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2010-03-31

高速バス出発

23時00分、新宿より和歌山行きのバスに乗りました。4月4日まで、熊野伊勢の旅です。この間、ブログの更新は携帯のみです。

2010-03-30 たのしい写真

また「たのしい写真」が話題になっていました

たのしい写真―よい子のための写真教室

たのしい写真―よい子のための写真教室

について、
タカザワケンジ(kenkenT)のtwitterより

で、ホンマさんの『たのしい写真』のあまりに美しい写真史の流れに、ホントにそうかな? と疑問を持つことも大事だと思う。疑うことも可能性の一つとして許容するやわらかい姿勢がこの本の魅力の一つだと思うからだ。議論のベースたりえる写真の本として重要。

http://twitter.com/kenkenT/status/11283557862

確か、竹内万里子さんも、PHOTOGRAPHICAの書評のページで、同じような、意味のことを書いていた。

私も思わず買って、疑問をたくさんもちました。それにつては、すでに、このBlogにかいています。

http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20100208/1265652399をご覧下さい。

2010-03-29 写真家の言葉

William Eggleston

原美術館で「William Eggleston」展が行われるようです。
原美術館のスケジュールを見ると、
http://www.haramuseum.or.jp/jp/common/schedule/index.html
ウィリアム エグルストン(仮題)6/5−8/22
となっています。

William Eggleston といえば、福居伸宏さんのÜbungsplatz〔練習場〕
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100322#p2
で、次のような話題が取り上げられています。

写真家の言葉


twitterでのタカザワケンジ(kenkenT)さんとがじお(godgeo)とのやり取り

kenkenT 2010.03.28 15:25

写真家インタビューを始めた頃、僕も、彼らが持っている豊かな言葉に驚いた覚えがある。一つ、理由として僕が考えているのは、彼らが相手にしているものが容易に言葉にならないものだから。言葉にならないものを撮って、写真を見て、考える。その繰り返しが言葉を生みだしているのではないか。

http://twitter.com/kenkenT/status/11183072506


kekenT 2010.03.28 15:27

「なぜこの写真を撮ったのか」「なぜこの写真を選んだのか」という問いをくり返すことは、この世界に対して考えることでもある。そして、考えることは言葉を使うことである。……と、まあ、いまのところ、僕が持っている視点の一つとして。

http://twitter.com/kenkenT/status/11183116899


godgeo 2010.03.28 18:11

@kenkenT うーん、僕が不勉強なだけだろうけれど、まともな(非写真家・非映像作家に理解できる)言葉で話す写真家と、これまで会ったことがない。実感として、写真を理解しているインタビュアーや編集者が介在してくれないと、まったく理解できないと思ったこと多々。(素人のぼやきです!)

http://twitter.com/godgeo/status/11187448444


godgeo 2010.03.28 18:13

@kenkenT それだけに、(個人的に)写真に関してだけは、専門的批評家の存在が非常に重要だと思う。写真が分かり、かつ平凡な感性の人間(ええ、僕です)にも分かるように話せる、という一点で。

http://twitter.com/godgeo/status/11187448444


kekenT 2010.03.29 12:31

「この人の言ってることはわからん」と名指ししてもらえるといいんだけど。文章が上手い写真家として、森山大道石内都杉本博司あたりをおすすめしておきます。@godgeo うーん、僕が不勉強なだけだろうけれど、まともな(非写真家・非映像作家に理解できる)言葉で話す写真家と、これまで

http://twitter.com/kenkenT/status/11229918617


kekenT 2010.03.29 12:34

自作解説は写真家には求めないほうがいいかもしれない。僕が「豊かな言葉」と言ったのは、自作について語ることではなく、世界をどう見てるかがわかる言葉ってことで。たとえば長島有里枝の『背中の記憶』。@godgeo それだけに、(個人的に)写真に関してだけは、専門的批評家の存在が非常に重

http://twitter.com/kenkenT/status/11229918617


godgeo 2010.03.29 13:14

@kenkenT あ、なるほどそうか。まさにご指摘の通りに誤読しちゃいました。陳謝。推奨本ありがとうございます。わりと素直なので、入手します!

http://twitter.com/godgeo/status/11231672653

このやり取り、タカザワさんの主張は
写真家は言葉にならないものを撮って、写真を見て、考える。その繰り返しによって「豊かな言葉」をもっているが、自作解説は写真家に求めてもだめだって」ことになる。
 そして、がじおさんの
「写真に関してだけは、専門的批評家の存在が非常に重要だと思う。」ってことには、なにもコメントしていないんだけどどうなんだろう?
 最初は面白いやり取りと思って、まとめてましたが、どうも納得がいかなくなりました。
 そもそも、写真をそんなに解説してもらう必要を感じたことはないのです。むしろ、そういう要素(キャプション等)を取り去っても写真は成立するか、せめてタイトルだけでなどと北島敬三「PLACES」展を見てからそういう考えが強くなっています。

 

2010-03-28 絶対的な風景

[今日の写真]横須賀市立美術館
f:id:heliograph:20100328154547j:image
f:id:heliograph:20100328154632j:image
f:id:heliograph:20100328164255j:image

絶対的な風景 カトリーヌ・グルー

「失われた風景 : 幻想と現実の境界 : 現代の写真」展のカタログに掲載の文章
 「絶対的な風景 カトリーヌ・グルー」より、引用

 ここで次のような仮説を立ててみよう。「絶対的な風景」とは、いかなるものの上にも視線を集中させないものである。対象化されない風景で、従来の図式や制度化されたジャンルには適合しない。物語を語らず、物語的構造の論理のなかで解釈のされることのできない風景である。「絶対的」なもののなかで限度が越されたということは、ここでまさに、表象の問題、写真に語らせようとするものの問題に関わってくる。絶対的風景というのは、表象ではなく、物語から逃れつつ一つの世界観を示すものである。その世界観では、世界は構成も分解されず、ただ出現の瞬間にそこにあるのだ。
 このことは、世界に対して目や精神で新しい見方をすることと同時に、写真のメカニズムにも関わってくる。それゆえ19世紀西洋、人々が実証主義と進歩を信じた時代、世界と人間をよりよく知り、これらを理性の秩序によってさらなる支配下に置こう、という強い意志を持っていた時代に始まるものなのである。

アンドレ・セラノの展示作品の場合、問題はまた別である。写真の内容が我々の意識に到達すると、写真の内容が我々の意識に到達すると、それ以外のものが見えにくくなる。我々は、自分がまずさまざまな色を寄せ集めて分析しうる形にし、そしてやっと死んだ人間の体だとわかったということを忘れてしまう。細部自体の幻想的効力はここで極端まで高められている。死に関するすべて、より正確に、生から死への移行に根拠を与えるものすべてが、見る者を揺さぶり、自分を自分たらしめているものを、つまりその人間としての条件を揺るがすものである。
 セラノの作品は、抽象/具象の弁証法に則っており、悲劇的調子のなかでそれを利用するので、見る者の関心を引かずにはいない。感情を揺さぶるために細部を扱うという彼の方法は、19世紀の裸体写真の猥褻裁判にも、ドラクロワが指摘した写真技術そものの猥褻さ(見るべきでないものを見せること)にも比べられるものではない。なぜなら、ここで問題になっているのは、一つの対象化された形態やとるに足らない(意味を持たない)要素を全面に出すことではないからだ。これらの写真は本質的に婉曲的なもので、暗示的(換喩的)性格であり、我々は(まず我々の網膜に達する)造形的な特質から病的なものの幻惑へと巧妙に導かれるのである。

風景

ジャン=マルク・ビュスタモンドの写真の引き起こす現象は全く逆のものである。それは二つの主な理由によるが、その一つは悲壮さがないことである。もう一つは、色を見て次に写真の内容を認めるという移行がやはりあるにしても、それは解釈には影響せず、反対に、この移行は再びまた逆方向に起こりさえする。ということである。ここで撮られた世界は、目に見えるが読みとるべきものではなく、何も語らない。そのためあらゆる瞬間に風景として現れる世界である。ジャン=マルク・ビュスタモンドは、解釈を押しつけないように撮ったのだろうが、彼の眼差しはまるで何も拾い上げることがないままものの上を滑っていくかのようである。こういうわけで、彼の写真では、一つの謎のように解読できる細部は―意味深い細部であれ、バルトのいう「プンクトゥム」であれ―示されない。さもなくば、例えばアントニオーニの映画『欲望』のようにどこかに発見すべき死体があるかもしれないし、あるいはなぜだかわからないが精神に強い強い印象を与える「プンクトゥム」、常に眼差しを磁化させ引きつける細部があるであろう、ビュスタモンドが目や精神で新しい見方をしようとすることは、写真のメカニズムにも合致しており、世界を見せる際に、ただ参加するだけで介入しまいとする意志とみなすことができるだろう。彼はいかなる判断も解説も挟まず、世界の出現に介入しない。
 反対に、トーマス・シュトゥルートとアンドレアス・グルスキーの写真は、見かけは同じように客観的で悲壮さもないが、読み解かれ、形や意味を分析されるのを待っている。押しつけがましくない調子ではあるが、介入してないわけではなく、一義的な体系を押しつけることなく写真になにかを語らせようとしているのである。理解すべきものは全面には出ていない、なぜならそこには(伝統的絵画表象におけるような)主張がないからで、各々が(写真の正面性、有機的空間構成、錯綜した面、人間的尺度と建築的尺度の比率など)しかじかの細部に注目して自分で物語を作ることができる。
 写真は多かれ少なかれ記号論的な分析をさせるために撮られる。それは単純な色の調和ではなく、目に見える形やさらにその向こうになにか注目すべきものがあるのだ。シュトゥルートとグルスキーの写真には、見えないが存在すべき何かがある。トーマス・シュトゥルートの作品のなかでの都市や建築は、社会経済的な状況、文化的生活様式、あるいは他者や世界との関係を示すものである。

2010-03-27 充電器

充電器購入しました


 コンパクトデジカメの充電器が壊れ、普段、写真を撮ることができなっかたのですが、ネットで純正品の五分の一位の値段の、互換機を見つけ、手に入れることができました。
メイカーの方も、電池を変えて、性能を良くしたいという気持ちがあるのでしょうが、複数のメイカー、が同じ電池を使えるようにすれば、カメラを買い換えるとき、必要な人だけが電池と充電池を買うようになればいいなと思うのですが、無理なのでしょうか?

 デジカメが使えなかったので、携帯で写真を撮り、それを携帯からtwitpicにアップすることなど色々試してみました。普通に携帯メイルで写真を送ると,このようにhttp://twitpic.com/12c7ka文字化けをしてしますのです。
 
そこで、文字化けしない方法を調べると
 http://blog.livedoor.jp/yojohannews/archives/51497754.html
とか
 http://graffiti.lib.net/zenkeishisei/?p=651
に解決方法が書いてありました。

でも、今日気づいたのですが、Movatwitterを使えば問題なく、件名も本文も問題なく、twitpic,twitterに投稿出来ました。
 http://twitpic.com/1b8944を見てください。
 
 明日から、コンパクトデジタルが使えるのですが、携帯から、twitpic,twitterに投稿が癖になりそうです。

写真の話と認識論

山田大輔(YA_DA)さんのTwitterより

写真の話を認識論に絡めながら議論されると、イラっとする。写真について語るべきは、経済の言葉でだろう。経済の話を偽装するために、認識論は動員される。

http://twitter.com/YA_DA/status/11112943499

認識論に写像理論が多用されたことが証明できることは、「認識論はカメラに似ている」ことではなく、「その頃、カメラがハイテクの尖端だった」ことだろうに。いまだに写真と認識論を絡めて議論されると、「アホ」に見える。

http://twitter.com/YA_DA/status/11113731444

「認識論の言葉」「詩人の言葉」「カメラ屋の言葉」。「写真論」は概ねこの三種のうちのいずれかだ。なら別に、認識論の勉強をするなり、詩を書くなり、カメラ屋に就職するなりすりゃあ、いいじゃねえか。

http://twitter.com/YA_DA/status/11113939035

2010-03-26 與語直子「GRANADA」展

写真集購入

與語直子「GRANADA」展の後、ブックブラザー源喜堂(神田小川町)による。
そこで、なんと與語直子「GRANADA」(蒼穹社)が置いてあったので購入。
その他に

 作者は1987年47歳で亡くなった。1999年奥さんの山村千恵さんが発行した。
ワシントンハイツの子供たち」(1959-62)、「墓相 あるいは暗転」(1969)、「ホリゾント」(1976)、「植物に」(1974)、「うしろの正面」(1977)、「わが故郷・神田」(1980)、「植物祭」(1981)という各シリーズから厳選された写真からなる写真集。
                 
 特に日中、植物にストロボを焚き、ハイコントラストなプリントに仕上げた「植物に」、「植物祭」が気になった。

  • 「失われた風景 : 幻想と現実の境界 : 現代の写真」Absolute landscape, between illusion and reality : contemporary photography

1997年2月1日-3月30日, 横浜美術館で行われた展覧会のカタログ。

ラリー・クラーク LARRY CLARK
ベアト・ストロイリ BEAT STREULI
ヴォルフガング・ティルマンズ WOLFGANG TILLMANS
平川典俊 HIRAKAWA NORITOSHI
金村修  KANEMURA OSAMU
馬小虎 MA XIAO-HU
アンドレ・セラノ ANDRES SERRANO
ルイス・ボルツ  LEWIS BALTZ
キャサリン・ワグナー CATHERINE WAGNER
ジャン=マルク・ビュスタモント JEAN-MARC BUSTAMANTE
アンドレアス・グルスキー ANDREAS GURSKY
ジェフ・ウォール JEFF WALL
ハンナ・コリンズ HANNAH COLLINS
ジョン・ゴセジ JOHN GOSSAGE
トーマス・シュトゥルート THOMAS STRUTH
アルフレド・ジャー ALFREDO JAAR

