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最新ライブレポ:KAIKOO POPWAVE FESTIVAL 10&渚音楽祭・春2010東京(04/10-11/2010)
今日のVMC:ARCHIVES その他コンテンツ更新中。

01/29/2016(Fri)

[]お知らせ。

だいぶ長いこと、このはてなダイアリーでやってきましたが、世間はすっかりblogの時代のようで…ここもそろそろ引越しを考えてます。

まぁ誰も見てないからってのもあるんですが、アンテナとかいい加減みんな使ってないだろうし、それよりもSNSとの連携だったり、写真アップしやすかったり、そういうの優先していこうかなーと。更新ペースはもうちょっと上げていきますかね。

引越し先ははてなブログBloggerのどっちかで考えてます。とりあえず、しばらく両方とも非公開で使ってみて、使いやすい方にしようかなぁと。メインははてなブログにして、別テーマのブログBloggerでやるかなーとかも考えてます。Bloggerだと複数のブログを一元管理できるのが便利なんですよね。タグづけとかはめんどいですが。ただ、はてブロははてな記法での更新が出来るんで、そういう意味でも慣れてるからいいかなーとも思ってます。はてな記法とかほとんど忘れてるけど。

という訳で、固まったらお伝えします。もう少しお待ち下さい。

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12/31/2015(Thu)

リストバンド2015。

[]年末恒例・2015参戦記録。

もうここ動かしてるのこれしかない気がする。まずはルールのおさらい。

  1. 原則として、有料の前売り券が発生した音楽イベント(ライブ・コンサート・フェス・クラブイベントなど)のみのカウントとする。
  2. よって、「事前ディスカウントがあったクラブイベント」「購入特典としてのインストアライブ」「入場券を必要としないフェス」「音楽以外のお笑い、トーク、演劇などが主体のイベント」などはカウントの対象外とする(可能な限り記録はするがナンバリングはしない)。
  3. 当日券での入場など、当日の判断で参加したイベントは、「前売り券が有料の券面として発生していた場合」はカウントする。
  4. 主にフェスなど、2日以上に渡るイベントに関しては、大抵の場合1日ずつのチケット販売がなされているため、「1日参加ごとに1回」とカウントする。また、1日のうちに2部に分けられるイベント(昼夜2回公演、フェス本編+アフターパーティーなど)は、それぞれにチケットが発生していれば、1回ずつとしてカウントする。

今だから言えますが、2014年10月頃から、精神面でかなり深刻な事態に陥ってました。twilogでひと月あたりのツイート数を見ると、当たり前のように3桁行ってたのが、9月から100を切り、沖縄行ってたはずの10月も56(しかも現地で全くテンション上がらず)、11月は34、12月になるとなんとか重い体を引きずってライブに行った日に1回打ったきり、次のツイートは2月1日でした。この頃は本当に深刻で、外に全く出られず、親からも口調にろれつが回ってない時すらある、という状態でした。ほぼSNSに出ていなかったので、気づかれた方は少なかったかと思いますが…2014年のこの更新が無かったのもこの影響です(リストは残ってるんですが。どう公開しようか)。カウントダウンを家で過ごしたのも久々でした。ライブに行かなかった期間が丸3ヶ月もあったなんて、考えられない事態でした。(クイズの方も自粛、というか行こうにも行けない状態でした。大会名だけ見て学生限定だと思い込んだりとか、情報をまともに整理する頭すら動いてなかったようで…あ、LOCK OUT!のレポは途中まで書いてたんですが、年内に間に合いませんでした…)

ようやく復活したのが、3月12日。そこからのリストです。

…反動とかいうにしても程があるだろ!!今まで超えられなかった「年間60」の壁もあっさり超えてるし!!そしてナンバリング打ってないのが33、足すと…94。100が見えてきた。これで体調不良でチケット無駄にしちゃったり、行けなかったイベントもあるんで、100行ってても全然おかしくなかったという。まぁ終盤、一番忙しい時で3現場並行とか、3日間で8現場とか、そんなことがありまくったのも確実に影響してます。

しかし、長かった「冬眠」があったせいか、「もう行けるところまで行ってやろう」という思いもあったかもしれません。ROCK IN JAPANとかOzzfestとか、今まで行こうと思ってなかったフェスなんかにも、可能な限り足を運びました。とはいえ、1週間の沖縄旅行のうちに9現場×2とか(そのうちルールに従ってナンバリングしてるものは少ないけど)、初の香港旅行で3本もイベント見つけて行くとか、もう自分でも何と戦ってるんだかって感じは否めませんでしたが。ただ、いつまで行けるかわからない。いつ破産するか、いつ体が壊れるか、明日にはもうどうなってるかわからない。じゃあ後悔は残さない。行けるものは行こうじゃないか。そう思って動き倒してたのはたしかです。

本当はベストアクトとかのおさらいもしたいんですが、もう時間がありません。というか例年、これ打ってるのギリギリな気がします。リストの最後、今年61(94)本目、生涯通算530本目。14年間営業を続けたクラブが、今日のカウントダウンからの年明けと共に、その歴史に幕を下ろします。これが無かったらCDJでそのまま年越ししてたんですが(昨日幕張メッセ離れるの、正直辛かったよなぁ…帰りたくねぇって思ったよなぁ…)こればっかりは外せない。という訳で、今年も爆音の中、新年を迎えます。沖縄帰ってきて即CDJ2日間だったから肩とか腰骨とかバッキバキだけどな!

2016年、まだまだ行きたいけど行けてないフェスがたくさんあります。クリスマス前にはありがたくもDJデビューさせてもらいました。いい加減これだけ「客として」足を運んでる以上、何かしらコンテンツ化したいなぁとも思ってます。音楽漬けの日々は変わらないと思いますが、来年こそは、形にして還元したいと思います。(あとはまぁ、これだけ行ってればクイズもペースかなり落ちるに決まってるんで、いい加減やりたいイベントリストのうち一つくらいは実現させたいなぁと…)

じゃ、今年の年越しは代官山AIRで!皆様よいお年を!

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06/01/2015(Mon)

[]lifelog.

