Hatena::ブログ(Diary)
ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

Heliograph(太陽の描く絵) このページをアンテナに追加 RSSフィード

www.flickr.com
Heliograph’s items Go to Heliograph's photostream
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 |

 | 

2010-07-10 文化度ゼロ

「話す写真 見えないものに向かって」

昨日発売されたらしいので、本屋に行って

話す写真 見えないものに向かって

話す写真 見えないものに向かって

を探す。平積みされているかと思ったのだが、ない。2回位、発売が延期されたので、また延期されたのかなと思いながら、棚を何回も探し、やっと棚の端にあるのを見つけた。

 後書き読むと、11の講演をまとめたこの本は、いろいろなところで同じことを話したので、本にするときにその調整が大変だったようだ。わたしは、11の講演のうちの、2008年6月13日東京国立近代美術館のアーティスト・トーク「自作を語る」を聴いている。この講演が『第一章仕事について話す』の2番目に『「川」の連作について』と題してまとめられていた。
 確か、金曜日の夜で、20時の閉館時間を過ぎても、話を続ける畠山さんに美術館の関係者が戸惑っている様子が印象的だった。

 読んでみると、2008年12月東京藝術大学 横浜校地 馬車道校舎 1Fホールで行われた《メディア・プラクティス レクチャーシリーズ08-09》で聴いたと思っていた畠山さんの話が書かれていたりして、自分の記憶のいい加減さに呆れてしまった。

P.34-P.35より 

 写真は、ご存じの通り、19世紀自然科学の産物であり、写真術を科学的な技法として考えるると、写真に記録されるのは、単に物質にはね返った光の様子でしかない、ということになります。科学特有の、とても冷たい、還元主義的な考え方かもしれませんが、自分でフィルム現像をしたり、暗室でプリントを作ったりした経験のある方なら、この、「写真に写るのは光の様子せしかない」といった考えは、ある程度理解していただけるのではないでしょうか。
 写真を撮っていると、写真にするのが難しいのが、世の中にはたくさんあることに気付きます。たとえば、ものの名前や概念、人の意識といったもの。それらは、僕たちの日常の活動と切りはなせないものですが、物理世界に属するものではないので、つまり光でないので、基本的には写らないのです。同じように、心とか内面とかいったものも、基本的には写真には写らない、と思った方がいいでしょう。
 でも文化は、特にマスメディア文化は、僕たちに、写真によるコミュニケーションを促し、写真には心や内面が写ると、僕たちを励ましているように見受けられます。「光しか写らない」と思っているから僕から見たら、とても信じられないような曲芸を奨励しているように見える。正直言って、僕などは時々居心地の悪さを感じます。
 僕のように、いささか還元主義的な態度で写真に接していると、時として人間の顔までが物体に見えてしまうような感覚が生じてきたりします。それって、けっこう精神的にはヤバい状況なのですが、そのギリギリのあたりで、まあなんとかバランスを取っていると、実にいろいろなことが見えるようになってきます。僕たちがどれほど多くの約束事、合言葉、暗黙の了解、といったものに囲まれて、気軽に意味のやり取りをおこなっているのか、そのことがとてもよく見えるようになってくるのです。つまり、文化とは、確かに人間たちによって、社会的に構築されているものだ、ということが事実として見えてくる。自分で写真を撮ることによって、文化が社会構築的なものとして見えてくるとしたら、翻って「文化度ゼロ」といった地平を、写真をとりながら想像できるようになる、と、いうことですね。「文化を括弧でくくる」といった表現も可能かもしれません。
 僕は、できることなら文化度ゼロの地平にいつでも立ち返って、文化の招待がどのようなものなか観察したい。と思っている人間です。文化は意義のあるものですが、もしそれが欺瞞を感じさせたり、社会を居心地の悪いものにしたり、僕たちの想像力を貧困なものにしようとする気配を見せているなら、そのことは指摘されなくてはならないだろう、と思っています。新しい意味の生産を心がける者たちは、常に「王様は裸だ」と叫ぶ子どもの側に立たなくてならない。そう思っています。
 僕の好きな写真は、意外性を持って、僕たちの暮らす世界を別の角度から照らし出してみせてくれるような、そんな写真です。もっと大きく言ったら、世界は人間によって、どのように想像されているのか、そんなことも教えてくれると思っているのです。できれば僕も、そのような仕事をしてゆきたいと、いつも思っています。

P.36

さて、僕は、写真を見せる時には、言葉やほかのものをあまりくっつけないで、写真だけを見せる。という、けっこうストイックな美学的習慣に基づいた写真教育を受けた人間です。そしていつも「文化度ゼロ」の地点から写真を見たり考えたりしたいと思っている。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20100710/1278787127
 | 
プロフィール

heliograph

heliograph はてなダイアリープラス利用中

「heliograph=写真」についてのBlogです

カレンダー
<< 2010/07 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最近のコメント