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2010-02-28 津波

現像

 FUJI NEOPAN ACROS(ASA50 で撮影)XTOL 1:3 20℃ 13分で20枚現像。
 結果はまぁまぁ、塩ビパイプの現像にも大分慣れてきた。
 ところで、今日は立石に行ったが、津波警報(チリ地震)がでていたため、一応、海岸に出なかった。

Thomas Ruff

高梨さんの写真集復刻の話をtwitterに投稿したieieioさんのtwitter
apertureのThomas Ruff Artist Lecture Available Online(http://www.aperture.org/exposures/?p=5756)というサイトを紹介している。

Thomas Ruff、911が起こったときNYにいて写真を何枚か撮ったがなぜか写っていなかった。そこでインターネットで事件の写真を探したところ膨大な量の写真があった。それがJpegシリーズを製作するきっかけとなった。彼のような人でもこういうアクシデントが引き金となるんだね。

http://twitter.com/ieieiio/status/9772636278

Thomas Ruff、一番客観的な写真はなんだろうと考えたところ、撮影者が何も操作できない「星」を被写体にすることに行き着いた。しかも自分では技術的に撮影できず科学写真を使うことにする。

http://twitter.com/ieieiio/status/9772370228

Thomas Ruffのレクチャー http://bit.ly/cMgkuJ 初期の代表作であるポートレートシリーズは小さいプリントだと見る人は写真というメディアを意識せずリアリティを見てしまうため、長辺2m程に引き伸ばし、「写真」を見ていると意識させるようにした。

http://twitter.com/ieieiio/status/9772207144

写真集の復刻の話から

kenkenT(タカザワケンジ)のTwitterより(下の方が古い発言です)

ですよね。著作権をタテにコピーの流通を拒むと、「誰も知らない」ってことになりかねない。@godgeo 「みんな(コピーで)知ってるけど、(本物は)ほとんど誰も持ってない」時代の再来ですよね。

http://twitter.com/kenkenT/status/9782199351

デジタル化がローコストへ向かう一方で、「本物」の質感を求める方向もあると思うんですよね。@akihide_tamura 残酷

http://twitter.com/kenkenT/status/9780490063

それが時代の趨勢ってことで。デジタル化って、基本、お金がかからない方向に進化していく宿命にあると思いますよ。@akihide_tamura その分、原稿料安くなるし、フリーシェアーで「パクラレ」ろくな事ないと思うリアルナウ

http://twitter.com/kenkenT/status/9778763395

ぼくもあると思います。デジタルフォトフレームで再生できたりすればインテリアにもなるし。早晩始まるでしょうね。@ieieiio これから電子書籍媒体でできる写真の可能性よりもまずはアーカイブの必要性あると思います。写真集再生プロジェクトお願いします。

http://twitter.com/kenkenT/status/9777843886

初めて知りました。いい感じのラインナップですね。森山大道ペーパーバックで昔の写真集を出し直してますけど、写真集の作り直しには興味があります。 @ieieiio 高梨豊さんの写真集もBooks on Booksのシリーズで出版です。

http://twitter.com/kenkenT/status/9774428262

さっきリツイートしたけど、errata editionsっていうN.Y.の出版社がいろんな写真集を復刻している。ラインナップを見るとよさげ。でも、『都市へ』って、杉浦康平のとんでもない装幀とおまけの写真集『東京人』も重要だ。最初は箱を全面ステンレス張りするもりだったって。 約5時間前 via web

http://twitter.com/kenkenT/status/9774373133

ieieo高梨豊さんの写真集もBooks on Booksのシリーズで出版です。20世紀写真集を電子版でアーカイブし販売するってのはどうでしょう。埋もれてしまうよりは電子書籍として生き返らせるほうが良いのでは。http://www.errataeditions.com/index.html

http://twitter.com/ieieiio/status/9773351866
ieieiioさんの発言をkenkenTさんがリツイート

2010-02-27 Gallery巡り

[今日の写真]恵比寿
f:id:heliograph:20100227104605j:image
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f:id:heliograph:20100227142700j:image
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コニカミノルタプラザ、蒼穹社、PLACE M

新宿から歩き出し
コニカミノルタプラザ

  • 内田芳信写真展「パイカジ」

  • 仲尾政弥写真展「日和」

  • 市川恵美写真展「うらうへ」

蒼穹舎 石川博雄写真展「旅の途中」

PLACE M 

  • Jui 第一回Place M review 受賞作「CAOSMOS」
  • 浅井孝秋 「不確かな地図II」

を見て、四谷まで歩く。

 印象に残ったのは、蒼穹舎の石川博雄写真展「旅の途中」

そして、四谷から電車に乗り、水道橋
Up Field Galleryで 齋藤さだむ「TRANSIT ZONE」展を見る。
高速道路で車の中から撮った写真。隣り合った車の中の子供と車に置かれた人形、タンクローリー車の後ろに映り込むゆがんだ高速道路上の風景等が印象に残った。

会場に置かれたパンフレットに書かれていた、いわき市立美術館学芸課長 平野明彦さんのエッセイ

TRANSIT ZONE−新たな都市の光景
 より 抜粋




都市空間とその近郊の光景の撮影をライフワークのひとつとしてきた齋藤は、1970年代から現在に至るまで筑波学園研究都市とその周辺を定点観測の基点としているが、仕事のために都心とつくばを往復することの多い齋藤にとって、恒常的に利用する常磐自動車道首都高速もまた都心とつくばを対比しながら都市近郊の光景を定点観測する場所であったはずである。高速道路を走行しながら周囲の状況を窺い、時にはファインダーを覗くことなく身体の感覚に導かれたままほとんど反射的に撮影を行う行為は、未完の都市空間(つくば)とメガロポリスを結びつけ、都市の空間を上下左右に貫く一種の運動体である高速道路を外側から俯瞰することなく、直接その内部に入り込み、自らを運動体の動きに同調させようとする齋藤の意志の現れである。それは必然的に都市空間を上下左右に貫く眼差しを齋藤にもたらしたといってよい。ただしその眼差しは、都市空間を批評し、変容する都市の姿をとらえようとしているのではない。変容する都市の光景を受け止める我々の感性の在り方を記録しようとしているのである。

変容する都市の光景を受け止める我々の感性の在り方を記録しようとしている都市論などいうより、こう言った方が確かにしっくりする。

柴田 敏雄『a View for Grey』へ

 恵比寿「NADiff a/p/a/r/t」へ柴田 敏雄『a View for Grey』展を見に行く。
地下のGalleryは高さも低く、狭いのでいつもの柴田さんの作品とは違い。大四つ切り(多分?)と4x5のコンタクトプリントの展示であった。
 NADIFFの展覧会の案内では

 今回の展覧会では、皆様により身近に柴田敏雄の作品に親しんでいただけるよう、4×5判カラーフィルムによる精緻な諧調を封じ込めたコンタクトプリントを中心に展示いたします。


とのことですが、コンタクトに顔を近づけてみる柴田さんの作品は新鮮であった。
また、マトリックス上に並べた大四つ切りの写真も面白かった。柴田さん写真による
Atlas(Gerhard Richter: Atlas
って感じです。

 写真を見た後、本を見る。昨日から気になっている、屏風について詳しく解説している本を探すがみつからなかった。
 
 その代わりというか、買いそびれて、AMAZONでは中古でしか買えない。

アーティストは境界線上で踊る

アーティストは境界線上で踊る

を見つけて購入。
そして、

を買う。(ISDNは同じなのだが、表紙が違います)
この本はHARRY CALLAHAN,AARON SISKIND,FREDERICK SOMMERの3人写真が載っている。前からCALLAHANの植物の写真が気になっていたのだが、他の二人の写真も良かった。ネット上でこの本に掲載されている写真を探してみました。

  • HARRY CALLAHAN

http://www.geh.org/ne/str085/htmlsrc9/m198111310001_ful.html#topofimage

  • AARON SISKIND

http://ffffound.com/image/ab11efa097bf2bfb1c6abb8144a58d47a6d95c7c

  • FREDERICK SOMMER

http://www.fredericksommer.org/index.php?category_id=11&gallery_id=130

2010-02-26 長谷川等伯展へ

長谷川等伯展へ

 東京国立博物館へ『没後400年 特別展「長谷川等伯」』を見る。
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=7026
 目玉の国宝「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」、「楓図壁貼付(かえでずかべはりつけ)」、「楓図壁貼付(かえでずかべはりつけ)」、「松に秋草図屏風(まつにあきくさずびょうぶ)」 はもちろん素晴らしかったが、「花鳥図屏風(かちょうずびょうぶ)」、「萩芒図屏風(はぎすすきびょうぶ)」、「柳に柴垣図屏風(やなぎにしばぎずびょうぶ)」等に惹かれた。
 
 いつも、このように屏風を見ると考えるのが、一体作者は、屏風を広げてたてた時の凹凸のある状態での視覚的効果を考えて絵を描いるのかということだ。もし効果を考えていたとすると、どこから見ての効果を考えていたのか、移動してみるときの効果も考えていたのかとかを考える。
 今回の等伯の屏風は、明らかに、屏風になるときの効果を考えているのが何枚かあったと思うのだが、どうだろう。

 屏風に描かれた絵の視覚的効果について分析した本を読みたいと思うのだが、なかなか見つからない。
 
 
そういえば、オサム・ジェームス・中川展「BANTA:沁みついた記憶」では、写真を掛け軸のようにして展示していたけど、写真を、屏風のように繋げて凹凸を作って立てて見せることを考えてみたい。