HDDの中身整理してて、とりあえずこっぱずかしなってもライフログは残しておくべき、となったので、えらく早起きしてしまった割には予定が無いこの時間に、レンタルしてきたばかりのtofubeats聴きながらつらつらと。どうでもいいけど高校時代に書いたレポートとかが全部Microsoft Worksで、Works Viewerとか落としても全く復元出来ません。スプレッドシートとかわりと今でも使えそうなデータ残ってるはずなんだけど、困った。さてどのへんから書き始めるか。

04/27-05/04 沖縄

大森靖子さんのツアー追加公演が沖縄であると聞いて、何も考えずにチケット入手。10月のキネマ倶楽部の後飲みで、さいとうさんと「沖縄行きたいねー、沖縄でやって欲しいねー」みたいな話をしてて、やるとしたらセントラルかoutputか、それともまさかの宮古ロックにブッキングか、みたいなところになってた。そのさいとうさんが結局行けないってことで残念だったけど、とりあえず自分は沖縄で大森さんというコンボなら間違いなく行かない理由は無いので有無を言わさず行く。だけどこの前日が中野のツアーファイナルで、日が変わるまで飲んでて「これから荷造りするのだりー」とか思う。つってももはや沖縄1週間の荷造りとなれば1時間もあれば終わらせられるようになってしまったので、当日朝で十分間に合った。

着いてからゆいレールで常宿に向かう間に、ふと思い立ってtwitterフォロアーの皆様に「沖縄着きました、この季節はこうこうこんな感じです」とか打ってみる。ここから始まり、沖縄来るいろんな人にアドバイスしまくったりして、翌日のtweetが日別tweet最高の89件とか行ってた。で、ライブ前夜は沖縄で長年お世話になってるタレスさんのイベントで朝まで。ライブ当日はタレスさんの店で打ち上げセッティング。ライブ翌日はコザでライブ出演なので行く。ここざっくり書いてますが、このへん書き始めるといくら文字数があっても終わらないので抑えてます。だってコザでライブ見て酒飲んでとかずっとやりたくても出来なかったことだったから、そのへんの思いとか書き出したらキリが無い。

で、みんな帰っちゃった金曜日。誕生日。夜は友人達とべんりや→徒歩圏内の栄町のバー(名前忘れたけど2回目)→Cyber-boxで沖縄DJ陣と再会→onに顔出し→SMOKEで飲んで布団入ったの7時。12:30に目が覚めて、着の身着のまま空観日和出演ライブへ再びoutput(ご本人にリプもらったらそら行かな、と)。宿でもわりとほっとかれずに夜になり、そのままゆんたく→ドラミンゴ顔出し。もうゆっくり寝かせて…ってあと1泊2日しかないの!?那覇ハーリー大森靖子映画祭(『サマーセール』見とけって言ってくれたみりんさんありがとう、ホントにこの機会逃してたら後悔してたと思う)→ハーリー戻って花火。ラストナイトなのでつきのわで徹底的に飲もう…と思ったら普段は2時くらいに閉めるのに朝5時半。12時にベッド空けなきゃいけないのに…案の定ろくに眠れず、街歩きして、2泊3日で初沖縄だった女の子と同じ便、しかも座席も隣ということが発覚し、最後までバッタバタ。月光荘泊まってて、こんなにゆっくり出来なかったの初めてだったけど、過去10年の沖縄旅行の中では最も強烈な部類に入る旅行だった。


5/12 大森靖子&THEピンクトカレフLIVE

なんかこのライブに関しては語るだけ野暮って気がする。twitterに書きたいことは書いちゃったし(だからライフログ残すんだったらそれくらい転載しろよ)。とりあえず直前になって浮いてるって気づいてしまったチケットを、「本当に見たかったんです」って人にお譲り出来て本当に良かった。激しい昼夜逆転(いつものこと)に苛まれてて、わりとみんな残ってるし、どうせ家帰ってもなー…と思い、終電飛ばして朝までLOFTのバーで飲むことにする。この時間も濃かったなぁ。

普段ライブは基本ぼっちで群れることもしない自分が、大森さんのライブだけはいろんな人を探しに行くのは、やっぱり去年の八丈島が大きかったと思う。それまで大森さんのライブで知り合いなんていなくて、他のアーティスト同様、ぼっちで適当に見に行くって感じだったし。反面、あんまりアーティストやファンと距離が近づきすぎると、どこまでコミットしなきゃいけなくなるんだろう、という不安もある。block.fmの前身(というか母体?)のTCYRADIOから派生したTCYOFFの時もそんな感じだったし。結局みんな散り散りになっちゃったけど、TCYOFFのおかげでクラブ仲間が出来たって人は自分含めて多かったので、個人的にはもう一度あんな形でオフが出来れば…と思うんだけど。当時は本気で実行しようと思ってたんだけど、なんかTCYOFFの名前を使うのはいろいろと面倒なことになるとか聞いて、結局うやむやのままやめてしまったし。

その点、より子さんとかはまぁまぁな距離感だと思う。このところ全然ライブ行けてないんだけど、どのみちライブ仲間もいないし、より子さんも基本的に女の子しか覚えない人だから、つかず離れずでちょうどいい感じ。アイドルとかはこの「つかず離れず」が難しい側面があるので、基本的には苦手。アイドリング!!!だけは9年見てて、もうすぐなんで最後まで見届けようとは思ってるけど、それ過ぎたらアイドル自体に興味失うかな…って感じだし。とか言いつつ今はニコ生アイドル番組かなり見てるんですけどね。


5/23-24 GREENROOM FESTIVAL 2015

初日はいきなり怒髪天KEMURIで使い果たして、Caravanめっちゃ混んでたから諦めて会場に寝っ転がって、佐野元春浅井健一Ozomatliとうとうとする。途中で外のマーケットで短パンと長パンが投げ売りみたいな金額で売ってたので買う。薄手の長パンは離島行く時に使えるんだよねー。後半はRickie-G見たい…と思いながらやっぱり混んでるし、スカパラは遠くから見て、Lotus改めて見るとすげー、とか思いながら終了。FPMの時に船乗りたかったなぁ。あとフジロック向けに野鳥の会のブーツ買うつもりだったけど、長考の末に翌日に持ち越すことに。

帰りが行きの3倍めんどい&帰ると次の日行けなくなる、てことでSIB.邸にお世話になる。相当疲れてたのか、起きたら13時…小島麻由美FIRE BALL、すげー見たかった2組を見逃すの確定…会場着いたらPUSHIM姐さんに間に合った。いやワンマンも行くんだけどさ。そしてまたも昼寝。酒も飲めないくらい。Def Techだけ混んでる中頑張ってみた。それから夕飯時に、目の前で始まろうとしていたBAGDAD CAFE THE trench townが意外に空いていたので、一通り盛り上がる。BEGINを流し見しつつ、最強に楽しみだったTHE WAILERSへ。良かった。本当に良かった。ああ、ボブの生声が聴きたかったなぁ。


5/28

親が疲れてたので回転寿司へ。帰りに距離的にあんまり来ないTSUTAYAに寄る。昔は徒歩圏内にあったので、シングル100枚当日レンタル→徹夜でリッピング→翌朝に返す、とかしてたんだけど。そのTSUTAYAがつぶれて(そういえば昔はチケットぴあ並んだのもここだった)、テレビで流しっぱにしてるのがスペシャ及びVMCじゃなくてアイドリング!!!の過去放送になり始めてから、徐々に音楽にうとくなってきた気がする(あとVMCスペシャプラスに改悪したのもどでかい)。

