その26 何が本当に面白いのか判らなくなった時に読む本。

 節はずれの連休、家にこもって映画のDVDばかり観ていました。そんなときふと「傑作」って何だろうという疑問が浮んだので、それについてちょっと書いてみます。

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 傑作があると人から聞いて、どんなもんじゃいと感性をむき出しにして触れてみたはいいものの、がっかりした経験というのは、大人になるほど増えていく気がする。そうして、段々と他人のいうことを簡単に信じなくなり、誰かが近くで激しく押していても「ああ、気にしときます」くらいで上手に受け流す技を身につけている自分に気づく。こうなったらもう「傑作」には騙されない。

 だって、傑作がそんなにいいのなら、それに触れる人なんて誰だっていいって事になりはしないだろうか。傑作はいいから、私は、自分だけに語りかけてくれる作品がほしい。こういうワガママな気持になることがある。でもじつはそんなとき、作品と、それを受けとる人の二人だけでは足りない。作品はずっと変わらなくても、私が変わってしまうかもしれないからだ。人と作品を結ぶ秘密の通路があって、はじめて人と作品は、揺るぎない関係になるのだと思う。

 私にとって、山田宏一の『トリュフォー、ある映画的人生』という本はそんな「秘密の通路」を作ってくれた特別な本である。フランソワ・トリュフォーといえば、ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれるフランス映画の新しい傾向を作った代表的映画監督の一人で、作品には、いつの時代もウラ若き乙女に支持されそうな洒落っ気が溢れている。一方で、彼の映画が語らなかった部分の大きさゆえに「旧態依然のブルジョワ的映画」(ゴダール)といった批難を浴びる作家でもある。

 渋谷のユーロスペースという映画館で大学生の頃、はじめて彼の「大人は判ってくれない」という映画を見た。ラストは格好良かったが、途中で寝た。少しあと、家でビデオを借りて「突然炎のように」という映画も見た。こっちのほうが面白かった。でも、それから全作品を見ようとか、そんな気になるほど感動はしなかった。

 しかし、勤め人になってこの『トリュフォー、ある映画的人生』に出会ってから、トリュフォー映画に対するイメージが変わりはじめた。そして「変更」は今もゆっくり続いている。この本に出会い、何度か読み返しながら彼の映画を見るたび、少しずつ作品が心に触れる場所が広がっていくのが面白い。

 この伝記は、トリュフォー監督が亡くなったときに友人たちが彼の死を悼んで読み上げる弔辞のシーンで始まる。ここを読むたび、トリュフォーに対する友人の視線が自分に組み込まれていくような錯覚に陥る。そうして、少しずつではあるものの、彼の作品の不完全さやこだわりへの共感が近づいてくる。

「映画はつくる側と見る側の双方からつくられるというのがフランソワの考えでした。プロの映画人が一方的につくるのではなく、素人の観客も映画づくりに加わることができるような、そういう共感と共謀にもとづく映画のつくりかたこそ大切なのだと考えていたのです」(クロード・ド・ジヴレー、友人。トリュフォ―映画の脚本執筆、助監督などをつとめた)

「頭を働かせること、屈しないこと、人を笑わせること、軽やかにふるまうこと、そういったすべてのことを、わたしたちはきみから学んだ。きみは深みのあることをさりげなく言う術を心得ている希有な知性の持ち主だった」
(セルジュ・ルソー、友人。俳優としてデビューし、のちにトリュフォー映画の配役主任をつとめた)

 二人の弔辞は、監督への呼びかけであると同時に作品の解説にもなっている。これはトリュフォー作品と、実人生との距離の近さの表れだと思う。だから作り手の言葉を目にすると、映画のなかのカットひとつひとつが、そのまま監督の言葉のように見えてくる。その「言葉」、トリュフォーのメッセージは明快だ。

「敬愛するジャン・ポール・サルトルの言葉を引用しつつ、彼(トリュフォー)はいつも言っていたものです――
自分をこの世に必要不可欠の存在であると信じて疑わない人間はみんな人でなしだ」

 ちょうど社会人になって間もなく、自らを恐ろしい役立たずではないかと怖れ始めていた頃に私はこの言葉に出会い、自分はどこか傲慢だったのではないかと反省した。また同時に、必要不可欠なものを求めているかぎり、トリュフォーの映画は永遠に判らないだろう、ということにも気づいた。そして、これから先「おまえは役に立たない」とか「おまえは馬鹿だ」というメッセージを受けとったとき、トリュフォーの映画がいつも私の友人になってくれる。そのことに気づいてから、彼の映画は「傑作」でなくてもいいのだと思えるようになった。

 そもそも、作品だけを見て何かを判断するのは難しいし、不完全でもある。支持した人数や技術的側面からの批評といった客観的評価や、「泣けた」「笑えた」といった感覚的評価ではない、作品の歴史や背景、案内人が伝える「道のり」が生む独特な価値というものがある。私がこの本から学んだのはそういうことだった。自分の「面白さ」の評価軸がわからなくなった時に、一読をおすすめしたい本です。(波)

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