16人の作家の写真が載っている。
きになったのは、次のTEXT

  • 現代写真の一様相 非在の証明の発見 天野太郎
  • 殺風景のハードコア 金村修か《KEIHIN MACHINE SOUL》(1996)ら 倉石信乃
  • 絶対的な風景 カトリーヌ・グルー

このカタログについては、また何か書きたいと思います。



 

與語直子「GRANADA」展

 神田錦町のプロジェクトスペースKANDADAで行われている。與語直子「GRANADA」展を見に行く。
 http://www.commandn.net/new/news.htmlより

與語直子 / グラナダ

ロンドンを拠点に活動していた写真家、與語直子。34才の若さで他界する直前にスペイングラナダ地方を訪れ収めた400ショットに及ぶフィルムから、 友人たちが選別して、現像・プリントした遺作品16点を展示する。これらにより、スペイン南部の田舎風景を冷静な視点で地誌的に捉えると同時に、自己の内部空間を静観し作品へと叙情的に映し込む、自らのスタイルを確立した。


 スペイン・グラダナ地方で、高いところに登り、向かいの山の斜面や谷底を見下ろした写真。松江泰治の写真より被写体に近づいて撮った感じ、強い太陽の光を受けた木の葉が光り輝いて見える。また、ほとんど木が生えていない山の凹凸からできる影の模様が印象てきだ。松江泰治の写真はどちらかというとフラットであるが、もっとコントラストが強い。

 会場に置かれたパンフレット「失われた風景 (The Lost Landscape ) エドワード・アリントン」により一部抜粋

 與語直子はチェルシー・カレッジで彫刻家になるべく教育を受けた。それは彼女の写真から見てとれる。彫刻とその形は光によって現れる。私も彫刻家として、物体に落ちる光を彫刻的な色として視るようにと教えられた。形を見なければならないとき、光がどのようにしてその表面を流れるのか考えなければならない。彼女の写真はその教えに沿っている。彼女には辺りの風景さえも彫刻的に見えていた。彼女はこの造形の知識を、形を視ることに変換させたのだ。彼女は、写真表現とカメラにその可能性を見出した。そしてカメラと旅し、レンズを通して見て、絞りをセットした。ビルバオで、ベネズエラで、チェコで、そして最後になってしまったグラナダで、撮影した。この展示は、彼女が最後に持ち帰った40本に及ぶフィルムの中の一部である。彼女が決して見ることのなかったネガから焼かれた写真である。ここでは、開拓の及ばない広大な大地を見せる。そしてまた、「Night Photographs」と同じように、注意深く見られることなどなかったであろう景色が被写体である。しかしながら、またしても木々がある。それを介して命が見える。彼女の見事な明暗の表現で、私たちは彼女が見たままの世界を感じることができる。彼女はそこで「Night Photographs」とは対照的な光と出会った。私たちは、彼女の遺作となった「Granada Photographs」に、強い光で消し飛ばされそうな風景をみるが、それは、彼女がそこで影を見つけたということである。

 「Night Photographs」:会場内に区切られたコナーがあり、そこで展示されていた。夜、人工光のみで撮られた風景、木々をねらった作品が多い。エドワード・アリントンは

彼女はこの暗闇の中で、ほんの僅かに存在する光を、カメラの中に捕らえ続けた。

と書いている。

2010-03-25 久しぶりに写真展へ

永井秀雄「光」展

third district galleryに永井秀雄「光」展を見に行く。
http://3rddg.com/exhibition/2010.3.23/nagai_hideo.htmlより

すれ違う自分に縁もゆかりもない人たちにシャッターを押して、スリルに陶酔していた。

10年間の湿度を含んだプリントに映り込んだ乱反射の街の細部にさえも光は降り注いでいた。

永井秀雄


 9年前、永井さんの「sight of you」展を当時、代官山の東光園アパートにあったギャラリーニエプスで見た。その頃、やはり永井さんと同じく、Street Photoを撮っていた私は、永井さんと会場で話をした。その時に記入した住所、名前から今回の展覧会の案内を頂いた。
 その直後、新宿の街で偶然に出会って、立ち話をしたことがあった。今回、お会いすると私がその時、Minolta CLE にCANONの35mm F2を持っていたことまで思い出されてビックリした。私は永井さんがM型Leicaを持っていたのは覚えているが、レンズまでは覚えていない。(写真をやっていると他人がどんな機材を使っているかを、素早くチエックするところがあります。)
 永井さんはそ日本カメラの月例写真(リバーサルの部)で年度賞を取ったり、Camera Style で田村彰英さんからスナップの名手として紹介されたり、活躍されていたのだが、その後スランプに陥ったそうでStreet Photo以外の写真を撮ったりと、随分悩んだそうで、結局、今回の個展もStreet Photoで」あるが、開くに当たっては、新作もかなり撮ったようだが、結局は昔の写真がたくさん入ってしまったそうです。そう言われてみると、カメラのサクラやの広告にポータブルMDと書いてあった。
 会場で、色々なことをお話したが、同じように悩みながらも写真を続けている仲間と話ができて、有意義な時間を過ごすことができました。

斉藤麻子「Exposures」展

コニカミノルタプラザへ斉藤麻子「Exposures」展を見にいく。
http://konicaminolta.jp/plaza/schedule/2010march/gallery_b_100324.htmlより作者のコメント。

地球史を1日に例えると、ヒトが出現したのは23時59分3秒頃と言われています。ヒトである我々はこの地球において新参者にすぎません。特に東京で生活する私にとって、表土の下、大地の生い立ちを想像することは不可能に近いことです。地質時代の記憶を湛えた露頭(Exposure)に今ここで出会うこと、またそれをフィルムに露出することは地球史上の厖大なタイムスケールから見れば、決定的瞬間であると言えるのではないでしょうか。


 斎藤さんとは一年まえ、鈴木理策さんのワークショップを共に受講した。ちょうど、このシリーズの写真を持ってきていて、鈴木理策さんに6x7ではなく、4x5で撮ったらと言われて、すぐに4x5のカメラに換え、写真を持って来てきた。その行動力にビックリさせられた。
 会場に置いてあった、ポートフォリオを見ると、見て吹き出しそうなスナップ写真から、造形的な風景写真まで色々な写真を撮っている。特に森の中で、複雑に植物がからみあっている様子を撮った写真にハットさせられた。「自分もまた森にいかなきゃ」と思った。

2010-03-24 清水穣さんのレビューについて

清水穣の展覧会レーティング&レビュー

twitterで、Art−Itでの清水穣の展覧会レーティング&レビュー等色々話題になっています。

http://www.art-it.asia/exhibition/2871/では

名知聡子『告白』
中国人作家ですか?


http://www.art-it.asia/exhibition/2953/

ゲルハルト・リヒター『New Overpainted Photographs』
実物を見ればそれなりに変化はあるのですが。

という調子です。

ついに、

http://www.art-it.asia/u/reviewa1/6gaZoRiNcOF41fuMAKkB/

『VOCA 展2010ー新しい平面の作家たちー』
推薦者と選考委員がそれぞれに美文を曝している、お気の毒な様子はいつも通り、技巧的で非政治的な工芸作品がほとんどなのもいつも通りですが、展覧会自体は全く面白くない、ということはありませんでした。
 
 以下略

を書いてから、Twitterに色々な書き込みが増えたようです。

 それを昨日みつけた、togetherでまとめてみました。

http://togetter.com/li/10849

を見て下さい。

 自分も、展覧会を見に行っても、ろくなコメントをかけないのですが、写真評論家って良く書けるなと感心していましたが、その人が何かちょっと変だなという発言が増えてくると、今までの文章が急に怪しくおもえてきます。そんな、評論家の一人が清水さんです。

 過去疑問に思ったこと

2010-03-23 「Art」って言葉ってあまり使いたくないのはどうして?

togetter

早速、togetterを使って、私の注目した「Art&美術討論」
についてHiroshi Ohsu(oissu)さんが「togetter」でまとめてくれました。

 http://togetter.com/li/10672

を見てください。
以前、「アーティスト」っていう言葉に抵抗があるって書いたことがあったけど、「Art」にも「芸術」もあまり使いたくない言葉だ。
togetterを使い方を研究してみたいと思っています。
 

twitter関連のサービス

このところ、仕事も忙しくて、展覧会に出かけてないし、本も読んでいない。Blogのネタがないので、Twitterを眺めて、何かネタをさがすってことが多くなっている。
でも、色々な人の発言をBlogに貼りつけるのは結構めんどうだ、自動的にこの操作ができるアプリケーションがないか探してみた。そんなことをしていて、twitterに関連するいろいろなサービスがあることを知った。
http://www.atmarkit.co.jp/news/201002/19/togetter.html

 日本発、Twitter関連の注目サービス
Twitterの面白さが分からない!? そんな人にこそ「Togetter」!


2010/02/19

 Twitterが新しいコミュニケーションのプラットフォームとなるという予感は多くの人が持っていると思う。それはTwitter上で今まで見えなかったものが可視化され、新しいコミュニケーションが生まれているからだ。ソフトバンク孫正義氏や楽天の三木谷浩史氏がダイレクトに利用者とコミュニケーションするようなシチュエーションは、これまで考えづらかった。

 こうした新しいコミュニケーションに加え、Twitterが利用価値を高めているのは、Twitterを土台にして新しい使い方やアイデア、サービスが次々に誕生しているからだろう。

 140字という気軽さから多くの人が心情や情報をアウトプットし、シェアする。あるいは“ボット”と呼ばれる機械(サーバ上のプログラム)までがリアルな世界のアップデートをつぶやくようになる。後は、それをどうフィルタし、加工し、検索し、統計処理するかという話になってくる。

 Twitterが当初ギークの間でウケたのは、こうした可能性についてうっすらと予感のようなものがあったからだと思う。APIで遊ぶことができ、さまざまな実験をすることもできた。今でも実験は継続中で、APIも進化を続けている。本当のところ、まだ誰にもTwitterの全体像は見えていないのではないだろうかと、私はそんな印象を受けている。
日本発で注目のTwitter関連サービスが続々

 Twitterアメリカ発のサービスだが、注目すべき関連サービスが日本からも登場してきている。「ふぁぼったー」「Togetter」(トゥギャッター)「ツイテレ」「OKetter」などだ。

 ふぁぼったーは、発言に対して「お気に入り」の星アイコンをクリックした/された、という情報を可視化するサービスだ。これはもともと Twitterが提供する機能だが、本家Twitterサービスではほとんど活用されていない。しかし、Twitter利用者の間では、特定の発言に対してあえて返信するほどではなくても、「ああ、そうだね」「面白い!」「なるほど」という肯定的な頷きに相当する行為として“ふぁぼり”が利用されている。これが見えることで、直接的に見えていなかった非音声的なコミュニケーションが見えてくる面白さがある。

 Togetterは、特定の誰か、あるいは複数人のつぶやきを1本のリストに集めてそこにパーマリンクを貼るサービスだ。ハッシュタグや検索でのまとめと異なり、あるテーマにそって人為的に発言を集めて新しいコンテンツとできるところが新しい。

 ツイテレは、テレビの各チャンネルに対して仮想的なチャットルームに入るような感じで、視聴者がテレビの前で行ってきたようなつぶやきを共有するサービス。Twitterを利用しているが、それはあくまでもリアルタイムのメッセージング・プラットフォームとしてであって、ツイテレはTwitter とは異なる付加価値を提供している。

 OKetterは、Q&Aサイト運営の大御所、OKWaveが放つサービスだ。国内の多くのQ&AサイトのエンジンをOEM提供している OKWaveだが、あのQ&A掲示板と同じことを、140字でやってみようという試みがOKetterだ。より気軽に聞けて、答えるほうも端的でいい。

 いずれも、Twitterを使いやすくする補助的サービス、というよりも、Twitterを土台として付加価値を生み出す新しいサービスと捉えるべきだろう。

2010-03-22 一般人

本日の金村修

ieieiioさんのtwitter

たまに金村修さんのサイトで「本日の金村修」を読む。http://ok-ws.hp.infoseek.co.jp/ 「上手くなれば怒るしさ、下手にやっても怒るしさ、じゃあ、どうすりゃいいんだ?っていうのを越こえられるのが作家なんだよね。」いちいち刺激的です。


http://twitter.com/ieieiio/status/10864275305

を読んで、最近「本日の金村修」を読んでないと思い久しぶりに読んで見た。

以下、http://ok-ws.hp.infoseek.co.jp/ より、抜粋

  • 2010.03.01(月)「意味があるように見えて、意味がないのが面白い!」
  • 2010.02.22(月)「アッジェがすごいのは、真っ直ぐに撮って、それが荒れているところだよ。」
  • 2010.02.15(月)「ちゃんと写ってるものって、よく見ると実は奇妙でおもしろいんだよね。」
  • 2009.10.26(月)「モノは写っちゃうし、写ったモノって見ちゃうんだよね。」
  • 2009.09.28(月)「写真家は、写真じゃなくてモノに興奮してるんだよね。」
  • 2009.09.14(月)「反復することに対して恐怖心を抱いちゃいけないよ。」
  • 2009.09.07(月)「撮ってて楽しいか楽しくないかなんて、どっちでもいいんだよ。」
  • 2009.08.03(月)「ただ撮ってるだけって、本当はすごく難しいんです。」
  • 2009.06.15(月)「まず構図だよ。そして、その後、構図を放棄しなくちゃいけないんです。難しいけどね。」
  • 2009.06.08(月)「みるところがいっぱいある写真っていいよね。」

