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2011-01-31 スーパー・アマチュア・カメラマン

スーパー・アマチュア・カメラマン


福居伸宏(@n291)さんのtwitterより(http://twitter.com/#!/n291)

何度も話している事ですが、例えば森山大道さんの「スーパー・アマチュア・カメラマン」とかってヤバいですよね、普通に。日本の写真はアマチュアリズムだと規定することで職人的な職業人を切り捨て、一方でアマチュア・カメラマンの中でも自分らはスーパー(つまり最上位)であるなどと自称するという


スーパー・アマチュア・カメラマンって森山さんが自称しているんですか。それで、あんな手ぬぐいとか、Tシャツ等のグッズを売っているとしたら、なんか違うなぁって感じがします。結構、森山さんの文章を読んでいるつもりですが、覚えていないので、スーパー・アマチュア・カメラマンで検索をかけると、こんなののが見つかりました。

 2008年、東京都写真美術館の「森山大道展」の会場に森山大道の言葉が会場に書いてあって、その中に

僕の写真は、写真を職業とするほとんどのルートから外れている。・・「私」という個に向けてのみ撮っている。・・極私的な記念写真家(スーパーアマチュアカメラマン)  「記録から記憶へ」1973年6月「アサヒカメラ増刊号」

ターニーのフォト・アルバム<Turny's Photo Albums>http://digi-photo.org/gallery-4-daidou.htmlより

というのがあったようです。(他にも、この東京都写真美術館でのこの言葉をメモしている人がいました。http://8305.teacup.com/fukage/bbs/14)


 森山大道さんは「極私的な記念写真家」という意味で「スーパーアマチュアカメラマン」って書いたのであって、決してマチュアの最上位という意味ではないのではっと思うのですが?

2011-01-29 「光をあつめる」

圓井義典作品展「光をあつめる」

PGIへ圓井義典作品展「光をあつめる」を見に行く。
圓井義典さんの作品は2008年同じPGIでの展覧会「海岸線を歩く―喜屋武から摩文仁まで」をみたことがあった。
そこで、4x5で、海岸で、海面の微妙な襞のような波紋を撮っていた。私は、その当時、ハッセルで同じような海面の写真を撮っていたので良く覚えている。

PGIのホームページhttp://www.pgi.ac/content/view/289/40/lang,ja/より

喜屋武から摩文仁に至る海岸を辿る旅の途中に見た波間に輝く無数の光。
「フォーカスを合わす間もなくピントグラスいっぱいにきらきらと輝く美しさに息を呑んだ」と圓井は語り、その後、水面を揺れ動き様々に形を変える光の撮影を始めました。


 ギャラリートークでは、沖縄だからこそ、光に気がついたという話でしたが、三浦半島だって光はあるぜって思っていたが、トークショウが終わって会場の写真を見てみると、「東京」や「群馬」で撮ったものがたくさんありまして、沖縄がきっかけでこのシリーズがはじまったとのいうことのです。
 森の木漏れ日を完全にピントを外して撮っていた。鈴木理策さんのようにどこかにピントを合わせてはいなかった写真が印象的でした。

2011-01-28 現代の写真表現

現代の写真表現


 twitter尾仲浩二(@onakakoji)さんが呟いていた。
http://twitter.com/onakakojiより

・嘘ともホントともつかないホンマの写真・関西で読むとオカシイ RT @QJN: 現代の写真表現 金沢21世紀美術館館長 秋元雄史:YOMIURI ONLINE 北陸発 読むミルク http://t.co/hDHdaau


見てみました。http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub4/milk/ho_s4_11012601.htm
読むミルクというコラムでの現代の写真表現 金沢21世紀美術館館長 秋元雄史の記事。現代写真をこの2つに分類してますが?

  一つのタイプは、絵画と同様なオーラを持つものだ。写真の中に、かつて絵画が持っていた自律的な表現の崇高さを見ることができるようになった。日本では杉本博司がその代表格であろう。杉本の写真は、名画のようにそれ自体が美しく、他に代えがたいオリジナル性を持っている。

  もう一つのタイプは、それ自体として存在するといったような重々しいオーラはないが、写真媒体の足の速さ、切り替えの速さ、メディアとしての軽さ、といった特徴が表れている。ホンマタカシに代表される写真表現である。


どうでしょう、こんな単純に分類できないと思うんですが?

ヨドバシがハッセルとリンホフの扱いやめる

twitterにこんな呟きがありました。
http://twitter.com/miyo_Cより

@fukui_norisuke @kawamutsukun ヨドバシがハッセルとリンホフの扱いやめると張り紙が。 via Twitter for iPhone

自分でみてないので分からないのですが、本当に止めてしまうのでしょうか?
 ハッセルもリンホフもデジタルパックを付ければ、立派なデジタルカメラになるんですがね? 高価ですから商売にならないのでしょうね。でも、なんとなくさびしいです。一応、プロ用品まで取り揃えているというの店だったのですが、自分は絶対に買わにくせにこんなこと言える身ではないのですが…

2011-01-27 コーヒー店で

コーヒー店で

 先日、コーヒー店で休んでいたところ、近くの30代ぐらいの女性の4人のグループが大きな声でおしゃべりをしていた。おそらく大学または高校時代の友人が久しぶりに集まっとのだろう、写真を見せ合って、「カワイー」とか「あんなこと言ってながら、結構幸せにやっているじゃない」とか聞こえてくる。その中で、「これさ、ここに手が入ちゃったから、フォトショで消したの」というのが聞こえてきて色々考えさせられた。他の友達がそれを理解しているかどうかは分からなかったが、家庭での記念写真まで加工して楽しむ人がいることに驚かされた。昔だっだら、同時プリントで出して、ちょっと焼き具合が悪くても、写真屋さんに注文して、プリントを補正する人はほとんどいなかったのに、人々の写真に対する接し方がどんどん変化いているのではないかと思う。
 フォトショプラグインで「どんな色調の写真でも、幸せそうな色調に変えてしまいます」なんていうのがあれば、みんなそれを使って、加工してから写真を見せ合うようになるのかも。

2011-01-26 表現とは……? - 表現とは......?

鈴木理策インタビュー

http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20100121/1264094424+81 Vol.46: Photographer issue 4鈴木理策インタビューを引用したことがありましたが、「twenty*twenty」という大学生の作ったウエッブサイトで、鈴木理策さんのインタビューが公開されています。
ただ、2011年の3月末までの期間限定ウェブサイトのようですので、読むのならばいまのうちです。

「表現とは……? - 表現とは......? ‐鈴木 理策さん‐」http://www.20-20.jp/expression/337.html


写真の構図とピントについての話が面白いと思ったので、次に一部引用しておきます。

写真自体が情報としての役割を持たされていて、何が写っているかが写真の最大の目的。人は必要なことしか見ないから、何が写っているかわかると自動的に見ることを止めるんです。つまり写真の情報を伝えるという得意な部分が写真の本性を隠してしまっていて、僕は写真の本性を隠していることが気になっている。

画面のなかで構図やシャッターチャンスが見えると、人はそれを見て、納得して写真を見終えてしまう。今までの写真史のなかのある種の方法論を、僕はできるだけ削除したいという気持ちがあるんです。フレーミングによる安定した構図や絵画的な方法論を削除していくと、あたかもその場で自分がモノを見ている状態に重なってきたんです。

だから、ある場所に行ったときに、自分がその場所で目にしたものや、ピントを合わせた場所にカメラをセットしておいて、構図をできるだけ考えないようにしているんです。シャッターを押すタイミングも自分自身が決定すると、決定したことが写真に写りこんでしまうように見えるので、たとえば風が吹いたり、鳥が鳴いたり、自分が体を動かした瞬間に折れた小枝の音だったり、自分の外にある要因でシャッターを押すようにしているんです。

そうすることで、見る側からすると何が写っているのか一目ではわからない。写真を読み解かないとわからないから、写真に関わろうとする。そのことで、あたかも自分がそこに立っている錯覚が起こると思うんです。写真はイリュージョンだから、錯覚を誘発しなければならない。

人はピントの合っていない絵を見ると、ピントを合わせたくて彷徨うんです。でも合わないんです。目では合っているんだけど、ピントがぼけている状態だから合っているところを探すんですよ。僕は必ずピントの合っているところを作っておくから、必ず見つけてピントの合っているところにとどまるんです。人はそこで絵が見えたと思うんです。

http://www.20-20.jp/expression/337-2.html

 2002年「写真の現在 2  サイト - 場所と光景」展(東京国立近代美術館 )で鈴木理策さんは《サント=ヴィクトワール山》を出品した。その時、鈴木理策さんの講演というかアーティストトークに出席して、このピントのことを質問したことがある。
 そのときは、ピントのあっている所に一つの平面のよなものが表れてくるというようなことをおしゃっていたような気がする。
HASSELで絞り解放、できるだけ至近距離で植物を撮影したりし始めたのもこのこの話を聞いてからだった。

