その58 僕らの夏の宿題。
開高健は作家生活の長いわりに小説が少ない。大阪大学では文芸部に籍を置き短編に取り組んでいたというし、デビュー作となった『裸の王様』の出版は開高28歳のことだが、58歳で亡くなるまでの30年間に書かれた氏の小説を、いくつ挙げることができるだろうか。いわゆる本好きだけでなく、一般の人にまで名を知られた作家としては、異様に少ないのではないかと思う。
そんな氏の小説で最高峰とされるのが、この本である。
- 作者: 開高健
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1983/05
- メディア: 文庫
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四十男が異国でダラダラしているだけの話である。蕩けるように眠り、愛人とのセックスにふけり、うまいものを貪り、魚釣りに勤しむ。行動しないから、ドラマもない。人が本を選ぶのではなく、本が人を選ぶというのはその通りで、何かができると思っていた、何かになれると信じていた、幼い自分が理解できなかったのは当然である。
この物語は、全てにおいて当事者になれない人間の末路を描いたものである。
私にわかるのは愛、憎しみ、嫌悪、侮蔑、共感、恐怖などの、どれも私にないことだった。そのうちのどれも、ひとかけらとしてなかった。
どんなに激しい戦場に赴いたところで、自分が戦うことはない。愛人と体を交わらせながらも、精神の結びつきはない。食べるための仕事に追われることはないし、高度成長という物語を愉しむ日本は遠く離れている。執筆当時の世界でもっとも重要な問題と考えられていた東西対立にしたところで、縁がない。主人公は東西に分断されたベルリンを回る環状線に乗って語る。
乗ったままでいると、電車はいつまでも市の上空を旋回しつづけた。…頑固に、勤勉に、正確に、止まったり、かけぬけたりするが、同じことだった。入ってきて、人生と叫び、出ていって、死と叫んだ。…”あちら”も、”こちら”も、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。
そんな人間にできるのは、対象を見ることだけだ。相手の服を破り、肌を剥ぎ、何も残らないところまで抉ったものを言葉に変え、自らの脳にため込むほど、自分との境目はすり切れ、存在は溶けてゆき、人格は剥がれ落ちる。最後に待っているのは、この世界に眼と脳があるだけの、空虚だ。
似たような作品なら、書店にもネットにも氾濫しているかもしれない。ただ、開高健はそれを40年前に書いた。そして日本語の力を最大限活かした言葉で書いた。
究極の言葉を用いて描くものが「空」、これほど反文学的な行為はない。だからこそ、この作品は歴史に残ったのだし、その過激さに耐えかねて開高健は小説が書けなくなったのではないだろうか。
当時は鋭敏だった文学者にしかわからなかった空虚さは、現代において大きく広がった。当事者なんてどこにもいなくなった。その辛さに耐えられない者が、不思議な事件を起こしている。僕らが今やらなければならないのは、夏の一番暑いときに、ゾッとするような「空」を見つめることだ。(藪)