きりがないので、止めておきます。

一般人

大村益三(omuraji)さんのtwitterより。

「一般人」。いつも言い止まってしまう言葉。


http://twitter.com/omuraji/status/10820656794

仮にそれぞれのジャンルの成員が、その外部を「劣った者」として「一般人」と呼ぶならば、「アーティスト」もまた、立派に「一般人」たる資格がある。しかしアーティストは、自分達が「一般人」であるとは認めないだろう。


http://twitter.com/omuraji/status/10820400126

それぞれの「現在を理解しない(出来ない)」、或いは「その世界自体を理解しない(出来ない)」側が「一般人」とカテゴライズされるならば、アーティストもまた「一般人」に属する可能性が十分にある。


http://twitter.com/omuraji/status/10820382622

それぞれに「『一般人に対して(音楽or舞踏or演劇or文学or建築or etc.)は開かれねばならない」「『一般人』に(音楽or舞踏or演劇or文学or建築or etc.)」という言い方が可能だ。


http://twitter.com/omuraji/status/10820366037

但し「一般人」と「非一般人」を線引きするのはアート(美術)だけのものではない。所謂「芸術」に限っても、例えば「音楽の現在を理解しない(出来ない)」「舞踏の現在を(以下略)」「演劇の現在を(以下略)」「文学の現在を(以下略))」「建築の現在を(以下略)」・・・等の対称軸が存在する。


http://twitter.com/omuraji/status/10820341858

いや「蔑称」でない「一般人」という言い方もあるだろう。例えば「アノニマス」である「一般人」を「持ち上げる」やり方というのはある。それを「民芸」として運動化する事もあるだろう。しかしでは、一体「持ち上げる」のは「誰」かという問題は依然として残る。


http://twitter.com/omuraji/status/10820318213

仮に「一般人」が「蔑称」だとして、しかし「一般人」の「財布」に大いに期待するのもまた「非一般人」としてのアーティスト(或いはアートの引力圏をグルグル回る遊星的存在)だろう。「一般人」の頭は馬鹿にするが、「一般人」の懐は馬鹿には出来ない。


http://twitter.com/omuraji/status/10820325029

「一般人」とは具体的にどういう人間を意味するのだろう。それは「大衆」だろうか。「クラウド」だろうか。「無知蒙昧な者」だろうか。「救済されるべき者」だろうか。いずれにしても概ね「一般人」には、「非一般人」のアーティストに比べて、「劣った者」としての「蔑称」的コノテーションがある。


http://twitter.com/omuraji/status/10820311498

となれば、アーティストは「非一般人」の側に属しているのだろう。「『一般人』に対して『非一般人』であるアーティストが作るアートは開かれねばならない」「『一般人』に『非一般人』のアーティストが作るアートが理解されるにはどうすれば良いか」。大体こういう事になる。


http://twitter.com/omuraji/status/10820294330

多くのアーティストは、しばしば「一般人」という言葉を使う。例えば、「『一般人』に対してアートは開かれねばならない」とか、「『一般人』にアートが理解されるにはどうすれば良いか」などという使用例が思い浮かぶ。


http://twitter.com/omuraji/status/10820284852

2010-03-21

継続審議になりましたが、その後の動向


継続審議になりましたが、その後の動向について、松浦晋也ShinyaMatsuuraさんの、Twitterから引用しました。

あんなんが味方についたら、規制賛成派も迷惑じゃなかろうか。 12:08 AM Mar 21st webから


これは…(絶句)。「非実在青少年」に関する規制強化賛成派、反対派の双方にとって「問題外」だろう。「統一協会秋葉原でデモ行進 「児童ポルノ規制強化」を訴える」:http://bokukoui.exblog.jp/13156895/ 12:03 AM Mar 21st webから


RT @Rsider もしも、「PTA進化論」をファイルでほしい方がいれば(紙に印刷した時に読みやすさはたぶん上)こちらにどうぞ。http://bit.ly/cyGrVm 12:52 PM Mar 20th TwitBird iPhoneから


RT @Rsider http://tl.gd/idlub 12:52 PM Mar 20th TwitBird iPhoneから


RT @Rsider http://tl.gd/idlpv 12:51 PM Mar 20th TwitBird iPhoneから


kikumaco

政治に不満があるから、不満の捌け口として「威勢のいいワンフレーズ・ポリティシャン」を支持する。しかし、ワンフレーズ・ポリティシャンを支持したら、自分の首を絞めるだけだ。そんなことは自明じゃないか。説明しない政治家がいい政治家であるはずがない。 11:07 AM Mar 20th TweetDeckから ShinyaMatsuuraと24人がリツイート


非実在青少年条例改正の継続審議 今後の動向についてmixiから転載 - 松浦晋也のL/D http://bit.ly/9l6Rl8 #twitbackr 10:52 AM Mar 20th twitbackrから


kikumaco

笹本さんのmixiによると、「今回。議員側が驚いたのは、その「名前」「住所」「自分の言葉」がメールに書かれてある、という点」だそうです。もちろん、匿名の意見でしかもコピペなんて、なんの効果もないわけです。 9:42 AM Mar 20th TweetDeckから ShinyaMatsuuraと20人がリツイート


kikumaco

東京都民のみなさんは、継続審議になったから次の都議会まで何もしなくていいと考えてはだめです。むしろ、次の議会までにどれだけのことをするかがだいじ 9:35 AM Mar 20th TweetDeckから ShinyaMatsuuraと4人がリツイート


私としては、私の書くものに権力が口を突っ込んでくるような社会に生きるのはイヤなので、今回の件についてはきちんと行動するつもりです。 9:36 AM Mar 20th webから


@YaSuYuKi そうです。その上でぎりぎりグレーなところを狙ってきているのでしょう。では、なぜそんなことをするのか、と考えてみると…RT 条例案を作成した側は…自分が作成した条例案と関連する法規は、当然、検証しているはず 9:34 AM Mar 20th webから YaSuYuKi宛


@seasidecity だから、規制側の本音は青少年保護などどうでもいいんじゃないかという気が、私にはしています。RT 腐女子向け本は犯罪を助長するという理論を適用しづらい 9:33 AM Mar 20th webから seasidecity 宛


@suttokodokkoy そういうことです。RT つまり,我々も継続して議会に対して案を提示しなければならない.ということですね. 9:31 AM Mar 20th webから suttokodokkoy 宛


mixiで流れてきた内容は、長いのでblogに転載します。 9:30 AM Mar 20th webから


だから、規制推進側も今回の条例改正が、憲法違反になることを自覚していると思われる。その分、たちが悪い。私としては「おまえらそれでも日本国民か」と言いたいぐらい。 9:30 AM Mar 20th webから


かつて(骨抜きになっているが今もなのだ)、「ヘアが見える、見えない」で規制していたのは、「他人様の頭の中身を判断せずに猥褻を定義するにはそれしかなかった」から。「毛が見える/見えない」という物理的実在に落とし込むしか、憲法違反にならない規制方法が存在しなかった。 9:27 AM Mar 20th webから


何度も言っているが、問題は「他人様の頭の中身に、権力が良い悪いと判断を下す」というところ。その部分を削除させねば、民主主義国家の名がすたる。 9:25 AM Mar 20th webから


情報の出所、および審議は不明なれど、「真のターゲットは、腐女子と過激化しつつある少女マンガ、将来的に同人誌」という話も回ってくる。確かに金額的にはこのあたりが大きいことは間違いない。 9:23 AM Mar 20th webから


非実在青少年条例改正の継続審議から一夜明けて、MIXI経由で情報が回ってくる。継続審議とは「意義ある改正なのでより一層の審議を行い、次の議会で可決する」との意味。廃案にならないことが決定したと。従って、改正による条例文面を無害化するしかないとのこと。 9:22 AM Mar 20th webから


ちなみに、三木卓には「かれらの走り抜けた日」という強烈にエロい、思春期前後の子供に読ますには反則ギリギリのエロティシズムに満ちた児童文学もある。こっちは復刊.COMでも、誰も復刊リクエストだしていない。私は「かれらが走り抜けた日」も好きなのだが。 10:02 PM Mar 19th webから


今日は、毎年1日だけこの片田舎の町へやってくる、ロケット・ショーの日…。もうこれだけで読みたくなるでしょ。そこで展開するのは、宇宙と言語とコミュニケーションを巡る物語なのである。 9:58 PM Mar 19th webから


おお、三木卓「星のカンタータ」の復刊決定:http://bit.ly/cAZ1d6 優れた童話であり、少年文学であり、良質のファンタジイでもあり、なおかつ言語を巡るハードSFでもある希有の作品。良かった、8年前に復刊.COMに投票しておいてよかった。 9:56 PM Mar 19th webから


でも「悪質マンガ」規制→「「悪質な「マンガ規制」とすれば、まさにその通りだ。 8:54 PM Mar 19th webから


@hachiya あ、失礼しました。都小Pです…これでもプロデューサーか。 8:31 PM Mar 19th webから hachiya宛


ただまあ、治安利権とでもいうべき代物が存在することは事実だからなあ。パチンコとか、免許と自動車学校周りの天下り指定席とか、交通違反の罰則金と交通安全協会とか。まったくもってふざけていると思うが。 8:30 PM Mar 19th webから


しかし、怪しい連中が怪しい手法で世の中仕切ってるんだなあ、ということが分かったのは収穫。都Pとかね。その向こうには警察官僚の利権浅漁りなんて話も出てきているが、まだ私にはそれが事実かどうかはなんとも言えない。 8:28 PM Mar 19th webから


そう、6月まで議論を深めてまた採決にかけるということ。だから否決なり廃案なりにしないと今回の件は終わらない。また、終わったとしても「何をどう表現し、世間に出していくか」という試行錯誤は続く。もちろん、可決されてしまうというシナリオも考え得る。 8:23 PM Mar 19th webから


しかも大阪でも火がついているし。ったくもう。Everybody want to rule the world 8:20 PM Mar 19th webから


名古屋に行っているうちに、非実在青少年条例改正は6月まで継続審議になっていた。継続であって廃案でないことに注意。これからが本番。 8:17 PM Mar 19th webから


本日名古屋で取材。午後、リニモに乗り鉄して帰ってくると小田原で夕食時。ふと、「たしかおいしい担々麺の店があったはず」と思い出す。iPhoneを使いまくって店を特定、花椒の効いた汁ナシ担々麺を頂く。なんという技術の無駄遣い、万歳。 8:14 PM Mar 19th webから


「現に、近年の不健全指定図書の多くは漫画だが、これにより、「作家の自由な創作活動や芸術文化の振興が脅かされている」との認識が広く都民一般に共有されているとは考えられない。」…だから、そういう(恣意的な)判断をなぜ都がするのか、ということなのだが。 12:37 AM Mar 19th webから


「権力が踏み込むべきでないところに踏み込んでいる」という指摘に、何も答えていない。多分に彼らも自分たちがやろうとしていることの意味を自覚しているだろうか? 12:35 AM Mar 19th webから


読む。批判に対する東京都の見解(3/17付)「東京都青少年健全育成条例改正案について * 児童ポルノ/第7条・8条・18条の6の2関係」: http://bit.ly/9vijNp これではお話にならない。辻褄の合わない言い訳でしかない。 12:34 AM Mar 19th webから


書いた。「東京都の「非実在青少年」を巡る条例改正の動きについて・児童ポルノ規制の美名のもと、思想信条への恣意的規制の道が開きかけている」(松浦晋也のL/D) http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2010/03/post-98e5.html 6:45 PM Mar 18th webから

2010-03-20 ゆらぎのなかで

もうひとつの写真「NECOプリント」

 先週、古本屋で、 1996年4月6日〜5月26日東京都写真美術館で行われた写真展
 もうひとつの写真 : 写真的なるものをめぐって
のカタログを買ったが、その中で「秋岡美帆」という版画家を見つけた。
 秋岡さん作品については、徳島県立近代美術館 学芸員の作品解説を引用しておく、
http://www.art.tokushima-ec.ed.jp/text/yomi/1131211_1.htmより

