その142 部屋に植物を置かない人にすすめる一冊。

 年の春に同じ町内で引っ越しをして、バオバブをひとつ買った。どことなくドラクエに出てくるマンドラゴラを思い出させるずんぐりむっくりした太い幹に似合わない小こい枝が幾つもついている。

 鉢植えは買っても、切り花は買ったことがない。この差はなんだろうと思っていたら、先日読書をしているとき、花は虫に受粉させるために存在するのだと知った。だから切り花を飾るのは、ステキな振る舞いだとは思うけれども、なんとなく自然に反する行為に思えてしまう。
 そんな思念を生んだ本の名は、ローワン・ジェイコブセンというジャーナリストが書いたミツバチについてのレポート『ハチはなぜ大量死したのか』である。書名だけ見ても、それがどうしたのかと思った。ハチの生き死にと私の人生に関係などないような気がした。私がこの本を読んだきっかけは作家の貴志祐介氏が薦めていたからだ。氏は以前に14歳に向けたブックガイドでリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を強く推薦していて、それをきっかけに私も同書を読み、強い感銘を受けたというか、人間観を覆された。だから氏の推薦するノンフィクションだったら間違いないと思って読んだ。解説が福岡伸一氏というのも自分の好みに合っている。

ハチはなぜ大量死したのか (文春文庫)

ハチはなぜ大量死したのか (文春文庫)

 この本の原題は"Fruitless Fall"(『実りなき秋』)で、レイチェル・カーソンの"Silent Spring"(『沈黙の春』)をもじったタイトルになっている。この本はハチについての報告にとどまらず、カーソンの本と同様に私たちの食物生産に対する企業努力は間違っているのではないかという問題提起と、自然への理解、敬意を促す主張がある。
 ハチは受粉昆虫である。この基本的な事実を私は全然わかっていなかった。せいぜい花の蜜を吸ってそれをお尻にためこんで、集めたものをプーさんがなめつくす、というイメージしか持っていなかった。ハチが大量に死ぬと、ハチに受粉を媒介してもらっているアーモンドやリンゴやトマトやブルーベリーも繁殖できない。ハチが死んでも果実の収穫量を変えたくない場合は、誰かがその代わりをしなくてはならない。この本によると、大量の殺虫剤を撒いた中国の四川省では梨を収穫するために数千人の労働者が駆り出されているそうだ。
 2006年の秋から2007の春までに、北半球から4分の1のハチが消えた。巣に帰らず死んでしまったらしいのだ。この「事件」の犯人を探し求める形で記述は進む。容疑者は沢山いる。イスラエル急性麻痺病ウイルス、真菌によるノゼマ病、ミツバチヘギイタダニ、ネオニコチノイド系農薬、などなど。
 誰が犯人か、ということも大事だが、そもそも犯人を捜すうちにミツバチがかわいそうになってくる。ヤンキーだらけの学校でいじめっ子を捜しているような果てしなさというか、もはや問題は個々の不良ではないだろうという気がしてくる。

 数週間ごとに新しいところに連れていかれ、糖度の高いコーンシロップで気合いを入れられ、殺ダニ剤と抗生剤を投与され、寄生虫に襲われ、外来種の病原菌にさらされて、どんどんぼろぼろになっていった。私たちと同じように、ミツバチもストレス要因の一つや二つは振り払うことができる。ダニがいたり、食事がほとんどとれなかった日などがあっても、何とかしのいで正常な暮らしが営める。けれども、ストレス要因が累積し、それがずっと低く鳴りつづける太鼓のとどろきとなって毎日毎日襲ってくると、被害は、免疫系の抑制、生殖作用の抑止、寿命の短縮、正常なコロニーの発展の阻害という形をとって次々と現れだす。そして、崖っぷちまで追い詰められたミツバチは、最後のストレス要因い一押しされて転落死してしまうわけだ。

 この記述を読んで、私は他人事ではないなと思った。ミツバチというより人間の都市生活について書いてあるような気さえする。アスピリン抗生物質なしに風邪から立ち直ることの面倒くささとか、田舎暮らしの治安の悪さとか、ミツバチと自分の環境に似ているところがありすぎて怖い。工業生産ありきの時代とどう折り合いをつけるべきか、というのがこの本の大きなテーマだと思う。
 まあそんな壮大な話はさておき、読んでみて、ハチミツを買うときには産地にかなり注意しようと思った(特に中国産)。それからネオニコチノイド系農薬の引き起こすミツバチの神経障害と、パーキンソン病アルツハイマー病の症状が同じ種類のものだと書いてあったところが非常に恐ろしかった。

 しばらく蜂に注意を払ったおかげでわかったことがあるとすれば、それは、生産的な土地と非生産的な土地という白黒で物事を判断するような誤った考えは捨てるべきだということだ。非生産的な自然の土地などないのだから。あるのは、それが私たちに貢献しれくれているさまに気づかない人間の洞察力の欠如だ。私たち自信が何を必要としているかに気づかない人間の想像力の欠如だ。

 何かを食べて、あまり味がしないとか、食べたあとやたらと喉が渇くとか、どうも調子が悪いとか、そんなときに体の内側にあがってくる言葉にならない違和感の原因が、この本を読み進めるうちに少しずつ見えてくる。そのことが面白かった。(波)