2011-01-25 タテ写真

恵比寿


 今日は、無理に何でもヨコ位置で撮ることはないと自分に言い聞かせて、タテ写真を撮ってみた。

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2011-01-24 そこには木の写真があり、鳥の写真があり、猫の写真があり、岩の写真

宮台真司「尊敬する中平卓馬に言及した文章をアップします。」


BLD GALLERYで開催中の中平卓馬写真展「Documentary」関連のイベント「宮台真司トークイベント」を申込む。

というのは、twitterで、

http://twitter.com/bldgalleryより

中平卓馬Documentary展』関連イベントのゲスト宮台真司さんは、ご自身のブログ中平卓馬論を展開されていらっしゃいます。 2月19日のトークではどんな中平論が飛び出すか、乞うご期待! http://www.miyadai.com/index.php?itemid=336


を見て、そのMIYADAI.comの記事「尊敬する中平卓馬に言及した文章をアップします。」(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=336)読んで、宮台真司さんの話を聞きたくなったのだ。

下にほんの一部を引用しましたが、見事の中平卓馬の写真を言い表していると思う。そんなわけでこの「宮台真司トークイベント」を申し込んでみた。トークイベントが楽しみだ。



■2003年に開かれた「中平卓馬展 原点回帰−横浜」のパンフレットが、目の前にある。中平が73年の評論『なぜ、植物図鑑か』で重大な転回を示す前の作品群、転回後から77年に記憶を失うまでの模索過程の作品群、記憶を失ってからの作品群を一望できるものだ。
■冒頭27頁分は過去十年分の作品だが、様々な写真集を見慣れた者は言葉を失うだろう。そこには木の写真があり、鳥の写真があり、猫の写真があり、岩の写真があり、鉄塔の写真があり、人の写真がある。ただ一つないものがある。中平卓馬だ。表現者がいないのだ。


■《国電に乗っていて車窓から景色を眺めていると、ある一瞬からそれらの事物が眼球に突きささってくる。疾走する車中の自分を衛るには…目を閉じたまま座席の肘掛けにしがみついていなければならない》。中平卓馬である(中平・篠山紀信『決闘写真』77年)。
■ビンズワンガーなどの現象学的精神医学が明らかにした通り、これらの体験は「主観による世界の歪み」ではない。盲いた者が開眼手術の後に世界の視覚像をなかなか手にできないのにも似るが、むしろ安定した世界像の方こそが主観性による世界の体験加工なのだ。


■その結果が、冒頭に述べた写真だ。木があり、鳥がいて、ネコがいて、岩があり、鉄塔があり、人がいる。だがそこに「表現」はない。何かしらの全体に繋がる「記録」もない。要は「表現者」がいない。中平卓馬は「透明な存在」となり〈世界〉を媒介しはじめたのだ。
森山大道が《中平の持つメッセージは…見る方がそれを読みとるコードを持たなければ無意味となる》(『犬の記憶 終章』01年)と言うが、違う。現に私は、コード(社会的な体験加工)以前的な少年時代の不安定な「原体験」を思い出し、涙が止まらなかった。

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=336より)

2011-01-23 美術家を志すものは、美術史を学ばねばならないのか

美術家(写真家)を志すものは、美術史(写真史)を学ばねばならないのか


isa Shin(@shinmisa)さんの、「昨日の芸大先端の卒展を見て思ったのは、もっと美術史を勉強すべき。ほとんどパクリかパクってるつもりでなくてもすでに誰かがやっていること、それすら気付かないなんてまずいよ。まずい。」
って発言に対する。山田大輔(@YA_DA)さん、Matter of Fact.(@True_Raven)さんの反論をまとめました。
美術家(写真家)を志すものは、美術史(写真史)を学ばねばならないのか http://togetter.com/id/heliograph1950

写真分離派宣言その後2のその後


今日もお二人のやりとりが続いていましたので、追加しました。
写真分離派宣言その後2 http://togetter.com/li/92138 をご覧下さい。

2011-01-22 「レオ・ルビンファイン」展

写真分離派宣言その後2

 2011年2月号のアサヒカメラの「写真分離派展」の展評読んで、ちょっとこれはないんじゃないと思っていたら、同じように考えていた人がいました。島貫泰介(@nukisuke)さん、大嶋浩(@heisodekker)さんのつぶやきをまとめました。
写真分離派宣言その後2  http://togetter.com/li/92138
をご覧ください。

タカ・イシイギャラリー「レオ・ルビンファイン」展


 同じビルにあるシュウゴアーツの中平卓馬「Documentary」展を見に行ったのだが、同じフロアーのタカ・イシイギャラリーの「レオ・ルビンファイン」の展示が面白かった。
 カラー写真の方が多いが中に白黒写真も数枚混じっている。大判(87cm x 102cm)の写真は迫力があった。撮っているのは、風景、人を撮ったスナップショット、撮っている場所も世界各地だ。

タカ・イシイギャラリーホームページでは次のテキストが紹介されている。
http://www.takaishiigallery.com/jp/exhibitions/2010/leo/index.htmlより
>> 
 私は写真家として人生の大半を国々の間に存在する領域を探索し続けてきた。時折私はこの領域を「ワールド・シティ」(世界都市)と呼んでいる。作品集「 Wounded Cities」の中で私は以下のように綴っている:

私はしばし世界都市に住んでいるかのような感覚に浸っていた。様々な国の都市は結束点で、それぞれが見えない糸でつながれている巨大な格子状の空間の中に私達は存在している。航空路線、衛星回線、海底ケーブル、グローバル企業間の株式保有、クレジットやローン、サプライ・チェーン、流行といった個人同士を結び付ける曖昧で無限に広がる結びつき。その集合体の中においては、大都市の端から端までの移動よりも海外へ出ることの方がよほど容易に思えた・・・。

世界都市とは自分が現在どこにいるかが特定出来ない空間であり、例えば、ブエノス・アイレス、デュッセルドルフ香港が各自の個性を失い、区別がつかないような場所である。また、アジアヨーロッパアフリカアメリカ、それぞれの地域が持つイメージが互いのイメージに影響を与え合う空間であると同時に、生まれ育った田舎にはないある種の自由と爽快感を体感することができる場所でもある。そして願望や憧れに満ちているからこそ、そこには美や不安、そして時には恐怖さえもが混在しているのだ。

グループ展「Not Making it Up」(Packer Collegiate Institute、ニューヨーク、2010年)へ寄せたルビンファインのアーティスト・ステートメントより


 プリントはink-jet print on watercolor paper と説明されていたが、表面に光沢のある独特のプリントであった。これについても
http://www.takaishiigallery.com/jp/exhibitions/2010/leo/index.htmlより

近年、カラー写真とともにモノクローム写真の制作に携わっているルビンファインは、プリントに光沢をあたえる繊細な技法を発展させることにより、過去にダイ・トランスファー・プリントで追求された色彩の豊かさや美しさを自身の作品において実現しています。

と説明されていた。
 
ことし、8月から10月まで東京国立近代美術館でルビンファインの展覧会が開催されるそうで、楽しみだ。

清澄白河から水天宮へ

 意識的にタテ写真を撮ろうと思って撮り始めたが、結局、途中から横位置ばかりに。
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2011-01-21 タテで撮るか、ヨコで撮るか

「タテ写真」


 私は、タテ写真をほとんど撮らないようにしている。
前に、金村修さんのワークショップで、「タテ写真は上手く見えるから、撮らないほうがいい」という言葉を聞いてから、意識的に撮らないようにしてたのだ。
 最近は、時々とっているのだが、タテ写真は確かにヨコ写真より強い写真になるような気がする。
 先日見た、中平卓馬「Documentary」展は全てタテ写真だった。この展覧会の「ホンマタカシさんと金村修さん」のトークショウで、タテ写真の謎が語られたようなのだが、だれもその内容についてネット上で見つけられなかった。

江本典隆(@emotonoritaka)さんのtwitter

銀座。BLDギャラリーホンマタカシ×金村修中平卓馬」トークイベント終了。中平さんの写真の魅力、タテ位置の謎、作品の値段のつけ方、などなど、あっという間の1時間半だった。ぼくの真後ろの席に中平卓馬さんが座ってるのに途中で気づいて緊張した!ああ、中平さんのプリント欲しいなあ。


昨日みた、アサヒカメラで鷹野隆大さんが「タテ写真」という作品を掲載している。

アサヒカメラ 2011年 02月号 [雑誌]

アサヒカメラ 2011年 02月号 [雑誌]