4x5,8x10の需要が増えているそうです

山縣勉(KEEP20)さんのtwitterより

富裕層の趣味ですか。貧乏人が仕事を得るために使っちゃダメですかね?(笑)RT @platinotype 日本国内も地道に増えてますね。中国とか富裕層の趣味としてすごいみたい RT @KEEP20 4×5や8×10の需要がすごく増えて忙しいらしい。エボニー社長談。

http://twitter.com/KEEP20/status/9660879839

4×5や8×10の需要がすごく増えて忙しいらしい。エボニー社長談。

http://twitter.com/KEEP20/status/9658863218

エボニーで16×20のベタプリントや実機を見せてもらう。4×5がおもちゃに見えた(笑) http://twitpic.com/15d16v

http://twitter.com/KEEP20/status/9658736430

 いや、中古の機材が安く売られているんで、自分でも4x5始められたんだけど、エボニーに新品を注文するような人がたくさんいるんですね。

一年前、中古で手に入れたエボニーを修理に出したとき、丁寧に対応してくれました。
その時は、新品の注文ってどのくらいあるのかなって思ってましたけど、たくさんあったんですね。メンテナンスのことを考えるとユーザーとしては一安心です。

でも、富裕層の趣味ってやな響きですね。

2010-02-24 「写真」+「情報」

「写真」+「情報」

「写真」に説明を加える。
たとえば、米田知子の作品、http://www.shugoarts.com/jp/yonedascene.htmlで見られる。SCENEと言うシリーズはこういう写真が並ぶ。

  • 丘 (連合軍の空襲で破壊されたベルリンの瓦礫でできた丘)
  • 野球場 (終戦直前まで続けられた特攻出撃の基地の後/知覧)
  • 森 (ソンムの戦いがあった森/デルビルの森・フランス
  • 畑 (ソンムの戦いの最前線であった場所/フランス
  • 池 (地雷でできた池/メシヌリッジ・ベルギー
  • 丘 (沖縄戦終焉の地/摩文仁沖縄

等だ。このキャプションを読むと、写真が特別のものに見えてくる。

日曜日に見た、北島敬三の「PLACES」は写真には何も説明がない。

そういえば、「荒木経惟の偽日記」という写真集があった。
http://www.book-oga.com/aimages/nise_nikki.htmlより

荒木経惟の偽日記 / 白夜書房, 1981
荒木が、日付入り写真を載せ始めたのは、この写真集から。タイトルの偽日記の由来は、最初の写真の日付が’79 4 1’(エイプリール・フール)となっていることからである。当時常用していた、ミノルタハイマチックAF・Dは、日付を自由に変えることができるもので、撮影の度にダイアルをいじり、一年間デタラメな日付で写しすことができた。


嘘のキャプションを付ける手もある。

北島敬三の何も説明しないで、見せる写真に惹かれる。でも、いざ自分も写真を発表するとなると、キャプションをつけその効果を利用してしまうかもしれない。

複製技術時代の芸術

大村益三(omuraji)のtwitterより

「複製技術の時代」の最低限のエティカ。「私は作品を見ていないが、にも拘わらず複製技術によってもたらされた「情報」に全面的に依拠しつつ、作品を語っている」と最初に断る事。

http://twitter.com/omuraji/status/9525172164

モナリザを実見せずに語る事は「アート」的な意味で「悪い事」ではない。何故ならば、実見せずに語る事が「アート」を形作っているからだ。

http://twitter.com/omuraji/status/9512929682

だから「芸術」は「実見」してはならない。見ずして語る事が「芸術」をその「存在」以上にする。

http://twitter.com/omuraji/status/9512835479

そして大抵それらを実見すれば、消費されている「物語」とはまた別の相貌を帯びたりする。何せそこにあるのは限定的な物理的存在としての絵画であり、彫刻だ。そこにどれだけの「情報」と「物語」を付加すれば、我々が消費する「芸術」という壮大な存在になるのだろうか。

http://twitter.com/omuraji/status/9512788325

アルタミラの洞窟を見ずしてアルタミラを語る事に、何の違和感も抵抗感も持たなくなれば、美術愛好者として一人前と言えるだろう。逆に美術愛好者の言説から、それを実見して語っているかどうかを仔細に吟味すれば、どれだけそれが「複製」や「情報」によってもたらされているかが判るというものだ。

http://twitter.com/omuraji/status/9512604768

アート」という、本来それ自体が「実見」的な「制限された閲覧機会」を持つ存在が、それ以上の存在になるには「複製」や「情報」が不可欠だ。その意味で、「モナリザ」も「アルタミラの洞窟壁画」も「複製技術時代の芸術」と言える。

http://twitter.com/omuraji/status/9509279885

モナリザを実見していなくても、モナリザについて語れる。写真、映像等の複製物や、それについて書かれた言説が存在すれば、それだけで実物を見ずとも作品について書けるし、寧ろ実物を見ていないからこそ、そこに問題を仮構して書けるとも言える。「複製技術時代」の産物としての美術史。美術評論。

http://twitter.com/omuraji/status/9508824060

清潔って言葉には、不潔な印象がある

内村恭彦(yuchihara)さんのつぶやき。

清潔って言葉には、不潔な印象がある


http://twitter.com/yuchihara/status/9552361157

2010-02-23 写真を通してみた世界

写真を通してみた世界

この間紹介したinvisible man/magazine 1に載っていた。スティーブン・ショアのインタービュー

写真を通してみた世界より
G:後藤繁雄、後藤桜子 SS:スティーブン・ショア

G (略)ジョン・シャウカフスキーの『フォトグラファーズ・アイ』と言う本やその他の授業法をベースに教壇に立ちはじめたそうですが、その後どのようにあなた自身の教え方を展開していったのでしょうか?

SS この『ネイチャー・オブ・フォトグラフ』という本は「フォトグラフィック・シーイング(写真を通した物の見方)」という授業から生まれました。私は長年シャウカフスキーの本を教材として使っていたのですが、ある時シャウカフスキーのそれとは違った自分の方法で教えられないかと考えました。私はこの本を書くことで写真の持つ力とはなにか、という問いに触れようとしました。何か写真の見た目をよくするとか損ねとかではなくて、ストレート・フォトの本質について書きたかった。それは3つの段階から成り立っている物で、まず物質としての写真。例えばこのポストカードはロサンジェルスの風景ではなく、一枚の紙であると言う事、私は人々に写真にまつわる事実と錯覚について気がついてほしかった。そして、その錯覚をより写真の撮り方に関連づけて考えたいと思いました。写真家として、私は自分の写真に対していくつもの選択や判断を下しますが、これは、例えばペインティングにおけるキャンパスに絵の具を足していくというアプローチとは全く違ったもので、写真家は世界を見渡して、その選別を用いた「描写的」な写真のレベルが存在する。そして、写真は写真家の手を離れ他人の視点から見られた時にもう一つの段階、写真の精神的なレベルに行き着くのです。
 写真における段階とはすなわち、写真という物質、その物質としての写真が与える錯覚、そしてどのような心的イメージを写真が喚起するのかをコントロールする写真家なのです。

参考

The Photographer's Eye

The Photographer's Eye


The Nature of Photographs

The Nature of Photographs

Richo「GXR」用の“APS-Cサイズ・28mm単焦点ユニット”発表

 リコーAPS-Cサイズの28mmのカメラを発表した。
これで、昨日のSIGMAのDP1Xのライバルができたわけで、私の迷いはますます深くなるだけです。

http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100223_350753.htmlより 

GR LENS A12 28mm F2.5

 今回、初めて開発が明らかになったカメラユニット。新開発という28mm単焦点GR LENSを搭載し、「高い解像力、描写力を実現した」としている。センサーはAPS-Cサイズ相当(23.6×15.7mm)のCMOSセンサー。画像処理エンジンは「GR ENGINE III」を採用する。

 画素数は明らかになっていない。仮称だがユニット名に“A12”とあることから、12Mピクセルを想定しているものと思われる。

 レンズは「GR LENS」の名を冠する28mmの単焦点タイプ。開放F値はF2.5になる模様。フォーカスリングを回してピントを微調整できる「マニュアルフォーカスリング」も搭載する。

中判フィルムカメラ「GF670 Professional シルバー」

http://www.fujifilm.co.jp/corporate/news/articleffnr_0365.html?link=n2uより

蛇腹折りたたみ式で軽量・コンパクトなボディと高い描写力が好評!

「GF670 Professional」にメカニカルな外観のシルバーボディを追加
中判フィルムカメラ「GF670 Professional シルバー」

新発売


先日のフィルムの見直し(http://fujifilm.jp/information/articlead_0029.html)で、PRESTO 400 のブローニーの販売を止めたのに、ブローニーのカメラを出すの!