  水の流れ、木々のゆらぎをすりぬける光の軌跡、あるいは水墨画のぼかした感じを連想する人もいるでしょう。白黒の印刷では分がりづらいのですが、白い光線の背後には、明るい青緑と土色の色彩がぼんやりとにじんでいます。秋岡美帆(1952−)の作品は、いつもこんな風に、つかみどころのない一瞬をとらえます。
 紙の横幅は2メートル以上もあり、実物を目にすると、その大きさにちょっとした驚きを覚えます。額に納まった絵というよりは、戸外の風景を目の当たりにするような開放感が、彼女の持ち昧です。絵の構図を見てみても、上も下もないようで、景色は左右にどこまでも広がり、その一部をふとカメラのファインダーがすくい上げた、そんな具合です。
 写真に覚えのある人なら、これがスローシャッターで撮影されたカメラの影像であると勘付かれるでしょう。秋岡の版画は、自ら撮影した写真をもとにして作られています。映画やテレビのワンシーンを印象づける、美しいカメラワーク―自然のうつろいや、光のまばたくさまを巧みに流し撮りしてみたいと、カメラを持つ人なら一度は思い立ったことがあるのでは。また別の人は、ピンボケの写真を流用した偶然の産物だと、手厳しい批判をされるかも知れません。作家は、そんなぼやけた画像による表現をかれこれ20年近くも続けているのです。
 秋岡の作品を語るとき、しばしば引き合いに出される心理学の用語に「周辺視」と「中心視」というものがあります。私たちがものを見るときのことを考えて下さい。対象に目の焦点を合わせ、それが何であるかいちいち言葉にしないとしても、確実に納得しながら私たちは行動します。お箸や茶わんを持ったり、本のぺ一ジをめくったり。いまあなたが読まれている美術館ニュースの、紙面の外に意識を集中してみて下さい。実際に見てはいけません。視線はニュースの文字を見つめながら、その視野の端っこにあるものは何かを理解してみて下さい。あなたがいま居る場所の、床や机でしょうか。友達や家族の体でしょうか分かるとも分からないとも言えない、「意識していない」領域が私たちの視野には存在します。それが周辺視で、あいまいに知覚することしかできません。試しに、周辺の事物のどれかに意識を集中してみて下さい。すると今度は正面の映像が、例え「見えて」はいても、ぼんやりした情報に変わります。もはや中心視ではなくなったわけです。
 心理学的な知覚の分析は、なにか私たちの知らない部分が解明されるようで、興味深いものです。そしてそれが、美術の発想を押し広げるために有効な場合もあります。秋岡の場合は、1970年代に大学で美術を研究しました。当時、写真を使った版画表現は既に一般的でしたが、印刷技術に強い関心を抱く一方、ものの見え方を探ることが作家のテーマとなっていったのです。ぼんやりとした知覚、動く物体をとらえる知覚、そういった事柄への興味が彼女の制作を支えています。
 ですから、カメラを使うことは作家にとって手段であり、見たままの大きさを表現するため、大型の印刷画面が必要とされました。それが、写真を拡大して吹き付けるNECOという印刷技術です。元になる写真の粒子と、ノズルから噴出する粒子の細かさはミックスされ、手描きとも写真とも異なる画質を生んでいます。そのことが、あいまいな視界を表現することに一役買っていることは確かでしょう。
 淡く染み込んだ色彩と、粗い紙の乾いた表情、そして光と影を優しくとらえる視線には、どことなく古風な美意識すら感じられます。樹木からこぼれる陽射しなのか、水面のきらめきなのか、映像の種明かしはまたの機会にゆずるとしましよう。漠として酒落たタイトルを、せっかく作者は選んでいるのですから。光の「あわい(間)」と。
. 徳島県立近代美術館ニュース No.29  Mar.1999 所蔵作品紹介
1999年3月
徳島県立近代美術館 竹内利夫

作品はhttp://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=5345でいくつか見ることができます。
参考:NECO=New Enlarging Color Operation コンピュータ制御されたエア・ブラシによる拡大技法

カタログより作者の文章「ゆらぎのなかで」一部を引用します。

写真とは光の明暗で、現実から写し込まれたそのフィルム上での出来事は、それを映し出す素材の肌理の上で質を得、新たに蘇る。カメラに写し込まれた世界の肌理は、支持体となる素材の肌理の上に多層の肌理の相を実現化する。映像はキャンバス、和紙、洋紙と選び取られた素材によって決定的な現実となる。影の肌理は、大きなて手漉き雲肌和紙の上に、顔料による点の集積として蘇った。こうして一連の
ゆれるかげ》のシリーズが生まれた。
 足元にゆれる木の影、その無限の運動と実体の厚みを失った影は、存在する物の向こうにある軽やかで変化する無数の光の間隙と時間を感じさせてくれる。遠近法に始まって、オールオーヴァーの画面を経て私は今、新たに画面を形成する構図について考えている。自然から得られる微妙に繰り返される円や腺からはフラクタルの図が形成された。自然のもたらす形象は雲の形も影の形も水の形も全く似かよっていて微細に変化し繰り返し続ける。振動する時空。水面にこぼれる光と影の運動のように。

 最初、水面の写真と思った。インクジェットプリンタが進歩した今、NECOプリントってまだ使われているのかな?



 

2010-03-19 芸術は可能か?

アクセス数急上昇?

 この一週間、アクセス数がいつもの3倍位のアクセス数があった。
次の事柄を検索してこのblogにたどり着いたようだ。

  • 「コダックのカラー印画紙の製造中止」

 このこと自体が、この製造中止のニュースが銀塩写真を続けている人達にショックをあたえたようだ。

  • 「非実在青年」「青少年健全育成条例改正案」

 民主党が継続審議にしたことで、成立しなかったが、もしかしたら通るということで関心が非常に高かった。

 これも、関心の高いニュースだった。
これらのニュースも大分新鮮味が無くにつれて、わたしのblogもアクセスう数は元のレベルに戻ってしまうようだ。

六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?

タカザワケンジ(kenkenT)さんのTwitterより

米田知子。ある建物の壁、カーテンの変奏曲。その建物が何なのかも重要だが、それがわからなくても伝わる何かに興味がある。

http://twitter.com/kenkenT/status/10716471737

六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?」に出品した、作品の話らしい、米田知子さんの今までの作品の発表の仕方を考えると、きっとその建物の謂れが鑑賞者にわかるように展示してあるのだろう。それがわからなくても伝わる何かがあるっていうことか?
 確かめに行ってこようか?

六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?」
http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/exhibition/index.htmlより

明日に挑む日本のアート

日本のアートシーンの“明日”を見渡すべく、多様なジャンルのアーティストやクリエイターを紹介する「六本木クロッシング」。第3回となる本展では「芸術は可能か?」※という古くて新しい問いを出発点に、エネルギーに溢れ、力強く明日に挑む日本のアートの“今”をご覧いただきます。長いキャリアを持つアーティストから若手注目株までの20組による、写真、彫刻、インスタレーション、映像、グラフィティアート、パフォーマンスなど全く違う作品同士が互いに刺激し合い、「交差(クロッシング)」します。
会場では、現代社会の中のさまざまな問題を描くアート、他社との協働やジャンル横断により新たな可能性を見せるプロジェクト、私たちの日常があるストリートを舞台とする創作活動、そして新しい美学の誕生を予感される新世代の表現など、3人のキュレーターによって選ばれた数多くの最新作や話題作を紹介します。
社会・経済が不安定で将来が見えにくくなっている今こそ、アートの本質や可能性についてもう一度考える良いチャンス。「六本木クロッシング2010展」だからこそ見えてくる発見、驚きや感動、次世代を切り開く創造力(クリエイティヴィティ)をぜひ実感してください。

※「芸術は可能か?」アーティスト・グループ、ダムタイプの故・古橋悌二バブル経済崩壊直後、1990年代のアートを考え、アートアートの枠の中に留まらず、社会に影響を与えることにより成立する可能性を問いかけた。

参加アーティストは
http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/artist/index.html

2010-03-18 コンピュータで読書

青空文庫

AmazonのKindele、Sonyのe-Book ReaderそしてAppleiPad電子書籍の時代が近いと騒がれているが、ならば時代を先取りして、net bookにsmoopyhttp://site-clue.statice.jp/soft_smoopy.php )という、青空文庫リーダーをインストールした。

坂口安吾「日本文化私観」をダウンロードし読む。結構読みやすい。

 <image> http://site-clue.statice.jp/images/smoopy_001-f.png </image>

ここらは、まじめに読書の話、「日本文化私観」の「四 美に就て」より、坂口安吾
小菅刑務所」、「聖路加病院の近所にあるドライアイスの工場」、「軍艦」を美しいものの例として挙げ、その後こう続けている。

 この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。必要によって柱は遠慮なく歪められ、鋼鉄はデコボコに張りめぐらされ、レールは突然頭上から飛出してくる。すべては、ただ、必要ということだ。そのほかのどのような旧来の観念も、この必要のやむべからざる生成をはばむ力とは成り得なかった。そうして、ここに、何物にも似ない三つのものが出来上ったのである。
 僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。これが、散文の精神であり、小説の真骨頂である。そうして、同時に、あらゆる芸術の大道なのだ。
 問題は、汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。汝の生命と引換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝自らの宝石であるか、どうか、ということだ。そうして、それが、その要求に応じて、汝の独自なる手により、不要なる物を取去り、真に適切に表現されているかどうか、ということだ。

 
 高校のときの教科書に坂口安吾の文章が出ていた、そして、「堕落論」とかこの「日本文化私感」等を読んだことがあったのだが、その頃はどのくらい理解してたのだろうか?
 このアプリケーション青空文庫を色々読んでみたい。

2010-03-17

川崎ミュージアム「カメラ毎日の時代」

川崎ミュージアム「カメラ毎日の時代」を見に行く。
川崎ミュージアムのホームページより 
http://www.kawasaki-museum.jp/display/exhibition/exhibition_de.php?id=109

  カメラ毎日は、昭和29(1954)年6月号から昭和60(1985)年4月号まで31年間、379号続いた毎日新聞社が刊行した写真雑誌です。月例コンテストやカメラの性能に記事の重点 を置く写真雑誌が多い中、カメラ毎日は若手写真家の新しい表現の紹介に重点を置きました。今回の展示では、今年度当館に寄贈されたカメラ毎日と、当館収蔵の森山大道荒木経惟須田一政田村彰英、土田ヒロミなどのカメラ毎日が育てた作家達の作品をご覧いただきます。また、カメラ毎日が積極的に紹介した海外作家の中からダイアン・アーバス、リー・フリードランダー、ラルティーグの作品もあわせて展示します。

 前にも、書いたが、高校時代からカメラ毎日を買出し、それから17年位最終号まで買い続けた。
 須田一政田村彰英ダイアン・アーバスの6x6の正方形の作品に惹かれ、MINOLTA AUTOCORDを買い、街を歩き回って写真を撮るようになったし、その後荒木経惟の「東京は秋」を見て、アサヒペンタックス67を買ったりもした。発売日の20日より19日にはヨドバシで買えるので、1日でも早く手に入れたくて、よくヨドバシカメラに買いに行った。(その後、クレームがついたのか20日に発売するようになった)写真のことカメラのこと等、みなカメラ毎日から知識を仕入れていた、あの頃が懐かしい。

 

漫画の性描写、都規制案 結論先送りの方向

 朝日の『漫画の性描写、都規制案 結論先送りの方向』という見出し、漫画の性描写だけが問題みたいに思われてしまう。見出し別の書き方ないんでしょうか?
 
 http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY201003160528.htmlより
 

漫画の性描写、都規制案 結論先送りの方向
漫画キャラクターなどの性描写を規制対象に明記する東京都の青少年健全育成条例改正案について、都議会第1党民主党は16日、今議会中に可否の結論を出すことを見送り、改正案を継続審議にする方向で調整に入った。共産党なども含め、議席の過半数を占める野党会派が協調する見通しだ。

 民主党は「表現の自由を侵す恐れがある」などとして改正案に反対する漫画家らの意見も踏まえ、対応を検討。その結果、党内で「規制する基準の詳細を示す条例施行規則が定まっていない状態での採決は拙速」(幹部)との意見が強まっている。

 改正案を審議する委員会と本会議の議席はいずれも、民主、共産、生活者ネットワーク・みらいの野党で過半数を占めている。共産、ネットも改正案を問題視しており、継続審議に同調する方向だ。自民、公明両党は改正案に賛成する方針を固めている。19日の委員会で継続審議を決め、30日の本会議で最終決定する見通し。(岡雄一郎)

Twitter上での会話立ち聞きしちゃいました

こないだから、写真と言葉について色々きになっていたところ、twitterでの「写真と言葉」についての内原恭彦(yuchihara)さんと平野尚志(hiranotakaci)さんの会話を聞いてしまいました。 つぶやきの時間の順に並び替えてみました。


平野

@yuchihara いや、念頭にあったのはこんな感じのです。あ、ひょっとしたら、こういうのもイメージマクロって言いますか? http://www.fecalface.com/POTD/upload/2009/12/12-16-09/12-16-09.jpg 10:12 PM Mar 6th webから yuchihara宛



平野

@yuchihara こういうのがロシア語だったら、ロシア語ユーザーの間だけでウケておしまいだよなー、とか思って。言語は写真の中でも突出していて、気になるんです。 10:26 PM Mar 6th webから yuchihara宛



平野

@yuchihara まさにそう思います。ああいうのは閲覧者の思考言語に依存するなあと。わたしにとっては、そこに書かれているのが日本語でも英語でも他の知ってる言葉なら、大差は無いんですが、人によっては雲泥の差が出ると。 10:30 PM Mar 6th webから yuchihara宛



内原

英語って、頭文字を使った略号がとっても多いし、それは伝達効率を目指したものというよりも、仲間内のジャーゴンと化している気がする。特に軍隊の略号好きはギャグの対象にもなっているし 10:33 PM Mar 6th webから



平野

@yuchihara それもありえるなあと思います。英語は実際に特権的な位置にあるし、母語話者もそう思ってるだろうし。ほぼ確立されてる、と思っているから納得出来る反面、その地位もあくまで相対的なものだよな、と思うので、私は言葉を頭の中で置き換えてしまったりと、考える癖があって。 10:34 PM Mar 6th webから yuchihara宛



平野

相対的と言うのは、例えば、フランス語やスペイン語でも、似たような効果が広範囲の人の間で生まれるよなー、わたしには分かんなくなるけど、という意味で。 10:36 PM Mar 6th webから



内原

@hiranotakaci 写真の「作品」を作るという立場からすると、言葉を添えるのは避けるべきことなのかもしれないけど、どうなのかな?ものすごく抽象度が高い簡単な英単語とかだったら、ぼくはアリじゃないか、と思う。それがやがて簡単すぎて不可解なテトラグラマトンのようになるのではと 10:36 PM Mar 6th webから hiranotakaci 宛



内原

@hiranotakaci 現時点では、フランス語やスペイン語をイメージに添えた段階で、それらの言葉を積極的に選択したという表明になってしまうような気がする。日本語も同様。英語ではない言葉を使うということが、ある特定のニュアンスを帯びてしまう。 10:40 PM Mar 6th webから hiranotakaci 宛



平野

@yuchihara こんなことを書いていて何ですが、わたしは基本的には言葉を含ませることに何かを期待しています。簡単過ぎることや難解過ぎる点など、分かる、分からない、が特別に明確なことを、どうにか逆手に取れないかな、等とぼんやり考えています。 10:43 PM Mar 6th webから yuchihara宛