最近ようやく復帰してるけど、基本的にはMTV時々スペシャって感じで、洋楽の比率が高い。もともとCD借りなくなってから、洋楽の輸入盤が安いって理由で普通に買って聴くスタイルになった→必然的に邦楽から離れがちになった、って感じだし。あとは元々「CDはレンタルでもどうにでもなる、ライブはその場でしか聴けない、だから同じ金使うならライブ行く」という主義だったので、フェス通いするようになってからはそっちに依存して、バンドとしては好きなんだけど曲名一致しないのがどんどん増えたり。

ともあれ、10枚2000円で借りるかーと思ってたら、20枚3000円だったので、親がジャズ何枚か借りる…って結局7枚も借りてんじゃねぇかよ。俺の借りる枠が減ったので選ぶ(まぁオーバーしても1枚200円だからこの機会に借りちゃってもよかったっちゃよかったんですが)。結局自分の分で借りたのはこんな感じ。

bjorkSquarepusherprodigy、Aviciiは普通に買ったし…と、邦楽ものとちょっとだけEDM、あと親も聴きたいと言ってきたSam SmithとBruno Mars追加。BABYMETALは借りなくてもよかったんだけどCDショップ大賞ってことでとりあえず抑える。ただONE OK ROCK10-FEETは借りれば良かった。前者は1枚持ってるからって見送っちゃったけど、後者は持ってないんだよなぁ。あと筋肉少女帯の仲直り以降を実は何も持ってないので『四半世紀』借りようと思ったけど、ほぼほぼ『中二病の神ドロシー』1曲のために借りることになるよなぁ…と。これらに加えて親が借りてきた、主に女性ジャズシンガーのアルバムと、沖縄で買ってまだ取り込んでなかったCD群を徹夜でリップ(cainoいつ買ったんだ俺?次回買おうと思ったけどダブるところだった…)。


5/30 第3回東工大オープン&下北沢サウンドクルージング

サンクルがあるから東工大行くのやめようかなと思ったけど、LOCK OUT!に出るにあたってクイズの雰囲気だけ感じとこう、と思って行くことに(書くの忘れたけど越谷オープン行って、ブランクあったとはいえペーパー49/78位とかで一度もボタン点かなかったという散々な思いをしたr)。案の定、理系問題にこてんぱんにされる。通過ボーダーマイナス8点なんていつぶりだろう。ただ6年前(もうそんな経つか…)の自分の大会でも出題した「アルヴィ兄弟」が答えられたのは嬉しかった。大会ってやっとくもんだね。この日は初めて実況やってみる。結果だけ出てる実況に面白味を感じてなかったので、なるべく戦況を書くように…してたらステージをあまり見れてなかった。うーむ。あと2ラウンドでこっくりこっくり。最近朝が4時台とかバカみたいに早くて、その代わり昼寝してしまうという生活なので、14時台とか一番眠いんだよ(そういえばGREENROOMで昼寝してたのもこれくらいの時間だった)。大会としては、よくあのボリュームを6時間半でまとめあげたなぁと。コース別から決勝までかなり濃かったのに実質2時間だし。巻き進行でも急かされてる感じが無かったのは、スタッフの下準備の賜物だと思います。ただ幕間BGMが[?-demandosigno]過ぎるってのはどうにかして欲しかった。system F乱発とか10年前の俺かよ。

で、本当は途中抜けして向かうつもりだったのが、結局最後まで大会にいたので20時着になってしまったサンクル。ブラックDPG見たかったよ大内ライダーさん…。結局見られたのは、カラスは真っ白ホフディラン、the fin、バイク川崎バイク、水曜日のカンパネラ、DJちゃんもも◎(改め天照大ちゃんもも◎&カルロスまーちゃん)の5+1組。少ねぇよ…タイムテーブルかぶりでGalileo Galileiとかavengers in sci-fiとかNATURE DANGER GANGとか、会場距離の関係でゆるめるモ!とか切っちゃったけど、今後他のフェスでも見られそうなので(って言うと結局見られないんだよなぁ)…。個人的にはカラスは真っ白を初めて生で見られたのがすごく良かったです。翌日があるんで終電で帰っちゃったけど、家からの帰り道が寂しかった。普段だと朝になってて酔っ払ってて、けだるーい感じで心地良い疲れで帰るんだけど、今回は後ろ髪惹かれながらだったせいかただただ疲れが先に来てしまった。もっとも朝から動いてたのと微妙に胃が暴れてたので、あれ以上動けたかっていうと疑問だけど(例の地震もReGのトイレの中で感じて、「ろくに寝てなくて空きっ腹にビール入れたから、ついにめまい来たか?」と思ったくらい)。とはいえ例年足を棒にしながらテンションで乗り切るしなぁ。そんな訳で不完全燃焼に終わってしまったのが悔やまれる。来年は絶対前後に予定入れない。


5/31 NHK技研一般公開→工藤ちゃんpresents「僕たち私たち大森靖子さん大好きアーティストです!」

9時にアラームが鳴る。これくらいに起きて二度寝しないと12時半に高円寺とか無理だろ自分、って設定だった。けど目が覚めて、んーこれなら10時に開く技研公開を1時間くらいさっくりと見て、そのまま高円寺直行出来るなー、日曜で最終日だけど朝イチに入ればまぁなんとかなるだろ、と判断して技研へ。

…がっつり2時間半見てしまった。工藤ちゃんさんごめんなさい。しかももうこの時間なら家で飯食った方が食費抑えられるからと思って悠長に家で昼飯食ってから出るとか本当にすいません。しかも電車が新宿に近づくにつれて眠気に襲われ、危うく電車折り返しそうになる…不眠症ともまた違うんでどうにかなりませんかこのサーカディアンリズム

技研公開はひたすら8K推しだったけど、自分としてはハイブリッドキャストの可能性の方が気になった。こっちの方が直近で民生登用が来そうだし、まだフルハイ1080pでも家庭での編集がままならないし(そのためにグラボ強いゲーミングマシン買ったというのにな)、4Kテレビの普及もまだまだだというのにねぇ。ただ8K周りの機材が、前に来た時より大幅にダウンサイジングされてたのが、さすがというか何というか。でも制作とか編集の話を聞くと「そのへんはまだまだ…2020年までもカット編集すら間に合うかどうか…」とかなり弱気だったんで、ほらやっぱりまだそんなレベルなんじゃーんと。

でも、今までは「1年じゃそんなに変わってない」という経験則があったので、たまにしか行ってなかったんだが、東京オリンピック見据えて急ピッチで8Kに力注いでるという印象を受けたので、これから先数年くらいは毎年見に行ってもいいと思う。来年は講演とかも聞きに行こう。なんつったって徒歩5分だし。

