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2011-02-28 沖縄曼荼羅

中平卓馬「Documentary」展はどのようにつくられたのか?続きの続き

 togetterにまとめた『中平卓馬「Documentary」展はどのようにつくられたのか?』に@moscow_91さんが次のようなコメントを書き込まれました。

こんどの写真集は見開きの組み合わせは中平さんご自身、展示の構成も基本は写真集の組み合わせに準拠しながら、現場で中平さんのあっちこっち、足したり引いたりと云う指示で・・・・と立ち聞き(笑)しました。

また、同じく@moscow_91さんがTwitterにつぎのような書き込みがありましたので、これもtogetterに追加しました。
http://twitter.com/moscow_91より

昨晩はBLDギャラリーで「カメラになった男」を観た。90分はきついかと思ったが濃度が濃い映画。あちらとこちらの中間に。それ故、神話化されてしまうのだろう。沖縄曼荼羅のトークショーの情景を見ると皆が忘れたい過去から蘇った男でもある。

完全に向こう岸でもなく、でもこちら岸でもない、本人の自覚に置いてアウトサイダー(狭義の)とも言えない。だが補助を必要とするのは間違いない。そうであるから第三者が容易に如何様にも神話化できる。鏡みたいに。空白みたいに。何かと似ている、この在り方。

沖縄曼荼羅シンポジウムの中平卓馬

 @moscow_91さんもTwitterに書いたように、映画「カメラになった男 ―中平卓馬―」を観た人は、沖縄曼荼羅シンポジウムでの中平卓馬の発言が印象に残るみたいで、昨日挙げた、この映画について書いているBlogでも、ほとんどの人がこの場面のことについて触れている。
 映画「きわめてよいふうけい」で、同じ場面を撮っていたホンマタカシもこの時の中平卓馬の発言を文章に書いていた。

「落ちない流れ星・夏の思い出・朝青龍
http://betweenthebooks.com/wordpress/2011/02/28/%E3%80%8E%E8%90%BD%E3%81%A1%E3%81%AA%E3%81%84%E6%B5%81%E3%82%8C%E6%98%9F%E3%83%BB%E5%A4%8F%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA%E3%83%BB%E6%9C%9D%E9%9D%92%E9%BE%8D%E3%80%8F/
より

…略…
ぼんやりとシンポジウムを観ていた。「写真の記憶、写真の創造、東松照明沖縄」シンポジウムというにはあまりにも予定調和な内容だった。「写真というのは時間を殺す作業なのだ、そして見るヒトがそれを生き返らせるのだ」と東松照明さんの基調報告を受けてのシンポジウムだったが、それは第一部で沖縄写真家が図らずも言った「東松さんの敬老みたいなもん」だった。ボクはアクビをかみ殺していた。

しかし我らが中平卓馬には“お約束”は通じなかった。しきりにタイトル「写真の記憶、写真の創造」を指さし「写真っていうのはメモリーとかクリエーションじゃなくてドキュメントなんだ。アメリカ語を使えばね」「それでアラキさんはどう沖縄を考えて来てるのか?」

などとアラキさんに詰め寄る。アラキさんは慌てて立ち上がり「きのう一緒に踊ったじゃない」――そうきのうの夜は那覇市内の民謡バーで中平さんとアラキさんは仲良く沖縄しゃみせんに合わせて踊っていた。中平さんはご機嫌だった。そんな中平さんを見てアラキさんは言った。「中平さんは落ちない流れ星だよ、ふつう流れ星って落ちるんだけど、このヒトいつまでも落ちないでグルグル回ってるんだよー」

中平さんヒトリ沖縄琉球の問題を「これは大事な問題だから……」と議論を続けようとする。しかし時間が来てコーディネーターが適当に話をまとめて無事終了と思いきや地元のアナウンサーのおばさんがうっかり中平さんにマイクをふってしまう。中平さんはアナウンサーが「握手しましょう」というのを振り切ってマイクを奪い。

「幸せになるまでやる」
「創造だけによって世界は変わるわけない」
「……する覚悟で来てるんだ!」
…略…

2011-02-27 「カメラになった男―写真家 中平卓馬」

AMEICAN INDEPENDENTS

 今日は、BLD GALLERYへ映画『カメラになった男』を見に行く、その前に、有楽町で時間を潰そうと思っていたのだが、新橋で降りそこねて、東京駅まで行ってしまった。
 東京駅から、銀座まで歩こうと思ってあるきだしたのだが、古本屋があったのを思い出し、東京駅八重洲地下街の古本屋に寄った。そこで、こんな本に出会った。

American Independents: Eighteen Color Photographers

American Independents: Eighteen Color Photographers

少しですが、中がamzon.comのhttp://www.amazon.com/gp/customer-media/product-gallery/0896596664/ref=cm_ciu_pdp_images_allで見ることができます。

『The New Color Photography』『New Color / New ork』を書いたSally Eauclaireの書いた本。Larry Babis、Jim Dow、William Eggleston、Mitch Epstine、David T. Hanson、John Harding、Len Jenshel、Nancy Lloyd、Kenneth McGowan、Roger Mertin、Joel Myerowitz、Ricahrd Misrach、Joanne Mulberg、Stephen Sxheer、Stephen Shore、Joel Sternfeld、Jack S. Teemer Jr.、Daniel S. Williams、18人のカラー写真(155枚)とSally Eauclaireの解説がもちろん英文で書いてある。
 私の語学力では簡単には読めないのですか、写真を見るだけでも充分に楽しい。

 やはり、William Eggleston 『The Democratic Forest』がいい。Larry Babis『Got What It Takes till It Breaks』Jhon Harding『Perfect Strangers』、Joel Myerowitz『Out of Lunch』等、35mmのスナップが多い。
この人達をNew Colorとすれば、ホンマタカシさんの『楽しい写真』のNewColorの定義はやはりおかしいですね。
 もちろん、大型カメラの写真もたくさん載っています。
 このことについては前に、http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20100208/1265652399 で書きました。
 
 もう一冊買ったのが、

東京綺譚―神谷俊美写真集

東京綺譚―神谷俊美写真集

 6x6モノクロ、1982年から2005年までの東京の風景。特に1980年代の風景が懐かしく感じてしまう。

Nikko-M 300mm F9

東京駅から、銀座松屋まで歩いて、中古カメラ市へ。この間から迷っていたNikkor-M 300mm F9 をついに買ってしまう。
8x10もカバーする。325mmの image circleだ。4x5で使うと。35mmでいうと80mmのレンズ。F9と暗いけど。小さくて軽いので前から狙っていたのだ。
 このレンズの評判を調べるために。大判カメラレンズについていろいろ検索していうちに「Depth of Field Simulator」つまり被写界深度を計算してくれるサイトがあることを知った。
http://www.liquidsculpture.com/DOF/DOF.htm
 iPod touchに「PhotoCalc」(http://www.adairsystems.com/photocalc/)をInstallしてあるので、数値的には計算できるのですが、「Depth of Field Simulator」視覚的に被写体深度を確認できます。
 ここで調べると。F9でもさすがに大判かなり被写界深度が浅いことがわかります。このレンズを試すのが楽しみだ。

「カメラになった男―写真家 中平卓馬」

BLD Galleryで「カメラになった男―写真家 中平卓馬」を見る。
前に、一度見ているのだが、やはり圧巻は「東松照明展『沖縄マンダラ』記念シンポジウムにおける。中平卓馬の発言。
会場に掲げられた。シンポジウムの副題である「写真の記憶、写真の創造」について執拗に発言を続ける場面だ。
 アメリカ帝国主義が侵攻を続ける琉球沖縄の現実を、「記憶」や「創造」という言葉で捉えられるのか「写真はドキュメンタリーだ。クリエイト(創造)でもメモリー(記憶)でもない」この時、シンポジウムに参加した荒木の応対振りをみて以来、私の荒木に対する評価は下がりました。
 (このときのやりとりは、雑誌「photographers’ gallery press」(no.2)に収録されています。これを探しだすと正確に再現できるのですが、また、ホンマタカシさんが監督した中平卓馬の映画「きわめてよいふうけい」にもこの場面を捉えています。)
 監督の小原真司は、中平が箸袋に「荒木経惟 遊芸人」、シンポジウムのことを報じる新聞に「沖縄のことをどう考えるているのか?」(あまり正確ではないと思います)という文字を書き込んでいるのを捉えている。
 
 この場面の中平は鋭く、正論を言っているのだが、他では記憶喪失というか病気の後遺症が強く。自分で展覧会を構成する力はないのではと思わされるところが多かった。
 特に、沖縄で展示された写真の前でのインタビューの場面で、どうして二枚一組で展示するのかという問いに。見当はずれな答えをしているのを見たときに強くそう思った。

参考 
 たくさんの方がこの映画の感想を書いていました。

 
 
 

2011-02-26 神奈川県立近代美術館

神奈川県立近代美術館 鎌倉館 鎌倉別館 葉山館

まず、神奈川県立美術館 鎌倉館へ
『生誕100年 彫刻家 辻晉堂展』を見る。
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2010/tsujishindo/index.htmlより