でも、こう宣言してますので、安心しましょう。同じく、http://www.fujifilm.co.jp/corporate/news/articleffnr_0365.html?link=n2uより

デジタルカメラが普及している昨今でも、カラーフィルムやフィルムカメラの「フィルムならではの色調、階調の豊かさや奥行感」、「フィルムカメラを操作する楽しみ」という特長は、改めて評価されています。今回、新たに「GF670 Professional シルバー」を発売し、持つことの喜び、写真フィルムの優れた表現力、描写力をさらに多くの方に体験いただくことで、銀塩写真の素晴らしい魅力を伝えていきます。
富士フイルムは、イメージング分野のリーディングカンパニーとして、今後も写真文化の発展に貢献していきます。

2010-02-22 「いろんなことが途中になっちゃた」

山田大輔さんの闘病記

 山田大輔(YA_DA)さんのtwitterがすごい。


 病気のこともすごいのだが、入院している周りのジイさん達の様子を読むと、自分もいつかこんなになって迷惑をかけるかもしれないと思うとぞっとします。
以下はほんの一部です。http://twitter.com/YA_DAを見てください。

ヒゲのじいさん、ベッドにいる不在の誰かに向かって話しかけている。「すみません、どいてください、あなたがいると眠れないんです」。せん妄か? 97歳中将は寝てるが、病室に妙な緊張が走っている。やだなあ。

http://twitter.com/YA_DA/status/9472302769


向かいのヒゲのじいさん、子供と女の人の集団がいて、尿を盗んで行く、、、と言ってる????? 病室内に子供がいる、、、、とも。気持ちわるい!

http://twitter.com/YA_DA/status/9472009531


気持ちの悪いじじい。彼の生き様がハッキリ見えた瞬間。被害者面して、責任転嫁して生きてきたんだろうねえ。ものすごく汚らしい不快なものに触れた気分。そうやって生き延びる人生もあるのかねえ。あー、気持ちわるい!

http://twitter.com/YA_DA/status/9426483157


向かいのヒゲのじいさん、「ためた小便をひとに棄てられた」と看護婦に訴えてた。なんかねえ。だれがなんの為にそんなことを? 気持ちのわりぃじじい。多分、失敗して小便こぼしちゃったんだろうねえ。このじいさん、たびたび便所を小便で水浸しにしてる。

http://twitter.com/YA_DA/status/9426302666

 隣のじいさん、挨拶して来た。「いろんなことが途中になっちゃてね」って、みんなそうなんだよ、ここにいる人間は! みんな、診療に来ていきなり入院になってるんだから。

http://twitter.com/YA_DA/status/9420948737


そう、私も入院したとき、「いろんなことが途中になっちゃた」っと思って、退院したらちゃんとしようと思ったことを思い出しました。でも、いまだにいろんなことが中途半端なままです。

新製品情報

 米国で開催されている映像機材の国際展示会「PMA2010」 (会期:2010年2月21日〜23日、会場:ネバダ州ラスベガスラスベガスコンベンショ ンセンター)で続々と新製品が発表されている。

 以下、私が気になった情報

  • シグマの「SD14」,「DP1s」,「DP2」の後継機

「SD15」http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100222_350219.html
「DP1x」http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100222_350191.html
「DP2s」http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100222_350197.html

  • ソニーAPS-Cセンサー搭載の「ミラーレスα」、「中級αボディ」の予告

 http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100222_350569.html

 いつも持ち歩いている、コンデジの画質が気になり出し、PanasonicかOlympusのフォーサーズのミラーレスでも買おうかな、それともDP1sにしようかなって思ってたのに、これではますます迷ってしまいます。

2010-02-21 写真=痕跡 ?

photographers' gallery 北島敬三「PLACES」

 白い壁に、全紙の写真が10枚位、白いフレームにいれて展示してあるだけ、展覧会全体の一枚一枚の写真にも場所、日時を示すようなデータもついていない。だから、よけないなことを考えずに、ただ、写真と向き合う、大判で撮られた写真だけに、隅々を見て行くと、色々なことに気付かされる。建物の傷、ビルの非常階段に置かれて枯れた植物の鉢等、現実では、このような一ヶ所にじっと留まり、目の前の建物や地面をこんなに細かく見るようなことはしないだろう。もしかしたら、写真を撮った本人も気づいてないようなものを、鑑賞者が見出しているかもしれない。写真家はそういう場所へ道案内する人なのか?

 そんなことを考えた。

写真=痕跡論

ネットで見つけた、平倉圭http://hirakurakei.com/)さんの次の文章がするどい。
引用の引用で申し訳ないですが、Excite Blogのもとの記事は今はもうないようです。
〓bungsplatz〔練習場〕http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100221#p2より

 写真=痕跡論というナイーブな議論が間違っていると思う点は、多々あるけれど、ひとつはこの内在性の問題だ。単独的な出来事の痕跡をフィルム上に認めて涙する、というとき実際に起きているのは、その単独的な痕跡を認めた(と信じる)この単独的な「私」の身体に対するナルシスティックな耽溺でしかない。

 カメラはしばしば、出来事の内在性を破壊する。カメラが置かれることで、出来事の参加者は出来事の外部に連れ出され、カメラを携えた観察者もまた、出来事の内在的な展開からその外部へ、現像と提示の瞬間へとあらかじめ連れ出されてしまう。

写真の問題はむしろ、出来事の内在性を破壊しないような仕方でカメラを置くこと、あるいは、カメラによる出来事の内在性の破壊それ自体を撮ることにある。そこに撮影者の技量は明確に現れる(他国の撮影、出産の撮影、葬式の撮影を考えよ。「撮影者」はいかなる場合においても「他所者」として現れる)。写真=痕跡論はその技量の差異を扱うことができない。そうである以上、理論の名に値しない。

内在的身体を獲得した写真家を讃えよ。/内在性を破壊し尽くす写真家の身体に刮目せよ。

誰にでも獲得しうる身体ではないから。カメラを持っているだけで、「写真家」として仕事しているだけでそうなるわけではない。

一切の写真は痕跡であり、そうである以上すばらしく、涙を流すべき何かである、というような思考は、愚かしい。

http://hirakura.exblog.jp/8156236/(注意:もうこのlink先は存在しません)


写真評論家も痕跡という言葉を使えなくなると、文章が書きにくくなるんじゃないかな。

2010-02-20 EA VASCO

invisible man/magazine

invisible man/magazine 1

invisible man/magazine 1

を買った。本屋で、前から気になっていたのだが、透明な袋に入れられ封印されていて、中身がよく分からないので買わなかったのだが、思いっ切って買ってみた。
 HELSINKI SCHOOLの4人の作家のインタービューが紹介されているが、そのなかで Ea Vasco という作家が気になった。

 ホームページhttp://www.eavasko.com/です。(このページは私のネットブックでは画像が全部表示することができず、見づらいのですが、矢印キーを押せば画像は切り替わるようです。)このページに以下に取り上げられている作品を見ることができます。

 インタービュアーは竹内万里子さん。以下 T:竹内万里子 EV:EA VASKO




T 『Translucents』に始まる現在までの作品の中で、あなたの作品には一環して「焦点があわないこと」という要素が見られます。これがとても興味深く、また重要なことであると私は思います。これについてはどうお考えですか。

EV 私は自分の作品の中に「空間の感覚」をつくりあげたいのです。この意味では、「焦点があわないこと」というのは重要なことなのです。

T 「空間」というのは私の言葉では「幻影」のようなものだと思うのですが。

EV はい、それは「知覚」と深くかかわりがあって、私が最も興味あるものです。そのために私は自分の作品を抽象的にしていて、鑑賞者にとっては自分が「見ているもの」はあまりはっきりとはしていません。私は彼らに「自分の今みているものはなんなのだろう」と自分自身に問いかけてほしいのです。

T なぜ写真でなくてはいけないのでしょうか?

EV 私の作品が現実の世界となんらかの接点を保って欲しいのです。人々は未だ写真をドキュメンタリーとして読み解こうとするので、私は彼らのその修正を混乱させたいのです。

中略

T 『Defining Darkness』という作品は、「決定的瞬間」という言葉のような意味での“Defining”,
そして「暗闇を定義すること(To Define)」という意味をもう少し教えて下さい。

EV 暗い部屋にいて眠れずに眼を開けていると、辺りはとても暗いけれど何かが見えていて、それは何かは分からないけど、私はそれを想像している。そんな体験から、私は暗闇についての研究、定義がしたいのです。

T あなたの行動はある意味では矛盾しているともいえます。写真を撮りはするけれども、人々にはそれが特に何についてのものなのか分かってほしくない。あなたは観客にどういう方向へ向かってほしいと思っていますか。

EV 基本的に、私は鑑賞者をどこかへ導くような何らかの意味を写真に持たせてはいないです。私は写真を抽象的にして、鑑賞者に何かを理解できないときの経験を体感してほしいだけなのです。

T つまり、鑑賞者に自分が何かを認識しない、認識できないことに気づいてほしいだけなのです。

EV その通りです。これは「何かがみえないときについてのもの」なんです。暗闇にいるときは全てが漠然としていて、物が見えないから自分自身をコントロールできない。これが全ての背後にあるアイデアです。


何が起こってるの?

 あまりまじめに更新していないflickrhttp://www.flickr.com/photos/heliograph/)、それでも、時々どれだけの人が見ているのか、View countsを見ているのだが、びっくりしたことに、昨日のView Countsが873もありました。でも一日限りで、今日はまだ12しかCountされてません。
 一体誰が見ていたのでしょう?Views Countsのグラフがこんな感じです。
f:id:heliograph:20100221004721j:image:W400

2010-02-19 時のなか

PGI伊藤義彦「時のなか」

http://www.pgi.ac/content/view/260/40/lang,ja/
より

「時のなか」は「パトローネ」シリーズの4作目となりますが、主に定点観察の方法で撮影し、日本古来の絵巻の特徴である時空間表現を参考にしながら、複数のプリントを裂き、貼り合わせて、再構成するモザイクの手法で制作しています。伊藤義彦は約10年、この手法で作品を制作しており、これらの作品は、従来のコラージュ手法とは異なる、作者独自の写真表現です。

作者は、池の中で泳ぐ鯉や動物園の檻の中でじっと動かないハシビロコウ(注*)、芝生の上を駆け回る子供といった被写体にカメラを向け、プリントを制作する過程で作者自身の時間を再構築します。

「過ぎ去ったこれまでの長い時間、これから来るであろう未来の長い時間、そして、現在の『あっ』と言う瞬間。私は、この『瞬間』に何とも不思議な思いを抱いている。」と語る伊藤は、独自の手法によってその「瞬間」をつなぎ、「連続した時間」という概念を可視のものにしていきます。

「時間と空間の切れ目の無い世界のなかで、様々なものを観察しながら過ごしている。変わってゆくものと変わらないもの。変わりつつあるけれど気がつかないこと。このようなことを思っていると、空想が頭の中で増殖する。誕生してから見続けてきたであろう網膜の記録やすでに忘れ去った夢の記憶など、これらを巻き戻し、順を追って並べてみたいなどと思ったりするのである。」と言う伊藤義彦の作品は、常に「時間」を意識し、また「時間」そのものを創作していると言えるでしょう。


