2012-02-13
上司が無能ではなく自分が無能
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120209/227036/
タイトルだけ読んでイラッとした。
中身を斜め読みして印象は変わらなかった。
ありきたりな文章。
そして上司という立場からの発言だ。
そしてそういう自分も、部下のことを無能と切り捨てているだけ。
コミュニケーションは双方の問題だろうに。
部下が上司を無能というなら、部下のコントロール力が足りない可能性が半分。上司が部下に対して指示を伝え切れていない可能性が半分だ。
正直こういう人の下にはつきたくない。
2012-01-16
正論はわかるが間が埋められない
最大の仕返しは自分が幸せになること
それは真理だろう
でも傷ついた今、相手をフルボッコにしたいという憎しみが一番の欲求で
いくらそんなことしても何にもならないと諭されても
我慢などできようはずがない
目標を達成するにはすべて自己責任として問題に立ち向かうこと
誰しもが同じスタートラインに立てているわけはない
差があって当たり前だ、自分の環境を嘆いてもしょうがない
自分の最初の立ち位置がずいぶん後ろだったから、配られたカードがゴミだったからと
不平等だ差別だと叫んでも現実は変わらない
不平等も差別も込みで自分の責任だとして問題に立ち向かいなさい
うん、わかるのだけど
でも今この瞬間のどうにも損をしている気分はどうしたらいいんだ
間を埋める方法を
作らなくちゃ
2011-12-23
■
小2の娘が算数の掛け算の順番が違ったら×にされたというエントリ。
いろいろ考えることが多い。
鉛筆を6本ずつ8人に配る、だから6×8、この考え方はたしかに一番普通で自然に思いつく。
でも、8人いて6本ずつあげるから8×6、っていう考え方もあっておかしくない。
私は凡庸に6×8が一番に思い付くけど、人をまとめる側の発想が強い人は8人に〜とか考えそうだ。
そう思うと8×6を思いつくって才能のようにすら思う。
世界の認識方法が私と違う人。なんだかかっこよく思う。
私は従順な子供だったし、言われたことをそのままに、学校教育の通りに憶えたけれども。
考え方の順番を型にはめて、手順を決めて、その通りにやれば解けるっていうのも合理的だと思うけれども。
まあ、私は従順にそのまま憶えることで、結果的に優等生ではあったんだけども。
算数って、数学って、解き方を考えるところからだと思うんだけど。。
公式に当てはめてきちんと順番に、っていうのは事務仕事だ。ミスは少ないけどそれ以外のことはできない。
算数・数学はもっと自由で挑戦していく学問のイメージがあったけどなあ。
正解を導く発想の違いも楽しむものだったと思うけどなあ。
今の私は根っから事務仕事発想で仕事をしており。物を作っており。
もっと自由になりたいとふと思ったりもした。
あと、コメントにあったその他の採点で、アルファベットのbを筆記体で書いたらバツに、というのがあったけど。
こちらは逆にバツになっても仕方ないのではとも思う。
いや、もちろん自分が採点者ならマルにするだろう。けど試験を受ける側にいたら、敢えて筆記体で書いたりはしない。
採点者は何十枚と採点するわけで、一人ずつの答案をじっくり読み取ってあげる時間などないわけで。
筆記体のbは採点者の思考と手を一瞬止めさせるものだと思う。
大文字のBも小文字のbも筆記体のbも確かにアルファベットのbではあるけれども。問題文で使われている形の記号を使うのが普通だ。
それ以外はなんというか、、マナー違反の解答だと思う。あえて困らせているようにも思う。
汚い字で書いた答案は採点されない、読めないからバツになる、とは受験生の頃の知識だけれども。筆記体のbはこれに軽く通じるものがあるように思う。正解であったとしても試験という枠のルール違反。そういう。
帰国子女だった、英語圏では筆記体とブロック体に差はない、いろんな考慮すべき理由も思いつくけれども。
でも。日本で、普通の公立の学校での試験で、ということなら。
筆記体での解答は多少の違和感を覚える。
記号解答だけの試験ですべてを筆記体で回答した、というのならさすがにすべてバツにもしづらい。でも多少の減点があってもしょうがないと思う。
試験は、試験のルールに乗った上で採点されるわけで、知識さえ正しければいいというものではないだろう。
そう思うと、最初の掛け算の順番の話では。まず先生のルールという狭い試験ルールに乗っかるのが、得点アップのコツ、ではあるんだけど。
それではなんというか、、、勉強ではなく、処世術の一種だ。
子供の算数の話で、先生の顔色をうかがう必要はないし、ばかばかしいことだと思う。
が、大人になった私は。
試験制度も人が作っているものだと思うと。
採点者の負担にならない、ストレートな正解を記載することって大事なんだろうなあ、なんてことの方が心に残ったりした。
考慮も疑うことも必要ない、6(本)×8(人)の典型的な回答。
誰がどう見たって問題文の通りのきれいなブロック体のb。そういう。
まあ、、、大人になると。
勉強や試験のような、正しいものを探すことよりも。
公平で客観的な試験制度なんてないところで、
明らかな加点箇所を分かりやすく提示することと、
減点と受け取られがちな事項は可能な限り見せないこと。
そんなことばかり意識して。
正しいことなら認められると息巻いてた子供のころを、うらやましく思う。
2011-12-21
社内の研修報告書を読んでいるんだけど
研修報告書。会社での研修受講後に提出する報告書がうちの会社にある。
それらが全てイントラに掲載されている。
で、仕事中の空き時間にたまに読んでいるんだけど。
読み応えのあった・目を引いた報告書。
・はっきりとD評価をつけた外部研修への報告書
役に立たない・この研修はやめるべきと記載したものがあった。辛口。
全て知っていて無意味だと思っても、悪い評価はつけづらいものなのに。
低評価だけれどもきちんと理由が記載されており
表現も適切で(変に攻撃でもなく)
頭で納得できる・心情的にも受け入れられる内容だった。
この人すごいなと思った。
・人気の内部講習に対して鋭い指摘があった報告書
社内の研修で講師も社員。外部の研修よりもどうしてもグダグダになるものが多い。
その中で、かなりの人気・評価を受けている技術研修がある。
だいたいの感想は「新技術をわかりやすく学べた」「業界動向について考えさせられた」といったもの。
その研修に「新技術といっても聞き古されているもので、現場ですでに顧客企業が導入しているものばかり」との指摘をした報告書。
とはいえ評価はAで表現にいやみもなく。
この人もすごいなと思った。技術のある人の意見だ。
・交渉スキルの外部研修で1行やっぱり苦手と記載した部長の報告書
正直でよいなと(笑)
人柄がでている感じ。
こういう人が上司にいると安心する。
ちなみに私は受けた研修が良いと思ってもいまいちと思っても、ほめにほめまくってA評価をつける。
いまいちだと思う部分は書かないのではなく、要望などに形を変えて記載し、評価とは無関係な感想にする。
これはこれでポリシーがあったりするんだけど。