鷹野隆大sんは「撮影ノート」で、タテで撮ることについて次のように語っています。

 略

 毎日毎日、日常の中で「あっ」と思うときを撮る。その「あっ」が何かを考える前に撮るわけです。それを10年以上続けているのが「毎日写真」というシリーズです。こんど出す新しい写真集「カスババ」は、その中から選び出して編んだものです。

 略

この写真集を含め「毎日写真」はずっとヨコ位置で撮ってきました。やっぱり視野はヨコに広いわけだから、タテで撮るのは不自然だという思いがありましたし、そもそも「あっ」を撮るのに、タテで撮るかヨコで撮るかを考えてるなんて面倒ですからね。ところが、2年くらい前から少しずつタテ写真を解禁するようになり、ここ1年くらいは本格的にタテ写真に取り組んでいます。
 いまはまだ始めたばかりなので、「タテで撮ることから何が見えるだろうか」という段階です。だから確信はないのですが、タテ写真は、よくも悪くもメッセージのある、解読しやすい写真になるのかな、と思います。タテのほうが、写真を見たときにパッと入っていけて、楽しんでもらえるような気がします。
 誰もが目にする日常の世界は、多義的で複雑で、僕たちはその中から必要な要素を抽出して生きていますよね。それを素早く行えるような人が処理能力があるといわれ、社会的に重宝される。タテ写真にも、同じような特性があるのかもしれません。つまり、解読しやすいということは、必要な要素を効率よく抽出していることになりますよね。それは写真と写真の向こうにある現実との関係をおろそかにして、写真を絵柄だけを独立させてしまう危険性をはらんでいる……。
 いやいや、それじゃ自分が始めた試みを全否定することになっちゃうか。(笑)


 略


 金村修さんが、タテ写真を禁じたのは「タテ写真の分かりやすさと、絵柄だけを独立させてしまう危険性」を考えてのことだと思う。

2011-01-20

PHOTO GRAPHICA


 久しぶりに本屋にPHOTO GRAPHICA を買う。特集は野口里佳
その中の新作インタビュー 野口里佳[自由な写真] が面白い。

新作インタビュー 野口里佳[自由な写真]より、インタビュー:タカザワケンジ(以下T)




T: 今回のタイトルは?
野口: タイトルはまだないです。ひとつのシリーズという形にはならないのかもしれないです。でも何かつけるとしたら、色についてのことをやっているんだと思います。
T: 色についてとおっしゃいましたが、写真を見る人はどうしても被写体が何か?ということを見ようとしますよね。そういう方向にいかせないための対策は何か考えているんですか?
野口: どうでしょう。自分の作品を考えると、被写体ありきでない作品をつくろうと思ってきたとは思うのですが、でも、写真って何だろう?と考えると、そのモノが写っていることのほうが作品より重要じゃないかと思ったりもしますよね。でも、結局、そういう写真はすでにきちんと存在するわけだから、やっぱり私は違うドアを開けに行こう、と最終的には思います。でも被写体に縛られないように、と考えた時点ですでに自由じゃないですよね(笑)。もっと自由に作品をつくっていこうというのが、いまの私のテーマなんですが(笑)。





T: 野口さんが作品をつくって発表する、観客がそれを見て何かを感じたりする。そういうコミュニケーションって、言葉を交わして「了解しました」というのとはちょっとちがいますよね。
野口: そうですね。私はどこかのだれかに向かって作品をつくろうと思うんですが、ただ、コミュニケーションという言葉にはちょっと違和感があります。
T: 大ざっぱすぎますか?
野口: というか、たぶん使われ方のせいだと思うんですが、コミュニケーションという言葉は、たくさんの人に向かっていくことのような印象があるので、自分がやろうとしていることとは、ちょっと違う感じがします。私は「交流」という言葉のほうが好きですね。作品を間に置いて、作品を見てくれている人と対等に「交流」したい。
T: 野口さんがやろうとしている「対等に」という意識とは別に、一般に「表現者は何か伝えたいことがあって表現しているものだ」という思い込みがあると思います。観客はメッセージみたいなものを受け止めなければ、と思うから「わからない」という言葉がでるんじゃないかと思うんです。野口さんは「伝える」ことについてどう思いますか?
野口: 私は作品を作るって、「伝える」よりももっと大きなことだと思うんです。何かわからないけど、大きなものに向かっていっているつもりではいます。夢をみるとか、想像するとか、そういうことに近い。それは「伝える」以前にあるものですよね。
T: 観客にとっても、作品に感動しているわけではないですね。作家の意図を超えているものに感動しているんじゃないかと思います。
野口: 自分を観客として考えると、いい作品に出会ったときには幸せな気持ちになるんですよね。それは、その作品をすばらしいと思える自分に対しても幸せを感じるということだと思うんです。「すごい、こういう作品をつくる人がいるんだ」ってあらためて思う。そのときの幸福感を考えると、やっぱり、人から何かを伝えられて幸せ、というのとはちょっと違いますよね。





T: 今回、発表した作品に戦前の写真を見て、学んだことからの影響はありますか?
野口:たぶん影響していると思います。でもどちらかといえばいま、ドイツ語を勉強していることの影響のほうが大きいかもしれないです。(笑)。最初はドイツ語を勉強することで、新しい考えが生まれて作品制作に役立つかとおもったのですけれど、全然違う脳を使っている感じなんです(笑)。ただ、新しい言葉を覚えていく感じはおもしろくて、自分自身も作品をつくる新しい言葉を身につけよう、みたいな考えは起こっています。
T: 作品にとって「考える」プロセスそのものが重要だということですね。
野口: 考えると同時に実践がないとダメですよね。でもプロセスはとても重要だと思います。最近はむしろプロセスだけじゃないかと思うくらいです。作品は結果ですよね。もちろん、そのプロセスは楽しいたことばかりじゃなくて、たいへんだったり、つらいこともありますけど、「これはいい作品になるな」と確信を持てた瞬間は気持ちがいい。これは生み出す必要のある作品だ、と思えるときがやっぱりいちばん幸せです。



他のところにもいい話があったのだけど、全部抜き出すわけにはいかないので、これだけにしました。
美術手帖も買ったのですが、その話は明日以降にします。

2011-01-19 写真派分離派宣言その後

「写真派分離派宣言その後」

 このごろTwitterにもあまり出てこなくなった「写真分離派宣言」についてのつぶやき、今月号の『美術手帖』2月号に鈴木理策さんが写真分離派宣言について文書をよせたようで話題になっていましたので、まとめました。

「写真派分離派宣言その後」http://togetter.com/li/91037

をご覧ください。

 私はまだ、美術手帖を読んでません。明日読んでみたいと思います。

2011-01-18 気になる写真家

Timothy Atherto


昨日、Peter Fraserのことを調べているときに偶然にみつけたBlogMUSE-INGS」(http://photo-muse.blogspot.com/)が気になる。

Timothy Athertonという写真家Blogのようだ。このBlogからlinkしているTimothy Athertonの作品に惹かれた。

特に、Bethicketted は今,自分が取り組んでいる森のシリーズと共通点があり大変参考になった。

また、flickrにもhttp://www.flickr.com/photos/57045106@N00/少し作品が載っていた。

今まで、Bookmarkをしても、忘れてしまうので、これからは気になる写真家がいたら、Blogに[備忘録]というTagをつけて載せておくことにします。

2011-01-17 Peter Fraser

Peter Fraser

福居伸宏(@n291)さんとrachiakira (@rachiakira)さんのtwitterのやりとりからPeter Fraserという写真家を知った。
http://twitter.com/#!/n291 , http://twitter.com/#!/rachiakiraより

n291
そろそろ日本でもピーター・フレイザーの展覧会をやっても良いころでは。【Peter Fraser, Photographer】http://3.ly/NGXH

rachiakira
今日、ちょうど授業中に作品集を生徒にまわしました。タイムリーです。RT @n291 そろそろ日本でもピーター・フレイザーの展覧会をやっても良いころでは。【Peter Fraser, Photographer】http://3.ly/NGXH via web

n291
エグルストンの近作や中平卓馬さんのカラーを、ネームバリューによるバイアスなしに面白いと感じる人が少なからず存在するようですし、今こそフレイザーをやれば良いのに、…と何となく思い付きです。RT @rachiakira 今日、ちょうど授業中に作品集を生徒にまわしました。タイムリーです via web