内原

@hiranotakaci なるほど、それは同感です。 10:44 PM Mar 6th webから hiranotakaci 宛



内原

@hiranotakaci ただ、シミュレーショニズムと呼ばれた作家たちやコンセプチュアルアートに含まれる作家たちが、写真と言葉を使った作品を大量に作ってるから、ほとんどのアイデアはやりつくされているというか、そういう作家たちと違ったことをやるのは簡単ではないと思いますが 10:47 PM Mar 6th webから hiranotakaci 宛



平野

@yuchihara 西語や仏語、他で言えばまだまだかなり英語圏と断絶のあるロシア語圏などで、それらの言葉が添えられた言葉がどのように感じられるかを、わたしは実感出来なくて。極論言えば広義で日本は英語圏なんですよ。私達やアメリカ人にとっての英語と同じ効果が個々人にはあるだろうと。 10:49 PM Mar 6th webから yuchihara宛



内原

@hiranotakaci 「広義」に言えばその通りなんだけど、同じ単語でもアメリカ人とイギリス人が受け止めるニュアンスや意味は違うと思うし、日本人にとってはなおさらで、しかも地域だけでなく時代によっても異なるわけだし、そもそも言葉がどうとられるかと考えること自体がナンセンスでは 10:54 PM Mar 6th webから hiranotakaci 宛



平野

@yuchihara そうですね。言語をテーマの根幹に据えて新しいこと、って言うのは、誰もが考えることの出来ることだし、そこから突出するのは容易ではないでしょうね。 10:51 PM Mar 6th webから yuchihara宛



平野

@yuchihara いや、考えてどうなることではないとは思ってるんです。ただ「I love you」のレベルだと、もう大体ストレートにみんなニュアンスも意味も把握出来るし、そこが「j'taime」でも大差ないなと。でもちょっと込み入ったり隠語になると閲覧者によって差が出る。 11:01 PM Mar 6th webから yuchihara宛



平野

@yuchihara で、その差も、時代や地域でどんどんズレて行く。それを単に興味深い、気になるって言ってるから社会学者みたいになってしまうのですが、でもその特殊性を写真の中で見つけた時に、立ち止まって考えてしまうんです。 11:03 PM Mar 6th webから yuchihara宛



平野

日本語の140字ってそこそこ書けちゃう気がするけど、そこそこ以上には書けないな、やっぱり…。それに、時々無理して押し込んで書いてしまう。 11:11 PM Mar 6th webから



内原

@hiranotakaci 閲覧者によって差が出るというのは、言葉に限らず、イメージだって読み取るものだから、見る人によってさまざまなレベルで差が出る。そうした受容の差が無いほうがいいわけではないし、差があったほうがいいとも思わないけど、それは言葉の問題からはズレているのでは? 11:12 PM Mar 6th webから hiranotakaci 宛



平野

@yuchihara 基本的にはイメージも読み取るものというのは同感なんですが、言葉の場合はその閲覧者による差が、言葉のないものに比べて、極端に大きくなることを考えてしまうんです。100枚の写真中の20枚に英文が含まれ、それが面白さを保証している時などに、ちょっと気になって。 11:20 PM Mar 6th webから yuchihara宛



平野

@yuchihara ただ、言葉が他と比べてどれほど「極端」か、って言うのは、計りようが無いし、わたしが特に自分の背景から意識を取られているのはあると思います。程度の差を考えているだけ、と言えばその通りですし。 11:22 PM Mar 6th webから yuchihara宛



内原

@hiranotakaci 言葉の読解力の差が作品の鑑賞に大きく影響するような作品があったとしたら、それは質の高い作品ではない、と思う。それは言葉とイメージが依存しあっているのではないか 11:26 PM Mar 6th webから hiranotakaci 宛



平野

@yuchihara それは完全に同感です。 11:29 PM Mar 6th webから yuchihara宛



内原

@hiranotakaci 確かに、すごく洗練されたコンセプチュアルアートとかって、言葉にしてもイメージにしてもアートの文脈にしても、読み解く力が必要なのは事実で、ぼく自身はほとんど理解不能だったりするから、鑑賞者の読解力の差は厳然としてある。 11:30 PM Mar 6th webから hiranotakaci 宛



平野

さっき、「ちょっと気になる」って書いたのに次に「完全に同感」って書いたりしていていけない…。反省。「強く疑問を感じる」と置き換え。 11:33 PM Mar 6th webから



内原

@hiranotakaci 言葉を、情報の伝達とか、説明の道具としてではなく、詩として使ってみるのもいいんじゃないかな?詩も、伝達の道具には違いないんだけど。ダダのように、まったくナンセンスに言葉を破壊音のように使った作品もあるわけだし 11:33 PM Mar 6th webから hiranotakaci 宛



平野

@yuchihara どうすると良いかと言うのは考えきれてないんですが、記号としての意味が作品内でどうにか解体していれば、気にならないとは思います。実際、そういうのは結構あるし、凡庸な外国語を用いたデザインとどう差を付けられるかは問題ですが。自分にだけ解体してるのではまずいし。 11:39 PM Mar 6th webから yuchihara宛



内原

ある日本製ゲーム内の記された英文が、文法的に滅茶苦茶なのが、アメリカ人のオンラインコミュニティでウけて、話題を呼んでそのパロディがたくさん作られたことがあって、それはバカにしてるんじゃなくて面白がってるわけで、間違っていることが新たなコミュニケーションを生んだとも言える。 11:39 PM Mar 6th webから

2010-03-16 Sinar F 使ってみました

Sinar F

 日頃、使っているのはEbony New Wideであるが、実は3年前、Yahooオークションで、3万円位でSinar Fを手に入れた。アルミケースに入れたときの大きさと重さに尻込みして一度も使ってはなかった。一時はこれを運ぶために、もっと軽いカバンをさがそうと色々調べたのだが中々手頃なのはない。
 
 今日、思い切って、Husky(三脚)にSinarを取り付け、立石から久留和まで歩き出した、関根川の付近で写真を撮ろうと思ったのだが、だんだん肩に担いでいた(三脚+カメラ)が、だんだん重くかんじられるようになってきた。
 とにかく、24枚撮影、やはり金属性のカメラは撮るときは使い易く、気持ちよく撮れたのだが、帰りが、大変でした。行きより更に重く感じられ、2,3回立ち止まって休んだ、肩だけでなく頭の芯までが痛くなってきたのだ。おまけに、海岸通りにでると海の向こうには夕日と富士山、やばい、こんな景色撮りに来た人と間違えられたらと思いながら、仕事場にもどりました。

 車を運転出来ないとビューカメラってやはり外に持ち出すのは無理なのですかね。Sinar FのFはFieldのFで外に持ち出して撮影できるみたいな記事をBlogで読んだことがあって、このカメラを手に入れたんだけど、私の体力では今日みたいな持ち運び方では無理、ととにかく持ち運び方を一工夫しないと。4x5で180mmとか210mmを使うために、もう一つカメラを買うことになってしいそうです。

 Film:TRI−X(4x5)24枚
Lens: Nikkor 120mm F8s,Fujinon 150mm F6.3,Super Angulon 65mm F8

疲れが残ったので、仕事場に戻ってからのFilm現像は止めました。

レンズの数値(焦点距離 /35mm換算)=年齢説

Kenji AIHARA(i_ken)さんのtwitterより

写真だと、レンズの数値(焦点距離 /35mm換算)=年齢説というものがあって、これあながち間違ってないという意見もある。ちなみに提唱者は高梨豊氏。 QT @k_wota: RT 血液型建築家論 http://bit.ly/c7ftRl

http://twitter.com/i_ken/statuses/10472957388より

 そうか、最近、標準とか準望遠の単焦点レンズつきのデジタル一眼レフでも買おうかなんて考えるようになった。
でも、4x5で、EBONYのNEW WIDE+65mm(35mm換算18mm)なので、これ相当無理しているってことなのかも。確かに、4x5で、180mmとか210mmを使えるようなカメラが欲しい。そうすれば、年相応の焦点距離ってやつになります。

2010-03-15 本探し

気になった屏風のこと

 長谷川等伯を上のに見に行ったとき、Blogに書いたのだが、一体画家は屏風に絵を描くとき、それを、ジグザクに折り曲げて立てたときの効果を考えて描いているのかどうかが疑問であった。
 
 昨日、CP+の帰り、BOOKOFFみなとみらい店で、次のような新書を見つけた。

日本絵画のあそび

日本絵画のあそび



 この本の第一章、『生活のなかの遊び―動く画面』の『動く壁―襖絵の隠現効果』の節で、

  • 画家が襖絵を描くとき、襖は左右(開閉)に動かすものであることを考慮したか
  • 一室を囲繞する襖が九十度の角度で屈折する点を考慮して図様構成にひと工夫したか

について考察していた。
そして、

  • 左右に(開閉)を考慮した例として、狩野探幽名古屋城上洛殿襖絵
  • 九十度の角度で屈折する点を考慮した例として、狩野永徳の大徳寺聚光院方丈室中襖絵を

をそれぞれ挙げ解説していた。
この部分を読んだとき、この人ならば、屏風絵に関しても、何か解説をしていないか、他の部分を見たのだが、屏風絵についての解説はなかった。
 早速、ネットで検索すると、

日本絵画の見方 (角川選書)

日本絵画の見方 (角川選書)

という著書もあることが分かった。早速、今日購入してきた。

屏風絵についての考察が書いてありました。

 『第五章 作品という「もの」』の 『四 折れ曲がる画面』という節に書かれているのだが、
まず、狩野山雪の『富士・三保松原図屏風』を平置きと折り曲げておいたときの写真を載せ、平置きのときは富士の稜線が際立つこと、折り曲げたときは富士の高さが目立つことを示し、置き方一つで図様が激変するのが屏風絵であるといい。

応挙『保津川図』―置き方で変わる追真性
もちろん、屏風絵のそうした特質を承知の上で制作した画家も少なからずいたはずだ。さしずめ円山応挙が、それであろうか。彼こそは、描かれた空間と現実の空間について、「見る」ことを通じて本格的に考えた最初の画家である。
 その『保津川図屏風』(千總蔵)が問題の作だ。

 略

 図は、その長大な画面に保津川保津川という徴証はないが、はやくよりそう呼び慣れされてきた)の激流が流れる。滝となり音をたて、岩を喰む。圧倒的な水量が見る者に迫る。もちろん、これを平置きし、画面を全開した状態で眺めても、その視点を低くした追真的描写を味あうことはできるだろう。だが、わたしには、それだけでは八曲一双の画面は、いかにも長大にすぎるように見える。画面構成が単調で、やや平板に失した嫌いがあるのではと感じられるのだ。
 しかし、これを折り曲げて立てて見ると、たとえば画面の左右両端、L字形、逆L字形の滝は、一層その落差を増し、また岩を喰んで流れる水も、その量感と勢いが強まる。水流がよどみ、のたうち、ほとばしる、その方向性にも、一段と複雑さが加わるように見える。同様のことは、右隻右より第四、五扇にわたる二本の松にも言えるようで、二枚のパネルが、ある角度をもって交差することによって、そこに描かれた幹と枝の左右、前後への広がりは、より複雑さを増す。さらに右隻右端の懸崖も、平置きではあまりにも平板であったものが、画面そのものが斜めになることで、ある奥行と量感とをもつにいたることも見逃すべきではないだろう。
 言うまでもなく、これらすべての効果をもたらしたものは、応挙の驚嘆すべき図様構成の妙と、ジグザグに折り曲げて立てる、その立て方であった。となれば本図の制作に当たって、応挙がそうした屏風の使用法までも念頭に置いていたことは、もはや疑いあるまい。

 略


 この後、応挙以外にも、河鍋暁斎の『七福神図屏風』を上げて、絵に描かれた七福神の視線を考えることによって、折り曲げて立てることの効果を説明している。

 写真を展示するとき、ひとつの平面でなく、互いにある角度をもって立てることにより効果を挙げることができないか、考えてみたいと思っている。


 

白黒で

twitter

I began to print Tokyo Candy Box. I have to make last and best prints.

http://twitter.com/onakakoji/status/10378675574

と呟いていた、尾中浩二(onakakoji)さん、Tokyo Candyの最後のcolor printを終えて、今度は白黒フィルムを持って旅立ったようです。

I'll go to Tohoku with B&W tomorrow morning. It is a start of new season.

http://twitter.com/onakakoji/status/10473558526

白黒って、コダックのカラー印画紙が無くなったからですかね。
ところで、Tokyo Candy BoxのスライドショーがYouTubeにアップされていました。
D

2010-03-14 日本カメラショーが懐かしい

CP+を見に行く

 子供の頃、父に連れて、日本橋高島屋で行われている「日本カメラショー」によく連れられて行った。そこで、もらってくるカメラショーのカタログは私の愛読書で、大人になったらこんなカメラを買おうとか考えながら、隅々までよく読んで、色々なカメラの仕様、値段をよく覚えた。
 父も亡くなり、勤めるようになってからは、足が少し遠のいた。特に、高島屋を離れ、池袋サンシャインや東京ビッグサイトで行われた、ショー(色々名前が変わったようなので、名前はわからない)には行っけたことはなかった。
 1月の横浜フォトフェスティバルでチラシを見て、「横浜でやるようになったんだ、今年は顔を出してみるか」と久しぶりに行ってみることにした。
 昔の、高島屋の催事場で物産展と一緒にやっていた、狭い会場でのカメラショーとは全く異なるものになっていた。
広い会場、カメラを首からぶら下げている人達が、コンパニオンを撮っている。カメラショーなのに舞台の上で、次から次へファッションショーのようにそのコンパニオン達が歩いていたり、びっくりした。
 ここまで、書いて、他の人達がCP+についてどんなBlogを書いてるか見たら、これでも経済不況を反映してコンパニオンの数が減っているというのですから、ビックリです。
 ほぼ、デジタルカメラだけのショーでしたが、富士フィルムのブースでGF670を触り、担当のオジさん(失礼、今日会場にいた説明員のなかでおそらく最高齢)と話をできたの収穫でした。もう欲しがる人が一通り買ってしまったので、売れないのでよろしくとのことでした。
 写真は、シュリロトレーディングカンパニーリミテッドのブースに飾ってあった。瀬戸正人さんのBinranの写真です。
 PHAS EONE P45V /HASSELBLAD 503CX/ DISTAGON 60mm F3.5で撮ったことがわかりました。(写真ではHASSELBRADになっています。ずっとスペルを間違ってたのかと、思わず調べてしまいました。)
f:id:heliograph:20100314144406j:image