ただ一つ気にかかったのは、8Kプロジェクター。たしかにすごいんだけど、大画面映写方式がこういうものに取って代られると、ミニシアターやへき地の映画館の未来はますます暗いなぁと。石垣島に映画館を復活させようとちょっとだけ動いた時期があったり、シネマパニック宮古島のDCP導入募金に寄付もしてた自分からすると、こういう形で弱小映画館が追い込まれるのは嫌だ。映画はシネコンだけのもんじゃない。話聞いてた人は当然技術屋さんなので、こういうものを推進する立場の人なので、そのへん突っ込むとかわされまくったけど。

閑話休題無力無善寺に着くまでに、魅力的な酒場がたくさん。終わったらこういうとこで飲みたいなーとか思ってしまう。そして初めての無力無善寺。なんとなく聖地巡礼の感覚。中は…30人くらいでパンパン?すごいとこだよここ。こんなとこで大森さんやってたのかよ。ピントカもかよ。ここでバンドセット入れたら消防法どころの騒ぎじゃないじゃん、って感じのところ。イベントはひたすらハートフル。一度だけやった音楽イベントが自分の誕生日イベントを8bit cafeでやった程度の自分としては、またなんかやりたいなぁ、と思わされる。自分の動けなさを突きつけられる。映像作家目指して猛勉強して作品も作ってた自分はどこ行ったんだよまったくもう。でもイベント自体は事前に予想していた通り、大森さん好きな皆さんのオフ会みたいな感覚で、終始楽しめた。薬飲んであんまり時間経ってなかったから酒飲めなかったのが痛かったけど。

イベント後は三々五々。集団で帰ってたら、たろまるさんが円盤の場所を見せてくれる。ああここか。最後の実験室、応募したけどはずれたところだ。当時の昔話、ってほんの1年前くらいの話だけど、聞かせてもらった。

「ねぇ知ってる?アンダーグラウンド東京にしか無いんだよ」

大森さんの曲『早とちり』のこのフレーズ、東京テーゼとして生きてきて、でも沖縄離島のシーンとかにここ数年で一気に知り合いが増えた自分としては、ずっと引っかかってた。でも大森さんが歌うアンダーグラウンドは、自分が想像しているものよりはるかに深く潜らないと見つからないのかもしれない―そう思わされた。

帰りに新宿ビックカメラに寄って、ちょっと欲しいけど値段がなーと思ってたGoProの実機と、映像復帰するならどのへん選べばいいんだろう、という意味でビデオカメラをじっくり見て帰る。最後に撮影してた頃はまだminiDVだったんで、メモリ型にどうにも抵抗があるんだけど、やっぱりみんなSDカードバルクで買って持ち歩いたりしてるのかなぁ。

今後の予定

6/5 PUSHIMライブ@Zepp DiverCity

6/6 ニコニコ生放送「LOCK OUT! #12」出場(→ジャイアンナイト?)

6/7 (クイズサークル例会?→)ピエールフェス2015@TOKYO DOME CITY HALL

6/8 病院で旅行中の薬取ってくる

6/9 ねもしゅーせいこ舞台『夏果て幸せの果て』千秋楽

6/10-18 石垣島(14日Tropical Lovers Beach Festa)

6/18-23 宮古島(18,19びらふやー宿泊

6/23-7/1 沖縄本島(27日n択オープン、28日空観日和出演ライブ)

(7/2 Tyonda Braxton?)

(7/3 シナリオアート?)

7/11 Sinker×Thinker 3rd Pitch

7/12 Dorothy Little Happy中野サンプラザ(勢いで取っちゃった…)

7/15 踊るロック@LIQUIDROOM(BRADIO、DJダイノジ他)

(7/20 アフロの変フェス?詳細未発表)

7/23-27 FUJI ROCK FESTIVAL 2015

8/1-2 TOKYO IDOL FESTIVAL 2015

(8/9 THGSかRIJFESのどっちか?)

(8/14 ニューヨーク行きが消えたらSONICMANIA、行くならこの日出発で25帰国

直近では今週の土曜日13時から放送の「LOCK OUT! #12」というのがあります。早押しクイズの番組です。音楽やら映画やらの話の途中で「これ何の話?」って感じのがあったと思うんですが、あんまりおおっぴらにしてない趣味として「クイズ」というのがあるんです。高校や大学の「クイズ研究会」が社会人になってもやってて、テレビ番組で「アタック25」みたいな視聴者参加のクイズ番組が少なくなったから、だったら自分達でやっちゃえっていう感じで「サークル例会」「オープン大会」という文化があるんです。

今度の番組はそういうバックグラウンドから生まれた、ニコニコ生放送の有料番組です。ルールはシンプルな早押しクイズ、ただし全ラウンド共通のルールとして「誤答は即失格」という特徴があります。出る問題はオールジャンルです。学校のお勉強っぽいのもあれば芸能とかスポーツとかも出ます。

有料番組なんですが、6月6日13時から、オンタイムで見て頂ければ、1回戦だけは無料で見られます。1回戦は4組に分かれてやって、自分はどの組に出るかわからないので、13時にいきなり自分が映る、という可能性は1/4ですが。もし自分が1回戦勝っちゃったら、その先は有料になりますが…とりあえずその時間暇だなー空いてるなーって方は、こんな世界もあるんだよって意味で、覗いてみてもらえると嬉しいです。タイムシフトでコメントチェックするんで、大森靖子さん関連、フジロック関連、block.fm関連などのワードを投げてくれると後で俺が喜びます。

http://live.nicovideo.jp/gate/lv222670346

ふー書いた。これ更新1回で収まるか?そもそも最後まで読んでる人いるのか?

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12/31/2013(Tue)

[]年末恒例・2013参戦記録。

ここ数年はここの更新はこの記事+あと1本くらいだったのにねー。年末いろいろありすぎたわ。mixi年賀状で済ませてた年賀状も、今年はとても書ける心境じゃありません。申し訳ないです。といったところで毎年恒例のこれ、行きましょう。

  1. 原則として、有料の前売り券が発生した音楽イベント(ライブ・コンサート・フェスなど)のみのカウントとする。
  2. よって、「事前ディスカウントがあったクラブイベント」「購入特典としてのインストアライブ」「入場券を必要としないフェス」「音楽以外のお笑い、トーク、演劇などが主体のイベント」などはカウントの対象外とする。
  3. 当日券での入場など、当日の判断で参加したイベントは、「前売り券が有料の券面として発生していた場合」はカウントする。
  4. 主にフェスなど、2日以上に渡るイベントに関しては、大抵の場合1日ずつのチケット販売がなされているため、「1日参加ごとに1回」とカウントする。また、1日のうちに2部に分けられるイベント(昼夜2回公演、フェス本編+アフターパーティーなど)は、それぞれにチケットが発生していれば、1回ずつとしてカウントする。