(展覧会のホームページでもパンフレットでも「時の中」、「時のなか」が両方使われています。)

 前に、Twitterの大村益三さんの

「写真技術の登場によって、絵画は立体透視図法の世界から『リストラ』された」という言い方をしてみたらどうだろう。

というつぶやきを紹介したが、「写真技術」を用いながらも、「立体透視図法の世界」を飛び出す(自主退社?)人もいる。
 オサム・ジェイムス・中川さんはデジタルでステッチングにより「立体透視図法の世界」の世界から飛び出したのだが、伊藤義彦さんは焼いたプリントをちぎり、糊で水彩紙の上に貼りつけて作品を作っている。透視図法の世界はもちろん時間の流れにも逆らっているようだ。

 

既視感

明和電機(MaywaDenki)さんのTwitterより

むかし、写真家は「紙」を売る仕事だったが、今は「既視感」を売る仕事になった。
http://twitter.com/MaywaDenki/status/9281921246


坂口トモユキ(tsakajp)さんのTwitterより

アジェはエッフェル塔を撮ってないという話を思い出した。
http://twitter.com/tsakajp/status/9278445010

2010-02-18 写真集作りの練習

bccksで写真集作りのシュミレーション

bccksというサイトがあります。
BCCKSって何?
http://bccks.jp/info/about/より

BCCKSは、
1:「本のようなもの」をweb上に作ることができるサービスであります。
写真集のようなもの、雑誌のようなもの、マンガのようなもの、慣れ親しんだ「本のようなもの」を作ることができます。

またBCCKSは、
2:「ノートのようなもの」でもあります。
日々気づいたことを書きつづる日記のように使うことはもちろん、BBSブックというみんなで書き寄せて遊べるものもあります。


そんなわけで、今日、ちょっと時間ができたので,自分のflickrにためてある写真を使って、編集してみました。途中で操作が分からなくなったりしましたが、どうにか出来ました。
 見てください。
http://bccks.jp/viewer/31904/
です。
 このサイトではBLOGパーツとして、この本のページをめくりながら見てるような、スライドショウを提供しています。HATENAでは表示できないので、livedoorBlogサイトをつくり載せてみました。こちらも見て下さい。
 http://blog.livedoor.jp/heliograph1950/archives/2673363.html
です。

小林正昭さん

 内原恭彦(yuchihara)さんもTwitterで、昨日、私も、紹介した小林さんの写真(http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20100217/1266419840)について、つぶやいてました。

50000ピクセル×50000ピクセル

http://twitter.com/yuchihara/status/9251092245

4×5をデータ換算で3200万画素だと仮定すると、1m×1mのデータ量は、3200万画素×80で、25億5000万画素となる

http://twitter.com/yuchihara/status/9251050096

1m×1mのフィルムで撮影された原爆ドーム http://blog.livedoor.jp/motoyukikubo/archives/51631503.html

http://twitter.com/yuchihara/status/9250899168

 何枚もの写真をステッチングして、巨大な写真を作っている内原さんならではの感想だと思いました。

2010-02-17 1mx1m特製カメラ

1mx1mのフィルム

uenoosamu(多分、上野修(写真評論家))さんのtwitter

久保元幸印画研究室:★ 写真家・小林正昭の全貌  その3       「広島原爆ドームの内側の壁 : 1mx1m特製カメラでの記録」 http://blog.livedoor.jp/motoyukikubo/archives/51631503.html

http://twitter.com/uenosamu/status/8670682527

という、つぶやきをみて、小林正昭さんを知った。久保元幸印画研究室(Blog http://blog.livedoor.jp/motoyukikubo/ )では、4回に渡って小林正昭さんを紹介しています。下のlinkから見て下さい。また、Blogの各々の記事に、小林さんの写真を掲載したflickrのページへのlinkがありますので、それを見てください。

小林さんて、どんな経歴の人なのか、Googleで調べました。

松谷椿土さんのBloghttp://helloharuo.exblog.jp/m2007-01-01/より

元ライトパブリシティーで活躍したカメラマンだ。アエラの表紙を撮っている坂田栄一郎氏と同期だ。一つ上の先輩には、篠山紀信氏がいる。1mx1mのフィルムで撮れるカメラを自作し広島原爆ドームを撮影した人物。


このBlogを小林さんの人柄がよくわかると思います。

是非、本物のプリントを見てみたいと思いました。

買ってしまった

 銀座にお昼過ぎに着く、結構たくさんの人が来ていた。もっぱら大判のレンズを見て回る。
前から探していた。Nikkor 120mm f8sが3つの店に出品されているのが分かった。そのうちで、一番安いのを買った。このレンズは絞ると8x10もカバーするレンズ、このレンズ専用の超広角8x10カメラを作っている人もいる。こうして、8x10にまで手を出してしまうのだろうか? とにかく、4x5の広角レンズとして使うつもりです。ただ、レンズとしてあまりシャープではないなどとの評判もネットでは書かれています。どうなのでしょうか?

リストラされた絵画

大村益三(omuraji)さんのtwitterより

「写真技術の登場によって、絵画は立体透視図法の世界から『リストラ』された」という言い方をしてみたらどうだろう。

http://twitter.com/omuraji/status/9185210670

2010-02-16 twitterの力

twitterの使い方

 さて、昨日の「スナップ写真」の記事をについて、こんな形でTwitterにアップした。

2月13日朝日新聞、文化特捜隊「勝手に写真撮っちゃダメ?」の記事を紹介するblog書きました。http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20100215/1266253633

http://twitter.com/heliograph1950/status/9147908804

この記事は、edtion1(版一欠)さんによってRT(リツイート)されたり、個人的に返事をいただいたりしました。確かに、アクセス解析を見ると、今日はTwitterからのアクセスが多く、Twitterが今多くの人に使われていることや、Twitterによってどう情報が伝わっていくかが分かったような気がしました。
 フォローする人も増え、echofonインストールした、firefoxは書き込みがあったことを次々と知らせています。私よりたくさんの人をフォローしている人は一体どうやってこの情報を処理しているのかと考えてしまいます。

中古カメラ

 明日は、銀座でカメラの中古市が始まる。
 去年は自分のカメラを修理しなければならないので、行くのを我慢したのだが、今年は行こうと思っている。さて、どんなものを見つけてしまうのか?

 http://www.matsuya.com/ginza/topics/100223e_camera/index.html

 富士フイルムが協賛でこんなサービスをしてます。

  • 10,000円以上の35mmフィルムカメラをお買い上げのお客様にカメラ1台につきネガカラーフィルムと無料現像プリント券をプレゼントいたします。
  • 女性限定特別サービス=ブローニーフィルム使用カメラをお買い上げの女性のお客様に120ネガカラーフィルム1本と無料現像プリント券をプレゼントいたします。

 フィルム会社も必死ですね。でも、おじさんよりも、女性に期待してるんですかね。

2010-02-15 スナップは盗撮じゃない

スナップ写真

chimeofshigan(Chime of Shigan)のTwitterより

スナップ写真のすそ野がしぼんでいる。特にこの数年、子どもの撮影許可を得るのが絶望的という。「まあいいだろうという許容度が、日本社会からだんだん失われているのも理由では(飯沢耕太郎)」文化特捜隊, 朝日新聞より


http://twitter.com/chimeofshigan/status/9044481588

2010年2月13日(土)の朝日新聞、文化特捜隊(隊員 西田検索)
がこのTwitterが紹介している記事だ。

勝手に他人撮っちゃダメ?
という見出しで始まるこの記事は、まず、

スナップ写真のルールとマナー (朝日新書 063)

スナップ写真のルールとマナー (朝日新書 063)

を紹介し、この本の執筆者者の一人松本徳彦さんの、肖像権

  1. みだりに肖像を撮影されたりしない
  2. 肖像の利用についての財産権

が認められている。そして、

「どこまでが『みだり』かについて、定まった解釈はありません。群集の一人一人に許諾してもらう必要はありませんが、特定の個人を大写しする場合には了解を取った方がいいでしょう」

という意見を紹介している。
だが、それではスナップ写真の「生命」は自然な表情やしぐさが失われてしまう。東京都写真美術館金子隆一さんの

写真表現としてのスナップは(…)「近代の写真表現の王道」、「スナップとは、揺れ動く現実に自分自身をシンクロさせながらシャッターを切ること。機械の眼を人間の眼に延長として使うことです」
だから、写真の専門学校はスナップを通して写真の基礎を教えていた。だが、近年写真学校でスナップを撮らせる機会が減っていて、
「文句が来れば、学校が責任を問われる。スナップのすそ野は急速にしぼんでいます」

の談話のあと、こんな現状に、写真家からの問題提起が出始めたとして、

撮る自由―肖像権の霧を晴らす

撮る自由―肖像権の霧を晴らす

を執筆した日本写真家ユニオンの元代表理事丹野章さんの

「見ているものは撮ってもいい」
「お互いの顔を見せ合うのが社会生活の根本。人間ほど魅力的な対象はないのに、自主規制すべきではない。もちろん公表する場合には、慎重な判断が必要ですが」


という主張を紹介している。そして、この10年、特に子供のスナップ写真の撮りにくさについて、

「10年ほど前までは、『おっちゃん、何してるん』と子供の方が寄ってきた。今は撮影すると子供の方が寄ってきた。今は撮影すると学校に通報される。そんな時代で子供は幸せなのかと問いたかった」

という写真家妹尾豊孝さんの訴えもあるが、この10年間はデジタルカメラと携帯写真の急速な普及の時期と重なっている。誰にも気軽に写真を撮るようになり、撮られる側が警戒すうのはやむを得ないともいえるが、

「写真集のスナップはその時代の空気感をも写し取る。50年後に振り返ろうとしても、この10年の記録がすっぽり抜けてしまうことになる」「まあいいだろうという許容度が、日本の社会からだんだん失われているのも理由では」