鎌倉・鶴岡八幡宮の大銀杏「再生の可能性は90%」

鎌倉・鶴岡八幡宮の大銀杏「再生の可能性は90%」だそうです。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100313/trd1003132128018-n1.htmより

 強風の影響で倒れた鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の県指定天然記念物大銀杏(おおいちよう)」について、八幡宮の依頼で再生を指導している東京農大の浜野周泰(ちかやす)教授(造園樹木学)は13日、八幡宮で会見し、倒れた幹部分を移植した場合の再生の可能性について「昨日の判断では90%は戻るのではないか」との見通しを示した。

 八幡宮ではこの日午前、倒れた幹を移植して根付かせるため、根元から4メートルの高さで切り離す作業を行った。浜野教授によると、幹の根元にある直径30〜50センチの大きな根4本はすべて折れた状態。しかし、2ミリ〜5センチの細い根が周囲にまんべんなく出ており、養分や水分の吸収が期待できるという。

 浜野教授は「生き物なので絶対ということはない」とした上で、「今後の気象によるが、昨日の判断では90%は戻るのではないか」と述べた。気象条件については「高温、乾燥が続くと確率は落ちる。湿度が高く、曇り空でなるべく風が吹かないこと」とした。

 切り離した上部や枝については、八幡宮は保存や調査など必要な措置を講じるが、信仰の対象のため境内から出さないとしている。

 八幡宮総務部長の国生(こくしょう)護衛(もりえ)禰宜(ねぎ)は「本体が何とかならないかと思い、ご神体ではあるが切断した。残せるかぎりの大きさで、1%でもいいから再生させたい」と話している。

東京都青少年健全育成条例に反対、民間団体と有識者が意見表明


 3月12日、 東京都が提出した青少年健全育成条例改正案に対し、条例案に反対する民間団体などが結束し、意見表明を行った。反対意見は 東京都議会の議長や議員らに送られる。

詳しくは
http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20100312_354355.html

以下参考 URL

  • 「青少年健全育成条例」改正の意図、 東京都の担当者に聞く 罰則なくとも「世の中に流れ作る意義」

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/special/20100311_354038.html

  • SNSは再び一律フィルタリング?  東京都の動きに事業者懸念

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20100312_349603.html

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0312&f=politics_0312_006.shtml

  • マンガ・アニメの「ポルノ」 キャラクターが18歳未満に見えるとダメ

http://www.j-cast.com/2010/03/12062216.html

2010-03-13 光は私の一生のテーマだ

ゲルハルト・リヒター

 Wako Works of Artsで行ったときの、ゲルハルト・リヒター「アトラス」(発行:ワコウ・ワークス・オブ・アート
CAPTER 1 テキスト:ゲルハルト・リヒター 翻訳:清水穣 より 引用

|ノート| 1989年11月20日
 イリュージョン―― より仮象=光(シャイン)。光は私の一生のテーマだ(アカデミーの新入生歓迎演説会のテーマにいいかもしれない)。存在するあらゆるものが我々の眼にみえるのは、我々がその反映する光(シャイン)を知覚するからであって、そのほかのものは目にみえない。
 絵画は、ほかのどの芸術にもまさって、ひたすら光に携わっている(もちろん写真もその数にいれている)。
画家はその光をみて、それを反復する、つまり、ものそれ自体を生産することなしに、画家はただその仮象(シャイン)を生みだす。もしそれがいかなる具体的なものも、もはや連想させないとしても、人工的に生みだされた仮象が機能する理由は見る人がその仮象に似た慣れ親しんだ仮象、すなわち対象性をもった仮象を捜し求めるからである。 
たとえ、美学のうえの経験やとり決めが、この似たもの探しを禁じたとしても、つまり、ロバート・ライマンの白く塗られて絵画と、白壁を比較したりしないで、モノクロームの歴史や美学の問題と比較するとしても――それでもなお、仮象の作用は基本的には同じである――我々はそれを雪や、小麦や、歯磨などを比較するのである。


参考ロバート・ライマン

http://www.fujitv.co.jp/events/art-net/go/091.html
http://www.worksonpaper.jp/publications/books/r/robert_ryman.html

コダック社 カラー印画紙製造中止の反響の続き

 自分のどうしようもないBlogアクセス数が3倍ぐらいになっている。アクセス解析をみると、ほとんどが、「コダック」「カラー印画紙」「製造中止」で検索をかけてこのBlogを見てくれたものだ。
 昨日、引用したが、

やがて印画紙がなくなれば(あるいは、印画紙がさらに高価なものになれば)、インクジェットプリントか、デジタル対応の銀塩ペーパー。それは「本物」に対して「フェーク」ということになるのだろうが、そもそも写真っていう工業製品自体がフェークっぽいところに魅力があるんじゃないかな。

http://twitter.com/kenkenT/status/10346318625

印画紙の次はフィルム。なくなったら……デジタルで撮るしかないでしょう。それも、かえってすっきりするかもしれない。あきらめがつくっていうか。というわけで、あんまり悲しんだり、問題に感じていません。愛用している人たちには申し訳ないけど。

http://twitter.com/kenkenT/status/10346421966
というのは簡単だけど。
 それなりに設備投資をして銀塩のカラーで制作していた人にはショックなことだと思う。まして、途中まで作品を焼いていた人には、すべてやり直しになるわけですから、本当に困っているでしょう。FreeStyleでももうすでに、コダックの印画紙の在庫はないようです。

ヨドバシのカラー印画紙の消えた棚を撮っていた尾中浩二さんは、twitterにこうつぶやいてます。

I began to print Tokyo Candy Box. I have to make last and best prints.

http://twitter.com/onakakoji/status/10378675574

 今回の「コダックのカラー印画紙の製造中止」は、銀塩写真が終わってしまうのではないかと、心配している人達を、「もう一歩、終りにに近づいたな。」という気持ちにさせてしまったのだろう。

2010-03-12 コダックの印画紙が無くなった

大銀杏の解体が始まった。

D

なお、http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20100312ddlk14040186000c.htmlによれば

鶴岡八幡宮:大銀杏倒壊 再生へ3者検討組織を−−県教委・鎌倉市など /神奈川
 ◇県教委・鎌倉市・鶴岡八幡宮、ご神木保存と活用で

 鶴岡八幡宮(鎌倉市吉田茂穂宮司)の大(おお)銀杏(いちょう)が倒壊した問題で、県教育委員会、同市、八幡宮の3者は11日、ご神木の保存と活用のあり方を話し合う検討組織を設置することで一致した。松沢成文知事が同日、現地を視察した際に提案し3者が合意した。八幡宮は「可能な限り再生に取り組む」と話し、残った根からヒコバエ(幼木)が生えるのを見守りつつ、倒れた木の再生方法も探りたい考えだ。ただ県の天然記念物指定については、解除を申請する考えで、県教委も「指定解除はやむを得ない」との認識のため、解除される見通しだ。【吉野正浩、木村健二】

 同日夕に視察した松沢知事は具体的な保存策として▽県自然環境保全センターでご神木クローン苗を増殖▽幹の標本化−−などを提案した。視察後、松沢知事は「ご神木は非常に歴史的な価値があり、八幡宮の財産であるとともに、県民、市民の財産でもある。どういうふうに未来につなげていけるか、八幡宮とよく相談して検討していきたい」と語った。

 八幡宮によると、倒れた木について東京農業大の浜野周泰教授ら専門家らから「復帰はかなり難しい」と評価を受けた。だが吉田宮司は、倒れた木の下部を約4メートル切り取り、枝も少々払い、地面に植えてみたいと考えている。うまく根付いて、残った根から生えるヒコバエと、2本の幼木が並べば素晴らしいからだ。吉田宮司は「04年の台風時に挿し木を5本作製、10日にも倒れた木から挿し木を10本作った。神木のDNAは守られると信じている」と語った。

 具体的な方法は、12日早朝に視察する浜野教授らと相談したいという。

 倒壊から一夜明けた11日も大勢の参拝者が訪れた。参拝者はみな「大変なことになった」とカメラを取り出したり、知人に電話をかけたりしていた。

とのことなので、まだまだ難しいながらも、保存しようとする動きもあるようだ。

コダックカラー印画紙製造中止の反響

久保元幸さんのBlogより(http://blog.livedoor.jp/motoyukikubo/archives/51645544.html

コダックのカラー印画紙が突然製造中止になってしまい買い占めに走っている人が続出しているようです。たとえ手に入れることが出来ても限りあるものなのでその後をどうするか考えておかないといけませんね。かろうじて残されている銀塩モノクロ感材も例外ではないです。これでまたデジタルに移行する人達が増えるのでしょうか?



M.HASUIさんのBloghttp://blog.mhasui.com/?eid=1026828)より

このところ印画紙やフィルムの大手メーカーによる製造中止の連絡が相次いでいるが、今日ついにコダック社がすべてのカラー印画紙の製造を今年夏に終了すると言う連絡があった。そうなればカラー印画紙に関してはフジ製のものに頼るしかない。それもこのペースで行けばいつまで続くか不安である。いよいよカラー写真に関してはインクジェットプリントに頼る事になる。デジタルカメラによるデジタルプリントの作品作りにそう抵抗はないが、やはりアナログの表現には未練たっぷり、後ろ髪を引かれる思いである。
暗室に鎮座する全紙サイズ対応のプリントマシンや全長が3メートルもある8x10対応の伸ばし機もただの鉄くずとなってしまうのだろうか。これからは、より写真的なアプローチを模索してゆかなくてはならない。



タカザワケンジ(kenkenT)さんのtwitterより


コダックのカラー印画紙の製造販売終了のお知らせ http://bit.ly/9oB9WC が波紋を呼んでいる。というか、衝撃のあまり電話してくる人が写真家がいるくらい(俺に言われても)。でも、あるものでやるしかない、のは写真の歴史につきもの。

http://twitter.com/kenkenT/status/10346170049

やがて印画紙がなくなれば(あるいは、印画紙がさらに高価なものになれば)、インクジェットプリントか、デジタル対応の銀塩ペーパー。それは「本物」に対して「フェーク」ということになるのだろうが、そもそも写真っていう工業製品自体がフェークっぽいところに魅力があるんじゃないかな。

http://twitter.com/kenkenT/status/10346318625

印画紙の次はフィルム。なくなったら……デジタルで撮るしかないでしょう。それも、かえってすっきりするかもしれない。あきらめがつくっていうか。というわけで、あんまり悲しんだり、問題に感じていません。愛用している人たちには申し訳ないけど。

http://twitter.com/kenkenT/status/10346421966

ですよね。@akihide_tamura 同じく「問題に感じてません」問題は写真表現の内容だと思います。そん時はそん時(^.^)

http://twitter.com/kenkenT/status/10349109351

@akihide_tamura は田村彰英さん

尾仲浩二 また旅だよりhttp://kaido.tuna.be/11908320.html

では、ヨドバシカメラの空っぽになったカラー印画紙の棚の写真を掲載している。

そういえば、昔、森山大道さんがこんな発言をしていました。
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/exib/2008/05/29/8576.htmlより

「今はPCも持っていない。TRI-X(コダックのモノクロフィルム)があるうちはフィルムカメラを使うし、なくなったらデジタルをやるぐらいの気分でいる。PCなんて機械なんだからさ。これまでやっている暗室作業だって、僕は一番単純なことをやっているだけだから、デジタルでも同じだと思うよ。」


でも、その森山大道さんも、デジタルでの写真展「銀座/DIGITAL」を開催したり、『記録14号』(デジタル写真集)を出版したりしている。
http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/daido_vol2.html
http://bld-gallery.jp/blog/archives/1798

とりあえず、4x5のフィルムが手に入りやすいうちに撮ること。そりゃ、なくなれば「そん時はそん時」の覚悟はできているつもりですが。

2010-03-11 大銀杏その後

大銀杏その後

 今日も足ならしをしようと、逗子から鎌倉まで歩きました。逗子の大池から、池子の森(池子弾薬庫跡)にそって、果樹園、熊野神社、十二所まで歩いた。ここでバスに乗ろうと思ったが、銀杏がどうなったか見に行こうとと八幡宮に寄ってみました。今日の銀杏の様子です。
f:id:heliograph:20100311165524j:image
 調査した人が、発表しているようでしたが、もちろんこちらには分かりません。
ネットで調べると、つぎのような記事がありました。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010031000896より

イチョウの「回復不可能」=鶴岡八幡宮、資料保存も−鎌倉

 神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮で10日早朝に倒れた大イチョウについて、同八幡宮から依頼を受け、現地調査した東京農業大地域環境科学部の浜野周泰教授は同日、植え直しなどで回復を図ることは不可能との判断を示した。
 浜野教授は大イチョウが倒れた直接の原因を「昨日夕方以来の雪を含んだ強い北西の風」と分析。その上で、2月以降の多雨による地盤の緩みや生育場所が斜面で土壌が薄かったことなども影響したとした。
 生育状況は「樹齢相当に健全」で、鶴岡八幡宮の管理も「現状において最善の対応」だったとしたが、「根の状態から回復は無理と判断している」とコメント。大イチョウは資料として、残したいとしている。(2010/03/10-19:41)

コダック社 カラー印画紙製造中止発表(3月9日)

ナショナル・フォトのホームページhttp://www.nationalphoto.co.jp/1F/kodak_news_04.htmより

コダックRAエンデュラスープラペーパー製造販売終了のお知らせ 2010.3.9

コダックよりRAエンデュラスープラペーパー(シートタイプ)全製品の製造販売終了が発表されました。
米国本社より、「全世界での需要の激減」を理由に、突如製造販売終了の通達があったもようです。現時点ですでに工場生産は終了しており、現在庫が払底しだい製品ごとに終了となります。
なお、RAケミカル(発色現像、漂白定着、スターター、安定補充液)は、継続して製造販売されます。

【在庫払底予想時期】2010年3月より順次


ということです。4x5カラーをスキャンしてラムダプリントというのを考えていたが、もう印画紙はフジに限られてしまうのか?コニカミノルタはまだ製造しているのかな?