という訳でリスト。

ようやく年間50突破、そして生涯400突破!このペースで行けるのは今年が最後になるかもしれないので、もうちょっと頑張ってれば60行ってたんじゃないかと思うんですが、まぁ悔いはないです。遠征範囲も熊本滋賀など、今まで行ったことのない会場もかなり増えました。サマソニ2日フル参戦を初めて達成したんですが、その後に熱中症だの帯状疱疹だのやっちゃって、全然出られませんでした。しかし、11月下旬から12月にかけて思いっきり稼ぎまくってます。7月がフジロックだけ、8月がサマソニだけ、9月がKenji Jammerとイナズマ、10月はVISIONのハロウィンだけってところに、りんご飴音楽祭があって、42〜45はすべて沖縄、んで46〜56と実に11本を12月だけで行ってます。大体年明けはおとなしい立ち上がりで、後半になるにつれて増えていくってのは例年通りの傾向なんですが、これじゃ年の1/5が12月じゃねぇかって。あとはまぁ前売カウントできるクラブイベントが結構増えてますねー。前売カウント出来てない奴が結構あって、それ含めたら60超えるどころか70届くんじゃないかって勢いなんですが。

大小問わず、それまでも普通よりは広いと思っていた参戦範囲が、より広がる1年でした。GREENROOM FESTIVALやMIYAKO ISLAND ROCK FESTIVALへの初参戦や、MEDIA AMBITION TOKYOやりんご飴音楽祭(これは衝撃的だった…)などの斬新なイベントに、旅行先で飛び込んでみたKenji Jammerやtricot/空観日和/The Sheepなど、本当に様々な音楽におぼれた1年でした。

来年も、音楽の現場には、可能な限り出たいと思います。年明け2日からいきなりTMR、6日にはMODESTEPです。来年は年明けから早い動きだしになりそうです!あんまりタイプしてる時間も無いので、これから今年最後の参戦、ageHa COUNTDOWNの準備してきます!

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12/27/2013(Fri)

[]Viva La Vida.

生きていくことの難しさを語ったエントリをアップした、2日後。

より突き刺さる形で、その難しさを直面することになった。


12月18日夜遅くに自室に戻ると、twitterでDMが来ているのに気づく。「突然ですけどメールアドレス教えてもらえませんか?」んー何があったんだろ、どしたー?といった感じで、メールアドレスを教えたら、そのメールアドレスに届いた内容に目を疑った。

友人の訃報だった。


11歳の時にとあるクイズ番組に共演したのが、そいつとの出会いだった。(昔からのクイズファンの方なら、この書き方だけで誰のことなのかわかるかもしれない)話進めていくうちに、同い年にしてはお互いひねくれた趣味を持っていて、変にベクトルが合っていやがる。しかもお互いの家まで2駅。そんな偶然が重なって、自分にとっては学外で出来た、初めての友人となった。インターナショナルスクールの外の世界を知る手段が無かった自分にとって、実に貴重な存在だった。

学友との縁を切っていた自分にとって、以来そいつは、現在に至るまで、最も古い付き合いの友人となった。年齢を重ねるにつれ、会う頻度も減り、しまいには年に1回程度しか会う機会がなくなっても、まぁ家も近いし、時間があれば会おうと思えば会えるし、互いに対して心配することもなく、このまま爺さんになるまでもこんな感じなんだろうなーと思っていた。

人間、本当の意味での「親友」というのは、一人いれば幸せな方なのだと思う。向こうがどう思っていたか、今はもう知る由も無いが、少なくとも自分にとっては、あいつはそんな、唯一無二の「親友」と呼べる存在であった。


メールの送り主はC氏という、その友人と恋仲にあった女性だった。自分も10年ほど前から、何度か顔は見かけていた。twitter上での付き合いがあったり、30歳の誕生日パーティをやった時には、2人で顔を出してくれたりもした。メールでの説明曰く、「死因は突然死。しかし直接的な原因になるような、脳や血管の異常、及び薬物検出は一切無かった」「御家族との話の間で自分の名前が上がり、知らせなければと思った」それから通夜・葬儀の案内が書いてあった。

正直、気が動転していた。なんとかご家族の方に連絡が取れないか、C氏に返信していた。メールの返信を待つ間、前述のクイズ番組で知り合った人間に、深夜近くであることを承知で電話をかけ、あまりに突然過ぎる訃報と、葬儀の詳細などを伝えた。ようやく遅くになり、友人のお母様と連絡がついた。最も辛い立場にいるはずのお母様は、親身になって詳細を伝えて下さった。

「かくも生きるのは難しい。本当に難しい。」―自分のエントリへの返信の意味もこめて、ネット上でこうつぶやいたのは、この日の深夜3:34のことだった。


12月19日。昼過ぎに目が覚めたと思う。夕方にお母様から電話がかかってきた。やはり確固たる原因は見つからず、「緊急心停止の疑い」とのこと。遺体は家に帰ってきたということで、一も二も無く、訪ねさせて頂くことにした。C氏にもその旨メールをした。

前日に続く、寒い大雨の夜だった。小さい頃はよく遊びに行ったご実家、道はよく覚えていた。そこには変わり果てた…というにはあまりにもそのままな、ただ寝ているだけなんじゃないかという、そいつの姿があった。随分と久しぶりにお会いするご家族の皆様の表情は柔らかい。司法解剖の結果、やはり一切の異常因子は見られず、「緊急心停止の疑い」とのことだった。少しずつ話をしていくうちに、ついに実感がわいてきたのか…自分の父の死でも泣かなかったというのに、十数年ぶりに、目から涙がこぼれ始めた。

最後に会ったのは、沖縄である。1年近く会っていなかったのに、沖縄で会うのも初めてだった。偶然向こうは出張で、飛行機が出るまでに3時間ほど時間が取れた。一方自分は12日間の滞在の始まりだった。沖縄石垣に行くことはよくあったが、自分と違って家族旅行や出張だったため、街のことはよく知らなかったようで、商店街から桜坂や浮島通りなどの裏道案内をしたり、土産に肉を大量に買うのに付き合ったりした。それからわずか3週間余りのことである。あの時と、大して顔は変わらなかった。変な話だが…「よく間に合った」そう思った。

程無くして、C氏と、中高大と同じであったというA氏という友人の方がいらっしゃった。しばらくして、遺体を囲み、3人でいろんなことを話した。C氏やA氏などは、仲間内の集まりなどがあったものの、自分はほぼ常に、この男とは1対1での付き合いだった。それだけに、この男の周囲に様々なつながりがあったことなど、何も知らなかった。そう考えると、ご家族とC氏の口から、よく自分の名前が上がり、連絡がついたものだ。C氏が自分にコンタクト出来なければ、自分はこのことをずっと知らないままだったかもしれなかった訳である。