常識を越えて。
 鳥取県日野郡二部村(現・西伯郡伯耆町)に生まれた辻晉堂(1910-1981)は、第二次世界大戦後、陶などによる斬新な彫刻作品を発表し、戦後の彫刻界に独自の位置を占めた芸術家です。辻は1931 年に上京して独立美術研究所で洋画を学び、その後、彫刻に転じて戦前・戦中は木彫を中心に日本美術院展に出品し、その迫真的な写実表現は平櫛田中などから高い評価を得て、1942 年には32 歳で最年少の日本美術院同人になりました。1949 年に京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)に赴任後は、抽象的な造形に向かい、1955 年頃からは抽象的な陶による彫刻作品(陶彫)に精力的に取り組みます。

自在の境地へ。
 陶芸の常識を超えた辻の技法と表現は、走泥社同人らを始めとする前衛陶芸家たちにも大きな影響を与えたと言われています。また、1958 年の第29 回ヴェネツィアビエンナーレで《寒山》などを発表し、国際的な評価を得ました。一方、得度した禅僧としての一面も持つ辻は、次第に「彫刻」という概念にとらわれない境地に進み、晩年は自ら「粘土細工」と呼んだ、ユーモアと自由が練り込まれた小品を数多く制作しました。およそ四半世紀ぶりの本格的な回顧展となる本展覧会では、初期の木彫から、独創的な陶彫作品を経て、晩年の小品に至る約110 点の作品により、求道的とも評される辻晉堂の創作の全体像を紹介します。


 上京する前は、大工の修行をしていたそうだ。彫刻は独学、木彫、ブロンズ、セメント、ブロンズそして陶彫に至る。表現も写実から抽象へ、常に変化し続けていた人だ。作品は、どことなくユーモアがあり親しみやすかった。

 光が、テラスの前の水面に当たり、反射してテラスの天井にきれいな縞模様を作っている。これを見るのも、この美術館に来る楽しみの一つだ。
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まえに喫茶室が閉鎖されたことをこのBlogに書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20101114/1289755507)、NPO法人が運営する新しい喫茶室「rencon」出来た。早速、そこで食事。
 
 詳しくはhttp://www.moma.pref.kanagawa.jp/kamakura/cafe.htmlを見てください。

続いて、鎌倉別館で、『山下菊二 コラージュ展』を見る。

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2010/yamashitakikuji/より

 2009年度に当館へ寄贈された山下菊二のコラージュを中心に紹介します。山下菊二(1919-1986)が亡くなって今年で25年になります。山下菊二は、徳島県三好郡辻町(現、三好市井川町辻)に生まれ、太平洋戦争中は中国戦線に動員されて過酷な状況を生きました。戦後は自らの戦争体験を背景に、社会や政治をテーマにした作品を発表。1970年代半ばから戦争と狭山事件をテーマにしたコラージュによる作品を制作しました。山下は生涯描くことで社会に問いかけ、戦い続けた画家です。けれども、社会の現実に向ける山下のまなざしは、厳しくも時にウィットやユーモアを交えた温かみがあります。
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 去年、見た映画「ANPO」でも山下菊二の作品が紹介されていたのを思い出した。今日の展示で、大江健三郎文庫本の表紙を書いているのが、山下菊二だということが分かった。
参考
ANPO 公式ページ
http://www.uplink.co.jp/anpo/index.php
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死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)



続いて、急いで葉山館「彫刻家 エル・アナツイのアフリカ」を見に行く。今日は14時から「エル・アナツイ」に関する映画 「エル・アナツイのアート:叩く・ぶつける・折り曲げる」(スーザン・ヴォーゲル監督)の上映があるのだが、それより前に展示を見ようとして他のたのが、とても時間の余裕はなく映画の後に見ることになってしまったが、作品を見るとき、製作過程を見ていたので、非常に興味深くみることができた。
 映画の予告編がここで見ることができます。http://vimeo.com/16874224

 また、http://susan-vogel.com/Anatsui/Welcome.htmlから他の動画、写真をみることができます。

 最初の方の木彫の作品も良かったが、この映画でも紹介されている。大量のワインやアルコール飲料の廃材キャップを、ひとつひとつ銅線で繋いで編み上げてつくる巨大なメタルの「タペストリー」が美しかった。

 参考
 神奈川県立近代美術館 「彫刻家 エル・アナツイのアフリカ」のHP
 http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2010//index.html
 動画:
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2011-02-25 春一番 銀座へ

[展覧気へ」糸井 潤「Cantos Familia」展へ


 銀座松屋の中古カメラ市へ行く。
 4x5のレンズを中心に見ながら、会場を3,4周したが、結局、何も買わずに店を出た。決心がつかなかったので、頭を冷やして、それでも気になったら来ればいいと思ったわけです。
 どうせ、27日にBLD GALLERYに「カメラになった男」を見に行く予定なので、今日は、閉まる直線の銀座ニコンサロンへ行きました。

 銀座ニコンサロンで糸井 潤「Cantos Familia」展を見る。

http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2011/02_ginza.htm#03より、
写真展内容

写真展内容
昨年、作者の父親が死んだ。家の近所にある森の木にザイルをかけて。
長いあいだ糖尿を煩っていたが、直前の鬱に、家族は気付いていなかった。準備しておいたメモ書きを、財布に差し込んで置き去り、行方をなくした。近所の森で見つけるまで、皆で五晩、四日と捜した。
この経験から、森、の存在が作者にとって大きなものとなった。
フィンランドの光には独特の資質がある。日本の霞がかかった光や、アメリカで見られる硬質な光とも異なる。その地の森にて、地面に落ちた光を見ては、光の筋を、現世とあの世を分ける三途の川のように「隔てるもの」と重ね合わせる。それらをフィルムに焼き付けるために森の中をさまよい、地面に落ちている光を拾い歩く。
デジタル、銀塩の別なく、光と影は「写真」の要素として存在する。光と影、または生と死との狭間に存在する「何か」が、撮影という行為の中、強烈な視覚言語となって現れ、訴えかけてくる。
太陽光が月光に見えることもある森の深い中、場所によって変わる光と影の比率のせいで、昼間なのか、夜なのかという感覚が、時に交錯する。このような経験が、こちら側である現世においての、自身の存在に対する問いかけへとつながる。
「森の概念」は、自分の記憶へと通ずる。記憶への熟考は、常に制作への土台となってきた。そして今、父親の急な死によって、自身と家族との記憶が堰を切って溢れ出てくる。
作者にとって、写真とは詩である。一枚の写真は、ひとつの言葉となりうる。これらの写真は、父と作者、そして家族との対話の中にある言葉でもある。カラー12点。

 森の中、草むらの中から、森を見ているような感じ、太陽を画面に入れて逆光にし、近距離にピントを合わせ、画面のほとんどをボケた状態にしている。かなりシャッタースピードが遅いので、ブレているし、大きく伸ばしている(1.2m×1.2mか位はあるので)ので鮮明な所はほとんどない。
 日本カメラの3月号に写真が掲載されているので、データを見たのだが、Rolleiflex 3.5F,それとColor-Scopar 80mmとだけ書いてあった。カメラは Perkeo をなのだろうか?


会場には、作者の言葉として、この内容とほぼ同じテキストが掲示している。「作者」という言葉を「私」に置き換えたものだと思う。ニコンサロンはどうして作者の言葉をそのまま載せないのだろうか?(どの展覧会でもこうしているような気がする)

森の中、草むらの中から、森を見ているような感じ、太陽を画面に入れて逆光にし、近距離にピントを合わせ、画面のほとんどをボケた状態にしている。かなりシャッタースピードが遅いので、ブレているし、大きく伸ばしている(1.2m×1.2mか位はあるので)ので鮮明な所はほとんどない。
 日本カメラの3月号に写真が掲載されているので、データを見たのだが、Rolleiflex 3.5F,それとColor-Scopar 80mmとだけ書いてあった。カメラは Perkeo をなのだろうか?
 
 こんなことを書いて、終わろうと思ったのですが、やはり感じたことを書いておきます。

 作者の言葉が重いので言いにくいのだが、改めて、写真に言葉を添える意味を考え込んでしまった。このような文章がなしで、写真だけでは駄目だったのだろうか?

2011-02-24 中平卓馬「Documentary」展はどのようにつくられたのか?

中平卓馬「Documentary」展はどのようにつくられたのか?続き


昨日は、togetter『中平卓馬「Documetary」展はどのようにつくられているのか?』twitterの話題をまとめるだけで寝てしまいましたが。その続きです。
昨日

アサヒカメラ 2011年 03月号 [雑誌]

アサヒカメラ 2011年 03月号 [雑誌]



を買って来たのですが。その中の今日の写真2011ホンマタカシさんと平倉圭さんが対談を行っている。構成はタカザワケンジさんだ。

 問題になる所を書き出してみる。

ホンマ 中平卓馬展でいえば、中平卓馬という作者が展覧会をオーガナイズして、一つのプレゼンテーションとして見せているなら論じられるけど、誰がどう並べて展示しているのかがはっきりしないまま論じるのは難しいということですよね。

平倉 難しいですね。正直に言えば、ある種の気持ちの悪さもあります。中平卓馬という作家が評価されている。でも誰がその展覧会を作っているかは、はっきりしないということでもあるので。

ホンマ 中平さんは1977年に急性アルコール中毒で倒れて以来、記憶の大半を失っているので、展覧会をオーガナイズするのは事実上不可能です。今回の展覧会も、中平さんが選んだ写真の中から編集者やギャラリストがさらに選んで展示されている。果たして、そういう展覧会でも中平卓馬展と言っていいのかどうか、それでも展覧会として成立してしまうのは写真独特じゃないかと思いました。…略…