rachiakirara
確かPeter FraserはWilliam Egglestonのアシスタントをしてたはず。 via web


http://3.ly/NGXH すなわち福居伸宏さんのBlog 〓bungsplatz〔練習場〕(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070905#p3) を見ると。
Peter Fraserのホームページ(http://www.peterfraser.net/)があったので、見てみる。
この中で、サイズは小さいが作品を少し見ることが出来た。
2002 Retrospectiveという展覧会の様子をみると(http://www.peterfraser.net/?page_id=79)、大きく引き伸ばして展示を行っている。
2004年にCitigroup Prizeの第一次選考に残ったようだ。そのときCitigroup PrizeはJoel Sternfeldが取ったようで、Robert Adams も一次選考に残ったということだ。そのときの展覧会の出品作品ははhttp://www.peterfraser.net/?page_id=81で、
確かに、中平卓馬の作品に通じるところもあるが、私はむしろ、白黒ではあるが、榎倉康二の写真を思い出した。
参考

http://www.peterfraser.net/?page_id=128

  • The Valleys Project 1985

http://www.peterfraser.net/?page_id=17

  • Everyday Icons 1985-86

http://www.peterfraser.net/?page_id=13

  • Ice and Water 1993

http://www.peterfraser.net/?page_id=206

http://www.peterfraser.net/?page_id=11

  • Material 2002

http://www.peterfraser.net/?page_id=111

  • Nazraeli Monograph 2006

http://www.peterfraser.net/?page_id=15

  • Oxford Project 2008

http://www.peterfraser.net/?page_id=228

  • Lost For Words 2010

http://www.peterfraser.net/?page_id=345

2011-01-16 中平卓馬写真展 「Documentary」

BLDギャラリー 中平卓馬写真展 「Documentary」

 午後、銀座のBLDギャラリーへ、ちょうど「対談 ホンマタカシ×金村修」というEVENTをやっていて、14:30〜17:30は入場できないようなので、写真を撮って時間つぶし、17:30過ぎに会場に入る。
 全部縦位置の写真、二段組で隙間なく会場の壁に貼り付けて展示。
 写真としては、2003年横浜美術館で『中平卓馬展 原点復帰―横浜』と変わらない。でも、このような写真にますます惹かれてしまっている。「新たなる凝視」を見たときの戸惑いはどこに行ってしまったのだろう。
 会場には「71年パリ青年ビエンナーレで発表した「サーキュレーション――日付、場所、イベント」のネガを金村修さんがプリントして展示してあった。「サーキュレーション」は会期中にパリで写真を撮り、現像、焼付をして、毎日写真を増やしていくという試みに挑戦したのだが、主催者側とのトラブルで自ら写真を剥がして作品を撤去したという事件があった作品だ。ブレボケの写真ではなく、白黒ではあるが「植物図鑑」の写真と通じるような写真であることが分かった。金村修さんの伸ばしも良かった。影の部分の階調がやっと分かるぐらいの黒っぽい写真だ。

会場には、同名の写真集 中平卓馬『Documentary』
2011/Akio Nagasawa Publishing/A4/ハードカバー/初版2000部 3,990円(税込)
が置いてあった。
もう一冊、予約受付になっていたが、中平卓馬が雑誌に発表した写真をまとめた。
「都市 風景 図鑑」(中平卓馬マガジンワーク1964-1982) 月曜社
の見本があった。清水穣さんが解説をかいている。
「植物図鑑」「博物図館」「奄美大島」等、カラーで撮り始めたころの写真が載っていた。確か6400円位だった。この2冊買うことになりそうだ。
 また、5月には、オシリスより写真集『サーキュレーション――日付、場所、イベント』も刊行されるそうだ。
参考:

  • BLD GALLERY の中平卓馬写真展 「Documentary」のページ

http://bld-gallery.jp/exhibition/110108nakahiratakuma.html

http://www.shugoarts.com/jp/exhibitions.html

2011-01-15

YOKOHAMA PHOTO FESTIVAL

 午後、横浜フォトフェスティバルへ、ポートフォリオレヴューをみた。今回はレヴュアーをレヴューを受ける人がポートフォリオをもってまわる形式。去年は、逆で、レヴューを受ける人が机の上にポートフォリオを広げて待ち、レヴュアーが回ってみていた。
 となりの部屋にレヴューを受ける人のポートフォリオが置いてあり、それを見ることが出来た。
 ひと通りみたが、くたびれてしまって、去年のワークショップの作品をスライドショーを上映しているところで居眠り。何をしに来たのか分からない、せめて写真でも撮らなきゃと、赤レンガから、馬車道を通り、伊勢佐木町まで写真を撮りながら歩いた。
[今日の写真]馬車道->横浜赤レンガ->馬車道
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2011-01-14 西班牙の夜

ギャラリー冬青 北井一夫「西班牙の夜」展

ギャラリー冬青 北井一夫「西班牙の夜」展
2010年1月5日(水)〜1月29日(土)
11:00 〜 19:00
休館日:日曜・月曜・祝日
http://www.tosei-sha.jp/gallery.html#currentより

1978年、いま考えるとあの時なぜスペインへ行ったのだろうか。夜のバルセロナを歩いてみたかったのか。
スペイン市民戦争を戦ったアナーキストたちへのあこがれか、それともとにかく日本を離れたかっただけなのか。
宿はランブラス通りに面した石造りの門柱に拳銃線の痕跡が今も 生々しく残るホテルファルコンにした。
夜になるとカメラバックと三脚を抱え宿を出て、居酒屋、タブラオ、裏路地を歩いて写真を撮った。
北井 一夫

デジカメWatchのこの展覧会の写真展リアルタイムレポートが面白い
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/culture/exib/20110113_419605.htmlより

 今回の「西班牙の夜」は、当時、アサヒカメラで16ページにわたり掲載されたが、評判は最悪だった。読者や評論家は「村へ」の路線を期待していて、そこに落差がありすぎたからだ。

「失敗したと思い、外国でカチッとしたものを作ろうと、次はドイツ表現派の建築を撮った。名誉挽回を期してだったけど、これも散々だったよ」

 アサヒカメラの連載で、1年続く予定が急遽、6〜7回で終了になった上、計画していた写真集も立ち消えになった。

「それが2008年に冬青社の高橋さんから話があって、写真集を作り、写真展をしたら、とても評判が良かった。プリントを購入してくれた人に聞くと、『作家性に幅があるから良い』と言うんだよね」


木村伊兵衛写真賞第一回受賞者でも、写真を続けるのは大変だったようだ。
デジカメWatchのレポートに紹介された作品を見て是非この展覧会を見てみたいと思っている。

2011-01-13 写真の力の可能性

写真で指し示すべきもの

佐伯剛(@kazeaeki)さんのtwitterより、
http://twitter.com/#!/kazesaeki

写真を志す若い人達から展覧会のDM等をいただく。感性をうたっているけれど、なんだか理屈っぽいなあという印象を受ける。人間、考えることから自由になって感性だけの存在になることなんかできない。中途半端に考えているから理屈っぽくなる。徹底的に考えているものは、理屈を突き抜けている。

写真を志す若い人で、写真は感覚で撮ればよくて、思考は必要ないと思っている人が多い。でも、人間の感覚は、メディアや教育等の言語的影響を受けており、自分のものだと思っている感覚が、実は、他人から刷り込まれたり洗脳されているだけの場合がある。その状態から脱するプロセスで、思考は必要。

理屈抜きに感覚で撮りました等と胸を張って言う人間の写真は、だいたい、どこかで見たことのあるようなものが多い。他人の写真を見て学習することすらしない人達だから、自分では人真似などしていないつもり。それでもステレオタイプになってしまうのは、社会から刷り込まれた感覚に無自覚だから。

未来の展望が見えにくい状況の中で記号的言語が跋扈し、複雑化していく社会で、写真は、言語的な思考が辿りつけるポイントの、さらなる先の思考を具現化する力がある。その力こそが、今、写真に求められるものであり、写真が未来につながる道。なのに多くの写真は、記号的言語の僕に成り下がっている。

記号的言語の僕というのは、例えば、評論家に、”今日風”とか”時代の空気”などと、思考力の無さを露呈した評論で評価され、そのように評価されることを喜ぶこと。大衆メディアがバックについた賞や、様々な経歴(個展歴など)などで飾り立て、作品に価値があるかのように演出すること。

社会的使命という言葉は、非常に使いにくい時代ではあるが、写真に社会的使命があると考えている写真家はどれだけいるだろう。使命といっても、戦争の修羅場を見せつけて正義を主張する類ではない。そうした既存の価値観の枠組みの中の正悪や優劣ではなく、新たな価値観を垣間見せる写真、という使命。

言語的差異を超えて人々の心の深いところに届き、言語的思考の先の思考を指し示す可能性のある写真。様々な価値言語で分断された社会で、改めて、写真の力の可能性について考える日々。写真の力をフルに生かして、現代の曼荼羅を描き出したい、描き出せるのではないかという思いが自分の中にある。