ご実家を出る頃には、もう22時近くになっていた。時折、目が潤むことはあっても、さんざん話をするにつれて、若干ながら気は晴れていた。「明日、ライブとオールの予定だったんだけど、不謹慎かなぁ」「止めるような奴じゃないと思うよ」「だよなぁ、好き勝手されてきたんだから、好き勝手させてもらうわ」そんなことを言いながら、家路についた。


12月20日。Zepp DiverCity Tokyoに、KEMURIBiS対バンライブに向かっていた。ただ、行きのバス停で、いきなり泣きそうになったのは参った。途中までは前日の道のりを辿っていた訳で、それがいちいちフラッシュバックしてきたのだ。大幅に遅刻してライブ会場に着いて、BiSは2曲しか聴けなかったが、KEMURIは3列目くらいで見ていた。『One Life, No Regret』『Birthday』『Ato-Ichinen』そんな曲名が耳に入るだけで、いちいち涙がこみあげてきて、参った。ライブの前後、名も知らぬKEMURIファンの集団に混ざって話をしていた。「声」が必要だった自分には、そんな時間が実に嬉しかった。

モッシュですでにボロボロになった体を引きずりながら、新木場へ、ROAD TO ULTRA TOKYO。Above & Beyond来日ということでやってきた。名曲『Can't Sleep』泣かせるトランス。大学時代あたりでどっぷりだったトランスの音色に、またも涙腺が緩んだ。飲まなきゃやってられない…といったところで、普段の仲間とは違うDJと知り合って、何故かさんざん酒を奢ってもらった。かなり強めのショットを連続で流し込んだ。普段だったらこの程度ではさして問題は無いのだが…帰宅してからほぼ全てを戻してしまった。


12月21日。ようやく眠りについたのは、昼も近い11:30頃。しかし13時に起こされた。この日はとあるイベントのための会議があり、この日しか取れなかったのだ。オール明けになるよ、とは伝えていたものの、まさかここまで憔悴しきった状態になるとは思ってもいなかった。

会議を無事にこなしてから、通夜のために出かけるギリギリまで、体を休めていた…ら、途中で血便が出た。友人が突然死を経験しているというのに、自分が不養生なんてまずいだろ。そのうち、ギリギリを過ぎてしまい、慌てて出かけると、3連休の始まりのせいか、バスもタクシーも全然来ない。ようやく来たバスで駅に着いたらもう通夜の始まる18時。本来なら真っ先に来なければならないのに…結局30分以上遅れて到着。祭壇が組まれ、遺影まで掲げられているのを見て、内心ではまだ、「ドッキリなんじゃねーの?人集めたかっただけだろー」とか思っていました。しかし、いざ焼香となると、やはり平静を保つのは難しく…。

清め所に降りると、12年間音信不通で、今回ようやく連絡がついた、かつての知人と再会出来た。また、かろうじて知っている数少ない彼の友人達とも話し合ったりしていた。葬儀場を出るのに最後まで粘っていたりして、帰る前に棺の中の顔を見てみると、真っ先に浮かんだ言葉は一つだった。

「ふざけんなよ…」

行ってしまう兆候なんて微塵も無かっただけに、自分だって驚いてるだろう。それにしたって、何故お前が先なんだ。何故恋人を残して去った。何故仲間を残して去った。俺なんかよりお前を惜しむ人間は多かったはずだ。何より俺はどうすればいいんだ。わりと本気で、この体があるうちに、一発引っ叩いてやりたい、とまで思った。

帰宅後、どうしようもなく眠かった。葬儀場で軽食は出たものの、当然ろくに入るはずもなく。少し胃にやさしいものを摂ってから、眠りについた。


12月22日。日が変わる前に寝たはずなのに、目が覚めると、まだ午前4時にもなっていない。なんなんだ。結局それから眠れないまま、葬儀へ。店の営業前なので、母も同行してもらった。焼香や献花などを行った気がするが、細かいところは覚えていない。ろくに眠れなかったことや、もはや形式的な儀式に疲れていたのもあったか、涙の代わりにただただ深いため息を何度もついていた。この段になると、今日に至るまで取り乱すことが多かったC氏の心配をしており、とりあえず目を離さないようにしていた。

火葬場で泣き崩れながらも、休憩室でとっととビールを開け始めるA氏をはじめとした友人席で、またもよもやま話モードに戻る。いい加減「一杯だけ」が一杯でなくなるのをどうにか…と言っているうちに、1時間ほどで火葬が終わり、納骨。戻りのバスで、結局、どっちがお互いのことを振り回してたんだろうなぁ…と思いながら、ついに眠気に負けてしまったようで、気がついたら葬儀場の近くまで戻っていた。初七日法要も済ませ、食事が出て献杯、となったところで、トイレに駆け込んだ。これで全て済んだのか…という実感が直撃し、誰にも見られないところで、慟哭。しばらくして、会食と会話。

結局、葬儀場から最後に去ったのは、ご家族と最後まで語っていた、C氏、A氏、自分と、自分が呼んだ人間の中で唯一火葬場まで付き添ったE氏の4人だった。もうすっかり夕方。葬儀場から家までも2駅だったので、一旦帰ることも考えたが、そのままもともと予定にあった参宮橋に向かうことにした。ただ、一人で離れる気分にもなれなかったので、一旦新宿まで出て、3人を見送ってから戻ることにした。C氏の肩に手をおいて声をかけ続けたことは覚えている。

参宮橋に着くと、クイズ大会の決勝だった。本来なら、この日の大会で9ヶ月ぶりのクイズ復帰をする予定だったのだが、気分的なものか、それともブランクの間に考えが変わったか、決勝を見ているだけで、お腹一杯になった気分だった。しかし、久しぶりに会いたかった人達もいたので、懇親会には参加。自分には珍しく、ウーロン茶のみで通していた。その後、前のこととは関係なく、クイズについてのスタンスをどうすればいいかなど、クイズ側での知人のN氏に、遅くまでコーヒー1杯で付き合ってもらう。

そのまま渋谷へ。2日ぶり2回目のageHaへ。心身ともに限界だったが、全身が音楽で満ちていく感覚に、なんとなく晴れやかになっていた。さすがにもう酒は飲めないと、初めてageHaミネラルウォーター1本だけで通したが。クラブ仲間とも顔を合わせ、朝になって一緒につけ麺を食べに行ったりして、なんとなく、全てから解放された気分になれた。帰りの電車で2人になったクラブ仲間の1人にだけ、そこまでの経緯を打ち明けたところ、「クラブに行ってすっきりした?」と問われ、心から「すっきりした」と答えられた。