追記:コニカミノルタはカラー印画紙の製造部門をDNP(大日本印刷)に譲渡して、DNPはカラー印画紙の製造を続けているようです。

2010-03-10 いざ、鎌倉へ

ペンタックス中判デジタルカメラ「645D」を正式発表

デジカメWATCH http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100310_353556.html
ニュースリリース http://www.pentax.jp/japan/news/2010/201008.html
製品情報 http://www.pentax.jp/japan/imaging/digital/medium/645d/feature.html

からの情報をまとめました。

  • 価格はオープンプライス、店頭予想価格は80万円台
  • CCDは35ミリ判の約1.7倍、44mm×33mmのKodak社製 有効画素数は約4000万画素 ローパスフィルターレス
  • デュアルSD/SDHCメモリーカードスロット
  • レンズは645AF2に加え、従来のFA645とA645レンズが使用可能
  • ファインダーは、視野率約98%、倍率約0.62倍(D FA645 55mm F2.8 AL [IF] SDM AW装着時)
  • 高いゴミ除去性能を実現した“DR II(Dust Removal II)”機構(CCD前面のUVIRカットフィルター部を圧電素子超音波振動)
  • ライブビュー機能と動画撮影機能は搭載していない
  • 撮像素子が大型のためCCDシフト式手ブレ補正機構も非搭載

鎌倉鶴ヶ丘八幡宮大銀杏倒れる

4月のはじめに、熊野古道を歩くことになり、今日は、足ならしをしようと思いながら、自宅でぐずぐずしていると、携帯にニュースが入りました。

鎌倉・鶴岡八幡宮の大イチョウ倒れる。強風原因か。樹齢千年、「源実朝暗殺」の舞台(10:13)
朝日・日刊スポーツは⇒ http://m.asahi.com/go/an/
(C)朝日新聞社


 それでは、自宅の逗子からハイランドを超えて、釈迦堂、八幡宮を歩くことにしました。
 無事鎌倉八幡宮についたのですが、銀杏の周りには、もう囲いができて、近づけませんせした。報道陣も集まり、上空にはヘリコプターも飛んでいるなかで、神主さんと巫女さんがお神酒などを樹の何箇所かにかけ、頭を下げて回った後、足場の組み立てが始まっていました。おそらく解体されて処分されるのでしょう。

 デジカメの動画で撮り、YouTubeにアップしたので見てください。


D

2010-03-09 木村伊兵衛賞

東京駅から

まず、ZEIT-FOTO SALONへ蔵 真墨 作品展『 蔵のお伊勢参り、其の五 二川から伊勢! 』を見に行く。
 
 http://www.zeit-foto.com/exhibition/2010/kura.htmlより

蔵のお伊勢参り
 ―思想統制とのぼんやりとした闘い

 日本橋を出発して三重県伊勢神宮を目指し西へ移動しながら人物スナップを中心に撮影している。お伊勢参りというと古典的な響きもするが神社仏閣などを撮影するわけではなく現代の人間の姿がそのまま写ってくれるよう撮っている。

 撮影を進めつつ誌面や展覧会で発表していると、そのどの段階でもどうも白い目で見られる。あるがままを見ようとする私のやり方がどうやら「肖像権」や巷の常識なるものを「侵害」するらしい。この頃になって気付いたことだが、私がこれまで生きてきた中で身につけたものの見方は一般的に大多数の人が望ましいとするものの見方とは違うようだ。一般的に大多数の人が共有するコモンセンス、あるいは道徳について自分は異を唱えるものではない。同時に、そこから少々逸脱した少数者ではあるが私もまた私自身の視線を大切にしている。

 視線は最大限の自由をつねに求めているのではないだろうか。

2009年12月 蔵 真墨


 作者も上で書いているように、6x6カラーによる最近撮りにくくなった人物フォト。頑張って撮っているし、また発表しているなと思った。群集の中で、被写体を見つける作者の視線はするどい。

次に、近くの日本橋高島屋 美術画廊へ 高木こずえ展「- GROUND -」

本年度 木村伊兵衛賞を受賞した高木こずえさんの展覧会。デジタル写真によるコラージュ。雑誌に発表されていたのではよく分からなかったが、展示してある大画面でみると、色々なものが見えてくる。

受賞前のインタビューですが、ここで読むことができます。

http://www.public-image.org/interview/2009/11/17/cozue-takagi.html

2010-03-08 青少年健全育成条例

iPad vs Courier

solo_designさんのtwitterより

iPadよりこっちのUIに魅力を感じるのは自分だけ?? http://bit.ly/b0TTIh

http://twitter.com/solo_design/status/10076079608


iPadに対抗してマイクロソフトは2画面タブレットデバイス Courierを開発しているようだ。

特徴は、以下http://japanese.engadget.com/2010/03/05/2-courier-ui/より

  • コンセプトは「Digital Journal」。日本語のニュアンスでいえばデジタルノート、手帳、スクラップブック。マイクロソフトOneNote を小型タブレット向けに再構築したようなインターフェースと、ウェブブラウザや予定表、ToDo、連絡先、写真アルバムといったアプリを備える。2画面を活かして、左にソースとなる情報たとえばウェブページや写真を開き、ペンやタッチで右画面のスクラップブックに取り込んで自由に配置・書き込み・オーガナイズができる。
  • 蓄積したノートはテキストや日付などから検索して取り出せるほか、ウェブ上のサービスに同期してBlogFacebook的に表示可能。PCなどほかのデバイスから相互に参照・書き込みができる。
  • さらに見開き表示できる電子ブックリーダーでもあり、独自のエコシステム(要するにストア) が準備される。
  • デバイスとしては一般に想像されていたより小さく、モバイル利用が想定されている。畳んだ状態では厚さ1インチ(約25mm)以下、「5 x 7 インチプリント」(13cm x 18cm) 程度、重さ1ポンド( 約450g) 強。
  • マルチタッチとペン入力に両対応するディスプレイ
  • 目の前の素材をスクラップブックに取り込むためカメラも搭載。
  • 音楽・動画再生用にヘッドホンジャック。

  • 中身はかつて囁かれていたWindows 7ではなく、「Zune HDWindows Mobile 7 シリーズ、Pinkと同じOS」。(共通の基盤である Windows CE 6ベースの意。おそらく)。
  • プロセッサは NVIDIATegra 2」。(一般にTegra 2 と呼ばれる新世代 Tegra 250はデュアル ARM Cortex-A9 CPUコア、GeForce 3Dグラフィック、1080p動画再生や各種デコーダエンコーダ、周辺機器コントローラなどを統合したSoC。各社から多数の採用タブレットが発表済み)。

実際にどのような動きをすのか動画も見ることができる。
D

これを見ると、実写ではないので、まだまだ開発と途中という感じだし、文字の入力がペン入力であることを考えると。iPadの方が先行しているだけに普及するのではないかと思う。

東京都青少年健全育成条例改正問題

藤本由香里(honeyhoney13)さんのtwitterより

東京都の「非実在青少年」規制、みんな冗談だと思っているみたいだけど、このままではほんとに成立します。mixiが見れないという方のために、以下のまとめサイトをごらんください。概要はわかります。http://mitb.bufsiz.jp/

http://twitter.com/honeyhoney13


サトウナンキ(t_rkd)さんのtwitterより

東京都の「非実在青少年」規制。エッチな漫画が読めなくなるだけの問題じゃありません。これが通ると、私たちの表現や言論を、国や行政が勝手に「有害」かどうかを認定する権利があると認めることになります。思想信条は無条件に自由であるべきで、それを無条件に表現できなければ自由ではありません。

http://twitter.com/t_rkd/status/10128513396


確かに、東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイトhttp://mitb.bufsiz.jp/)を見ると。こんなことが、知らない間に成立してしまうこと事態が恐ろしいと思います。(知らないことが問題なのかも)
篠山紀信書類送検事件もそうだったけど、表現に対する規制する動きが多くなっている。確かに世の中おかしくなっている。

2010-03-07 「人からではなく自分から影響を受ける」

神奈川県立近代美術館鎌倉館へ

神奈川県立近代美術館<鎌倉館>へ「松谷武判展 ―流動―」を見に行く。
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2009/matsutani/index.html

 1960年、松谷武判(まつたに・たけさだ)は戦後間もなく開発されたビニル系接着剤を使い、物質そのものが形作る有機的なフォルムを取り入れたレリーフ状の作品を発表しデビューしました。画面の上に膨らんだり垂れたりしている官能的な形と質感は、新しい絵画の可能性を示すものとして高く評価され、画家吉原治良が率いた前衛グループ「グタイ」(具体美術協会:1954年兵庫県芦屋で結成)のメンバーとして制作を始めます。29歳でフランス政府給費留学生として渡仏、その後パリのアトリエを拠点に、一貫して黒と白の世界を描き、活発な発表を続けてきました。黒鉛の鈍く深い光に覆われたモノクロームの作品世界は、私たちの「生」そのものに訴え、緊張感や存在感を感じさせずにはおきません。
 今回の展示では新作約10点をはじめ、現在の作品につながる80年代後半以降のパリで制作された作品を紹介します。近年では、歴史的建造物の中でのインスタレーションや舞台美術とのコラボレーションなど表現の場を広げ、なお旺盛な制作活動をしている松谷武判の作品世界を、本展を通してぜひ体感して下さい。

松谷武判さんのこと  安藤忠雄(建築家)
松谷とは、1960 年代半ば、共通の友人に紹介され知り合った。
飾り気なく、素朴な松谷はどこか労働者の風貌で、ごつい体格に関西人らしい温かさがあり、分厚い眼鏡の奥の目は優しい。
松谷よりやや後輩の私にとって、パリを拠点とし、ヨーロッパ各地や故国日本で作品を発表し、今なお前進を続ける松谷の存在は、励みである。
私はパリで、時間を見つけては彼のシンプルなアトリエを訪問し、時に気に入った彼の作品をコレクションするのも楽しみだ。
いつも変わらず、素朴に生きる松谷が、今日も鉛筆で指を黒く汚してそこで制作しているのを確かめては、一人納得する。“ここに素晴らしい人生がある” と。
〈本展カタログより抜粋〉


 彫刻と絵画の中間のような作品、作品には「ビニール系接着剤、鉛筆、カンバス」と材料が書いてある。これをどういうわけか、ビニール系塗料と勘違いして、黒い塗料を厚塗りにして固めたもので、微妙な凸凹をつくるために鉛筆を用いたのかと思い込んでしまった。
 家に帰り、カタログを読むと、ビニール系接着剤というのはボンドで、その表面は白い(白黒写真で見て)。その表面を黒い鉛筆で色をつけていたのだ(塗りつぶしていたというべきか)。

 ボンドとの出会いについては、カタログの松谷武判インタビューに書いてあったので、引用する。 聞き手:水沢勉 稲庭彩和子

「具体」に出したのが59年、それから3、4年やっていて、吉原さんに見せたら「そんなものは(すでに)ある」というわけです。また作って持ってこいと。かろうじて展覧会の隅の方にかけてもらいましたが。吉原さんは「新しいことをしろ」とか「誰もやらんことをやれ」というのはわかりますが「じゃあいったいどうやってこの画面に表現するのか」ピンとこないのです。でも、制作にあたっては、自分にはイメージというものがありますよね。僕は自分の中で有機的で、立体的なものを作ろうというイメージがあった。つららのようにぶら下がるような、でっぱったような。日本が戦後、産業に力を入れて、工業製品を作り出していって、その時市販されたボンドに注目したのです。イメージとして有機的なもの、立体的なものを作ろうという思いがあって、その日はたまたま風が強い日で、ボンドを流し、ひっくり返したのですね。それが風で乾いたのです。水分が蒸発したらビニル質が残った。それがひぶくれのような「けったいな形」に偶然なった。本当に偶然に出来たわけです。

そして、ボンドと黒鉛の連携について、同じくカタログの松谷武判インタビューより

鉛筆の作品は、最初はボンドの作品とは全然関係なくやったのです。違うものとして。だけど後になって結びつけなくてはと思ったのです。で、あるときボンドの上に描いてみたのです。そうしたらまたそれはそれで陰影ができたりして、ボンドと連携ができた。鉛筆を始めたときは、ボンドのことは全く考えずに制作していました。だけどボンドにも未練があって一緒に合わせたら、それも面白い作品になったので、そうした作品を作るようになった。だけど元々液体が流れていくという部分ではつながりがあると思います。

