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先日、江成常夫写真展「GAMA CAVE 霊魂がやどる聖地」を見たのだが、今日は東京写真美術館で江成常夫写真展「昭和史のかたち」を見る。
江成常夫さんについては、西井一夫さんが江成さんの写真に対して、厳しいことを書いていたので、どうしても江成さんの写真を素直に見ることができないのだ。
本を探すのがたいへんだなぁとおもっていたら、写真の会のテキストアーカイブに次のような文章が残っていた。多分、この部分が「写真的記憶」の中に載っていたのだと思う。
■無題その二(初出:会報32号)
http://www.pantaxworld.com/blog/2011/07/post-d4df.htmlより、抜粋
前略
江成常夫という元毎日の写真家がこの夏、『記憶の光景・十人のヒロシマ』という本を出し、『まぼろし国・満洲』という写真集も出した。彼の仕事が顕現しやすい〈戦後50年〉という時期を得た、ということにすぎぬが、この『ヒロシマ』の中に在日被爆者が出てくる。むろんもう20年以上前に太田竜が「在韓被爆者」について〈辺境最深部〉の原点として指摘しており、私自身も、〈らい病〉収容所における、朝鮮人らい病者差別という最深部内に投影される市民社会の差別構図について知る機会があり、最深部にさえもぐり込めば、アトは何でも持ってこい式の物云いになるわけにはいかないことはアった。アったうえで最深部は最上部の裏返しであり、この全構造をつかまえたうえで、具体的な部分に触れていく、触診的な認識が必要なのだと思った。
江成常夫という人はこの触診的なところが欠如した人だと思っている。一見、触診的に個別の人に当たって話を聞き、そこからネットワークをひろげてひとつのまとまった仕事にしているように見えるのだが、多分、この人は、初めにまとまりアリで、残留孤児とか、戦争花嫁とかヒロシマとか、戦後日本が「ねばならぬ」のに「忘れたフリ」をしている諸問題のリストがまずあって、その必ずいつか問題にされるに違いない忘却「問題」を「戦後庶民史追跡」などという「作業」を勝手に自らに課し、いずれ陽の目を見るまで、一応準備作業はしておく、というようなコトであろうと思う。
つまり触診というよりは、むしろジャーナリスティックな話題性をいずれ獲得しうるであろうテーマで、しかも「いずれ」であって「いますぐ」ではなく、誰もが知らんふりを決めこんでいるような関心の薄いテーマであって、しかし実は、忘れ切れずにカスが残っているようなテーマ、何年かかけて前もって準備しておかねば、いざその時に間に合わないような「作業」を伴うようなテーマを見つけておくこと、それによってこの人の「仕事」は成り立ってきた。誰もができるような即興的な思いつきではない、歴史(つまりジャーナリスティックな、時流的ということだ)とか過去とか、なんとなく重たく、自分のしていることが、あたかも歴史や人類と関係していて、「エライ」ことなんだぞ、という印象を与えるものをうまく見つけ出しておけるかどうか、見つけ出しても、それを実行するヒマと金があるかどうかが勝負だ。
中略
歴史を直視することを確かに私共は忘れてきたらしいが、だからといってこの人の「作業」が歴史を「正視」していることにならぬのであって、むしろ、日本人の多数が忘れていたからこそ、この人がちらりと見たことでも、歴史を「見た」などと「エラソー」なことを云えることに写っているだけのことだ。多数の忘却を前提として、ホレ、お前さんら、こんなことを忘れてるよ、とちょと気のつく人なら誰でも気づいてることのごく一部をチラリと見せて(見せてもくれぬバカな写真家が多すぎるから、こんなもんでも目立つだけのこと)私は歴史を「正視」していますよ、とよく「冗談」でなく平然と云えるもんだ、とつくづく日本に「恥」の無くなったことを思う。
後略