12月23日。この日はライブだったが、当然もう体は限界。3日ぶりに熟睡した。目が覚めて、夕飯を食べて、起きているといろいろ考えてしまい、程無くして眠りについた。


12月24日。そういえばクリスマスイブだった。この日は母に親孝行をするために、Billboard Live TokyoでStylisticsのライブを予約していたんだった。ライブ自体は楽しめたが、まだ体が本調子ではなかったか、帰ったら自分でも気づかないうちに眠っていた。


12月25日。昼間から渋谷に出てライブ。その後、クリスマス礼拝でもやっていないか教会を探すも、ほとんどが午前中で終わっている。仕方が無いので、一人カフェに入ってケーキを食べ、イルミネーションを見に表参道まで歩いたら、表参道ヒルズでデザインフェアをやっており、学生時代の感性が蘇える…と同時に、過去1週間の出来事と相まって頭がオーバーフローを起こし、その場を去る。渋谷に戻り、知人の店に初めて立ち寄り、失いかけていたクリスマスムードを取り戻したり、アミューズメントカジノブラックジャックを打ってみたり、知人の働く沖縄居酒屋に時間オーバーしているのに寄ったりして、気がつけば終電で帰る。


12月26日。一日中寝る。録画の消費をしながらも、起きていると何とも言えない感情のフラッシュバックの繰り返し。食っちゃ寝しか出来ない自分に嫌悪感を抱きつつ、今は休むしかないと自分に言い聞かせる。


12月27日。朝のまともな時間に目が覚めて、ようやくこのエントリの執筆に取り掛かる。書いて落ち着くかと思いきや、途中で感情の起伏が生じ、昼食を挟んで5時間もかかってしまった。ここまで読んでいる人、まだいるんだろうか。



この歳の野郎同士がそんなにべたべたする訳もなく、互いに我関せずと生きてきて、たまに元気にやっているのが確認出来ればいいや、という程度にやってきた関係で、このままずっとそれが続いていくんだろう、と思っていたのに…今では奴のことが頭から離れず。そういった意味でも、どうしてくれるんだまったく、と思ってしまう訳で。さらにいえば、命日となった12月18日は、6年前に自分の父が他界した日。向こうで探し当てられるだろうか。早くないか、と言われながら、会えてないだろうか。奇しくも墓地まで一緒だという。墓参りの時の立ち寄り先が、1ヶ所増えることになった。

父が亡くなった時は、もう自分は死ねないな、と思った。今回のことで、また一つ死ねない理由が増えてしまった。突然死となると、あらゆる要因について、ナーバスにならざるを得ない。オールだの何だのしまくって、言えた義理じゃないが。

ただ、ここ1週間で会った人達に、普通に笑顔で接していた中で、こんなことを抱えていたのだ、という説明がしたかった。それから、この期間に関わった全ての人に感謝しなくてはならない、という思いも強かった。水曜の夜からずっと、ソーシャルメディアへの投稿を自粛していましたが、このエントリを以て、復帰致します。文章にしたからといって、終わりだとは思っていません。どこかで区切りをつけなければいけないと思いながらも、この出来事を「過去」としてはいけない。

だから、どこで終わらせていいかわからない、微妙に歯切れの悪いけりのつけ方ですが、この一文で締めくくろうかと思います。

Viva la vida.

彼に訪れなかった明日を、自分が、自分達が、代わりに歩んでいく。

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12/16/2013(Mon)

[]生きていくって難しい。

いやー、難しいですね。いろいろと。

11月のはじめ頃、ある仕事に応募をしていました。報道関係の制作会社です。

これまで、正攻法で就職・転職活動をしようとしても、うまく行った試しがなく、大概ずっと紹介だったり何だったりで、フリーランスとして生計を立ててきました。ところが、通信社でのインターン時代、テレビニュースの生放送の経験があったので、その経歴が引っかかったのか、珍しく「話がしたい」という返答でした。面談なども含め、これまで無かったような、ちょっとした好感触がありました。

およそ1ヵ月半が経ち、いわゆる「お祈りメール」が届きました。新卒ではないので、厳密にはお祈りでも何でも無いんですけど。


決まっていれば、来年春から、ニューヨーク在住になるところでした。


応募するにも、話を進めるにも、心の準備が出来ないまま、進んでいきました。今の生活を捨ててまで行くべきなのか。日本での生活はただでさえ孤独で苦しいけれど、まだ掘れば面白いところがたくさんある。それらから遠ざかることは、果たして出来るのだろうか。しかしそういった考えから、プロセスが進むにあたり、渡米にあたってどう準備すればいいか、生活設計はどうするか、そんなことまで意識する程度には、徐々に腹は決まっていました。

また、こんな時にこれでもかと、自分の好きな音楽で、いろいろな区切りがありました。クイズにしてももうすでに、プレイヤーとしては事実上休止状態。フェスは時期的なものだからどうしようもないとしても、旅行は渡米までにケリをつければいいし、数年くらい日本を離れたところで、あるいは永続的に向こうにいることになったところで、自分が好きになった風景は、そう大して変わらないだろう。本当に、年内に全ての決着がつきそうなところでした。12月頃からは、いろんな用事に一つ一つ出かける度に、「これが最後かもしれない」ということを意識しながら、ひたすらアクティブに動いていました。

その反面、過度に期待はしないよう、自分に言い聞かせてました。話が頓挫した時のショックが、あまりにも大きいだろうから。だけど、応募するに段階から、ある程度の覚悟が必要な事項でした。全く期待をするな、という方が無理な話でした。

メールを確認して、不思議と、ふっきれました。同時に、ずっとニューヨークでの生活を想像していただけに、はっきりとわかりました。


もう一度、ニューヨークにチャレンジしてみたい。


自分の中でこれほどまでに、ニューヨークへの憧憬が強かったことを、わかっていませんでした。いや、かつての自分にはあった熱が、形を変えて再燃した、といった方が正しいでしょうか。3年前に中学の同窓会から帰ってきた時に、「3年以内にチャレンジしなかったら、渡米はすっぱりと諦める」と書いたんですが、よもやこんな形でチャンスが来るなんて思いもしなかったもんで、もう一度だけアタックしてみようかな、と。

年内はもうふっきれて、遊び倒します。というか、どのみちそのつもりでした。年が明けたら、今までペンディングにしていた、翻訳会社や制作会社への登録・売り込み、春先に開講するであろう映画字幕講座への入学、そしてもう一度「最後」を意識した整理をするための旅行と、夏フェス参戦。それらが全て済む頃には秋になっているはず。