ホンマ そもそも、僕が中平さんの映画(「きわめてよいふうけい」2004年)を作ったり、その後も追いかけているのは、中平さんの「プロヴォーグ」のころのアレブレ写真から、今のようなカラー写真に転向したことに興味あるからです。写真家は一つのスタイルを獲得することによって作家として認められ、その後もそのスタイルを守っていくのが普通です。それをガラっとチェンジして、かつ評価されている中平さん――それは記憶喪失になるという不慮の事故を経てですが――に興味があるのです。同じ作家として、写真家が作風をがらりと変えることがいかに大変かがわかっているので。

平倉 それって、「新しくなりたい」という作家の欲望でもありますね。中平の周囲にいる人たちが写真展を開催したり、写真集を作ることで、中平卓馬の欲望を体現した。つまり、ギャラリーを含めて、中平卓馬をとりまくさまざまな構造が、中平卓馬を作家として存続させていたからこそ、その結果として、すごく大きな「新しさ」のジャンプを生み出すことができた。しかも、一見、病に倒れる前の中平が言っていた通りのことを実現しているかのように見える。しかし、本当にそうなんでしょうか。というのは、中平卓馬がかつて書いていたことと、いまの彼の写真は本当に近いのかなという疑問があるからです。僕は、ぜんぜん近くないと思う。単に語りやすいからそう解釈されているだけなんじゃないでしょうか。

ホンマ それは僕も感じますね。中平さんがかつて書いていたように「植物図鑑のように」撮れているかというとかなり怪しい。実際、悲しそうな猫も撮っているし、猫の表情も撮っています。だから、必ずしも言葉通りじゃないと思います。厳密に言えば、一人の作家として転向したのではなく、むしろ、まったく違う人として撮っていると思います。でも、一人の人間であるという客観的な事実があるので、そこにはやっぱり興味がありますね。


「記憶を失い、自分では展覧会、写真集の構成も出来ない写真家がいる。その写真家に写真をたくさん撮らせ、その写真の中から上手く写真を選び出し、写真展を開き、写真集を作って、ある意味商売をしている人達がいる」って考えると、恐ろしい。平倉さんが言う「中平卓馬をとりまくさまざまな構造」ってどのようなものなのか気になる。
『自分の写真に悩み、「なぜ、植物図鑑」かを書き、アルコール中毒病で、記憶を失ってしまったが、その後復活して「なぜ、植物図鑑」かで書かれていることを実現した』つまり『自分の記憶と引き換えに自分がかつて撮ろうと思っていた写真が撮れるようになった』ってよくできた物語を忘れて、中平さんの今の写真を見直さなければと思っている。

2011-02-23 ]中平卓馬「Documentary」

中平卓馬「Documentary」展はどのようにつくられたのか?

昨日からtwitterを見ていて気になることがありす.
それは「中平卓馬「Documentary」展を構成している人は一体誰なのか?」ということです
これに関連した呟きをまとめてみました.
中平卓馬「Documetary」展はどのようにつくられているのか?
http://togetter.com/li/104850

かなり前の呟きまで,拾い集めたので,時間がかかりました.今日はここまで,アサヒカメラ3月号で,ホンマタカシさんと平倉圭さんのこの問題での対談については明日まとめます.

2011-02-22 軍艦マンション

新宿 軍艦マンション

 昔から気になっていた、新大久保にある軍艦マンション(正式名 第3スカイビル)。写真を撮ろうと、なん何回か、近くをうろうろしたのだが、なかなかうまく撮れなかった。この頃は近くに行くこともなかったのだが、老朽化してテナントも募集も停止し、取り壊しを検討していたのだが、このビルを再生して入居者を募集を開始したようだ。

CINRA.NETのニュース、http://www.cinra.net/news/2011/02/22/114315.phpより

 異端の建築「軍艦マンション」がクリエイティブ空間に、展示&内覧会で再出発

異端の建築に35組のクリエイターたちが潜り込む展示と内覧会を兼ねたイベント『GUNKAN crossing』が、東京東新宿の軍艦マンションで2月22日から開催される。

1970年に竣工され、陸軍船舶兵出身という経歴を持つ建築家・渡邉洋治の代表作でもある「軍艦マンション」は、シルバーに塗られた躯体、横置きにされた給水塔やユニット化された各室など、軍艦をモチーフにデザインされている威容な建築だ。一時は解体も検討されたものの、2011年内にはオフィスフロア、シェアSOHOフロア、シェアハウスフロアの要素を持った「GUNKAN東新宿ビル」として、当時の面影を残しつつもクリエイティブな環境へと再生することが決定した。

…略…


ところで、この建物のことを調べようとしたら、
渡邊洋治/軍艦マンション Archive(http://www.03-x.com/daruma-t/archives/cat9/)を見つけた。
Daruma Tompukuという東福大輔(とうふくだいすけ)のBlogで、「軍艦マンション」をキーワードで検索して来る人が多いので、「渡邊洋治/軍艦マンション」というカテゴリーを作ったそうです。

ここを見て、ビックリ、今はない、森山大道さん達が運営していた「自主ギャラリーCAMP」が入っていたビル「第5スカイビル」の設計者が軍艦マンションの渡邊洋治さんだったのだ。
このビルの周りも写真を撮ろうとウロウロしたところだ。自分は知らないうちに、渡邊洋治さんの2つの建物に惹きつけられていたのだ。


軍艦マンション再出航イベント [ GUNKAN crossing ]
期間:2011.2.22(tue)−2.27(sun)
が開かれているようです。
詳しくは http://www.realrole.jp/gunkan/ まで

追加
 ところで、Googleの検索では、軍艦マンションと呼ばれている建物が、この新宿以外に二つあるようだ。

  • 高知市の沢田マンション(これもよく取り上げられる)

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E7%94%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

  • 伊豆の某所にある廃墟

 http://mindtravel.web.fc2.com/izu/si-a19-01.html

 大阪には軍艦アパートがありました。
http://web.me.com/yuruyuru18/yuruyuru18/%E8%BB%8D%E8%89%A6%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88.html
http://gallery.me.com/yuruyuru18#100074

2011-02-21 写真は我慢比べ

写真は我慢比べ

Tak Sugiyama(@tanto_tempo)さんのtwitter(http://tweitter.com/tanto_tempo)で

「写真は我慢比べ」とは萩原さんの言葉。新しい表現もそうでない表現も、結局のところ時代に迎え入れられるか退場させられるかはどれほど真剣に向き合いそれを追求し続けられるかにかかっている、ということだろう。退場していく表現は響かないからわかりやすい。迎え入れられる作品はこころを打つ。 via web

という、つぶやきを見つけた。

萩原さんって誰かと思ったら、以前、コニカミノルタで見た、雪に埋もれる炭鉱跡等の写真を発表していた萩原義弘さんのことのようだ。プリントが素晴らしかった。この人の言う言葉だったら納得。普通の廃墟写真とは違う何かがあった。

現在、神戸のTANTO TENPOギャラリーで「SNOWY?」という写真展を行っているようだ。
http://tantotempo.jp/newsite/exhibition.html

萩原義弘のすかぶら写真日記
http://ysnowy.exblog.jp/

2011-02-20 瓦礫の星座から一瞬浮かび上がる〈世界〉

「twitter」「写真分離派宣言」の話まだだ続いてます。

Togetter
『「写真分離派宣言」の話まだだ続いてます。』をアップしました。
http://togetter.com/li/103522
をご覧下さい。

BLD GALLERY 中平卓馬「Documentary」展

 先日、申し込んだ、BLD GALLERYで宮台真司さんのトークショウに
 中々、まとめるのが難しい。先日紹介した。宮台真司さんのBlogで書かれていることと、かなり重なる。
 宮台真司さんのBlogから「尊敬する中平卓馬に言及した文章をアップします」http://www.miyadai.com/index.php?itemid=336
 を紹介して、逃げようかと思います。

 この話を聞いて、読みたくなった本。

結晶世界 (創元SF文庫)

結晶世界 (創元SF文庫)

 来週は、同じ、BLD GALLERYでカメラになった男の上映会があります。


『カメラになった男 写真家 中平卓馬
監督:小原真史(2003年〜/カラー/91分/DV)
上映日時:2月25日(金)、26日(土)、27日(日)19:30-(各日)
場所 : BLD GALLERY会場内
料金 : 1000円(定員30名/座席予約先着順)*ワンドリンク付

私は、27日を申し込みました。

2011-02-19 逗子 なぎさホテル

伊集院静 なぎさホテル

電子書籍伊集院静 なぎさホテル』(定価:¥1,000 制作・発行元:株式会社エムアップ 条件:iPhoneiPad互換iOS 3.2以降が必要)
http://itunes.apple.com/jp/app/id416063041?mt=8#
を購入た。昨年暮れに、iPod touch を買っていたのだが、電子書籍を初めて購入した。
 
 
 なぎさホテルを知ったのが、子供の頃、まだ、134号線が出来る前だ。逗子に海水浴に来て、海岸の「なぎさホテル」を見た記憶がある。この前だけが特別な空間だった。なんといか外国のような感じがしたのだ。逗子に引っ越してきたのが、1984年。それ以来、散歩の途中、海岸にあったこのホテルに時々寄り、お茶を飲んだ。その頃、中平卓馬森山大道のどちらかの本を読んで、二人が逗子にいたとき、「なぎさホテル」で写真のことを語り合ったのを知り、お茶を飲みながら、どの辺に座っていたのだろうかと考えていたのだ、確かに綺麗とはいえないホテルだったが、落ち着いたし、従業員も丁寧で、とてもいい場所でした。
 残念ながら、昭和が終わった、1989年にホテルは閉鎖さ、建物も壊され、その後は、ファミリーレストランになってしまった。

