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サルガドの写真について,西井一夫をは20世紀写真論・終章―無頼派宣言 (写真叢書)で,
Migrations: Humanity in Transition
の書評としての文章サルガドと国境なき写真家旅団と SEBATIAO SALGADO『MIGRATIONS』
次のように書いている
略
この分厚い写真集は,サルガドが,六年間,世界の四十ヵ国を取材して歩いた成果である.アンゴラ,モザンビーク,チャド,エチオピア,エリトリア,リベリア,ソマリア,シレラレオネなどアフリカは戦争の渦中にあると,サルガドは見ている.私たちは,それらの実相をほとんどまったく知らない.こうした実相を知らずに世界を語ることは不可能なのに,私たちはいまだに無知で平気なのである.哀しいが,それが現実だ.この一点だけでも,私たちは,サルガドの写真を受け入れる必要がある.彼自身が冒頭に長い解説を書いている.そのなかで,彼自身が故国ブラジルから追放された経験についてもふれている.異国で生活をしなければ人びとへの彼の視線は自身の体験に基づいている.この密接に裏打ちされた経験上の基盤なくして,これだけの執念は生まれないだろう.なかには,彼が現実には現場に立てなかったシーンが,テレビ映像の複写という形で挿入されていて,これまでの彼の写真に見られた,きちんとした絵画的構図で,写真としてピント・グラデーションもばっちり,という一部にできすぎの批評を醸した映像的な「美」した要素が大胆に取り入りられている.つまり,写真的表現などという狭い視野でものごとをみているのではなく,必要性においてカメラを使用していることが明確に示されている.サルガドがけっして自己表現のために難民や肉体労働者を被写体にしているのではなく,彼は被写体のために写真を撮っているのだ.この姿勢は,当然私が提唱している「国境なき写真家」集団の精神と合致している.
略
これらの膨大な写真を見てまず思うのは,ここに写されていない「不在」の人びとのことだ.その「不在」とは,移動中に亡くなった死者のことではない.まだ生まれない未来の子たちでもない.私に不在なのは,いわゆる「先進国」の人びとのことだ.日本人を含めて,ヨーロッパやアメリカの人間は,ここには不在なのだ.つまり,第一世界の人びとがここには不在で,第三世界の人びとだけが移動をしいられている.そうしてサルガドは,この第三世界の移動民のなかから新しい人類の秩序が生まれるだろう,と言っている.私個人はそこまで楽観視できないが,すくなくとも二十世紀は「難民の世紀」であり,難民がこれからの主力となろう,とは考えている.
略
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