俺たちに定年は無いのか?

ちょっと古いですが、「Nohji's Rock'n Roll Shop」より(2005.11.21付)

思い起こせば、最後に会ったジャニーズ・アイドルはCDデビューしたばかりのタッキー&翼で、彼らの東京ドームでのライブで観たKAT−TUNが、最後に観た最新のjr.ユニットだった。その時には、東京ドームの記者席にスポーツ紙の記者さんたちと一緒に座って、女の子たちのウチワがパタパタとはためくのを観ながら、ハロプロのライブでは感じない奇妙な疎外感を感じて(笑)“オレはもうジャニーズは定年退職だな”と思ったんだよ。女子中学生からキレイめOLまでが東京ドームに詰めかける間口の広さも、オレの考えるジャニーズとは違うしなー……とも思った。ま、それは、わたくしのジャニーズ原風景っていうのは、ハタチのOLが「ババア、何しに来たんだよ」とトイレでボコられる80年代の後楽園球場みたいな、青春ぎりぎりパンク&バイオレンスなものだったりするっつーこともあって(笑)。で、なおかつ「女子アイドルファンには定年があって、男子アイドルファンには定年がない」という説も昔から主張しておりましたものですから。

凄いね。そんな時代があったのね(笑)。
つーか、これって「ジャニーズファンには定年があって、ハロプロファンには定年が無い」って事なんですかねえ。
私はそうではなくって「オンリーファンには定年があるけど、DDには定年が無い」って事なんだと思いますよ。「○○ちゃんの卒業を以って俺も燃え尽きる」というスタンスは凄くかっこいいと思うけど、かっこ悪いDDな俺はこれからもダラダラと居続けるんだろうなあ。

ただ、アイドルに限らず、いわゆるマーケティング手法的には、オンリーファンのように短期間に大量消費してくれる客と、DDの様に細く長く金を落としてくれる客...まあどちらもお客さんとして差別はできないだろうけど、DDをより多く保持しているマーケットの方が長期的には有利なんだろうねえ。
ただ、そのDDになりやすいマーケットって情報レベル全体の底上げが必要だから、マニアックになる傾向があり、いわゆるヲタ化しやすいという副作用は覚悟しなければいけない。ハロプロはいまこの段階に近いね。

ジャニーズはその点、上手い具合にファン層を拡大されてるんだろうね。

是永美記/「週刊 野田義治」テキスト化

シャレモニ。」さん経由で「川#釻o釻)凸<俄然、強めよ!」さんにがアップされています。 1週目
2週目

まず、私的なことで大変申し訳ございませんが。
これから君のこと「あーさん」って呼ぶよ(苦笑)。

それはさておき、ここ...

( 小▽島)<あのー、歌とかダンスとかはスキなんですか?
´_` <スキ・・・ですね、はい♪

...から...

´_` <ホントに、好きです!(ぉ

...あたりが実にたまりませんね。
こーゆーのを「萌え」ってゆーんだよなあ。はにかむコレちゃんを拝みたかったです(苦笑)。

あれは似ているんではなくって、元ネタだってば(その2)

続き
永井ルイのBGM(?)の件。
知人のSさんによると、フラッシュゴードンのパロディソングは、1999.10.13〜2000.01.19にWOWOWで放映されたアニメ「THE・ビッグオー」の第1期オープニングテーマだとのこと。放送終了は「乙女 パスタに感動」の約半年ほど前ってことですね。
つーか、意外に近いですね。で、この作品が「乙パス」に繋がったかどうかはわかりませんが、彼の導火線に火をつけちゃったってことかもしれないよなあ...もう来る仕事来る仕事全部クイーンにしちゃえみたいな(苦笑)。

ちなみに映像はウルトラセブンOP風とのこと。
さらに(後日放送された)第2期OPは「謎の円盤UFO」そっくりらしい。うーむ...
Wikipediaによると、米国でも放送されたとあるんだけど、大丈夫だったのか?...まあ何も無いことから、きっと大丈夫なんだろうなあ(苦笑)。

追記:
あ、ダメでした
出版社が「QUEEN MUSIC LTD」に、作曲作詞が「MAY BRIAN HAROLD」なってます。
最初からそうなっていたのか、ロコローションと同じ道を辿ったのかはわかりませんが、結果的にはカバーになっちゃいました(苦笑)。

ハロプロでそのものズバリというのは無いですが、このご時世、海外でのハロプロファンは着実に増えています。なので軽率なアレンジは後が恐いですよ...って誰に言ってるんだか(苦笑)。

更新のお知らせ

更新しました。
いわゆる「ゴーストライター」と「元ネタ」ものです。
イムリーすぎて恐くなったので...って訳ではなく、単に後回しにしていただけですが。

そう言えば(サザエさんの終わりの歌を作曲した)筒美京平さんのデビュー作「黄色いレモン」は、師匠である「すぎやまこういち」さん名義になっていたんですよね。でもこれは「Musicman-NET」にあるとおり...

●村上さんが始められたんですか?

そうです。村上が始めたんですよね実は。そこに私が入ったんです。オリジナル楽曲をNo.1から台帳に打ち込んでいくのがまず仕事でしたけど、僕が入った時はまだ一ケタでしたからね。日音のオリジナル曲にはTBSの鈴木道明さんっていう泣く子も黙るTBSの歌の番組のプロデューサーがいらしたんですが、作詞作曲もなさっていて、その大先生の担当は別だったんです。鈴木道明さん以外のオリジナルを村上がやっていたんですね。このオリジナル楽曲の2番か3番目が猪俣公章さんで、何番目かが筒美京平さんですよ。筒美京平さんには初めはすぎやまこういちさんの名前で作った「黄色いレモン」っていう曲があるんです。「♪黄色いレモンに涙がこぼれ〜」っていう歌ね…知らないでしょ?やっとここ最近になってすぎやまこういちさんの名前から「筒美京平」に変えたんです。

●当時は自分の名前を伏せてたんですか?

そうです。筒美さんはまだポリドールの社員だったから名前は使えないっていうんで、すぎやまこういちさんの名前でやっていて、その直後に筒美さんがポリドールを辞めたので筒美さんの名前で出したんですよ。その時は村上と私の二人しかいなかったから、ほんとになんでもやってましたよ。できないとクビになっちゃうし(笑)。

といった感じで、ゴーストライターではなく「日本グラモフォン(ポリドール)」の社員であったためその様にせざるを得なかったとのこと。いわゆる契約上の問題でしょう。当時の作曲家はレコード会社専属作家なども多く、この状況ではまともに曲を発表できないでしょうから。

私は筒美さんの企画盤のライナーノーツでこの件を知りましたが、この情報が表に出てから「すぎやまこういち氏は弟子に曲を書かせている」といったゴーストライター説が出たらしいのですが、まあこのあたりから膨らませたのでしょう(笑)。

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そういえば「こんにちわプロジェクト@UFW」で飼ってる例の方は「盗作」と表現していますが、その手の元祖である「100%真実の告白」では確かゴーストという表現を使っていたような...