 ちょうどその頃、伊集院静がこのホテルに住み、小説を書き始めていたのをこのエッセーを読んで初めて知った。動画で、夏目雅子との思い出を語っているのだが、夏目雅子もこのホテルを利用していたようだ。

 読み始めると、自分がよく行く、由比ガ浜古書店の話も出てきたりして、あっと言う間に読み終わった。

 そんな中で、印象に残ったのは次の部分

吉行淳之介氏に関する誰かの随筆か何かに(ひょっとすると担当編集者の述懐かもしれない)、吉行氏が嫌悪するもののひとつは、酒場や、それに似た場所で、いずれ小説を書く書くと酔い戯れに口にして、いっこうに小説を仕上げない輩である、とあった。しかも珍しく荒々しい口調だったという。今でも、そういう類いの人はいるが、吉行氏は、小説を仕上げることが、己へのみじめさ、他者への自己の露見を含めて、いかに切ないものか、それが氏の荒々しい口調になったのではと思う。
…略…
 洒落っ気のないというか、スマートでないことを言わせて貰えば、作品を他者に委ねる行為には、そこに恥を晒すということが自ずと出る。さらに言えば傲慢なものがどこかになければ、とてもじゃないが文学というあやふやなものに確信をもったり、ましてや己の作品なぞに平気でいられるはずがない。それを小説にむかわせたのは、私の場合は何人かの作家と作品であるが、行き着く処は作家つまり人間であった。気質は悪いが作品はなぜかいい、なぞという話はあるにはあるらしいが、私はその考えを取らない。あの人が選んだ職業、または世界なのだから、自分もどこまでやれるかはわからぬが、やってみたい。やってみよう、となったまでのことだ。その状況を続けて行くうちに、今のおまえにはこれしかできることはないのと違うか、他に何かできるのか、という問いになり、やがてなぜ書くのか、という厄介な処へ行った。そこからがどうにもややこしいのだが、小説を書く上では、この類いの問いを解く必要はさらさらない。小説を何かたいそうなものと考えている輩が問答をくり返せばいい。よしんば解こうとしても、それは論では解けない。感覚、感性でもない。ともかく日々文章を書き続ける行為の中でしか、問いを解く扉の周辺に近づけないのではなかろうかという気がする、正直な処、私は小説が何であるか、少しもわかってないし、読者に何を与えているか想像もつかない。


いつまでも、写真をまとめられない(仕上げられない)私には耳の痛い話。ただ、撮り続けるしかないのだ。

参考
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http://www.nn.em-net.ne.jp/~sz_tomo/nagisa/nhotel.htm

2011-02-18 『中平卓馬「Documentary」展』展評

中平卓馬「Documentary」展

 美術手帖を買う。

美術手帖 2011年 03月号 [雑誌]

美術手帖 2011年 03月号 [雑誌]

2011年3月号の美術手帖の特集は「岡本太郎」。
 展評では、清水穣さんと松井みどりさんが中平卓馬「Documentary」展を取り上げているが、清水穣さんの展評「写真の裸形」を読む。

…略…
 そのスタイルは、だいたい1976年の「奄美」、77年「吐火羅」に始まり、78年「沖縄 写真原点?」を経て、「写真原点1981」でほぼ定着して以降、前回2007年シュウゴアーツでの個展にいたる四半世紀の間に徐々に厳密化されてきたものである。縦位置で、地平線水平線を入れず、強いコントラストの、きわめて限定された被写体(視線を返さないアブソープティヴな物/者、そして文字)ないしオールオーバーな写真が、写真集の見開きのように2枚一組で展示されてきた。
 今回、シュウゴアーツとBLD GALLERYで開催された個展は、主に2002年〜10年に撮影された作品群によって構成されているが、いったん写真の外に出て2枚を比べるモードのとしての2枚組展示がなくなり、中平作品のアブソープティヴなモードが強まって、写真の狂気がより剥き出しになっている。もはや中平卓馬という作家の感性は、上記スタイルを定数とし、今回は3つの脅迫的イメージ「触覚的な表層」「一つ目(ソロショット)」「名前(同じ名前で中味が異なるもの、名前の表示と居場所が異なるもの)」を変数にして、はりついているに過ぎない。

 定数とか変数とか、数学で使う用語を使っている。今回の定数、変数数学用語っていうほど大げさではないけど、
ARTiTの展評『Moving Photographs―――松江泰治『survey of time』展(II)』
http://www.art-it.asia/u/admin_ed_contri7_j/QpCWaoGwD64tIk9uLglS/では、

デジタル写真の時間性とは、どこでも連続しているのに接線を持たない曲線のようなものだ。例えばフラクタル曲線は、1次元(線)と2次元(面)が同じ濃度で連続することをふまえ、その中間の次元(1.26次元など)をもっているが、それと同じように、松江の「動く写真」は、写真(静止画=時間の点)とビデオ(動画=時間の線)がデジタル技術によって連続したことをふまえて、その中間次元を探求する、未知の写真表現になっているのである。

というように「 どこでも連続しているのに接線を持たない曲線」・「濃度」・「フラクタル次元」と数学用語を使って説明しているのだが、読者を煙に巻いているようにしか思えないのだが?
 今回の変数、定数という言葉の使い方にも、煙に巻くとまではいかないまでも、よく分からない使い方だと思います。
また、勉強不足って怒られそうです。(http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20100714/1279121380
 次の指摘についてはどうなんでしょうか?

82年『光と影』から93〜97年『Daido-hysteric』に至る森山大道の変化は、中平の83年『新たなる凝視』、89年『ADIEU A X』なしには考えられない。


中平と同時期に、同じように「沖縄」を契機にカラーの世界へ踏み入り、その後の変化を経て、最近作のアンダーな色調に興味深い並行性が見られる東松照明を参照してもよい。


 東松照明沖縄の前にすでに、カラーの作品を発表している。
 廃園 東京 1964年
 http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=54048
 http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=54049
 歌舞伎 1964年
 http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=9653
 http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=9654
 インターフェイスは1966年、1968〜1969年
 http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=9665
 http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=9666
 
 作者はこのことを指摘し、2003年横浜美術館での回顧展以来中平卓馬の開催されていない現状を次のように嘆いている。

森山展や東松展を開催した/する美術館は中平卓馬展を開催して然るべきだろう。展覧会はそうした歴史的な認識に基づくべきであって、著名写真家を単発的に展覧することではないからだ。

2011-02-17 「芸術」と「アート」

「芸術」と「アート」


前から、「アーティスト」とか「アート」って言葉に馴染めない。http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20090321

今日のtwitter横尾忠則さんのこんなつぶやきを見つけました。

http://twitter.com/tadanoriyokooより

「芸術」と「アート」は全く同じ意味であるが「芸術」の言葉に公正を欠く見解と見る人がいる。そーいう人は「芸術」という言葉を不遜ととる。ぼくは「芸」の持つ娯楽的色彩の大衆性と「術」には技芸による魔法の力がある。だから、何んでもアートと呼んで本来の言霊を殺す現代の風潮にはなじみにくい。 via web

「芸術」という言葉を不遜と取る人がいる。このことに限らず、ぼくのツイートに合わない人は、さっさと他の人のフォロアーになった方がいいと思いますよ。でないとぼくの古風な発言が若い人には精神衛生上よくないと思いますよ。 via web

ぼくの年令になると、かつて吸収したものを創造を通して吐き出すものがまだ山積しているので、その上にさらに新しい何かを吸収するのは無理なんです。だからフォロアーが0なんです。http://bit.ly/1Xgurj via web

 まだまだ、吐き出すより、吸収しているというか、引用ばかりしている自分がはずかしい。

東京わき見散歩地図

 福居伸宏さんがhttp://d.hatena.ne.jp/n-291/20110217#p5

不愛想な東京近郊散歩案内と不愛想な写真。散歩ブログのフリをした写真ブログ

って紹介していた、「東京わき見散歩地図」http://tokyo.rdy.jp/ 中々面白い。

BlanClass

 2011年2月5日 BlanClass行われた。『金村修 「屠殺屋入門写真編」』金村修さんの2000年代の作品のスライド上映と金村さん自身による解説。YouTubeにアップされています。
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画面の中に自分の後ろ姿が写っていました。

2011-02-16 大人の対応

[展覧会へ]高嶺格「とおくてみえない」3

 今日の朝日の夕刊に高嶺格「とおくてみえない」の展評がでていました。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201102160245.htmlより

高嶺格:とおくてよくみえない」展 分かりやすい答えこそ最も疑うべきもの
 「大人の対応」という言い方をよく耳にする。文脈にもよるけれど、自分の主張だけを通そうとせず、相手の立場も考えて妥協点を探ることだ。横浜美術館で開催中の高嶺格(たかみね・ただす)展を見て、まず浮かんだのがこの言葉だった。
…略…
 それから7年。高嶺が「大人の対応」をするならば、個展の開催で過去を水に流すこともできたはず。だが、展示を見る限り、そうは取れない。
…略…
 入り口に展示中止作の主人公「木村さん」の写真を掲げた。続く新作「緑の部屋」では、一つ前の「ドガ展」の会場をそのまま使い、ドガの絵画の代わりに約20点の毛布や布をかけた。一部には、柄をもっともらしく解説したものも。美術館という制度を冷やかしているとも取れる。
…略…
 新作「とおくてよくみえない」が展示を締めくくる。投影した影絵は、7年前の作品を連想させる。しかも、出口に書いた自作の詩にこうある。「舌ですべてを融(と)かしてしまえ/そしてきみの復讐(ふくしゅう)を成し遂げよ」と。

