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先日紹介した、藤牧義男の絵巻について、君は隅田川に消えたのか ?藤牧義夫と版画の虚実を読んで分かったことは、
これは単に、川に沿って単純に歩いて連続した風景を描いているのではなく、途中から、川を越えて対岸の風景と繋げたりしている。つまり、部分部分は実際に忠実にスケッチしているのだが、繋げることによって、藤牧自身が組み立てた独自の空間を作っているということなのだ。
どうしても、藤牧の絵巻の凄さを表現できないので、この本から引用させて頂く
彼は、なれしたしんだ隅田川沿いの街を、筆一本、それも細筆による墨の線だけで延々とうつしとっていた。街をゆく人々、空を飛ぶ鳥のむれ、葉のかげにすわるカエルまで、まるでそこに在るすべてを、紙にうつしこもうとしたかのだ。
技法がまた異彩をはなっていた。
墨の生命線である濃淡と、筆致の緩急を大胆にも捨てさり、どこまでもどこまでもおなじ調子の
線、線、せん、せん、セン、セン
だけで岸辺を描きながらつないでゆく。
しかも彼は、描く場所をなんども移動して、大きく視点を転換させながらも、流れる風景を途絶えさせないというまったく独自の描写法をこの白描絵巻に投入していた。ときには、向こう岸までわたってのける。つまり描き手は、川をまったく逆の向きにとらえる格好になるわけだが、なぜなのか、それでも景色はただ一点の切れ目すらも見せないのである。
この前代未聞のはなれ技を
「絵だけの絵というものの凄さ」(『帰りたい風景』新潮社所収「中野坂上のこおろぎ」
と言ったのは、作家で「現代画廊」店主だった洲之内徹だ。洲之内は絵巻の前にたち、「感嘆しながら、同時に、一種の戦慄を感じた」のだという。
「絵巻はどの部分をとっても、はっきりした視角と、その視角に基づく構図を持っている。しかも、視点は随時移動するが、ひとつの構図は次の構図と有機的に組み合わされ、それぞれが同時に他のそれぞれの要素となり、場面と場面が変わって行く。その不思議さと見事さ」
また、この本の「エピローグ 蝶になったひと」で、実際に隅田川沿岸を絵巻と見比べながら作者が歩いたときの様子が書かれている。「蝶になったひと」は藤牧のことで、「蝶になったんだろう、藤牧は。蝶になって川をわたったんだ。じゃなきゃ、この構図は描けない」という作者に同行した大谷芳久さんの言葉が、この絵巻の凄さを物語っている。
大谷芳久さんについては、
玉乗りする猫の秘かな愉しみ : 藤牧義夫研究の金字塔
http://furukawa.exblog.jp/11687249/
生誕100年、藤牧義夫展 近代日本版画の輝き
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110703/art11070307470004-n1.htm
をご覧下さい。
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