから,「女性ポートレイト」でGoogleで検索すると沢山の写真が見られる.「いや,こんなのどうしようもないなぁ」っと思うのだが,自分の写真も似たようなものではないかと思うとぞっとする.
 
 Richard Avedon とかRobert Mapplethorpe の写真ってやっぱりすごい.


 

2009-09-03 「光と影」 「ブエノスアイレス」 

 
PHOTO GRAPHICA ( フォト・グラフィカ ) 2009年 10月号 [雑誌]森山大道のインタビューの中で,

タカザワケンジ 話は飛びますけど,最近出版された「光と影」ペーパーバック判(講談社)について悪く言う人が多いみたいですね.
森山 そうみたいね.ぼくはネットみないからわからないけどあの本のプロデューサーが,すっごく評判悪いですよって笑ってた.
タカザワケンジ 冬樹社から出た初版「光と影」(1982年)がアート紙にきれいな印刷でハードカバー装丁ということもあって,今回のザラ紙(印刷)に拒絶反応を起こした人みたいですけれど,ぼくはいかにも森山さんらしい「新刊」だと思いました.軽くて,乾いていて,速いし,安いから気軽に買える.写真というメディアの特性を生かしてイメージをバラまくという森山さんの考え方は一貫している.冬樹社版はそれで,当時の森山さんの欲望がああいうものを志向していたということなんでしょうけど,今の森山さんにはペーパーバック版がぴったりだな,と思いました.
森山 他者を意識しないんだよ.自分の気分だけでやり続けるから,で,時々期待されることに対して裏切りたくなるね.もうすぐ第二弾の「ブエノスアイレス」がでるんだけど,「光と影」とはちょっと雰囲気が違うと思うけど,ぼくはネットなんかでごちゃごちゃ云われても全然きにしないし,まして改心なんてありえないし(笑).

という会話があった.本屋で

Light & Shadow 光と影 新装版

Light & Shadow 光と影 新装版

を見たとき,この印刷じゃとちょっと見ただけで閉じてしまった.今回
この記事を見て,

BUENOS AIRES 新装版

BUENOS AIRES 新装版

 と見比べてみた,「ブエノスアイレス」の方が網目が細かく質が高いような気がする.ちなみに「光と影」が¥1890,「ブエノスアイレス」は\2100である.ほとんど同じ厚さだから,結局,コストと印刷の質の関係でどこらへんだったら読者が買うのかということなのか? 純粋に表現の問題なのか? よく分かりません.
 かなり有名な写真家でも写真集出すときは,お金を自分である程度負担すると聞いている.森山大道とか荒木経惟とかは別なんでしょうけどね.

2009-09-02 Walker Evans

古本屋で買った,1981年度版の美術手帖11月号 高木修のウォーカー・エヴァンス展の展評「記述する距離」が載っていた.
一部を引用する.

エヴァンスの写真に限ったことではないが、優れた芸術作品は、説明や解釈を拒むものなのである。因に、エヴァンスの「写真が芸術(モハリ=ナギは写真術が〈芸術〉を生み出すか否かなどはどうでもよい」といっている)であるかはさておき、エヴァンスの写真は、劇的なものや作為性のあるものは介在していないといえるであろう。ましてや「英雄的でロマンチックな自己表現する」芸術家的な視点はない。あるのは、ソンダクがいうように「没個性的な肯定、高貴な寡黙、明晰だが控え目な表現を探求した」(『写真論』)といえるであろう。しかるにエヴァンスは、すべての被写体に対しての〈意味づけ〉を拒否し、等価なものとして捉えているからである。そこには、無名なものへの志向があり、今日いわれている〈表現のゼロ度〉(宮川淳)や、表層存在に還元する働きを持っていたのではなかろうか。だからこそ、エヴァンスの写真にあっては、彼自身の内面に住み込んでいるもろもろの混在したものを見すえるための内観としての投影ではない。むしろ具体的に見えるものを通して見ようとしたのである。がゆえに、内面の主観主義に陥っていないのである。たとえ、人が、小作人地下鉄の人々の写真に「渇き」を感じたとしても、それは、彼らの「渇き」でもなければエヴァンス自身の「渇き」でもない。ましてや、「渇き」を表現しようとしたものでもない。撮られたものに「渇き」が現れたといっていいだろう。
エヴァンスは、撮るという営為を〈記述〉として捉えていたのではないだろいか。被写体に対し、けして深入りはしない。あるがままを記述=撮ればよかったのである。そこには、なんらかの視点の〈選択〉が、写真を決定してしまう性質を知っていたであろう。こうした考え方をおしすすめると、エヴァンスの写真は、対象と撮る者の間に絶対的な境界線を引いたといえるのである。
中平卓馬は、エヴァンスの写真を見るとき「私はどうしてもあるがままの事物とてしか表現できない、私の側の絶句を意識せざるを得ない」(『決闘写真論』)と言った。この絶句こそが、エヴァンスの写真を物語っている。

2009-09-01

 先日買った,PHOTO GRAPHICA ( フォト・グラフィカ ) 2009年 10月号 [雑誌]に載った、森山大道のインタビューで自分の写真を外に向けて発信する意義について次のような発言が載っていた.

 森山 優秀なキューレーターや編集者,アートディレクターがいて,ストリートスナップを編集・構成すれば,そのとき世界はパッと生き返ると思うよ.自分が撮ったからって自分だけの写真じゃない.しょせん,写したものは世界で世界をコピーしたにすぎないんだから.写真は世界をコピーして,外に向けて発信して,もう一度世界に返すことで成立するんだと思う.だから自分が撮った写真でも,ぼくのものなんて言えないなんて言うと,よく誤解されて,そんなこと言ってもあんたは過剰に作家性が強いとかいわれるし,そう思われるのは別にいいのだけれど,外へ返さないといけないといつも考えている.
 アマチュアは撮った写真を喜んで自分で持っているだけでいい.でもカメラマンは写真を外に返す.写真はそういうサーキュレーションで成立しているわけ.どんなに一人の作家が思い込んでいい作品を撮ったからといっても,それはどうあれ,見る人によって解体されていくわけでしょう.そこがいいんだよ写真は
 
 タカザワケンジ そこに見る側が入り込んでいく余地があるから,写真を見ることはおもしろい.

 森山 そこに見る側が入り込んでいく余地というか,見た段階でその人の見方で見るわけでしょう. 大袈裟に言えば,その人の全人格で見るわけだよ.だから,10人いたら10人の全人格で見られるわけ,だから世界の断片を撮って,また世界の断片に立ち戻るんだよ.作品としてでhなくて,写真として,しかも,写真の中には多重性があるから,みんながそれぞれの思いで見ることができる.

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