 横浜美術館は、カタログの代わりに高嶺へのインタビューや年譜をまとめた本を出し、個展の開催と合わせて傷ついた名誉を回復しようとしている。それでも高嶺が「大人の対応」をしないのは、「厄介な職業」と自覚しつつ、分かりやすい答えこそが最も疑うべきものだと、肌で感じているからなのだ。(西田健作)

2011-02-15 「とおくてみえない」はやはりよくみえなかった

高嶺格「とおくてみえない」2

 2月13日に行った横浜美術館高嶺格「とおくてみえない」』について日記(http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20110213/1297613982)に書きましたが、
 分からなかったことや間違ったことがありました。
 参考として挙げておきながら見ていなかったビデオ
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 を見ると。

  • 最初に入り口で流れていた「うめき声というか叫び声」、これは作者の奥さんのお産の時の声を音源としていること。
  • 布を板に貼り付けて、飾ってあったのは、横浜美術館が市民から募集した毛布、それをしわなくピント板に張り飾れば、見事な作品に、しかも、学芸員までが一緒になって、もっともらしいキャプションをつけたそうで、これには完全に騙されました。チョットは変だとは思いました。だって2011年1月から始まった展覧で2011年に製作した作品がこんなに並ぶなんて、デザインだけして工場か何かで作ったんだと勝手に納得してました。

Twitterでの毛布の募集の文章を見つけました。(http://twitter.com/yokotorisup

@yokotorisup 横浜トリエンナーレサポーター
高嶺格個展で使う毛布、絶賛募集中ですー!年末の大掃除がてら、【派手な毛布】を探してみてください。17日13時〜20時まで、横浜美術館で受け付けます。


  • 間違ったのは、「鹿児島エスペラント」風の作品として紹介した作品名は「Common Sense」ではなく「A Big Blow-job」で照らし出されていた文章は吉岡洋さんの「新・共通感覚論」この文章は

 http://www.iamas.ac.jp/~yoshioka/SiCS/e-text/jp_online_020214_shinkyotsu.html

で読めます。
 このサイトにはまだまだ、面白そうなTextがたくさんありそうです。

 色々調べていたらこんな情報もありました。

twitter(http://twitter.com/oremaiko)より

oremaiko maiko uchimura 内村真以子
@hscwhrs とおくてみえない展、同名の新作は、2月後半にはバージョンアップするはずですよ。ぜひ。


そして、@hscwhrs(細川比呂志)さんの、展評も是非読んで下さい
http://www.twitlonger.com/show/8qbq97
です。

2011-02-14 写真でものを「見る」ことはできるのか

富士フイルム・写真感光材料製品の一部製品の販売終了および価格改定


2月14日に富士フイルムが,銀塩感材の需要減による生産コストの上昇を理由に,ブローニー判,シートフィルム全種のリバーサルフィルムおよび白黒フィルムなどを値上げするほか、35mm判フィルムのパック本数を減少する。ただし,販売を終了するフィルム品種はないということだ.

詳しくは
 http://fujifilm.jp/information/articlead_0078.html
を見てください.

視覚 知覚 思考 境界 やがて光

ユウリ(@scifiblue )さんのまとめられたtogetterが興味深い.
http://togetter.com/li/99836より

視覚 知覚 思考 境界 やがて光
写真でものを「見る」ことはできるのか
『去りにし日々、今ひとたびの幻』から『ウォルトンの写真論』へ
@at_akada @sakstyle @conchucame @shinimai @taninen @arata1002 (敬称略・登場順)ほかのtweetsより
「見る」とは?「知覚する」とは? 概念の小旅行記を見ているような気持ちがしました
途中分岐した音のお話もぴりりと小粋

2011-02-13 とおくてよくみえない

高嶺格「とおくてよくみえない」


 横浜美術館高嶺格「とおくてよくみえない」を見に行く。
 館内に入ると。天井から吊るされた布を、何台かの扇風機が風でその布を一部を膨らましたり、しぼませたり波打てたせている。そこに怪しげな叫びこえというか唸り声が会場に響きわたっているという、何とも怪しげな雰囲気。
 入場券を買うと「現代美術ですけど、」って券を売る人が気を使ってくれる。
 
 2005年「横浜トリエンナーレ」で「鹿児島エスペラント」を見て、その不思議な世界に引き込まれて、暗い会場にずっと留まっていたのを覚えている。それ以来、高嶺格の作品に注目している。2008年 東京芸術大学 馬車道校地 で行われた、メディア・プラクティス講座で、高嶺さんのお話とビデオ作品「木村さん」「GodBless America」等を見たり、2010年森美術館六本木クロッシング」で「Baby Insa-dong」を見たが、やはり最初の「鹿児島エスペラント」の超える作品(もちろん、あくまで私にとって)に出会えなかった。

 今回、暗い2部屋目のCommon Sense」「A Big Blow-job」に入ったとき、ついに「鹿児島エスペラント」風の作品を見ることができたっと思ったが、ライトがトーマス・ペイン著「コモンセンス」美学者吉岡洋の「新・共通感覚」の一節を追っていくが、中々、読むことができないが、かろうじて「あなたの見ている赤とわたしの見ている赤とは、本当に同じ赤なのか?」という言葉が読み取られる。凝った仕掛けがあることはあるのだが、淡々と繰り返すだけで、バックグラウンドに流れる音楽も決して盛り上がらない。見事に肩すかしを食らった感じ。
 確かに、部分的には見えるのだが、全体は良くわかない。

 展覧会全体もそんな感じだ。

今回の展覧会のカタログというか「高嶺格:とおくてみえない」展公式書籍の帯紙にかいてある。

全体なんていうものが存在するのか?
それは見えるのか?


扉に書いてある

開放/閉鎖



目を閉じるな
目を見開いたまま、すべてを見ようとするな


これらの言葉を書きだして、この展覧会について書くのをあきらめます。自分には無理でした。

参考:
横浜美術館公式ページ
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2010/toofartosee/outline.html
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鹿児島エスペラントについて
http://illcomm.exblog.jp/2337414/

今回の展覧会についてのBlog

http://d.hatena.ne.jp/zaikabou/20110122/1295742411
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20110122/p1
http://memeyogini.blog51.fc2.com/blog-entry-1346.html

2011-02-12 Flickriver

Flickriver


さくら/むしゃさん(@msya3)さんのTwitterhttp://twitter.com/msya3)で

Flickriver - A new way to view Flickr photos and more... http://www.flickriver.com/

flickriver.comというサイトを知った。flickr にアップロードした写真を見る時にflickriverを使えば、flickrように余計な表示をしないので、集中して写真を見ることができる。
例えば、私のflickrのPhotostreamを見るには、普通は
http://www.flickr.com/photos/heliographであるが、このflickr.comの部分をflickriver.comに置き換えればいいのだ。つまり
http://www.flickriver.com/photos/heliograph
とするだけなのだ。

ただ、これだけだと、ページの区切りもなく、下に永遠とスクロールするだけです。(まさしく、riverです。)そんな時は Badge Creator を使うと、特定のsetやtagの写真をBadgeとして下のようにBlogに張り込めるので、flickr の特定の写真だけを見せることができます。
 前に作ったset「電車からの風景」に関する、Badge です。このBadgeをclickすれば、flickriverで、「電車からの風景」の写真のみ見ることができます。

 Heliograph - View my ’電車からの風景’ set on Flickriver

残念ながらsetの名前が日本語だと化けてしまいましたが、かなり気に入っています。

都市で迷う

ヴァルター・ベンヤミンbot(@w_benjamin_bot)より(http://twitter.com/w_benjamin_bot )より

ある都市で道が分からないということは、大したことではない。だが、森のなかで道に迷うように都市のなかで道に迷うには、修練を要する。『1900年頃のベルリン幼年時代


猫町を見つけるには、修練を要するってことだ。

2011-02-11 森山大道と中平卓馬

森山大道と中平卓馬

前田一(@hajimemaeda)さんのtwitter(http://twitter.com/hajimemaeda) より

複写をすると森山大道は、映像論的なものに回収してしまうと倉石信乃が言っていて、それは作家自身の写真に対するスタンスを最も端的に表している事のような気がして頭の中に残っている。写真に対して「狡知」であること、「作為的」な振舞い。後に、この事で自分自身が自分自身で苦しむことになる。

最近、出版された中平卓馬の写真集『都市 風景 図鑑』を見ていると、同時代を生きてきた森山大道との分岐点は、『provoke』のころからすでにはじまっていることに気付かされる。とてもおもしろいです。

参考:

都市 風景 図鑑

都市 風景 図鑑



この本はまだ買っていないが、記憶喪失以前のカラー写真で撮り始めたころの写真が載っている。「なぜ、植物図鑑か」を書いていた当時の写真がどういうものだったのか、非常に興味がある。やはり、買わなくては。
前田さんがいう、「森山大道との分岐点は、『provoke』のころからすでにはじまっている」というのは、つまり、中平卓馬には『写真に対して「狡知」であること、「作為的」な振舞い。』がなかったということなのか?