という飯沢耕太郎さんの意見の後、

日本社会がどんどん息苦しくなっている。スナップが撮りにくくなったことが、その表れの一つだとしたら、写真家だけの問題ではない。

と記事を締めくくっている。

 私も、街の中で「スナップ写真」を撮っていて、あっ「盗撮」だと言われたことや、写真を見た知人に「盗撮」ですかなどといわれて、誤解を受けるような写真を撮るのはやめようと決心したのだが、街のなかで、スナップを撮りながら歩くあの緊張感が好きで、つい撮ってしまうのですが、そんなこともできないような社会になってしまうのでしょうか、心配です。

2010-02-13

銀座へ

まず、Nikon Salonに須田一政「常景」展を見る。
 写真を見る前に、会場に入り口付近に掲示された、次の文章が気に入り、まず書き写した。なんとNikon Salonのホームページの<写真展内容>に載せてありました。http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/exhibition/2010/02_ginza.htm#01より、(良く見たら微妙に違いました。)

 人の脳は見るものを無意識に取捨選択しているという。カメラを持って歩くということは、通常は捨てられているだろう光景を拾い集めようとすることだと思う。
 その拾い集めた断片に、幼年の頃を思い起こさせる風景もあれば、偶然が織りなす奇異な瞬間もある。面白いのは、どう考えても理由付けのできない、たとえばタイルの目地のごときモノが記憶に焼きついたりすることも少なくないという事実である。
 たぶんこれは視覚のみならず、五感すべてにおいて言えることだろう。そしてそのセンサーは、人によって微妙に異なった働きをしているに違いない。その意味では、日常とは万人が共有しているようで、実は個々に断絶した世界を言うのかもしれない。
 「常景」は、日常の光景という意味の造語である。一つの視線を一つの作品とすることで、変哲のない存在の深さを考察してみたいと思う。
 須田一政

 普段は、レンズを交換しないでカメラについているレンズだけで撮影するのだが、今回は一眼レフで交換レンズを用いて撮影したそうです。自分も同じようなものを目で拾っているとは思うのだが、あそこまで接近できない、状況を説明するのではないのだから、もっと接近しなくてはと反省。とにかく、素晴らしい写真展でした。
次に、Gardian Garden 永沼敦子「目くばせ」展へ

2009年2月に鹿児島に移って作品を制作しているそうで、BUGTRAINとは違い、人工的なものより森、川、空など自然界のものを写している。
ガーディアン・ガーデンのインタビュー(http://rcc.recruit.co.jp/interview/interview_43.html)から引用


電車から外の世界へ
福島県の五色沼に遊びに行った時に、どこか違う世界につながるような神秘的な力を強く感じました。丁度そろそろ電車の撮影はやめて、次に行きたいって思っていた時で、この経験がそのきっかけになりました。
それからは、急にいろんな山に登り始めて、撮影を繰り返しました。山では登山客を撮ったり、景色を撮ったり、昔の人が描いた壁画の現代版みたいなイメージで、記録し撮影したんです。
この作品を、2008年ニコンサロンで発表。電車以外の作品を発表するのは怖くて、これがもう最後かなって思って。でもたくさんの方がおもしろがってくれたので、『ひとつぼ展』に出した時のように、まだ続けていいんだってほっとしました。
今回の展覧会について
それがきっかけで、2009年に活動の拠点を地元鹿児島に移しました。今は南に強く惹かれています。場所が持つ力ってある気がして。撮影場所は宮崎や鹿児島です。植物とか森に神聖なものを感じて、それらが発する音や光に反応して、シャッターを切っています。向こうからこっちを向くように目くばせされている気がするんです。自然と一体になりたいっていう意識があるからかもしれません。
アングルはあまり意識していませんが、シャッターを切る瞬間に光とその場の空気を読んで、出来上がりの絵柄を組み立てます。そういうふうにちゃんと想像して撮っているけど、美しい構図ではなくて、どこかでずらしている。美しく表現したいと思ったら多分絵を描いていると思います。写真だからできることを考えたいんです。
この作品では、決して自然賛歌を謳うつもりはなくて、自然に人間が生かされているということを「感じる」力が、もともと私たちにはあるということを感じてほしいと思っています。


森に入ろうとして、結局は街で写真を撮ってしまう私は中途半端ですね。

土偶展の照明

taktwiさんのtwitterより

土偶展照明が効いてます。この動画でチェック!「国宝土偶展の裏側〜展示デザイン〜」http://bit.ly/c20eNc

http://twitter.com/taktwi/status/9010017389

確かに、照明はよく考えられているなと思ってみていました。後ろにも回れるようにしているのも面白い展示の仕方だと思いました。ここに直接リンクを張っておきます。
D

2010-02-12 よくわからない?

コニカミノルタプラザ

新宿コニカミノルタプラザへ、

  • 安田菜津紀写真展『「緑の壁」HIVと共に生きる』

 http://konicaminolta.jp/plaza/schedule/2010february/gallery_a_100202.html

  • 睫效蘆匱命薪検Post election conflict 混乱の爪痕」

 http://konicaminolta.jp/plaza/schedule/2010february/gallery_b_100202.html

  • ロランド ダル ペッツオ&種村ちえ子写真展「二人展 Reflet 真珠の輝き」

 http://konicaminolta.jp/plaza/schedule/2010february/gallery_c_100202.html

 どういうわけか、写真に一枚ずつ、説明がついている展示ばかりであった。確かに、写真に説明ついてないと、状況がわkらない写真があることもわかるが。言葉ばかりにたより過ぎている写真もどうなのだろうかと考えながら見た。
私の撮っている、どうでもいい写真とは違うのだろう。


 
 

Google Buzz

Gmailを開くとGoogle Buzzが使えるようになっていた。Twitterとどう違うの?flickrとかYouTubeの投稿を簡単にのせられるようだが、よく使い方が分からない?
 
 とにかく、flickrYouTubeTwitter を接続済みサイトにしたがよく分からない。

 Twitterは自分ではあまり、つぶやいてはいませんが、情報を得るという面では、結構約にたつし、面白さがわかってきたところです。Buzzはどうなるのでしょう。とにかく、様子を見てみます。

2010-02-11 歩きながら考える

東京国立近代美術館「ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える:そして歴史は動き始めた……」


 14時半過ぎに、美術館に着く。<プロジェクションのための9つのドローイング>は、音声案内のヘッドホンで音楽を聴くようになっている。ヘッドホンが全部貸し出されているため、美術館では先に他の展示を見て戻って来るように勧めていた。先に見て戻ってきたときにヘッドホンがすぐ借りられるとは限らないのに無責任だ。だいたい、展覧会の構成を考えるとき、見せる順序を考えて展示しているわけで、飛ばしてみるかどうかは、各自の判断ですべきで、他を回っているうちにそのまま出てしまうように仕向けているような感じがした。良い展覧どうが会なのに残念。
 
 結局、<プロジェクションのための9つのドローイング>を見終わって時点で、16時半を過ぎていて、残りは駆け足でということになってしまった。こういう映像系の展示がある展覧会で、閉館30分前まで、入場させているというのも、絵画のときの慣習に従っているだけのような気がする。映像をみせる方法も美術館でも考える必要があるのではないかと思った。

 <プロジェクションのための9つのドローイング>は、木炭で描画し、カメラで写し、またそれを一部消して、動きがでるように描き足し、また、カメラで撮るといった単調な作業を繰り返しで作ったアニメーションである。ですから、20枚ぐらいの紙しか使わないで作品をつくるそうで、完全に木炭が消えていないので、それが残像のように画面に現れる。それがなんともいえない効果を上げている。。

 カタログ 展覧会を紹介する―待ちながらウィリアム・ケントリッジを考える 河本信治 より一部引用

 見えることと視ること

 ケントリッジの作品に通底する大きなテーマの一つは、近代の視覚の構造の考察である。この考察において、映画の歴史とその技術史は重要である。興味深いことは、彼が映画の原点を2種類の異なる技術的・概念的な源泉から語ろうとしていることであろう。一般的に私たちは、カメラ・オブスクーラから写真術へ、そして写真静止画像の連続投影と眼の残像効果による映画(ムービング・イメージ)へと至るシンプルで明快な物語を映画の歴史/技術史として了解している。しかし、ケントリッジは、たぶん、影絵や、ガラス板に描いた手描画を投影するマジック・ランタン(幻灯)などから映画に至るもう一つの映画の技術史について、そしてそれが奇術大道芸のようなパフォーマンスと密接な関係にあることを語ろうとしているのだろう。光を記憶する写真術から展開された映画は必然的に「実写記録(ドキュメント)」を本質とするが、描かれた影を投影(プロジェクション)することから展開されたもう一つの映画技術史はフィクションを本質とする、と言えるかもしれない。
 そしてケントリッジは、制作過程でのカメラとドローイング間を往復する膨大な歩行、歩行という身体運動の重要さを何度も強調している。映画のフレーム毎の区切り(空白)、その空白が残像効果を生み静止画の連続を動画に換え、物語を生成する上で重要な役割を担っているように、ケントリッジのアニメーション映像の制作(彼の映像作品は事前の脚本やストーリー・ボード無しに制作させる)にとって歩行は、次のシークエンスを招き寄せる(構想する)欠かせない思考過程であり、フレーム間の区切り(空白)は、その瞬間の彼の思考の記録にもなる。別の言い方をすれば、ケントリッジのアニメーション映像は、フレーム間の区切りの中に記録された彼の一時的で暫定的な思考の記録、その連鎖なのだ。