多くの人は無自覚だが、現代人は、映像によって価値観を歪められている。コマーシャル映像やテレビ映像は、人々に「そうあるべき」イメージを刷りこんでくる。”豊かな暮らし”、”憧れの存在”、”カッコいい人生”など、その一例。本来どうあるべきかということとは関係ない映像が、人々の心を弄ぶ。

いわゆる人気写真家などというのも、本来どうあるべきかということと関係なく、コマーシャルやテレビ的価値にうまく便乗して自己演出するのが上手いだけの者が多く、映像の弊害をさらに増幅させている。映像に関わりながら、映像の魂を売ってしまい、自分を飾り立てる道具にしている輩はとても多い。

写真の魂を売り、自分を飾り立てる道具にしている人の写真は、すぐにわかる。一言で言うと、魂を売ってしまっているから、魂に響いてこない。色とか構図とか状況設定とか、頭でっかちのゴタクを前面に押し出して、先端を気取っているが、何度も見たくなるほど、引き込まれない。

人類は”存在”について言語を用いてさんざん哲学してきた。”存在”を哲学するというのは、ただそこに在ることを証明するのではなく、生きてそこに在るということが充分な納得感を伴って伝えられることだと思うが、言語的思考では届きにくいその領域を、写真で指し示すことができるのではないか。

2011-01-12

写真を元にした絵画

先日、観に行った、神奈川県立近代美術館葉山館で『プライマリー・フィールド2』について、糸崎公朗(@itozaki)さんの感想がつぶやかれていた。
http://twitter.com/itozakiより

昨日は神奈川県立近代美術館葉山館で『プライマリー・フィールド2』観たあと鎌倉館で『ひと/HITO』観たけど、今時のアートとその昔の芸術との対比がなかなか興味深かった。最新アートはとにかく軽い感じで、芸術ならではの重厚さを否定する所からスタートしてるように思える。…

…『プライマリー・フィールド2』は絵画としてわかりやすい作品ばかりで、悩まず見る事ができたw印象としては、雑誌『イラストレーション』のコーナー「ザ・チョイス」にでも載ってるみたいなオシャレで軽いイラストを、アートの形式に落とし込むというか、大画面で一品制作したみたいな感じ。…

…『プライマリー・フィールド2』は写真を元に描いた絵画が多くて、その意味でも参考になった。実は、ぼくは最近「反ー反写真」に続いて「反ー反絵画」を描こうと企んでおりw自分で撮った写真を絵にしたらどうだろう?なんて事を考えていたのだ。

…ぼくは芸術家としてのオリジナリティーが無く、インスピレーションも湧かず、絵画の道は断念してしまった(ついでに構図が取れないので、真っ当な写真の道も断念した)。だが美大受験のためデッサンをやったので、写真を見ながらそっくりに描く事は一応できる。…

…しかも最近は「構図が苦手」が克服され自分でも「写真」が撮れるようになってきたのだ。しかし技術だけでセンスの無い自分みたいな人間が写真を見て描くと、際限無く精密に描き込むしかなくて非常に時間が掛かってしまう。絵は描きたいけど、そこまで手間のかかる描き方はとてもやる気がしない…

…と言う観点で『プライマリー・フィールド2』の作品を観ると、特に高橋信行さんの作品は、写真を元に描きながら大胆に図式化、省略化され、少ない工程で軽やかに描かれている。そしてこの独特の抜き加減が「芸術」として肩肘張った前時代的態度と異なるオシャレで軽やかな「アート」になっている。…

…「現実が密に写し出された写真から、いかにして大胆に要素を削って絵画を成立させるか?」というように考えると、漠然としたオリジナリティーやインスピレーションなどという概念とは違う方向で、自分が描くべき絵画を考える事ができるかもしれない。みんなはとっくに気づいてるのかもしれませんが…

…『プライマリー・フィールド2』ポスターの小西真奈さんと、三輪美津子さんも写真を元に描いていて、高橋信行さんよりはだいぶリアルに描き混んでいるが、しかし粗いタッチで軽快に描かれている。というか、小西さんと三輪さんは描き方がとてもよく似ている気がした。…

…小西真奈さんと三輪美津子さんの絵は、どちらも一見写真のようにリアルで、近づくと粗いタッチで遠近感がわからなくなる感じに見える。実物ではなく写真を見ながら描いた絵特有の薄っぺらさがあり、これも軽快な心地よさを観客に与える一因なのかもしれない。…

意外だったのは小西真奈さんと三輪美津子さんともにタッチが達筆というわけではなく、どちらかと言えばグチャグチャと塗りが汚く思えた事だ。ぼくは似たような絵でも、印刷前提のイラストはそれほどきれいな塗りではなく、芸術絵画はさすが達筆に描かれる、と認識してたがその決め付けも時代遅れかも…

ともかく小西真奈さんと三輪美津子さんは描法が良く似てて、モチーフが異なっているように思える。という意味で極めて「写真的」だと言えるかも知れない。つまりぼくも両人のような描法で自分の写真を見て描けば、絵画を成立させられるかも知れない。あくまで想像的な案でしかないですがw


Y/S(@moscow_91)さんも、写真を元にして描く絵画について、つぶやいていました。
http://twitter.com/#!/moscow_91より

今、「風景」を描くのに「写真」を参照せず現場で描く(スケッチ含む)画家はどれだけいるのかしらん。絵画作品を見ていて「あ、これ35で28mm」とか「66で80mm」「66で50mm」って判る時がある。パースや構図の取り方なんかで。

レンズを通すってのは単に機械的写実性やら類似性以外に、実は肉眼とはパース(遠近)の違いが生ずるはずなんだよね。レンズ(単眼)と肉眼(複眼)による知覚の差異。(2Dと3Dとかの違いでなく)知覚される「世界」のずれみたいな。

そうすると、 なんだろ、 写真を元に描かれる「風景」ってのは、「絵画」でなく「写真」じゃないか、なんて、思うのだ。メディアがなんであれ。いや、良いとか悪いとかじゃなく。なんか如何にもDQNな思いつきなんだけどね。


ここで、門井幸子(@schastlivyi0127)さんが@moscow_91にこうつぶやきました。

http://twitter.com/#!/schastlivyi0127より

ホックニーの『秘密の知識』おもしろいですよ。http://amzn.to/id04Rv@moscow_91

カメラルシダとかカメラオブスキュラの利用がどの程度一般化してたんだろね。実際の所、幾何学遠近法の普及は理論よりカメラの存在のが大きいみたいな @schastlivyi0127ホックニーの『秘密の知識』

一方、カメラオブスキュラの原理は中国でも早い時期に知られていたが、幾何学遠近法として積極的に応用されることはどうもあんましなかったのも面白い。その片方で日本人は大いに面白がって取り入れたり。・・・ってずれちゃった(汗)

ナントいうか、「ストレートな写真」っていう言葉が何か引っかかって、そんなら仮に「ストレートな絵画」ってあるんかと云うお遊びからの思いつきかな。レンズを下敷きにしたのがストレートか?ってのは。


@moscow_91さんが『写真を元に描かれる「風景」ってのは、「絵画」でなく「写真」じゃないか、なんて、思うのだ。』言う通り、「プライマリー・フィールド2」で、特に小西真奈さんの絵を写真と思ってみていたのだと思う。

2011-01-11 写真は死ぬのか?

写真は死ぬのか?


1月2日に行った。写真美術館「[かがやきの瞬間]スナップショットの魅力」展のカタログが送られてきた。2日には出来てなかったので、送ってもらったのだ。
その中に鷹野隆大「写真は死ぬのか?」というテクストが載っていた。
ここのところ、自分の写真が同じようなことの繰り返しになっていないかと色々考えていたのだが、このテクストを読むとまた色々考えさせられた。
 鷹野さんは1998年の春から、「毎日写真」と称して毎日写真を撮ることにし以来それを続けているそうだ。
 これを続けると次第に、無心になって撮れるようになるが、すぐにこんなことをして意味があるのかという疑問が湧いてくるという。

こうして三年、四年と続けているうちに、外界に対する興味の度合いが深まったせいか、少しずつ自由に撮れるようになってきた。撮影も次第に楽しくなって、出来た目標はバカになって撮る。花も夕焼けもそのほかの当たり前すぎて気恥ずかしいものも、取り立てて説明のつかないものも、ともかく「あっ」と思ったら撮る。“いい写真”や“意味のある写真”、“立派な写真”を撮ろうとする意識からどれだけ自由になれるかがポイントだった。
 それでもつい、「こんなものを撮っていて意味があるのか」と自問してしまうことがある。撮ったその場で何らかの確証が欲しいと思うのも人情である。だが、いま撮った写真を意味付けするのは未来の自分だ。昔の写真を見返して新たな発見をすることが珍しくない以上、今はダメだと思った写真がいつか急に輝いて見えることだってあり得る。どれほど注意深く“今”を選んだとしても、未来の自分がどう判断するのかはわかりようがないのだ。その上、いま写した場所も人も不動の姿でそこに居続けるわけではない。一枚の写真の意味は常に揺れているのである。