芸術家とは

Eishi Katsura(@ac_katsura)のtwitter(http://ac_katsura)より

芸術家というのはそもそも「知のあり方」を直観させるような人のことを言うはずです。それは技巧の中に内面化された知を内蔵していなければならないはず。「うまい」とか「美しい」という中にも論理はあるし、「ただごとではない」という予感や優美さがなければならないのだと思います。

CP+を見に行く

 CP+(Camera & Photo Imaging Show)に今年も行って来ました。

 SIGMAのSD1、新しいEPSONのプリンターとか気になるものがあったのだが、そこに飾ってある作品をみても、前のものと比べて、どのくらいよくなっているのか分からないのです。
自分って「違いの分からない男」なんだなぁってつくづく思いました。

 並ぶのも面倒くさいので、新製品には殆ど触らず、カタログを集めて帰ってきました。


 

2011-02-10 写真分離派宣言文原稿

写真分離派宣言文原稿の写真

福居伸宏(@n291)さんのtwitter

☆研究者の方向け(拡大可能!)http://3.ly/f6Q4

☆カラー http://trynome.com/pt_14_500.jpg

http://twitter.com/n291より

と書いてあり、何かと思ったら、写真分離派宣言展で額に入っていたあの「宣言文原稿」でした。
http://3.ly/f6Q4 の方は、白黒で拡大可能ですが、誰の文章か判定するにはカラー(一人ずつ色が違う字で書き込みがある)のhttp://trynome.com/pt_14_500.jpgの方が便利です。

 あの文章をもう一度見てみたかったので、助かりました。

2011-02-09

マルヴィルのパリ

 昨日、『多木浩二「眼の隠喩」青土社』を読みながら、アジェとマルヴィルのパリの写真についてのメモを取ったが、この本にマルヴィルのパリの写真について書かれているというので買って来た。

パリ時間旅行 (中公文庫)

パリ時間旅行 (中公文庫)

この本の3章セピア色のパリ・フランスに「マルヴィルのパリ」という文章がある。

アジェとマルヴィルの写真を撮った時代の違いについて

 失われたパリを写した写真家としては、ウージェーヌ・アジェがあまりに名高いが、実際には、アジェが記録したパリは、大改造後の世紀末からベル・エポックにかけての二十世紀のパリであり、そこには、季節商人や街頭の売り子などの失われた風景が定着されてはいても、厳密な意味での、つまりトポグラフィックな意味での失われたパリは予想よりもはるかに少ない(…中略…)アジェの写したパリはバルザックのパリではなく、むしろプルーストのパリであり、さらにはエコール・ド・パリやシュールレアリスムのパリと重なっている。(…中略…)
これに対して、バルザックユゴーのパリ、つまり失われたパリを知ろうと思ったら、シャルル・マルヴィルの写真に当たってみるにしくはない。というのも、マルヴィルがファインダーに収めたパリは、明らかに大改造以前のパリだからである。すなわち、そこには、語の全き意味での失われたパリを記録している。

後世のマルヴィルの写真に与えた評価

マルヴィルは、当局の指示に忠実にしたがって、取り壊しの決まっている通りを両端から、工事前、工事中、工事後というように、三段階にわけて撮影している。撮影には、当時の最高の機材と技術が使われ、充分な時間も与えられたらしく、採光といい、アングルといい、すべてが完璧である。
 (…中略…)
もっとも、パリ市の公式の記録写真という性格上、定着された画像からマルヴィルの主観や思想を読み取るといったことは不可能のように思える。というよりも、工事前、工事中、工事後という三段階の写真を並べてみてこそに浮かび上がってくるのは、不潔と無秩序を嫌悪し、清潔と秩序を愛するオスマンの<あるいはナポレオン契い痢箒畭綸なブルジョワ意識である。つまり、マルヴィルに撮影を命じた当局者の意図は、歴史的価値を持つ工事前の写真ではなく、科学技術の勝利を示す工事後の写真のほうを強調することにあった。実際には、失われたパリの写真は、あくまで新しいパリの写真の引立て役でしかなかったのである。
 ところが、後世がマルヴィルの写真に与えた評価は、こうした当局の意図はまったく逆を行くものだった。マルヴィルが撮影した工事後の写真は、パリ愛好家の関心をほとんど関心を引かなかったのに対し、失われたパリの写真はすでに世紀末から、コレクターの垂涎の的になっていた。哀惜とうよりもむしろ断罪するために撮影されたはずの狭い路地が、まさに失われたというただそれだけの理由で、かえって見る者の感動をそそるという事態が生まれたのである。三段階の写真は、進歩を称賛するために時間軸にそって鑑賞されるのではなく、過去を懐かしむためにフラッシュ・バックのように時間軸をさかのぼって眺められた。そして、オスマンの業績を称えるはずのマルヴィルの写真はオスマンの蛮行に対する非難の声を巻き起こし、失われたパリへの愛着を掻き立てる結果になったのである。

2011-02-08 「マルヴィル」と「アジェ」

多木浩二「眼の隠喩」から


「6章 測定する視線 」を読みながらのメモ
 「歴史の誕生」

パリを撮った写真家「マルヴィル」と「アジェ」について

シャルル・マルヴィルはジョルジュ・ユージェーヌ・オースマンによるパリの都市改造の記録した写真家つまり「パリ市の公式写真家」だった。

 マルヴィルの写真の分析を通して、彼の撮影がいかに客観的に行われたかは明らかにされている。それはマルヴィルの写真の性格を巧みにいいあてている。路地を撮るにもまず一方の端から撮り、ついで他の端から見返すように撮る。かれにとって路地は、曲りくねった一本の道であることを認識することであった。どのようにくねり、どのように狭く、どのように壁が迫りあっているかを認識することであった。やがてこわされるであろう都市のミクロな空間の視覚的な測定が必要だった。

 マルヴィルの写真は、その時代が都市を機能的に構造化された空間として描きはじめていたことに対応している。現代のわれわれは、その時代が都市を機能的に構造化された空間として描きはじめていたことに対応している。現代のわれわれは都市を機能的に考えることになれ、都市を平気で破壊している。だが機能的な都市、人工的なシステムとしての都市も、宇宙論的に考える以上に客観的であったのではない。それは都市についてのある種のテキスト、構造化されたテキストを描いているにすぎないのである。そのテキストの空間を構成するものは、オースマン、したがって当時のブルジョワジーのイデオロギーだった。マルヴィルの視線をブルジョワジーの政治学からきりはなすことはできない。

アジェの写真との決定的な違いはそこにある。十九世紀の終わりから二十世紀のはじめにかけてのアジェの写真は、都市を放浪する人間のまなざしであった。対象を客観的に測定しようというより、自分のとおりすぎる軌跡だけがあり、ひとつひとつの写真は断片以上のなにものでもなかった。そのほかの部分については語られないままに残される。アジェは対象についての知識を必要としなかったし、対象を知識かしようともしていない。物はいつでも謎めいて見え、何であるかよりも、どのように見えるかが問題であった。したがって、アジェの写真にはすでにアナロジーによって、そこにはないものに結びつく象徴の網目がひろがって、アジェの写真による都市のテキストは、この網目のなかに織りこまれ想像力の宇宙になっていたのである。

以上で、「マルヴィル」と「アジェ」との比較は終わっているのだが、多木浩二さんのこの節で言いたかったことは

 マルヴィルによって都市の記録がうみだされ、多くの写真によって建築的な遺構の撮影が行われたのは、ブルジョワジーが「歴史」というテキストを構成しはじめたことを意味する。しかもそれはブルジョワジーが世界をいやおうなく破壊し、新しい秩序を構成せざるをえなかったことと切り離せないのではないか。

>> 
 ブルジョワジーは自らの政治原理によって歴史を描き直そうとしていたのかもしれない。写真のその率直な記録生においてとらえることは、明らかにブルジョワジーの実証的な精神のあらわれであったが、写真の使い方は、それ以上の意味、すでに文化的意味(コノテーション)を担うものであった。オースマンは自らの事業を写真にとらせることで歴史化しようとしていた。ナポレオン三世はそこからフランスの歴史全体への視野をつくりだそうとしていた。

多木浩二『眼の隠喩(新装版) 視線の現象学』 1992年 青土社より
参考:
http://incognita2008.blog32.fc2.com/blog-entry-15.html
http://homepage3.nifty.com/~kick/TEXT/txt_prj.html
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http://www.charlesisaacs.com/artists/images.php/1/Marville
http://www.atgetphotography.com/Japan/PhotographersJ/Eugene-AtgetJ.html

「Eマウント」の基本仕様を無償開示

昨日、マイクロフォーサーズシステム規格にツアイス、シュナイダーが賛同というニュースが流れたが、今日になって、ソニーのこんなニュースが入りました。
レンズ交換式一眼カメラのマウント「Eマウント」の基本仕様を無償開示
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201102/11-018/
によると、レンズメーカーが次のようなコメントを寄せているとのことだ。

カールツァイスは、独立したレンズメーカーとして、ソニーの「Eマウント」仕様の開示を歓迎いたします。開示は、製造メーカーの製品開発に役に立ち、またユーザーに有益であることから、新しい堅実なシステムとして、「Eマウント」の市場での確立が促進されることでしょう。


コシナは、大型センサーを搭載しながらコンパクトなレンズ交換式カメラを実現する「Eマウント」に興味を持ち、新たな写真文化の創造を目指す「Eマウント」の発展を期待するとともに、その情報開示に賛意を表します。


「Eマウント」の仕様開示に強い賛同の意思を表明するとともに、「Eマウント」の仕様開示により、カメラシステムの充実・多様化が一層強化され、写真を愛するお客様に豊かな写真ライフをご提供できることに繋がると期待しております。


タムロンは、ソニーの提唱する「Eマウント」に賛同を表明いたします。私たちは、「Eマウント」レンズの製造・販売を通じてお客様の撮る喜び、新撮影領域へのソリューションを創造してまいりたいと考えております。

実際にレンズがどのくらい出てくるのはわかりませんが、マイクロフォーサーズとEマウント
って、PnasonicとSonyの戦いでもあるわけで、VHS対Betaを思いだしましたが、どうなるのでしょうか?