 私たちが静止的な世界に住んでいるのか、それとも変化する世界に住んでいるのかを理解することが重要である。世界を事実の集積として理解することもできるし、すべての事実は何かに変化するまさに瞬間にあると理解することもできる。「……」アニメーションは世界を事実として理解するプロセスではなく、25コマ/秒として理解するプロセスなのだ。アニメーションのあらゆる段階において、その本質は、暫定的で何も固定しない、ということなのだ。(ウィリアム・ケントリッジ 2007*1


 ケントリッジの動画はYouTubeでも紹介されているが、この <プロジェクションのための9つのドローイング>は見ることはできないようだ。
 http://www.youtube.com/user/MoMAKJapanで他のアニメーションを見てください。

2010-02-10

NEW OVERPAINTED PHOTOGRAPHS

初台のWAKO WORKS OF ARTS へGerhard Richter「New Overpainted Photographs」展を見に行く。
展覧会のホームページ http://www.wako-art.jp/exhibitions/data/2010/new_overpainted_photographs/
どんな、OVERPAINTED PHOTOGRAPHSって作品か説明しにくいので、http://tokyo75.exblog.jp/11539532/より引用しますと。

通称「オイル・オン・フォト」と呼ばれるこのシリーズ。10×15cmという普通サイズのリヒター本人が撮影した写真(一部大きい作品もある)に、油彩でペイントを加えたもの。小さくても彼のエッセンスがすべてつまっており、基本的に作品すべてが世界で1つのユニーク・ピースであるところが魅力。
キャンバスともいうべき下地の写真のイメージに abstract の油彩が加わることで生み出されるこの小さな独特の世界観。

 カラー写真上に絵の具を何色か混ぜ合わせて載せてある。写真の像を絵の具が完全に覆ってないので、具象と抽象が拮抗しているような不思議な作品は見ているものを不思議な緊張感を感じさせる。

 会場で買った本、『ゲルハルト・リヒター ≪アトラス≫』(発行 ワコー・ワークス・オブ・アーツ)から、引用しておきます。

ベンジャミン・ブグローによるインタヴュー|2004年
君のアブストラクト・ペインティングははっきり写真的だったことはない。もっとも、最近ではカラフルなアブストラクト・ペインティングですら、とても奇妙な関係を写真ととり結んでいることがある程度明らかになってきてはいるが。その根本においてアブスクラクト・ペインティングは、他のすべての作品と同様、写真に媒介されている。アブストラクト・ペインティングは、化学的とはいえないが物理的で技術的な側面をもち、絵画的な表現やアクションや、純粋な色彩に捧げられる抽象芸術の、正反対の位置にあるのだ。
そうだね。抽象的な絵の具の塗りたくりがリアリスティックな写真と合致しうる、ということもそれと関連しているだろう。イメージを創造するための二つのイリュージョニスティックな方法が同時に用いられているんだ。
化学的方法と視覚的な方法?
撮影された現実と、現実の絵の具のシュプールだよ。
それはロラン・バルトが写真についていったことだね。写真には液体状の化学的な側面がある、と。つまり現像するための
溶剤だ。そして視覚的、アイコン的な側面がある。光とカメラの光学がイメージを生み出すのだ。
僕がオイル・オン・フォトに大きな興味をいだきつづける理由が、それで少しははっきりするかもしれないね。でも僕の興味はむしろ視覚的側面にある。純粋な視像の産出だ。

森林の思考

ac_katsura(Eishi Katsura)さんのtwitterより、

森林にコンセプトとか動機ってないし。

http://twitter.com/ac_katsura/status/8858552448

コンセプトとか動機とかって近代都市の思考。古い。森林の思考だよな、もはや。

http://twitter.com/ac_katsura/status/8858550436

もうコンセプトとか動機とかどうでもいい時代になったね、確実に。僕は受け入れる準備完了。

http://twitter.com/ac_katsura/status/8858458601

2010-02-09 宇宙から見た地球

宇宙から見た地球

 今、スペース・シャトルで地球を回っている。野口聡一さんは、Twitter(Twitpic)で、スペース・シャトルから撮った写真等を投稿しています。
 http://twitter.com/Astro_Soichi/status/8848525398から

http://twitpic.com/1277s3 - Bahrain. Feel like fishin

 このhttp://twitpic.com/1277s3のlink先を見てください。これは、バーレーンの海岸の風景ですけれども、面白い埋立地ができてますね。
そこで、Google Mapでも探してみました。これを拡大してみると埋立地の建物が見えます。

大きな地図で見るft">大きな地図で見る

 そういえば、ドバイにもこんな埋立地があるというので、探すと、ありました。この付近にもう一ヶ所こんな埋立地がありますよ。


大きな地図で見る

宇宙から見た地球2 

 野口さんの使っているカメラが分かりました。
 kenkenT(タカザワケンジ)のTwitter(http://twitter.com/kenkenT/status/8849042962)より

 すげえ! 完全に真上から……。ぶっとぶなあ。野口さん、カメラはニコンのD2Xsをお使いの模様。オリジナルはどれくらい解像してんのかな。@Astro_Soichi http://twitpic.com/1277s4 - Bucharest, Romania

http://twitpic.com/1277s4 の写真も綺麗ですね。


 

2010-02-08 「たのしい写真」?

ホンマタカシ「たのしい写真」

まえに買った

たのしい写真―よい子のための写真教室

たのしい写真―よい子のための写真教室

について、書こうと思っているが、うまく書けない。
この本の評判はすごくいい、(アマゾンのレヴューでは5ツ星)写真史を語るときに、「決定的瞬間」「ニューカラー」「ポストモダン」の3つ山に分ける。
決定的瞬間「小型カメラ」「主観的」「モノクロ」
ニューカラー「大型カメラ」「客観的」「カラー」
とまず、明快に特徴を挙げる
ポストモダンについても

  1. ストレートからセットアップへ
  2. 大きな物語から小さな物語に
  3. 美術への接近あるいは美術からの接近
  4. あらゆる境界線の曖昧さ

って具合で明快だ。
だけど、こんな簡単に世の中はすまないのでは? 
 カルチェ=ブレッソンのすぐ後のウィリアム・クラインロバート・フランクの仕事のほうが遥かにその後の写真界に与えた影響が強いのではとか?疑問がすぐ出てきますが、著者自身が

 こと撮影の作法という点ではカルチェ=ブレッソンの確立した「決定的瞬間」が頂点でした。誤解と批判を承知のうえで、ひとまずそう言い切ってしまいます。

 と書いてますから、文句を言ってはいけないですかね。
 「ニューカラー」の代表者としてエグルストンを挙げているのでうすが、エグルストンは実は小型カメラ(ライカ)を使ってにといい、エグルストンの写真はそれでも、「決定的瞬間としてでなく、ニューカラー的視点で撮影したものです。」などと説明しています。
 ここでそう思ったら、ニューカラー的視点きちんと大型カメラを持ち出さずに説明してから、本を書き直してほしかったと思います。「ニューカラー」って言葉のもとになった本

The New Color Photography

The New Color Photography

には、色々なタイプの写真家がそこでは紹介されている。使っているカメラも撮っている写真もいろいろで、そう話は簡単ではないのでは、そんな疑問がわいてきて、エグルストンやニューカラーについて色々調べ始めています。

2010年2月9日 追加 P.32に自分自身で、

決して一言で言い表される動きではありません。しかしながら、そうした「小差」を超えて「決定的瞬間」の対極に「ニュー・トポグラフィクス」と「ニューカラー」がぼくの写真をめぐる歴史認識です。

書いてありました。ホンマタカシは頭がいい、私みたいな批判に対する防御も出来ていました。恥ずかしいです。



 アマゾンのレビューを読んで思ったんすが、これで写真が撮れると思わせてしまうところがすごいの本なのかもしれない。物事は複雑に考えないで、うまく割り切って、説明してしまった方が分かりやすいてことなんですね。

SOUR 半月

この間紹介した、SOUR '日々の音色 (Hibi no neiro)'も面白いけど、
D
もいいですね。

 フィルムが無くなる? その後

「販売終了製品のご案内」が富士フィルムより発表されていました。
http://fujifilm.jp/information/articlead_0029.html

2010-02-07 山羊の肺

平敷兼七追悼

注文した、写真雑誌LP#9
http://photolp.cart.fc2.com/ca1/13/p-r-s/
 が届いた。平敷兼七(へしき けんしち)追悼 ということで沢山の人の追悼文を寄せている。後輩の面倒見の良い人で、多くの人に慕われていたことが分かります。写真家石川直樹も追悼文を寄せて、その中で次のようなことを書いている。

 「石川さんは世界を見て歩いているけど、おれは井の中の蛙。沖縄だけ。でも、井の中の蛙一天をみつめるっていうでしょ。突き抜けると宇宙にも達するんだ」。
 平敷はどもりながら話すので、記憶の中の会話は正確ではない。しかし、彼は自宅に近い「rat & sheep」という行きつけの店で酔っぱらうと、よくそんな話をしてくれた。平敷の言葉を聞いていると、ぼくはなんだか恥ずかしくなって、自分の来し方について思い返すのだった。

 2008年 5/14 (水)〜5/27 (火)NIKON SALONで開かれた平敷 兼七展[山羊の肺 沖縄1968−2005年]を見に行き、会場を出るとき、髭を生やし男と入れ違いになった、その男が平敷兼七だった。この「雑誌LP#9」に載っている写真をみてハッキリ思い出した。ちょっとタイミングがずれれば、何か話を交わしたかもしれない。
 平敷兼七さんは「山羊の肺」で2008年度の伊奈信夫賞を受賞した。受賞理由には次のように書かれている。(http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/awards/ina/winners/33.htmより)