そして、写真の意味を知るには長い時間が必要だと言っている。

写真において問われているのは「現実を現実のまま、いかに表現するか」である。個別の現実を個別のまま終わらせてしまったら、人に何かを伝えることはできない。「理念」(必要なら“コンセプト”と言ってもいい)が登場するのはこのときであり、それは撮影以前にあるのではなく、撮影結果からの逆算において初めて見えるものだと僕は考えている。今回出品する《カスババ》というシリーズは、無防備に撮り集めた「毎日写真」から選び出したものである。最も古い写真は十年前のものになるが、撮影したときは未来の自分がこのような形で拾い上げるとは想像もしなかった。犯人が現場に痕跡を残すように、写真にも撮影者の痕跡が残っている。それをひとつひとつ丹念に辿って行くことが、やがて自分の中に潜んでいる「基本理念」が見えて来るのではなかろうか。それは多様な側面えお持つ“今ここ”に撮影者がどう向き合ったか(それは現実に対する本能的、直感的な批評行為とも言えるだろう)を知ることでもある。写真は一瞬で写るが、その意味を知るには長い時間が必要なのだ。


 今は、撮り続けるだけ、意味など考えずに、後でみえてくるのだからとうことですか。

Yomiuri Online 「写真分離派宣言」写真のトゲ

YOIMIURI ONLINEで動画『鷹野 隆大「写真分離派宣言」写真のトゲ』が見ることができます.

東京渋谷区ナディッフギャラリーで写真展「写真分離派宣言」が開催されている。1963年生まれの写真家3人と評論家2人は、デジタル時代における写真の本質と可能性を問うと宣言し、作品を展示している。この宣言の発起人である写真家鷹野隆大が、現実と向き合った写真が持つ棘(トゲ)と未来の写真のあるべき姿について語る。

http://www.yomiuri.co.jp/stream/onstream/takano.htm

2011-01-10

樹(桜山)

 夕方、桜山の六代御前墓の裏側の長柄桜山古墳群のある山に登り、葉山の葉桜団地に抜け、また山道を通り逗子に戻った。
別に古墳を撮るのが目的ではなく、結局撮ったのは樹木。太陽が低く、樹に横から陽がスポットライトのように当たるのが美しい。時間や季節を変えて何回も足を運んで見たい場所だ。
 4x5を担いで出直してみたい。
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2011-01-08 表現と曼荼羅

表現と曼荼羅

 今日は写真を撮ることはできなかった。
 小池博(@koikehiroshi)さんのtwitterを読んでいて、自分の陥っている状況が何となく見えてきます。
 自分の撮り方(ある物をみたらこのように撮ると)をメソッドだとすれば、下に書いてあるように、自分のやっていることは自分の模倣ということになるのだ。そんなことを思いながら、次のtwitterを読みました。
http://twitter.com/#!/koikehiroshiより

僕は自分が見たことのないものを作ろうとやってきた。メソッドを確立すると平気で言う人を見ると恥ずかしく感じた。・・・メソッドとは、実はそれで打ち止め、ということである。メソッドは常に壊す材料としてある。自分の方法はあってもいい。稽古の仕方としてのメソッドはあってしかるべき。

けれど、作品にメソッドを持ち込むのは4〜5回切りだと思ってきた。以降はそれは単なる模倣へと脱する。自分の模倣をしてなにが面白いのか。だが、そんな方法を採っていると客離れを起こす。観客とは気に入れば見るが、すぐに気に入らなければ離れていく。

メソッドは型である。型の確立に楽しさを見いだす人がいるのは分かる。しかし、これがオレの型だ、その型を磨き込み続けるのだというのは、これはアーティストの発想ではない。職人の発想である。

職人であって悪いことは何もない。職人を卑下しているのではない。職人は職人で敬愛している。だが、アーティストたるもの、先に進まねば、一歩でもはいつくばってでも進まねば、と思うのである。しかし、メソッドの方が金になる。名誉も付いてくる。笑っちまうね。

笑っちまうが、型の重要性もよくわかる。型は根っこになる。その根っこがあるなしでは、全然違うが、多くは根っこにだけしがみついて離れない。離れようとする意思を持つ中で、アートとしての機能が動き出すように思う。

音楽メルマガを配信している。音楽は15~27歳の期間を除いて(このときはジャズ一辺倒)何でもありだった。でもジャンルはどうでもいいというだけ。好き嫌い、良い悪いはハッキリしていた。しかし好き嫌いは時間と共に変化する。良い悪いは変わらない。だが好き嫌いを批評基準にする人が多すぎる。

面白いほど音楽の嗜好性は変わるものだ。もちろん僕にとってまったく変わらない音楽家もいる。自分をとことん追求しようとした魂を持つ音楽家は、かなり早くから輝き、廃れることがない。けれど、時代と共に一所懸命になっている音楽家はどうもその始めから頂けない。

結局、アートでも音楽でも、どう生きるか、その証が作品になっていくのだろう。つまりは、自分自身を振り返れ、ということなんだなあ、と自分をしばしば戒めている。


このtwitterのつぶやきが「風の旅人」の編集長 佐伯剛さん(@kazesaeki)の曼荼羅についてのつぶやきとのやりとりに発展します。その様子をtogetterでまとめました。

表現と曼荼羅 http://togetter.com/li/87351 をご覧ください。

2011-01-07 新国立美術館へ

恵比寿から六本木

 今日は、新国立美術館に「DOMANI」展を見に行くことにした。金曜日なので20時までは開いているので、恵比寿から六本木まで歩いて行くことにした。
 六本木ヒルズを目印に適当に歩きながら写真を撮った。できるだけ、あまり行ったことのないところを通って、マンネリを脱出しようと思っているのだが、人間そう変われるものではないので、昨日と同じで、いつもと代わり映えのない写真を撮っただけだった。

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 展覧会を見て、暗い中で、新国立美術館の道に沿って植えられた樹(たぶんケヤキ)を撮った。つまり、昨日知った、Sophy Rickettの写真のまねをしてみました。

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新国立美術館「DOMANI・明日2010」展


 以前、三好耕三さんも出品するということで「DOMANI・明日2010」展を紹介したが、やっと行って来ました。

この展覧会の公式ホームページhttp://domani2010.com/)に

文化庁は、将来の我が国芸術界を支える芸術家を支援するため、若手芸術家を海外に派遣し、その専門とする分野について研修の機会を提供する、「在外研修(新進芸術家海外研修制度)」を昭和42年度から実施しています。
 「DOMANI・明日展」は、この制度の成果発表の場としてこれまで12回開催してまいりました。様々なジャンルから選出された、現在活躍中の12名の作家が各々の世界を展開します。美術界の明日を担う作家たちの多彩な表現が一堂に会する、貴重な機会をぜひお楽しみください。

あるように、海外に研修に行った作家の発表会。
写真家は三好耕三さん、鈴木涼子さん、赤崎みまさんの3人が出品していた。

「三好耕三さんの大判カメラによる「Cacti Land Scape」サボテンが生えている砂漠の風景、大判カメラの3枚でつないだパノラマ写真」、「赤崎みまさんの黒いバックの果物等のカラー静物写真(イルフォードクローム)」に惹かれ、カタログ購入

参考

 http://www.8x10.jp/series/cacti.html

  • 赤崎みまさんの静物写真

 http://www.japandesign.ne.jp/GALLERY/NOW/akasakimima/

2011-01-06

渋谷から青山へ

 夕方、青山ブックセンター洋書のバーゲンにでかける。渋谷から青山ブックセンターまで暗い中を写真を撮りながら、できるだけ、いつものコースを歩かないようにしたのだが、そんなに代わり映えのない写真です。
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バーゲンの収穫


Walker Evans: The Hungry Eye

Walker Evans: The Hungry Eye



 Walker Evansの生涯の作品をまとめた本です。Evansが色々なものを撮っている。StreetPhot、電車の中からの風景(Views from the Train)、一番驚いたのが、ニッパとかスパナのような道具のカタログのような静物写真(The Beauty of the Common Tool)も撮っていたこと。

Sophy Rickett (Photoworks)

Sophy Rickett (Photoworks)



Sophy Rickettはイギリスの女性写真家。表紙の暗い森の写真(http://media.artsworkbathspa.com/labs/performance/projects/Night%20A%20Time%20Between/sophyrickettforest1.jpg)に惹かれた、写真を何枚か並べてとるPanorama写真等(http://www.nca-g.com/artist/sophy_rickett/2003/)、非常に興味深かい。