 会場で上映されていたDVDの中で、自分のかいたスケッチブックを見せながら、日ごろ描いたものをヒントに制作していることを説明し、「人からではなく自分から影響を受ける」と言っていた。松谷さんのこの言葉が心に残る。
 「新しいことをやる」、「誰もやらないことをやる」ために、自分でまず、沢山写真を撮ることだ、その写真を見つめ直すなかで、自分の独自の写真が撮れるのではと考え始めている。

2010-03-06 新宿->四谷->新宿

新宿ギャラリー巡り

加納穂子「水平線」
http://3rddg.com/exhibition/2010.3.2/kanou_hoko.htmlより

八丈島に暮らしはじめてもうすぐ7年。
365日ほぼ毎日、視界の端に水平線。
時にときめき、時に恐れ、時にうんざりうらめしくもあり。

ぽつりぽつり撮ってきた写真です。

  • PLACE M

石井保子「群青の午後」
 twitterでタカザワケンジさんが、(http://twitter.com/kenkenT/status/10015645196より)

プレイス Mの大きいほう。石井保子写真展「群青の午後」。モノクロ。スナップ、風景おりまぜたシリーズ。撮影者が写り込んだ写真がいくつかあり、どうやら「写真を撮る私」の物語だとわかる。独特のアングルの写真もあり、よく歩いているとも思う。でも猫が出てきたところで脱力。

 とあったが、猫の写真は、よくある猫写真とは違うと思った。確かに、映り込みの写真とかはっとするようなアングルの写真がありました。

有元伸也 「ariphoto 2010 vol.1」

 今まで、街の中の「ポートレイト」が主だったのが、今回は街の風景のみの展示。「街灯を下から見上げた写真」、「工事中のコクーンタワー」等プリントが素晴らしい。会場で他の人と有元さんが会話していたのを聞いたのだが、この次また人の写真に戻っていくのかはっきりしないとのことです。
 そう長いこと写真を伸ばしていない。こういう写真を見ると自分も暗室に入りたくなって来た。

牛垣嶺写真「駸々」

日本写真芸術専門学校 写真科フォトアートコース 築地仁ゼミ 連続個展ということだ、ストリートフォト。

森田 剛一「N.Y 2001.12」
http://niepce-tokyo.com/index2.htmlより

2001年9月には、誰もが知っている世界を震撼させた事件があったが、その出来事とは関係なく僕はその三ヶ月後にN.Yを訪れた。何が起きようとも人々の営みは行われ、当然のようにクリスマスは休みでホームパーティーへと出かけて行く。
そんな中、観光客丸出しの僕は人がいない街へと繰り出し、昨日まで混沌としていた街ががらりと表情を変えて静寂となり、まるで巨大な映画のセットの中に放り込まれたような感覚になったのを覚えている。

何時も光と影があり、人々の営みがあり、匂いがあり、時間が進んでいることを実感した2001年12月のN.Y。カラー写真約40点を展示します。

会場には上のような説明はなかった。作者が言うよりはむしろ。「N.Y.2001.12」というタイトルから、街の景色も、人々もどこか悲しげに見えてしまった。作者のいう「静寂」という事と通ずるのかもしれない。

2010-03-05 撮影失敗

4x5撮影失敗

 立石へ。海近くのレストランの駐車場脇の空き地で、雑草や木を撮った。正確にいうと撮ったつもりになっただけで、仕事場に戻り現像したら、どのフィルムも光を被っている。カメラを調べると。先日、ピント枠を縦位置に取り付け、横位置に戻したとき、逆に取り付けてしまったのに、気づかずに、右側から無理にフィルムホルダーを押し込んで、ホルダーがうまく固定されなくて、光が横から入ってしまったようだ。

 フィルム15枚無駄にし、時間も7時間浪費。

審査員からのメッセージ

 写真新世紀、審査員からのメッセージっていうのがありました。
 http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/message/index.htmlより

  • 大森 克己(おおもり かつみ

「写真」って未だに生き残っているんすか〜?ホントホントに?21世紀を迎えてあっという間に10年が過ぎ、この期に及んで「写真」かつ「新世紀」と銘打ったコンペに出品するのは、(1)確信犯、(2)単に無鉄砲な人、(3)残念な方々、といった所かと思うけど、(1)と(2)はいいかもね〜。「本当に終わった!」という確信から始まるのであれば、それが「ビューティー・コンテスト」であれ、「かけがえのなさ選手権」であれ、「正しさ世界一大会」であれ、「脱構築競技会」であれ、一所懸命つきあいます。最高じゃん「写真新世紀」!

  • 佐内 正史(さない まさふみ

別に何でもいいよ。あんまり期待してないけど少しだけ期待しているかな。

  • 椹木 野衣(さわらぎ のい)

写真新世紀」という言葉は、もともと21世紀に向けて名付けられたのではなかったか?ゼロ年代という序章を終え、写真の新世紀は今まさに、その真っ只中へと突入しようとしている。いったい何が起こるのか?「写真はこうあるべき」ではなく、「写真はこうもありえたのか」という驚きとともに、皆さんとともにその行方を見極めたい。20世紀の写真を継ぎ、21世紀の写真を開き、22世紀の写真を予感させる者の到来を望む。

  • 清水 穣(しみず みのる)

「リアル」「天然」「野蛮」といった、写真を見ない者が無責任に垂れ流す抽象的なキャッチコピーは通用しません。撮る力よりも見る力が求められている、のは常識だとしても、その内実が、写真史をなぞるだけでは意味がありません。「身近な友人」ではなく、あなたの理想のモデルを選び抜いてください。「なにげない写真」ではなく、考えつくし見つくしたうえで見せてください。正方形の画面はホワイトキューブ。使えば何でもアートになります。安易な真似は止めましょう。写真は下半身的なものです。だから最大限に知性を使ってください。

  • 蜷川 実花(にながわ みか)

デビュー当時、あんなのは写真じゃない、とか、何であんなのが優秀賞なんだ、とか、女はいいよな、とか、ピント合ってないじゃないか、とかとかとか、いっぱいいろんな事言われました。そんな私が審査員することになるなんて、時の流れをまじで感じる今日この頃。不思議なもんですね、おもしろいです。受賞したことにより、私の人生の流れが変わったように、応募してくる皆さんの人生に関わる覚悟で臨みます。賛否両論、妬み、そねみ、罵倒、などなど沸き起こる、新しい作品をお待ちしています。新しい才能に嫉妬させてください。

2010-03-04

笑った

Masayuki Nishimaru(platinotype)のtwitterより

RT @tyamamotowebark RT @nexal: RT @_tumug_ @realized_001 @syumari: "日本人の「できません」と 韓国人の「できます」と 中国人の「できました」は 信用するな"


http://twitter.com/platinotype/status/9957915390

写真集を作る

ieieiioさんのtwitterより

川内倫子さんのBCCKSから出た文庫本。コンタクトを見せてます。http://bunko.bccks.jp/#B31676,N0 例えばデジタルで編集して偽のコンタクトを作ってみるのも面白そう。ブレッソン風に粘り強くとっているように見せるとか。


bccsbunkoって何か調べたら、こんなものでした。
以下、http://nylongirls.jp/topics/2010/03/bccksbunko.htmlから

ウェブ上にオリジナルの本を作れるサービス「BCCKS(ブックス)」から、BCCKSで作ったウェブ上の本を、1コイン(500円〜)で、実際の紙の本として出版できる新サービス「bccksbunko(ブックス文庫)」がスタートします。

 ブックスは、ウェブ上に、雑誌や書籍、絵本や写真集、日記など、本のようなページを自由に作れるサービス。今春リリース予定の「ブックス文庫」は、ブックスで作ったウェブの本を、1冊から、紙の文庫本にして届けてくれるという、ブックスと連動した新サービスです。

 また、ブックス文庫の仕組みで作られる「新しい出版」の試みとして、様々な分野で活躍する100人の著者による100冊の文庫本を、隔月で8冊ずつ発行していくプロジェクト「天然文庫の100冊」も開始。第1弾の著者ラインナップは、岡田利規川内倫子、五木田智央、五所純子、サマタマサト、寺尾紗穂、ノニータ、花代、といった豪華な顔ぶれです。


上のリンクのページに行き。プリントプレビューのボタンを押せば、本の内容をみることが出来ます。

「写真新世紀」

先日送られて来た、「写真新世紀」の図録に蜷川実花さんの講評の最後に

今回、選んだ方が受賞を辞退しました。辞退するなら始めから出さないでほしいです。



と書かれていて、何が起きたのか野次馬根性で、ネット検索してみましたがよくわかりませんでした。
今日、twitterでタカザワケンジ(kenkenT)さんの

写真新世紀」の図録。蜷川実花が総評で書いている「入賞を辞退した人」の理由が知りたい。公募賞で辞退って異例でしょう。考えられるのは1)被写体とのトラブルが予想されるから(どうせ通らないと思って軽く考えていた?) 2)選んでくれた人が嫌いだから(新世紀は選考委員それぞれが選ぶ)。


のというつぶやきを見つけました。

ところで、今年度の「写真新世紀」の要項が出ました。

申し込み期間:4月14日〜6月10日
審査員:大森克己氏、(写真家)、佐内正史氏(写真家)、椹木野衣氏(美術批評家)、清水穣氏(写真評論家)、蜷川実花氏(写真家


詳しくは、http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/index.htmlで。

ちょっと審査員が変わったよです。

2010-03-03

Gelatin Silver Session 2010 - Save The Film -

今年もやるようです。
Gelatin Silver Session 2010 - Save The Film -
http://www.gs-s.info/activity/exhibition/2010

日時
10年04月29日(木) ─ 10年05月15日(土)
11:00〜20:00
※最終日は17時まで
会場
AXIS Gallery 東京都港区六本木5-17-1 AXISビル4F TEL. 03-5575-8655

宇宙から見た地球3

前にも紹介した通り、今、スペース・シャトルで地球を回っている。野口聡一さんは、Twitter(Twitpic)で、スペース・シャトルから撮った写真等を投稿しています。

 http://twitter.com/Astro_Soichi/status/9870950034から

http://twitpic.com/166wa3 - Name this city! Hint: Listen to the tango...


 このhttp://twitpic.com/166wa3のlink先を見てください。ブエノスアイレスだとは思うんですけど、変わった地形です。例によって、そこGoogle Mapでも探してみました。これは一体なんなんでしょう。


大きな地図で見る

発見

末永史尚(kachifu)さんのtwitterより

既に考えられたことのあるものや言葉のあるものに拠るのではなく、あくまでも行為者みずからが行い体験したことから言葉にならぬものを発見していくという態度をこそ好む

http://twitter.com/kachifu/status/9925664710より

2010-03-02 プログラミングミス

プログラミングミス

PS3の閏年の判定が間違っていて、今年を閏年と思ったようで大混乱。

http://www.asahi.com/digital/pc/TKY201003020444.html

閏年の判定って、プログラミングを習うときによくやる演習問題だけど、間違てしまったんですね。今回のケースは間違えたことがハッキリしたことだったけど、間違っているかどうか、よくわからないプログラミングミスで、とんでもないことが起こらないか心配になります。

伊藤義彦「時のなか」

 先日、PGIで見た、伊藤義彦「時のなか」展について、msn産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/culture/arts/100227/art1002270716000-n1.htm
につぎのような、記事が載っていた。

 定点観測で撮影した複数のプリントを裂き、張り合わせて一枚の作品に仕上げていく。



 「はじめは試行錯誤でしたが、最近は思ったように裂けるようになりましたよ」。この10年、そんなモザイク的手法で独自の作品を発表している写真家の伊藤義彦(58)はそう語る。「デジタルならもっと精巧にできるのでしょう。でも、触れるものが好きなんです」

 壁に鳥のシルエットが映し出された掲載写真。影の主は「動かない鳥」として知られるハシビロコウだ。左側には思索者のような雰囲気を漂わせた「実物」がたたずんでいるが、「影」と見比べるとどこかちぐはぐで、両者の間に経過した時間が横たわっているのが分かる。
 
 平安時代末期の絵巻物「信貴山縁起絵巻」(国宝)を見て「縦横無尽に時間が行ったり来たりしながら物語が進行していく」と衝撃を受けたことが、新たな手法導入のきっかけの一つになった。


2010-03-01 写真集は美術工芸品

写真集

昨日の、高梨豊さんの写真集の話題の続き、タカザワケンジ(kenkenT)さんのtwitterより

そう、それです。「地図」なんてそれ自体がヴィンテージ。復刻が一応あるけど別物ですから。@akihide_tamura おっしやる、とうりでございます。川田喜久治さんの写真集「地図」ヨーロッパのオークションで、500万円でしたね。杉浦康平先生のご利益もあり〜〜ですが!(^^)!

http://twitter.com/kenkenT/status/9831051058

写真集のデジタル化の行方の話題も出たので、考えたことメモ。やっぱり、こだわりまくった写真集は美術工芸品として扱われるべきで、イメージを流通させるだけならWEBでもデジタル写真集でもいい。デジタルは流通量の極大化を、写真集はモノとしての魅力をめざすべき。

http://twitter.com/kenkenT/status/9828505292


 冬青社の高橋さんの話を聞いたことがあります。写真の内容を考え、どのインクを使うかいろいろ考え、2種類のインクを混ぜて印刷したことや、印刷に立ち会えないときに刷ったものが気に食わなくて、全部刷り直しした話などをしていました。話の内容にも関心したのだが、夢中になって話す高橋さんの写真集作ることに対する情熱に圧倒されました。
 杉浦さんデザインの「地図(川田喜久治)」、「都市へ(高梨豊)」のようにデザインとかが凝っていなくても、印刷の質の高さだけでもモノとしての魅力になるのだと思います。
 
 Web上で流通している写真って、ごく一部で。自分がflickrBlogに写真をアップしていることって、結局、写真集にもなれない、展覧会にも発表されない、行き場のない写真をとりあえず溜めているだけのような感じがしています。

 
 

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