2011-02-07 flickr

flickrにアップ

 カメラをDP1sにしてから、もっぱらRAWで撮るので、写真を掲載する場合、写真を選び、現像。Blogにアップという作業をするので、そこまでで、時間が随分かかって、flickrにアップすることがなくなってしまった。今日、写真の見直しをして、ウィンドウ等に写り込む景色を撮ったものを4ヶ月位さかのぼって探しだす作業をしてみた。これをまとめて、flickrni
アップします。ReflectionsというSetにしてみました。ご覧ください。
http://www.flickr.com/photos/heliograph/sets/72157625998244760/

マイクロフォーサーズシステム規格にツアイス、シュナイダーが参加


 マイクロフォーサーズシステム規格にツアイス、シュナイダーが参加することになった。ツアイスはヴィデオ用のレンズを作るようだ。
 オリンパス、パナソニック、コシナ、ツアイス、シュナイダー(駒村商会)と参加する会社が増え、ミラーレスはソニーNEXの独り勝ちのようですが、Eマウントレンズを採用する会社は増えるのでしょうか?(ツアイスのレンズは出るようですが)

ニュースリリース

 

2011-02-06 横浜

横浜

 昨日、blanClass金村修「屠殺屋入門写真編」で、金村さんの話を聞き、井土ヶ谷から京浜急行に乗って、横浜に戻るとき、戸部駅付近の風景を見ながら、明日はここに来て写真を撮ろうと思いました。大分刺激を受けたというか興奮したようです。
 そんなわけで、今日は、横浜から京浜急行に沿って、戸部駅まで歩き日の出町まで行こうと歩き出しました。戸部駅を過ぎてから、そうだ、ここから、京浜急行トンネルに入って日の出町に行ってたのを考えていなかったんだということに気づき、丘を登り、日の出町まで歩くことになりました。最後は伊勢佐木町に出て関内まで歩きました。
 新しい、古書店を見つけたり、中古カメラ屋に入ったり、その他、色々発見があったいい散歩でした。

Reflections

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横浜

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2011-02-05 屠殺屋入門写真編

金村 修 写真展『アンクル・チアノーゼ・ミート』+『屠殺屋入門写真編』

水道橋 GALLERY mestallaへ最終日となった。 金村 修 写真展『アンクル・チアノーゼ・ミート』をみに行く。
その後、横浜・井土ヶ谷のblanClassへ『屠殺屋入門写真編』というスライドに写真を見ながら金村修さん自身の解説を聞いた。
 『アンクル・チアノーゼ・ミート』はロール紙に伸ばした。写真を二段に張り。部屋の壁を写真で埋めつくしている。プリントはかなり荒く、ムラがあったり、白枠が黒く変色したりしているが、すごい迫力。
 blancClassにも、全紙(小全紙?大全紙?)くらいの10年前に撮ったプリントが一面の壁に張ってあった。何回も展示しているのか、表面が剥がれていている。

 撮っているものは、10年間ほとんどかわらず。街頭に置かれた無数の自転車、商店街、看板、ビルと通り、色々なものを反射しているウインドウ、解説によれば、自分が何を狙って撮っているのかわからないように、写真の中に色々な要素を取り入れるようにしているそうだが、10年間で、撮り方が上手くなっている(この場合が、何を狙っているのか分からないように撮るのがうまくなっているのだから、分からなくなっているというべきなのか)。
 久しぶりの金村さんのトークを聞けるとともに、自分の写真を撮るのにもいい刺激をもらいました。
 とにかく、飽きても撮り続けるんだっと思いながら帰宅しました。

 スライドショーの間もUstreamで中継されていたようですが、スライド上映後のインタビューがここでみることができます。


 また、インタビュアーのこばやしはるおさんの金村さんの写真についてのコラムは
http://d.hatena.ne.jp/blanClass/20110202
で読むことが出来ます。

また、GALLERY mestallaでの展示の様子は
http://osirisnews.blogspot.com/2011/01/blog-post_27.html
で見ることができます。

2011-02-04 写真が占める最良の位置

多木浩二「眼の隠喩」(3)


「4章 視線の政治学 2節 視線の破砕 」を読みながらのメモの続き
 風景写真の場合

「風景写真」の視線がどのように文化の刻印をもっているかを辿る。

 「風景」とは人間が「表現」のなかで発見してきた自然のイメージである。したがってそれはすでに文化の領域にある。

 ケネス・クラークはその『風景画論』において、中世の「象徴としての風景」にはじまり、「事実としての風景」、「幻想としての風景」、「理想としての風景」、「あるがままの風景」などを分類しつつ、ついに二十世紀絵画から風景が消えていく経過を鮮やかに浮かびあがらせた。

 絵画は風景画の変貌(印象派の光、セザンヌの形態)のなかで、ひとつの絵画形式そのものを消滅させるにいたった。このことは写真の誕生と関係があり、十九世紀の後半には写真は次第に風景が移っていく過程であり、二十世紀になると時代遅れの芸術別は別とすれば風景はすっかり写真のものになった。絵画を通じて発見していた「風景」が、風景写真をうみだすことになる。風景写真は最初から「文化」に浸透された視線によって発生してきたのである。

 十九世紀後半に風景が絵画から写真に移っていく過程、さらに写真のなかで、人間の視線と、視線の破砕とが、風景を介していかにからまりあうかは、アメリカの場合にもっとも典型的にあらわれている。

 
その、数々のアメリカの風景写真家の中で、多木浩二はティモシー・H・オサリヴァンの写真を取り上げている

 だが、風景画と自然観を共有しつつ、風景写真は別の力をそのイメージのなかに生みだしていた。写真は、潜在的に、このような文化的視線の破砕を内在させていた。
 おそらくティモシー・H・オサリヴァンの写真では、こうした絵画的修辞をつきぬける暴力的な視線、外側にある視線が表れそうになっていた。

 コロラドやネヴァタの山中でかれの写真が見出したのは、途方もない時間のなかで形成されてきた自然であり、しかもそこには明らかなしぜんの力の痕跡があった。

それは、とうてい楽園的な憧憬の枠に入るものではなかったのである。かれは光が刻々と山の表情を変えていく様子を同じ場所で連続的に撮った写真を残している。それは印象派の自然が光のなかに溶解していくのを経験したのに似た経験であったかもいれない。だがそれ以上に自然の巨大さ、人間を小さいな存在に縮めてしまうようなものが写真にあらわれてきた。これが写真の発見した「風景」、これまでの絵画の視線にあらわれてこなかった自然なのである。

 オサリヴァンは破砕された視線と、それを文化にかえてしまう視線との中間にあった。それが写真が占める最良の位置、あるいは写真がわれわれに挑発的でありうる両義的な位相の発見ではなかろうか

サリヴァンに自然に力のこのような刻跡を記録させたのは、その時代が共有していた自然観でも、絵画的教養でもなく、のちにバルトをして視線の破砕を直観せしめた写真術そのものにほからなかった。オサリヴァンの視線は、いわば外側のまなざしと人間の視線の中間にあった、それはおそらく、写真以外のいかなる記号もしめたことのない場所であった。アメリカだけで考えると、その後の風景写真派むしろロマンティシズムに傾いていったが、そのとき再び写真のフレームのなかにあらわれ、それを芸術化する文化的な「視線」を風景と見るようになっていたのである。

つまり、写真は、つねにかっての芸術を成り立たせてきた視線――それが風景をも見出したのだが――の破砕を含んでいることに新しさをもっていたが、決して視線の破砕にはいたらないのである。

多木浩二『眼の隠喩(新装版) 視線の現象学』 1992年 青土社 より

参考ティモシー・H・オサリヴァンの写真
http://www.masters-of-photography.com/images/full/osullivan/osullivan_ancient_ruins.jpg
http://www.masters-of-photography.com/O/osullivan/osullivan.html

これで、今回の読書メモを終りにします。

2011-02-03 視線の破砕を夢みること

多木浩二「眼の隠喩」(2)


「4章 視線の政治学 2節 視線の破砕 」を読みながらのメモの続き
 人間の視線

写真が人間の「視線」破砕の可能性があるとすれば、人間の「視線」とは何であるか、
ロラン・バルトの「オランダ絵画」についての「エッセイ『対象としての世界』」と『百科全書の図版』で「視線」の意味がハッキリと語られている。

オランダ絵画についてのエッセイのなかでバルトは何をいおうとしていたのだろうか。描かれた世界を構成するまなざし(とりもなおさず物を構成するまなざし)が、描かれた人間たち(「権力の頂点に位する人間たち」)の身振りとしてあらわれて(それがヌーメンである)こちらを見かえすところに「芸術」が成立することである。言い換えるなら絵画はただ窓をとおして世界をみることではなく、世界に神話的な深さをうみだす「視線」を見出すことによって成り立つのである。