改めて、この文章を読んで、今回の展示のことを考えてみると、今までの仕事をすべて並べたといういわばダイジェスト版なので何ともいえないのだが、伊奈英次さんが「サガミハラ賞」を受賞したときの、授賞式後のパネルディスカッションに出席していた柴田敏雄さんに対して審査委員長の江成さんが「柴田さんの仕事は造形的には素晴らしいものであるけど、環境問題とかそういう問題に対してどう考えているのか、写真にはそういう社会的な視点が必要だ」というような質問をしたのを思い出した。自分は社会的に意義のある仕事をしている、ありがたく見なさいみたいな感じがしてしまうのだ。自分がそういう仕事ができない僻みだといわれれば、それまででなのだが、西井一夫さんの文章を読んだばっかりにそう感じるのか、さて、「GAMA CAVE 霊魂がやどる聖地」展についてですが、Nikonサロンの展覧会内容として次のような文章が載っています。
歴史は明日への道標にほかならない。作者はこれまでの40年近く、15年にわたった「戦争の昭和」に翻弄され、声を持たない人たちの声を写真を通して代弁することで、現代史を軽視、記憶から遠ざけてきた戦後の日本人を問い続けてきた。
「戦争花嫁」と呼ばれ蔑みのもとにアメリカに嫁いだ日本人女性との出会い、「15年戦争」の発端となった「満洲」、「満洲」が生んだ日本人戦争孤児、大戦の終焉地ヒロシマを三十数年にわたって見詰めてきた。2004年からは「満洲」と「ヒロシマ」をつなぐ太平洋戦の15の戦歴の島を巡ってきた。
このうちでも本土防衛の最終戦となった沖縄戦は、県民を巻き込み、軍民合わせた戦没者は188,000人余りに及んでいる。
沖縄は島の地質的条件から「ガマ」と呼ばれる自然洞窟が各所に多数点在している。「ガマ」には県民の老若男女、乳児までが戦火を逃れ身を寄せたが、日本軍から追い出され、自決を強いられるなど凄惨を極めた。そしてまた「ガマ」には軍の野戦病院が置かれたことから、米軍が攻め込むなか重傷将兵らは置き去りにされ、多くが没している。こうしたことから「ガマ」はいわば阿鼻地獄のもとで逝った人たちの、霊魂が宿る「聖地」でもある。
写真展では、これまで封印されてきた「ガマ」を克明に浮き立たせることで、太平洋戦の罪の深さを、鎮魂をもって呼び戻そうとしている。カラー30〜40点(大型を含む)。
これを読み、この「聖地」という言葉に対して疑問をとなえたのが、沖縄の写真家で俳人でもある、豊里友行さんである。
http://toyoanneru123.ti-da.net/e3663904.html
http://toyoanneru123.ti-da.net/e3675029.html
を読んでください。
この「聖地」に関してですが、「昭和史のかたち」展のカタログに次のようなインタビュー「江成常夫・作家生活を語る」が載っています。その中で次のような発言がありました。
写真を撮るための手だてだったインタビューが、広島に立って10年後、証言集『記憶の光景・十人のヒロシマ』(新潮社・後に小学館文庫)として、上梓されるのですが、そうした作業の中で気づいたのは「肉体は消滅しても霊魂は不滅」という考え方です。それからは広島の森羅万象、つまり広島全体を爆死者の霊魂が宿る聖地と捉え、広島の水や土や草や木を四季にわたって撮り続け、そこに死者たちの魂を託したのです。
この発言を読んで、豊里友行さんが心配する気持ちが良く分かる。霊魂が不滅だがら靖国神社で会おう何てことになったのだろうから聖地って言葉はガマにも広島にも使ってはならないと思うのだ。
すでに、西井一夫さんの「写真的記憶」を引用して「昭和史のかたち」展の感想をかいている人(pantaさん)がいました。
http://www.pantaxworld.com/blog/2011/07/post-d4df.html
もお読みください。
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