そんな秋を迎える頃に、ニューヨークで生活してみたいと思います。旅行ビザで滞在出来る日数は90日。最低でも30日は、ニューヨークで自活してみるつもりです。もっと早く行けばいいじゃないか、という意見もあると思います。実際、30日だったら、4月くらいにタイミングが出来るかもしれません。ただ、字幕講座が半年間あることと、もう少し時間が出来たことを踏まえると、これくらいの時期になると思います。それまではフリーとして仕事をしつつ、貯金を切り崩しつつ、スキルアップの期間にするつもりです。

向こうにいる間、街の空気を全身で吸い込んで、あわよくば、現地採用のチャンスをつかむ。運良く、就労ビザのスポンサーをしてくれる(ここ重要)仕事、願わくば映像の現場に近い仕事がつかめれば…雇用条件やビザの問題はありますが、少なくとも地球の裏側の東京にいるよりは、おおいにチャンスがあるでしょう。もし空振りに終わったとしても、その30日、ないし90日は、一生の経験になるはずですし、そこでダメだったら、諦めもつくでしょう。


「来年からアメリカかもしれない」このことは、今まであまり多くの人には伝えていませんでした。理由は単純で、決まらなかったら撤回するのが面倒だし寒かったからです。伝えていた人間は、ごくごく一部を除いて、当たり障りのない方々でした。言葉にすると失礼な書き方ですが、別に伝えた人・伝えなかった人を、いずれも軽視していた訳ではありません。直近で影響が出そうだったり、あるいは単にそんな場に居合わせたり、そんな理由です。もしも決まっていたら、一斉に発表するつもりでした(ここで本当に近しい人間に一歩先に連絡するかどうするか…とか迷ってたりもしてたんですが)。

長くなりましたが、ざっくり要約してしまうと、「皆さんにとっては大して変わらないことになったけど、自分にとっては軽い転機になりました。今後ともよろしくね」ということで。

しかし、そう簡単には行きませんね、やっぱ。

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03/28/2013(Thu)

[]未来へ。

2013年3月24日19時40分。abc the 11th / EQIDEN2013終了宣言。

「やっと自由になった」―その瞬間、気がつけば、その場に崩れ落ちていた。


2004年、secondが開催される前からすでに、「参加資格を失ったら松が音響をやる」という感覚は、参加者・スタッフ共に感じていた。事実、当時の3分×4セット制タイムレースのBGMは、参加者時代にすでに作り上げており、今では定番になった2Rの「1人抜けごとに曲が進んでいく」「最後のリーチでストップをかける」などは、大会を終えて2ヶ月もかからずに決まっていた。

そして「音響」として迎えたthird。この時、音響班などというものはなく、たった1人で音出しからミキサー操作、さらには体力のかかる搬入や設営指示まで、全てをこなしていた。実際に用意した音は、secondまでと比べたら明らかに緊張感の高い設定で、abcの2Rが終わった時、背筋に寒気を感じた。「…俺、やり過ぎた?これから先、固くなっていく一方だぞ…」それが、その時の率直な感想だった。だが、年を重ねるにつれて、ルールや演出の変更などで曲の変更があったものの、徐々に浸透していき、定番化していった。


そうして音響を務めて、9年。後継者が一向に定着せず、何年も頭を抱えながらこなしてきた音響班も、ようやく後継者が固まりつつあった。だが―

年末の日記に書いた通り、夏頃から、明らかに心身ともに、何かがおかしくなっていた。具体的にどうだったか、ということは年末に書いたので詳しくは書かないが、「生死の狭間」というものは、何も難病を抱えたり、そういったことだけで来るものではない。自分の体、特に神経に関わる部分は、自分が思うより制御できる範囲に限界がある、ということを、身をもって痛感した。

音響という仕事は、音を用意して、当日持って行って、曲をかければそれでいい、という訳もなく、当然のごとく、事前準備や、他のスタッフとの連携が重要な訳で。自分の心身が限界を迎えていようとも、目の前の仕事を、寝ている間に妖精さんが解決してもらえる訳でもなく。

もちろん、他のスタッフが楽をしていた、なんてことは全くない。毎年心がけているが、今年は本当の意味で、この身が尽き果てようと、やり遂げるつもりだった。とにかく大会が終わるまでは、この心身を絶やさぬように。その先に、「自由」が待っていることを、信じて。

出発の朝。walkmanの中でかかっていたのは、より子さんの『あい』だった。「あなたの心が砕けそうになっても 私が抱きしめているから」―そんな人間が自分にいるのか、そんな人間に自分はなれているのか。


EQIDENでは、勝ち負けを問わず、真の意味での「絆」を見せてもらえた。abcでは、「黄金世代」の好きにはさせないといわんばかりの3年以下の躍進と、自分が参加者だった頃のラストイヤーの席巻にまで手をかけて、それを果たせなかった者達の無念を見て、揺さぶられた。(余談だが、secondのラストイヤー、2R通過者は17人。今年は後から数えたら、15人だった。自分達の世代を超える数字を出してくるなら今年の世代だろうと思っていて、密かに期待をしていた。しかし、時代背景を考えれば、本当に誇るべき数字だと思う。)

そして―abcの決勝前。機材がセルフプロデュースと決勝の準備のため、空いているのはCDデッキのみ。この時間になるとみんな疲れているから、ゆっくりめのアルバムを―CDブックを見ている中で、1枚のCDが目に入った。前日、休憩用BGMとして自分のCDラックから、別のCDを探しているうちに、偶然目に入って、持参していったCD。

YEN TOWN BAND『MONTAGE』

そういえば、今日は日曜日…セットリストの外で、自分がこの席でかける曲は、おそらくこれが最後になるだろう。静かに、1曲目の『Sunday Park』をかけた。

D


大会が終わり、数日が経った。何か文をしたためなければ、と思いながら、今も打った文を消して、書き直して、の繰り返し。相変わらず昼夜逆転は続いてるものの、数ヵ月間に渡って苛まれていた頭痛と吐き気が、嘘のようにひいていった。ただ、胸に大きな穴が空き、それを埋めるものはどこにもなく、そこはかとない孤独感に苛まれている。自ら望んだ結果について、「これからどうしよう…」という想いがやってきて、また消えていく。そんな日々の繰り返しである。


来年、10年目の音響班。結局、まだ仕事は終わっていない。自分はおそらく、最後の引き継ぎのために、次期チーフの隣に座っているのだろう。そしてそれが、いろんなことがあっても、自分をあの席に座らせてくれた、仕事と称して、自分が考える最高のセットリストをかけ、すべての試合を特等席で見せてもらえるのに付き合ってくれた、参加者、スタッフ、そして先代の音響チーフの某氏を含めた音響班メンバーへの、最後の、今度こそ本当の意味での「最後」の、感謝の表明になることを…

願う。

syurisyeri_kirisyurisyeri_kiri 2013/04/10 23:49 朽ち果てそうにないじゃない。良かったわ。いずれあいまみえようぞ。

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