バルトは百科全書の図版の図像学的な分析にとりかかる。これはふたつの仕方で組織された情報体系にほかならない。一方はばらばらに配置されたカタログであり、他方はそれが統合された使用の状景(ヴィニエット)である。言い換えるなら、それらは物についての合理的なシノプシスであり、かつ物の所有を示すものである。だがそれだけであろうか。百科全書が遠い過去のものになったいまからみると、エンサイクロペディストたちが想像もしなかった情報が見えてくる。つまり合理性そのものが、それを裏切り、物が超現実化し詩になりはじめるのである。

オランダの十七世紀絵画バルトにこうして人間に再帰する「視線」が芸術を生むことを見出させた。他方「芸術というアリバイ」なしに合理的な図法で描きだされる百科全書の図版が世界を覆すにいたるが、視線までは喪わないことがたしかめられる。もういちど屈折はしているが同じような「視線」の働きが見出されるのである。つまり図法はその合理性の故に、たとえば停止した運動のなかに見出される神々の身振りを通じて(そこがここではヌーメンになる)世界を超現実化し、転覆させ、「イデオロギーを覆すだけではなく、また、それよりはるかに重大なやり方で人間の合理性をも覆す」。ところが、「絵図はまさしく不合理な対象を再構成するように強制する。第一の自然がひとたび解体されると、それと同じくらい形のととのったもう一つの自然が出現する。ひとことで言えば、世界の破砕は不可能なのだ。世界が永遠に充実しているためには、一つの視線――われわれの視線――だけで十分なのである。」かくして『百科全書』の図版の分析は、オランダ絵画からとりだされた人間の再帰するまなざしの消滅の不可能性をとりだしているのであり、それが人間において「芸術」の消滅の不可能性でもあることを明らかにしたのである。

写真は「見る」ことの復権だというたぐいの写真論が意味していたことは、実は写真そのものの本性を語っていたのではなく、写真を文化に変容させる「視線」について語っていたのにすぎないのである。

バルトが、晩年、記号そのものの破壊について語るようになっていたとすれば、視覚的なテキストについては、この「視線」そのものの破砕を問題にしないわけにはいかなったのである。芸術の消滅不可能性がまさに人間のまなざしに基づいているとすればこの視線の破砕こそ、かれが視覚的なテキストを分析するときに表面にあらわれなかったひそかな発見ではなかったか。と同時に、破砕の困難さが、写真という「コードのないメッセージ」、少なくとも理念的には視線の破砕からはじまるものについて語るときにもっとも感じられていたことではなかったろうか。視線の破砕を夢みることと、その不可能性の認識は同時に起こっていたのである。

 視線とは文化であり、それは殆ど制度といってもよかった。おそらく視線の破砕とは、作者の、したがって作品の解体であった。

多木浩二『眼の隠喩(新装版) 視線の現象学』 1992年 青土社 より

まだ、終りません。続きます。

2011-02-02 コードのないメッセージ

多木浩二「眼の隠喩」(1)


昨日、購入した「眼の隠喩」古書店で購入を決めた部分。「4章 視線の政治学 2節 視線の破砕 」を読みながらのメモ

 コードのないメッセージ

 バルトの初期の写真論(Barthe,Roland. 『Le Message photographique. Communication I. 1961)によって視線と文化を考える。
この写真論の中に「テキストとイメージ」という一節で『イメージがなければ成立しない「ことば」』の存在を指摘している

新聞写真におけるテキストは(ここでは単純にキャプションのことをさす)には、伝統的な挿絵の場合とちがって「重要な歴史的逆転」がある、つまりテキストの方がイメージに寄生している

イメージとの関係によって成り立つ「ことば」が特殊な体系をなすとすれば、当然イメージを基体にしながら成り立つ体系(複合化した記号の体系)があり、写真として知覚されているのは純粋に写真的技術の結果としてのイメージではなく、すでにそのような複合化された記号体系、社会的な意味作用としての「エクリチュール」にほかならないことになろう。

バルトの写真論の主張は写真のコノテーションが言語のコノテーションに大体のところでは一致するということに要約される。

 この写真論を今から読み直してみると、バルトを写真にひきよせたひそかな関心は、こうしたあからさまな意図とは別に感じとられるのである。たとえばこの写真論は、ごく自然に受容される新聞写真が実はすでに撮影時から意味づけられているという、「写真のパラドクス」を指摘する。だがこのパラドクスを成り立たされるためにおいた「写真はコードのないメッセージ」であるという仮説の方がいっそう注目をひくのである。写真は「コードのないメッセージ」でありながらコードづけられない限り、知覚されることも、社会化されることもないというのがバルトのいう「写真のパラドクス」である。

 彼のいう「写真のパラドクス」とは、一方の手で写真をうみだした「文化」が、他方の手でこの見なれない記号を(いわば骨ぬきにして)人間社会に適応させるプロセスを示していたことになろう。

人間はほとんど言語と同じくらい古くから「図」(イメージ)を作り、利用してきたが、それらはバルトもいうように手で描く以上、明らかに何らかのコードをもっていた。したがってもし「コードのないメッセージ」がありうるなら、それはあらゆる文化的な意味をのがれ、人間を離れて成り立つ純粋に外側にあるまなざし、空虚な暴力的視線というべきものであったかもしれないのである。

 バルトが「コードのないメッセージ」といったときには人間に再帰することなく、事実上多視点化した「視線」が生じたことが認識されていた。だれでも経験していることだが、写真には、撮るときには気がつかなかなかったもの、ひょっとすると他人が気づいていたかもしれないものが写りこんでいるのである。

社会あるいは文化にとっては、こうした見なれないまなざしをもういちど人間化すること、まるめこみ、無害なものしてしまうことが必要であった。

バルトの文脈は「ことば」がこの「コードのないメッセージ」による認識の解体、「世界」の破砕にほかならない「視線の破砕」を喰いとめ、社会的文化的な言語として永遠の世界の方に適応させる役割を果すプロセスをとりだしたものとして読めるのである。

だが奇妙な留保がひとつある。彼は意味を中断される写真がある、それはとローマティック(外傷的なイメージ)だと述べている。つまり災害や死体などの写真がそうである。

 このバルトの「写真のパラドクス」論の底に、そのままでは人間化しえない外側のまなざしについての直観があったことが推測できるくだりであるとはいえよう。

多木浩二『眼の隠喩(新装版) 視線の現象学』 1992年 青土社 より

ちょっと引用するつもりがこんなに長くなってしまいました。この続きは明日にします。

2011-02-01 ロラン・バルトのデッサン

ロラン・バルトのデッサン

久しぶりに、鎌倉に出る。古書店により、本を買い込む。

 店を出るとき、ユリイカが積まれていたので、チェックした。その中の、「ロラン・バルト」の増刊号をみる。

ユリイカ1996年6月号 特集=ロラン・バルト

ユリイカ1996年6月号 特集=ロラン・バルト

ロラン・バルト 彼自身によるデッサン というページがあり。水彩、ガッシュクレヨンによる線による抽象画コラージュに惹きつけられ、再び店の中に入り追加購入。

 調べてみると、2003年に東京大学総合文化研究科・教養学部 美術博物館で、2004年に京都大学 総合博物館で「色の音楽・手の幸福―ロラン・バルトデッサン展―」が開かれていた。
 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部美術博物館のこの展覧会についてのホームページ(http://www.c.u-tokyo.ac.jp/jpn/kyoyo/bihaku.html)から、

20世紀の後半の知的世界をリードしたフランスの哲学者・思想家・作家たちのなかでも、どこにでもいながら、どこにもいない、まったく独自の光芒を放っていたロラン・バルト。記号学者、構造主義者、批評家、文化理論家、作家・・・あらゆるジャンル分けを超えて、そのつどまったく類のないエクリチュールを生み出してきたバルトは、同時に、毎日ピアノを弾き、ときおり、色を使った、独特の統一性のあるデッサンを生むアーティストでもあった。今回、色の音楽が立ち昇るかのようなそのデッサンを展示し、ロゴスとパトス、理性と感性との絶妙なバランスを――けっして苦しみなしにではなく――生きた不思議な作家バルトの《悲劇的な幸福のモメント》を浮かび上がらせる。類い希な日本論『記号の帝国』によって、わが国とも特別に関係の深かった思想家の内なる《色の響き》に耳を傾けたい。

とある。
 昔、スケッチブックを常に持ち歩き、ときどき、スケッチをしたり、抽象画(いや、いたずら書き)をしていたことを思い出し、そうだ、スケッチブックを買いにいこうかなと思っている。エグルストンは絵と写真を並べて展覧会していたしね。

参考:「色の音楽・手の幸福―ロラン・バルトデッサン展―」のポスター http://www.geocities.jp/manrayist/day040131.jpg

ちなみに、今日購入したのは、

Richo GXR用 レンズマウントユニット は Mマウント


 RichoがGXR用に発売すると発表していたレンズマウントユニット。「何レンズ用のマウントユニットか?」「画素サイズは?」と色々な噂が囁かれていましたが、ついに発表されました。

ということでした。

 詳しくは、http://www.ricoh.co.jp/release/2011/0201_1.htmlをご覧ください。

 

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