平敷兼七氏の「山羊の肺」は、1968年から2005年までの、彼の長い仕事の総集編といった趣だった。そこに見える沖縄は、多くが「もう消えてしまった」という強い郷愁を与えてくるものであるが、同時に、平敷兼七氏というすぐれた撮影者の視線は、まるで一本の丈夫な糸のようにしてそれぞれの写真を縫い上げており、その先端にあるだろう針は、沖縄の現在に、そして私たちの心に、ぷすりと刺さるのだった。
40年もの時間を計画的に、この日のために捧げてきた訳ではないだろう。毎日を生きたから、写真を続けたから、結果的にこうなっている。だが「山羊の肺」は、決して「結果」には見えず、むしろ「いま」として体験される。これは特別なことだ。彼の写真実践の根底に、科学的な観察心や芸術的な世界把握の方法が豊かに存在していることの証である。他の応募作より際だっていたこの点が、今回の受賞の大きな理由となった。美味しい古酒はやはり、心を込めて造られた泡盛からしか生まれないのだと教えられた。

 そういえば、会場で売っていた写真集「山羊の肺」を迷って買わなかった。アマゾンで早速注文することにした。

山羊の肺 沖縄 一九六八‐二〇〇五年―平敷兼七写真集

山羊の肺 沖縄 一九六八‐二〇〇五年―平敷兼七写真集

 また、「LP#9」では、平敷兼七さんが、開発により那覇新都心になる前に撮った写真「銘刈古墓群」(1991年撮影)を載せている。アメリカ軍が接収していたために銘刈古墓群等の遺跡が残っていたたところが、返還された後、開発されてしまったのだ。
 2008年9月7日放送の番組「うしなわれしものたち1968〜2005・沖縄」(RBC琉球放送)で、平敷さんの撮った「銘刈古墓群」紹介され、その番組の中で平敷兼七さんは次のような言葉を残しているそうだ。

「普通は人は死んだら無になるって言うんだけど、やっぱり人は死んでも何かを教えているようなね、感じがするわけですね。それを生きているこっち側が感じとらなけりゃあもう、それまでですよね。」

平敷兼七さんのブログhttp://hesiki.ti-da.net/です。

大船

 北鎌倉から、山に入り撮影するつもりが、電車に乗ったのだが、まずは腹ごしらえと大船まで乗り過ごす。駅に接続しているルミネの2Fの通路から見る、不動産屋の看板、雑居ビル等が面白く写真を撮りだしてしまう。
 そこで、12枚撮り、それから大船の裏通りにある、雑居ビルを撮る。(4枚)
 撮影中、老人が近づき、色々話しかけられる。写真館で5年位働いたことがあるそうで、レンズが何を使っているかとか、現像をどおしているか質問攻めにあう。それから、撮影所のあったころの大船の話等を聞かされる。4x5を担いで街にでると、老人に色々話しかけられることがある。木製の暗箱を見て懐かしいと思う世代は何歳くらいからなのだろうか?
 FUFJI ACROS 4x5 16枚 Wide Field Ektar 100mm f6.3, Super Angulon 65mm f8

報道写真のマグナムが過去と決別、キャパ作品など20世紀の歴史的写真を売却

マグナムが別の形で生き残ろうとしているようです。
とにかく、売却された過去の写真は別の会社がデジタル化して公開するようです。詳しくは
AFPBBNEWS(http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2691376/5281443
で見てください。

2010-02-06 便器と美術

便器と美術

omuraji(大村益三)さんのtwitterより

「便器」を「美術館」に持ってくれば「美術」になってしまうという事が明らかになったと見る史家は多い。しかし「美術」は「便器」と何ら変りない事が明らかになったと見る史家は殆どいない。

http://twitter.com/omuraji/status/8697285813

デュシャンの「泉」を現代美術の「始まり」と見る史家は多い。しかし「美術」の終わりと見る史家は殆どいない。

http://twitter.com/omuraji/status/8697277066

秋谷から子安へ

 午後、立石に行き、4x5を担いで、前田川の遊歩道に向かう。ところが木道の改修工事中で、川には降りられない。急遽予定を変更して、秋谷から山を超え、子安へ行くことにした。
 山道の途中、谷側を通る時、上から森を写そうとしたが、道の脇のアオキやササが邪魔をして下が見通せない。かろうじて、やっと、下が見える所を一ヶ所見つけ撮影する。
 山道を抜け、日暮れの子安の里を歩いていると、老人に「すごいカメラですね。今頃、立石に行けば、たくさんカメラ持った人がいますよ。」と言われる。そう、さっき山道を抜けたとき、綺麗に富士山が見えていた。立石は夕日と富士山が写せるこの辺の有名な撮影スポットだ。確かに、今日はたくさんの人が一斉にシャッターを押しているのだろう。日暮れのかすかな光の入る森を撮ろうとしているのだが、そんなこと説明しても分かってもらえなさそうなので、「上でも、富士山が見えましたよ。」とか言って適当に話を合わせた。結局、今日は4枚撮っただけ。

FUJI ACROSS 4x5 4枚 Super Angulon 65mm F8

GOOGLE日本語入力

 Google日本語入力netbookインストールしてみた。今ためしに入力してみているが、入力中に予測してくれるのが、ありがたいのか、お節介なのか微妙なところなのだが、MSIMEが使い易いわけではないので、しばらく使ってみようと思っている。

asahi.com朝日新聞社):Google日本語入力の実力をチェック
-> http://www.asahi.com/digital/digitre/TKY200912170203.html
Google日本語入力 ダウンロードページ
-> http://www.google.com/intl/ja/ime/

2010-02-05

[水]現代写真の動向・展

 展覧会に行ったわけではない。たまたま、職場の近くの古本屋で、1989年9月30日―10月22日に川崎市民ミュージアムで行われた。「TREND '89 『現代写真の動向・展』」のカタログを買ったのだ。
この展覧会は、Lewis Baltz 、杉本博司柴田敏雄、山本糾、谷口雅、港千尋、鈴木清、吉村晃、五位毅彦、伊田明宏+上野修が作品が展示されたようだ。カタログには評論も載っていて、平木収、谷口雅、港千尋上野修、深沢雅文が評論を書いている。
 その中で、谷口雅の「写真家を駆り立てるもの」いう文章があり、なぜ写真家が「―水―」に惹かれるのかということについて書いてあった。その部分を引用しておく。

どこにでも在り、いつでも在る。くり返し眼にすることができ、だれもが知っている―水―という、つねに変わりつつあるものにくり返しカメラを向けること。今回の展示のなかに―水―を写し撮った写真がいくつも並んでしまったことは事前に予測されていたことでもなかった。海、滝、川そして霧といった姿を変え、形を変えて写真のなか、景観の中心に現れた―水―の氾濫は興味深いことである。―水―の氾濫は決して偶然ということではないだろう。イメージからの逃亡を企てるということは単純にイメージを写真の表面から排除することではなく、用心深さをもってイメージとの接触を試みるということだろう。―水―の煩雑な登場は、そうした写真家の決意をあらわしているのだろう、―水―という神話的な物語を可能とする対象の選択は、イメージを排除するのではなく、イメージをそのまま生成の瞬間―いや生成の直前の瞬間とうべきなのだろうか―遡ってみたいという写真家の願望(意志)と思えるのである。―水―あるいは―岩―あるいは―火―そして―空―、錬金術においてはすべての始まりとされるこれらの物質の可視の姿へカメラが向かうのはけっして偶然のことではない。すでに写真家はテクノロジーによって増幅された視覚ということだけでは、けっして世界をみることはできないということを知ってしまったのだ。そして、無用の長物にすぎない増幅された視覚システムを抱え込んでしまったことの不幸さを知ってしまった写真家は、より巧妙なアプローチを試み始めている。対象、意味、イメージといった逃れることのできないものたちとの遭遇を用心深く再開すること、カメラというシステムの稼動を用心深く見詰めること。写真家は写真がまだまだ魅力に溢れていることを知っている。だから、写真家は旅を続ける、写真家はカメラというテクノロジーが世界から写真家を引き離してしまうこともあれば、写真家が世界と触れ合うことを可能にすることも知っているのだろう。

日々の音色

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D
この二つ似ているって話題になっています。というか、Pepsiの方がまねをしたと思われます。
SOUR '日々の音色 (Hibi no neiro)'は文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門の大賞に輝き、YouTube Video Award Japan 2009に入賞している作品です。
文化庁メディア芸術祭http://media-arts.cocolog-nifty.com/map2009/
YouTube Video Award Japan 2009 → http://www.youtube.com/ytvawardsjp2009

2010-02-04

清水さんのコラージュの記事がTwitterでも話題になっています。

まず、edtion1さんの

清水穣「コラージュへ/コラージュから」がよく分からないhttp://bit.ly/dcZFgm RT @nnnnnnnnnnn: 先日に引き続き、清水穣氏の文章。コラージュについて。 http://bit.ly/ceBlId

(http://twitter.com/edtion1/statuses/8622891404)
という投稿で始まり、
次に、goto_ahiruさん

時に作家の思惑を通過するのが批評であり、そうでなければならない。@edtion1 清水穣「コラージュへ/コラージュから」がよく分からないhttp://bit.ly/dcZFgm RT @nnnnnnnnnnn: コラージュについて http://bit.ly/ceBlId

(http://twitter.com/goto_ahiru/statuses/8623675206)
の投稿
そして、gammechevさんの

そもそも「批評」の必要性が分からない。 RT @goto_ahiru: 時に作家の思惑を通過するのが批評 @edtion1 清水穣「コラージュへ/コラージュから」 http://bit.ly/dcZFgm RT @nnnnnnnnnnn: http://bit.ly/ceBlI

と続いた。

 柴田さんの写真をコラージュとして、紹介して記事を書いている。写真を見たことがあればはっきり、コラージュでないことは明白です。見てないで、作品のことを勝手に書かれても、「作家の思惑を通過するのが批評」って言うだけですむんですかね。