参考

2011-01-05 初撮影

戸塚へ

 写真を撮らなきゃといいながら、写真を撮っていない。
 毎年正月には、HASSELを担いで、家のある逗子から山道を鎌倉まで歩いたりしているのだけど、今年は、銀塩ではなくてDP1sで、戸塚の街を撮ることにした。どうして戸塚かというと、いつも電車の中から見ていて気になる風景があるからだ。
 崖を崩し、なにか造成工事をしているとこなのだが、そこを撮りたいと思いながら、中々行けなかったのだ。
 そこを撮った後は、戸塚の街を撮り歩くこうと思ったのだ。
 このごろ、自分の行動範囲が決まってしまって、中々、知らない所に行かなくなってしまっているし、写真も決まりきったものしか撮っていない、そこを打開したかったのだ。
 結局、崖を撮りにいったのだが、大分工事が進んだみたいで、自分の頭の中にあるものとは随分違うものだったし、街も中々シャッターを押せなかった。
 それでも、72枚撮った撮るまで頑張って帰ることにした。
 最初は100枚は撮ろうと思っていたけど、とても無理なので、36枚の2倍の72枚で妥協。やっぱり銀塩人間ですね私は。

2011-01-04 写真と絵画

神奈川県立近代美術館 鎌倉館「人」展

葉山館の後に、鎌倉館の「人|HITO」展をみる。

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2010/hito/index.htmlより

「ひと」は、人が生み出す美術にとって、もっとも親密でありながら、もっとも謎めいており、崇高にも、悲劇にも、喜劇にもなりうる主題です。この永遠のテーマに近代の芸術家たちはどのように取り組んできたのか。当館所蔵の絵画、彫刻、素描、版画から「ひと」のイメージの諸相を探ります。

 第1 部では「自画像」などと呼ばれる「かお」に眼差しを集中させる作品を展示します。次に第2 部では首から下の「からだ」を表した作品、なかでも女性の裸像、首も手足もない「トルソ」などの芸術形式を考え直してみます。第3 部は子ども時代から老年まで、時の流れの中で「生きている」人間のさまざまな様相を表した作品を紹介します。第4 部では、戦争などで人間を否応なく「ひと」の世界から引き離す「死」を前にした人間の姿を考えます。最後に第5部では、「HITO」とは、という問いの下に、現代社会の中で生きる私たちの存在とはなにかを、ときにはユーモアをもってときには悲劇的に突きつめた作品群を紹介します。

 岸田劉生関根正二佐伯祐三、児島善三郎、藤田嗣治松本竣介麻生三郎、阿部展也、堀内正和、高松次郎、吉田克朗、アルベルト・ジャコメッティなどによる約70 点の作品で構成された本展を通じて、「なんじ自らを知れ」という永遠の問いかけに立ち向かった芸術家たちの声に耳を傾けて下さい。


 アルベルト・ジャコメッティの「イサク・ヤナイハラの肖像」、「肘をつくヤナイハラ」、「ヤナイハラの頭部」を見ることができことが収穫。

神奈川県立近代美術館 葉山館「Primary Field II」

神奈川県立近代美術館(葉山館)「Primary Field II」展を見に行く。

「Primary Field II」展のホームページより

新鮮な感覚をもった活躍中の7人の画家たち
プライマリー・フィールドとは「基本的な場所」もしくは「原初的な場所」という意味です。冬の海を望む葉山館の白い展示室は、その場所自体が「原初的な場所」に通じるかのような静かな空間。会場は7つの場に、きらめくような新鮮な感覚をもった活躍中の7人の画家たち、高橋信行(1968-)、小西真奈(1968-)、保坂毅(1980-)、三輪美津子(1958-)、東島毅(1960-)、伊藤存(1971-)、児玉靖枝(1961-) の絵画の世界がオムニバス形式で広がります。

新しい絵画の世界を開こうとする視座
私たちの文化が一つの転換期を迎えているかに思える今日、様々な制度の解体と再構築が試みられていますが、「絵画」というフィールドでもそれが問われていると言えるでしょう。ここで取り上げる7人の画家たちはそうした時代の中で、すでに確立されてきた過去の絵画に憧憬や畏怖の念をもちつつも、作家自身の知覚のリアリティに自然体で誠実に向きあうことで、絵画の歴史性を乗り越え、新しい絵画の世界を開こうとする視座をもつ画家たちです。人間の知覚体験の不思議さを静謐の中に喚起し、イメージが生成される場に立ち会える、見るたびに初めて見るような形に出会える展覧会です。


7人のうち、高橋信行、小西真奈、三輪美津子、児玉靖枝の4人が写真を元に絵を描いているが、カタログに載っている。小西真奈、児玉靖枝2人のインタビュー(聞き手 是枝 開)の中で写真について語っているところが写真を考えるうえでも面白かったので、抜き出してみる。

小西真奈へのインタビュー




――写真を見て描くということを始めた理由とか、実際に眼の前の風景を描くのと、写真を見て描くとは違うと思いますが、どういうところから写真を使うようになったんですか。
小西(以下MK):写真の好きなところは、こっちの観念的な思い込みのような見方を、一歩引いて見せてくれるようなところですね。
――心理的に距離をとれるということですね。
MK:それに自分の体験と写真が見せてくれるものとの、ギャップのようなものがおもしろいですね。
――実際に目の前にモデルがいて描く場合、もっと主観的になってしまうこともあるでしょうか。
MK:自分が見たいように描いてしまうと思うんですね。それはそれでおもしろいのだけど、そうではないおもしろさが写真から得られるというのか。写真だと、こんな見え方ならこんな風に絵画を使ったらおもしろいなと考えます。



――絵のサイズも、小さかったり、大きかったり、正方形だったり、長方形だったり。既成の木枠を使っているということでしたが、形やサイズは写真の構図から決めるのですか。
MK:何か描きたい写真を、どういうようにしたら全て効果的なイメージになるかと、現場ではいろんな風に撮っておくのですよ。正方形にした方がかえっていい時もあります。正方形にする前には、こんなのおもしろくないと思っていたのに、たとえば《山のひと》も正方形にしたらおもしろいなと思いました。そういうのはアトリエに戻ってからの作業ですね。トリミングで印象が変わることもありますし。



児玉靖枝へのインタビュー




児玉(以下YK):私の場合、自分で写した写真をもとに描いているのですけれど、あらかじめ自分が見ているものを抽象するために下層から上層までのプロセスを想定して描いていって、最後の層の絵画が乾くまでの数時間で決まってしまうので、いやでも完成はしてしまうのですが、色が光になる際が完成なんです。そのちょうどのところで止めるのが難しいです。
――今回の展覧会の7人の出品作家でも写真を見てモチーフにする作家が、児玉さんを入れて4人ほどいらっしゃるのですが、印象はの画家たちのようにイーゼルを野外に立てて、実際の風景を見て描くのとはどこが一番異なると感じていますか。
YK:瞬間、瞬間の身体的なダイナミズムを写し取るには、実際に風景の前で描くのが最適な方法かもしれませんが、私が描こうとしている風景が、たまたま出会った、一日のうちのほんの一瞬に立ち現れるような光景なので、写真を使っています。でも、瞬間的だということだけが写真の目的でもないんです。
 たとえば今回出品している《air-moegi 9.mar.》という作品。これは、4月上旬、近所の山道を歩いていると、谷間に萌黄色の宝石のようなものがちりばめられていたんですが、よく見ると雑木林のあちこちの生まれたての葉っぱを西に傾いた逆光の光が透過していた情景なんです。その時葉っぱ自体が発光しているように見えて。その瞬間の絶対的な出会い、それが何であるか認識する以前の感覚、葉そのものではなくってその中に存在の気配を感受している感覚を絵画として抽象しようとしています。写真は自分が見ていたものも見ていなかったものも等価に写し取るということがあって、自分が感覚的にしか見ていなかったものを少し距離を置いて精査し、絵画として実現するために必要なプロセスなんです。



児玉靖枝さんの作品に描く森の世界に非常に惹かれた。

参考 http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/2009/2009-9da/2009-9da.html

で「深淵」のシリーズが見られます。このホームページでの作者のコメントを載せておきます。自分が森の中で惹かれているものをうまく表現しています。

日常の何気ない情景の中にふと立ち現れる非日常的光景。それが何であるかを認識する以前の感覚をモティーフに、その出会いの感覚を描く行為と形式に重ねることで、存在へのまなざしを問うことを続けています。今回は、夕刻の薄い光によって浮かび上がる木の間と、池の水面に映る光景をモティーフに、現代の私たちが見失いがちな、不可知な存在の〈陰翳〉と〈奥行き〉を写すことの試みです。
夕刻の薄い光によって浮かび上がる木の間は現実以上の奥行きを持ち、目に見えない気配を感じさせます。あるいは、木々に囲まれた池のほとりに立って水面を眺めると、周りの木々や私の背後に続いている景色が現実と見間違うほど鮮明に映しだされています。その私を包み込んでいる世界のきらめきを感受していると、ふと風に波立ち、その景色が一瞬壊れてしまいます。今私が見ているのは目の前の水であることに気付かされ、存在の確かさと不確かさを喚起されます。それは、私にとって、絵画の生成と似た感覚でもあります。
イリュージョンと現実、存在が開示する両義性、一瞬のきらめきと果てしない闇。

参考 http://www.gallery21yo.com/exh-folder2008/kodama/kodama.html
では「気配-萌え木」、「気配-木の葉」、「気配―萌黄」等の絵がみることができます。


他に、抽象的な作品であるが保坂 毅さんの作品(うまく説明できないが、ホームページの言葉を使えば『不定形の半立体状の支持体の各面に、響き合う色彩を塗り込めて構成するというチャレンジ精神あふれる抽象絵画』)が面白かった。動きながら、画面が変化する様子を見て楽しむことができた。

2011-01-03

The Japanese Photography Publication "Zine, Little Press"

Zineや一般書店に流通していない写真関係の書籍の紹介を目的にするThe Japanese Photography Publication "Zine, Little Press"(http://tjpp.exblog.jp/)
というサイトがあるそうです。
http://tjpp.exblog.jp/i2/より

最近の国内の写真市場は大型美術館で数多くの写真展が行われたり、写真取り扱いギャラリーによる勢力的なオリジナルプリントの販売や作品レヴューに関するイベントが行われるなど非常に活発です。しかし、写真を最も身近に感じることの出来る写真集を手に取って楽しむことはまだまだ定着していないと感じます。今は個人レベルでの印刷環境が整い、安価でも高品質で温もりのあるZineの様な書籍が様々なジャンルで発行されています。そこで、当サイトはそのような”写真”をテーマとした出版物を紹介し、少しでも多くの方に手にとる楽しさを感じて欲しいとの思いで立ち上げました。
また、Zineやリトルプレスが見直されつつあるのは素晴らしいのですが、元々利益を求めずアーティストが出来るだけ多くの人に広めたいというコンセプトにより広まったもので、商業的になることで本来の魅力を失うと思います。そこで、サイト掲載などのウェブサービスは無料で運営致します。

このサイトへの登録の申し込みは、http://tjpp.exblog.jp/i2/を見てください。

 ここに登録できるような、ZINEを作ってみたいものです。それには、まず写真を撮らなきゃいけませんね。

金村 修 写真展『アンクル・チアノーゼ・ミート』

金村さんの写真展の情報です。

金村 修 写真展『アンクル・チアノーゼ・ミート』
2011年1月17日(月)−2月5日(土) 13:00-19:00 日曜休廊 最終日-17:00
GALLERY mestalla
GALLERY mestalla のホームページ(http://www.gallerymestalla.co.jp/exhibisions/11/kanemura/index.htm)より

極めてシンプルな撮影方法、黒を基調とした時に暴力的とも思えるプリントは、写真を『美術』として語ろうとする殊勝な振る舞いを真っ向から拒否し、また写真の乳剤を傷つけるように横滑りする刃のような言葉を自身の写真に付すことで、写真における『解釈』という不自由さから徹底的に遁走し、終わりのない写真との反復遭遇を繰り返しわれわれに投げかけます。本展覧会は撮りおろしのロールサイズ、約28点で構成されます。是非ご高覧いただきますよう、お待ち申しあげております。


作家コメントもこのホームページで読めます。


 

鷹野隆大の写真集「カスババ」が発売

昨日みた鷹野隆大の「カスババ」の写真集がでるようです。

NADiff a/p/a/r/t
@NADiff_apart NADiff a/p/a/r/t
鷹野隆大】なお,待望の写真集「カスババ」が1月上旬に発売予定です。発行は大和プレス、通常版、プリント付特装版の二種。 NADiff、NADiffx10ではご予約を絶賛受付中。ご予約頂いたお客様には、特典としてサイン本をご用意!ご予約は店頭、またはお電話やメールにて承ります!

(http://twitter.com/#!/NADiff_X10より)

2011-01-02 スナップショットって何?

東京都写真美術館へ

1月2日は東京都写真美術館は無料。午後から写真美術館に向かう。
まず3Fの展示『スナップショットの魅力 ―― 平成22年度東京都写真美術館収蔵展 [かがやきの瞬間]』 から見る。
 途中で浮かんできた疑問「スナップショットって何?」Richard Avedonの写真展示を出てきた頃から分からなくなってきた。
 Scott Schuman a.k.a. ザ・サートリアリスト(THE SARTORIALIST)これもストリートスナップショットとかファッション スナップショットと言われているのだが、これも何となく違和感を覚える。
 そう考えてみると最初の方に展示されていたMartin Munkacsiも違うと考えてしまいます。
 なにか、写真に演出くささを感じると私のなかではスナップショットではなくなってしまうようだ。
 Wikipedia のスナップ写真の定義「下準備その他特にせず、日常のできごとあるいは出会った光景を一瞬の下に撮影する写真。」というのが私のスナップ写真というものの理解に近い。
 そんな中で、Paul FuscoのRobert F. Kennedyの葬送列車の車窓から撮った写真。「RFK Funeral Train」の展示が素晴らしかった。
 (写真はここで見ることが出来ます。http://www.digitaljournalist.org/issue0108/train_intro.htm
 もう一つ面白かったのが、鷹野隆大「カスババ」。カスバとはカスのような場所「カスバ」の複数形。作者は日々の生活のなかで、何となく苛立ち、何となく見ないようにしている何かの正体は「カスバ」だったという。写真になりそうもない写真の写真という設定が面白い。
 次に2Fの『ニュー・スナップショット ―― 日本の新進作家展 vol.9 [かがやきの瞬間]』を見る。
6人の作家(池田 宏彦, 小畑 雄嗣, 白井 里実, 中村 ハルコ, 山城 知佳子, 結城 臣雄)の写真。
 これにも、相変わらず、頭の中に「スナップショットって何?」って疑問は点滅したまま。しかも「ニュー・スナップショット」ではよけいわかりません。
 ちゃんとパンフレット・ホームページにはこう書いてあります。

人間の深部や微妙な感情、場の空気さえも瞬間に取り込む「スナップショット」は、他のメディアにはない写真ならではスタイルであり、その魅力に気づいた多くの表現者たちは脳裏に焼きつくような、力のあるイメージを残してきました。本展は、先人の写真家たちによってかたちづくられた「スナップショット」の伝統をふまえ、未来へのエレメント(要素)を探し出そうとする作家たちを取り上げています。彼らの作品には、理屈の世界から解放され、調和や生きる歓びといったものを喚起する、光、風、動き、笑い、楽しさ、気持ちよさなどのキーワードを拾うことができるかもしれません。同時に、その対極にあるエレメントにも気づかされることでしょう。
6人の作家たちの作品には、典型的な「スナップショット」もあれば、これが果たして「スナップショット」なのだろうかと思われる作品も含まれています。本展は、彼らの作品を通して、進化を続けている「スナップショット」を考えようとするものです。(出品点数205点)

http://syabi.com/contents/exhibition/index-342.htmlより)
 要するに、展覧会をやっている人たちも「ニュー・スナップショット」って何であるか、キーワードを挙げてでしか説明できないものようです。

スナップショット」なのだろうかと考えてしまう作品もあるかもしれません。

というなら、自分たちがなぜこれを「スナップショット」と考えたのを説明する必要があるのではと思うのですが、カタログを買っても納得できませんでした。
 こんな中で、もっともスナップショットと私も納得する。結城臣雄さんの会場で上映されていたスライドショーををそう「俺もこれなら撮る」とか、頭のなかでつぶやきながらずっと眺めていた。
 まだ東京にもこんなに撮るところがあるんだって、勇気づけてくれる写真でした。
そういう意味では、結城臣雄さん作品は普通の「スナップショット」で、3Fで見た鷹野隆大さんの「カスババ」の方を「ニュー・スナップショット」というのなら、納得できるのですが、普通スナップショットとして撮られないような場所を撮っているという意味で視点を変えているように思えるからです。

参考

The Sartorialist

The Sartorialist

RFK Funeral Train

RFK Funeral Train



f:id:heliograph:20110102152452j:image
 


 
 

2011-01-01 あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます.

 一年の計は元旦にありということで,この一年の計画を書こうと思いましたが,馬鹿馬鹿しいとうか恥ずかしいのでやめました.
とにかく,「撮り続ける」ことだと思っています.

 自分の今年の年賀状の写真をアップしておきます.今年ももよろしくお願いいたします.
f:id:heliograph:20100808132111j:image

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