 もちろん、柴田さんの写真のことだけを言っているだけではないとは思ってます。

2010-02-03 磁界の表情

2009年を回顧する|清水穣

「2009年を回顧する」という清水穣さんの文章が、http://www.art-it.asia/u/admin_columns/tU0IlPeGEmVYHgRDhpnN/にでている。
http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20091125/1259171235で「コラージュって何」で書いたが、清水さんは柴田さんの作品を「コラージュ」としていたが、今回はそのコラージュに関する記述では

例えば、目立つ傾向として「コラージュ」がある(上記企画展は時宜を得ていたわけである)。ウィリアム・ケントリッジ『歩きながら歴史を考える―そしてドローイングは動き始めた』(京都;従来のイメージを払拭し、デジタル時代のコラージュという新たな問題圏に導いた)、ヴァルダ・カイヴァーノ『The Inner Me』(小山登美夫ギャラリー京都;多くの画家が賞味期間切れの様相を呈している現在、絵画はやっぱり面白いと言わせる内容)、木村友紀『1940年は月曜日から始まる閏年』(タカイシイギャラリー;近年調子を上げている作家の写真インスタレーションは、なんとまだ始まったばかり!)、特集展示岡崎乾二郎東京都現代美術館;回顧展のフレームではなく、現在のこの傾向の文脈で理解すべき)など。

となり、前のコラム(http://www.art-it.asia/u/admin_columns/RAFe8CSvY4y6VXc5w3jU/)でコラージュの作家として挙げた柴田さんを除いている。
 間違えたと思ったのか?相変わらずまえの文章は訂正されていない。

 2月号のアサヒカメラでも、「写真を『見る』言葉」の中で、エグルストンの写真について、清水穣さんは

 南部の微妙な色合いと放心・放擲の主題が組み合わされる理由を知るには、この写真・写真集を超えて、エグルストンの言葉、技法、他の写真集、関連するテーマを考え合わせる必要がある。「私はあたりまえのことに対して戦争状態である」とエグルストンは語っているが、戦争状態とは「あたりまえのことの」のなかに、放心と放擲のすき間をみいだすことである。
 そのすき間を染め出すダイ・トランスファーというカラープリント技法、それは、彼のカラーがリアリズムでなく、意識的に作り出した色調を意味する。

と書いているが、

ダイ・トランスファーというカラープリント技法、それは、彼のカラーがリアリズムでなく、意識的に作り出した色調を意味する。

って、意味がわからない、ダイ・トランスファーという技法でしか、意識的に作り出した色調を作れないの、C−PrintでもInkjetでも意識的に色調をコントロールできと思うのですが、それとも私が文章を読み取る力がないのでしょうか?
 

安井仲治

2004年松涛美術館安井仲治展をみたとき、印象に残っている、磁石と砂鉄の作る模様を撮った「磁力の表情」が掲載されていたので、買ってしまった。



どうやら、乾板の上に砂鉄を置き、磁石で模様をつくり感光したフォトグラムのようだ。
http://www2.dokidoki.ne.jp/bellrose/museum/part6/tanpei.htmlより

「磁力の表情」 安井仲治

「作者の言葉」
磁力と鉄粉が感光板の上で舞踏して
コロナを描いた。
(乾板上のフォトグラムを印画す)

 
 戦前の写真家であるが、今でも斬新な作品を残した安井仲治ってすごい人だと改めて思う。
 http://www2.dokidoki.ne.jp/bellrose/museum/getireikai/0410/news.htmlもご覧ください。

2010-02-02 「写真を『見る』言葉」

「写真を『見る』言葉」

ちょっと立ち読みしただけで、買っていなかったのだが、2月号の「アサヒカメラ」が話題になっている。
例えば、タカザワケンジ(kenkenT)さんのtwitter(http://twitter.com/kenkenT/status/7979159354)によると

「写真を『見る』言葉」は飯沢さんのほか、楠本亜紀、清水穣、竹内万里子の気鋭の批評家三人による「一枚の写真を読む」特集。写真の見方、読み方に興味ある方におすすめ。

そんなわけで、今日買ってきました。

アサヒカメラ 2010年 02月号 [雑誌]

アサヒカメラ 2010年 02月号 [雑誌]

清水穣さんと竹内万里子さんの考え方の違いが対照的で面白い。
清水さんは

よいスナップ写真とは、特に文脈を前提とせず、誰にでも撮れるが誰も撮らないような写真であり、そういう写真を「見る」とは、写真から文脈を読み解き、写真から写真家のまなざしを追体験することといえるだろう。

と書き、エグルストンの写真「Hunsiville,Alabama」を例に読み取る例を示している。
一方、竹内万里子さんは志賀理恵子の写真「ヨナは腹を裂いた」を例に、

 言うまでもなく、写真は目の前の(より正確に言えばカメラの前の)「いま、ここ」しか撮れない。しかしだからといって「いま、ここ」から生み出されるフィクションなのだ。この写真というフィクションが魅力的なのは、そうでありつつも「いつか、どこか」につながる回路をもち得るという点にある。その意味では、すでに言われてるように、あらゆる写真はシュールレアル(超現実的)である。
 写真の価値を判断する基準は無数にあるが、それが「作品」であるか否かは関係なく、私が写真を見るにあたって重視する点のひとつはそこにある。つまり、個々の写真がそれぞれどのような「いつか、どこか」へつながろうとしているか、ということである。撮影方法やスタイルはそのための手段であり、その逆ではない。

と書いている。
これを見た、okmさんは排他的web写真界域(http://d.hatena.ne.jp/okm/20100130)でこんなことを言っている。

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アサヒカメラ2月号が面白い。

ホンマ・石川の喧嘩もさることながら…

清水・竹内の写真論が対極になっていたりする。

2月号は対極特集なのかと思ったけど…

写真を「見る」言葉とあったりするから、流行語特集なのかもしれない。

なかなか2月号は完成度が高いと思う。

世の中、ハッタリで生きていけると感じさせてくれた。

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俺、嘘つくのがヘタクソなんだよ

 そう、もうひとつ話題になっているのが、ここにも喧嘩と書いてある「今日の写真2010」でゲストの石川直樹さんとホンマナオキさんの鼎談。石川さんが

 ホンマさんは若い人の作品を厳しく批判する傾向にありますよね。自分よりも上の世代の写真家に対してはぼやかした表現で語る一方、自分より立場の弱い若手の写真家には強く出る。怖そうな写真家には触れずに、ゲストの人に批判させたり、ちょっとだけフォローしながら会話のなかに入らずに無言、みたいな。なんだかズルい姿勢だなあと前から思っていました。

と発言するなど、結構、面白い。

詳しくは、福居伸宏さんのBlog,U"bungsplatz〔練習場〕http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100201#p14を見て下さい。

写真家 平敷兼七 追悼

タカザワケンジ(kenkenT)さんのtwitterより
http://twitter.com/kenkenT/status/8145071557

沖縄発の写真雑誌「LP」2009年冬号。「写真家 平敷兼七 追悼」。蒼穹舎で買った。発行元のURLはこちら。http://photolp.cart.fc2.com/ca1/13/p-r-s/

をしりました。早速注文しました。

ベストポートフォリオ賞決定

http://yokohamaphotofestival.org/Portfolio_Review.htmlによると、
ベストポートフォリオ賞決定は原久路さんに決定したようです。

このベストポートフォリオ賞はいわゆるコンテストのようなものではありません。参加していただいたレビュアーからそれぞれ3人の推薦したい写真家をあげていただきました。レビュアーも全ての写真家を見ているわけではありませんから、厳正な票ともいえません。
レビュアーも各写真家の作品を見て、話をしてみて、という過程を経て初めて評価を下すことができるので、ベストポートフォリオ賞に推薦するということ自体ためらいがある、ということもおっしゃっています。
事実、レビュアーにより評価はさまざまで実にいろいろな見方と評価があるものだな、と感じています。
むしろこれが健全だと思います。日本のフォトマーケットがより豊かに発展していくためにはいろいろな価値観が混在していくことが何よりも必要なことです。
ただ、今回は初めての試みであり、フォトフェスはお祭り、ということで参加していただいた写真家の励みにもなると思いましてベストポートフォリオ賞というものを設定してみました。


原久路さんのホームページhttp://hisajihara.petit.cc/です。なお、今回のポートフォリオレビューに参加者のリストは
http://yokohamaphotofestival.org/_userdata/photographers_list.pdf
で見ることができます。

2010-02-01

kico16artさんのつぶやき

http://twitter.com/kico16art/status/8498600920より

いいなぁ〜こうゆう施設。早稲田ものづくり工房の試験運用がスタート。http://koeda.ase.waseda.ac.jp/monodukuri/

 いや本当にこんな施設があったら、いろいろなものが作れるような気がします。

EPSITE梶岡禄仙「Scrap」

白黒、高コントラスト、路上Snap、看板、マネキン、建物(トルコ、ヘルス等)森山大道を思い起こす。いや、こんな言い方はしつれいなのかもしれない。ついこないだまで、自分もこういう世界に惹かれて写真を撮ってきたのだし、自分も同じようば場所で写真を撮っていた。路上Snapについては、正直言って、写真をろくすっぽ見たこともない人に「盗撮」だとか言われるのが、めんどうで撮るのを止めたようなところもある。
 ある意味、4x5担いで、山に入って森に入ったりしているのは逃避なのかもしれない。
森、海岸これも確かに好きだけど、猥雑な都市の光景がもともと好きだったのではないか?これらの写真を見てそんなことを考えていた。

http://www.epson.jp/epsite/event/gallery2/10/1002.htmより

 観るものすべてを撮りたいという欲求は果てしなく、撮るという行為はとてもスリリングな冒険でもあります。特別なことを撮るわけではありませんが、写真にすることで自分にとって特別なモノに変わって行くと思うのです。観る、撮る、焼き付ける、というプロセスを経て、この残骸はただ"Scrap"されていったものです。

http://proselection.weblogs.jp/epson_proselection_blog/2010/01/post-b367.html

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